二〇三〇年 八月十七日
車内の後頭席に揺られる
隣にいるのは段ボール一箱分。
助手席にはオカルト研究部部長
「山田くんも、売り子を引き受けてくれてありがとうね」
そう山田士狼はコミックマーケットの売り子として、夏休み前に頼まれたのだ。
「……俺、一応コンビニバイト経験ありますけど、ゴールデンウィーク限定……」
車窓の水平線をぼんやりと眺める士狼は、自信なさげに返答した。
「
相馬先輩はそう言うが、士狼の経験が短すぎるから困っているのだ。
「それに肝に据わってる山田くんなら、どんな接客もいけるでしょ」
なんだろうすごく期待されている。
「肝が据わってる……か……」
どうして、みんなして動じない人間扱いされるんだろうか。
自分だって悩みはある。
”友達”と口にするのを酷く恐れている事だ。
プールは楽しかったし、写真を共有してもらって、時たま眺めるぐらいは満喫した。
だがここまで付き合っても尚、友達と自らの口では言えないのだ。
(瀧……俺はどうすればいいんだ)
互いに弱みを見せ合った同志の顔を思い出す。
瀧ならきっと何かを教えてくれるのだろうか。
相馬親子の他愛のない会話を聞きながら、車窓の水平線を眺めているとラジオから真面目な声色が聞こえた。
「今日の特集は
「少年Aは家庭環境が非常に厳しく、そのストレスの吐け口にいじめをしていた事が、事情聴取で明らかになっています」
「ではどうして、少年Aは家族と自分を殺傷を行なったのか」
士狼の表情が曇る。
きっと、プリマシャドウに乗っ取られてしまったからだ。
未来の不安が色濃く染まると、安居院みたく凶行に走るに違いない。
本当にそうだとしたら、
「両親を殺害したのは、かなり限界に来ていたんでしょうね」
自由になりたい。
安居院のかすかな
「それだと何故少年Aは自死を選んでしょうか、捕まりたく無かったのか?」
助けようと手を伸ばした記憶が蘇る。
「他人に当たっていた少年ですからね……可能性は──」
士狼が思い詰めた表情になったところで、ラジオはポップで、キラキラしたピアノの間奏に切り替わった。
「物騒な話だ」
先輩の父親はどこか苦虫を噛み潰したような声でぼやく。
「まさか、うちの学校から殺人犯が出たとはね」
乾いた笑みを浮かべるのは相馬先輩。
「まったくうちの高校はどうなっているんだ……」
そういえば相馬先輩の父親は天音高校のOBだと、先輩から教わった。
台詞が確かなら、吉田杏奈の件を知っているのだろうか。
「吉田杏奈の件もいじめられて飛び降り自殺だもんね、お父さんなんか知ってる?」
相馬先輩は相変わらず好奇心で、グイグイと攻めていく。
吉田家の取材といい、人の気持ちを考えないのかと士狼は呆れ果てた。
「またその話か……言っただろ? クラスが違っただけだ」
父親も呆れているみたいだ。
「えー、お父さんが杏奈さんの男友達だったら、いっぱいお話聞きたいのに」
父親はため息を吐いた。
「ないない。話しかけづらい美人として、男は近寄れなかった女子だったよ」
父親は相馬先輩の言葉を否定し、当時の事を話す。
それと同時に、ラジオは横浜の夏風景を絡んだ失恋話を、爽やかでどこか哀愁あるメロディラインに乗せて語っている。
「じゃあその男友達さんは近寄れた人なんだ、勇者だねえ」
相馬先輩はしみじみとした態度を取る。
「勇者は言い過ぎだろ」
どこか呆れた口調で父親は返した。
「だって、浮いて近寄りがたい女の子の心を開いたんだよ、勇者じゃん」
相馬先輩はどこか嬉しそうな口調で話す。
「偶然だろ」
父親は強く否定してきた。
「えー夢がないな……」
相馬先輩は口を尖らせているのか、気を落とした声色でそう返事した。
(……相馬先輩)
好奇心で暴走する先輩をただ後頭席で眺める士狼。
跳ねるようなリズムと共に別れの悲しみに右往左往し、日数を数える歌詞が流れ込んだ。
※
昼。
目的地につけばまず目につくのは人の多さだった。
とにかく人、人、人。
祭りかというぐらいの混み合いである。
どこかで見たことあるキャラクターの格好をした人間もいて、想像以上に活気に満ちていた。
だが設営場所は、アニメ絵に溢れた場所ではない。
かき分けると、餅食べ比べの文字、映画批評まとめ、とある歴史人物の情報誌、免罪符などと、いかにも相馬先輩の同類がいそうな場所であった。
「いやー、オカルトオタクと出会えて、ホクホク」
相馬先輩は数十冊の束を満足気に見ている。
「減っていないですね、手に取った人は五人ぐらい……」
せっかく作ったのにと、士狼は切なそうに見つめていると、相馬先輩は言う。
「こんなの自己満よ」
集中線がつきそうな勢いと強調するかのように、相馬先輩の二言目。
「買ってもらうんじゃなくて、本にして読んで貰うのが目的なの」
どこか楽しそうな相馬先輩を見て、士狼は理解できず首を傾げる。
「君はオタクじゃないからねえ、山田君は
相馬先輩はハンドサインをしているようだが、何を意味しているのか、さっぱり分からなかった。
「残った分は文化祭に出展して他の人達に読ませるなり、冬に向けて既刊に回すわ」
金銭の確認をしようとした瞬間に、さらりととんでもない事を言ってきたと士狼は思い、それを口に出した。
「えっ冬!」
先輩と付き合うのお腹いっぱいだという気持ちがだだ漏れしている、山田士狼。
だが、そんな気持ちが伝わっていないのか、腕を組みしみじみと首を縦に振る相馬先輩がそこにいた。
「そうだけど、私は大学受験あるから……ダメなのよね」
そうだった、この人は高校三年生。
となれば士狼が浮かんだ言葉は──
「オカルト研究部はどうなるんですか?」
部員は相馬先輩が一人しかいない部活。
士狼はただ入りびたりしているだけの生徒なので、部員ではない。
「山田君は入ってくれないの?」
相馬先輩はテーブルクロスを敷いただけのスペースをチェックしながら、士狼に問う。
「俺はある人の頼みで調べてるだけ……ですから……」
吉田杏奈から、ペルソナ能力を見込まれ、未練を思い出させて欲しいと頼まれた。
出会って数時間の人間にそんな責任重大な事を頼むのかと、士狼は狼狽えていたのを思い出す。
「そうかー私の力が欲しいだけなのね」
相馬先輩はどこか寂しそうな声色で返事をしていた。
「……あ」
それを見た士狼は
「都合のいいとかそんなんじゃないです……」
まずは声明。
「ただ……オカルト研究部なら知恵を貸してくれるんじゃないかと思って……」
次に士狼の気持ちを相馬先輩に伝える。
「頼ってくれて嬉しい! オタクって語り屋だからね! いくらでも放出してアゲル!」
相馬先輩は大きな声で喜び、その響きは耳の穴奥まで届いた。
「けど、入部は考えていないかー」
残念そうに相馬先輩は微笑むと、一冊『嬰琴市の道祖神について』を目の前に置かれた。
「……先輩?」
相変わらず行動が読めない人だと、士狼はきょとんと相馬先輩を見た。
「文化祭で入部希望者できたら継続、できなかったら廃部」
続いてはオカルト研究部の今後の処遇について、相馬先輩は語る。
「だからこそ、君が入部してくれると助かるんだけどなー」
グイグイと顔を近づけて目を輝かせる相馬先輩。
荒い息が士狼の前髪をそよがせる。
「する気はないです」
あくまでも協力関係だと士狼はきっぱりとお断りし、相馬先輩の圧から逃れる。
「……それに、もしまた転校になったら……廃部ですよ……」
周期的に
常に影が後ろに立っている、そんな感じで生きてた。
「転勤族ってヤツ?」
その問いで、コミックマーケットの雑踏が大きく聞こえ始めてきた。
「そうです」
士狼は静かに頷く。
仄暗い感情が士狼を真綿で首を絞めている。
友達と言えなくなったのも、
「……廃部について、そこまで深刻に考えてない!」
その答えに士狼の猫目は大きく見開いた。
「そりゃあ、無くなるのは嫌だよ」
相馬先輩が眼鏡を上げると、リュックを背負った参加者が同人誌の会計を求められた。
士狼は対応し、相馬先輩は感謝の意を言葉にした。
「けど、場所が無くなるだけで、活動は関係ないよ」
自分にはなかった考えだった。
いつも別れがつきまとう人生だった。
どうせリセットされてやり直しされるぐらいなら、作らなくていい。
友達と言えなくなったのは、適応の代償であった。
「だから心配しないで」
微笑む相馬先輩。
士狼は価値観の衝撃に硬直するだけだった。
「えっ、どうしたの!?」
余程こちらの反応が予想外だったのか、相馬先輩は慌てふためている。
「……俺」
士狼は真っ直ぐと相馬先輩を見る。
「──終わりは終わりだと、生きてたから……」
構築しては失くし、構築しては失くしの繰り返し。
やがて構築するのが億劫になっていき、やがて
それが高校二年生まで続いてきた。
家族を助ける為に、夢を諦めた
「もう慣れたと言わせない」と言ったのは。
人の繋がりを求めたが、いつからか諦めてしまった少年からの、メッセージであった。
「えらい極端な思考ね」
バッサリと相馬先輩は切り捨ててくる。
「山田君がめちゃくちゃ割り切った性格は、ここからかー」
顎に手を当てて、勝手に納得している様子の先輩。
「じゃあ逆に……今まで終わらせたくないモノはあった?」
士狼は泥を掬われたような気分になり、顔をしかめた。
「……」
士狼は天井を見つめる。
ずっと流れに身を任せて、転々としていた記憶が通り過ぎる。
「……」
長考して、ついにその答えに辿り着く。
ペルソナ能力を求めた始まりを──
「……ありました」
届くまで教科書を見せて貰った、委員長の顔が浮かんだ。
「あるじゃない! 無くなって欲しくないもの!」
弾む声で相馬先輩は、笑顔で言ってくる。
「終わって欲しくないから、私達は頑張るんだよ」
そう胸を張る相馬先輩が眩しく見えた。
「場所が無くなっても、心に在ればどこへでもいられる」
「……」
心臓の脈打つ音が聞こえた。
無くなったらそこで終わりだと思っていた山田士狼にとって、その考えは少しばかり光が差し込まれた気がした。
「あーでも、あの資料の山どうしようか……私が全部引き受けるつもりだけど」
相馬先輩は嬉しそうに笑っていると、父親が間に入ってこう言ってきた。
「……その前に部屋をなんとかしような」
ぎくりと音を立てて、相馬先輩はとても悲しそうな顔をして父親を見ていた。
「あー……イヤー!! 貴重な資料が!」
相馬先輩の叫びはコミックマーケットの会場を響かせていた。
※
二〇三〇年 八月二十二日
三善家。
沈黙が重い。
と
「……おふくろ、どうしてここに」
父さんは、どこか苦しそうな表情でここに来た理由を訊いていた。
訊かずとも明美には何が目的なのか想像できた。
「何って、進路相談だよ。いつまでも返事がないから来たんだよ」
明美がオープンキャンパスの案内を破り捨てたから、来ないのは当たり前だ。
お祖母ちゃんはむすっと口を結んで明美達を見ていた。
「……」
いつも優しいお父さんが縮こまっている。
お祖母ちゃんには逆らえないといった態度だ。
「……お
物言えぬお父さんに、お母さんが代わりに言ってくれた。
「身内だから安心して、任せられるんだよ」
皺が深く刻まれた口は動く。
「だから、明美に私の病院を継いで欲しいわけ」
お祖母ちゃんは厳しい視線を浴びせてきた。
この視線でずっと支配され続けたのかと、明美は感じ取り安居院君の言葉を思い出す。
”アイツらはバケモンだ……俺の事を人とも思ってねえ……”
(お父さん、お母さん……今まで守ってくれてありがとう)
自分の夢を応援する為に遠ざけてくれて。
両親の感謝の意を胸に抱くと、明美は
「……私は継がない」
その瞬間、空気が凍りついた。
お祖母ちゃんの皺が更に増えた気がした。
(私のシャドウは
自分も──
「私はね、茶道家になりたいの」
明美は石像のようなお祖母ちゃんを、凛々しい表情で見た。
「だから、お祖母ちゃんの病院は他の人が継いで欲しい」
こちらも束縛を蹴飛ばしてみせよう。
お父さんもきっとこうしたかったんだろうなと、明美は思っていると、お祖母ちゃんの手元は震えていた。
「どうしてだい、三善家で病院を守りたいお祖母ちゃんの気持ちが分からないのか?」
静かだがかすかに唇を震わせているということは、怒っているのだろうか。
「私だって守りたい物がある、お母さんもお父さんもある」
明美はプレッシャーをはね返す。
呪詛のように唱えてきたそれは、何年苦しませてきたのか。
「けど、それは病院じゃない……私は夢でお父さんとお母さんは私」
その言葉にお祖母ちゃんは睨みつけ、少しだけ空気が軽くなったような気がした。
「だから、お断りします」
茶室にいる感覚で明美は頭を下げた。
(お父さん、お母さん。今度は私の番)
自分を守る為に引っ越しまでしてくれた、親への恩返し。
明美は支配から助けようと、声を上げたのだ。
その間、数秒後。
頭上からお祖母ちゃんの声が降り注いできた。
「頭を下げればいいってもんじゃないわよ」
どうやら説得は応じなかったようだ。
安居院君の言った事が現実に、なってしまった。
「病院がどうなってもいいのかい、知らない人間がめちゃくちゃにされるのかも、知れないんだよ」
顔を上げると、お祖母ちゃんの表情からなみなみならぬ熱意を感じ取った。
「いい加減にしてくれ!」
声の元を辿ると、立ち上がって苦しそうに間に入るお父さんの姿があった。
「なんだい
お祖母ちゃんの眉がさらに釣り下がる。
「お、俺達三人で決めたんだ」
声を上ずりながらも、言葉を遮り、お祖母ちゃんと向き合うお父さん。
「お……俺は、受験に失敗して……何もやりたい事を思いつかなかったんだ……」
怖いだろうにと明美と母さんも一緒に、及び腰の父親の主張を見守る。
「だから、明美にはやりたい事をやらせたい」
その言葉を聞いて明美は心の底から安堵した。
「……俺の代替えじゃないんだ……明美は」
お父さんはそう口を閉ざすと、空気がまた一変した。
「この親不孝者!!」
お祖母ちゃんが立ち上がって、怒声を家中に響かせる。
「なんの為に育ててきたんだい!!」
鬼気迫る表情に明美は気圧され、思わず無言になってしまった。
「お、俺はおふくろの事、家族だとは思っていない」
父親はなぜか、痛そうに手甲をこすった仕草をし、深呼吸をする。
「……だから、帰ってくれ」
この宣言でお祖母ちゃんは足を強く踏みつけた。
「ああ! 帰るよ! 帰るとも!」
バックを乱暴に掴んで背中を向ける。
「アンタなんか生むんじゃなかった!」
置き土産として、お祖母ちゃんは罵倒すると玄関の扉を閉めた事が分かるぐらい、大きな音が聞こえてきた。
嵐が過ぎ去り、リビングは静かになると父親の身体中の毛孔から、汗が吹き出ている事に気づいた。
「お父さん大丈夫?」
最後まで悪辣であった存在に晒された父親を、明美はとても心配した。
「大丈夫だ。明美こそ、よく頭を下げたね……おかげで、父さんは後押しされたよ」
と父さんはふらりと倒れそうになり、その勢いで椅子にどさりと座る。
「明美に全部背負わせるわけには、いかないってね」
父さんが勇ましそうに微笑むと、明美の目元から涙が溢れた。
「私達……これで大丈夫だよね……」
滲んだ涙目は視界を歪ませる。
「多分な。もし、また何か言ってきたら、こっちでなんとかしとくさ」
これではっきりと伝えた。
祖母ちゃんの意志を背く姿勢を。
父さんと明美は、お祖母ちゃんの後継ぎの道具ではないのだと、主張したのであった。