二〇三〇年 五月二十八日
林間学習。
二年C組のバスの中。
賑やかな談笑を聞きながら、体育着を纏った士狼は頬杖をし、窓の景色を眺めていた。
「⋯⋯」
喧騒に疲れた心を、豊かな自然は癒やしてくれる。
そうしみじみ思っている中。
「⋯⋯」
そして窓の景色から目を話すと、隣に座っているのは、
何故だかは知らないが、学校から離れて、三十分も経過してもずっと俯いて、落ち込んでいる様子だった。
「どうした? 気持ち悪いなら、これ使って」
前の席の背もたれにあるネットから、茶色い紙袋を取って見せると首を振られた。
「⋯⋯?」
よく分からない人だなと、士狼は不思議そうに見つめていると、
「ただっちどーしたの、ずっとテンション低いじゃん」
その言葉を聞いて木野は、シャッキリと体を起き上がらせた。
「いや、大丈夫! なんともないデス!」
急に元気になったので、良かったと士狼は思う。
もし、車酔いだったら治って良かったなとも思っていると、頭上から、赤い小袋が三個降りてきた。
「みんな、チョコ食べる?」
どうやら、芥川の差し入れらしい。
「前にいるちかりんと、ただっちに渡して」
そう指示されると、まずは隣にいる、木野に渡す。
目を輝かせて、木野は受け取ってくれた。
チョコレート好きなんだなと士狼はぼんやりと思っていると、次に瀧を呼んで芥川からとチョコレートを渡した。
袋を開けると、細長い茶色の板が出現すると、パキリと士狼は折って、その一本を口にする。
モグモグと静かに
「⋯⋯そんなに好きなの?」
木野は「いきなりなんだよ」と、何故か慌てているので、謎が深まっていく一方だ。
「そのチョコレート」
士狼は彼の深堀りではなく、ただ思った事を口にした。
「は? あ、ああ⋯⋯チョコレートの事か」
と木野が冷めた口調で返した後、気まずそうに視線を反らした。
「?」
頭上には疑問符をたくさん浮かべていると、士狼はもう一本のチョコレートを齧る。
そうしているうちに、マイクの甲高い音が鳴り響くと、音楽が流れ始める。
バスにある機能を使った、カラオケ大会が、同級生により開催された。
パーカッションが鳴り響き、エレキギターが滑るように鳴る前奏から始まる歌詞は、別れる恋人達の感情を綴った曲だ。
「⋯⋯なんの曲?」
知らない、生まれる前の曲だろうか。
周りの空気もどよめきに溢れている、それはそうだ。
生まれる前の曲らしきものを、クラスの前で歌う事態なんて困惑する。
一部の同級生は小さな声でブーイングしているのが、聞こえた。
知っている曲の方が盛り上がるもんなと、士狼は、思いつつ、早口の女言葉の歌詞を歌ってるのすごいなと聞いていた。
オカルト部の部長と、近衛由成の手合いと付き合いの成果だろうか、こういう外れた行為をする人間に対して、余裕ができている。
「あーこの曲、ファーストテイクで聞いたことある!」
だんだんとラテン系の曲に展開していく曲調は、音楽をほとんど聞かない士狼にとって新鮮だった。
「なあ、瀧と、芥川と、伊福部と、木野」
士狼はこの曲の歌詞に疑問に思ったので、詳しそうな班員に訊く。
「なんで、”別れたのに恋心”を取っておくんだ?」
周囲の反応を見てみる。
木野は絶句、前の席にいる瀧も絶句、続いて後ろにいる芥川は苦笑い、伊福部は呆れた表情。
「? 別れたらそこで終わりだろう」
士狼の率直な感想であった。
別れたら二度ないという、価値観から生み出された結果。
恋人が別れを語る曲が、どうもしっくり来なかったのだ。
みんなの反応に困惑していると、瀧が咳き込む。
「多分、別れた恋人に未練を持つ女性の歌詞っぽいぞ⋯⋯」
未練の単語で答えは晴れた。
「ああ、そうか。俺、別れに未練ないからな」
今まで卒業式は転校先で迎える山田士狼は、瀧の解説でようやく理解した。
なるほど別れによる喉のつっかえを歌った曲と、理解できた。
「この曲さ、よしりーは共感しそう」
芥川はふと仲が良い幼馴染の名前を出した途端、木野の表情は見開いていた。
「なあ!? よしりーって女なのか! 女なのか!」
木野は動揺して士狼の胸倉を掴んで、揺さぶってくる。
その顔は絶望であった。
左分けした茶髪頭を揺らされながら、士狼は淡々と答えた。
「近衛は男だけど」
その言葉に、揺さぶりが止まった。
様子を見ると、木野は瀧の攻撃を食らったかのように氷結していた。
そして、腕は胸倉を離され垂れ下がる。
その姿は、雷撃を食らったかのようでもあった。
「男だと都合が悪いのか?」
そんな様子なんてお構いなしに、士狼は容赦なく切り込んでいく。
二人の光景に気づいた芥川は、思わず口にした。
「げ! もしかして──」
その台詞に木野は錆びたブランコのような音を立てて、芥川の席の方へ向いている。
何故だろう、世界の滅亡を目にしている表情にも見える、と士狼は不思議そうに見ている。
「よしりーと付き合ってると思った? 違うって、ただの腐れ縁! そんなんじゃないから」
カラッと笑う芥川に対して、木野の表情は歓喜に満ちていく。
よく分からない人だと、山田士狼の脳処理は追いつかず、目を丸めて小さく口を開いてフリーズした。
※
二年B組のバスの中。
わいわいと賑やかそうに仲間を前後にする
由成が噂をされると出るくしゃみをすると、隣になったコルサコフはビクと体を跳ね上がる。
(あー、マジでカミサマ、なんで、コイツと隣になっちまったんだ)
頭痛が来たような表情で、己の運命を呪う由成。
「だ、大丈夫?」
そんな顔を見たのか、コルサコフが声をかけてきた。
「お、よーやく、話しかけて来た」
苦い顔から一変、ニヒッと歯を見せて生意気そうに笑うと、なぜかコルサコフは動揺している。
いや、緊張しているのだろうか。
表情のパターンが今のところ怯えしかない、この文学少年風の同級生の感情が読みにくいので、会話が進めにくい。
「ちょっと、悩み事な。いけね、いけね、オレの人生は順風満帆が売りなのに♡」
コツンと頭を叩いて、舌を出しておどけた表情を作るが、コルサコフの瞳は反らされ、無言で俯いた。
(そこはツッコめよ!)
おお、ここで叫んだらビビられて、今日の会話が即終了だぞ。
心で留めたのはえらいオレ!
と自分の行動に自画自賛すると、なんとか話を続けようと頭を回転させる。
「なあ、コルサコフ。ロシアのねーちゃんは美人って聞くけどさ、お前の母ちゃんも綺麗なの?」
由成はせっかくの外国人なだから、家族の話は日本と違うんだろうなと閃いて、会話を投げた。
「⋯⋯僕の母さんは、日本人だよ」
伏せ目がちに話すコルサコフに、由成は内心叫んだ。
(読み外れた────っ!! 父ちゃんの方かよ!!)
内心の由成の表情は、目を閉じて悶え苦しんでいる。
いきなり得意分野が塞がれてしまったが、人の輪にすんなり入れる男、近衛由成はめげない。
「そうなんだ、お前の父ちゃんと母ちゃんって、どうやって知り合ったの? ロシアと日本だぜ! 遠距離恋愛だろ! なんかすげえよな!」
ここで、コルサコフ夫妻の出会いのきっかけの話題に、持ち込む由成。
明るく振る舞い、話を動かそうとすると、コルサコフは長く沈黙をした後、静々とした声色で語り始める。
「別にすごくないよ。ロシアの前の名前が無くなった時に、父さんが逃げてきて、母さんと知り合ったんだ」
ポツポツとした語りを終える。
コルサコフの彫りが深く、耽美的な顔立ちが、その語りを寒々と引き締めてくる。
(お、重めえ⋯⋯その顔で重い話すんな! 余計に重く感じるわ!)
これが陰の美という圧力というものなのであろうか──
明るくおどけて接するタイプの由成は、その陰に気圧されていく。
(ま、ま、ま、まずいぞ、オレ。コイツと話せたのはいいけど、なんか吸い込まれる! 吸い込まれる!)
かつて、クラスで外れたオタクタイプの同級生と話した事がある。
似た態度ではあるが、オタクと比べて、コルサコフの陰は、明らかに質が違う。
(つか、本当に同い年?)
コルサコフの年相応ではない凄みのあるオーラに当てられた、由成。
自分のペースに持っていけないと、危機感を感じた。
そして、会話を広げるにも広げられない。
これ以上触れていいのかどうなのか、分からない話題。
更には故郷が危なくなり、日本に来た父親を持つ人間なんて、流石の由成のデータには無かった。
(次、どうすりゃあいいんだ!?)
由成が泣きそうになって困っていると、班の中では一番の能天気な
「へー、って事は、お前の父さんロシアじゃないってこと?」
桜木の発言に、二人の空気が凍りついた。
由成は怖がらせないようコルサコフに気を遣って、湧いてきた感情を内に留めようとした。
だが由成の良心は、それを許さなかった。
あまりにも無配慮な発言に、カチンときて由成は立ち上がりつい言葉に出してまった。
「お前バカじゃねえの! 今はロシアになってるから、コイツの父ちゃんは、ロシア人だろうが!」
普段は、声を荒げて怒らない由成の声で桜木は黙り込んでしまう。
バスは一斉に沈黙をし、視線がこちらに集中砲火する。
(やば⋯⋯)
さーっと血の気が引いていく由成は、ギギギと古びた機械のように気まずくコルサコフを見下ろした。
「⋯⋯」
コルサコフは、困ったような表情を浮かべていた。
彼は、どう反応していいのか分からない様子であった。
(どうしてくれんだ桜木!! 後で、一発入れさせろ!)
気まずくなってしまったじゃないかと、由成は怒ると。
バスは瞬く間にコルサコフの話題になる。
「うちのクラスに外国人がいたの」とボソボソと話す声を聞くと、ガイド席に座っていた、担任
「近衛の言い分も違うが、”バカじゃないのか”は先生も同意だ」
と、小山内は場を見てから、静かに語り始める。
「コルサコフ・
桜木を
「ロシアとウクライナとベラルーシとザカフカースからなる、連邦国家なんだよ」
楽しい林間学習は、世界史の授業に早変わりする。
「コルサコフ君のお父さんは、ソ連の中にあるロシアという国に生まれたから、ロシア人だよ」
小山内は桜木の頭にプリントを軽く乗せた。
「そういうのはね、思っても言っちゃダメだからね、傷つく人もいるから」
小山内の言葉で授業は締めくくられ、バスの空気は元に戻された。
由成達の班以外は──
由成が殺気立って、ピリピリとしている雰囲気を醸しているせいか、桜木、井上、川島はすっかり借りてきた猫状態だった。
そんな状態が続く中バスが到着して、駐車場に降り立った時、怒りが収まらない由成の跳び蹴りが、桜木の背中にクリーンヒットした。
※
キャンプ場。
二年C組。
森林浴を楽しんだ一行は、炊飯できる場所へと、案内される。
担任の真島辰彦が、事前に保管していた各班の材料を渡し終えると、こう宣言した。
「えー、学校で言った通り、作るのはバーベキューです」
真島は進行する。
「飯炊きや火起こしは必要だが、串を刺したり網に乗せるだけなので⋯⋯失敗は、ほぼないと思います」
真島の手を叩き、生徒達は一斉に取り掛かかった。
士狼達の班。
「⋯⋯おお?」
士狼は置かれた食材を見下ろしていた。
バーベキューの材料は牛肉、豚肉、手羽先、ソーセージ、ピーマン、玉ねぎ、とうもろこし、ミニトマト、アスパラガス。
近衛が言っていた、芥川幸恵はセンスが変わっているから期待しない方がいいと、言われたが、材料は普通だった。
「⋯⋯本当は、パイナップルも欲しかったんだけど、
もじもじしながら幸恵は明かすと、班内の空気がどよめいた。
(パイナップル。パイナップルって、バーベキューに入れるのか?)
焼きリンゴは知っているが、焼きパイナップルは知らないと士狼はあるのかなと、興味がわいた。
「パイナップルか⋯⋯発想が斬新だな」
瀧は眼鏡を上げて、発想だけは褒めている。
「けど、ピザとか酢豚に入れるよなパイナップル」
木野は、なぜかほわほわと浮かれ気分で話している。
確かに入ってると士狼は無言で頷く。
「俺は妹が好きだからそっちにするが、基本的にナシだな」
伊福部は派閥の表明をする。
士狼もそっちの派閥だなと思っていると、芥川は伊福部を興味深そうに見つめていた。
「へえーふくっち、妹いたんだねえ」
芥川に要という双子の妹がいるのか、シンパシーを感じていそうな態度で、伊福部に近寄る。
「まあな」
伊福部は軽くいなすと、木野はなぜか恨めしそうな表情を作り、忙しいヤツだなと士狼は傍から思っていた。
「じゃあ早速、この中で下ごしらえができる人は挙手をして欲しい」
瀧が仕切り始めると、腕を組んで立つ伊福部の手が、小さく掲げられる。
「俺ならいける」
伊福部はずんずんと歩きながら、調理場に立つ。
ただならぬオーラを放ち、周囲を圧倒しているのがわかる。
「俺が切ってる間、メシを炊かないといけないな。誰か、
腕まくりをし、まな板にまずは野菜を置くと、慣れた手つきで包丁を持つと伊福部は、こちらを向いてきて聞いてきた。
「やった事がない」
まずは士狼。
母親が専業主婦なので、基本的に料理は任せっきりである。
「僕も炊飯器で炊かないのは、初めてだよ」
瀧もできないと宣言する。
「俺が料理できる風に、見えっか?」
木野は慌てて、自分を指差して否定。
「じゃあ、お前は?」
伊福部の三白眼が芥川を捉えている。
「ア、アタシ? 無理!」
白ギャル風の風貌だが、家は金持ちだもんなコイツと士狼はお手伝いの早苗さんの顔が浮かび、納得した。
「⋯⋯分かった。瀧、お前が野菜切れ、できなきゃ教えてやるから」
伊福部は瀧に向けて指示をする。
「次に山田。お前は火周り、万が一を考えると、肝が据わっているお前が適任だな」
伊福部の指示なんて、バイト以来だなと士狼はのんびりと構えているが、山田士狼は気づいていない。
火周りこそ最も重要で、最も危険な任務という事に。
「俺は米を炊くから、木野と芥川は瀧の手伝いなんだが⋯⋯」
と伊福部の片方だけ長い前髪から覗く、鋭い目つきで芥川の手先を見ている。
「え、何? ネイル気になる?」
芥川はきょとんとすると、伊福部が答えた。
「⋯⋯ビーズ? が剥がれたらまずいな。真島にうまいこと言って、手袋を持ってきてやる」
よく見ると芥川の長い爪先には、飾り付けされたネイルアートが施されていた。
いつものだとシンプルなデザインのものだった気がするなと、士狼はぼんやりと思い出していた。
そそくさに立ち去った伊福部の感想を聞いた、落胆とした表情で芥川は叫んだ。
「ビーズじゃないんだけどー!」
その声は炊事場にこだましていた。
瀧と伊福部の的確な指示で、特にトラブルなく進んでいくバーベキュー。
やり取りしていくうちに、芥川が、伊福部に懐いていく
流石にバスからずっとこれなので、士狼はようやく気づき始める。
(⋯⋯芥川に、なんかあるのかアイツ)
よく分からない男だと思いつつ、竹筒を吹いて火の調節をする。
「バイト中勘づいてはいたが想像した以上に、忍耐がいる作業が得意だな」
伊福部が飯盒の様子を見に来た。
パチパチと燃え、泡を吹いている飯盒を眺めていると、士狼は淡々と答えた。
「教えてもらえば、このぐらいは誰だってできる」
伊福部は軍手で飯盒を取ると、伊福部はしかっめ面のまま言ってくる。
「誰だって⋯⋯お前な、せっかち野郎や腹減り野郎なら、焦って早く取りがちなんだぞ、こういうのは」
ため息をつかれて、呆れた表情をされた。
「そんなもんなの?」
火の番が終わると、次は側にある網をコンロに置いて、不思議そうな表情を士狼は向けた。
「そんなもん⋯⋯だから、お前は、ブレないんだろうな他人に興味が無いから」
ボサボサ頭を掻きながら、伊福部は静かに呟く。
「バレーだと、オポジットかアウトサイド向きだな」
士狼は立ち上がって伊福部の話を黙って聞いてた。
「つまり、安定した攻撃ができそうだという意味だ」
伊福部が飯盒を運ぶ背中を眺めながら、バレーといえば伊福部が言った言葉を思い出す。
”中学はバレーボールをやってた。ポジションはミドルブロッカー”
「⋯⋯なあ伊福部」
この言い回しに、何か引っかかった士狼は伊福部に訊く。
「なんだ」
伊福部は振り返って見下ろしてくると、士狼はじっと伊福部の姿を捉えた。
「今もバレーやってるのか?」
中間テストの二日目。
”用事があるから無理だ”
と返したのは、伊福部の声だったよなと士狼は、答え合わせを仕掛けてくる。
用事とはバレー部の事だと、思いたい。
「⋯⋯それは」
目を反らして伊福部は歩みを止めると、士狼も釣られて足を止めた。
張り詰めた空気になると、伊福部は眉を寄せて、こちらを向いてきた。
「今の話と──」
低く圧をかけるような声が、士狼に息を詰まらせ、支配していく。
「関係あるのか?」
伊福部はしかめて睨むような表情を見せると、士狼を襲いかからんとしている雰囲気になった。
これが初対面だったら、士狼は恐怖に屈していただろう。
だが、今はすっかりと慣れてしまったので、今なら踏み込める。
「いや、ただ気になっただけだよ」
士狼は伊福部に率直に返すと、伊福部は前を向いてこう返された。
「そうか」
その一言はぶっきらぼうだが、どこか消え失せそうな声色だった。