みにくい魔剣の子 《本編完結》   作:えいちゃ

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Sever, Nexus, Scorch.4

 

 

 カチリ、と。

 欠けていた何かがはまるような感覚があった。

 

 音はしなかった。

 それでも、リンデンには聞こえた気がした。

 胸の奥でもない。脊椎でも、神経でもない。

 もっと深い場所。肉体の形に縛られず、血流の速度にも従わず、けれど確かに自分の内側と呼べる場所で、ひとつの噛み合わせが戻った。

 

 赤黒い大地に突き立てた足の裏から、乾いた土の感触が昇ってくる。

 土。血。霊子。焼けた肉の匂い。砕けた白い肉片と、翡翠結晶の破片。

 それらは先ほどまで、ただ戦場を構成する情報としてそこにあった。見えていた。聞こえていた。嗅ぎ取れていた。理解もしていた。

 

 だが今は違う。

 地面との距離が、わずかに変わった。

 近づいたのではない。遠ざかったのでもない。

 自分の立っている場所が、ただ足下にあるだけのものではなくなった。

 

 赤黒い大地のひび割れ。空気に混じる霊子の乱れ。主核個体の残した圧。周囲を巡るナンナリスクリーチャー群の再同期の気配。

 それらの位置が、線ではなく層として重なって見えた。

 

 見える、という表現では足りない。

 目が捉えた景色の奥に、もうひとつ、薄い膜のようなものが開いていた。

 それは時間の流れに似ていて、因果の揺れにも似ていて、けれどそのどれとも言い切れない。

 ただ、その中でひとつだけ、ひどく馴染むものがあった。

 

 ――存在の輪郭。

 

 そこに何が在るのか。

 何が、まだ在ると言えるのか。

 何が、もう失われたと扱われているのか。

 その境目だけが、他のどの感覚よりも深く、静かにリンデンの中へ沈み込んできた。

 

 指先が震えた。

 力が戻っている。

 奪われ、裂かれ、使われ、遠くへ置き去りにされていた何かが、自分の形を思い出しながら帰ってきていた。

 

 それは熱ではなかった。

 歓喜でもなかった。

 肉体を強くするだけの出力でもない。

 もっと冷たく、もっと正確で、もっと静かなものだった。

 

 折れた刃が、刃であったことを思い出すように。

 欠けた歯車が、ようやく本来噛むべき位置へ戻るように。

 リンデンという存在の奥で、ずっと沈黙していた魔剣の構造が、ひとつずつ息を吹き返していく。

 

『――リンデン!』

 

 通信の向こうから、ブルーの声が飛び込んだ。

 ひび割れた音だった。

 風が混じっていた。十三層甲板を吹き抜ける冷たい風。砕けた装甲床を擦る粒子の音。誰かが息を呑む気配。

 そのすべてを押し退けるように、ブルーがリンデンの名を呼んだ。

 

 リンデンは、わずかに顔を上げた。

 視線の先にブルーはいない。

 ここは神域側。十三層の甲板ではない。

 

 それでも、声だけは届いていた。

 遠いはずの声が、遠いものとして聞こえなかった。

 通信が繋がっているからではない。

 霊子回線が生きているからでもない。

 その声が、自分の帰る場所から響いたからだ。

 

 リンデンの呼吸が、浅く揺れた。

 戻ってくる力が、さらに奥へ沈む。

 

 胸部。肩。腕。脚。脊椎のさらに奥。

 身体という器を確かめるように、冷たい感覚が通り過ぎていく。けれど、それは神経の上を走らない。筋肉を動かすための命令でもない。

 身体を持っている自分と、身体だけでは届かない自分。

 その境界が、一瞬だけ重なった。

 

 リンデン由来の魔剣の力。

 そう言葉にしてしまえば簡単だった。

 けれど、実際に戻ってくる感覚は、もっと複雑で、もっと静かで、胸の奥を締めつけるほどに精密だった。

 

 欠けていたのは力だけではない。

 自分が、自分として世界へ触れるための、もっと根の深い何か。

 赤黒い神域の空気が、ゆっくりと重さを変えた。

 

 運命が突き立てた魔剣の周囲で、霊子が鳴る。

 乾いた大地の亀裂に、薄い光が走った。

 倒れかけていた者たちの身体が、微かに息を吹き返す。

 裂けた肉が塞がる音。

 砕けた骨が、低く噛み合う音。

 焼け落ちた霊子回路に、火花に似た光が戻る音。

 

 それは一斉の復活ではなかった。

 神域の奥底に沈められていた規則が、ひとつずつ本来の並びへ戻っていくような、遅く、確かな反応だった。

 

 トロイの聖槍リタの周囲に残っていた祈術の光が、ふわりと持ち上がる。

 濡羽の指先で途切れていた術式線が、火花を散らして再接続する。

 玄鉄の足下に敷かれていた古式の魔術痕が、かすれた墨跡のように濃さを取り戻す。

 スリーが、短く息を吐いた。

 斬の刀を握る手に、力が戻る。

 オラスの背後で、マクスウェルとラブレスが低く駆動音を響かせた。

 エリスのガトリング砲(にゃんこさん)の砲身が、ゆっくりと再回転を始める。

 

 プロブレムのQ&Aが、空中で姿勢を直した。

 アンサーの炎熱霊槍の刃先に、橙の熱が灯る。

 エラーのDISKから、抑え込まれていた電圧が唸った。

 オーバーフローのアクトアズパラノイドに、細い雷光が絡み直す。

 死にかけていた戦線が、もう一度だけ呼吸を始めた。

 

 

 運命は、魔剣を地面へ突き立てたまま動かなかった。

 動けなかった。

 それでも、彼女の肩が、ほんのわずかに下がった。

 限界まで張り詰めていたものが、細い糸一本分だけ緩む。

 それだけで、どれほどの重さを支えていたのかが分かった。

 

 リンデンは、運命を見た。

 呼びかけようとして、声が出なかった。

 言うべきことは、いくらでもあった。

 戻りました。まだ終わっていません。すみません。ありがとうございます。

 そのどれもが喉の手前で形を失い、呼吸だけが胸の奥に残った。

 

 通信の向こうで、誰かがブルーの名を呼んでいる。

 カノンの声だったかもしれない。

 久理の声だったかもしれない。

 モノの、抑えた短い指示だったかもしれない。

 甲板の風が、まだ混じっていた。

 そして、その風の奥で、ブルーの声が落ちた。

 

『――待ってるから』

 

 小さな声だった。

 怒りは、もう混じっていなかった。

 許しでもなかった。

 帰ってこいと命じる声でも、どうか戻ってきてと縋る声でもない。

 

 ただ、待っている。

 

 その場所にいる。

 帰る先として、そこに立っている。

 

 リンデンの指が、わずかに曲がった。

 胸の奥で戻った力が、静かに鳴る。

 視界の奥に開いた薄い膜が、さらに深く沈んだ。

 神域の赤黒い大地。砕けた白い肉片。翡翠結晶。傷ついた騎士たち。突き立てられた魔剣。主核個体。

 すべてが、もう一段深い場所で重なって見えた。

 

 戻った。

 

 そう思った瞬間、リンデンは理解した。

 戻ったからこそ、見えてしまうものがある。

 

 主核個体は沈黙していた。

 有翼個体とのリンクを切断し、逃げ道のひとつを捨て、同位損傷から抜け出したはずのそれは、赤黒い大地の向こうで、ただ静かに立っていた。

 

 傷だらけだった。

 削られていた。

 追い詰められていた。

 限界の手前まで、確かに追い込まれていた。

 

 だが、その存在の輪郭だけが、奇妙に濃い。

 リンデンの中で戻った力が、かすかに軋んだ。

 運命の魔剣が、地中で低く鳴る。

 トロイは、笑わなかった。

 

「……リンデンちゃん」

 

 間延びした声ではあった。

 けれど、語尾がいつものようには跳ねなかった。

 

 赤黒い大地の裂け目の奥で、白い肉片が蠢いた。

 消えたはずの輪壊者たちの残滓。

 焼けた霊子。

 砕けた翡翠結晶。

 散らばっていたナンナリスクリーチャーの破片。

 それらが、主核個体の足下へ向かって、音もなく寄っていく。

 勝利の余韻は、最初からそこにはなかった。

 

 戻った力が告げている。

 まだ、終わっていない。

 むしろ、ここから先にあるものの方が、ずっと深い。

 リンデンは、息を吸った。

 ブルーの声が、まだ胸の奥に残っている。

 

 ――待ってるから。

 

 その言葉を抱いたまま、リンデンは主核個体を見据えた。

 

 

 

 

 

 

 主核個体が踏み込んだ。

 赤黒い大地が、遅れて爆ぜる。

 リンデンも前へ出た。

 戻った力は、身体の中で静かに収まっているだけではなかった。足を運ぶたび、背骨の一節ごとに重心が通り、肩から腕へ、腕から握った剣へと淀みなく繋がっていく。

 

 かつて身体を支えていた人工物の感触は、もうそこにはない。

 肉と骨が連なり、ひとつの身体として撓る。

 地を蹴った衝撃が骨盤から背骨を駆け上がり、刃の先まで届いた。

 

 魔剣が走る。

 主核個体の胸部を狙った横薙ぎに、白い腕が割り込んだ。

 金属とも骨とも異なる硬い音が響く。

 主核の手には、一振りの魔剣が握られていた。

 その刃を渡した女性形は、もう肩の上にいない。

 かつて主核の肩口から生えていた女の輪郭。その指が最後に残した剣だけが、主核の掌に収まっている。

 

 二つの魔剣が噛み合った。

 圧が大地を沈ませる。

 リンデンは刃を滑らせ、そのまま懐へ入った。

 主核が剣を返す。

 白刃が頬を掠めた。

 皮膚が裂け、血が細く散る。リンデンは構わず半歩踏み込み、刃の根元を主核の脇腹へ叩き込んだ。

 

 白い肉が開く。

 翡翠の粒子が噴き出した。

 主核の身体から溢れたそれは、血のようには落ちなかった。

 宙へ散り、細かな光の群れとなって戦場へ広がる。

 

『リンデン!』

 

 運命の声が飛ぶ。

 主核の膝が跳ね上がった。

 リンデンは剣の腹で受け、衝撃に押し上げられる。身体が浮いた瞬間、主核の魔剣が下から追ってきた。

 

 空中で身を捻る。

 背骨が大きく撓り、刃が胸元を掠めて抜けた。

 着地と同時にリンデンは剣を振り下ろす。

 主核も刃を立てた。火花に似た霊子が弾ける。

 二人の足下から、放射状に亀裂が伸びた。

 その周囲を、翡翠の粒子が漂っていた。

 

 飛び散る粒子、それを受けて最初に変化したのは、運命だった。

 地面へ突き立てた魔剣を握る腕。その裂けていた皮膚の内側で、止まりかけていた霊子が再び巡り始める。

 

 傷が塞がったわけではない。

 もっと根本にある何かが、元の位置へ持ち上げられていた。

 この世界において、どこまで失われれば死と呼ばれるのか。

 どこまで壊されれば、その存在は戻れなくなるのか。

 その境目が、騎士たちの足下で押し上がる。

 

 翡翠の光が運命の周囲を巡った。

 途切れていた不死性が、再び彼女の存在へ噛み合う。

 運命の肩が震えた。

 魔剣を握る指に、さらに力が籠もる。

 

『……戻った』

 

 声は小さかった。

 確かめるように発した言葉の直後、限定神域の縁が大きく脈動した。

 主核がリンデンの剣を押し返す。

 リンデンは地面を滑り、片足で踏み止まった。

 

 白い影が迫る。

 右からの斬撃。

 

 リンデンは剣を立てて受け、そのまま切っ先を主核の刃へ絡ませる。手首を返すと、二本の剣が互いを削りながら上へ跳ねた。

 空いた胴へ、リンデンの肩が入る。

 主核の巨体が傾いた。

 そこへ斬り上げる。

 刃が胸部から肩口までを裂き、さらに大量の翡翠粒子が噴き上がった。

 

 光はリンデンの背後へ流れた。

 トロイの修道服に開いていた裂け目の下で、損傷した肉が淡く光る。

 聖槍リタが、彼女の手の中で低く鳴った。

 祈術による回復とは異なる。

 トロイ自身の存在が、死を遠ざける本来の位置へ戻っていく。

 

「これ……」

 

 トロイが息を吐いた。

 その紫の瞳はリンデンと主核の間から離れない。

 

「……リンデンちゃんも、結構強引だなー」

 

 軽口の直後、主核の斬撃が横合いから飛んだ。

 トロイは聖槍を立てる。

 光壁が展開し、逸れた斬撃の余波を受け止めた。

 壁面に亀裂が走る。

 その向こうで、トロイは小さく笑った。

 

「まー、戻るなら戻るで、ありがたく使わせてもらおっかー」

 

 玄鉄の足下でも、古式の術式が形を変えていた。

 薄れていた線が濃くなり、欠けていた文字列が自らを補う。

 玄鉄は片目を細めた。

 

「おっ」

 

 指先で空中の粒子を掬う。

 触れた翡翠の光が、皮膚へ沈んだ。

 

「治った、って感じじゃないね。無理やり押し上げられてる感じするー」

 

「なら、遠慮する必要ありませんよね!」

 

 濡羽が叫ぶ。

 その声と同時に、彼女の周囲で途切れていた術式環が一斉に回転を始めた。

 

 炎、氷、雷。

 三種の術式が重なり、主核の側面へ展開する。

 

「リンデン、退いてください!」

 

 リンデンが身を沈めた。

 直後、雷撃が主核の肩を打ち、氷が足下を封じ、炎が開いた傷口へ流れ込む。

 主核が剣を振るう。

 熱と氷がまとめて砕けた。

 破片の中からリンデンが飛び込み、刃と刃が再び衝突する。

 

 主核の剣筋は鋭くなっていた。

 肩の女性形から受け取ったものは、武器だけではない。斬り返す角度も、踏み込む間も、人の身体を知る者のそれへ近づいている。

 リンデンの喉元を狙った突きを、剣の側面で受け流す。

 

 白刃が耳元を抜けた。

 返す一撃で主核の手首を浅く裂く。

 翡翠がまた散る。

 その粒子が、今度はORANGEの四人へ降り注いだ。

 プロブレムの首筋で、かすかな駆動音が鳴る。

 

「……え」

 

 皮膚の下に沈黙していたO型ナノマシンが、一斉に活性化した。

 細い光が血管に沿って走る。低下していた身体機能が、次々に正常値へ戻っていく。

 

 視界補正。

 筋出力。

 神経伝達。

 QAとの接続精度。

 彼女の背後で、二機の巨大砲身が同時に震えた。

 

「うわ、なにこれ」

 

 プロブレムが自分の手を握り、すぐに開く。

 橙色の瞳が見開かれた。

 

「ちょ、待って。完全復帰なんだけど!」

 

 声が弾む。

 その直後、QAが主核の背後へ回り込み、二条の光線を放った。

 

「沸く沸くしてきたーっ!」

 

 主核が振り向きざまに剣を払う。

 一本は弾かれた。もう一本が肩口を焼く。

 

 アンサーの体内でも、O型ナノマシンが動き出していた。

 鈍っていた感覚が戻る。

 呼吸が深くなる。

 炎熱霊槍(OW)の重量が、再び身体の一部として馴染んだ。

 アンサーは長く息を吐き、槍を構える。

 

「全員、無理はしないで」

 

 柔らかな声だった。

 その眼差しは、主核の動きとリンデンの位置を正確に追っている。

 

「がんばる禁止。戻ったからって、使い切っていい理由にはならないわ」

 

「それ、今言うー!?」

 

「今だから言うのよ」

 

 アンサーの足下で炎が収束する。

 主核がリンデンへ刃を押し込んだ瞬間、その側面へ巨大な槍先が突き込まれた。

 

「そこ――!」

 

 炎熱の刃が白い肉を貫く。

 爆ぜた翡翠粒子が、さらに高く舞った。

 エラーの褐色の肌の下でも、ナノマシンが目を覚ます。

 筋繊維の損耗が補われ、焼けていた神経の伝達が戻り、《DISK》との接続が安定する。

 四機の重装武装が、咆哮するように展開した。

 

「ハハッ!」

 

 エラーが肩を回した。

 骨が鳴る。

 

「やっと病的にマトモな身体に戻りやがった!」

 

 DISKの砲口に、高電圧が集まる。

 

「行くぜ、お嬢様方(レディース)!」

 

 電撃玉が射出された。

 主核が剣で斬り払う。しかし、炸裂した電流が白い腕へ絡みつき、その動きを一瞬止めた。

 リンデンの剣が走る。

 主核の胸部に、深い斜線が刻まれた。

 

 オーバーフローの小柄な身体にも、光が巡っていた。

 O型ナノマシンの再起動に合わせ、アクトアズパラノイドの先端で雷が弾ける。

 

「完全理解!」

 

 カピストラーノが中空へ展開する。

 複数の中継点を結んだ雷光が、主核の周囲へ網を作った。

 

「リンデン、そのまま!」

 

 雷が白い身体を縛る。

 エラーの電撃とは異なる。動きを焼くだけではなく、主核が次に選ぼうとした動作の繋がりを一瞬だけ乱す。

 主核の剣先が止まった。

 

 リンデンは、その一瞬へ踏み込んだ。

 剣を両手で握る。

 本物の背骨が撓る。

 足裏から上がった力が、腰を通り、肩を抜け、刃へ乗った。

 振り下ろす。

 主核も魔剣を掲げた。

 

 激突。

 

 赤黒い大地が大きく陥没する。

 衝撃が戦場を横切り、周囲に浮かんでいた翡翠粒子をすべて吹き散らした。

 

 光は騎士たちへ降る。

 スリーの眼帯の下で、途切れていた感覚が戻る。

 斬の古傷が熱を持ち、不死性が再びその身へ定着する。

 オラスの獣王因子が脈打ち、マクスウェルとラブレスの出力が跳ね上がる。

 エリスの尾が大きく広がり、ガトリング砲の多砲身が高速回転へ移る。

 

 誰も立ち止まらなかった。

 誰も復活を喜ぶ暇を持たなかった。

 失われていた不死性は、歓声の中で戻ったのではない。

 剣と剣が噛み合う最中に。血と土埃の中で。

 次の一撃を受けるために、次の一歩を踏み出すために、それぞれの身体へ戻ってきた。

 

 主核が吼えた。

 声に似た振動が神域を揺らす。

 リンデンの剣を弾き、白い刃が閃く。

 胸元へ迫った切っ先を、斬の刀が横から打ち払った。

 

「リンデン!」

 

「ありがとうございます!」

 

「礼は後で!」

 

 斬が主核との間へ半身を差し込む。

 刀が連続して走り、白刃の軌道を外へ追いやった。

 

「今は、前だけを!」

 

 リンデンは頷く。

 主核の足下で、玄鉄の術式が閉じる。

 濡羽の氷が重なる。

 スリーの銃声が二度響き、主核の膝と肘を正確に撃ち抜く。

 オラスの巨大拳が側面から突き刺さり

、エリスの霊子火線が開いた傷口を削る。

 プロブレムのQAが上空を取り、アンサーのOWが次の一点を狙う。

 エラーのDISKが吼え、オーバーフローの雷がその軌道を整える。

 トロイの光壁が全員の背後を覆う。

 運命の限定神域が、さらに広がった。

 

 不死性を取り戻した騎士たちが、主核を囲む。

 だが、リンデンの視界には、その光景だけが映っていたわけではない。

 

 主核の奥。魔剣を握る腕。肩の女性形から受け取った刃。

 傷つき、追い詰められながら、なお崩れきらない存在の輪郭。

 戻った力が、その奥にあるものを捉えている。

 主核は、まだ何かを残していた。

 

 リンデンは剣を構え直す。

 主核も、同じように刃を上げた。

 二つの魔剣が、再び互いの中心を向く。

 その間を、翡翠の粒子が雪のように降り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝敗は、すでに決していた。

 

 主核個体の全身には無数の傷が刻まれ、白い肉体を覆っていた翡翠の輝きも、ところどころが剥離している。再生は追いつかず、継ぎ合わせた肉の隙間からは粒子が絶え間なく漏れ続け、その輪郭を維持するだけでも限界に近いことが見て取れた。

 

 四方は騎士たちに封じられていた。

 運命の限定神域はなお健在で、トロイの祈術防壁が戦線を支え、玄鉄と濡羽の術式が退路を潰している。スリーの銃撃は関節を正確に削り、斬の刀は主核の剣筋を外へ追いやり続けていた。

 

 上空ではQ&Aが照準を維持し、炎熱霊槍とDISK、雷撃網が次の一撃を待っている。オラスとエリスも左右から間合いを詰め、不死性を取り戻した全員が、倒れても再び立ち上がれる状態へ戻っていた。

 

 主核には、もう覆す手段が残されていない。

 それを最も正確に理解していたのは、主核自身だった。

 白い頭部が、ゆっくりと動く。

 周囲を見渡したわけではなかった。

 その視線は、初めからリンデンだけへ向けられている。

 

 リンデンも剣を下ろさなかった。

 全身には細かな傷が残り、呼吸にも乱れがあった。それでも、握った刃の切っ先は揺れず、主核の胸部中央から一度も外れていない。

 

 主核の手にある魔剣が、低く軋んだ。

 肩の女性形から受け取った最後の刃。

 刃にはいくつもの欠けが生じ、表面を走る白い光も弱まっていたが、その内部にはまだ一撃分の力が残されている。

 主核は、それをリンデンへ向けた。

 

『リンデン、下がって!』

 

 運命の声が飛んだ。

 リンデンは動かなかった。

 主核の姿勢が変わる。

 これまでのように、反撃へ備えた構えではない。刃を身体の横へ引き、全身を前へ傾け、守りに使える部位をひとつも残さない姿勢だった。

 

 受けるつもりがない。

 避けるつもりもない。

 

 残されたすべてを、ただ一度の踏み込みへ変える構えだった。

 

 主核は勝とうとしていなかった。

 自らが落ちることを受け入れた上で、リンデンだけを道連れに選んでいる。

 リンデンにも、その意図は伝わっていた。

 ここで退けば、主核の突進は背後にいる誰かへ届く。横へ避ければ、主核は軌道を変え、最も近い騎士へ刃を向けるだろう。

 ――止めるには、正面から斬るしかない。

 

 主核が地を蹴った。

 赤黒い大地が深く沈み、その巨体が矢のように前へ飛び出す。周囲の術式が一斉に反応し、氷と雷と光線が白い身体へ突き刺さったが、主核は止まらなかった。

 左肩が焼け落ちる。

 脇腹が抉れる。

 片脚の膝から下が砕け、それでも失われた部位を引きずることなく、残った身体だけでリンデンへ突き進む。

 スリーの弾丸が白い頭部を撃ち抜き、斬の刀が腕の一本を切り落とした。

 それでも、魔剣を握る腕だけは残った。

 主核は、その一本にすべてを集めている。

 

 リンデンも踏み込んだ。

 足裏から上がった力が背骨を伝い、腰から肩へ抜け、両手で握った剣へ流れ込む。戻った力が刃の内側で静かに収束し、周囲の光も音も、狙うべき一点の外へ押し退けられていった。

 主核の胸部中央。

 そこだけを見ていた。

 

 互いの距離が消える。

 主核の魔剣が下段から跳ね上がり、リンデンの頭部へ迫る。

 リンデンの剣は、真っ直ぐに主核の中枢を狙っていた。

 どちらも軌道を変えなかった。

 

 先に刃が肉を裂いたのは、リンデンだった。

 切っ先が主核の胸部へ突き入り、白い肉と翡翠の殻を貫通する。硬い抵抗を突き破った先で、剣は中枢へ届き、その奥に密集していた霊子構造を一息に断ち切った。

 同時に、主核の魔剣がリンデンの顔面へ走った。

 

 避ける余地はなかった。

 白い刃が左眼を貫き、そのまま横へ滑る。

 激痛より先に、視界の半分が白く弾けた。

 続いて刃の欠けた先端が右眼へ食い込み、眼窩の奥まで深く抉る。

 

 光が潰れた。

 

 色も輪郭も、音より早く消えていく。

 リンデンの頭部が後ろへ弾かれたが、剣を握る手だけは離れなかった。

 主核の刃が両眼を破壊したまま抜ける。

 血が頬を伝い、赤黒い大地へ落ちた。

 

 それでもリンデンは、最後まで剣を押し込んだ。

 主核の胸部から、内部を支えていた光が消える。

 白い身体が大きく震えた。

 剣を握っていた腕から力が抜け、指がひとつずつ開いていく。肩の女性形から託された魔剣は掌を離れ、乾いた音を立てて地面へ落ちた。

 

 主核はなお、リンデンの目の前に立っていた。

 だが、その身体を繋ぎ止めていたものは、もう残っていない。

 胸部から始まった崩壊が、脇腹、肩、頭部へ広がっていく。白い肉は形を失い、翡翠の粒子へ変わりながら周囲へ散っていった。

 

 リンデンは剣を引き抜いた。

 その動きに押されるように、主核の上体が僅かに揺れる。

 白い頭部が傾く。表情のない顔は、最後までリンデンを向いていた。

 片膝が地面へ落ち、残った腕が支えを求めるように前へ伸びる。しかし指先が土へ触れるより早く、その腕も粒子へ変わって消えていった。

 

 主核の身体が前へ倒れる。

 その身体は地面へ届くことはなかった。

 崩れた肉体は途中で完全に形を失い、大量の翡翠粒子となって赤黒い大地へ降り注いだ。

 

 リンデンは、その場に立ったまま動かなかった。

 剣の切っ先から、白い肉片と翡翠の光が滴り落ちる。

 両眼から流れた血が頬を覆い、顎を伝って首筋へ落ちていた。瞼は開いていたが、その奥に光は残っていない。

 

「リンデン!」

 

 誰かの声がした。

 運命か、トロイか、それとも別の誰かだったのか、リンデンには判別できなかった。

 音は届いている。

 地面の振動も、周囲を駆ける足音も、霊子の流れも分かる。

 それでも、目の前にあったはずの世界だけが消えていた。

 

 リンデンは剣を地面へ突き立てる。

 膝が折れかけた身体を、柄へ預けて支えた。

 

「……倒し、ました」

 

 自分の声が、ひどく遠く聞こえた。

 主核の残した翡翠粒子が、静かに降り続けている。

 その光を、リンデンの両眼が映すことはなかった。






あと多分3.4話で終わります。
もう少しだけお付き合い頂ければと思います……。

アフターの展開どうしましょう。

  • ド本命トロイルート(全年齢+叡智
  • トブ一緒ルート(全年齢+叡智
  • みんなと一緒ルート(全年齢オンリー
  • やけくそハッピールート(叡智オンリー
  • リーインシアルート(IF、湿度特化叡智
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