みにくい魔剣の子 《本編完結・アフター開始》   作:えいちゃ

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トロイルート『ドキドキ!温泉夏物語』.9

 

 

 一歩、黒緑の影がコードの上を疾る。正面には白い穂先。炎熱を帯びたそれが大気を突き断ち、リンデンの頬を掠める。

 熱が皮膚のすぐ横を抜け、遅れて前髪の先へ焦げた匂いが残った。足元では、人ひとりが走れるほど太い灰白色のコードが海面から浮き上がり、波間を縫うように何本も交差している。一本ごとに高さも傾きも違い、荒れた海に押されるたび、その巨大な束全体がゆっくりと軋んでいた。

 

 リンデンは踏み込んだ足を止めない。

 白い穂先――OW-IIが引き戻されるより先に、ヘイロリウムを身体の前へ滑り込ませた。盾面と槍身が擦れ、金属とも霊子ともつかない甲高い音が雨の中へ伸びる。真正面から受ければ、この不安定な足場ごと弾き落とされる。反力場を盾面に沿わせ、力の向きだけを斜めへ逃がすと、伸び切っていた槍は海面側へ大きく逸れた。

 

 その外側へ回り込む。

 槍型端末に人体のような隙はない。海中へ続く太いコードと、その先端に据えられた白い兵装が、ひとつの機械として必要な角度へ必要なだけ動く。それでも質量は消せず、接続部には可動限界がある。

 

 リンデンはそこまで踏み込んだ。

 ヘイロリウム上部の刃輪が、白い外装へ触れる。

 高速回転するリングから振動が流れ込んだ瞬間、槍身全体が細かく揺れた。外殻へ亀裂が走るより早く、内部の霊子構造そのものが解けていき、先端から薄い粒子へほどけ始める。

 

 最後まで押し込む前に、リンデンは手を離した。

 視界の左端で、海が白く弾ける。

 別のOW-IIが水面を割って持ち上がっていた。

 一本ではない。

 手前と奥、二本。先に動いた方が低い軌道で足を狙い、もう一本は頭上から突き下ろしてくる。

 

 リンデンは足元のコードを強く踏み、身体を沈めた。

 一撃目が膝の高さを掠めて通り過ぎる。そこへ盾の下端を当て、返す反力で穂先を外へ押し流した。頭上から落ちてきた二本目には振り向かず、反力場だけを斜め上へ展開する。

 

 空気が一度、大きく鳴った。

 白い穂先が見えない壁に触れ、軌道をずらされる。

 だが完全には逸れない。

 威力を失わないまま、リンデンの右肩へ迫る。

 赤い線が、その間へ走った。

 

「――斬るね」

 

 短い声とともに、赫の刃がOW-IIの横腹へ食い込む。

 叢裂だった。

 リンデンより一段低いコードの上から跳び上がり、二本目の蒼を反対側へ通す。交差した双刀が接続部を挟み、左右へ開いた。

 白い槍端末が、根元から切り離される。

 重みを失った穂先が海へ落ちていく前に、叢裂はその外装を一度だけ踏んだ。小さな身体が雨の中で浮き、次のコードへ着地する。

 

「助かりました、叢裂姉さん」

 

「うん」

 

 返事だけを残し、すぐ前を見る。

 互いに顔を見ている時間はない。

 足元で海が盛り上がり、太いコードの束がゆっくりと持ち上がった。絡み合ったその向こうから、また白い槍先が姿を見せる。

 先ほど落としたものとは別個体。

 しかも今度は三本。

 

「また増えた」

 

「……ええ」

 

 叢裂の言葉に、リンデンは小さく頷く。

 正面から二本。さらに高い位置から一本。

 海面近くで待機していたものまで含めれば、まだ後ろにいる。

 リンデンはヘイロリウムを前へ構え、叢裂はその少し後方へ下がった。打ち合わせをする必要はなかった。

 

 最初の一撃を盾で受ける。

 衝撃が反力場を押し潰し、足元のコードが大きく沈んだ。海水が左右へ跳ね、靴底まで冷たい飛沫が届く。

 その圧力を受けたまま、リンデンは盾の角度だけを変える。

 槍身が外へ流れた。

 開いた隙間へ叢裂が潜り込む。

 赫が一閃し、接続部へ浅い傷を作る。すぐに蒼が同じ箇所を逆方向から走り、白い外装が大きく割れた。

 だが二本目がすぐ横から来る。

 

「姉さん」

 

「ぷみっ」

 

 リンデンは一歩前へ出た。

 叢裂へ向いていた穂先をヘイロリウムで受け、反力場を一点へ集中させる。

 槍が押し戻される。

 同時に盾上部の刃輪を外側へ滑らせ、穂先の側面へ振動を叩き込んだ。

 白い外装が揺らぎ、形を保てなくなる。

 そこへ叢裂が踏み込む。

 二刀が交差した。

 次の瞬間には、OW-IIの姿が海風の中へ薄くほどけていた。

 

 残る一本が高い位置から急降下する。

 リンデンはそれを見上げた。

 受けるには角度が悪い。

 コードから一度飛び降りる。足元には別の太い束がある。着地する直前、背後から甲高い発射音が響いた。

 リンデンは身を捻ると、白い穂先の側面へ何かが突き刺さった。

 呪符。

 濡れた紙片に紫紺色の文字が走り、OW-IIの動きが一瞬だけ硬直する。

 

「そこ、危ないしー!」

 

 声は遠い。

 別のコード上で戦っている紫亜の姿が、雨幕の向こうに小さく見えた。

 

「ありがとうございます、紫亜姉さん」

 

「お礼はあとだしー!」

 

 返事を待つ必要もなかった。

 リンデンは着地した勢いのまま走り、硬直しているOW-IIへ盾を押しつける。刃輪が触れ、振動が内部へ浸透すると、槍型端末は外殻から徐々に輪郭を失い、そのまま白い霧のように薄れていった。

 術式を維持していた呪符も、役目を終えると雨の中で燃え尽きる。

 リンデンが振り返った時には、紫亜はもうこちらを見ていなかった。別の場所で伸び上がったOW-IIへ、新しい呪符を投げている。

 叢裂もすでに少し先へ進んでいた。

 

「リンデン、次」

 

「はい」

 

 二人が足場にしていたコードが、大きく沈んだ。

 遠方から衝撃が届いたらしい。

 黒い雲の下で、青白い光が一度だけ海面を染める。誰かの攻撃なのか、OW-IIの砲撃なのか、ここからでは判別できない。ただ、波音の奥には絶えず金属音と破砕音が重なり、海の各所で戦闘が続いていることだけは分かった。

 

 リンデンはヘイロリウム越しに前を見る。

 先ほどまで白い槍が三本あった場所には、今は何もない。

 だが、そのさらに奥。

 海面の下から、新しい光が浮かんでくる。

 一つ。

 その隣に、もう一つ。

 少し離れたところにも。

 白い穂先が次々と水面を破り、海水を流しながらゆっくりと持ち上がっていく。

 倒した数より、出てくる数の方が多い。

 叢裂が二刀を構え直す。

 

「多いね」

 

「そうですね」

 

 リンデンも盾を持ち上げた。

 今は、それ以上を口にする必要はなかった。

 足元を流れていく雨水の向こうで、また一本のOW-IIがこちらへ穂先を向ける。

 海面から持ち上がるOW-IIは、倒されるたびに間を置かず新しい穂先を覗かせた。白い槍端末がひとつ沈めば、その陰で別のコードが水面を割り、波を押し退けながら次の兵器を地上へ運んでくる。個体そのものに統率らしい統率は見えない。それでも、海底全体がひとつの演算機構として動いている以上、どこへ圧力を掛ければ戦線が歪むのかだけは、あまりにも正確に選ばれていた。

 

 リンデンは叢裂と別れ、絡み合ったコードをひとつ上へ渡った。

 そこからは、戦場の中央が先ほどよりよく見えた。

 雨に叩かれた黒い岩のあいだを、太いコードが白い肋骨のように幾重にも跨いでいる。その中央では、ファティマを拘束した機械肢が海面から立ち上がり、頭上の小型天使端末が赤い光を明滅させ続けていた。そこへ至るまでの距離は決して遠くない。直線だけを見れば、走ればすぐに届く。

 けれど、その短い距離のあいだに存在する穂先の数だけが、現実を別のものにしていた。

 

 リンデンの眼前で、白い穂先が低く旋回する。

 腰を落とし、ヘイロリウムの盾面で受ける。反力場を全面へ広げるのではなく、接触点だけを瞬間的に強めると、衝撃は盾の上を滑って外へ逃げた。そのまま押し返そうとしたところで、右手側から鋭い金属音が重なる。

 カノンだった。

 聖剣カノンが白い槍端末と噛み合い、互いの力が拮抗したまま火花を散らしている。

 彼女の足元にあるコードは細い。踏ん張るたびに足場そのものが撓み、雨水が表面を薄く流れている。真正面から力をぶつけ続けるには、あまりに悪い位置だった。

 それでもカノンは退かなかった。

 

「……っ!」

 

 聖剣を握る両腕へ力を込め、押し戻そうとする。

 その背後。

 海面近くから、もう一本のOW-IIが立ち上がった。

 リンデンはそちらへ身体を向ける。

 白い穂先がカノンの死角へ入るより先に、ヘイロリウムの反力場を細く伸ばした。

 空間が歪む。

 突き込まれた槍先が軌道を外し、カノンの肩を掠めることなく、その脇を通り抜けていった。

 

「カノン姉さん、そのまま」

 

「はいっ!」

 

 リンデンは一歩踏み込み、逸れたOW-IIを盾面でさらに押し流した。伸び切った槍身が横へ倒れたところへ、カノンが聖剣を返す。

 斬撃。

 ひとつ目の接続部が落ちる。

 続けて身体を回し、その勢いのまま二つ目へ刃を通した。

 白い外装が縦に割れ、内部から光が漏れる。次の瞬間、二本のOW-IIはほとんど同時に海面へ落ちていった。

 

「助かりました、リンデンくん!」

 

「こちらこそ」

 

 返した言葉が終わるより早く、遠方で光が走る。

 細い赤線が雨幕を貫き、海面近くから持ち上がろうとしていた別のOW-IIへ直撃した。

 爆発。

 水柱が高く立ち上がる。

 その向こうで、QとAが雨雲の下を大きく旋回していた。

 

「そこ、まだ出てくるよー!」

 

 プロブレムの声が届く。

 二機の大型ドローンは互いに距離を取りながら、別方向から同じ地点へ射線を重ねている。一本目のレーザーで外装を焼き、次の一撃で内部まで貫く。海上から見れば点に近い標的であっても、その照準にはほとんど迷いがなかった。

 

 カノンが新たなOW-IIへ向かう。

 リンデンも反対側へ走った。

 二人の進路はそこで別れる。

 それでも戦線は途切れなかった。

 離れた場所で、プロブレムのドローンが別の白い槍を焼き払う。その射線の下では、誰かがコードを踏み越えながら進み、さらに遠くでは黒い刃が一度だけ閃いた。戦場全体を見渡せる者などいない。それでも、それぞれが自分の届く場所を埋めていることだけは、光と音の連なりから充分に伝わってきた。

 

 リンデンは次のコードへ飛び移る。

 着地した瞬間、足元から振動が返ってきた。

 海の底。

 もっと深い場所。

 そこから何かが絶えず動いている。

 一本のコードが持ち上がり、その先端に新しいOW-IIが姿を現す。外装には傷ひとつなく、海水を滑らせながら、既にこちらへ穂先を向けている。

 

 リンデンは一度だけ周囲へ視線を巡らせた。

 先ほどまで戦っていた位置には、破壊した槍端末の残骸が幾つか沈みかけている。

 そのすぐ近く。海面の下に、また白い光がある。

 一つではない。

 その奥にも。

 さらに遠くにも。

 戦場の各所で同じことが起きているのだろう。

 

 倒していないわけではない。

 むしろ、戦線の誰もが充分すぎるほど戦えている。

 叢裂も。

 カノンも。

 プロブレムも。

 ここから見えない者達も。

 それでも、空白が生まれない。

 ひとつ倒した場所へ次が入り、次を落とせば、そのさらに後ろから新しい穂先が現れる。戦力の不足ではない。戦い方の問題でもない。

 供給そのものが、こちらとは比較にならない。

 

 リンデンはOW-IIの刺突を盾で受けた。

 腕へ重い衝撃が伝わる。

 反力場で押し返す。

 刃輪を外装へ滑らせ、振動を流し込む。

 兵器が形を失う。

 その向こうから、また一本。

 その隣にも。

 

「……」

 

 息を吐く。

 これを繰り返しても、終わらない。

 戦場の中央へ目を向ける。

 ファティマの頭上では、小型天使端末の赤い光が先ほどより速く点滅していた。

 

《強制CONNECT継続》

 

《思考崩壊シークエンス進行》

 

 無機質な音声が、雨音の隙間へ落ちる。

 ファティマの身体がわずかに震えた。

 そのたびに、彼女を拘束するコードの一部が強く発光する。

 時間がない。

 それだけは、誰に説明されるまでもなかった。

 

 このままOW-IIを一本ずつ減らしていく間にも、ファティマの意識は少しずつ奪われている。仮にすべてを倒しきれるとしても、その時まで彼女が残っている保証はない。

 リンデンは前方の槍を弾き、足元のコードへヘイロリウムを一度押し当てた。

 振動。

 白い外装が崩れる。

 次の標的を探そうとしたところで、戦場の音が一瞬だけ変わった。

 炎熱霊槍(OW)の低い駆動音。

 

 アンサーだった。

 黒と橙の兵装へ、白黒の霊槍(OW-II)が接続されている。先ほどまで前線の一角を支えていた彼女は、もう槍を振るっていなかった。

 足を止めている。

 胸元へ兵装を引き寄せ、長く息を吸っていた。

 

「……アンサー姉さん」

 

 リンデンが呼ぶ。

 アンサーは少しだけ顔を上げた。

 濡れた髪が頬へ貼りついている。

 

「……このままじゃ間に合わないわ」

 

 声は静かだった。

 リンデンは返事をしない。

 必要がなかった。

 同じ結論へ、もう辿り着いている。

 

「全部倒してから澪音のところへ行くのでは、遅い」

 

 アンサーはOWを握り直した。

 

「だから――」

 

 その周囲で、空気が少しずつ熱を持ち始める。

 接続されたOW-IIの各部へ光が走り、黒とオレンジの兵装の奥で、炎熱がゆっくりと圧縮されていく。

 即座に放てる攻撃ではない。

 時間が要る。

 そして、その時間を敵(OW-III)が素直に与えるはずもなかった。

 海中で幾つもの白い光がこちらへ向く。

 一本。

 二本。

 さらに奥から三本。

 

 アンサーが立ち止まったことを察知したように、OW-IIの穂先が次々と角度を変えていく。

 リンデンはその動きを見た。

 迷わず、アンサーの前へ出る。

 ヘイロリウムを盾形態のまま構え、足元へ反力場を薄く広げた。背後では炎熱の収束音が少しずつ高まり、目の前では白い穂先が雨を裂きながら持ち上がっていく。

 

「アンサー姉さん」

 

「……なに?」

 

「集中してください」

 

 アンサーが一瞬だけ目を見開く。

 リンデンは前を見たまま続けた。

 

「ここは私が受け持ちます」

 

 白い槍が、最初の一撃を放つ。

 ヘイロリウムの前面で反力場が立ち上がり、雨粒ごと空気を押し返した。

 激突。

 重い衝撃が海上を揺らす。

 その背後で、アンサーはゆっくりと目を閉じた。

 そして、手にしている炎熱霊槍(OW)の奥で、炎がさらに深く沈んでいった。

 

 アンサーの周囲だけ、雨の落ち方が変わり始めていた。炎熱霊槍の内部へ吸い込まれた熱が外気を歪ませ、降り注ぐ水滴は肌へ届くより早く白い蒸気へ変わる。黒と橙の兵装へ連結されたOW-IIにも細い発光線が走り、それぞれ独立していた機構が、時間を掛けてひとつの巨大な一射へ組み上がっていく。

 

 当然、OW-IIIもその変化を見逃さなかった。

 海面の下に散っていた白い光が、少しずつ向きを変える。今まで戦場各所へばらけていたOW-IIのうち、明らかに多すぎる数がアンサーのいる一点へ照準を集め始め、遠方で他の騎士と交戦していた端末まで、太いコードをしならせながら進路をこちらへ変えようとしていた。

 

 リンデンはヘイロリウム越しに、その流れを見ていた。

 最初の三本を受ける。正面から来た一撃は反力場で上方へ滑らせ、二本目は盾の縁を噛ませて隣のコードへ押しつける。三本目だけは刃輪へ穂先を触れさせ、振動を内部へ流し込むことで輪郭そのものを崩した。

 そのあいだにも、足元のコードは荒れた海に持ち上げられて上下を繰り返し、背後ではOWの収束音が少しずつ高くなっていく。ここで大きく下がればアンサーの射線を塞ぎ、左右へ逃げれば別方向から槍が通る。守る場所が一点に定まったことで、リンデンの動きはむしろ狭められていた。

 

「……少々、数が多いですね」

 

 衝撃音の中へ、独り言が小さく沈む。

 正面から二本、右から一本、そのさらに奥では別の霊槍が炎熱を収束させている。リンデンが盾を構え直したところで、背後から妙に芝居がかった声が聞こえてきた。

 

「フ……どうやら冥府の門が、我が名を呼んでいるようだな……」

 

 視線だけを横へ送ると、黒い魔杖(ガーネット)から魔力刃を展開させた久理が、少し離れたコードの上に立っていた。濡れた髪を風に散らしながら、片手を顔の前へ掲げている。

 

「されど残念。今宵の冥王は門を潜る側にあらず――門を開く側である……!」

 

 鎌が振るわれる。

 刃そのものがOW-IIへ届く距離ではなかった。それでも黒い軌跡に引き出されるように幾体もの悪霊が現れ、形の定まらない霊体がコードの表面を這っていく。こちらを狙っていた三本の槍へそれぞれ絡みつき、強引に軌道を外へ引いた。

 照準がずれた。

 放たれた炎熱はアンサーから大きく外れ、雨雲の下を赤く染めながら海へ落ちる。

 

「これぞ冥王が率いる亡者の軍勢――死してなお逃れ得ぬ永劫の――」

 

「久理」

 

 低い声が横から割り込んだ。

 久理のすぐ近くで、シオンが大型チェーンソーを両手に抱え、こちらへ伸びようとしていた太いコードの一本を見下ろしていた。

 

「ん?」

 

「これ、じゃま」

 

「あ、うん」

 

 久理が素直に一歩退く。

 次の瞬間、チェーンソーが唸った。回転刃がコードへ食い込み、激しい火花が雨の中へ散る。海底から伸びるそれは、生半可な構造物より遥かに強固で、シオンの小さな身体は反動で何度も後ろへ押される。それでも靴底を滑らせながら刃を押し込み続け、黒い外皮の裂け目から白い光が漏れ始めた。

 

「かたい」

 

「そこは冥王の加護により――」

 

「いらない」

 

「はい」

 

 内部まで届いた刃が甲高い音を上げ、ついにコードが途中から千切れる。その先へ繋がっていた複数のOW-IIが一斉に力を失い、白い穂先を海面へ落としていった。

 リンデンの前へ、僅かな空白が生まれる。

 

「ありがとうございます、シオン姉さん」

 

「ん」

 

「冥王への謝辞は?」

 

「久理姉さんも、ありがとうございます」

 

「えへへ、よろしい」

 

 満足げに頷いた久理の背後では、すでに別の白い穂先が持ち上がり始めていた。

 空いたのは、ほんの僅かな時間だった。

 アンサーのチャージはまだ終わっていない。

 それに、たとえこの場で最後まで守り切れたとしても、ファティマへ至るまでの直線上にはOW-IIが密集している。最後の一撃を撃てるだけでは足りない。そこまで届かせる道そのものが必要だった。

 倒すべきなのは一体ずつではない。

 ある方向だけを、まとめて消す。

 

 リンデンはヘイロリウムの刃輪へ視線を落とした。

 通常であれば、回転によって生じた振動は接触点を中心に構造内部へ広がり、斧形態で大きく振り抜けば、その波を周囲へ拡散させることもできる。だが、今必要なのは広さではない。

 距離だった。

 ファティマまで続く、一本だけの距離。

 その考えへ辿り着いたところで、背後から場違いなほど明るい声が飛んできた。

 

「殿下ぁー!」

 

 振り返ると、少し離れた岩場の上にロンドがいた。

 そして、その手にはなぜかビーチバレーボールがある。

 

「……なぜそれを?」

 

「こういう時のためですよぉ♡」

 

「絶対違うよね?」

 

 久理が間髪入れず返す。

 

「久理ちゃん、いきますよー!」

 

「えっ」

 

 ロンドは満面の笑みのまま、腕を大きく振った。

 

「そぉーれっ!」

 

 白いビーチボールが雨の中へ飛ぶ。

 一直線に、久理へ。

 

「ええっ!?」

 

 そこだけ完全に素の声だった。

 久理は咄嗟にガーネットを両手で持ち直し、鎌の刃ではなく長い柄を横へ振るう。乾いた音とともにボールが弾かれ、綺麗な放物線を描いてリンデンの方へ飛んできた。

 

「なんで私に投げたの!?」

 

「繋いだ方が楽しいじゃないですかぁ!」

 

「戦闘中なんだけど!?」

 

 飛来するボールの軌道上へ、OW-IIが一本割り込む。

 リンデンは盾を右へ払い、反力場でその穂先を外側へ押し流した。空いた場所へボールが落ちてくるが、両手はヘイロリウムで塞がっている。

 

「……仕方ありませんね」

 

 足元のコードを踏み切る。

 身体を後ろへ倒し、空中で視界が一度反転する。暗い雲、雨、荒れた海、その中央を落ちてくる白い球体が視界を横切った瞬間、リンデンは脚を大きく振り上げた。

 オーバーヘッド。

 靴の甲が正確にボールを捉える。

 打球は高く上がり、今度はロンドの頭上へ向かっていった。

 

「誰も手で返さないんですねぇ!」

 

 文句を言いながらも、ロンドは楽しそうに笑っている。

 コードをひとつ踏み越え、短く助走を取ると、そのまま高く跳び上がった。何の変哲もなかったビーチバレーボールの表面へ、彼女の能力が触れるより先に淡い光となって流れ込み、球体全体を聖性で包んでいく。

 

「これも立派な――」

 

 掌が叩き込まれた。

 

「聖武器ですよっ♡」

 

 アタック。

 軽いはずの球体が砲弾めいた音を残して飛び、正面から迫っていたOW-IIへ直撃する。接触した瞬間に聖性を帯びた衝撃が爆ぜ、一体だけでなく、その隣、そのさらに奥まで巻き込みながら、複数の白い槍端末をまとめて吹き飛ばしていった。

 空白になった海面へ、ビーチボールだけが遅れて落ちる。

 ぽん、と軽い音を残して波間へ浮かんだ。

 

「……」

 

 久理はしばらく無言でそれを見送っていた。

 

「久理ちゃん?」

 

「……今の、私必要だった?」

 

「もちろんです♡」

 

「ならいいけど……」

 

 再び冥王の口調へ戻るには、ほんの少しだけ時間が必要そうだった。

 リンデンはそのやり取りを横目に見ながら、ロンドの一撃で生まれた空白へ視線を戻す。

 数秒。

 それだけあれば充分だった。

 

「久理姉さん、ロンド姉さん、シオン姉さん」

 

 三人がこちらを見る。

 

「少しだけ、この周囲をお願いします」

 

 久理がガーネットを振り払う。

 

「何かするつもり?」

 

「はい」

 

 リンデンは短く答え、ヘイロリウムを足元へ立てた。

 それだけで、三人とも意図を察したらしい。

 

「りょーかい!」

 

 久理は踵を返し、悪霊を従えながら左側のコード群へ向かう。

 

「こほん! クックック……ならば、ここから先はこの冥王が引き受けよう。深淵より這い出る亡者よ――我が黒き命脈に従い、彼の者へ近づく愚者を尽く冥土へ送り返せ……!」

 

 その声とともに、影の中から悪霊が次々と浮き上がり、左方から迫るOW-IIへ流れていく。

 反対側では、シオンが大型チェーンソーを抱え直した。

 

「こっち、きる」

 

 それだけ告げると、右側へ伸びるコードの束へ向かって走り出す。数歩後にはチェーンソーの駆動音が雨音を押し退け、こちらへ向こうとしていた一本のコードへ激しい火花が咲いた。

 ロンドは最後に残り、リンデンへ片目をつむる。

 

「殿下の邪魔をする悪い子は、メイドがぜーんぶ片付けておきますね♡」

 

「お願いします、ロンド姉さん」

 

「お任せを♪」

 

 そう言って、彼女も別方向へ駆けていった。途中で先ほどのビーチボールを海面から拾い上げ、そのまま片腕へ抱えながら、右奥から回り込もうとしていたOW-IIの群れへ向かっていく。

 三人の背中が、それぞれ別の方向へ遠ざかる。

 リンデンの周囲だけに、ほんの僅かな静けさが残った。

 

 その時間を逃さず、リンデンは腰部の量子格納へ触れる。

 細かな光の粒子が手元へ集まり、その中から一対の金属部材が姿を現した。刃輪へ被せるための異様に厚いカバーで、内側には幾重もの反射構造と霊子導線が刻まれている。

 試作の収束アタッチメント。

 ヘイロリウムの振動を広範囲へ散らすのではなく、一方向へ強制的に押し込むためのものだった。

 

 リンデンは膝をつき、刃輪の回転を一度落とす。

 カバーを噛ませる。

 固定爪が開き、盾上部のリングを包み込むように閉じていく。内側の導線が出力系へ接続されると、重い機械音がひとつ鳴った。

 遠くでは久理の悪霊がコードへ群がり、シオンのチェーンソーが白い外皮を切り裂き、さらに別方向からロンドの明るい声が聞こえてくる。

 その三方向からの戦闘音に守られるようにして、リンデンだけが中央へ残っていた。

 最後の固定部を締める。

 金属が深く噛み合った。

 刃輪を覆うカバーの奥で、低く抑え込まれた振動が生まれる。本来なら周囲へ逃げていくはずの波が、内部の反射構造へ何度も当たりながら、一方向へ向けて少しずつ密度を増していく。

 まだ放てない。

 使用できるのは一発だけ。

 使い所を誤れば終わる。

 

 リンデンはゆっくりと顔を上げた。

 前方には無数のOW-IIがあり、そのさらに奥には、機械肢の中央に拘束されたファティマがいる。

 そして背後では、アンサーのOWが、今までとは比較にならない熱量を蓄え続けていた。

 道はまだない。

 だからこそ、自分が作る。

 リンデンはヘイロリウムを持ち上げた。

 カバーの奥で押し込められた振動が、雨音の下で低く唸り続けていた。

 

 リンデンはヘイロリウムの柄を握り直し、正面へ視線を据える。ファティマまでの直線上には、なお数え切れないほどのOW-IIが浮かび、海面から伸びた太いコードが互いに重なりながら幾重もの壁を作っている。先ほどまで久理たちが押さえていた左右からも、新しい白い穂先が少しずつ数を増やし始めていた。

 背後では、OWの内部で炎熱が限界へ近づいている。

 空気そのものが焼け、降り続ける雨がアンサーへ届く前に蒸気へ変わっていく。視線を向けなくても、そこにどれだけの熱量が蓄積されているのかは分かった。

 

「アンサー姉さん」

 

「……あと少し」

 

 声は短かった。

 それ以上の確認は必要ない。

 リンデンは呼吸をひとつ整え、背部へ意識を送った。

 

「ナンナリス――展開」

 

 背中側で、幾つもの機械音が連なった。

 収納されていた霊子収束ユニットが左右へ開き、細いアームが花弁のように展開する。先端に備えられた収束器が周囲の空間へ向き、戦場に散っていた残留術式、砲撃の余波、崩壊したOW-IIから漏れた霊子、さらには雨に混じって漂う微細な魔力まで、片端から拾い上げ始めた。

 目に見えるほど濃い光ではない。

 けれど、戦場の至るところに残されていた力が、ごく細い流れとなってナンナリスへ集まり、その内部で一度ほどかれ、リンデンが扱える形式へ組み替えられていく。

 

 変換されたエネルギーが、背部からヘイロリウムへ流れ込んだ。

 盾上部の刃輪が、一段高い音を上げる。

 さらに供給する。

 回転数が上がり、アタッチメント内部の反射構造へ押し込まれた振動が、逃げ場を失ったまま何度も折り返す。通常であれば周囲へ拡散して消えていくはずの波が、ひとつの方向だけへ圧縮され、密度を増し続けた。

 刃輪の外縁が、かすかに歪む。

 それでもリンデンは止めない。

 

「……もう少し」

 

 金属が軋んだ。

 アタッチメントの固定爪が震え、継ぎ目から細かな火花が散る。設計上、一度だけなら耐えられる。それは壊れないという意味ではなく、壊れるまでの一度だけ出力を通せるという意味だった。

 正面ではOW-IIがこちらの変化を察知したように、次々と穂先を向ける。

 白い光が膨らむ。

 十を越える砲撃が、ほぼ同時に収束を始めた。

 

「リンデンくん!」

 

 アンサーの声が背後から届く。

 

「そろそろ!」

 

 その言葉を待っていた。

 リンデンはヘイロリウムを両手で支え、足元へ反力場を深く噛ませた。荒れたコードの上へ身体を固定し、砲口のように覆われた刃輪を、ファティマまで続く一点へ向ける。

 

「では――」

 

 ナンナリスから、残っていた変換エネルギーをすべて流し込む。

 

「道を開きます」

 

 放たれた。

 爆音はなかった。

 むしろ、瞬間だけ周囲の音が消えた。

 刃輪の正面から、目にはほとんど映らない振動の奔流が一直線に走る。

 

 最初に触れたOW-IIが、輪郭を失った。

 砕けることも、吹き飛ぶこともない。白い穂先の表面が揺らいだかと思えば、そこから先が薄い靄へ変わり、次の瞬間には霊子の残滓すら残さず消えていく。

 その後ろも、さらに奥も。

 何本ものOW-IIと、それらを支えていた太いコードまでが、一本の線上から順番に掻き消されていった。

 

 振動は止まらない。

 海面に触れた場所では、水そのものが左右へ割れ、白い飛沫が遅れて持ち上がる。そこを横切っていた機械肢も、コードも、兵装も、境界を保つことができず、存在していた形だけを置き去りにするように霧散していった。

 ファティマへ至るまでの一直線。

 戦場の中央に、あまりにも不自然な空白が穿たれる。

 そして、その瞬間。

 

 ――ヘイロリウムが悲鳴を上げた。

 

「……っ」

 

 高く、耳を裂くような金属音。

 アタッチメントの表面へ無数の亀裂が走る。

 固定爪が一本ずつ弾け、半円形のカバーが内側から押し広げられるように割れた。破片が雨の中へ散り、続いて刃輪そのものが一度大きく歪む。

 回転が止まらない。

 止める制御すら追いつかなかった。

 外周の一部が欠け、さらにもう一箇所。最後には軸から嫌な音が鳴り、刃輪が半ばから砕けるように外れた。

 重い破片がコードの上へ落ち、跳ねて海へ沈む。

 ナンナリスも供給を止めた。

 背部アームの発光が薄れ、過負荷を示す警告が視界の端へ幾つも浮かぶ。

 

 リンデンは壊れたヘイロリウムを見下ろした。

 盾としての基本構造は残っている。

 だが、主攻撃機構だった刃輪はもう使えない。

 目の前には、確かに道が開いていた。それでも左右には、まだ《OW-II》が残っている。空白を埋めるように新しいコードが持ち上がり始め、その向こうではファティマの頭上にある小型天使端末が赤い光を速めていた。

 

《思考崩壊シークエンス進行》

 

 冷たい音声が、雨の向こうから響く。

 時間はほとんど残っていない。

 リンデンは壊れたヘイロリウムから片手を離した。

 ほんの僅かに、指先が止まる。

 まだ、手段はあった。

 装備が壊れたのなら。この身体を通して戦う必要がないのなら。

 もっと根本にあるものを使えばいい。

 魔剣リンデン(自分自身)。

 普段は人の形の奥へ閉じ込めている構造へ意識を向けると、深い場所で何かが応じた。周囲の景色とは異なる軸にある、自分という存在の輪郭が僅かに浮かび上がる。

 そこへ手を伸ばしかける。

 

 その時だった。

 肩に、軽い感触が触れた。強く押されたわけではない。ただ、隣へ並んだ誰かの肩が、こちらの肩へ、とん、と一度だけ当たった。

 

「大丈夫だよー」

 

 聞き慣れた、間延びした声だった。

 リンデンが横を見る。

 トロイがいた。

 雨に濡れた薄桃の髪を背へ貼りつかせ、聖槍を肩へ担いでいる。いつもより少しだけ細められた紫の瞳は、リンデンではなく、その先から押し寄せてくるOW-IIを見ていた。

 

「……トロイ姉さん」

 

「んー」

 

 肩を離さないまま、トロイは聖槍を片手でくるりと回した。

 

「リンデンちゃん、いま絶対めんどくさいこと考えたでしょー」

 

「……」

 

「図星で草ー」

 

「まだ何も言っていませんが」

 

「顔でわかるよー。トロイさん、人の顔見るの得意だからねー」

 

 軽い声音だった。

 それでも、リンデンが自分自身の深部へ伸ばしかけていた意識は、その一言で止まった。

 トロイはようやく肩を離す。

 半歩前へ出て、リタを構えた。

 

「大丈夫だってー」

 

 雨水が槍の黒い柄を伝う。

 

「ここに、リンデンちゃん一人しかいないわけじゃないし」

 

 正面からOW-IIが三本迫る。

 トロイはそれを待つ。

 最初の穂先が間合いへ入った瞬間、リタが消えたように見えた。

 

 突き。

 返し。

 もう一度。

 

 短い時間の中へ幾つもの槍撃が折り重なり、最初のOW-IIの軌道が大きく逸れる。そのまま柄を返して二本目の側面を叩き、最後の一体へは穂先を深く滑り込ませた。

 

 リンデンもヘイロリウムを持ち直す。

 刃輪はない。それでも反力場は生きている。トロイの死角へ回ろうとした一本を盾で受け、その軌道を上へ逸らす。空いたところへリタが伸び、白い槍端末を横から貫いた。

 互いに背を預けるというほど密着はしない。

 けれど、どちらかが一歩下がれば、もう一人がその場所へ入る。

 トロイが槍で押し返した敵をリンデンが反力場で外へ流し、リンデンが受け止めた攻撃の隙へリタが滑り込む。長く言葉を交わす必要もなく、自然と二人の間にひとつの防衛線ができあがっていった。

 

「ほらー」

 

 トロイが一本を弾きながら笑う。

 

「なんとかなるでしょー?」

 

「……そうですね」

 

「でしょー。草ー、森ー、勝ち筋ー」

 

「最後だけ自然ではありませんね」

 

「細かいなー」

 

 リンデンの口元が、ごく僅かに緩む。

 正面には、さきほど穿った一本道がまだ残っている。

 その先にはファティマ。

 背後には、炎熱を限界まで蓄えたアンサー。

 リンデンはもう一度、自分の奥にある魔剣へ触れかけていた意識を閉じた。

 

 今は、必要ない。

 壊れたヘイロリウムを前へ構える。

 その隣で、トロイがリタを低く構えた。

 道は作った。あとは、その道を閉じさせなければいい。

 背後から、アンサーの声が届く。

 

「――準備、出来た……!」

 

 リンデンとトロイが、ほとんど同時に視線だけを振り向けた。

 OWの奥で、圧縮されていた熱が完全にひとつへまとまっている。

 リンデンは小さく頷く。

 隣では、トロイがいつものように笑っていた。

 

「じゃー、送り出そっか」

 

 トロイの声とともに、二人はもう一度前を向いた。

 リンデンが穿った一本道は、まだ完全には閉じていない。左右では新たな穂先が海面を割り、失われた空間へ太いコードを伸ばし始めていたが、久理やロンド、シオンが引き受けた戦線も含め、ほんの僅かなあいだだけ中央への圧力が薄れている。

 その短い時間を逃せば、次はない。

 

 リンデンはヘイロリウムを構え直した。刃輪を失った盾は先ほどまでより鈍い輪郭を晒しているものの、内部の反力場発生機構はまだ生きている。正面から伸びたOW-IIを盾面で受け、その穂先を外側へ滑らせると、空いた場所へトロイのリタが入り、連続した槍撃でコードごと進路の外へ追いやった。

 

 道の中央へ、アンサーが踏み込む。

 炎熱霊槍OWと連結されたOW-IIは、もはや通常の兵装とは異なる熱を帯びていた。黒と橙、白と黒。異なる二つの兵器を貫く発光線がひとつの流れへ収束し、内部へ蓄え込まれた熱量のため、彼女の周囲だけ雨が白い蒸気へ変わっている。

 

「アンサーちゃん、今!」

 

 トロイの声に弾かれるように、アンサーは走り出した。

 最初の足場は、リンデンが振動の一射で残した太いコードだった。表面にはまだ熱が残り、雨水が触れるたび細かな湯気を上げている。それでも彼女は速度を落とさず、一本、次の一本へと足を移していった。

 左右から白い穂先が伸びる。

 最初の一本は背後から放たれたリタの突きが軌道を弾き、もう一本はリンデンの反力場に側面を押されて、アンサーの後ろを空しく通り過ぎる。遠くではレーザーが雨幕を裂き、呪術の光や聖性を帯びた衝撃が、追いつこうとするOW-IIをわずかずつ戦列から削っていた。

 

 アンサーは振り返らない。

 背後で誰が何をしているのか、確かめもしなかった。誰かが自分のために道を残し、追撃を食い止めている。その事実だけで充分だった。

 正面にはファティマがいる。白い機械肢に身体を拘束され、頭上の小型天使端末から伸びるコードに意識を侵食されながら、それでもまだ自分の目でこちらを見ている。

 その距離だけを、アンサーは見ていた。

 

 少し先で、コードの足場は尽きている。

 リンデンの一撃によってコード群が消失した場所には、荒れた海面だけが残っていた。向こう側にはファティマへ続く次の足場があるが、その間には普通の跳躍では届かない空白が横たわっている。

 それでもアンサーは速度を緩めなかった。

 最後の一歩を踏み込む。

 その足が空中へ出た瞬間、靴底の下で空気が硬くなった。

 反力場。

 少し離れた後方で、リンデンが残されたヘイロリウムの出力を一点へ絞っている。

 

「――どうぞ、アンサー姉さん」

 

 声は雨と戦闘音に埋もれるほど小さかった。

 けれど、アンサーの足は迷わなかった。

 透明な足場を踏み抜く。

 反力場が返した力が、そのまま身体を前へ弾き出した。

 海面が一気に遠ざかる。

 風が頬を打ち、雨粒が横へ流れる。アンサーは空中で身体を捻り、両腕に抱えた兵装を前へ引き寄せながら、その跳躍の勢いを殺さずにファティマへ向かっていった。

 ここから先に、仲間の手は届かない。

 届かなくていい。

 

 ファティマの姿が、急速に大きくなる。

 頭上の小型天使端末が赤く明滅し、彼女の身体を貫くように走るコードが強い光を放つ。思考を奪われるたびに肩が痙攣し、苦痛に顔を歪めながら、それでもファティマは迫ってくるアンサーから視線を逸らさなかった。

 

「……っ、あ……」

 

 息を詰まらせる。

 それでも。

 

 ――笑った。

 

 苦痛に引き攣りながらも、いつものように。

 そして、拘束された腕を動かせる限界まで持ち上げる。

 アンサーを迎えるように。

 抱きしめるためにでもあるかのように。

 両手を広げた。

 

「鎖凪ちゃん……!」

 

 声は掠れていた。

 けれど、アンサーには届いた。

 空中で兵装を構え直す。

 黒橙(OW)ではなく、その先へ連結された白黒(OW-II)を、真正面へ突き出した。

 

「澪音――ッ!!」

 

 名前を呼ぶ。

 それだけで、充分だった。

 ファティマは笑ったまま、さらに腕を広げる。

 アンサーの跳躍が、最後の距離を消していく。

 OW-IIの内部で、それまで蓄え込まれていた炎熱がひとつに収束した。

 白い発光が膨らむ。

 雨も、海も、雷雲も、一瞬だけ色を失う。

 そして、突き出されたOW-IIの先端から、灼けるような閃光が放たれた。

 光は二人のあいだに残っていた距離を呑み込み、そのまま、両手を広げて待っていたファティマの姿を覆い尽くした。

 

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