PERSONA:MUSIC DRAMA   作:黒猫13号

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Chapter10『I must improve the fated ones through my own art.』 ActⅣ

二〇三〇年 六月十四日──

 昼、体育館裏。

 

 瀧慈宗(たきちかむね)の報告が終わると、続いて山田士狼(やまだしろう)伊福部(いふくべ)が連日休んでいる事を伝える。

「福ちゃんずっと学校に来てないの!?」

 近衛由成(このえよしなり)は顎が外れるぐらい、口を大きく開いた。

「そうなんだ」

 同じクラスのC組の瀧慈宗と芥川幸恵(あくたがわゆきえ)は、視線を落として心配そうな表情をしている。

 

「どうしちゃったんだろ。パパと話していたら、お袋がって叫んで、そのまま帰っちゃったきり……」

 幸恵は気まずい表情で地面を見下ろす。

「早退する程、伊福部くんのお母さんに何かあったぐらいしか……」

 瀧は冷静に分析をする。

「……もしかしてだけど、うちのかーちゃんの話していうか?」

 えらく深刻そうな近衛の表情に、周囲は緊張感が走る。

 軽薄な男が真面目になった分、よりのしかかってくる。

 

「おとといから、患者が急変したから、しばらく忙しくなるって言ってた」

 その言葉に衝撃が走った。

「……伊福部君のお母さん……大丈夫かな」

 三善明美(みよしあけみ)は目を伏せて不安気な顔を見せる。

 もし、急変した患者が伊福部の母親だったら、想像していたよりも深刻な物になったかも知れない。

 

「なあ、コルサコフ」

 輪から離れて弁当を食べている、青い目の少年に視線を向けた。

「な、何……士狼くん」

 コルサコフ・和也(かずや)は、ぎこちなく暗い瞳を送る。

「お前は、人を避けたい気持ちって、どんな気持ちなんだ?」

 士狼は別れるぐらいなら群れないを選んだ少年であるが、伊福部は選択肢があるからこそ悩めると言われてしまった。

 そこで、生まれついてのモノの影響で精神が壊れ、今もこうして距離をおいているコルサコフに問いてみる。

 

「……小さい頃みたいに拒絶されるかも知れない、受け入れてくれない」

 静々と語りだすコルサコフ。

「それが怖くて……じゃあいっその事、幽霊になって過ごした方が……楽だと……思って……」

 コルサコフの独白に三善、芥川姉妹は、何も言えず沈んでいる。

 近衛は付き合いが長いのか、動じず肘をついて聞き入る体勢を取る。

 

「そもそも、部外者の僕らには関係ないと言える伊福部くんが、コルサコフくんのように、人を避けているのは違うと思う」

 瀧は士狼の提案をばっさりと拒否すると、士狼は顔をしかめた。

「……俺とコルサコフは、人と関わるのが嫌だから、つるむのは苦手だった」

 きんぴらごぼうを味わいながら飲み込むと、視線をコルサコフに向けて頷かれる。

 

「部活も遊びも"忙しい"で避ける伊福部は、家の事をやりたいから……避けている?」

 バレーボールの授業に見せたあの熱量を浴びた今、伊福部がバレーボールを、家の都合で辞めたのがますます惜しくなってくる。

「おかしいよな……好きなものがあるのに辞めるって」

 なんであんなに楽しそうにしていたものを、ああやって割り切れて辞められるものなのか。

 空気は重く、どんよりしている。

 士狼が伊福部の選択に憤っていると、三善の拳が強く握ったのを見た。

 

「おかしくないよ」

 三善が高く結わえた黒髪を揺らして顔を見上げ、凛々しい表情で士狼を見た。

「私がそうなりそうだったみたいに、家族が大事だからこそ、バレーを辞めたんじゃないのかな?」

 祖母の押し付けられる将来に苦しめられる両親を救うため、好きなものを諦めようとした三善明美が、士狼の意見に反論した。

 

「……明美ちゃん」

 要は親友の真っ直ぐな姿勢に見とれている。

 

「家族が……大事……」

 士狼は転校する度に、いつも謝る両親の顔が浮かんだ。

 引っ越すのは当たり前の筈なのに、なんで謝るんだと、思う士狼からすれば、そこまで思える程の感情は無かった。

 

「自分がやらない、我慢しないと家族が困る羽目になる。伊福部くんが料理ができるのも、そういう事なんじゃないのかな……」

 メンバーの中で、三善の弁に一番真剣な表情を聞いていたのは、妹を持つ芥川幸恵だった。

 

「三善の話さ。幸恵なら、一番効くんじゃね? アネキだし」

 近衛は硬直している露出度の高いギャル風改造を身にまとう幼馴染みに、肘を小突いて話しかける。

 

「……あ、うん。要に何かあったら、マジでどうしようかと本気で考えてた」

「ゆきねえ」

 双子姉妹は見つめ合い、不安を共有すると、瀧は眼鏡を上げる。

「僕達は眼中にないという事だ。だからこそ、限界が来た時を考えて山田くんに、相談窓口の番号を託した」

 どこか残念そうな表情で、瀧は結論づけると、士狼は思わず唇を噛み締めた。

 

「俺達には何もできないのかよ……!」

 握っている箸を震わせ、コート上の目を輝かせていた伊福部の横顔を思い出していた。

 

 その後、何気ない談笑が始まって、昼休みは終わった──

 

 

 同日、同時刻『市立嬰琴(えいきん)病院』

 

 伊福部(たける)は、病室の外で待たされていた。

 思い詰めた表情で座っていると、隣のひばりが服の裾を引っ張ってきた。

「おにいちゃん、おかあさんどうなるの?」

 武の表情は困ったように眉毛を下げると、優しい口調で宥める。

 

「母さんなら大丈夫だ。大丈夫……」

 これはひばりを不安にさせない嘘だ。

 四日前、母親の容態が悪化し、父親が待つ病室に入り込んだ時、呼吸器のメーターが慌ただしく動いている時だった。

 なんて静かな急変だ。

 医者が騒いでいるにも関わらず、母親は苦しむ素振りは見せなかった。

 それはそうだ、体を拭いて話しかけても、一言も発しない体なのだから。

 

「……きっと、前みたいに……」

 少しでも希望を持ちたい、一心で、尿瓶を持って排泄処理もした、筋肉が固まらないように動かしたりもした。

 だからきっと目を──

 

「……それはもう無理だ」

 父親が部屋から出てきたので、ひばりは不安気な顔で抱きついてきた。

「オヤジ」

 武は立ち上がってやつれた顔の父親を見る。

「二年持っただけでも頑張った方だって、前に言っただろう」

「それは俺とオヤジがお袋を生かしたんだろ、だからきっと……目を覚ます」

 武は拳を強く握りしめて、諦めないと固く意思表示をする。

 

「呼吸器に感染が見つかってな、もう長くはないって言われたよ……」

 武は詰め寄って思わず父親の胸倉を掴むと、見下ろし睨み合いの形となった。

「そんな筈はねえ! 俺はまた四人で暮らしたい一心で、やってきたんだ!!」

 病院という場所にも構わず、今までの思いを父親にぶつけてしまった。

 かすかな希望を頼りに自分も、母親の介護をしたんだと、父親も同じ気持ちだろうに。

 

「俺だってお前と同じ気持ちだ……けどな、こればかりはしょうがないんだよ」

 武は乱暴に手を離すと、眉を寄せてしかめ面を作る。

 

「しょうがないじゃねえ、俺はまだ諦めねえからな」

 武はそう言い切ると、ひばりが見上げてくる。

「おとうさん。おにいちゃん、また、いたいの?」

 ぎゅうっと父親のズボンを掴んで、怯えているのが分かる。

 

「痛くねえよ。どこもな」

 屈んでそう教え込もうとするが、こちらを見てくれはしなかった。

「おい。どうしたんだ、ひばり」

 武は首を傾げて扱いに困り果てると、父親がこう告げた。

 

「……武。先に家に帰りなさい、後は父さんがなんとかするから」

 立ち上がり武は反論する。

「どういう意味だ?」

 またも、父親に詰め寄り問いかける武。

「ひばりに心配かけたくないからだ」

 その言葉に鋭い武の三白眼は丸く見開き、ショックを受けて思わず一歩後ろに退いてしまう。

 

「おにいちゃん?」

 ひばりの頭を撫でて、落ち着かせる父親。

「怖がらせてごめんな。兄ちゃんは急ぎすぎて怒っているんだ、だから許してやってくれないか」

 ひばりは素直に頷いて、落ち着かせた。

 

 こういう面では勝てない──

 

 父親の手腕にうなってしまう。

 武はひばりに免じて、病院から立ち去っていった。

 

 

 家に帰ると、自室に戻り疲れたのか、ベットに沈み込む。

 

 ”もう長くはない”

 

 父親の告げた言葉を、否定したかった。

 でないとなんの為に、自分は身を削って頑張ってきたか分からなくなる。

 

 壁に飾られた、地区予選三位の賞状、中学時代のユニフォーム、埃かぶった黄色と紺のボール。

 ちくたくと針を刻む音だけが聞こえてくる。

 

 ”今日の()()……楽しかったか? ”

 

 山田士狼が交わした言葉。

 分厚く大きな手を天井に掲げて、見つめる。

 中二以来のバレーボール。

 綺麗さっぱり捨てた筈なのに、まだ火は灯っていたんだなと。

 あの時、思わず動揺してしまった。

 

「……だから、授業だっての」

 今、振り返るとすごい張り切っていたなという羞恥心がじわじわと染め上げてくる。

 顔を赤らめて、目を閉じて力強く眉を寄せプルプルと震える。

 美容院でロクにカットしていない、長い黒髪をかきむしって、勢いよく起き上がり、時計を見た。

 

(今、五限目か……)

 カレンダーを見ると、期末テストまで後十日であった。

(……学校、しばらく休むか)

 後頭部をかきながら、自身の腕を見る。

 相変わらずたくましい二の腕であった、武は何かを感じたのか、次に肩付近を触ってみる。

 これもまた中学時代から変わっていない、筋肉の付き方だった。

 

(体が出来上がってるだけじゃあ、意味が……)

 バレーボールを辞めても、母親の介護をしていた影響なのか、未だに自身の肩周りの筋肉が衰えていない事に気づく。

 そして、同時にがしっと自分の顔面を掴んで俯く。

(何を言ってんだ、俺……)

 心臓の鼓動が速くなる。

 バレーボールの授業から、自分は変になっているらしい。

「……アホらしい」

 気のせいだと振り切ると、スマートフォンを取り出し、父親に夕飯の献立についてのメッセージを送った。

 

「ひばりを心配させちまったか……」

 父親とよく言い合うのだが、今回の件は手を引けと突き放されたのは、初めての経験であった。

「……兄貴、失格だな」

 

 武はポツリと呟くと、時計の音が時を刻んで、武の自室に鳴り響いていた。

 

 

 

二〇三〇年 六月十七日──

 

 朝、二年C組。

 今日も伊福部は来ていない。

 士狼は自分の席に座るともう来ていた、瀧に挨拶を交わす。

「今日も来てない」

 士狼は伊福部の席を見詰めていると、瀧は心配したのか声をかけられる。

「だろうな。病院が忙しくなると言うことは、伊福部くんのお母さんは、重症なんだろう」

 士狼は席に座って、鞄から教材を取り出すと教室がざわめき始めた。

 その先を見ると、何事もなかったように入室する伊福部の姿が見えた。

 

 一気に人は集り、瀧も立ち上がって伊福部の方へと駆けた。

 みなが、どうしたんだという問いかけに対して、家の都合しか返答しない伊福部に対して、学級委員長が人混みをかき分けて、問い詰める。

 

「四日も学校休んで、本当にどうしたんだ!」

 瀧の通った声が教室に響き渡り、ひょっこりと近衛とコルサコフが、C組の教室を覗き込んでいるのも確認できる。

 

「都合は都合だ。本当はもっと休む気だったが、オヤジが普段通りでいろって、うるさくて仕方なく来ただけだ」

 苛立っているのか舌打ちしそうな勢いの表情を作ると、人混みを払いながら、伊福部は自分の席に向かって、ずんずんと歩いている。

 

「君な、親の面倒も見るのもいいけど、勉強や出席もきちんとやらないと成績に響くよ」

 瀧が隣についていくと、彼らしい心配の仕方で、伊福部に注意する。

「お前は先公か、別に高校は行きたくは無かったし」

 伊福部は瀧を睨んで話し続ける。

「何かあったら、退学してもいいぐらいだ」

 どっしりと座って伊福部は腕を組むと「やーやー、我こそは」と唱えながら、近衛が教室に乱入してきた。

 止めようとしたのかコルサコフ・和也が怯えながらも、オマケについてきた。

 周囲は誰だとざわつきながら、断った伊福部の代わりに、カラオケ一緒に行った奴だという声も聞こえてくる。

 

「なんだ? ふわふわ頭」

 近衛の軽い調子が(しゃく)に触ったのか、いきなり一触即発の空気になる。

「ひょえ、相変わらず怖いな……」

 近衛は腰をかがめて怯えると、深呼吸して腕と人差し指と親指を立てたポーズを取って、ウインクをした。

 

「近衛由成デース! 覚えてね! 福ちゃん♡」

 小声で「うわ、チャラい」という声が聞こえた。

「だから、その呼び方やめろ」

 ムカついたのかギロリと伊福部が睨むと、近衛を止めに来た筈のコルサコフが一瞬で固まってしまった。

 

「や、やだなー。冗談通じないぞ、コイツ」

 引き気味になりながらも近衛のトークは続く。

「せっかくの高校生ジャン、夏休み、文化祭、修学旅行、冬休み、バレンタイン! イベントを楽しまないのって大損だろ☆」

 近衛は両手をばっと広げて、楽しそうに軽やかに言葉を紡ぐ。

 まるで、通販番組を見ているかのような感覚に陥る。

 

(時価ネットたなか……)

 士狼は近衛の本気を見た気がすると、思いつつ。

 近衛の後ろにいるコルサコフは何故か、目を丸めていた。

「!」

 そして、納得したような表情を取る。

 

(なんで?)

 

 瀧が、見損なったぞという言わんばかりの態度を取る。

「遊ぶ事しか、考えてないのか」

 そして、堅物学級委員長の容赦ないツッコミに近衛は、ぐわっとタレ目を見開いた。

 

「瀧は黙れよ!」

 伊福部は視線を反らそうとしたが、近衛はお構い無しに喋る。

 

「なーんで、簡単に辞めちゃうって言うのカナ? もっと、楽しむ気はないのー?」

 馴れ馴れしく伊福部の肩を組もうとするが、バシッと腕を払われる、二年B組近衛由成十六歳。

 

「……冷たい。なあさあ、もっと楽しく過したいって、思わねえの?」

 しゅんと一旦ショックの表情を浮かべるが、直ぐに明るい表情を作り、めげずに絡んでくる近衛。

 

「ある意味すごい」という、感想が聞こえてくる。

 

「……たのしく?」

 伊福部はぎこちなさそうに、近衛の方へ向いてポツリと答えた。

「そうそう! なんか、もったいねえよ。せっかく、学校に行けてるんだしな」

 と一旦、コルサコフに視線を向けてウインクをした。

 自暴自棄になり、自殺未遂を引き起こしたコルサコフにも、言っているみたいだ。

 士狼はそんなやり取りを見守っていると、伊福部は閉じていた口を開いた。

 

「……この先を楽しく考えろ?」

 静かで重々しい口調。

「……それどころじゃねえよ」

 伊福部がさらに顔をしかめて、震えて絞り出した声で心中を明かすと、空気が一変する。

 明らかに、深刻な状況に立たされていると読める態度は、近衛が作った陽気な空気を塗り替えられてしまう。

 

「お、おう」

 予想以上だったのか、近衛もたじたじになって、ひるんでいる。

 

「もう、お前ら俺に構うな」

 ちらりと伊福部がこちらを一瞥する。

「お前が首を突っ込んだところで、解決できないし、何も得しねえ」

 士狼を突き離すように、伊福部は発言する。

「俺はコートに戻る気も、学校に通う気もねえ」

 伊福部の気迫と覚悟の強さに圧倒されて、士狼は何も言い返せなかった。

 

「だからもう──諦めろ」

 拒絶。

 どうあがいても、伊福部の心は響かず動かせない。

 そんな絶望が士狼に襲いかかる。

 瀧も近衛も困惑しており、教室もざわめき静けさを保っていた。

 

(……終わりだ)

 士狼が伊福部の事を諦めたその時、コルサコフは静かに呟いた。

 

「……何もかも諦めたら、それは……楽だよね」

 伊福部は目を見開いてコルサコフを見上げていた。

「お前……いつからいた?」

 伊福部と同様の生徒からも「外国人?」「気付かなかった、あの見た目で?」「すげー擬態力」等と声が上がる。

 

「でも僕は……可愛がってた猫も早瀬先生も、手放したくは無かったよ……」

 コルサコフが伏せた目で語り終えると「由成くん行こう」と近衛を呼ぶと、二人はC組から退散していった。

 

「……コルサコフ」

 そうかコルサコフも人付き合いを諦めていたんだったなと、士狼は立ち去った後を静かに眺めていると、ホームルームを告げるチャイムが鳴った。

 

 

 

二〇三〇年 六月十九日──

 

 放課後、廊下。

 いつも通り、早足で帰宅する伊福部。

 テスト期間前なので、部活動は休みなので、いつもより人が多い。

 

(あの外人野郎。大事なモンは手放すのは、悪いみたいな事を言うな)

 (たける)は三日間、この言葉にずっと棘のように刺さっていた。

 

 なので、珍しく包丁で指を切り、その時貼った絆創膏を眺める。

 母親の容態は、相変わらず悪化したままである。

 有給を取り続けている父親にひばりと母親に任せ、渋々といつも通りに学校来ていた。

 荒っぽい喧嘩はひばりを心配かけると、父親に言われたので、無言のまま過ごす事にした。

 

(俺の大事なモン、そんなの決まってる)

 ずんずんと荒っぽい早足で玄関に向かう武。

 三日間、考えて考えぬいた結論はこうだ。

(家族だ。誰かがトスを上げなきゃ、生きていけないから親が頑張ってんだ)

 強く拳とシワを寄せる。

 

(俺達だけで、頑張ろうな。そう言われて、俺は決心したんだ、オヤジがワンマンにならねえように……)

 伊福部はここで気づいた──

 

(あれ、俺……)

 バレーボールの授業で言い放った言葉がここで返って来た事に気づき、思わず足を止める。

 

(なんで、バレーに例えてんだ)

 ドクンドクンと脈打つ心臓。

(俺はバレーを辞めたのに、なんでだ)

 

 ”手放したくは無かったよ”

 

 (くら)い声が武の脳裏に反響し、ゾクリと背筋が凍った。

(くそ!)

 授業で楽しく触れたぐらいでなんだ、そんな簡単に戻って来るものなのか。

 

 母親はもう長くはない、どうしてバレーボールを辞めたんだ、辞めてまで家の事も稼ぎも、やらなくてもいいのに。

 ここ二週間以上言われ続けた言葉の羅列が、ぐるぐると頭を駆け巡る。

 

(なんで俺に構うんだ! 俺は! 俺は!)

 チャイムが鳴ると同時に武は、目を見開いたまま俯いて、険しい表情は苦痛に歪み、もがき苦しむ。

 

 まるで、試合開始の笛の音のようだ。

 母親の事は諦めたくない、バレーボールの事は諦めていた筈なのに。

 そんな重圧が、武の心を蝕み始める。

 

 俺達で頑張ろうな。

 

 父親の何気ない一言で、今の自分を築き上げてきた。

 なのに、ほんの少しのきっかけで、いとも簡単に崩れ落ちるなんて。

 

 ”どこかいたいの? おにいちゃん”

 

 首を締め付けそうな苦痛にうなされていると、悪魔の一刺しと言わんばかりに、ひばりの言葉が雷撃のように貫いた。

 

(……ひばり)

 幼児の視点というのは、馬鹿にできないと武は悟ってしまった。

 

(悪りい……俺は──)

 その時、ピアノの音が背後から聞こえ始める。

 夕焼けの情緒に相応しい、たおやかな曲調。

 心の無い者は、荒ぶる武には似つかわしくないと笑われる程、繊細かつ美しい旋律が鳴り響く。

 

(……兄貴……失格だ)

 伊福部が思ったその瞬間、武の胸に白銀の槍が貫いた。

 

「なんだ……テメエは?」

 白い翼を持つ無機質な異形が、武を引きずり込もうとする。

 

「おい! どこへ連れていくんだ!!」

 武は叫び足を踏ん張ると、なんと異形をその場に止めてしまったのだ。

 

 異形は一生懸命に引っ張ろうとする。

 想定外の出来事に焦っているようにも見えた、顔は白い翼で隠れているというのに。

 

「お袋がいつ死ぬか、分からねえってのに! 離せバケモン!!」

 殺意を込めて睨むが、異形は怯まずに引っ張ろうする。

 武の強靭な肉体と精神は、ここで終わるはずは、無かった。

 

「なんだ、抜けねえ!」

 槍から脱出を試みようと腰を当てて、体を前屈みに進もうとするが槍は抜けない。

 

「───」

 ベールが覆いかぶさるように、高く高く優しく鳴るピアノの音に混ざって、声が聞こえた。

 その瞬間、槍は黄金の光に包まれると武の力があっという間に抜けてしまう。

 

(……なんだ……これ)

 地面に膝をつくと、ずるずると引きずられて教室の扉へと運ばれる。

「やめろ……オヤジを……」

 最後まで抵抗するかのように、武は体を移動させようと、弱々しく体を前屈み動かし、手を伸ばす。

 

「全部……背負わせたく……ねえ……」

 突然現れた異形に全てを奪われたと感じ、悔しさに染まった表情で言い放つと、武の意識が途絶えてしまった。

 

 

 同時刻、旧校舎の扉前。

 

「……」

 切なく儚いピアノの音と共に、黒い扉が出現したのを、士狼は打ちひしがれて見ていた。

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