金属と金属が、ぶつかった。
霊子と霊子が、噛み合った。
黒刃が魔剣杭へ届いた瞬間、十三層の風は一拍だけ遅れて裂けた。甲高い音ではない。澄んだ斬撃音でもない。古い鉄の奥に詰まっていた骨を、無理やり断ち割るような音だった。
ブルーの両腕に、反動が返る。
手首から肘へ、肘から肩へ、硬い痺れが駆け上がった。血で濡れた指が柄の上で滑る。けれど、刃は抜けない。抜かなかった。胸奥へ突き刺さった魔剣杭の黒い線、その中心へ、二振りの刃が深く噛み込んでいる。
有翼個体の白い肉体が、初めて大きく揺れた。
胸の奥から、翡翠とは異なる黒い亀裂が広がる。魔剣杭の刃に沿って走っていた線が、一本、二本、音もなく千切れた。切れた端から黒い霊子が噴き出し、白い肉の内側で暴れるように跳ねる。
『魔剣杭、損傷』
リーインシアの声が、通信に走る。
『損傷、胸部中枢へ到達。リンデンくん――』
『合わせます』
リンデンの声が重なった。
次の瞬間、通信の向こうで大地が割れた。
赤黒い土を踏み砕く音。刃が肉へ届く音。誰かの銃声が途中で途切れ、代わりに雷鳴のような霊子反応が膨れ上がる。神域側の戦場が、声ではなく音で傾いた。
『主核個体、胸部同位点に損傷』
リーインシアが息を呑む。
『深度、致命域手前……座標一致。角度、ほぼ一致』
有翼個体が吼えた。
声ではなかった。肉と翡翠と黒い魔剣が、互いに噛み違えたまま擦れ合う振動だった。白い腕が跳ね上がり、ブルーの身体を真横から蹴り飛ばす。
黒刃が抜ける。
蒼い軌跡が、血と翡翠の粉を引いた。
ブルーの背中が甲板を削り、砕けた装甲板の縁にぶつかって止まる。肺の奥の空気が潰れ、視界の端が一瞬だけ白く焼けた。それでも、彼女は刃を離さなかった。
「ブルー!」
カノンが駆け寄ろうとする。
だが、ブルーは片手をわずかに上げた。
来ないで、というより、まだ、と言うように。
有翼個体も追ってこなかった。
白い肉体は、甲板の中央で低く沈んでいる。初めて、その腕が胸元へ伸びた。魔剣杭を取り込んだ場所を押さえるように、白い五指が胸の肉へ食い込む。そこから黒い線が漏れ、翡翠粒子が細かく剥がれ落ちていく。
傷を庇う動きだった。
あるいは、そこにあるものを失うまいとする動きだった。
数秒だけ、風が戻った。
十三層外縁を吹き抜ける冷気が、血と霊子の匂いを薄く攫っていく。カノンは聖剣を構え直し、久理の人魂は数を減らしたまま有翼個体の周囲へ散った。モノのゆきうさぎが、ブルーの足元へ氷の足場を置く。
誰も踏み込まない。
誰も退かない。
その間にも、通信の中では数字が暴れていた。
『同期切り替え、加速しています』
リーインシアの声が、わずかに硬くなる。
『主核側、有翼側、主核側、有翼側――切り替わっていますが、損傷値に変わりはありません』
モノが氷冥桜の端末へ視線を落とす。
そこには二つの反応が表示されていた。
赤黒い神域の主核個体。
十三層の有翼個体。
同期元を示す波形だけが目まぐるしく入れ替わっている。けれど、左腕、右肩、右外翼相当部位、右脚、胸部中枢。その損傷値だけは、切り替えのたびに消えることなく、同じ深度で残り続けていた。
逃げている。
逃げているはずだった。
だが、逃げた先にも同じ傷がある。
「……詰み、ね」
モノが、小さく言った。
有翼個体の胸奥で、魔剣杭がまた脈打つ。黒い線が一瞬だけ強く光り、次の瞬間、胸元を押さえた白い腕の隙間から亀裂が走った。
ブルーは立ち上がる。
膝が震えた。肩口の傷から血が落ちる。頬に乾きかけていた血が、また新しい赤で濡れた。それでも、彼女は二振りの黒刃を構え直した。
通信の向こうで、リンデンの呼吸が聞こえる。
近くはない。
けれど、その息の乱れだけは、十三層の風よりも近く感じていた。
『主核個体、再度同期切り替えを試行』
リーインシアが告げる。
『有翼個体側へ――失敗。損傷維持。主核側へ戻します。ですが、こちらも損傷維持』
神域側で、何かが衝突した。
重い。
ただの斬撃ではない。リンデンの身体ごと、白い肉塊へ押し込まれるような音だった。
『リンデンくん、距離を――』
『まだです』
短く、静かな拒絶。
その声の奥で、肉が裂ける。
有翼個体が、顔のない頭部をわずかに上げた。見えているはずのないそれが、通信の向こうを見たように、神域側にいる主核へと意識を向けたように。
リンデンの声が、十三層と神域の両方へ落ちた。
『選んでください』
柔らかい声だった。
けれど、そこに逃げ道はなかった。
『このまま両方を残して、同じ傷で沈むか』
赤黒い大地で、刃が引き抜かれる音がした。
『それとも、
有翼個体の胸奥で、翡翠の光が一度だけ大きく膨らんだ。
黒い魔剣杭の亀裂が、さらに深く走る。白い肉の中を満たしていた経文めいた振動が、不意に遠ざかっていく。合唱が薄れる。同期の脈動が、一本ずつ引き抜かれるように消えていく。
『同期反応、低下』
リーインシアが言った。
声の末尾が、わずかに掠れる。
『主核側、同期を……切断しています』
有翼個体の身体から、何かが抜けた。
見えないはずのものだった。
けれど、その場にいた全員が、それを感じた。
白い肉の奥にあった複数の気配が消える。重なっていた声が剥がれ、胸奥で脈打っていた同期の圧が遠ざかる。残ったのは、砕けかけた魔剣杭と、傷だらけの白い肉体と、そこから零れる翡翠の粒子だけだった。
有翼個体は、胸元を押さえたまま動かない。
風が吹いた。
翡翠の粒子が、その肩から静かに剥がれていた。
数秒の沈黙。その後にゆっくりとそれは屈めていた身を起こした。
白い肉の節々が軋む。右脚の損傷は残り、裂けた肩口からは翡翠粒子がこぼれ続けている。それでも、その動きに乱れはなかった。倒れかけた身体を無理に持ち上げているのではない。残された肉と骨と霊子だけで、もう一度立つ形を選んでいるようだった。
胸を押さえていた腕が、静かに離れる。
そこに刺さっていた魔剣杭だったものが、ぼろぼろと抜け落ちた。
黒い刃の芯は砕け、翡翠の臍帯は乾いた紐のように剥がれ、白い肉へ埋もれていた破片が甲板へ落ちていく。
硬い音はしなかった。霊子を失った骨片のように、鈍く、脆く、粉へ変わる。
カノンが聖剣を構え直した。
久理の人魂が、消えかけた火を寄せ合うようにして前へ出る。
モノのゆきうさぎが、ブルーの足元に薄い氷膜を敷いた。
ブルーは、黒刃を下げない。
有翼個体は、四人を見据えていた。
顔はない。目もない。けれど、その白い頭部の向きだけで分かった。逃げる先を探しているのではない。助けを求めているのでもない。そこに立つ相手を、最後の敵として見ていた。
次の瞬間、有翼個体は自らの両翼へ腕を伸ばした。
白い指が、翼の根元へ食い込む。
肉が裂ける。
骨が軋む。
翡翠結晶が砕け、冷たい風の中へ散った。
有翼個体は、声を上げなかった。ただ両腕に力を込め、背から生えていた二枚の翼を根元から引きちぎった。
「自分で……!?」
久理の声が震える。
血の代わりに、翡翠粒子が噴いた。翼を失った背中から白い肉糸が垂れ、一瞬だけ空を掴もうとするように揺れる。だが有翼個体は振り返らない。引きちぎった両翼を、それぞれの手に握った。
翼が変形する。
肉膜が折り畳まれ、骨格が引き伸ばされ、翡翠結晶の刃が一本の線へ揃っていく。乱雑な再生ではない。壊れた部品を無理に寄せ集めたものでもない。翼だったものは、白い肉と翡翠の骨を束ねた二振りの刃へ作り替えられていった。
双刃。
ブルーの黒刃と向かい合うための、白い刃。
それは誰のものでもなかった。
神域側から流れ込んだ学習でも、スリーの近接体術でも、斬の間合いでも、エラーの迎撃反応でもない。まして、ブルーの双剣を模倣したものでもない。
有翼個体そのものの構えだった。
長く戦うためではない。
勝ち残るためでもない。
ただ二合。
たったそれだけ打ち合うために、残った翼を刃へ変え、残った身体をその一点へ畳み込んだ構えだった。
ブルーは、それに応えるように身を沈めた。
黒刃の切っ先が、わずかに下がる。肩口から落ちる血が柄を濡らし、指の隙間を伝って甲板へ落ちた。だが、握りは緩まない。蒼い霊子が二振りの刃の縁へ細く宿り、十三層の風を静かに裂いた。
「ブーゲンビリア流双剣技――」
ブルーの言葉が落ちた瞬間、輪壊者は動いた。
一歩目で、大気の壁を突き破った。
いや、違う。
突き破られた空気さえ、最初の一合に変えられていた。
白い足が甲板を踏み抜いた瞬間、圧縮された風が刃になって走った。見えない斬撃が、真正面からブルーの喉元へ迫る。翼を捨てたはずの輪壊者が、まだ空を斬っている。肉ではなく、音でもなく、踏み込みそのものを刃にしていた。
「組曲【神音】、第十九番――」
聖弓ベルガンテ。
その片刃、右手の一刀が大気の刃を打ち払った。
蒼い弧が空間を撫でる。見えない斬撃が黒刃の縁で割れ、左右へ散った風圧が甲板の破片を巻き上げる。ブルーの髪が後ろへ流れ、頬の血が細い線を描いて飛んだ。
その奥から、輪壊者の白刃が来る。
すくい上げるような軌道だった。
下から上へ。
胸ではない。腕でもない。ブルーの左刃を握る手首、その逃げ場だけを消す角度。
ブルーは迎え撃つように、左手の一刀を振り下ろした。
衝撃。
黒刃と白刃が噛み合った瞬間、甲板が歪んだ。二人の足元を中心に装甲板が波打ち、裂け目から蒼と翡翠の火花が噴き上がる。カノンの聖剣が余波を受けて鳴り、久理の人魂が一斉に身を縮めた。
砕けたのは、白刃だった。
有翼個体が自らの翼から作り替えた刃。その片方が、ブルーの黒刃に押し負け、根元から砕け散る。白い肉片と翡翠結晶が風に散り、蒼い軌跡の中で粒になった。
ブルーの黒刃が、蒼の線を引く。
しかし、白刃は囮だった。
ブルーが左手を振り切った時には、輪壊者はすでに残った一刃を両手で握っていた。
砕けた白刃の破片を捨て、残るすべてをもう片方の刃へ流し込むように。
有翼個体は、袈裟に構えていた。
二合目。
それだけのために。
ブルーは、右手の刃を逆手に持ち替えていた。
振り抜いてしまった左手よりも早く、次の一撃へ間に合わせるため。右腕の可動域を潰し、手首の返しだけで白刃の軌道へ差し込む。普通なら選ばない。選べない。受けた瞬間に骨が割れ、刃の重みごと腕を持っていかれる構えだった。
それでも、間に合わない。
有翼個体の白刃が振り下ろされる。
砕けた片翼のすべてを流し込んだ一刀。刃というより、失われた翼の骨そのものが、最後に空へ届こうとして落ちてくるような斬撃だった。白い軌跡が十三層の風を裂き、ブルーの持ち替えた黒刃よりも先に、彼女の身体へ到達する。
カノンが息を呑んだ。
モノのゆきうさぎが跳ねる。
久理の人魂が悲鳴のように火を膨らませた。
それでも、ブルーは止まらなかった。むしろ、彼女は白刃へ向かって跳んでいた。
音もなく、白が弧を描く。
ブルーの右肩が断たれた。
右腕が、跳躍する身体に置いていかれるように甲板へ落ちる。切断面から血が噴き、蒼い霊子が一瞬だけ途切れた。
だが、それでも。
斬られる寸前、ブルーの右手は刃を手放していた。握りを失ったのではない。落としたのでもない。白刃が肩へ届くその直前に、彼女自身が黒刃を解き放っていた。
双剣の片刃が、輪壊者とブルーの間へ躍り出る。
回転は一度。
柄が、彼女の眼前へ来る。
「“蒼が光陰を――”」
ブルーは止まらない。
右腕を失った身体が、なお前へ進む。肩から流れる血が風に散り、蒼い髪が乱れ、噛みしめた歯の隙間に鉄の味が滲んだ。
眼前へ飛び込んできた黒刃。
その柄を、ブルーは噛んだ。
奥歯が軋む。唇が裂れる。刃の重みが首の骨へ直接かかり、視界の端が白く灼けた。それでも彼女は顎を閉じ、首筋の力だけで刃の向きを殺さなかった。
有翼個体の首が、そこにあった。
白刃を振り下ろした両腕は、もう戻れない。二合目にすべてを置いた構えは、二合目を振り抜いた瞬間、次を持たない。逃げる翼も、庇う腕も、同期による上書きも、もうない。
ブルーの蒼髪が振り乱れる。
口許の黒刃を薙ぐ瞬間、彼女の瞳と、目のないはずの輪壊者の顔が合った。
そこに声はなかった。
怒りも、懇願も、怨嗟もなかった。
ただ、最後まで膝を折らなかったものだけが、白い刃を振り下ろした姿勢のまま、ブルーを見ていた。
「“別つまで――!”」
ブルーが、かぶりを振った。
黒刃が蒼の弧を描く。
口に噛んだ一刀は、腕で振るう刃よりも歪だった。軌道は美しくない。速度も足りない。けれど、その一撃は、白刃を振り切った輪壊者の首元へ、ほんの一筋だけ残された隙間を通った。
蒼が走る。
白い頸部が裂けた。
翡翠結晶が砕け、肉の繊維がほどけ、首を繋いでいた最後の白い束が、黒刃の縁で断たれる。
有翼個体の頭部が、風に浮いた。
ほんの一瞬だけ、落ちるより先に、翡翠の粒子がその輪郭をなぞる。そこにもう、経文はない。同期の合唱もない。主核へ伸びる黒い線もない。
残っていたのは、白い身体が最後に選んだ二合の余韻だけだった。
輪壊者の首が、甲板へ落ちた。
遅れて、白い肉体が膝をつく。
両手に握られていた白刃が砕け、翼だったものが細かな粒子へ崩れていく。振り下ろされた腕は最後まで止まらず、甲板を浅く裂いたところで、力を失った。
ブルーは着地できなかった。
片膝が折れ、衝突するように甲板を転がる。右肩から流れる血が装甲板へ広がり、噛んでいた黒刃が口元から外れ、硬い音を立てて甲板に落ちた。
それでも、彼女の目は逸れなかった。
首を失った有翼個体が、静かに崩れていく。
白い肉が翡翠の粒子へほどける。
粒子は風にさらわれ、そこに何も残る事は無かった。
恐らくここからひたすらボスラッシュばりの連続戦闘(10万字予想)が続くので、息継ぎの為に話の間(1.2.閑話.3.4みたいな感じ)でも閑話を差し込むべきかどうか。
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ずっと戦闘でもいいよ、あまり気にしない
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息継ぎは欲しい、差し込んで欲しい
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叡智閑話
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イベのトロイさんちゃんの掘り下げビビった