「またか」
黒い学校の廊下で、窓の風景は黒炎が渦巻いている空間だった。
違いは一つ、ピアノの曲だ。
鍵盤を叩きつけるメロディが始まる。
それが終わるとずんちゃっちゃ、ずんちゃっちゃと、
そこから一気に軽快なものへと変化していく。
「⋯⋯なんか弾くの大変だな」
明るく小回りが聞いている旋律を聞いて士狼はそうポツリと呟く。
「当然です、この曲はフランツ・リストがオーケストラで弾くものをピアノ一台にまとめ上げた作品でもありますので」
士狼の頭の中に鳴り響いているダイアナの声は、簡潔に説明しだす。
「オーケストラって言われてもな、ピンとこない」
士狼は苦笑いして答える。
「そうですね⋯⋯」
ピアノの旋律はまた忙しなく走っていく。
「何十枚に重ねたパンを、無理なく一枚に圧縮しているという所業ですね」
その口調は彼女が微笑んでいる表情が過った。
「なんとなくすごいのは伝わった」
現に奏者が根を上げそうな複雑構図の音符が耳に訴えているので、鍛錬は容易じゃないと士狼は思った。
「詳しいなら、今の曲と俺ん時の曲も教えてくれない?」
士狼は辺りを見渡しながら解説を要求する。
「今の曲は『ファウスト』のワルツ。作曲者はシャルル・グノーでございます」
仄暗い廊下を照らすアンティーク調の照明は何個目だろうか。
「そしてお客様の曲とは?」
「デーデーデデーン、デデデデーレデーデデッデー、デレデデーデーデデーみたいなの」
思い返してもゲームに出てきそうな音楽だと、士狼は思っていた。
「恐らく『ニュルンベルクのマイスターシンガー』の前奏曲ですわね、作曲者はリヒャルト・ワーグナー」
その解説にある事を思い出した士狼は目を丸める。
”『ニュルンベルクのマイスターシンガー』を山田士狼が演じる──”
そうあの時のポスターのキャッチコピーだ。
士狼は浮かんだ仮定を確かめ為に、一呼吸置いた。
「どういう話だ?」
流石の士狼でも演じるという単語から、物語がついている作品だと察せた。
「簡潔に述べますと、芸術の街であるニュルンベルクにやってきた騎士ヴァルターは、歌姫のエーファと結ばれる為にザックスからルールを教えて貰いながら、歌合戦に挑むというお話です」
士狼は急遽ベルトに通した指揮棒を眺めながら、思いにふけ始める。
(教えて貰いながらか⋯⋯)
席の隣になった
「どうなされましたか?」
ダイアナは不思議そうに聞いてきたので、士狼は穏やかに答える。
「そのヴァルターっての、俺のペルソナと同じ名前だ」
不思議な感覚だ、観た事もないのに親近感を感じてしまう。
「他にもシューベルトのオペラにも、ヴァルターがおりますが?」
「それも分からないけど、今の話でなんとなく似た者同士というかなんとか⋯⋯うーん?」
士狼はむずかゆい感情を抱きつつ、言語化に苦戦する。
「ペルソナはあなた様の心の力、心に潜むもう一人のあなた様。そう感じるのもまた⋯⋯正しいかと思われます」
ピアノはしっとりと歌い上げるようなものに変わったが、ダイアナは変わらない口調で話す。
「そうか」
先程の軽快な旋律はどこへ行ったのか、優しく手招いているような曲調がだんだんと大きくなっていく。
どのぐらい歩いたのだろうかと思った瞬間、仮面を被った黒い犬とランタンを持ったカラスが現れた。
「なっ! なんだよこいつら!! こんなの俺の時はいなかったぞ!」
士狼は士狼狽えると、脳内でダイアナの声が聞こえた。
「恐らくこの空間は誰かの
「冷静に分析すんな! 声だけのクセに! ⋯⋯そういや、なんでお前とテレパシーできてんの?」
士狼の危機というのに、ダイアナは現場にいない事に腹を立て、今頃ダイアナと会話できている事に気づいた。
「それはですね」
シャドウ達は一斉に襲いかかってくると、炎が舞い上がった。
士狼が発火元を見るとそこには、ベールがついた三角帽子を被った蝶の羽を持つ魔女のような姿をした妖精がいた。
「私はずっと
士狼は開いた口が塞がらない表情で妖精を眺めていると、黒い犬は消滅したがカラスがお構い無しに突っ込んでいく。
「火炎は駄目みたいですね! お客様! 気を付けて!」
「気を付けてって! うわ!」
カラスの攻撃を受けて士狼は吹き飛ばされて傷つくと、ダイアナはエプロンとベレー帽を被った妖精に変えると、治療に専念する。
「助かった⋯⋯で、どうすりゃいいんだ。こっちはなんも分かんねえんだぞ!」
治療してくれたのはいいが、戦い方を教えてくれない態度に山田士狼はダイアナに怒り始める。
「簡単です。その指揮棒を抜いて、振り下ろしペルソナに合図するのです──
「先に言え!!」
腰にぶら下げた指揮棒の曲湾部分を掴むと、精神を集中させる。
その隙にシャドウは火炎を士狼に向けさせる。
そうはさせないとダイアナはエプロンの妖精を引っ込めさせると、学帽にモノクルをつけた妖精を出現させバリアを張って防いだ。
その隙を狙い山田士狼は指揮棒を一気に引き抜く。
そして勢いよく振り下ろすと同時に、目を見開き名を呼ぶ。
「ヴァルター!」
パリンとガラスが割れる音がする。
大きな羽根飾りの帽子と赤い
ところどころに月桂樹模様が施された金甲冑と白フリルシャツを纏った、山田士狼のペルソナ『ヴァルター』が
「⋯⋯火炎が駄目なら」
降ろした指揮棒を左斜に振り下ろすと。
ヴァルターは金色のガイコツマイクとスタンドがくっついたような、剣を掲げ士狼と同じ動作でシャドウを倒した。
「お見事です」
士狼は息を荒くして、痕跡を眺めていた。
「もしかして、こういうのが続く?」
銀の指揮棒をベルトに刺すと、げんなりとした表情を浮かべる。
「そうですわね。お客様はこの力を欲していたのでは?」
「⋯⋯そうだけどさ」
あの巨大なシャドウの言葉が過る。
授かっても助けられない事もあると、
「⋯⋯俺はアイツに試されるって事か」
ヴァルターに墨潰してノイズかかったシャドウを思い出し、両手で頬を叩いた。
「よし! 瀧を探しに行くぞ!」
覚悟を決めると、士狼は走って奥に進んでいく事にした。
途中、シャドウに遭遇するがダイアナのサポートもあってか難なく進んでいく。
「ダイアナ。お前のペルソナってなに?」
窓の向かい側には教室らしきシルエットが並ぶ空間に訪れた、山田士狼一行。
そうダイアナに質問するとドアの引き戸部分を引っ掛けて、開けようとしたが固く閉ざされていた。
「オーロラです。眠り姫の、後はあなた様が様々な絆を育みペルソナを生み出せば、複数も扱える事ができます」
その言葉に士狼はぎょっとした表情でダイアナに言った。
「⋯⋯でも、切り替えしてただろ?」
「それがオーロラのペルソナ能力です。七つの祝福を操れる事ができます」
その言葉に少しだけしょぼくれる士狼。
「なんだよそれ? 俺なんか犬のやつしか本領発揮できない」
ヴァルターは斬撃の他に火炎を操る事ができるが、ランタンを持ったカラスが出る度に苦戦していた。
それに比べてダイアナは、妖精らしきモノを切り替えて回復も攻撃もできる上に、複数もペルソナを扱えるようになるとは士狼から見れば、雲の上、いやズルい存在である。
「ふふふ。あなた様は、ワイルドの素質がございます。時が来ればいずれ⋯⋯」
微笑んで会釈していそうな絵面が浮かぶ台詞運びに、時が来ればかと士狼は少々憂いを帯びていた。
三つ目の教室にやって来ると、掲示板らしきものに前と同じポスターが貼られているのを見かけた。
「公演のお知らせ、永遠の探求者、ファウストを瀧慈宗が演じる⋯⋯もしかしてここなのか?」
先程から聞いていたピアノ演奏は三巡目に入っている。
「まあ、この曲もファウスト。そして、タキ⋯⋯」
「ち・か・む・ね」
普通に読めないよなと士狼は同じ読みにくい名前同士だなと、思っていた。
「だから、ファウストなのですね。彼が演じるからワルツを弾いてらっしゃる」
「だろうな」
自分もそうであったので、瀧もこの法則に当てはまる筈だとダイアナに返事をする。
ポスターを読み上げてしばらく経った頃。
扉は一旦炎に包まれて士狼は驚いて後ろに退くと、映画館にありそうな分厚い豪奢な扉へと変わる。
「⋯⋯俺こういうの無かったんだけど、演出付きとは凝ってるな瀧の場合」
廊下でそのままシャドウとご対面した士狼は、若干羨ましそうな視線で見る。
「この先の扉、強い気配を感じますが行きますか?」
ダイアナは問いかける。
「ようやく手がかりを見つけたんだ、行くしかない」
士狼は不敵に微笑むと扉を押してその先へと進み出した。
※
父さんは警察官だった。
この街
都会の刺激が欲しければ、特急片道一時間で都内に行けばいい、そんな街だった。
暴走族に対して根気強く更生を進めたり、見廻ればお婆さんに話しかけられそれに応じる。
テレビに出てくるヒーローそのものだった。
だから、父さんの事が誇らしく憧れだったんだ。
「⋯⋯」
確か自分を助けようとした
「⋯⋯眼鏡」
木の床に落とされたのか、ぼやけた視界で自分の眼鏡を探る。
ここは一体どこだろうか。
視界が悪いので、場所が判断できない。
四つん這いになり、慎重に探りながら四角い眼鏡を探す。
「今のおまえもそうだよな」
ノイズがかかった声、それは慈宗と同じ声だった。
慈宗は思わず顔を見上げ、ぼやけた視界に巨大な黒い人型が見下ろしていた。
「おれの⋯⋯こえ?」
意味深な言葉選びよりも先に、自分の声が響いている事態に驚いていた。
「前も何も見えなくなっている」
瀧は困惑し、静かに怒りを表明する。
「誰だ、こんなタチの悪いいたずらをしているのは?」
自分の声を盗聴して加工し、喋らせる新手のいじめかと黒い塊を睨む。
「いたずらじゃあない、おれは真面目だよ」
「なに⋯⋯!?」
眼鏡はまだ見つからない。
「ああ、お客様が入ってきたみたいだねちょうどいいや」
黒い塊は左向け左に体を向けて、瀧も釣られてそちらを向く。
「瀧!! ようやく見つかった!!」
その声は庇った筈の山田士狼の物だった。
「山田くん! 君は来ちゃダメだって言っただろ!!」
ぼやけた風景から読み取れる情報は、赤と金色の四角いものが縦横一列に綺麗に並んでいる。
それらが段々畑に配置されており、士狼は真ん中に空いたところで叫んでいた。
(⋯⋯ここは劇場か? 映画館か?)
瀧は冷静に事態を把握しようと考える。
「ごめん! けど、どうしてもお前を助けたかったんだ!!」
士狼がモーニング形式の制服
をはためかせて勢いよく下り、同じ高さまで降りてこちらに向かって行く。
「⋯⋯お客様、上演中はお静かに!」
黒い塊は叫ぶと同時に、氷の尖った柵を展開する。
「ヴァルター!」
銀の棒のようにも鍵のようにも見える物を腰から抜くと、きらびやかに着飾った金色と赤の男性型の巨体を出現させてきた。
「⋯⋯っ!?」
冷静沈着、生真面目な瀧でもこの光景は言葉が出ずただ驚くだけであった。
巨体は金色の剣を杖のように振るうと、火炎が展開され氷の柵を溶かす。
「よし、通じる!」
ガッツポーズをする士狼に対して、黒い塊は苛立ちを見せていた。
「手こずる相手だ」
そう言葉を発すると、ヴァルターの足元と腕を狙って冷気を飛ばす。
すると、士狼の腕と足が照明に照らされて煌めいており、体を屈んで震えているのが見えた。
「山田くん!」
眼鏡を探している場合じゃない。
瀧は震えている士狼を助けに行こうと、拓けている場所へと走る。
「過度なファンサービスもご遠慮願おうか!」
分厚い氷の壁が見る見ると立ち上がり行く手を阻む。
「くそっ!」
瀧は冷たく硬い氷は二人を断ち切った。
「お前は俺をどうしたいんだ!!」
黒い塊を睨む瀧。
「何って、おまえを助言しに来たに決まっているんじゃないか」
嗤っている。
瀧はそう捉えた。
「去年の失敗、忘れてはいないよな?」
その言葉に瀧は切れ長の目を見開き背筋が凍る。
「こ⋯⋯」
十七時のチャイムが鳴る前。
ひそひそと話していた、派手な女子生徒二人組が過る。
「これ作ったの、俺を嫌っていたやつらか⋯⋯」
瀧の力が抜けた様子に黒い塊は、ケラケラと擬音が似合いそうな口調で話す。
「大まかはな」
”瀧じゃん、うわあ、C組……まじで終わったわ”
「身の丈に合わないを事して、恥じるべきだ」
照明が全て落ちて、黒い塊にスポットライトを浴びる。
「父さんみたいな人間になりたくて、学級委員に立候補」
黒い塊の足元には黒いタールが広がり、どんどんと叩く士狼が何かを叫んでいる。
「だけど張り来すぎて、クラスのみんなに避けられていた」
ポコポコとタールから巨大な犬が出来上がっていく。
「⋯⋯やめてくれ」
いじめられていたクラスメイトの話を聞いて、学級会を開き、アンケートを取らせた。
だが、一緒に立ったいじめられっこの顔は青ざめていた。
「先生かよって、言われたよな」
陰口の女子生徒の言葉だ。
「クラス替えもしたし今度こそうまくいく、うまくいく」
陰口を言われた女子生徒と近衛由成に、服装について厳しく言ったことがあった。
過度なアクセサリーは駄目だと。
「だが、怖いんだよな。また失敗して、避けられるのが」
「お、おれは⋯⋯」
息が乱れ心臓の鼓動が早くなった。
そんな様子もお構い無しに、黒い塊が顔を近づけた。
「山田士狼は不登校になった
その叫び声に瀧は絶望の色に染まり、氷を削る音が止んでしまった。
「違う! 違うんだ!!」
瀧は不安になって氷の壁を見ると、悲しそうに見つめる山田士狼がいた。
「あっ⋯⋯」
誤解されている。
こんな悪趣味ないじめはないだろうと、瀧の心中は絶望に満ちていた。
「俺はそんな風に思っていない!」
瀧は顔を青ざめ氷の壁にしがみつくと、腕が垂れ下がった士狼の表情を見る。
「去年の失敗が怖くて、怖くてたまらなかった。士狼はそれを晴らしてくれると思ったんだ」
次に糸車を回す女性姿の黒いタールが生まれ出る。
「⋯⋯俺は、俺は⋯⋯」
照明は瀧にも向けられ、二つのスポットライトは重なる。
瀧は力が抜けてその場で崩れ落ちた。
「タイトルロールは決まった!!」
束縛されていた布は解き放たれ、黒い塊は黒炎に包まれた姿に変わり、杖のような装備が追加された。
「なんだこれは⋯⋯」
瀧の中分けて切りそろえた黒い前髪は、暴風に煽られていた。
「おれはおまえの劇の
『オーロラ』
アルカナ:太陽
『眠り姫』に登場する美しい姫。
誕生祝に妖精達に祝福を授かるが、悪し妖精によって呪いをかけられるものの、祝福されていなかった妖精に百年眠りにつく呪いに変えられる。
悪し妖精の呪い通り姫は国ごと眠ってしまい茨に包まれるが、通りすがりの王子によって姫は呪いを解かれる。
別名『茨姫』または『眠りの森の美女』とも呼ばれている。