・この話は、暴行とグロ描写が含まれます。
・この話は、ペットがものすごく酷い目に遭います。
以上を含めてご覧ください。
黄昏の校舎──音楽室
夕焼けに染まっている廊下。
いつも通りの静けさだと士狼は思っていたら、スピーカーからノイズ混ざった音が流れて、黒いヒビが入っていた。
「どうなってるんだこれ……」
瀧は呟きうろたえていると、ダイアナの呼びかける声が廊下に響いた。
「これは、誰かの力が侵食していますね……」
士狼は振り向くと青い木製の扉の隣には、本を持つ銀髪金眼の豪奢な女性が立っていた。
「どうしたの? 山田君? 何も見えないよ」
ダイアナの背後には、上半身だけの女王が茨に縛られて糸車の車輪で眠っているモノが浮遊していた。
あれがダイアナのペルソナ『オーロラ』なのだろうか。
ダイアナの隣に、古めかしい格好をした妖精が現れて、杖を振るう。
「脳内で話して、頂いても大丈夫ですよ」
ダイアナは微笑んでこちらを見てくる。
(誰かの力って、
士狼は緊迫した表情で辺りを見渡す。
ピキピキとひび割れは広がり、廊下を蝕んでいく。
まるで、テレビで見た流氷船の行進みたいだ。
「ええ、本来のシャドウの意味は、自己を否定し無意識に捨てら……失礼致しました」
ダイアナはまた士狼に叱られると思ったのか、一呼吸を入れて話を仕切り直す。
「恐らく彼はシャドウに近い存在、人や世界に否定され、捨てられた人物と、お見受けします」
ダイアナは緊急事態にも関わらず、ゆったりとした、口調で喋っている。
(つまり元からシャドウみたいなやつが、シャドウを作ったら、とんでもない事になった)
士狼なりの回答を聞いたダイアナは、本を浮かして拍手をしてきた。
「正解です。非常に強大な力を、目覚めさせてしまった」
紫のアイシャドウを塗った金眼を光らせて、士狼を見る。
「……力を与えた者は、一体何を考えたのやら、同職として、実に興味深いですね」
ダイアナは黒い線が入った窓を見て呟く。
そういえば、契約とか言って自分に与えて、色々と世話になったなと士狼はしみじみと思う。
ザ……ザ……ザ……
不快なノイズ音が廊下を響かせ、三人を不穏な気持ちにさせる。
(そういえば、珍しいな。外に出れたんだなアンタ)
「ええ。緊急事態というのもあり、この様な形で助言しに参ったのです」
ダイアナが優美にいい終えると、スピーカーから加工されたような声だけが聞こえた。
「……ぼくたちは……踏みにじられるんだ……」
三人は一斉にスピーカーを見上げた。
士狼も
「この声……コルサコフか!」
士狼は林間学習で体育座りしていた、黒髪碧眼の少年を思い出す。
「外国人の生徒か! 彼の不安は想像したくない……!!」
声の主の名前を聞いた瀧は顔をしかめ、歯を食いしばり、スピーカーを眺めていた。
「……踏みにじられるって……一体、どんな不安なの……」
三善は眉を八字に下げて、空いた口を両手で隠して悪寒が走ったような表情を見せてきた。
「ばか……やろう……なんで、アイツがこっちに──」
近衛が気だるそうに毒を吐くと、重そうに顔を見上げている。
「ちょっとこれ……どういう事なの……」
音楽室の扉が開かれて
※
「事情は分かった。いずれこうなる事は、予感していたけれども……とんでもない事になったわね」
近衛を安全な場所に運ぶついでで、音楽室に入る。
ここもひび割れており、今にも、崩れ落ちそうな状況になっていた。
「なんだか僕達と
瀧は非常に深刻そうな表情で語り、吉田を見る。
「それだけ、心の力が強いって事かな……あの劇場は心の世界なんでしょ? コルサコフ君、きっと、私よりもつらい思いをして……」
三善は悲しそうに視線を落として語る。
「三善はまだ……
並べられていた椅子で寝かされている近衛は途切れ途切れに、三善明美とコルサコフ・和也の違いについて語る。
「……」
士狼はコルサコフの深い沼に引きずり込まれそうな顔を思い出し、思い詰めた表情を作る。
「にしてもさ……」
近衛がごろんと吉田を見てくると、嬉しそうな表情を見せた。
「アンナさんって……ミステリアス美人だな……写真……撮って……来て欲しかった……」
緊急事態下で、心身共に疲弊していても、近衛由成は近衛由成だった。
「えっと?」
吉田は困惑した表情を見せると、瀧は呆れかえった表情である。
「吉田さんを困らせない。すまない、近衛くんはいつもこうだから」
瀧はペコリと頭を下げると吉田は両手を突き上げて、「気にしないで」と返した。
「……すごいな、お前」
士狼は近衛の顔を見て、こんな状況下でも、軽薄にふるまえるなんてと、率直な感想を述べた。
「それ……褒めてる?」
近衛がツッコんだところで、吉田は話を続けた。
「これじゃあ、私の未練を晴らすどころか、あの子に取り込まれてしまうわね」
パリンと後ろの床が割き初め、ガラガラと机と椅子が落ちていくのではないか。
「これはマズイ。今すぐいかないと!」
三人はすぐさま立ち上がり、扉を目指して走り出さんとする。
「吉田さん、近衛くんを任せた!」
そう瀧は別れを告げる。
「おい……待った」
振り返ると仰向けになり、片腕を震わせながら、士狼達を制止する近衛がいた。
「オレも……連れて……行け、このメンツだと、オレしか……アイツを……止められない……」
その言葉を聞いた瀧は、眉を寄せて近衛に言い放った。
「一理はあるけど、君は体を休め!!」
凛とした怒声が響き渡る。
「俺も瀧と同じだ、無理だろそんな体じゃ……」
士狼は腕を組んで瀧に同調する。
「私も反対。無茶はダメだよ近衛君」
三善も同じ意見らしい。
みなが反対を唱えている中、近衛はにやりと笑みを浮かべて返してきた。
「ペルソナの力で……できない? そーいうの」
その言葉に三人は激震が走る。
「……盲点だったな。確かに回復できるな……」
士狼は呟くように返すと、三善が感心した表情で言ってきた。
「近衛君って、実は頭いいの?」
近衛は照れ臭そうにこう返してきた。
「一応……幸恵と……タメ張れるんで……中間テスト……総合五位だったし……」
その言葉に、またもや驚く三人。
「そういえば。勉強会、居眠りした分だけノート写して欲しいって、言ってたよな、お前……」
士狼は勉強会のやり取りを思い出す。
ノートを写して欲しいと頼んだのは、穏やかで優しい
姉の
それを考えて頼んでいたのかと、士狼は人付き合いのプロなのではと、近衛が輝いて見える。
「大分前、呑み込みが早いとは言ったけど……予想外だな……」
瀧のあちらとこちらの時間のズレの説明を、近衛は”こっちとあっちの時間の進み方が違うって事ね”と、理解してた事を、思い出す。
「落書きばかりじゃなかったのね」
三善は近衛のノートの事を言ってるのであろう。
落書きさえ無ければ、分かりやすく書いていたなあのノートと、士狼は思い出す。
「……オレ……よほど、見てくれなかったのかよ……」
夕焼けに染まっている筈なのに、近衛は落胆色に染まっていた。
※
三年前。
「なんで、おまえだけ許されているんだよ」
左目に一発。
「俺達はカラコンできねえのに、なんでおまえはいいんだよ!」
腹に一発。
「そうよ! なんであーしらが注意されなきゃならないんだよ!」
シャッター音が一つ。
「……仕方がないじゃないか……僕だって……嫌だよ……こんな色なんて!!」
顔を上げて抵抗しようとするけど、頭に足が乗っかって地面を擦り付けられる。
「聞こえねえな?」
髪は乱暴に掴まれて、茶がかった黒い目が、痣だらけの僕を映しだす。
「オマケに陰キャの癖に、女にモテる顔しやがってよ。あーますます、ムカつく!」
甲高い
「そんなに嫌だったらよう、いっその事、見えなくすりゃあ、いいんだよ」
足も潰されて逃げ切れない、僕はミミズのように、這いつくばるしかなかった。
ギリリ。
不穏な音がしたから、僕は痛みを震わせて見上げると、銀色に光る細長いモノを手に持っていた。
「嫌だ! やめてくれ!」
僕は追い詰められ、黒い影が迫るのを見るしか無かった。
「知ってるか? コルサコフくん。世界ではやめては「はい」って意味なんだぜ、外国人ならそういう事だよな!」
切られる恐怖で何も言えず僕は過呼吸になり、黒い影は僕を襲うとした──
「こら! お前ら何してんだ!」
自転車のブレーキの音と、僕を助ける、男の人の声が聞こえた。
天の救いに僕は涙を流しながら、動揺する二人を見た。
「な、なんでもねえよバーカ!」
二人はその場から去ると、腕に赤い傷がついた男の人が、僕を見下ろす。
「まさか、ニンゲンを保護するなんてなあ……とりあえずうちで診てやる」
男の人は気だるそうな声で、僕に手を差し伸べたんだ。
※
「ここは……」
辺り一面が暗い。
力強く弾いていた、ピアノの曲が嘘のように止んで、静かな世界が広がっていた。
「そうか僕は……死んだのか……」
これが死後の世界なのかと、コルサコフは一面に広がる闇を見ていた。
「はは……僕は、もう何も怯えなくていいんだね……」
嬉しいはずなのに口元はひどく歪んで、狂気を孕む笑みを浮かべていた。
「もうつらい思いを、しなくていいんだね」
コルサコフの青い目は生気を失い見開いていた。
「もう……もう……」
大粒の涙がポロポロと溢れだしてきた。
「……なんで、僕は……」
いじめを本気で終わらせてくれた父さんと母さん、あの時、手を伸ばしてくれた早瀬おじさん、そして由成くんの顔が浮かんだ。
そうか、死んだら会えなくなるんだった。
ルナが、それを教えてくれたじゃないか。
力が抜けたように膝をついて、また辛い過去を思い出す。
ルナは獣医の
早瀬によると「ブサイクはいらないだからだよ」と答え、悪質な飼い主かブリーダーに障害がある。
もしくは見た目で捨てられたんじゃないかと、言ってきた。
見た目で暴行傷害未遂に遭ってきたコルサコフからしたら、運命共同体の出会いであった。
それを聞いたコルサコフは、こう名前を付けた。
ルナ──ラテン語で月を意味する言葉。
月は欠けても、誰でも嫌われない。
ルナもそうであって欲しいと、願掛けのような名付けに早瀬は「詩人の素質があるな」と頭をわしゃわしゃに、撫でられた。
コルサコフの自宅は、ペット禁止のマンションなので里親が現れるまでの間、一生懸命に世話をした。
どんなにいじめられてもルナがいれば、怖くないし辛くも無かった、僕達は仲間だ。
僕達は──
「……っ!」
この記憶に触れる時目眩がして、胃液がせり上がってくる。
身なりがお金持ちだと分かる女の人がやってきて、早瀬は名刺を貰い彼女にいくつもの質問しながら、ルナを譲渡した。
名前を教えても、その態度は冷たかった。
今思えば、あそこで早瀬に伝えておけばよかったと、コルサコフの精神は自責に首を締められる。
まさか障害を持つ猫を引き受ける人間が、いじめてきた連中と同じ目をするわけないと思ったからだ。
そんな筈はない、きっと自分の方だと思った。
「……」
何も聞こえない、暗闇の中コルサコフはえづき、果てしない黒を眺めた。
「……幽霊になったら、どうしよう……」
ふとコルサコフが気づいた、死後も生前の事を焦がれ苦しんでいるという事は、それは成仏と言えないのではないかと。
その声色は抑揚なく、感情が無くなっていた。
「……いっそのこと、幽霊になって、祟るのも悪くはないな……」
恐怖と悲痛から解放された今、残されたのは怨嗟であった。
募金詐欺と飼育放棄で捕まった、彼女を恨み殺す怨霊になっても構わない。
まだ刑務所にいるので、不審死で片付けられる筈だ。
「あの家にいた、他の子達も……僕達と一緒に、踏みにじられたんだろうね……」
早瀬の通報で、善良な保護団体に助けられたルナは、痩せこけて爪も伸び放題、ダニやシラミに、食われた肉塊にされた。
あの家にいた犬猫達も、同じ目にあったのだろう──
「ころしてやる」
感情を失った声色で呟くと、虚ろな青い目はドス黒い感情に染まっていた。