Chapter10『I must improve the fated ones through my own art.』 ActⅠ
「ようこそベルベットルームへ」
仄暗い青いボックス席にダイアナが佇んでいる。
「モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』は、好色な自分を貫き地獄に堕ちた」
ハートを背に二人の女性がピアニストを挟んだ青いタロットが、くるくると本の上に落ちては消える。
「マイヤベーアの『ロベール』は、地獄へ連れて行こうとする悪魔の父親に苦悩し、母親の遺言で悩んだ結果、期限が過ぎて地獄へは堕ちなかった」
続けて、ランプを置いた物書き机と窓には星が輝くタロットが、くるくると本の上に落ちては消える。
「おめでとうございます。『恋愛』と『隠者』のアルカナを手に入れましたね」
ぱたりとダイアナは本を閉じるとこちらを見て、微笑んでいる。
「内に籠もっていたあなた様は、自分の過去を語り、闇に生きる少年の心を照らしましたな」
鼻の長い老人、イゴールは表情を変えずに
「……近衛は?」
「コノエ様ですね。彼は、真っ先にシャドウの言葉よりも、あなた様方を信じた、ただそれだけの人でしたね」
ダイアナは金目を伏せて微笑むと、続いてイゴールは興味深そうにこちらを見ている。
「未来への不安である、シャドウすらも振り回す人柄、なかなか興味深いですな」
「所謂、オオモノというものですね」
二人のやり取りに士狼は不可解に思っていると、ダイアナは真珠のイヤリングを光らせた。
「お客様、ああいう人物は甘く見てはいけませんよ」
口紅が塗られた口元に人差し指を当てると、ミステリアスに語るダイアナを、固唾を呑んで見つめる士狼。
「一難去って、また一難。また次なる試練が待ち受けておられます、日々を大切にお過ごしくださいませ」
ダイアナが軽く会釈すると、イゴールは告げる。
「それではごきげんよう」
※
二〇三〇年 六月三日──
昼休み 体育館裏。
「ニセアンナ対策部に、コルサコフ
制服は衣替えされて、オレンジの二本線の上に盾のような校章が入った、白いボタンダウンシャツ半袖を、規則正しく着こなしている
その後ろには似た着こなしをしている、コルサコフがいた。
「……どうも、コルサコフ・和也です……由成くんに誘われて来ました。
おどおどとコルサコフは自己紹介を始める。
「力になれるかどうかよく分からないけど……よろしく……」
だが、俯きながら話すコルサコフの距離は遠い。
「距離遠いー!」
そう不満気に訴える
「……ごめん。まだ人には慣れ……」
するとポップなデザインの弁当を持って、幸恵はコルサコフに近寄っていく。
が、コルサコフは怯えた態度で、すすすと離れていく。
「ねえ、一緒に食べようよー、ルサルサー」
出た、芥川幸恵によるあだ名の命名式が。
体を寄せて、遠ざかったコルサコフにもう一度アタックをしかけている。
「……ルサルサ?」
流石のコルサコフも、この洗礼に思わず幸恵を見ては、露出度が高い服装だからなのか、コルサコフは顔を赤らめて幸恵から視線を反らしていた。
「ゆきねえのあだ名の付け方ちょっと変わってるから、ほとんどの人、そういう反応をするよね」
幸恵の双子の妹
「はあ……でも、悪くは……ないかも……」
「悪い幸恵、コイツはちょっと人と一緒にいるの苦手でさ、しばらくガマンしてくれ」
彼の夏服はニットを脱いで裾を出し、長袖シャツを捲ったスタイルであり、幸恵の冬服と同じ着こなし方だった。
全部ボタンが外されているので、派手な丸首シャツの全貌が分かる着こなし方だった。
「そーなんだ。ごめんね、急に距離詰めちゃって」
幸恵の艷やかなリップは丸の字を作ると、コルサコフは頷いて震えていた。
「よろしくね和也君、私は芥川要。お人形さんみたいで、綺麗だね」
規定通り夏服を着こなす、要は品よく花を飛ばして笑っていると、コルサコフは要のふんわりとした空気に当てられて、しどろもどろになって小声で俯いて挨拶を返していた。
「んー、どういう服が似合うんだろう」
目を輝かせて興味津々にコルサコフを見つめる要。
「ひっ!」
コルサコフがびくんと小さく悲鳴を上げると、すすすと体を避けている。
「……ごめんね。要はドールが趣味で……」
と幸恵は再びコルサコフを見る。
(……芥川サンドウィッチだ)
士狼は双子姉妹に挟まれているコルサコフの事を、そう静かに眺めていた。
「確かに美のオーラがすごい、すっぴんでそれなら、うらやましい」
幸恵は口を尖らせて喋っていると、丸いペンダントのようなヘアゴムで黒髪を高く結い、要と似た夏服の着こなした
「笑ったら、どんな顔なんだろうね」
そう言えば一回も笑った顔見たことがないなと、士狼は思った。
女子三人組に詰められて、対処にあたふたしているコルサコフを見かねたのか、肩をすくめて困ったような表情を近衛は作る。
「また囲まれてらあ」
そう呟くと、近衛はしたり顔で茶化した。
「コルサコフをあんまり詰めんな女子ィ? 逃げられちゃうぞー!!」
その言葉に女子三人組とコルサコフは我に返ると、次々と視線が輪の中央に戻っていく。
「……んー、よしりーさあ」
幸恵の肌色に馴染ませた、アイシャドウと涙袋風メイクを塗ったパッチリとしたツリ目が、近衛を見て訊ねてきた。
「なに?」
近衛は不思議そうな表情で、ストローから口を離す。
「よしりーは、ルサルサみたいなタイプは、ちゃん付けする筈じゃん。しないの?」
幸恵は珍しそうに近衛を見ていた。
「えっ、そうなのか?」
士狼も地味に気になる質問であった。
すると近衛はたちまち顔を青ざめて、今度はそっちが体を震わせて、飲み物パックを強く握りしめてストローから液体が零れ出た。
「い、いやあ。ちゃん付けできないッスわあ……あの顔を見せられるっと……」
コルサコフと初対面の幸恵は当然答えが出なかったが、山田士狼は交流記録から、あの表情と思しきものを検索する。
繊細故にコルサコフの廊下の異質さに恐怖し、自分の背後に隠れた彼が恐れる表情。
しばし記憶を探ると、当たりを見つけた。
「あれだろ。コルサコフとシャドウの暗いやり取りに、魔王だって怖がった時の顔」
距離を取りびくびくと大人しく縮こまって、サンドウィッチを一口ずつ齧っているコルサコフがああいう表情するんだなと、士狼は思い返した。
「お前が知ってるのは、それだもんな……」
土日に何があったのかとすっかり怯えている近衛を見て、士狼は首を傾げると、幸恵がむっと顔をしかめていた。
「アンタ、またあの癖やったの!? これで二回目じゃん!!」
幸恵が言っているのは、近衛由成という男は無自覚に人の隠したい、隠している「何か」を明らかにさせ、人々の心をかき乱す才覚の事であり、士狼も大変お世話になった由成の特質の事である。
「それじゃない! オレああいう、ジメッとした空気が無理で……言っちまった……」
幸恵が大きな口を開けて愕然とすると、額に手を当てて俯くと眉を寄せる。
「アンタさあ……ルサルサ、よく由成と付き合ってんね、嫌ならちゃんと言いなよ、でないと、コイツ分かんないままだから」
幼馴染みのアドバイスにコルサコフは手を止めると、目を伏せて考えている素振りを見せた。
「……もう……言っているから」
その言葉に芥川姉妹は、目を丸めて驚愕していた。
「へえ、やるじゃん」
幸恵は感心したような態度を取る。
「ねえ、何を言われたの由成君?」
要は近衛を見て、きょとんとした態度を取る。
「あー、うーん……えっと……」
珍しいあの近衛が口籠って、言うかどうか迷っているだとと、士狼は目を見開き近衛をじっと見つめた。
「オレがさっきジメッとしたのが無理って言ったら、悩みを雑に扱うなって言われてよー」
幸恵は絶句し、要は苦々しい表情で擁護はなし。
「夢見堂で見た顔よりは怖くは無かったけど、その……怖かったデス……」
するとコルサコフは顔をあげて、近衛の顔をようやく見た。
「土曜日の事? そ、そんなに怖かった?」
あたふたとコルサコフは焦りだす。
「僕はアイツに復讐できるなら、悪い人になってたかもって答えただけだよ……」
その言葉に周囲の空気が一変した。
ひんやりとしていると士狼は、鮭フレークのまぜご飯を堪能していた。
「……シャドウから聞いてたけど、祟り殺そうとしたのは本気だったのか、気の迷いではなく……」
瀧は思い詰めた表情でコルサコフを見ると、コルサコフはコクリと頷いた。
「ああ、そうか。お前下手したら、
瀧の反応を見たのか、どんよりとした近衛は、一年生の時
「……近衛」
士狼はまたいつもの癖が、出てるぞの意味で名前を呼んだが、瀧は目を瞑って一呼吸すると「いい、大丈夫だ」と言ってきた。
要は口元に両手を当ててショックを受けているのが分かり、幸恵も普段の明るさと毒気が抜けた表情を見せた。
「……ルサルサ。何があって、そんな事を思うように……」
事情は知らない芥川姉妹は、コルサコフの過去にショックを受けているという印象だった。
コルサコフの表情が曇りだすと、深刻そうな表情で黙していた三善が重そうに口を開いた。
その表情はどこか暗く儚げであった。
「私よりもツライ目にあったのよね……」
空気が重い。
周囲の人間は箸が止まっている中、士狼はそう感じながら、漬物をバリバリと食べている。
「……お前、すごいな。オレだったら耐えきれないよ、この空気」
由成はこちらを見て、まじかよと伝わってくる表情を作られた。
「もう慣れた」
士狼は淡白に答えると、昼休みが経過していった。
※
夕方
部活に寄ったら
事件は一週間分しか追っておらず、果たしてそれ以降は進展しているのだろうか。
士狼が調べた限りでは、進展の報告もなし、ずっと別のニュースを取り扱う記事しか無かった。
(せめて、遺書が見つかっていれば……)
士狼はシャープペンシルを鼻先に乗せて、軽く叩いている。
遺書があれば
そんな中、人の気配がしたので見上げると。
相馬先輩が黄色く分厚い本を持って掲げていた。
「なんですか、その本?」
見慣れないものだと士狼は疑問に思った。
その問いに高く大きな鼻を膨らませ、自慢気な顔を見せた。
「ふふふ、ハローページ」
士狼は首を傾げると、相馬先輩が小声で説明してきた。
「この本さえあれば、あら不思議。名字で
「だけど?」
士狼はさらりと聞き返すと、先輩は顔を近づけ、眼鏡のレンズに映った。
「父親の名前が分からないと、なんも意味がないよね」
たはーと肩を落として落胆する相馬先輩がいた。
「……新聞。多分、載っていると思います」
呟くように士狼は言うと、相馬先輩は目を輝かせてこちらを見てきた。
「……山田くん。新聞記事の書き写しノートと、スクラップを持ってきている?」
頷いた黒い学生鞄から、ファイリングしたものを取り出す。
オカルト部の部室に置かせてもらっているものである。
相馬先輩は黄色く分厚い本をテーブルに置き、ファイルを受け取った。
制服の長く改造されたスカートをふわりと裾を浮かし、着席する。
ペラリと二冊同時に広げると、かぶりつくように、黄色い本をめくっていた。
その真剣そうな姿に、いつもは胃もたれする程の先輩を、士狼は初めて感心の眼差しで見ていた。
「……」
渡した今、士狼は何もできないのでしばらく黙考する。
静かな図書館に溶け込みつつ、相馬先輩に小さな声で尋ねる。
「あの……俺帰っていいですか?」
相馬先輩は返事がない、ただの石像のようだ。
「あの……俺帰っていいですか?」
続いて肩に触れる。
だがしかし、相馬先輩は返事がない、ただの石像のようだ。
「帰っていいですか?」
次に揺らしてみる。
これもまた相馬先輩は返事がない、ただの石像のようだ。
「……」
士狼は痺れを切らすと、学校用ノートを破く。
シャープペンシルで”帰ります”と一筆添えると、学生鞄を持ってその場から立ち去った。
※
バスに揺られながら士狼は窓の景色を見ていた。
突如訪れた非日常を思い馳せ、通り過ぎていく建物を見る。
何故、自分が選ばれたのだろうか──
突如、現れたシャドウに対して、力を欲するあまり一刀両断で決めてしまったので、真相は不明である。
「……」
もしも、三年の途中で転校が決まったら、知り合った人達と別れるのだろう。
そう思うと、胸がチクリと痛み出す。
(……こういうの嫌だから、俺は……)
大きな猫目を伏せて、アンニュイな気持ちになった。
バスは停留所を告げ、手すりを揺らし人を運んでいく。
士狼はぼんやりと過ごしていると、ふと
左目を隠したボサボサ頭に、顔をしかめ目尻が上がった鋭い三白眼の男がこちらを見て言い放つ。
”今の話と、関係あるのか?”
「……」
モヤモヤと士狼は考え込む。
どうしてバレーの話を遮ったのだろうか。
木魚を叩く音が聞こえそうな程の考え込む。
そもそもバイト中も伊福部は自分の事を話さず、黙々と自分の仕事をてきぱきとこなしていたな。
停留所の告げるアナウンス。
それが聞こえたと同時に、閃いた──!
(美術部に行ってみよう)
コーソンのバイトで出会った
自分がバイトを抜けた後、何か知ったのかも知れないと、士狼はそう思いついた。