カチリ、と。
欠けていた何かがはまるような感覚があった。
音はしなかった。
それでも、リンデンには聞こえた気がした。
胸の奥でもない。脊椎でも、神経でもない。
もっと深い場所。肉体の形に縛られず、血流の速度にも従わず、けれど確かに自分の内側と呼べる場所で、ひとつの噛み合わせが戻った。
赤黒い大地に突き立てた足の裏から、乾いた土の感触が昇ってくる。
土。血。霊子。焼けた肉の匂い。砕けた白い肉片と、翡翠結晶の破片。
それらは先ほどまで、ただ戦場を構成する情報としてそこにあった。見えていた。聞こえていた。嗅ぎ取れていた。理解もしていた。
だが今は違う。
地面との距離が、わずかに変わった。
近づいたのではない。遠ざかったのでもない。
自分の立っている場所が、ただ足下にあるだけのものではなくなった。
赤黒い大地のひび割れ。空気に混じる霊子の乱れ。主核個体の残した圧。周囲を巡るナンナリスクリーチャー群の再同期の気配。
それらの位置が、線ではなく層として重なって見えた。
見える、という表現では足りない。
目が捉えた景色の奥に、もうひとつ、薄い膜のようなものが開いていた。
それは時間の流れに似ていて、因果の揺れにも似ていて、けれどそのどれとも言い切れない。
ただ、その中でひとつだけ、ひどく馴染むものがあった。
――存在の輪郭。
そこに何が在るのか。
何が、まだ在ると言えるのか。
何が、もう失われたと扱われているのか。
その境目だけが、他のどの感覚よりも深く、静かにリンデンの中へ沈み込んできた。
指先が震えた。
力が戻っている。
奪われ、裂かれ、使われ、遠くへ置き去りにされていた何かが、自分の形を思い出しながら帰ってきていた。
それは熱ではなかった。
歓喜でもなかった。
肉体を強くするだけの出力でもない。
もっと冷たく、もっと正確で、もっと静かなものだった。
折れた刃が、刃であったことを思い出すように。
欠けた歯車が、ようやく本来噛むべき位置へ戻るように。
リンデンという存在の奥で、ずっと沈黙していた魔剣の構造が、ひとつずつ息を吹き返していく。
『――リンデン!』
通信の向こうから、ブルーの声が飛び込んだ。
ひび割れた音だった。
風が混じっていた。十三層甲板を吹き抜ける冷たい風。砕けた装甲床を擦る粒子の音。誰かが息を呑む気配。
そのすべてを押し退けるように、ブルーがリンデンの名を呼んだ。
リンデンは、わずかに顔を上げた。
視線の先にブルーはいない。
ここは神域側。十三層の甲板ではない。
それでも、声だけは届いていた。
遠いはずの声が、遠いものとして聞こえなかった。
通信が繋がっているからではない。
霊子回線が生きているからでもない。
その声が、自分の帰る場所から響いたからだ。
リンデンの呼吸が、浅く揺れた。
戻ってくる力が、さらに奥へ沈む。
胸部。肩。腕。脚。脊椎のさらに奥。
身体という器を確かめるように、冷たい感覚が通り過ぎていく。けれど、それは神経の上を走らない。筋肉を動かすための命令でもない。
身体を持っている自分と、身体だけでは届かない自分。
その境界が、一瞬だけ重なった。
リンデン由来の魔剣の力。
そう言葉にしてしまえば簡単だった。
けれど、実際に戻ってくる感覚は、もっと複雑で、もっと静かで、胸の奥を締めつけるほどに精密だった。
欠けていたのは力だけではない。
自分が、自分として世界へ触れるための、もっと根の深い何か。
赤黒い神域の空気が、ゆっくりと重さを変えた。
運命が突き立てた魔剣の周囲で、霊子が鳴る。
乾いた大地の亀裂に、薄い光が走った。
倒れかけていた者たちの身体が、微かに息を吹き返す。
裂けた肉が塞がる音。
砕けた骨が、低く噛み合う音。
焼け落ちた霊子回路に、火花に似た光が戻る音。
それは一斉の復活ではなかった。
神域の奥底に沈められていた規則が、ひとつずつ本来の並びへ戻っていくような、遅く、確かな反応だった。
トロイの聖槍リタの周囲に残っていた祈術の光が、ふわりと持ち上がる。
濡羽の指先で途切れていた術式線が、火花を散らして再接続する。
玄鉄の足下に敷かれていた古式の魔術痕が、かすれた墨跡のように濃さを取り戻す。
スリーが、短く息を吐いた。
斬の刀を握る手に、力が戻る。
オラスの背後で、マクスウェルとラブレスが低く駆動音を響かせた。
エリスの
プロブレムのQ&Aが、空中で姿勢を直した。
アンサーの炎熱霊槍『OW』の刃先に、橙の熱が灯る。
エラーの《DISK》から、抑え込まれていた電圧が唸った。
オーバーフローのアクトアズパラノイドに、細い雷光が絡み直す。
死にかけていた戦線が、もう一度だけ呼吸を始めた。
運命は、魔剣を地面へ突き立てたまま動かなかった。
動けなかった。
それでも、彼女の肩が、ほんのわずかに下がった。
限界まで張り詰めていたものが、細い糸一本分だけ緩む。
それだけで、どれほどの重さを支えていたのかが分かった。
リンデンは、運命を見た。
呼びかけようとして、声が出なかった。
言うべきことは、いくらでもあった。
戻りました。まだ終わっていません。すみません。ありがとうございます。
そのどれもが喉の手前で形を失い、呼吸だけが胸の奥に残った。
通信の向こうで、誰かがブルーの名を呼んでいる。
カノンの声だったかもしれない。
久理の声だったかもしれない。
モノの、抑えた短い指示だったかもしれない。
甲板の風が、まだ混じっていた。
そして、その風の奥で、ブルーの声が落ちた。
『――待ってるから』
小さな声だった。
怒りは、もう混じっていなかった。
許しでもなかった。
帰ってこいと命じる声でも、どうか戻ってきてと縋る声でもない。
ただ、待っている。
その場所にいる。
帰る先として、そこに立っている。
リンデンの指が、わずかに曲がった。
胸の奥で戻った力が、静かに鳴る。
視界の奥に開いた薄い膜が、さらに深く沈んだ。
神域の赤黒い大地。砕けた白い肉片。翡翠結晶。傷ついた騎士たち。突き立てられた魔剣。主核個体。
すべてが、もう一段深い場所で重なって見えた。
戻った。
そう思った瞬間、リンデンは理解した。
戻ったからこそ、見えてしまうものがある。
主核個体は沈黙していた。
有翼個体とのリンクを切断し、逃げ道のひとつを捨て、同位損傷から抜け出したはずのそれは、赤黒い大地の向こうで、ただ静かに立っていた。
傷だらけだった。
削られていた。
追い詰められていた。
限界の手前まで、確かに追い込まれていた。
だが、その存在の輪郭だけが、奇妙に濃い。
リンデンの中で戻った力が、かすかに軋んだ。
運命の魔剣が、地中で低く鳴る。
トロイは、笑わなかった。
「……リンデンちゃん」
間延びした声ではあった。
けれど、語尾がいつものようには跳ねなかった。
赤黒い大地の裂け目の奥で、白い肉片が蠢いた。
消えたはずの輪壊者たちの残滓。
焼けた霊子。
砕けた翡翠結晶。
散らばっていたナンナリスクリーチャーの破片。
それらが、主核個体の足下へ向かって、音もなく寄っていく。
勝利の余韻は、最初からそこにはなかった。
戻った力が告げている。
まだ、終わっていない。
むしろ、ここから先にあるものの方が、ずっと深い。
リンデンは、息を吸った。
ブルーの声が、まだ胸の奥に残っている。
――待ってるから。
その言葉を抱いたまま、リンデンは主核個体を見据えた。
主核個体が踏み込んだ。
赤黒い大地が、遅れて爆ぜる。
リンデンも前へ出た。
戻った力は、身体の中で静かに収まっているだけではなかった。足を運ぶたび、背骨の一節ごとに重心が通り、肩から腕へ、腕から握った剣へと淀みなく繋がっていく。
かつて身体を支えていた人工物の感触は、もうそこにはない。
肉と骨が連なり、ひとつの身体として撓る。
地を蹴った衝撃が骨盤から背骨を駆け上がり、刃の先まで届いた。
魔剣が走る。
主核個体の胸部を狙った横薙ぎに、白い腕が割り込んだ。
金属とも骨とも異なる硬い音が響く。
主核の手には、一振りの魔剣が握られていた。
その刃を渡した女性形は、もう肩の上にいない。
かつて主核の肩口から生えていた女の輪郭。その指が最後に残した剣だけが、主核の掌に収まっている。
二つの魔剣が噛み合った。
圧が大地を沈ませる。
リンデンは刃を滑らせ、そのまま懐へ入った。
主核が剣を返す。
白刃が頬を掠めた。
皮膚が裂け、血が細く散る。リンデンは構わず半歩踏み込み、刃の根元を主核の脇腹へ叩き込んだ。
白い肉が開く。
翡翠の粒子が噴き出した。
主核の身体から溢れたそれは、血のようには落ちなかった。
宙へ散り、細かな光の群れとなって戦場へ広がる。
『リンデン!』
運命の声が飛ぶ。
主核の膝が跳ね上がった。
リンデンは剣の腹で受け、衝撃に押し上げられる。身体が浮いた瞬間、主核の魔剣が下から追ってきた。
空中で身を捻る。
背骨が大きく撓り、刃が胸元を掠めて抜けた。
着地と同時にリンデンは剣を振り下ろす。
主核も刃を立てた。火花に似た霊子が弾ける。
二人の足下から、放射状に亀裂が伸びた。
その周囲を、翡翠の粒子が漂っていた。
飛び散る粒子、それを受けて最初に変化したのは、運命だった。
地面へ突き立てた魔剣を握る腕。その裂けていた皮膚の内側で、止まりかけていた霊子が再び巡り始める。
傷が塞がったわけではない。
もっと根本にある何かが、元の位置へ持ち上げられていた。
この世界において、どこまで失われれば死と呼ばれるのか。
どこまで壊されれば、その存在は戻れなくなるのか。
その境目が、騎士たちの足下で押し上がる。
翡翠の光が運命の周囲を巡った。
途切れていた不死性が、再び彼女の存在へ噛み合う。
運命の肩が震えた。
魔剣を握る指に、さらに力が籠もる。
『……戻った』
声は小さかった。
確かめるように発した言葉の直後、限定神域の縁が大きく脈動した。
主核がリンデンの剣を押し返す。
リンデンは地面を滑り、片足で踏み止まった。
白い影が迫る。
右からの斬撃。
リンデンは剣を立てて受け、そのまま切っ先を主核の刃へ絡ませる。手首を返すと、二本の剣が互いを削りながら上へ跳ねた。
空いた胴へ、リンデンの肩が入る。
主核の巨体が傾いた。
そこへ斬り上げる。
刃が胸部から肩口までを裂き、さらに大量の翡翠粒子が噴き上がった。
光はリンデンの背後へ流れた。
トロイの修道服に開いていた裂け目の下で、損傷した肉が淡く光る。
聖槍リタが、彼女の手の中で低く鳴った。
祈術による回復とは異なる。
トロイ自身の存在が、死を遠ざける本来の位置へ戻っていく。
「これ……」
トロイが息を吐いた。
その紫の瞳はリンデンと主核の間から離れない。
「……リンデンちゃんも、結構強引だなー」
軽口の直後、主核の斬撃が横合いから飛んだ。
トロイは聖槍を立てる。
光壁が展開し、逸れた斬撃の余波を受け止めた。
壁面に亀裂が走る。
その向こうで、トロイは小さく笑った。
「まー、戻るなら戻るで、ありがたく使わせてもらおっかー」
玄鉄の足下でも、古式の術式が形を変えていた。
薄れていた線が濃くなり、欠けていた文字列が自らを補う。
玄鉄は片目を細めた。
「おっ」
指先で空中の粒子を掬う。
触れた翡翠の光が、皮膚へ沈んだ。
「治った、って感じじゃないね。無理やり押し上げられてる感じするー」
「なら、遠慮する必要ありませんよね!」
濡羽が叫ぶ。
その声と同時に、彼女の周囲で途切れていた術式環が一斉に回転を始めた。
炎、氷、雷。
三種の術式が重なり、主核の側面へ展開する。
「リンデン、退いてください!」
リンデンが身を沈めた。
直後、雷撃が主核の肩を打ち、氷が足下を封じ、炎が開いた傷口へ流れ込む。
主核が剣を振るう。
熱と氷がまとめて砕けた。
破片の中からリンデンが飛び込み、刃と刃が再び衝突する。
主核の剣筋は鋭くなっていた。
肩の女性形から受け取ったものは、武器だけではない。斬り返す角度も、踏み込む間も、人の身体を知る者のそれへ近づいている。
リンデンの喉元を狙った突きを、剣の側面で受け流す。
白刃が耳元を抜けた。
返す一撃で主核の手首を浅く裂く。
翡翠がまた散る。
その粒子が、今度はORANGEの四人へ降り注いだ。
プロブレムの首筋で、かすかな駆動音が鳴る。
「……え」
皮膚の下に沈黙していたO型ナノマシンが、一斉に活性化した。
細い光が血管に沿って走る。低下していた身体機能が、次々に正常値へ戻っていく。
視界補正。
筋出力。
神経伝達。
Q&Aとの接続精度。
彼女の背後で、二機の巨大砲身が同時に震えた。
「うわ、なにこれ」
プロブレムが自分の手を握り、すぐに開く。
橙色の瞳が見開かれた。
「ちょ、待って。完全復帰なんだけど!」
声が弾む。
その直後、QAが主核の背後へ回り込み、二条の光線を放った。
「沸く沸くしてきたーっ!」
主核が振り向きざまに剣を払う。
一本は弾かれた。もう一本が肩口を焼く。
アンサーの体内でも、O型ナノマシンが動き出していた。
鈍っていた感覚が戻る。
呼吸が深くなる。
アンサーは長く息を吐き、槍を構える。
「全員、無理はしないで」
柔らかな声だった。
その眼差しは、主核の動きとリンデンの位置を正確に追っている。
「がんばる禁止。戻ったからって、使い切っていい理由にはならないわ」
「それ、今言うー!?」
「今だから言うのよ」
アンサーの足下で炎が収束する。
主核がリンデンへ刃を押し込んだ瞬間、その側面へ巨大な槍先が突き込まれた。
「そこ――!」
炎熱の刃が白い肉を貫く。
爆ぜた翡翠粒子が、さらに高く舞った。
エラーの褐色の肌の下でも、ナノマシンが目を覚ます。
筋繊維の損耗が補われ、焼けていた神経の伝達が戻り、《DISK》との接続が安定する。
四機の重装武装が、咆哮するように展開した。
「ハハッ!」
エラーが肩を回した。
骨が鳴る。
「やっと病的にマトモな身体に戻りやがった!」
DISKの砲口に、高電圧が集まる。
「行くぞ、
電撃玉が射出された。
主核が剣で斬り払う。しかし、炸裂した電流が白い腕へ絡みつき、その動きを一瞬止めた。
リンデンの剣が走る。
主核の胸部に、深い斜線が刻まれた。
オーバーフローの小柄な身体にも、光が巡っていた。
O型ナノマシンの再起動に合わせ、アクトアズパラノイドの先端で雷が弾ける。
「完全理解!」
カピストラーノが中空へ展開する。
複数の中継点を結んだ雷光が、主核の周囲へ網を作った。
「リンデン、そのまま!」
雷が白い身体を縛る。
エラーの電撃とは異なる。動きを焼くだけではなく、主核が次に選ぼうとした動作の繋がりを一瞬だけ乱す。
主核の剣先が止まった。
リンデンは、その一瞬へ踏み込んだ。
剣を両手で握る。
本物の背骨が撓る。
足裏から上がった力が、腰を通り、肩を抜け、刃へ乗った。
振り下ろす。
主核も魔剣を掲げた。
激突。
赤黒い大地が大きく陥没する。
衝撃が戦場を横切り、周囲に浮かんでいた翡翠粒子をすべて吹き散らした。
光は騎士たちへ降る。
スリーの眼帯の下で、途切れていた感覚が戻る。
斬の古傷が熱を持ち、不死性が再びその身へ定着する。
オラスの獣王因子が脈打ち、マクスウェルとラブレスの出力が跳ね上がる。
エリスの尾が大きく広がり、「にゃんこさん」の多砲身が高速回転へ移る。
誰も立ち止まらなかった。
誰も復活を喜ぶ暇を持たなかった。
失われていた不死性は、歓声の中で戻ったのではない。
剣と剣が噛み合う最中に。血と土埃の中で。
次の一撃を受けるために、次の一歩を踏み出すために、それぞれの身体へ戻ってきた。
主核が吼えた。
声に似た振動が神域を揺らす。
リンデンの剣を弾き、白い刃が閃く。
胸元へ迫った切っ先を、斬の刀が横から打ち払った。
「リンデン!」
「ありがとうございます!」
「礼は後で!」
斬が主核との間へ半身を差し込む。
刀が連続して走り、白刃の軌道を外へ追いやった。
「今は、前だけを!」
リンデンは頷く。
主核の足下で、玄鉄の術式が閉じる。
濡羽の氷が重なる。
スリーの銃声が二度響き、主核の膝と肘を正確に撃ち抜く。
オラスの巨大拳が側面から突き刺さり
、エリスの霊子火線が開いた傷口を削る。
プロブレムのQ&Aが上空を取り、アンサーのOWが次の一点を狙う。
エラーのDISKが吼え、オーバーフローの雷がその軌道を整える。
トロイの光壁が全員の背後を覆う。
運命の限定神域が、さらに広がった。
不死性を取り戻した騎士たちが、主核を囲む。
だが、リンデンの視界には、その光景だけが映っていたわけではない。
主核の奥。魔剣を握る腕。肩の女性形から受け取った刃。
傷つき、追い詰められながら、なお崩れきらない存在の輪郭。
戻った力が、その奥にあるものを捉えている。
主核は、まだ何かを残していた。
リンデンは剣を構え直す。
主核も、同じように刃を上げた。
二つの魔剣が、再び互いの中心を向く。
その間を、翡翠の粒子が雪のように降り続けていた。
勝敗は、すでに決していた。
主核個体の全身には無数の傷が刻まれ、白い肉体を覆っていた翡翠の輝きも、ところどころが剥離している。再生は追いつかず、継ぎ合わせた肉の隙間からは粒子が絶え間なく漏れ続け、その輪郭を維持するだけでも限界に近いことが見て取れた。
四方は騎士たちに封じられていた。
運命の限定神域はなお健在で、トロイの祈術防壁が戦線を支え、玄鉄と濡羽の術式が退路を潰している。スリーの銃撃は関節を正確に削り、斬の刀は主核の剣筋を外へ追いやり続けていた。
上空ではQ&Aが照準を維持し、炎熱霊槍とDISK、雷撃網が次の一撃を待っている。オラスとエリスも左右から間合いを詰め、不死性を取り戻した全員が、倒れても再び立ち上がれる状態へ戻っていた。
主核には、もう覆す手段が残されていない。
それを最も正確に理解していたのは、主核自身だった。
白い頭部が、ゆっくりと動く。
周囲を見渡したわけではなかった。
その視線は、初めからリンデンだけへ向けられている。
リンデンも剣を下ろさなかった。
全身には細かな傷が残り、呼吸にも乱れがあった。それでも、握った刃の切っ先は揺れず、主核の胸部中央から一度も外れていない。
主核の手にある魔剣が、低く軋んだ。
肩の女性形から受け取った最後の刃。
刃にはいくつもの欠けが生じ、表面を走る白い光も弱まっていたが、その内部にはまだ一撃分の力が残されている。
主核は、それをリンデンへ向けた。
『リンデン、下がって!』
運命の声が飛んだ。
リンデンは動かなかった。
主核の姿勢が変わる。
これまでのように、反撃へ備えた構えではない。刃を身体の横へ引き、全身を前へ傾け、守りに使える部位をひとつも残さない姿勢だった。
受けるつもりがない。
避けるつもりもない。
残されたすべてを、ただ一度の踏み込みへ変える構えだった。
主核は勝とうとしていなかった。
自らが落ちることを受け入れた上で、リンデンだけを道連れに選んでいる。
リンデンにも、その意図は伝わっていた。
ここで退けば、主核の突進は背後にいる誰かへ届く。横へ避ければ、主核は軌道を変え、最も近い騎士へ刃を向けるだろう。
――止めるには、正面から斬るしかない。
主核が地を蹴った。
赤黒い大地が深く沈み、その巨体が矢のように前へ飛び出す。周囲の術式が一斉に反応し、氷と雷と光線が白い身体へ突き刺さったが、主核は止まらなかった。
左肩が焼け落ちる。
脇腹が抉れる。
片脚の膝から下が砕け、それでも失われた部位を引きずることなく、残った身体だけでリンデンへ突き進む。
スリーの弾丸が白い頭部を撃ち抜き、斬の刀が腕の一本を切り落とした。
それでも、魔剣を握る腕だけは残った。
主核は、その一本にすべてを集めている。
リンデンも踏み込んだ。
足裏から上がった力が背骨を伝い、腰から肩へ抜け、両手で握った剣へ流れ込む。戻った力が刃の内側で静かに収束し、周囲の光も音も、狙うべき一点の外へ押し退けられていった。
主核の胸部中央。
そこだけを見ていた。
互いの距離が消える。
主核の魔剣が下段から跳ね上がり、リンデンの頭部へ迫る。
リンデンの剣は、真っ直ぐに主核の中枢を狙っていた。
どちらも軌道を変えなかった。
先に刃が肉を裂いたのは、リンデンだった。
切っ先が主核の胸部へ突き入り、白い肉と翡翠の殻を貫通する。硬い抵抗を突き破った先で、剣は中枢へ届き、その奥に密集していた霊子構造を一息に断ち切った。
同時に、主核の魔剣がリンデンの顔面へ走った。
避ける余地はなかった。
白い刃が左眼を貫き、そのまま横へ滑る。
激痛より先に、視界の半分が白く弾けた。
続いて刃の欠けた先端が右眼へ食い込み、眼窩の奥まで深く抉る。
光が潰れた。
色も輪郭も、音より早く消えていく。
リンデンの頭部が後ろへ弾かれたが、剣を握る手だけは離れなかった。
主核の刃が両眼を破壊したまま抜ける。
血が頬を伝い、赤黒い大地へ落ちた。
それでもリンデンは、最後まで剣を押し込んだ。
主核の胸部から、内部を支えていた光が消える。
白い身体が大きく震えた。
剣を握っていた腕から力が抜け、指がひとつずつ開いていく。肩の女性形から託された魔剣は掌を離れ、乾いた音を立てて地面へ落ちた。
主核はなお、リンデンの目の前に立っていた。
だが、その身体を繋ぎ止めていたものは、もう残っていない。
胸部から始まった崩壊が、脇腹、肩、頭部へ広がっていく。白い肉は形を失い、翡翠の粒子へ変わりながら周囲へ散っていった。
リンデンは剣を引き抜いた。
その動きに押されるように、主核の上体が僅かに揺れる。
白い頭部が傾く。表情のない顔は、最後までリンデンを向いていた。
片膝が地面へ落ち、残った腕が支えを求めるように前へ伸びる。しかし指先が土へ触れるより早く、その腕も粒子へ変わって消えていった。
主核の身体が前へ倒れる。
その身体は地面へ届くことはなかった。
崩れた肉体は途中で完全に形を失い、大量の翡翠粒子となって赤黒い大地へ降り注いだ。
リンデンは、その場に立ったまま動かなかった。
剣の切っ先から、白い肉片と翡翠の光が滴り落ちる。
両眼から流れた血が頬を覆い、顎を伝って首筋へ落ちていた。瞼は開いていたが、その奥に光は残っていない。
「リンデン!」
誰かの声がした。
運命か、トロイか、それとも別の誰かだったのか、リンデンには判別できなかった。
音は届いている。
地面の振動も、周囲を駆ける足音も、霊子の流れも分かる。
それでも、目の前にあったはずの世界だけが消えていた。
リンデンは剣を地面へ突き立てる。
膝が折れかけた身体を、柄へ預けて支えた。
「……倒し、ました」
自分の声が、ひどく遠く聞こえた。
主核の残した翡翠粒子が、静かに降り続けている。
その光を、リンデンの両眼が映すことはなかった。
あと多分3.4話で終わります。
もう少しだけお付き合い頂ければと思います……。