アンケートありがとうございます。
足並みが揃ったのでそれぞれ散りばめてアフターやっていく感じにしようと思います。
叡智のアフターは『みにくい魔剣の子IF閑話』に投げる感じになります。(こちらは本編と少し世界線が変わる感じになると思います)
「あーーーーー……仕事が減らない……」
長く伸びた声が、午後の騎士待機所に溶けていった。
運命の部屋と壁一枚を隔てたこの場所も、かつては同じ旧倉庫区画の一部だった。
改修されてから長い年月が過ぎ、今では待機する場所というだけではなく、騎士たちが仕事の合間に集まり、食事を摂り、好き勝手に時間を潰すための空間になっている。それでも天井を横切る太い梁や、二階部分へ伸びる黒い鉄骨階段には、荷物ばかりが積まれていた頃の無骨な面影が残っていた。
外気を区切る壁面には、倉庫としては場違いなほど大きな斜めの窓が設けられている。午後の陽射しはその硝子を通って幾分か柔らかくなり、床や青いソファの背をゆっくりと横切っていた。
窓際の鉢植えは空調の風を受けて時折葉を揺らし、その傍らでは誰かが読みかけで置いていった雑誌が、低いテーブルの端から少しだけはみ出している。
人が寛ぐための場所になったことを示すものは、室内の至るところにあった。
ただ、その一角だけは別だった。
長机の上を、紙の白が埋めている。
分類済みの書類、未処理の書類、確認待ちの資料。付箋の色ごとに分けられた束の隙間へ二台の端末が押し込まれ、その脇には、とうに湯気を失った飲み物が置かれていた。
決して整理されていないわけではない。むしろ何がどこにあるのかは明確に管理されている。ただ、処理される速度よりも新しく積まれる速度の方が、わずかに勝っている。
その中央で、闇虹は椅子の背へ身体を預けていた。
腰を遥かに越える淡金の髪が背凭れの両側から流れ落ち、頭頂から前髪へ差す濃色だけが、午後の光の中でもくっきりと浮かんでいる。王冠状の装飾はいつの間にか少し傾いていたが、本人に直す余裕はないらしい。
「あーー……」
もう一度だけ声を漏らし、闇虹は天井を仰いだ。
「ほんとに減らない……」
疲れている。
それでも、右手は机の上に置かれた書類へ伸びていた。
一枚を引き寄せ、内容を読み、必要事項を端末へ入力する。確認を終えれば署名を入れ、処理済みの束へ送る。そこまで済ませてから、ようやく闇虹は机の左右を見比べた。
処理済み。
未処理。
もう一度、処理済み。
未処理。
青緑の瞳がゆっくりと細くなる。
「私、結構な速度で片付けてると思うんだけどなぁ……」
向かい側では、リンデンが書類へ目を通していた。
最後の一行まで確認してから紙の端を揃え、そのまま静かに顔を上げる。
「先ほど確認した時点から、十二件増えていますね」
「数えなくていいの!」
闇虹の顔が勢いよく上がった。
高い天井に声が抜け、その余韻が広い待機所の奥まで届いていく。
リンデンは一度瞬きをした。
「というか、なんで増えるの? おかしくない? 私いま仕事してるよね?」
問いながらも、闇虹はすでに次の一枚へ目を通していた。口では悲鳴を上げていても、確認の速度は落ちていない。端末を操作し、必要箇所を直し、また次の紙へ手を伸ばす。
「闇虹姉さんの処理速度以上に、新しい案件が送られてきているからでは」
「だから正確に現実を説明しなくていいんだってばぁ……」
肩が盛大に落ちた。
それでも作業は止まらない。
リンデンは再び手元へ視線を戻した。その口元が、ごくわずかに緩んでいる。
GARDENへ戻ってから、同じような光景を何度か見ていた。場所はこの待機所だったり、第六起源魔術教会の執務区画だったり、その時々で異なる。それでも、書類に囲まれている闇虹の姿だけはほとんど変わらない。
彼女は決まって「仕事が減らない」と嘆く。
実際には、驚くほどの量を減らしている。
ただ、それ以上の量が増えているだけだった。
「そもそもさぁ」
闇虹が一枚の書類を摘み上げた。
「これ。鉉覇が確認するやつなの」
机の上へ置く。
「これも」
二枚目。
「これも」
三枚目。
四枚目へ手を伸ばしたところで、その動きが止まった。
闇虹は紙を持ったまま数秒黙り、やがて力なくそれも重ねる。
「……これも」
並んだ書類を見下ろし、それから周囲へ視線を巡らせる。同じ印の付いた紙は、まだ他にも無数に残っていた。
「あっちがKINGなんだけどなぁ」
先ほどまでの大声とは打って変わって、妙に静かな声だった。
「私、QUEENなんだけどなぁ……」
リンデンのペン先が止まる。
「鉉覇兄さんにも、何か事情があるのでは?」
「ないから」
間髪入れずに返ってきた。
リンデンの瞳が少しだけ開く。
闇虹は並べた書類を順番に指で叩いた。
「これ、三週間前。これ二週間前。こっちは一週間前」
最後の一枚を持ち上げる。
「昨日の」
「……」
「順調に育ってるでしょ?」
リンデンは机の上に並んだ紙を見た。
少しだけ考える。
「……鉉覇兄さんですから」
「それで納得できちゃうのが一番イヤなの!」
闇虹がとうとう机へ突っ伏した。
長い髪が肩から滑り落ち、書類の端へ柔らかく広がる。王冠状の装飾もさらに傾いたが、もう直す気配はなかった。
数秒、そのまま動かない。
――かと思えば、右手だけが机の上を探るように伸びた。
指先が次の書類へ触れる。
顔を伏せたまま引き寄せる。
リンデンはその様子をしばらく見ていた。
「……闇虹姉さん」
「んー?」
「少し休まれては」
「これ終わったら」
返事は紙の向こうから聞こえてきた。
リンデンの視線が、机の端に置かれたカップへ向く。表面にはもう揺らぎひとつなく、いつからそこに置かれているのか分からないほど静まり返っていた。
「先ほども、そう仰っていました」
「その時の『これ』は終わったもん」
「新しい『これ』が始まっていますが」
紙を捲る音が止まった。
闇虹がゆっくりと顔を持ち上げる。
「リンデンくん」
「はい」
「そういう言い方するの、久条くんに似てきたよ?」
リンデンは一度瞬きをした。
何かを言い返す代わりに、闇虹の前へ積まれている未処理の束へ手を伸ばす。
一枚目を確認。
続けて二枚目。
内容を見比べ、自分の側へ引き寄せた。
「あ」
さらに数枚。
「ちょっと待って」
「こちらは私でも処理できます」
リンデンは紙を種類ごとに分けながら続けた。
「この二件は物資移送の確認のみです。こちらも過去の記録との照合が中心ですので、最終承認だけ闇虹姉さんにお願いできれば問題ありません」
「いや、それはそうなんだけど」
「こちらも――」
「待って待って」
もう一束へ伸ばされた手を、闇虹が上から押さえた。
紙を挟んで、二人の指先が止まる。
「取りすぎ」
「ですが」
「ですが、じゃなくて」
闇虹はリンデンの側へ移った束を眺め、それから本人を見る。
リンデンの表情に疲労の色はない。無理をしているようにも見えない。そのことが、闇虹にはかえって厄介らしかった。
「私は平気です」
「リンデンくんが平気かどうかだけの話じゃないの」
「この程度でしたら、それほど時間も掛かりません」
「そういうとこ!」
言葉を重ねられ、リンデンの口が閉じる。
闇虹は手を離すと、彼の側へ移された束から半分ほどを抜き取った。
「半分」
自分の前へ戻す。
「ここまでならお願いする」
「もう少し――」
「半分」
今度は少しだけ強く言った。
リンデンは闇虹を見つめた。
闇虹も視線を逸らさない。
窓の向こうでは、ちょうど大きな雲が陽射しを横切っていた。机の上へ伸びていた光がゆっくりと薄れ、積まれた書類の白だけが曇天の下で浮き上がる。
先に目を伏せたのはリンデンだった。
「……わかりました」
「よろしい」
闇虹の眉間から皺が消えた。
ほんの少し満足そうに頷くと、椅子の背へ身体を預け直す。
「ほんと、もう……」
小さな吐息。
そこに含まれているものは、先ほど鉉覇へ向けていた愚痴とは少し違っていた。
リンデンは自分の側へ残された書類を揃える。
「ですが、仕事が増えたその分、私がお手伝いしますから」
手元を整えたまま、さらりと言った。
「闇虹姉さんが全て抱える必要はありませんよ」
闇虹の動きが止まった。
何かを言おうとしたらしく、一度だけ口が開く。
しかしリンデンは気づかないまま、すでに次の書類へ視線を落としていた。端末を操作し、必要な記録を探し出している。
闇虹はしばらく、その横顔を見ていた。
「……はぁ」
「?」
リンデンが顔を上げる。
闇虹は片手で目元を覆った。
「あぁ……私の弟、出来が良すぎる……」
リンデンの瞳が僅かに丸くなる。
「……ありがとうございます」
「素直!」
思わず闇虹が笑った。
先ほどまで強張っていた肩から力が抜ける。
「褒めたけどさぁ。こういう時くらい、もうちょっと照れるとかないの?」
「褒めていただいたので」
「そうだけど」
闇虹は頬杖をつき、向かいに座るリンデンをしばらく眺めた。
GARDENへ戻ってきてから幾年かが経っていた。格好も、声も、物腰も、かつてよりずっと大人びている。それでも、時折こうして昔と変わらないところが顔を覗かせる。
積み重なった年月が消えるわけではない。
ただ、ほんの一瞬だけ、その距離が近くなる。
「……まあ、いっか」
闇虹は視線を手元へ戻した。
「仕方ないなぁ」
口癖とともにペンを取り、また書類へ向き直る。
リンデンもそれ以上何も言わず、自分の作業へ戻った。
再び、待機所には紙の擦れる音と端末を操作する細かな音が重なり始める。窓の外では雲が流れ、隠れていた陽射しが少しずつ室内へ戻ってきた。窓際の鉢植えの葉が、空調の風に押されて小さく揺れる。
その穏やかな音の中へ、少し離れたキッチンスペースから金属の触れ合う音が混じった。
何かを置く音。
続いて、微かな焼ける音。
しばらくすると、紙とインクばかりだった待機所の空気に、温かく香ばしい匂いが薄く混ざり始める。
闇虹の鼻先がわずかに動いた。
リンデンも一度だけ、キッチンの方へ視線を向ける。
けれど、どちらもまだ席を立たない。
数秒後には、また同じように手元へ視線を戻していた。
それを見越しているかのように、キッチンからは今度、三人分の食器を重ねる小さな音が聞こえてきた。
それから数分後のことだった。
キッチンスペースから聞こえていた調理音が、ふっと途切れた。つい先ほどまで、焼ける音や食器の触れ合う気配が、紙を捲る音や端末の操作音に混じっていたはずなのに、それが止まっただけで待機所の空気は少し広く感じられる。
闇虹が次の書類へ手を伸ばした、その時だった。
「はいはい、お二人さん。ちょっと休憩なー」
柔らかな声が、積み上がった書類の向こうから飛んできた。
リンデンが顔を上げる。闇虹も、ペンを握ったまま視線だけをそちらへ向けた。
キッチンスペースから歩いてきたレアリザスの両手には、大きなトレーが抱えられている。三人分の皿とスープの器、その中央には薄く焼き色のついた小さなホットサンドが並んでいた。中には溶けたチーズと塩気のある具材が挟まれ、仕事の途中でも手を汚しにくいよう、どれも片手で扱える程度の大きさに切り分けられている。
先ほどから待機所へ漂い始めていた香ばしい匂いが、トレーの接近とともにはっきりと輪郭を持つ。紙とインクばかりだった机の周囲に、焼いたパンと温かなスープの匂いが混じった。
「ちょうど今、休もうと思ってたところ」
闇虹が言った。
その右手は、まだ書類の上にある。
レアリザスは何も言わず、まずその手元を見た。それからゆっくり闇虹の顔へ視線を上げる。
穏やかに笑っている。
「……なに、その顔」
「いやぁ」
トレーを机の端へ置きながら、レアリザスは少しだけ首を傾げた。
「兄ちゃん、闇虹の言う『ちょうど休もうと思ってた』はあんまり信用してないからなぁ」
「失礼じゃない?」
「だって手、止まってないだろ?」
言われて、闇虹が自分の右手を見る。
いつの間にか一枚捲っていた。
数秒の沈黙の後、闇虹は紙を持ったまま僅かに眉を寄せる。
「……これは」
「うん」
「反射」
「もっとダメじゃねー?」
レアリザスが声を立てずに笑った。
闇虹はむっと唇を尖らせたものの、それ以上は反論しなかった。代わりに、レアリザスが置き場所を求めて机の上を見回し始める。
分類済みの書類。未処理の書類。端末。カップ。そして、その隙間にまた書類。
机としての面積は十分にあるはずなのに、食器三人分を置けるまとまった場所がほとんど残っていない。
「……すげーな」
「感心してないで助けて?」
「助けてる助けてる。ほら、ちょっと寄せるぞー」
分類された束は崩さず、端へ積まれていた資料だけを確認してから静かに移動させる。書類仕事とは縁遠そうな緩い雰囲気に反して、どこへ触れてよくて、どこへ触れない方がいいのかはきちんと見分けているらしい。
空いた場所へ三人分の皿を置き、最後にスープの器を並べると、レアリザスは小さく頷いた。
「よし」
それからリンデンへ顔を向ける。
「リンデンも。手を止めていいぞー」
「ですが、あと二件ほど――」
「その二件は飯のあとでも逃げねーから。な?」
咎めるような響きはなかった。
ただ、ごく当然のことを言うように笑っている。
リンデンは手元の書類へ一度視線を落とした。ペン先が僅かに動き、そのまま止まる。
「……わかりました」
「うんうん、偉いぞ」
レアリザスの笑みが少し深くなる。
リンデンは素直にペンを置いた。
その向かいで、闇虹はまだ握っている。
「闇虹も」
「私は食べながら出来るから」
「出来るのは知ってる」
「じゃあ――」
「でも今は休憩」
穏やかな声のまま、レアリザスが闇虹のペンの上へ指を一本置いた。押さえつけるほどの力はない。ただ、そのまま書き始めるには少し邪魔になる程度に触れている。
闇虹はペンの上に置かれた指を見た。
次に、レアリザスを見る。
「休める時に休んどかないと、正面にいる弟が心配するぞ?」
その言葉に、闇虹の視線がリンデンへ移った。
リンデンは何も言っていない。
ただ、先ほど自分へ休憩を勧めていた時とほとんど同じ顔で、こちらを見ている。
闇虹は数秒その視線を受け止め、それから小さく息を吐いた。
「……仕方ないなぁ」
口癖とともに、ようやくペンを手放す。
レアリザスもすぐに指を離した。
「はい、えらいえらい」
「その褒め方ちょっとどうなの」
そう言いながらも、闇虹はホットサンドへ手を伸ばした。
一口。
焼けたパンが小さく音を立てる。
そのまま咀嚼していた闇虹の目元が、ほんの少しだけ緩んだ。
レアリザスは何も言わなかった。ただその変化を見届けてから自分の分を取り、リンデンもそれに続く。
まだ温かい。
薄く焼かれたパンは表面だけが軽く乾き、その内側では溶けたチーズが具材へ馴染んでいる。味は強すぎず、仕事の途中に食べても重くならないよう整えられていた。
「美味しいです、レアリザス兄さん」
「ん、そりゃ良かった」
返事は簡単だった。
けれど頭上の犬耳がわずかに動き、椅子の脇へ逃がしていた尻尾の先まで、僅かに揺れた。
闇虹がそれを横目で見て、口元だけで笑う。
「褒められると分かりやすいよね」
「いいだろ別に。弟に美味いって言ってもらったら、兄ちゃんだって嬉しいからさ」
「そこ素直なんだ」
「兄ちゃんだからな」
言い切って、レアリザスはスープへ口をつける。
リンデンの口元も、それを見ながらごく薄く緩んだ。
三人の間から会話が途切れると、待機所には食器の触れる小さな音が残った。
窓の外では、先ほどより雲が増えている。陽射しは時折その向こうへ隠れ、また現れる。そのたびに室内の明るさが僅かに変わり、机の上へ積まれた白い紙の表情も、淡く明滅するように揺れた。
休憩時間。
少なくともレアリザスにとっては、そのつもりだった。
もっとも、闇虹の視線だけは何度となく書類へ戻っている。
一度目。
二度目。
三度目。
レアリザスはそのたび気づいていたが、すぐには何も言わなかった。三度目でようやく、小さく笑いながら口を開く。
「そんな気になる?」
「それはまぁ……」
闇虹は即答した。
「だってこれ全部今日中だからね?」
「今日中?」
「そう」
「全部?」
「そう!」
ホットサンドを持ったまま、闇虹が少し身を乗り出す。
「聞いてよ、レアリザスくん。元々私の分だけならここまでじゃなかったの。なのに鉉覇が――」
「あー」
名前が出た時点で、レアリザスの顔に理解の色が浮かんだ。
「また回ってきた?」
「またじゃなくてずっと!」
闇虹の声が一段高くなる。
「確認だけでいい書類くらい自分で見てくれればいいのに、溜めて溜めて溜めて、結局こっちに来るの! 私、QUEEN! 鉉覇、KING!」
「ははは」
「笑い事じゃないんだけど!」
「いやぁ、分かる分かる」
レアリザスは笑いながら手を軽く振った。
「兄ちゃんも似たようなもんだからさ」
闇虹の動きが止まる。
しばらく顔を見たあと、嫌な予感でもしたように眉を寄せた。
「……シオンちゃん?」
「シオンさん」
レアリザスは頷く。
そこに浮かんでいるのは、深刻な困り顔というより、すでに何度も経験して慣れてしまった者の表情だった。
「この間もさ、確認してほしい書類渡したんだよ。したら、しばらくじーっと見たあとに――」
そこで少しだけ間を置き、シオンの口調を真似るように声を変える。
「『ねこだから、しょるいわからぬ』」
一拍。
「って、そのまま黒猫になって、窓からどっか行っちまった」
闇虹の目が丸くなる。
「それで通したの!?」
「いや、通ってないぞ」
レアリザスは肩を揺らして笑った。
「で、書類だけ残ったから兄ちゃんがやった」
「もっとダメじゃない!?」
闇虹の声が待機所の高い天井へ抜けた。
リンデンはスープの器を手にしたまま、二人を交互に見る。
レアリザスは楽しそうに笑っている。
闇虹は呆れている。
けれど、その顔にもすでに笑いが混じっていた。
「ねぇ、QUEENって何なんだろうね」
闇虹が遠い目をする。
「KINGの仕事をする人?」
「違うからね?」
「KINGの世話をする人」
「だから違うって!」
「でも実態そんな感じじゃねー?」
レアリザスが首を傾げる。
闇虹はすぐに反論しかけて、そこで一度口を閉じた。
何かを考えるように視線を上へ流す。
「……否定しづらい」
「だろ?」
「でも職務規定にはないから!」
「まあ、兄ちゃんは別にいいけどなぁ」
レアリザスは残っていたホットサンドを一口食べた。
「シオンだし」
あまりにも自然に言う。
言い訳をしている様子も、自己犠牲を誇っている様子もない。ただ、彼の中ではそれだけで十分な理由らしい。
闇虹は少しの間、その横顔を見つめた。
「……甘いよねぇ」
「そうか?」
「甘いでしょ」
「家族だからな」
返事もまた簡単だった。
レアリザスはそのままスープへ視線を落とす。
闇虹は一度息を吐き、肩を小さく竦めた。
「まあ、私も結局やってるから、人のこと言えないんだけど」
「闇虹も甘いんだよ」
「私は仕事を止めたくないだけ」
「はいはい」
「なにその顔」
「別に?」
レアリザスの目元にはまだ笑いが残っている。
闇虹はじっと睨んだが、その視線に怯む様子もなく、レアリザスは隣へ話を振るようにリンデンへ顔を向けた。
「なぁ、リンデン」
「はい」
「リンデンはどう思う?」
「何についてでしょうか」
「兄ちゃん達QUEENの扱い」
「扱い、ですか?」
「そうそう。このままKINGの仕事までやる係になっていいと思う?」
「ちょっと、聞き方!」
闇虹が横から口を挟む。
リンデンはすぐには答えなかった。
机の上へ積まれた書類へ視線を向け、それから闇虹を見る。次にレアリザスへ。本人なりに真面目に考えているらしく、その沈黙を二人も邪魔せず待っていた。
「……少なくとも」
やがて、リンデンが口を開く。
「闇虹姉さんとレアリザス兄さんがいなければ、それぞれの騎士団の業務の相当部分が滞ると思います」
闇虹の眉が少し上がった。
口元も僅かに得意げになる。
「ただ」
続いた一言で、その表情が止まる。
「お二人とも、少々引き受けすぎではないかとも思います」
「……」
「……」
二人とも黙った。
リンデンだけが真面目な顔をしている。
数秒後、先に耐えきれなくなったのはレアリザスだった。
「ははっ。そりゃそうだ」
「そこ認めるんだ!?」
「だって兄ちゃんも自覚あるし」
「あるなら減らしてよ!」
「シオンさんの分、誰かがやらねーとなぁ」
「それ言ったら私だって鉉覇の分やるしかないじゃん!」
「ほら、同じ同じ」
「もー! 結局そういう流れになるんだから!」
闇虹はそう言いながら笑っていた。
その声は高い天井へ抜け、元倉庫だった広い空間へ柔らかく散っていく。
リンデンも小さく息を漏らした。
笑い声にするほど大きくはない。
それでも、先ほどまで書類へ向けていた時より、表情は明らかに柔らかい。
レアリザスはそれを横目に見た。
特に触れはしない。
ただ、テーブルの上へ残してあったホットサンドを一つ取り、リンデンの皿へ移した。
「兄さん?」
「もう一個食っとけ」
「ですが」
「今日は頭使ってるだろ?」
「闇虹姉さんの方が――」
「闇虹の分もあるぞー」
もう一つ取って、反対側の皿へ置く。
「ちゃんと三人分より多めに作ってるからさ」
闇虹が自分の皿へ増えた一切れを見る。
「最初から分かってたの?」
「二人が仕事しながら食うのは、予想してたしな」
レアリザスは悪びれることなく笑った。
「だから片手で食えるやつにした」
リンデンの視線が、自分の皿へ落ちる。
しばらくその一切れを見つめてから、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
「どーいたしまして」
返事は、ごく普通だった。
外では雲が流れ、隠れていた陽射しが再び窓から差し込んでくる。机の上へ置かれたスープの表面へ淡い光が映り、すでに細くなっていた湯気が一瞬だけ白く浮いた。
焼いたパンの匂いは、まだ室内に残っている。
誰かが休憩時間を決めたわけではなかった。
それでも三人の食事は、いつの間にか当初より少し長くなっていた。
誰も時計を見なかった。
やがて闇虹が最後の一口を食べ終えると、すぐ近くに積まれた書類へ視線を移した。
もう先ほどから何度も見ている。
今度は、さすがに名残惜しそうというより仕事へ戻る顔だった。
「もう戻るのか?」
「戻る」
即答だった。
「まだあるから」
「そっか」
レアリザスも、今度は止めなかった。
空いた器を重ね始める。
闇虹は自分の皿を渡すと、待っていたようにペンを取り上げた。数秒もしないうちに、紙を捲る乾いた音がまた机の上へ戻ってくる。
リンデンも席を立った。
「私も片付けます」
「いいって。置いとけば兄ちゃんがやるから」
「いえ。これくらいは」
自分の器を持ち、レアリザスのトレーへ重ねる。
レアリザスはその手元を一度見た。
断っても、おそらくついてくる。
そんなことを察したように、僅かに身体を横へずらす。
「んじゃ、一緒にやるか」
「はい」
二人が並んでキッチンスペースへ歩き始める。
背後では、すでに闇虹が次の書類を確認していた。
「あっ」
数歩進んだところで、その声が飛んでくる。
二人が振り返る。
「レアリザスくん」
「ん?」
闇虹はペンを持ったまま、一度だけこちらを見る。
「さっきの、美味しかった」
レアリザスの目元が少しだけ緩んだ。
「おう。また作るよ」
「……ありがと」
短く返し、闇虹はまた書類へ視線を戻す。
紙の上をペンが走り始める。
レアリザスはその姿を少しだけ眺めてから、小さく笑って前を向いた。
リンデンもその隣を歩き出す。
二人分の足音が、待機所の奥にあるキッチンへ向かっていく。
その背後では、再び紙を捲る音と端末を操作する細かな音が、午後の静かな待機所へ一定の間隔で響き始めていた。
キッチンスペースへ戻ると、先ほどまで軽食を作っていた熱がまだわずかに残っていた。調理台の上には片付けきれていない布巾と器具がいくつか置かれ、焼いたパンの香ばしい匂いも、広い待機所の空気に薄まりながらまだ漂っている。
リンデンは流し台の前に立つと袖口を少しだけ上げ、蛇口を開いた。細く落ちた水が白い皿の表面を滑り、底へ当たって小さな音を立てる。
その隣では、レアリザスが洗い終わった食器を受け取り、乾いた布巾で水気を拭っていた。
三人分しかない食器は、わざわざ二人で片付けるほどの量でもない。
それでも、リンデンが「私も」とついてきたことを、レアリザスは断らなかった。
少し離れた長机からは、すでに仕事へ戻った闇虹の気配が続いている。紙を捲る乾いた音。時折鳴る端末の通知音。その合間に聞こえる「あー……」という小さな嘆きは、休憩前と何も変わっていなかった。
「……早いですね」
リンデンが皿へスポンジを滑らせながら呟いた。
「ん?」
「闇虹姉さんです。もう仕事に戻っています」
「ああ」
レアリザスは一度だけ背後へ目をやり、すぐに手元へ視線を戻した。
「まあ、あれは止めても戻るからなぁ。無理やり休ませたところで、たぶん休みながら仕事のこと考えてるだろ」
「……否定できませんね」
「だろ? だったら兄ちゃんとしては、とりあえず温かいうちに飯食わせられれば上出来かなって」
どこか諦めの混じった言葉だったが、その声は楽しそうでもあった。
リンデンは小さく口元を緩める。
「レアリザス兄さんらしいですね」
「そう?」
「はい」
それきり会話はいったん途切れた。
けれど気まずさはない。
水の流れる音と、陶器の触れ合う小さな音が二人の間を埋めていく。窓から入る午後の光はキッチンまでは直接届かず、流し台の金属面に淡く反射していた。
「リンデン」
「はい」
「最近、闇虹の仕事よく手伝ってるのか?」
何気ない問いだった。
リンデンも特に考える様子はなく、泡を流しながら答える。
「時間が空いている時だけです。私でも処理できる案件に限りますが」
「そっか。闇虹、助かってるだろうな」
その言葉に、リンデンの手がわずかに緩んだ。
皿の縁を伝っていた水が、指先を濡らして落ちていく。
「……そうであれば、良いのですが」
レアリザスはそれ以上何も聞かなかった。
ほんの一瞬だけリンデンへ視線を寄越し、また受け取った皿を拭き始める。
「そっか」
ただ、それだけだった。
問い返されなかったことで、かえってリンデンの中に何かが残った。
皿を洗い、渡す。レアリザスが拭き、棚へ戻す。二人の手順はすぐに馴染み、意識せずとも互いの動きを邪魔しない間隔へ落ち着いていく。
残りは、あと一枚だった。
リンデンは最後の皿を手に取り、いつもと同じようにスポンジを当てた。汚れはほとんど残っていない。それでも一度、二度と丁寧に縁をなぞり、泡を水へ流していく。
もう十分に綺麗になっている。
けれど、その皿はすぐには隣へ渡されなかった。
流れ続ける水を見つめながら、リンデンは少しだけ俯いていた。
レアリザスは急かさない。
布巾を畳み直し、流し台の脇へ置く。そのまま何かを待つように、隣に立っている。
「……レアリザス兄さん」
「んー?」
柔らかな返事がすぐ隣から返ってくる。
リンデンは顔を上げなかった。
「……ちゃんと、私は兄さん達の役に立てているでしょうか」
問いが落ちると、水音だけが残った。
声そのものは普段とほとんど変わらない。切迫しているわけでも、弱々しいわけでもなかった。ただ、ずっと胸のどこかに置いていたものを、今なら口にしてもいいと思った――その程度の静かな問いだった。
レアリザスはしばらく何も言わず、リンデンの横顔を見ていた。
それから、小さく息を吐く。
「そこ、気にしてたのか」
責めるような響きはない。少しだけ困ったような、けれどやはり弟らしいなと受け止めるような声だった。
「……はい」
「役に立ってるよ」
返答には、迷いがなかった。
「ちゃんとな。むしろ立ちすぎなくらいじゃねーかな」
リンデンがようやく顔を上げる。
「立ちすぎ、ですか」
「闇虹の仕事手伝って、運命に呼ばれたらそっち行って、誰か困ってればまた別のところ行くだろ?」
「私に出来ることであれば」
「うん。リンデンはそう言うよな」
レアリザスは笑った。
その笑い方には呆れも否定もなく、昔からよく知っている癖をまた見つけたような親しさがあった。
「別に、それが悪いって言ってるんじゃないぞ。助かってるし、兄ちゃん達もみんなそう思ってる」
そこで一度言葉を切る。
「でもな、リンデン」
レアリザスは少しだけ身体の向きを変え、真正面ではなく、あくまで隣に立ったまま続けた。
「それ以前に、末っ子はもっと兄ちゃん達に甘えていいんだぞー?」
あまりにも自然に言われて、リンデンはすぐには返せなかった。
「……甘える、ですか」
「そ。弟に頼られるのも兄ちゃんの仕事だろ?」
「仕事なのですか」
「兄ちゃん業務」
レアリザスが軽く笑う。
「飯作ったり、困ってたら手ぇ貸したり、落ち込んでたら話聞いたり。そういうの全部込み」
「……随分と業務範囲が広いですね」
「兄ちゃんだからなぁ」
冗談めかした返しに、リンデンの口元が微かに緩んだ。
レアリザスはそれを見て、流し台の脇に置いてあった乾いた布巾で手を拭いた。それから、ごく当たり前の流れで腕を伸ばす。
掌が、リンデンの頭へ乗った。
髪の上から伝わる重みに、リンデンの身体がほんの一瞬だけ静かになる。
その感触を、彼は覚えていた。
頭頂から後ろへ、髪の流れを乱さないように撫でていく手。指先が少しだけ髪を梳き、最後にもう一度だけ頭頂へ戻る癖。
まだリンデンの背丈が今よりずっと低かった頃から、何度もそうしてもらった。
何かを上手く出来た時。失敗して黙り込んだ時。腹いっぱい食べて眠くなった時。あるいは、本当に何の理由もない時にも。
いつからだったのかは、もう覚えていない。
けれど、自分より大きな手が頭に触れる感触だけは、妙に鮮明に残っている。
――長い時間が過ぎた。
その間に変わったものは多い。
失われたものもある。
リンデン自身でさえ、一度は世界から途切れた。
それでも、その掌だけは不思議なほど変わっていなかった。
「"オレ達"はさ」
レアリザスの声が、すぐ上から聞こえる。
「リンデンが何かしてくれるから、弟だと思ってるわけじゃないからな」
もう一度、髪を撫でられる。
「そこんとこだけ、忘れんなよ?」
リンデンは答えなかった。
流し台の中では、蛇口を閉じた後の水滴が、まだ時折ぽつりと落ちている。その小さな音の向こうで、闇虹がまた一枚書類を捲る音がした。
いつもの待機所だった。
特別なことなど何も起きていない午後だった。
レアリザスの手が、もう一度リンデンの髪を撫でる。
リンデンはしばらくそのまま立っていた。
そして、幼い頃と同じように。
ほんの少しだけ、掌の方へ頭を傾けた。
アフターの展開どうしましょう。
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ド本命トロイルート(全年齢+叡智
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トブ一緒ルート(全年齢+叡智
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みんなと一緒ルート(全年齢オンリー
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やけくそハッピールート(叡智オンリー
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リーインシアルート(IF、湿度特化叡智