みにくい魔剣の子 《本編完結・アフター開始》   作:えいちゃ

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トロイルート『ドキドキ!温泉夏物語』.4

 

 

 海岸の騒ぎは、少し場所を離れるだけでずいぶん遠く聞こえた。

 湯気を含んだ風が海から吹き上がり、砂の上に残された濡れた足跡をゆっくり乾かしていく。遠くではまだ誰かの笑い声と水音が重なっていたが、この辺りまで来ると、それも波の砕ける音に紛れて輪郭を失っていた。

 そんな浜辺を、二人の人影が歩いていた。

 

 一人は、腰へタオルを巻いただけの長身な男だった。短い灰茶色の髪には赤橙の色が混じり、陽射しの下では広い肩や背中の筋がはっきり浮いている。

 身を隠そうという意志だけはあるらしく、時折周囲を窺いながら進んでいるものの、その体格では椰子の影へ寄ったところで大して目立たなくなるわけでもない。

 

 その後ろには、白銀の髪を長く垂らした少女が続いていた。

 額の装飾だけがいつもの装備らしく、身体には大きな白いタオルを巻いている。歩くたび、片手は自然と胸元へ添えられ、もう片方で裾を確かめていた。

 

「あれ?」

 

 不意に声が飛んだ。

 二人の足が止まる。

 

「あれ? シドウとリーノじゃん!」

 

 少し離れた海辺で、プロブレムがこちらを見ていた。

 濡れた長い髪を肩の後ろへ払いながら、一度だけ目を丸くする。それから、まるで街中で知り合いに出会ったような気軽さで片手を上げた。

 

「ひっさしぶりー!」

 

「……!?」

 

 長身の男――勇者シドウの表情が固まった。

 

「な! すぐに見つかっただと!?」

 

「あなたがでっかいからですよ」

 

 少女――魔導師リーノは即答した。

 声に呆れはあっても驚きは少ない。こうなることを半ば予想していたらしく、シドウの背中を見上げたあと、小さく息を吐いた。

 その声を聞きつけ、近くにいたカノンとシオンも振り返った。

 シオンは一度だけ二人を眺め、眠たげな目のまま口を開く。

 

「勇者と天使亜種の魔導師……」

 

 かつて《雷帝ルドルフ》の一件で運命と巡り会った勇者シドウ。

 その正体は魔剣使いであり、かつて神域を生み出した張本人でもある。

 傍らの魔導師リーノもまた、その時にシドウと共に行動していた勇者パーティの一員。人の姿を取ってはいるが、その実体はシドウによって生み出された天使――イリスロサイナ亜種だった。

 

 カノンの視線が、二人から海へ移る。

 湯気を上げる青い水面。

 その向こうには《あわあわ洗い場》まである。

 そこへ、過去に神域を生み出した魔剣使いが現れた。

 結論へ届くまでに、それほど時間は掛からなかった。

 

「この海を温泉にした真犯人は、あなたたちだったんですね!」

 

「ひ、ひと違いじゃないか?」

 

 シドウが僅かに身を引いた。

 言葉とは裏腹に、その身体はまったく人違いを主張できる佇まいではない。

 リーノが一歩前へ出る。

 

「あなたがたのようなGARDENの騎士どもとは、会ったことも戦ったこともありません」

 

「おいコラ! それだとバレるだろうが!」

 

「……あ」

 

 リーノがほんの少し目を見開く。

 プロブレムが笑いを漏らした。

 わずかな沈黙のあと、シドウは額へ手をやった。温泉の熱とは別の汗が一筋、こめかみを伝っている。

 

「くっ……! 予定外だ……!!」

 

 リーノもそれ以上は誤魔化そうとしなかった。

 互いに短く視線を合わせる。

 彼らが何を探しているのか、こちらにはまだ分からない。

 ただ、シドウの次の言葉だけは明確だった。

 

「『例のブツ』を手に入れるまで、オレたちは捕まるわけにはいかない……」

 

 潮風に煽られ、腰のタオルの端が揺れる。シドウは片手でそれを押さえながら、海岸の先へ視線を巡らせた。

 

「なら選択肢はひとつ!」

 

「ですね……!」

 

 リーノも頷く。

 二人の視線が、同じ場所へ止まった。

 湯気の向こう。

 少し離れた海では、先ほどの騒ぎなど気にした様子もなく、何人もの温泉客が湯へ浸かっている。

 シドウとリーノは同時に息を吸った。

 

「この人たち温泉マナー守ってなーーーい!!!!」

 

 一瞬。

 海岸が静かになった。

 

「……なに?」

 

 湯気の奥で、一人が顔を上げる。

 

「温泉マナー……?」

 

 もう一人。

 それから、さらに向こう。

 海のあちらこちらで、頭へ手拭いを載せた温泉客たちが次々とこちらを向いていった。

 プロブレムはその光景を眺めてから、ゆっくり自分たちを指差す。

 

「……ウチら?」

 

「温泉の入り方もわからない痴れ者が……!」

 

 声を上げた一人が湯から立ち上がる。

 

「ああ! 水着で温泉なんて最近の若い者は!」

 

 別の場所でも、湯が大きく揺れた。

 さっきまで散らばっていた温泉客たちが、誰に呼ばれたわけでもないのに一つの方向へ集まり始める。足元の湯気が乱れ、波とは異なる水音がいくつも重なった。

 

「わわわ! めっちゃ集まってくんじゃん!」

 

 プロブレムが半歩下がる。

 カノンも慌てて周囲を確認した。

 

「ちょっと待ってください! 私たちは調査で――」

 

 その言葉が届くより先に、人垣が厚くなっていく。

 その外側では、シドウとリーノが静かに後退していた。

 初めは一歩。

 さらに一歩。

 リーノの白いタオルが風に揺れ、シドウは振り返りもせず距離を取っていく。

 カノンが気づいた時には、もう遅かった。

 

「……あ!」

 

 指を差す。

 

「待ってください!」

 

 シドウがそこでようやく踵を返した。

 

「知ったことか! じゃあな騎士どもー!!」

 

 砂が大きく蹴り上げられる。

 

「卑怯ですよ!」

 

 カノンの声が追いかけるが、シドウは止まらない。リーノも身体へ巻いたタオルを片手で押さえたまま、その後を追っていく。

 二つの背中は、白い浜辺の向こうへみるみる小さくなっていった。

 

「逃げた!」

 

 プロブレムがそちらへ身を乗り出す。

 けれど追おうと踏み出した先へ、温泉客の一人が回り込んだ。

 

「まずは温泉マナーを学べーー!」

 

「うわっ」

 

 さらに横からもう一人。

 背後でも、湯を蹴る音がした。

 シドウたちを追うために開けていたはずの海岸は、いつの間にか温泉客で塞がれている。

 プロブレムは逃げていく二人と、迫ってくる温泉客を交互に見た。

 やがて、片手で顔を覆う。

 

「……マジかー」

 

 その指の隙間から、ほんの少しだけ笑っていた。

 カノンはそれどころではないらしく、目の前へ集まってくる温泉客を押し留めようと両腕を広げる。

 シオンは、その後ろで小さく欠伸をした。

 潮風が吹き抜ける。

 湯気が流れ、その向こうで二つの人影だけが遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 

 シドウとリーノが温泉客を置き去りにして逃げた頃。

 海岸の少し奥、岩場を挟んだ別の一角では、また違う種類の騒がしさが続いていた。

 こちらは温泉客との揉め事ではない。

 むしろ、何も起きていないことそのものが問題だった。

 

「魔剣使いや魔剣っぽいものー!」

 

 久理の声が、岩壁へ跳ね返った。

 

「魔剣使いや魔剣っぽいものー! 出ておいでー!」

 

 返ってくるのは波音だけだった。

 湯気はこの辺りにも流れている。白い砂の間から黒い岩が突き出し、その向こうには温泉化した海が青く光っていた。少し離れた場所では湯へ浸かっている者の姿も見えるが、探しているものらしい反応はない。

 久理は両手を腰へ当てた。

 

「くっくっく……」

 

 風に煽られた髪を払い、胸を張る。

 

「この冥王に恐れをなして逃げたか……!」

 

「すごいね!」

 

 叢裂が素直に目を輝かせる。

 

「魔剣使いが逃げちゃうなんて、冥王ってかっこいい♪」

 

「えへへー♪」

 

 褒められた久理の表情がすぐに緩んだ。

 ロンドはその横で、海の方へ手を翳していた。波打ち際、岩陰、さらに先の小さな入り江へと順番んに視線を送る。

 

「相手が逃げちゃうんだとしたら、呼びかけは逆効果な気がしますが……やらないよりマシかもですね!」

 

 自分で言ってから、少しだけ首を傾げる。

 久理はもう再び手を口元へ添えていた。

 

「魔剣使いや魔剣っぽいものー!」

 

「叢裂もする!」

 

 叢裂が両手を口の横へ添える。

 

「魔剣使いや魔剣っぽいものー! 出ておいでー!」

 

「じゃあロンドさんもー♪」

 

 三人分の声が重なった。

 

「でーておーいでーー!」

 

 遠くまでよく響いた。

 波が一度、岩へ当たる。

 砕けた水が白く散る。

 その向こうから、人影が二つ現れた。

 

「……あ」

 

 先頭を走っていたシドウが止まる。

 その後ろからついてきたリーノも、ほぼ同時に足を止めた。

 

「やば」

 

「…………」

 

 久理が固まる。

 ロンドも固まる。

 叢裂だけが少し首を傾げた。

 呼んだ。

 本当に出た。

 しかも、かなりそれらしい。

 数秒の沈黙のあと、ロンドが一歩だけ前へ出た。

 

「勇者シドウと……魔導師リーノ?」

 

「うわああ!」

 

 久理の声が弾けた。

 

「本当に出てきたーー!!」

 

 嬉しそうに両手を上げる。

 

「冥王の呼び声に応えたのか!?」

 

 リーノがその勢いに僅かに身を引いた。

 シドウは周囲を見た。

 久理。

 ロンド。

 叢裂。

 そして、三人それぞれが騎士であることだけは一目で分かる。

 リーノの視線も順番に動いた。

 

「冥王に、聖式使いに、神殺し……!!」

 

 その声から、少しずつ余裕が消える。

 

「なんか今回、騎士めっちゃ多いんですけど!?」

 

「ぷみ?」

 

 叢裂はそんな反応など気にせず、シドウの立ち姿をじっと見ていた。

 先ほどまでの無邪気な顔から、ほんの少しだけ空気が変わる。

 

「この人、強い……」

 

 片手が自然と武器へ伸びた。

 

「こちらに手を出せば斬ります……!」

 

「こっちはダメだ、リーノ!」

 

 シドウの判断は早かった。

 

「あっちだ!」

 

 踵を返す。

 リーノも反射的についていこうとする。

 

「あ、タオル落ちちゃいますっ!」

 

 足がもつれる。

 身体へ巻いた白い布を慌てて押さえる。

 

「いいから早く来い!」

 

「あ! ちょっ、タオルが脱げ……!」

 

「あとだ! あとにしろ!」

 

「こっち見ないで下さいっ!!」

 

 リーノの悲鳴が海岸へ響いた。

 シドウは止まらない。

 少し遅れてリーノも砂を蹴り、二人の背中はそのまま岩場の向こうへ消えていった。

 

「…………」

 

 久理たちはしばらくその方向を見ていた。

 風だけが通り過ぎる。

 やがてロンドが口を開く。

 

「今の、魔剣使い……ですよね?」

 

「……たぶん?」

 

 久理が答える。

 さっきまでの勢いは少し薄れていた。

 叢裂はまだ武器へ手を掛けたまま、逃げた方向を見ている。

 

「斬っちゃったほうがよかった?」

 

 ロンドは少し考えた。

 

「次に見つけたら、容赦なく斬りましょう!」

 

「うん! わかった♪」

 

 叢裂は満足そうに頷く。

 久理はその横で、

 

「……呼んだら本当に出るんだ」

 

 と小さく呟いた。

 さっきまでの冥王らしい声音は、もう少しだけ遠くなっていた。

 

 

 

 その頃。

 海岸の別の一角では、アンサーが端末を前にしゃがみ込んでいた。

 足元の砂には簡単な印がいくつか引かれ、少し離れた位置では運命、紫亜、トロイがそれぞれ周囲を見ている。

 リンデンもそこにいた。

 端末を片手に持ち、今まで別々に上がってきた報告を一つの画面へまとめている。

 

「プロブレム姉さん達との接触地点がここです」

 

 指先で一点を示す。

 

「その後、温泉客の動きがこちらへ偏りました」

 

 別の印。

 

「ロンド姉さん達は、この位置で二人と遭遇しています」

 

 アンサーが画面を覗き込む。

 少しだけ身を寄せ、表示された地形と時間差を見比べた。

 

「……なるほど」

 

 紫亜が後ろから覗き込む。

 

「逃げてる方向、だいたい一緒だし?」

 

「そうね」

 

 アンサーはすぐには立ち上がらなかった。

 もう一度、最初の地点へ視線を戻す。

 そこから二点目。

 さらに海岸線。

 

「温泉浜辺と《あわあわ洗い場》で騒ぎが起きてる」

 

 独り言に近い声だった。

 

「もし犯人が逃亡してるなら、次に通るのは……」

 

 指がゆっくり動く。

 一つの経路をなぞる。

 

「ここ」

 

 アンサーが顔を上げた。

 

「むやみに動かず、我々はここで待ちましょう」

 

「待ち伏せだし?」

 

「そういうこと」

 

 端末を閉じる。

 

「もちろん、『がんばる禁止』よ♪」

 

 紫亜がくすりと笑った。

 トロイは少し離れた場所で、帽子のつばを指先で押し上げる。

 

「アンサーちゃん、こういうの得意だよねー」

 

「計算するのは得意よ」

 

「いつもそうやって考えてるんだし?」

 

 紫亜が尋ねる。

 

「え?」

 

「こういう時。何が起きて、次にどこへ行って、って」

 

 アンサーは少し考えた。

 

「んー、そうね……」

 

 海の方へ一度目をやる。

 

「計画を立てて、状況に合わせてアップデートして」

 

 指先で空中へ線を引くように動かす。

 

「あとは、それを実行してるだけよ?」

 

 言い方は軽い。

 特別なことをしている意識はないらしい。

 

「ちゃんとした計画さえあれば万事解決!」

 

「ふーん」

 

 紫亜はまだ納得しきっていない顔をしている。

 アンサーは笑った。

 

「紫亜ちゃんは賢いから、私みたいにしなくてもいいのよ」

 

「ん?」

 

「私はプロブレムたちみたいな超天才じゃないから」

 

 肩を竦める。

 

「たくさん計算して、しがみついてるだけ♪」

 

「その膨大な計算量が既に天才の領域で草だねー」

 

 トロイがすぐ横から口を挟んだ。

 

「褒め言葉として受け取っておくわ♪」

 

「あははー、謙遜しなくていいよーって意味ー」

 

 トロイは笑う。

 

「ブレイドライン(ウチ)にも、謙遜が服を着て歩いてるような子たちがいるからねー」

 

「うふふ、ORANGE(ウチ)とは真逆ね♪」

 

 アンサーも笑い返す。

 そのやり取りを耳に入れながら、リンデンは端末へもう一度視線を落とした。

 各班の位置。

 時間。

 接触地点。

 アンサーの読んだ経路。

 数字を一つずつ確認する。

 

「この見立てで問題ないと思います」

 

 短く告げる。

 

「現在の情報だけなら、ここを通る可能性が最も高いです」

 

「じゃあ決まりね」

 

 アンサーが頷いた。

 誰も動かない。

 しばらく、そのまま待った。

 風が吹く。

 砂の上に残っていた足跡が少しずつ崩れる。

 遠くではまだ温泉客の声が聞こえていた。

 紫亜がふと顔を上げる。

 

「……ん」

 

 眉が少し動く。

 

「なにかがこっちくるし!」

 

 トロイも同じ方向を見る。

 目を細める。

 

「二人の、人間……?」

 

 リンデンも端末を確認した。

 表示が一つ。

 さらにもう一つ。

 こちらへ近づいている。

 

「……反応、二つ」

 

 静かに端末を持ち直す。

 アンサーの目が僅かに細くなった。

 読み通りだった。

 最初に聞こえてきたのは、足音よりも声だった。

 

「許しません、絶対に」

 

 岩場の向こうから、抑え込もうとして少しも抑えられていない少女の声が飛んでくる。

 

「だから悪かったって!」

 

「大衆の前で全裸で運ばれたなんて、屈辱です」

 

「仕方ないだろ! 騎士たちから逃げるために!」

 

「だめです。許しません……!」

 

 間もなく二つの人影が姿を現した。

 先ほどよりもさらに急いでいるらしく、シドウの足元では砂が大きく蹴り上げられていた。その少し後ろを走るリーノは、身体へ巻き直したタオルを片手でしっかり押さえ、もう片方で長い白銀の髪を払いながら、なおもシドウへ鋭い視線を向けている。

 こちらには、まだ気づいていない。

 

『……勇者シドウと、魔導師リーノだ』

 

 運命が小さく言った。

 その声を受けて、アンサーが一歩前へ出る。

 

「……! 魔剣使いですね!」

 

 待っていた答えが、そのまま向こうから走ってきた。

 

「あははー」

 

 トロイが口元へ手を添える。

 

「さすがアンサーちゃん。計算どおりすぎて花ー!」

 

「まあね♪」

 

 アンサーは僅かに胸を張った。

 紫亜も岩陰から身体を半分だけ出し、こちらへ向かってくる二人を眺める。口元にはすでに、何か企んでいる時の笑みが浮かんでいた。

 

「にしし♪」

 

 まだ距離がある。

 

「こっちに紫亜たちがいるとも知らないで……くすくす♪」

 

 指先がゆっくり上がる。

 

「ばっちり迎撃してやるんだ……し……」

 

 そこで、声が止まった。

 紫亜の目が、シドウたちの向こうへ移る。

 

「……あ、あれ?」

 

 最初は湯気かと思った。

 砂浜の向こう、シドウたちの背後を白く曇らせているものがある。その中で、黒い影がいくつも上下していた。

 ひとつではない。

 二つでもない。

 数えることを諦めたくなる程度には、多い。

 

『……シドウとリーノ、だけじゃない?』

 

 運命の仮面から笑顔の表示が消えた。

 リンデンも端末へ視線を落とす。

 先ほどまで二つだった反応の後方で、細かな表示がまとまって増えていた。

 

『さらに後ろから、なにか来てるよ……!』

 

 次第に声まで届き始める。

 

「こらぁぁーーーー!」

 

「温泉のマナーを守らない者たちは去れーーー!」

 

「温泉を守れー!」

 

「この温泉は私たちのものだーー!!」

 

 湯気の中から温泉客が溢れ出してきた。

 頭へ手拭いを載せたまま走っている者。拳を振り上げている者。桶まで片手に持ったままの者までいる。統率されているようには到底見えないのに、目指している方向だけは寸分違わずシドウとリーノだった。

 

「め、めっちゃたくさんいるんだし!!」

 

 紫亜が一歩引いた。

 

「あははー……」

 

 トロイがアンサーを見る。

 

「あれもアンサーちゃんの計画通りー……?」

 

「……」

 

 アンサーは答えなかった。

 一度、迫ってくる温泉客を見る。

 次に端末を持つリンデンを見る。

 リンデンも何も言わず、画面を僅かにアンサーの方へ傾けた。そこには後方から増え続ける反応が、隠しようもなく並んでいる。

 

「……そ」

 

 アンサーの視線がほんの少しだけ横へ逃げた。

 

「想定の、範囲内かな……」

 

「声ちっちゃくなってて草ー」

 

「そこは聞かなかったことにして」

 

 その間にも距離は縮まっていた。

 シドウがようやくこちらへ気づく。

 

「うお!」

 

 走りながら目を見開いた。

 

「運命!!」

 

『シドウ!』

 

「それと騎士ども!」

 

 今度は周囲へ視線を回す。

 運命の近くにいるアンサー、紫亜、トロイ。海水浴用の装いのまま、待ち伏せしていた騎士たちを順番に見て、シドウは一瞬だけ妙な顔をした。

 

「……お前」

 

『うん?』

 

「こういう子たちが趣味なのか」

 

「…………」

 

 一拍。

 

「お似合いだな!」

 

「勇者シドウ! 許しませんっ!!」

 

 リーノの声が飛んだ。

 

「ああ! ちょ、待てって!」

 

 シドウは運命へ向いていた顔を慌てて戻す。

 その間にも、後ろから温泉客は迫っていた。

 

「いたぞーー!」

 

「水着のヤツらも仲間だぞーーー!」

 

「温泉マナーもわからぬ者どもよ! 覚悟しろーー!!」

 

「ちぇすとおおおーーーー!」

 

「NO海温泉、NO LIFEじゃああああ!!」

 

「何なんだし最後のヤツ!」

 

 紫亜の声が重なる。

 シドウはもうこちらへ寄る余裕もなかった。

 

「くっ! またな運命ーーーー!!」

 

『えっ、ちょっと――』

 

「待って下さい!」

 

 リーノもシドウを追う。

 二人はそのまま待ち伏せ地点を横切り、砂を蹴り上げながら反対側へ駆けていった。

 残された側だけに、短い静寂が落ちる。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 その間にも温泉客の足音は大きくなっていく。

 

「今のは何だったんだし……?」

 

 紫亜が先に口を開いた。

 

「……お似合いって言われた……」

 

 アンサーは別のところで引っ掛かっていた。

 トロイは二人を交互に見てから、帽子のつばを上げる。

 

「よし、とりあえず追うかー」

 

「そ、そうね!」

 

 アンサーも我に返った。

 

「天使を退けながら、今は彼らを追いかけましょう!」

 

『うん』

 

 運命が駆け出そうとする。

 けれど、リンデンは動かなかった。

 端末を片手に、シドウたちの消えた方向と、こちらへ押し寄せる温泉客を見比べる。

 さらに画面を切り替えた。

 プロブレムたちの位置。

 ロンドたちの位置。

 海岸に散った別働組。

 それぞれから届く短い通信が、まだ同じ画面の中で点滅している。

 

「陛下」

 

 運命が振り返った。

 

『リンデン?』

 

 リンデンは端末を閉じないまま、小さく笑った。

 

「こちらは別のアプローチを掛けますので、そちらはお任せしますね」

 

 運命の視線が、近づいてくる温泉客へ向いた。

 

『一人で大丈夫?』

 

「はい。倒す必要はありませんから」

 

 リンデンは画面を軽く示す。

 

「プロブレム姉さん達とロンド姉さん達の情報も、こちらで繋ぎます。アンサー姉さん達は追跡を続けてください」

 

 アンサーが足を止めかける。

 

「でも――」

 

「逃走経路を読んだのはアンサー姉さんでしょう?」

 

 リンデンは穏やかに返した。

 

「なら、その続きをお願いします」

 

「……」

 

 一瞬だけ迷ってから、アンサーが頷く。

 

「分かったわ」

 

『無理はしないでね』

 

「はい」

 

 運命もそれ以上は言わなかった。

 トロイが通り過ぎざま、リンデンの肩へ軽く指先を置く。

 

「よろしくねー、リンデンちゃん」

 

「ええ、トロイ姉さん」

 

「終わったらちゃんと休むんだよー」

 

「善処します」

 

「あははー、怪しいー」

 

 トロイは笑いながら離れていく。

 紫亜もその後を追った。

 ほどなくして、運命たちの足音はシドウとリーノの逃げた方向へ遠ざかっていった。

 残ったのはリンデン一人。

 そして。

 

「いたぞー!」

 

「仲間が残ってるぞーー!」

 

「逃がすなーー!」

 

 大量の温泉客。

 リンデンは一度だけ息を吐いた。

 端末を腰へ固定する。

 それから背後の空間へ手を伸ばした。

 量子空間が開き、金属が噛み合う重い音がした。

 

 展開型斧盾複合兵装(ヘイロリウム)。

 

 収納されていた構造が開き、砂浜へ影を落とす。今は斧形態ではない。重厚な盾部を前へ据え、下端を乾いた砂へ深く押し込む。

 盾から突出する刃輪が、駆動音と共に回転し反力場が展開された。

 目にはほとんど見えない壁が海岸を横切り、押し寄せてきた温泉客の先頭が揃って足を止める。

 

「申し訳ありません」

 

 リンデンは盾の後ろから丁寧に頭を下げた。

 

「少しの間だけ、こちらでお待ちいただけますか」

 

「なっ……!」

 

 温泉客の一人がヘイロリウムを見上げる。

 次第に、その顔へ怒りが浮かんだ。

 

「なんだその物騒なものはーーーっ!!」

 

「……はい?」

 

「そんな物騒なもん温泉に持ち込むなーーーっ!!」

 

「…………」

 

 リンデンの眉尻が、ゆっくり下がった。

 自分の足元を見る。

 乾いた砂。

 少し離れた波打ち際。

 もう一度、目の前の温泉客を見る。

 

「……こちらは砂浜なのですが」

 

「温泉海岸も温泉の一部だーーー!」

 

「武器持ち込み禁止ーー!」

 

「温泉マナー違反だーーー!!」

 

「……そういう扱いなのですね」

 

 納得はしていない。

 けれど理解だけはしたらしく、リンデンは小さく頷いた。

 その直後、反力場へ何かがぶつかった。

 鈍い音が響く。

 リンデンが顔を上げる。

 

「ですが」

 

 もう一度衝撃。

 

「皆さんも先ほどから攻撃していらっしゃいますよね……?」

 

「それとこれとは別だーーー!!」

 

「……そうですか」

 

 困った顔のまま、リンデンは盾へ手を添え直した。

 反力場は動かない。

 温泉客が押しても、叩いても、その位置を保ったまま砂浜を塞いでいる。

 空いた片手で端末を再び開いた。

 

「プロブレム姉さん、聞こえますか」

 

 騒音の中、通信を繋ぐ。

 

『聞こえるー! こっち今めっちゃ大変なんだけど!』

 

「こちらも似たようなものです」

 

 盾の向こうで、

 

「物騒なもん片付けろーー!」

 

 と声が上がった。

 リンデンの眉が、また少し下がる。

 

「ひとまず現在位置を送ってください。ロンド姉さん達にも共有します」

 

 陸では、まだ騒ぎが続いていた。

 シドウとリーノを追う者。

 それを追う温泉客。

 別地点から合流しようとする騎士たち。

 その全部を繋ぐ通信だけが、リンデンの端末へ集まっていく。

 

 

 

 

 ――その一方。

 海の方は、ずいぶん静かだった。

 岸から離れた場所まで進んでいたファティマは、腰ほどの深さで一度振り返った。

 遠くの浜辺で、人の集まりが右へ左へ動いている。

 何か大きなものまで展開されたらしく、陽射しを受けて金属の一部が光った。

 

「陸の方は大変そうね……」

 

 しばらく眺める。

 また誰かの叫び声が聞こえた。

 ファティマは目を細める。

 

「うんうん、青春、青春!」

 

 それから、聞こえるはずもない距離へ向かって片手を振った。

 

「みんな『がんばる禁止』でがんばれー♪」

 

 返事の代わりに、穏やかな波がひとつ寄せた。

 ファティマは笑ったまま前へ向き直り、そのまま海の奥へ歩いていった。

 

 






10/11のリバリバオンリーお疲れ様でした。
騎士イメージのハーバリウムを出てたんですけど、逆にそれをずっと作ってて文章の方を手に付けられませんでした……

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