「ようこそ、ベルベットルームへ」
青く輝くランプ。
青く蒼く満ちた劇場が見渡せる、ボックス席。
小さな円形のテーブルには部屋の主イゴールが、ベロア生地の豪華なベンチソファーに座るは、胸元が開いた青いドレスを纏うプラチナ髪のダイアナ。
「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは言いました」
ダイアナはイアリングを光らせて静かに語る。
「”無限の精神の体現者でありながら有限の存在である私たちは、苦悩と歓喜の両方を耐えるべく生まれついているのです”」
本を愛でるようにさする。
「”そして私たちにとって最善のことは、苦悩を通じて歓喜をかちうることだと申してもよいでしょう”と」
微笑むダイアナ。
ベートーヴェンの手紙を読み上げると彼女の膝に置かれた本の頭上に光り輝く、Ⅰの番号が振られたカードが落ちていく。
「あなた様に『魔術師』の絆の力を授かりました」
指揮者と炎を模した青いカードは本に吸い込まれていく。
「”
「それでは御機嫌よう」
イゴールがそう告げると、青い扉は閉じられた。
※
二〇三〇年四月二十日 自宅
「どう、新しい学校は慣れた?」
食卓の向かい側で母親が聞いてくる。
「ぼちぼち」
「いつもごめんな」
申し訳ない表情でコーヒーを飲む父親は、こちらを見てくる。
「仕事だから、仕方がないだろう」
小学校も中学校もそして今回も、友達ができたと思えば、深く付き合う前にすぐに別れが来る。
「それに⋯⋯」
視線を落としコーヒーの水面を見つめる。
また別れが来ると思うと、三人に深入りできない。
余所者で自己を控えめに過ごしてきた士狼にとって、瀧の無償だと思っていた助けはありがたく心地の良い物だと思っていた。
だからこそ、ただの気晴らし感覚で付き合わされていた事実に腹を立てたのだ。
「もう慣れたから」
テレビから流れる天気予報は、今日は晴れだという。
「そうか」
父親は士狼の曇り空を察したのか、気まずそうな態度を取られてしまった。
「ねえ、シロウ。今日は土曜日でしょう、気晴らしに出かけて来なさいよ」
母親はその空気を打破しようと提案を出す。
「⋯⋯考えとく」
朝食を食べ終わると、自室へそそくさと向った。
自室。
クローゼットと机とベットとカレンダーがある、物が少ない自室に戻ると、机に座り込む。
初めてこの街で過ごす休日かと、スマートフォンを眺めて調べようとインターネットを開いて、打ち込もうとした途端、通知がぽこりんと浮かんだ。
近衛からだ。
メッセージにはこう記されていた。
◀[今日、幸恵と一緒に街案内するけど来るか?]
「そう言われてもな⋯⋯」
先程、深い付き合いに億劫な人間にこの誘いは悩みどころである。
さて、自習で時間も潰せるのだが。
士狼は悩みに悩んだ結果こう打ち込んだ。
[集合場所は?]▶
◀[駅広場。地図送ってやるから]
と地図のデータが送られる。
◀[じゃあな!]
と近衛は退出した。
「なんで俺、また引き受けちゃったんだろう」
先程の悩みが馬鹿馬鹿しく見えてしまう行動に、落胆する士狼。
吉田杏奈の未練の件もそうだ、自分は流されるまま承諾してしまうのは何故だろうかと考える。
「⋯⋯どうせ、友達ができてもな」
机の中には学校で書かれた別れの手紙が書かれていた。
いつ年賀状を出さなくなったのだろうか、小学校の頃はちゃんと出していた筈だが。
いつ友達を作るのが億劫になってしまったのだろう。
銀の鍵のような指揮棒が頭によぎる。
クローゼットからそれを取り出す。
そして、開演の合図を送り振るう。
だが内人格の偶像は現れなかった。
「この不安は気づかれていなかったのか、それとも俺が気づいていなかったか」
扉についている鏡を見る。
士狼のシャドウが指摘したのは、瀧を助けられないのではという不安だけ。
何かあるのかと頭を抱えて悩んだ。
気が済んだのか指揮棒をクローゼットにしまい、黒革のジャケットを羽織る。
「行くか」
とスマートフォンを取り出し、近衛から教えてもらった地図のサイトにアクセスした。
※
駅前広場
「新入りくんどーも! 嬰琴市へ!」
近衛が満面の笑みで挨拶する。
私服は水流に鯉が描かれたスカジャンにオーバーサイズのズボンである。
(⋯⋯派手だな)
特に派手だと思ったのは両手のシルバーアクセサリーである
ゴツい指輪をたくさんはめており、瀧も注意するというレベルの数である。
そこにサングラスをすれば、完全にストリート系のヤンチャしていそうな感じになるファッションだった。
「本当によしりー、その両手ヤバイよね」
「かっけーからいいんだよ」
むっと近衛は口を結ぶ。
「おっ今日のネイル、いい感じじゃん、バイカラーだ」
近衛は芥川のネイルに気づいたのかそう褒める。
「あっ分かる? 流石よしりー」
芥川は嬉しそうに笑っている。
芥川幸恵の私服は、袖が大きめのへそ出しルックのトップス。
タイトなミニスカートから伸びるのは厚底ロングブーツ、首から大きめなペンダントが揺れる。
頭にはシンプルなカチューシャをしていた。
(ギャル? だな)
ギャル風な装いをしている芥川を不思議そうに首を傾げてしまった。
「へえー山田はロックだな! 意外なモン着てんじゃん」
近衛が近寄って、見上げてウインクをしてきた。
山田士狼は黒いレザージャケットに太めのベルトを腰に巻き、黒いジーンズにショートブーツ。
二人のファッションに挟まれると浮く、シンプルな装いであった。
なんだか気まずくなってきたと、士狼はしょげる。
「なんで!? 褒めたんだけど!?」
これを見た近衛は心外だという反応をしていた。
「⋯⋯そうじゃない、俺浮いちゃわないか?」
その言葉に二人は大笑いされた。
「ろうちん、変なとこ気にしすぎー!」
と芥川。
「考え過ぎなのか図太いのか、はっきりしろよー」
と近衛。
「俺はマジだっての」
ため息を吐いて、困った表情を作る。
「そりゃあ瀧と相性いいわー、そういうところオレは面白くて好きだぞ」
士狼は思い返すといくつか心当たりがあった。
瀧のリーダーシップにはいつも助かっている。
「こういうのは鋭いのな」
近衛に返すと、後頭部に両手を添えてにたりと生意気な表情を作った。
「まあね、オレは顔が広いから自然と身についたワケよ」
褒められたのが嬉しかったのか、声色が弾んでいる。
「無駄話はそこまでにして、早速ツアーをやっちゃうよ!」
芥川が仕切ると、ちぐはぐな三人は駅広場を探索した。
円を中心に作られたアーケード街は多種多様の店構えである。
コンビニ『コーソン』
ハンバーガーショップ『ワイルダックバーガー』
インターネットカフェ『快適倶楽部』
洋服屋『小鞠屋』
書店『森中書店』
ギター専門店『カリオペ』
町中華『青龍軒』
士狼は二人の話を聞いて他愛もない談笑をしていた。
そしてここは純喫茶『夢見堂』
老舗なのか、ここの内装はレトロで薄暗く落ち着いた店内であった。
店内はレコードが掠りながら、クラシック音楽を流していた。
窓際の席に三人が座ると、芥川はプリンアラモードとカフェラテ、近衛はメロンソーダ、士狼はコーヒーを頼んだ。
「疲れたー!」
「お前はしゃぎすぎ⋯⋯それと、本当に食うのか?
近衛は苦い顔で芥川を見ている。
「いいの! 先生も食事は無理しなくて良いって言ってたの」
芥川は膨れ面で反論する。
「⋯⋯だから妖怪
芥川の華麗な跳躍はバレエによるものだったのかと、士狼は納得し思わず呟いてしまった。
「ぎゃー! ろうちんに変なの覚えさせないでよ!」
芥川は悲鳴を上げると、近衛の背中を激しく平手打ちした。
「なんでオレ!?」
近衛は言ったのは士狼だろと余程痛かったのか、涙目で訴えてきた。
「アンタが言ったんでしょうが!!」
芥川はそう強気で返すと、士狼はドツキ漫才だなと口に出そうとしたが、こちらも手が飛んできそうなので内心に留める事にした。
「で、ここはどうだった?」
芥川は怒りに染まった釣り目が解けて問いかけた。
「店がそこそこあると思った」
田んぼに囲まれた小さな街に比べれば店が豊富に感じ、大都会に比べれば少々物足りない。
それを士狼はそこそこと評した。
「なかなか変わった感想だな」
微秒だと思われてそうな表情を近衛は作る。
「そうなのか?」
士狼はよく分からないと素直に顔に出してしまった。
「まー本格的に欲しいものと思ったら、ここじゃなくて東京に行った方が早いもんね」
芥川は窓の景色を眺めている。
その言葉に士狼は同意する。
土曜日なのに通り過ぎた人はまばらで、家族連れが少なかったからだ。
「そう考えると、中途半端なのかこの街は」
近衛は視野の狭さに気づくと、店員が注文の品を運んできた。
※
「おいしいー!」
嬉しそうにプリンアラモードを頬張る芥川。
銀の上品な器は、たっぷりのみずみずしい緑のキウイフルーツとメロン、赤のいちごとさくらんぼ、橙のオレンジ、黄のプリンとバナナ、白の生クリームとバニラアイスが乗っていた。
それにカフェラテという、士狼にすれば甘い物の大行進で考えるのをやめたくなる組み合わせだった。
「本当、ここのプリンアラモード好きだなお前⋯⋯」
鮮やかな緑のメロンソーダをつつきながら、引きつり笑いをしている近衛の姿。
「うん! たまにしか食べないけどね!」
満喫しているなと士狼はコーヒーを飲む。
ここのコーヒーは程よい苦味で、美味しいなと士狼は微笑みを作る。
「ところでさ、お前⋯⋯」
アイスを掬う銀の長いスプーンを器用に動かしながら、近衛は意味深に問いかけてきた。
「何?」
近衛がアイスクリームを掬って食べる。
「あれ興味ない?」
近衛の左手の指差しの先を見ると、貼り紙があった。
挑戦者求ム!
バケツプリンアリ〼
5000円!!
「無理」
士狼は芥川の注文の品でさえ、耐えきれなかったので真顔を作って即答した。
「だよなー高えし、食い切れる自信ねえ、一度は見てみたいが」
近衛はソワソワしながら、芥川に視線を向けている。
「体重管理に小言を言ったのは、一体どなたかしらねー?」
笑顔で芥川は言うと、プリンアラモードを再び堪能しだした。
「痛いところ突かれた」
近衛は肩を落としメロンソーダを飲み始めると、士狼もコーヒーに舌鼓をうった。
※
二〇三〇年四月二〇日 夕方
喫茶店を後にし、今度は駅広場から離れるとデパート『大菱屋』、総合アミューズメント施設『LAND1』と次々に案内されていく。
途中、怪し気な店も見かけたが近衛に袖を引っ張られてしまった。
「ひとまずここまで、じゃあまた! 楽しかったよ!」
芥川は笑顔で細身のブレスレットを回しながら、手を振る。
「おー、
近衛は小振りで手を振り返し、士狼はじゃあと短い言葉だけで芥川を見送った。
「お前さ、基本塩いよな」
近衛はいつもの調子でさらりと聞いてきた。
「えっそうか?」
士狼は心底不思議そうに近衛を見下ろす。
「なんつーかー、シャドウとやった時以外は一歩引いてるってヤツ?」
近衛はへらりと笑って力が抜けたような、話し方をし出す。
「……」
”⋯⋯どうせ、友達ができてもな”
士狼は今朝の言葉を思い出した。
「鋭いんだな」
士狼の猫目は近衛を真剣に映す。
「鋭いも何も、あんだけ長くいると分かるわ!」
近衛は前屈みになって言い放つ。
「もうちょい楽に行こうぜ!」
近衛は屈託ない笑顔を向けられ、それをただ眺める事しかできない士狼。
「それにこれから、長い付き合いになりそうだしな」
近衛の台詞に士狼は耳を塞ぎたくなった。
「じゃあ、月曜日学校でなー」
近衛は手を振って立ち去ると、二人は解散した。
「楽にか」
士狼は深呼吸すると、近衛の言葉を
※
二〇三〇年 四月二十四日 昼休み 体育館裏
「あと少しでゴールデンウィーク!!」
芥川はそう叫ぶ。
「そうだな」
部活用眼鏡から普通の眼鏡に変わっている
士狼はかぼちゃの煮つけを頬張っていると、芥川は口が止まらなかった。
「東京に行っちゃおうかなー、ネイルとか色々買いたいし」
上機嫌に芥川は弁当を頬張る。
「東京かー」
士狼は空に向かって呟く。
「山田くんは出かける用事はないのかい?」
「ない」
士狼は即答。
「そうか。あ……そういえば、眼鏡を買う時にこういうのを見かけたんだ」
瀧が先週の土曜日のツアーに参加できなかった理由を言う。
「こういうの?」
芥川も身を乗り出して、滝の前に集まる。
上着のボタンを外し、裾を広げると刀のように収まっている指揮棒を見せてきた。
「なにこれ?」
士狼は目を丸め、興味津々でそれを見た。
「ナイフホルダーで指揮棒を持ち運べるようにしたんだけど、どうだい?」
白い革製のベルトに収納できるカバーがついたものは、士狼の心に響いてしまう。
表情もほどけてしまった。
「珍しいな山田くんが、興味を持つなんて」
瀧が驚いた顔でこちらを見てくる。
「い……」
自己が引っ込んでしまったが、近衛の先日の言葉が後押しをしてくれた。
意を決し、士狼は言葉に出した。
「いくらで?」
言えたと士狼の内心は花園だった。
「僕のは四千近くだった、貯金していて助かったよ」
※
と、帰宅し貯金箱と財布の中身を確認した。
「……バイトしよう」