Sin and Punishment:Accelerando   作:アイダカズキ

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2 竜と罪人の祭典

【〈へファイストス〉最下層デッキ──貨物室】

〈へファイストス〉ほどの巨船ともなると、一日を通して真の意味で寝静まっているセクションなど皆無に等しい。

「全く勘弁してほしいよな……上じゃ金持ちどもがパーティ三昧だってのに、俺はお前と積荷の見回りかよ」

「勘弁してほしいのはお前の愚痴を延々聞かなきゃならない俺の方だよ。『特別ゲスト』が来てる以上、爆発物でも持ち込まれたら俺もお前もただじゃ済まねえんだぞ」

「へっ。どこのどなた様が来てるってんだよ? 国連事務総長か?」

 懐中電灯を手に巡回している警備員二人組のうち、片方が軽薄に笑ったが、もう片方はにこりともしない。

()()()()()()()

「えっ? ……この船のオーナーの、その更に上って、まさか……」

「わかったらもう少しは本腰入れろよ。首になるぞ、()()()()()()()でな」

 もう軽口を叩く余裕もなくなったらしい。二人はしばらく、大小いくつもの荷物が積み重なった貨物室を調べ続けた。

 薄闇の中を手探るようにして歩いていた片方が突然、奇妙な声を上げて尻餅をついた。

「どうした!?」

「ぶつかっただけだ……くそっ、こんなところにでけえ男の石膏像なんか置きやがって。しかも妙に生々しい……」

 手がかりを求めて宙を探った手が、何かの掛け布を掴んで反射的に引いてしまう。

 懐中電灯の光に照らし出されたのは──ガラスケースの中に眠る、一人の少女だった。

「死体、か……?」

「馬鹿言うなよ。ただの人形だろ」

「……それにしても、よく出来てやがんな。本当に生きてるみたいだ」

「そうだな。いけ好かねえゲージツカが作ったにしちゃ、ちょっとしたもんだよな」

 二人が口々に言う通りだった──緩やかに胸元へ垂れた栗色の髪も、うっすら上気したように見える滑らかな頬も、生きている人間さながらだ。貫頭衣に似た白一色の簡素なドレスも、その美しさを引き立てている。

「──ほお。芸術を見る目があるとは、悪党の手先にしては大したものよ」

 振り向くことすらできなかった。一瞬で、二人の爪先は優に30センチほど宙に浮いていた。大きな掌が首根っこを押さえ、暴れることすらできない。

 実際、振り向くまでもなかった──あの石膏像が二人を宙吊りにしているのだ。正確には、石膏像に化けていた大男だ。

「安心するがいい。その審美眼に免じて、命までは取らぬ」

 次の瞬間、大男は警備員たちの頭部をかち合わせ、一瞬で気絶させた。

「イナンナよ、もうよいぞ。危険は去った、当面はだがな」

 ガラスケースが内側から開き、人形に化けた栗色の髪の少女──イナンナが貨物室の床に裸足でひたりと降り立った。「はい。お手数をおかけしました、王子様」

「何の。石膏像に化けて侵入するとは、余の波乱に満ちた人生の中でもそうはない痛快な体験であった。不思議なものであるな、そなたの調合した石膏は。塗っておけば機械の目すら欺けるとは……ただ難を言えば、全身が痒くなることぐらいか」

 本当に痒いのか〈夢の国の王子〉アイネイアは顔をしかめて全身を掻いている。

「運び込まれる際の検査さえ騙せればよいので、もう剥がしても大丈夫ですよ。それに王子様、内部に入ることはできましたが、むしろこれからが本番です」

「わかっておる。余とそなたは、龍一たちが言うところの『後詰め(バックアップ)』であるからな」

「用心に用心を重ねても、用心しすぎということはありません。相手は〈犯罪者たちの王〉です」

「しかし、イナンナよ。そなたの得物は、本当にそれのみでよいのか?」

 王子が指摘するのも無理はない──彼女の手に握られているのは彼女の手に握られているのは粘土細工に使う木製の(へら)。どこの美術店でも買えるありふれたものだ。

「充分です。私は龍一さんやアレクセイさんのように武術を身につけているわけでも、ブリギッテさんのように弓に長けているわけでもありませんから」

「そうであったな。しかし案ずるな。そなたの傍らにいるのは、夢の国の王子である」

 言いながらアイネイアは一本の長剣を取り出す。無骨で装飾の一切ない、堅実な造りの長剣だ。しかし……。

「刃を、潰してあるのですか?」

「む? うむ、よくぞ気づいたな」訝しげなイナンナに、王子は笑ってみせた。「これは誰かを殺めるための道具ではないのだ。誰かに振り下ろすつもりもない──何しろ、金属の棒であっても頭にでも当たれば命取りであるからな。これはあくまで、身を守るためのものである」

「そろそろ私たちも動きましょう。ミルカさんでさえ参加しているのです」

「うむ。しかし、やはり気になるのはかのヨハネスの動きである……龍一たちの好きな言い回しをすれば『一筋縄ではいかないタマ』であるからな」

 

【数週間前──〈へファイストス〉船主《オーナー》私室兼オフィス】

 ラーヘシュ・〈金庫番(セイフオーナー)〉・カーンが〈王国〉から〈へファイストス〉を任されたのは、自分の資質だけではないことに彼は早くから気づいていた。ライバルたちがテーブルの下で足を蹴り合い踏み合い、時には直接殴り合い、結果的に次々と脱落していった中、彼のみがさしたる痛手もなく生き残り、〈犯罪者たちの王〉直々に〈へファイストス〉の実質的なオーナーとして任ぜられた。

 なぜ私に? 彼の困惑気味の問いに、

『係累がないからだ』

 と、プレスビュテル・ヨハネスは電話越しにではあるが、簡潔に答えた。

『いや、それも理由だが全てではないな……』ヨハネスが慎重に言葉を選ぼうとしている気配に、ラーヘシュは驚いた。『強いて言えば──君は私に似ている。自分にあるのは帳簿上の数字のみであって、金そのものにさしたる関心はない。女にも名声にも興味はない、それのみが自分を他者と際立たせるものであって、それがなければ自分など他人に見向きもされないという、その生き様がね。欲の皮の突っ張った俗物になど、あの船は任せられんよ』

 その通りだった。ラーヘシュが直接聞いた〈王〉の言葉はそれだけだったが、彼の本質を見事に言い当てていた。彼は疑問すら抱かずに従った──実際、選択肢などなかった。

 ヨハネスは良い買い物をしたと言える。新しいオーナーの下で〈へファイストス〉は各国軍・情報機関・犯罪組織・テロ組織のいずれとでも取引を行う〈王国〉最大規模の兵器商船として着実に利益を上げていった。兵器商船としてだけではなく、〈王国〉が新兵器を開発するための大規模研究施設(ラボ)も兼ねるようになってからも、支障はなかった──ラーヘシュにとっては『素体』として運び込まれる者たちの末路も、その新兵器によって生産される死体袋(ボディバッグ)の数も、統計上の数値以上のものではなかったからである。

 ラーヘシュ・カーンの立場は盤石だった。悪の組織の中間管理職としては、位人臣を極めたと言ってよいだろう。これ以上を極めようとしたら〈犯罪者たちの王〉を蹴落とすしかないが──彼の現在はそのような野心がなかったからこそなのだから、無意味な仮定である。

 他の可能性などあったか?

「あるわけがないだろう」

〈へファイストス〉の一室、船長ですら無断では立ち入れない私室兼オフィスで彼はそう吐き捨て、そしてそれを声に出すほど自分がその問いに没頭していたのに驚いた。仮にあったとしても、それは遥かに惨めな人生において、だろう。そうに決まっているではないか?

 

 ──しかし。

「あの〈(ドラゴン)〉が」

 彼は呆然と言った。「ロンドンを月まで吹っ飛ばしかけた〈竜〉が、私のこの……〈へファイストス〉に侵入しているですと!?」

 今、彼の目の前に立っている〈犯罪者たちの王〉の遣いと名乗る女の言葉を聞いて、彼は自分の人生がつまづき始めているのではないか、と思わずにいられなかった。

「次回オークションに、我らが〈犯罪者たちの王〉が出席なさることはご存知ですね? 相良龍一とその一味が、この機に乗じて動かないはずもありません」

 金髪に青い目の国家報道官でも務まりそうな女性秘書、そのアンジェリカと名乗る女は、腹が立つほど快活な口ぶりでそう言った。ラーヘシュは目の前の女が、実は自分の話をまるで聞いていないのではないかと疑い始めた。

「言うまでもなく、〈犯罪者たちの王〉と相良龍一は不倶戴天の敵同士です。彼ら彼女らの目的が奈辺にあろうと、我らが王は()()()()()()をお望みです」

「それはつまり……?」

「我らが王は仰せになりました──()()()()()()()()()()()()。たとえ『情報を抜く』だけが彼ら彼女らの目的でも、それを持ち帰らせるな、と」

 椅子に座ったままでなかったら、その場に崩折れていたかも知れない。鉄条網と機関銃の強化陣地に、生身で突撃を命じられた一兵士の気分だった。

 確かに〈へファイストス〉の堅牢さに疑いはない──兵器商船にして新兵器開発研究所としての性質上、幾重にも用意された安全策に加えて、船体強度だけなら軍の戦艦にも匹敵する。だが一都市を灰燼に帰しかけた怪物と、それに類する力を持った犯罪者どもが船内で暴れ回ったら、どこまで無事でいられるのか。カリブの一艦隊でさえ海の藻屑にした怪物相手に?

「無論、船内の警備チームのみで相良龍一に対処しろなどと命じるほど、我らが王も薄情ではありません。あなたには現在〈へファイストス〉で開発されている、全ての対〈竜〉兵器の運用を無制限で許可します」

 腹を括れ、と言われたも同然だった。

「……陛下の安全に関しましては、私が身命を賭してでも保障いたします」

「ああ、我らが王の警備状況についてはご心配なく。専属の警備チームも同時に入船させますので」

 そういう問題ではないのだ、彼は喉元まで出かけた言葉をぐっと堪えた。〈へファイストス〉には通称〈金剛杵(ヴァジュラ)〉と呼ばれる専属の警備チーム──通常の警備から「事前に問題を粉砕する」まで、その役目は多岐に渡る──が既に存在している。船内に異なる命令系統の警備チームが複数存在するのはセキュリティの観点から好ましくない。だがそれは〈竜〉の襲来に比べれば、取るに足らない些事ではある。

 吉報をお待ちしています。そう言い残してアンジェリカは去った。来た時と同様、空気に溶け込んだような失せ方だった。おそらくは現実歪曲技術の応用だろう。

 ラーヘシュは不意に、周囲のものを手当たり次第投げて壊したい衝動に駆られたが、そんな場合ではないと思い返した。代わりに、デスク上のインターホンを手に取る。「ユースフ警備隊長を私の部屋へ」

「お呼びですか、オーナー?」

 ユースフは、ラーヘシュの私室に入るなり、新兵募集ポスターからそのまま切り抜いたような堂々たる体躯を直立させた。かつてインド軍空挺コマンド部隊からラーヘシュが直々に引き抜いただけあり、〈へファイストス〉総合警備主任としても〈金剛杵〉隊長としても、経歴も能力も申し分ない。実際、幾つものトラブルが彼や彼が鍛え抜いた部下たちに「粉砕」されている。

「私の勤務に、何か問題がありましたか?」

「君に問題などないし、疑いもしていない。今日来てもらったのは、外部からの脅威だ」

 ラーヘシュはあの女性秘書の言葉を簡潔に伝えた。「奴らの狙いが何だろうと『生かして返すな』が陛下のお望みらしい」

「〈王国〉は本気なのですね」さすがのユースフも、今度の相手が酔客やごろつきや殺し屋ではなく〈竜〉と聞くと、動揺は隠せていなかった。だが少なくとも、怯えてはいない。

「現在開発中の対〈竜〉兵器の使用も無制限で許可された。君にその指揮運用を任せたい」

「そこまで……」ユースフは驚いたが、すぐに頷いた。「であれば、やり方はなくもありません」

 彼は手のタブレットを操作し、船内の見取り図を表示させた。

「居住区画や機関室での戦闘は論外……となると、戦闘可能な区域は自ずと限られます。それをピックアップし、複数の火力集中地帯(キルゾーン)を形成。相良龍一とその一味を個々に分断した上でこれらに誘い込み、殲滅します」

「ある程度の広さがあり、船内戦闘に辛うじて耐えられる強度の区域……確かになくはないな。逆に言えば、そこから奴らを出さなければよいわけだ」

 ユースフの静かな自信に満ちた顔を見るうち、ようやくラーヘシュにもいけるのではないか、という気持ちが蘇ってきた。「よし……頼むぞ。兵器だけでなく、他に必要なものがあればいくらでも申請してくれ。私や君の乳首が鼠の餌になる前に、できることはまだある」

「いただいている給料分の働きはしますよ。あなたのおかげで下らない嫌がらせをしてくる上官を地獄に叩き落とせましたし、甥をデリーの工科大学に進学させられましたからね」

 ここは私の城だ──椅子に身を沈めながらラーヘシュはそう思った。誰にも手出しさせるものか。たとえ相手が〈竜〉であっても。

 

【同じ頃──〈カルネアデス〉会議室】

『〈へファイストス〉の警備状況を知りうる限り調べてみたが、結論から言えば、鉄壁だ。物理・電子両面から見てもまるで隙がない』

 だろうな、と龍一は頷いた。何せ〈王国〉の兵器商船にして海に浮かぶ新兵器の実験場だ。厳重な警備など不思議でも何でもない。

『船内を巡回する〈金剛杵〉なる警備チームは、大半がインド軍空挺部隊の出身者だ。ほぼ全員が実戦経験者であり、現存する軍事ハードウェアへアクセスが可能であり、しかも〈竜〉を想定した現実歪曲兵器の扱いにまで長けている』

「……ありがたくない話ね。戦闘のプロというだけで侮れないのに」

『同感だが、気が滅入るのはこれからだ。船内は無数の防犯カメラによって常時監視されており、しかも乗客の一人一人を顔認証によって追跡し続けている。少しでも怪しげな行動を取れば、すぐに先刻の〈金剛杵〉の出動だ。件のオークション会場も公平性保持のため、スマートフォンを含む無線機器は例外なく持ち込み禁止。船内ネット環境も完全な閉鎖系ネットワークで構築されており、しかも24時間体制で監視されている。私ですら侵入は無理だろう』

「どうにもならなくねえか?」

「シュウくん諦めるのが早すぎるよ……ここに集まったのは『どうにもならない』を再確認するためじゃないんでしょ?」

『その通りだ。確かに警備は厳しいが、手がないわけではない。侵入が厳しいほど内部に「足がかり」さえ作れれば、そこから突破は可能だ。アレクセイ、君に頼みたい」

「頼まれたよ」静かな自信とともにアレクセイが頷く。「侵入不可能な場所」へ入り込むのに、彼以上の人選はないだろう。

『ブリギッテ、それにミルカとシュウはゲストないし会場のスタッフとして入選してもらう。偽造身分、それに顔認証の偽装は、私が細心の注意を払って用意する。ただしくれぐれも過信は禁物だ。心してくれ』

「任せてください。私ももう皆さんの一員です!」

 両拳をぐっと握ってみせるミルカのやる気は疑いようもない、が、

「……早くも心配になってきたのは俺様の気のせいか?」

「正直、心配しても仕切れないけど……人手が欲しいのは確かね」

 シュウとブリギッテは不安を隠せないでいる。

『──そして、肝心のオークション会場だが。出典される〈竜〉応用技術がどのようなものなのか。そして何より、開催式に出席する〈犯罪者たちの王〉は本人なのか。龍一、君が直接、自分の目で確かめてほしい』

「いいの? 龍一は〈王国〉に顔が割れているんでしょう?」

『危険がないとは言えない。だが私は、あえて龍一が行くべきだと考えた。なぜなら君は原初の〈竜〉であり、何より〈犯罪者たちの王〉との因縁があるからだ。単に奪うのか、あるいは完全に破壊するのか。殺すのか、それともその前に話し合うのか。今までの蓄積されたデータから判断するに、相良龍一という男がその判断を誤つことはないだろう──私はそう判断した。人工知能らしからぬ判断の仕方だが』

 全員が龍一に注視した。龍一は少しの間考え──そして、悩む必要もないと気づいた。

「……わかった。任されよう」

 どうせ俺一人でも、ヨハネスには「挨拶」に行く予定だったのだ。

『頼む。さて、後は具体的な船内での連絡方法だ……ネット環境常時監視状態での無線通話など、盗聴してくれと言っているも同然だからな。一工夫する必要がある』

「それなら、俺に考えがあるんだ」

 龍一は一枚の薄片を取り出し、全員の目の前に置く。「ミルカ。これが何だかわかるかい?」

「うーん、何だろ……ガラスでもプラスチックでもない。初めて見るはずなのに、どこかで見覚えがあるような……?」

 薄片を手に取って捻り回していたミルカがのけ反る。「え!? これ、横から見たら()()()()()よ!? 厚みが……全然ない!」

 ブリギッテも目を見張っている。「完全に2次元の物体ということ? 概念どころか、本当に?」

「……わかった! これ、龍一さんの〈鱗〉ですね?」

「ご名答。こいつでいろいろ試したんだが、面白い機能があるのがわかった。こんなふうに」

 龍一は掌にもう一枚の薄片──〈鱗〉を現出させ、それを指先で二つに割った。

「わ!?」

 ミルカがまたものけ反ったのは無理もない。ほぼ同時に、彼女が手にしていた〈鱗〉も割れたのだ。全員が見守る中、両方の〈鱗〉は空気中に溶け込むようにして消えた。

「距離も遮蔽物の有無も関係ない。複雑なやり取りはできないが、GOサインには充分だろう?」

「便利じゃねえか!」

「ただし、こいつを全員に配るのは無理みたいだ。どんなに努力してもせいぜい一対分出すのが限界だった。だから……」

 龍一はもう一度〈鱗〉を現出させ、それをブリギッテに差し出した。「君がこれを持っていてほしい。俺からの合図があり次第〈へファイストス〉のブリッジを制圧してくれ」

「え……」

 聡いブリギッテが自分の担った役目の、その重さがわからないはずもない。だが躊躇は一瞬だけで、すぐ彼女はそれを受け取った。「……わかったわ。それがあなたの望みなら」

「頼もしいな。それでこそブリギッテ・キャラダインだ」

 満更でもなさそうに彼女は咳払いする。「取ってつけたように褒めてくれなくていいわ。私はただ、自分の役割を果たすだけよ」

「……『付き合っていない』と言う割にはやり取りがこなれすぎているように見えるのは何故だ?」

「ハリウッド映画の元夫婦みたいですよね。離婚はしたけどお互いまだ未練がある系の」

「ミルカと王子、後で話があるからね? ……アレクセイとイナンナも理解者顔で頷かないで! あと龍一、笑っている場合じゃないでしょ! 肝心のあなたが!」

 言われて初めて、龍一は自分が笑っていたことに気づく。「潜入作戦、それなりに形になってきたかな?」

 

【現在──〈へファイストス〉一般乗客立入禁止区域】

「……龍一の言葉ではないけど、確かに大した光景だ」

 眼下に広がる空間を一望しながら、アレクセイは呟く。

〈へファイストス〉のもう一つの顔──先端兵器・技術開発区画である。真昼のようにくまなく照明で照らされた広大な空間には、体育館のような──龍一なら「カマボコみたいだな」と言いそうだ、と彼は思った──大型の建物が幾十と並んでいる。〈王国〉の底知れぬ財力と影響力を思わせる光景だ。

 アレクセイの目的はその一つ、『水上・水中兵器評価試験場』だった。その名の通り、内部には小型の潜水艦程度なら楽に浮かべられる巨大な水槽が置かれ、人工の波や潮流すら再現できる環境が整っている。

 アレクセイは天井近くの梁から飛び降り、足を軽くたわめただけで着地する。その足で真っ直ぐ、評価試験場の一画──警備員詰所へと向かう。

 身を隠さず、顔すら隠さず、彼は堂々と詰所に入った。咎める者はいない。何人もの警備員とすれ違い、挨拶し、手近なワークステーションに歩み寄り、読み取り口にデータキューブを挿入する。

 数分とかからずにアレクセイは詰所を後にした。やはり誰一人制止する者はいなかった。〈同調〉は完璧に作用していた。

 これで船内ネットワーク環境への侵入は完了した。どれほど強固に守られたシステムでも、内部から「汚染」されればお手上げである。いざとなれば一瞬で船内の警備システムをダウンさせられる。もちろん最後の手段ではあるが。

(後は、龍一次第だな)

 

【同時刻──ウェルカムパーティ会場】

「わ、私、いつまでウェルカムドリンク配ってればいいんだろ……」

 パーティが始まって数時間。ミルカは早くも疲弊していた。人が減らない上に、新しいドリンクは次から次へと運ばれてくる。シュウは自分の仕事があるとかでどこかへ行ってしまったし、仕方ないこととはいえ少々寂しい。

(それに交代の人も全然来ないし……これ潜入がどうこう以前に、ただのバイトとしてもきつくない?)

 とうとう足元がふらつき始めた。あ、これはまずいなと思った時、

「いただくわ」

「わひゃっ!?」

 首筋に冷たいものを当てられた。ドレス姿で空のカクテルグラスを手にしたブリギッテが、すぐそばに立っていた。チェリストに扮しているらしく青と白の左右非対称なステージドレス姿で、音楽ケースを手にしている。髪はアップにまとめて綺麗な首筋を露出させており、見慣れているはずのミルカでさえ見惚れるほどの優美さだ。

「ちょっとあなた、ふらふらしているじゃない! すみません、この子借りていきます!」

 周囲のウェイターたちに有無を言わせぬ態度で宣言しておいてから、ブリギッテはミルカの肩を抱いて手近な椅子に座らせてくれた。

「あ、ありがとうございますブリ……じゃなかった、ええと、ありがとうございます」

「どういたしまして。夜はこれからよ。身体を大事にね」

 ウィンクを一つして、ブリギッテは潜入中とは思えない堂々たる足取りで立ち去っていった。ミルカは口を半開きにして見送るしかない。

「……あ!」

 ミルカが手にしていた銀の盆に、指先大の何かが二つ置いてある。イアホンだ。

 周囲の誰もこちらを見ていないのを確認し、ミルカはすばやくそれを耳孔へ押し込んだ。

 

【同時刻──〈へファイストス〉船内地中海風レストラン〈サラミス〉厨房】

「……おい、砂糖の袋が一つ足りないぞ?」

「予定より多く使ったんじゃないか? 何しろ昨日の今日だ。港で補充したのもだいぶ前だろ」

「そんなはずはない。いくら数えても一つ足りないんだ。おかしいな、あんなかさばるものを数え間違うはずもないのに……」

 

 ──厨房のコックたちが首を傾げていた頃、近くの従業員用男子トイレの個室では見る者がいたらぎょっとするような光景が展開されていた。

 ウェイターの制服を着た若い男──青年どころか少年に近い若さだ──が、一抱えもある砂糖の袋を頭上に掲げ、中身をざらざらと口中に流し込んでいるのだ。

「うっぷ……まあ、こんなところか。〈八卦炉〉の作動には充分だな」

 袋を丸々一つ空にしてしまうと、若い男──シュウは一つげっぷを吐き出してから、腹を撫でた。

「警備が厳しくて得物を持ち込めないんなら、中へ持ち込んで作ればいい……確かに理屈だが、この俺様を便利づかいするなんて〈白狼〉もいい性格してるぜ」

 やがてシュウの袖口から、非常に細かい砂のようなものがこぼれ始めた。ナノマシン、と呼ぶにはやや大きいが、顕微鏡でもなければ全体を確認できない、極小機械の群れである。

 いかに船内監視システムのセンサー群が優秀だろうと、どの船にも必ず生息している鼠や蠅などの小動物類までは感知できない。できたらできたで、警備どころではなくなってしまうからだ。

 シュウが体内で製造した微小機械群は事前のプログラム通り、船内の各所に散らばっていく──が、彼は急に顔をしかめた。寸分の狂いもなく動作していたそれらが、突然『本体』たるシュウとの通信を途絶したのだ。

(ふん、やはりな……)

 機械である以上、機械による防護策も有効ではある──例えばファラデー構造の研究室や、電磁シールドなどの。強引に突破できないこともないが、あえて今はしないでおく。

(それにこれだけ厳重に守っているってことは、ここに『何かがある』って白状してるのも同然なんだよ)

 反応が途絶えた地点をマーク、座標を〈白狼〉に送っておく。

「仕込みは上々……そろそろ無線使ってもいい頃合いか」

 シュウがイアホンを装着した途端、聞き覚えのある──ありすぎる声が耳に飛び込んできた。

『あ、シュウくん、やっと繋がった! 私もう疲れちゃった……足は痛いし、周りは知らない人ばっかりだしで……』

「何でいきなりベソかいてんだよ! さっき会ったばかりだろうが?」

 今度は別の聞き覚えある声──正確には大音声が耳を貫いた。『ミルカよ、息災であったか! よきかな! そなたなら苦難に負けず己が役割を全うするものと、余は信じていたぞ!』

『ちょっと王子!? あなたこそどうして数年ぶりに会ったみたいな挨拶しているのよ!?』

『ああ済まぬな、ブリギッテよ。もちろんそなたのことも忘れてはおらぬぞ! そなたほど強く美しく、そして優しい娘のことをどうして余が忘れようか!』

『そういう話はしてないってば!』

 ブリギッテの嘆きと、イナンナの微苦笑を聞きながらシュウはぼやく。

「能力的には申し分ないんだが、人選には問題あるんじゃねえかな、このメンツ……?」

 

【深夜0時──オークション会場】

 会場は入り口から客席にかけてが一番高く、そこから観客の視線が集中する中央部が順に低くなっていく、擦り鉢状の構造になっていた。大学の講義室に見えないこともない。ただし、中央部のスペースはちょっとした運動場ほどの広さがある。ローマの決闘場《コロセウム》みたいだな、と龍一は思った。

 既にオークションの参加者たちは、大半が着席を済ませていた。中でも目を引くのは、背をすっと伸ばした姿勢が印象的な、シックなドレスの麗人だった。梟の仮面で顔は隠しているが、すらりとした肢体の優美さは隠し切れない。

(なんか、妙に見覚えのある奴が多いな……)

 そう思ってよく見ると、先ほどから苛々と貧乏揺すりが目立つ狐の仮面を被った男はあの趙安国そっくりだし、少し離れて悠然と胸の前で手を組んでいる、蛙の仮面を被った長身の男は林永成に見えてくる。覚悟はしていたが、潜入先に知り合いが大勢いるのはあんまりありがたくはない。

 他に目立つのは、髭面の海賊の仮面を被った若い男と、眼帯をつけた海賊の仮面を被った若い女のコンビだ。

「ふふふ、欲の皮の突っ張った商人どもが雁首を揃えておるわ……大枚はたいてオークションに参加した上に、目的の品をかっさらわれるとも知らずに……」

「馬鹿兄貴! オークションも始まらないうちから不穏なこと言って目立とうとしないでよ!?」

 闇オークションなんて参加するのは初めてだが、それにしても濃いメンツだと思った。人のことは言えないが。

 知人に話しかけることもできない上に、会場に入る際に無線機器の類は全て取り上げられている。仲間と減らず口を叩き合うこともできやしない。急に心細くなってはきた──が、そうも言っていられない。ブリギッテもアレクセイも、今頃は所定の位置に着いているだろう。

 そうしているうちにホールの中央に、司会らしき男が進み出て一礼する。白のスーツに、白のネクタイ。デフォルメされたコミカルな鼠の仮面を被っており素顔は見えないが、身振りや足取りからして若い男に間違いはないようだ。

「間もなく本日の主賓──我らが〈犯罪者たちの王〉が来席なされます。会場の皆様、まことに恐縮ではありますがご起立願います」

 司会の言葉と同時にいくつもの足音が鳴り響き、ダークスーツの屈強な男たちが入り口から左右に展開した。ボディガードたちだろう。

 そして。

『……東の者は西にあると言い、西の者は東にあると言う』

 ボイスチェンジャーでも使っているのか──異様にひび割れた聞き取りづらい声に、それでも龍一を含め、会場の全員が耳をそば立てる。

『どこにでもあって、どこにもない国──私はそれを築き上げた。人類史上、誰も見たことのない〈罪の王国(キングダム・オブ・ザ・シン)〉を』

 電動式の車椅子がゆっくりと現れる──それに座る小柄な影の顔は、逆光ではっきりとは見えない。

『私こそがあらゆる犯罪者たちの上に君臨する〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスであり──人類最後の犯罪者である』

 声にならないざわめきが会場を満たした。知り合いでないはずの者たちですら、互いに仮面を被った顔を見合わせている。あらゆる国家の軍が、情報機関が、司法当局が血眼になって追い求めても、その影すら掴ませなかった〈犯罪者たちの王〉が、本当にここに……?

 信じられないのは龍一も同様だった。波多野仁が炎の中に消えてから今日までの、高塔百合子が生死不明になってから今日までの、国家そのものに追われる身となってから今日までの、死闘と試練の日々を思った。その気になれば、ここからあの車椅子までの距離は十数メートルとない。周囲のボディガードなど〈竜〉を開放すればまとめて叩き潰せるだろう。もちろんその後、龍一もただでは済まないだろうが──少なくとも、悪夢は終わる。

 いや、本当にそうだろうか。

 あえて自分を落ち着かせた。あの車椅子の人物が、ヨハネス本人である保証はどこにもないのだ。

『皆、着席してもらいたい。本日の入札に私は一切不介入しない。ぜひとも自分の目で確認してほしい』

 その言葉に、全員が着席を始めた。龍一も腰を下ろしたが、意識せずに車椅子から目を離すことはできなかった。

 同時に、あの車椅子の人物がこちらを見ているのではないか……という疑念がどうしても拭い切れない。くそっ、自分の感覚が信用できなくなるなんて、小学生以来だ。

「かつてカリブの一艦隊を跡形もなく沈め、ロンドンを灰燼に帰しかけた〈竜〉──現実を捻じ曲げ物理法則さえ歪める、その強大にして不安定な力を我が物とできないものか。私ども〈王国〉の兵器開発部門はその一部再現に成功いたしました。スタッフには既存の研究機関や犯罪組織内で〈竜〉の研究に携わっていた者たちも多く参加しており、困難を極めはしましたが、しかし彼らは〈王国〉の全面的な支援を受けてついにやり遂げたのです」

(やはり〈島々(アイランド)〉の残党を取り込んだのか……!)

〈白狼〉の懸念は的中していた。不完全で不安定ではあっても〈竜〉の権能を再現していた〈鼠の王(ラットキング)〉の開発スタッフが加わっているのなら──少なくとも軽視はできないだろう。

「さあ、お待たせいたしました。これが本日の目玉商品です!」

 床が二つに割れ、昇降台に乗った大型のガラスケースがゆっくりと競り上がってくる。

 今度こそ、どよめきが会場内を満たした。車椅子の〈王〉も司会も、それを咎め立てする様子すらない。

 全員の目がガラスケースの中身に注がれていた──驚愕の目が。もちろん龍一もだ。

(〈竜〉なのか……?)

 もちろん厳密には違う。だが、似ている。おそらくは試作段階なのだろう、機体のあちこちに計測センサーや剥き出しの駆動機関らしきものが見て取れる。だがその全体像は、明らかにHWや強化外骨格とは一線を画していた。

 いや、見てくれは問題ではない。龍一にはわかった──それが機械的に再現された〈竜〉であることを、〈竜〉である龍一には本能的に理解できたのだ。

「これぞ〈王国〉がどの国家や企業にも先駆けて開発した、〈竜〉の権能を機能として駆使する未分類特殊強化外骨格──私どもはこれを〈ヤマンタカ〉と名づけました」

 音もなくガラスケースが展開し、開放された〈ヤマンタカ〉が一歩進み出る。常人を遥かに越える巨体でありながら、駆動音も重々しい足音もない。まるでダンサーを思わせるしなやかな足取りだ。場内のどよめきは収まるどころか、さらに大きくなる。

「〈ヤマンタカ〉とはサンスクリット語で『閻魔(ヤマ)を殺す者』。仏教での呼び名は大威徳明王。水牛に跨り青黒い顔で六本の腕それぞれに武器を持ち、一説には憤怒をもって悪を滅するために文殊菩薩が化身した姿とも言われます。装着者次第で仏にも鬼神にもなる、まさにこの機体にふさわしい名と言えましょう」

 突然繰り出された仏教用語に欧米圏の客たちは目を白黒させているが、あの見覚えのある男たち──アジア圏出身の趙や林たちは深く頷いている。

 確かに青黒く塗装された〈ヤマンタカ〉の機体は、そのまだ未知数の力と相まって異教の神像じみて見えた。

「さて、退屈な能書きはここまでにいたしましょう。そうは言われても、実際の性能を見ないことには……という皆様のお気持ち、よくわかります。次はデモンストレーションです……!」

 再び会場の床が割れた。今度迫り上がってきたのは──〈ヤマンタカ〉を遥かに越える巨体を金属の四つ足で支える、巨大な金属の塊だった。

(あれは……)

 見覚えがある。中国軍正式採用の拠点防衛用移動トーチカ〈祝融〉だ。もちろん闇市場においそれと流れるような代物ではないが、〈王国〉の兵器商船なら調達くらい造作もないのだろう。

「この機体の操縦者たちは〈王国〉に損害を与えた不埒者たちです。捜査機関に情報を横流しした裏切り者、帳簿を誤魔化して上前を掠め取ろうとした不忠者。ですが我らが〈犯罪者たちの王〉は、慈悲深くも彼らに助命の機会を与えました。もちろん、賞品は彼ら自身の命です!」

 龍一は合点した──コロシアムのようだ、という直感は間違っていなかったのだ。このオークション会場自体、元々は評価試験場だったのを無理に造り替えたのかも知れない。

(兵器商船と新兵器開発研究所に、処刑場まで兼ねているのかよ……!)

 悪党どもの欲張りセットすぎるだろ、と呆れてしまった。しかも〈海賊の楽園〉のような無法地帯ならともかく、ここは公海である。〈王国〉の影響力が猖獗を極めているのは今に始まる話でもないが、これほどとは。

「公正を期すため、お互いの性能や兵装は事前に伝えてはいません。操縦者もたっぷりと食事と休息を取らせ、シミュレーターによる操縦訓練も行わせております」

 確かに公正ではある。相手が通常兵器など歯牙にもかけない〈竜〉の権能を再現した恐るべき兵器であるのを除けば。

「それでは──開始!」

 司会の声の残響も消えないうちに、〈祝融〉が動いた。脚部に内蔵された走行タイヤを用い、巨体に似合わない速さで〈ヤマンタカ〉までの距離を一気に詰める。ほぼ同時に巨獣の牙──ガトリング砲とグレネードランチャーから成る複合ウェポンマウントが起き上がった。

 対する〈ヤマンタカ〉は──臆した様子もなく、ただ右手を反対側の腰へ、静かに当てがっただけだ。

(いや、あれは……)

 龍一はすぐに気づいた。あれは()()だ。

 観客の大半は不審げな様子を隠せないが、あの蛙面の男──林は興味深げに、顎へ手を当てている。仮面の内側で「ほう……」とでも呟いているのかも知れない。

 防御も回避も困難な距離から、無数の銃弾と擲弾が放たれる。〈祝融〉の火力なら、主力戦車以外の装甲車輌など簡単に大破するだろう。まして人間サイズの強化外骨格なら言うまでもなく、ひとたまりもない。

 だが〈ヤマンタカ〉は、優雅さを失わず静かに腰へ当てた右手を一振りした──いや、抜き放った。

 その一振りで、あらゆる攻撃が消え去った。文字通りに。

「……は?」

 誰かがそんな間の抜けた声を発したが、失笑する者もいない。誰もが言葉を失ったのだ。もちろん、龍一を含めて。

「これが〈ヤマンタカ〉第一の機能──()()()()()()()()()()()()()()()()です。ほんの少しだけ次元を()()()だけで、あらゆる攻撃を無効化いたします」

 果たして司会の言葉を、どれほどの者が聞いていただろう。

 声こそ聞こえてこないが、〈祝融〉のパイロットたちはわけがわからなかったに違いない。必殺を確信した猛烈な砲火が、魔法のように消え去ったのだから。

 今度は複合ウェポンマウントだけでなく、背のミサイルポッドまでが展開する。火力全開、出し惜しみなしの戦闘態勢だ。

 だが〈ヤマンタカ〉の装着者はどうやら付き合うのをやめたらしい。

 振り切られていた右手が、静かに反転する。抜き放った刃を、もう一度切り上げるように。

 ()()()()()

〈祝融〉の巨体が、中心部から二つにずるりと割れた──中のパイロットごと。

 重々しい音を響かせて〈祝融〉の巨体が崩れ落ちる。派手な爆発一つない静かな決着だったが、それが余計に劇的だった。パイロットたちは、何が起きたのかもわからずに絶命したに違いない。

「〈ヤマンタカ〉第二の機能──()()()。最大の防御は最大の攻撃ともなり得ます。作り出された時空の断裂は、あらゆるものを両断するのです──主力戦車も、最新鋭の空母も、核弾頭も。通常兵器で〈ヤマンタカ〉の攻撃を防ぐのは、現状不可能です」

 ──会場内の全員の思考が、目まぐるしく回転しているのが手に取るようだった。

 油断も隙もない武器商人たちだからこそ、今の光景を理解したのだ。これははったりでもトリックでもないと。

「〈ヤマンタカ〉の性能をたっぷりとご覧にいただけたところで、待望のオークションを開始いたします。最低額は100万ドルからです!」

 会場のあちこちから失笑が漏れる。100万では数世代ほど型落ちした戦車すら買えないのだから無理もない。

「1000万!」

「2000万だ!」

 熱に浮かされたような声が飛び交い始めた。司会の狙い通り、〈ヤマンタカ〉の性能にすっかり当てられた者は少なくないようだ。

「い、いや5000万……あの性能なら充分釣りが来る!」

 あの狐面──どう見ても趙にしか見えない男が声を張り上げれば、

「では8000万で」

 林にしか見えない蛙面の男も値段を釣り上げる。

「一億……ドル!」

 龍一も負けじと参戦した。競り落とせるかどうかは厳しいが、流血沙汰なしで入手できるならそれに越したことはない。

「10億ドル」

 凛然とした声に場内の空気が凍りついた。そちらを見るまでもない──あの梟の仮面の麗人だ。

 効果は絶大だった。背骨でも抜かれたように腰を浮かせていた者たちが脱力して椅子にもたれかかる。何しろ10億ドルなら、米軍の最新鋭戦闘機が10機は買えるのだ。

 早くも狐面が浮かしていた腰を下ろし、そのままふんぞり返った。やってられっか、という声がここまで聞こえてきそうだ。

「に……20億ドルだ!」

「100億ドル」

 追随者たちがまとめて薙ぎ倒された。

 負けを悟ったように蛙面が全身から力を抜くのが見えた。国家から与えられた予算を早々に越えたらしい。

「100億! 100億出ました! それ以上を出されるお方は? おられなければ、〈ヤマンタカ〉はこちらのご婦人のものとなります! ……いらっしゃらない? では〈ヤマンタカ〉、100億ドルで落札です!」

 声にならない呻き声が場内に充満した。

「おめでとうございます。『商品』は後ほど発送させていただきます。ところでご婦人、よろしければこちらの〈ヤマンタカ〉を何にお使いになるか伺っても……?」

「それは内緒、ということにさせていただきますわ。買ったものを何に使うかなど、私の自由ですから。それを詮索するのを世間的には『野暮』と呼ぶのではないかしら?」

「はは、これは手厳しい!」

 茶番やってやがる、と恨みがましい視線が二人のやり取りに注がれる。だが龍一は実のところ、それを半分も聞いていなかった。

 ──彼女には悪いが、あの機体をこの船から出すわけにはいかない。

 龍一の見たところ〈ヤマンタカ〉の性能は龍一の体内に宿る〈竜〉の半分にも及ばない。せいぜいオリジナルの兵装、それもそのほんの一部を再現できているに過ぎない。問題は、それが「兵器」として闇市場に流出することの、大小無形の影響だ。

 戦車も戦闘機も、使いようでは核すら無効化する兵器……それが世界中に撒き散らされたらどうなるのか。HWとは比べ物にならない地獄が現出するだろう。

 龍一がただの犯罪者なら見過ごせるかも知れない。だが龍一は犯罪者であると同時に〈竜〉でもあるのだ。

 龍一は静かに、深く息を吸い込んだ──覚悟を決める局面だ、と自分に言い聞かせた。〈ヤマンタカ〉は看過できない。〈竜〉応用兵器の市場流通化は、それだけで全世界の生きとし生けるものの悪夢だ。完全に破壊するしかない。たとえそれが時間稼ぎに過ぎないとしても──〈竜〉の兵器化をほんの少し遅らせるだけだとしても。

 焦燥よりむしろ使命感とともに、龍一は手の中の〈鱗〉を粉々に握り潰した。

 

【同時刻──操舵室前廊下】

 突然響いた、硬質な何かが割れるような音にブリギッテは足を止めた。

 弾かれたようにドレスのポケットを探る。掌を広げて、彼女は凍りついた──龍一から受け取った〈鱗〉は、極薄プラスチックのような細かな破片と化していた。彼女の目の前でそれはさらに細かくなっていき、ついには空気に溶け込むようにして消えた。感触すら残っていない。

(完全破壊の合図……闇オークションに出品されたのは、それほど危険な技術だということ……!?)

 事前に決めたやり取りでは、合図が届き次第ブリギッテは即座に行動しなければならなかった──操舵室に突入、どのような障害があろうと排除し〈へファイストス〉の制御を奪取せねばならない。

 完全武装の特殊部隊ですら容易ではない役目だ。だが彼女は〈竜〉である以前に、ブリギッテ・キャラダインでもある。

(……わかったわ。それがあなたの決断なら、私も迷わない!)

「全員聞いて。完全破壊よ。ただちに動いて!」

 返事すら待たず、彼女は走り出した──ここからは時間との勝負だ。

 通路を巡回中の警備員二人が、彼女を認めて弾かれたように反応した。情報によれば、警備員は全て実弾入りの拳銃で武装している。何しろ武器商人や犯罪者が集う船内での荒事を想定してだから、あながち大仰とも言えない。

 ただし、ブリギッテも荒事には慣れている。

「止まれ! この先は立入禁……」

 皆まで言わせず、彼女は音楽ケースの取っ手を握り締めた。一挙動で取っ手が外れ、ケースの中身が展開する。一瞬で展開する仕掛け(ギミック)と、充分な殺傷能力を合わせ持つ複合弓(コンパウンドボウ)は〈白狼〉自らの設計だ。

 拳銃にすら不可能な、稲妻よりも疾い二連射。一人は喉に、もう一人は胸に、金属製の矢が深々と突き刺さる。

 警備員たちは銃弾を想定して防弾チョッキを着ていたが、弓矢はさすがに想定外だったようだ。

 好き好んで暴力を振るいたいわけではない、傷つけたいわけではない、殺したいわけではない──だが躊躇して龍一やアレクセイ、ミルカやイナンナが殺されるくらいなら私が殺す。ロンドンでの、新香港での死闘を経てブリギッテが身につけてしまったのは、そういう類の苛烈さだ。

 床で痙攣している警備員たちに、念のためとどめの一矢を打ち込んでからブリギッテは操舵室のドアを開け放った。次の矢を番えるのも忘れない。

 だが矢は放たれなかった。操舵室には誰もいなかった──矢を放つ相手も、制圧すべき相手も。

「いない……?」

 どういうこと──待ち伏せを警戒し、油断なく弓を構えながらも室内に目を走らせる。やはり誰もいない。警備員どころか、船員すら見当たらない。

〈へファイストス〉は完全に自動操縦で動いていた。室内に並ぶコンソールは誰も触れることなく作動し続けている。表示される数値、それに対応して自動的に動いている操舵──ただ、人の姿だけがない。

「自動操縦ってのは便利だな。わざわざ人手を割かなくても済む上に『そこに乗組員がいる』という思い込みを利用することもできるわけだ……こんなふうにな」

 機械の影から、音もなく人影が歩み出でる。まるで影のない亡霊のように。

 反射的に鏃を向けたブリギッテは、今度こそ完全に凍りついた。

「どうして……あなたが……!?」

「それは、どうしてこの肉体に俺の魂が宿ったか問う、神学的疑問か?」

 黒のスーツ。黒のネクタイ。黒の手袋。そして底なし沼のように澱んだ一対の目。

 一体どんな人生を送ってきたらこんな目つきになるのか──未来への情熱、自分以外の大切な誰かへ向ける思慕、年長者への敬意、少しでも世の中を良くしようとする生真面目さ。ブリギッテの17年の人生の中で、彼女が美徳と信じてきたもの全てがじわじわと壊死していくような目の持ち主は、この男だけだった。

 新香港でブリギッテたちを限界近くまで追い詰めた〈黒刀(ヘイタオ)〉が、悪夢のように目の前に立っていた。

「それとも、今や〈王国〉の全構成員にとっての『生死を問わず(デッドオアアライブ)』であるお前らを、どうして俺が放置したままだと思ったか、って今更な疑問か?」

〈王国〉の敵を地の果てまで追い詰めて殺す──〈犯罪者たちの王〉の直接命令で動く、最悪の刺客。

「〈犯罪者たちの王〉も寝てはいなかったみたいね……ここにあなたがいるということは」

「気の利いた返しをしたつもりか? 賢いようでも、その辺は子供だな」

 嘲りさえ面倒くさい、と言わんばかりの淡々とした物言いが、かえって恐ろしかった。挫折を知らなかったブリギッテの人生において、相良龍一との邂逅が一度目の挫折なら、この男は二度目だった。かつて死に物狂いで立ち向かった彼女を、彼は手も足も出ないほどに叩き伏せたのだ。

 不幸中の幸いは、とブリギッテは考える。最悪でも犠牲は私一人で済むということね。

 ミルカやイナンナの元にこの怪物を行かせるわけにはいかなかった。〈竜〉の権能を駆使できるとしても、彼女たちはまだまだ未熟なのだ。

「……自分さえ犠牲になればいい、なんて思ってないか? 甘いぜ」

 だがそんな考えはお見通しだ、とばかりに〈黒刀〉は顎をしゃくってみせる──壁際の大型スクリーンに向かって。

 ブリギッテは今度こそ悲鳴のような声を上げてしまった。

「みんな……!」

 リアルタイムの映像であるのは間違いなかった。自分だけではない──アレクセイが、ミルカが、シュウが。分割されたスクリーンの中、一つ一つに、仲間たちの姿が大写しになっている。

「あんたのお友達が一人一人なぶり殺しにされる様を見物しようだなんて、王様もいいご趣味をしてるな……」

 皮肉を隠そうともしない〈黒刀〉の言葉に、もはや反論する余裕さえない。

「だがこうでもしなきゃ、腹の虫が収まらない奴らが大勢いるってのもわからなくはない……なんせあんたら『相良龍一と愉快な仲間たち』にあの世へ送り込まれたのは、十人二十人どころじゃないんだからな」

 

【同時刻── 水上・水中兵器評価試験場】

 何かがおかしい──天井近くの梁から見下ろしながら、アレクセイは感じていた。急な配置転換でもあったのか、先ほど警備員たちが慌てたように走り出て行ってから、誰一人戻ってきていないのだ。それどころか研究スタッフまで姿を消している。つまり、このブロックは現在完全に無人ということだ。もちろん、アレクセイを除いては。

(ブリギッテにも通信が繋がらない……)

『完全破壊』の合図があって以降、連絡が途絶えている。それどころか、他の誰に呼びかけても応答がない。これは、もしかしたら……。

「王様の読みが当たったね。君たちはきっと来る──思いを抑え切れない恋人のように、と」

 何の気配もなく背後から響いた声に、全身が凍る──反応できたのは元〈ヒュプノス〉としての身体能力と、長年の経験の賜物でしかない。

 甲高い金属音が鳴り響く。振り向きざまに抜き放ったのは、折れず曲がらず目に見えない刃──アレクセイにしか扱えない〈硝子(ガラス)〉だ。今の一撃を受け損ねていれば、確実に首が飛んでいた。

 そして、命を永らえた代償もまた大きかった。一撃受けただけで、無視できない痺れが腕全体に残っている。速く、しなやかで、それでいて凄まじく重い。

 そのような剣撃を繰り出せる相手を、アレクセイは一人しか思いつかない。

「…… 李明花(リメイファ)

「嬉しいね。名前を覚えてくれたんだ」

 視線の先で、若い娘が艶然と微笑んだ。常人なら立つのがやっとの細い梁の上で、奇跡のようなバランスを保持したまま。

 彼女の手に握られた細身の剣は青眼に構えられ、微動だにしない。

「そう簡単に忘れられないよ。何しろ君には殺されかけたんだ」

 お下げにして丁寧に編み込んだ黒髪が、どこか少女らしさを残していた。その髪も、しなやかな肢体を覆う全身一体型の防弾プロテクタースーツも、色鮮やかな布や古銭で実用を損ねんばかりに飾られている。

 サイバーパンクにかぶれた京劇の役者、とでも形容するべきか。もっとも本人はその奇異な出立ちを恥じた様子もない。

「君がここにいる、ということは……」

「もちろん、()()()もいる。付き合いたくはないから別行動だけどね。君だってわかっているでしょう? 〈王国〉はどんなちっぽけな抵抗活動(レジスタンス)も容認しない。ましてや君たちは世界でも類を見ない『〈竜〉の軍団』なんだ。注目されていないと思う方がおかしくない?」

 一挙動で上着を脱ぎ捨て、投げつけて跳躍。一瞬でいい、彼女への目眩しになれば、

「わかるよ、お仲間のところへ行きたいんでしょ? ()()()()

 ないもののように上着を切り裂いた剣戟が、空中まで伸びてきた。

「……!」

 痺れた手で〈硝子〉を打ち振る──再び激しい金属音。

 どうにか着地する。いや、違う、叩き落とされたのだ。飛んでくる弾丸を刀で弾くがごとき至難の業。しかも元〈ヒュプノス〉の彼を相手に。

「君は優しいね、アレクセイ。自分でも認めることができないほどに。でも言ったはずだよ、君のその優しさは命取りになると」

 腕の痺れが限界に近い──〈硝子〉を取り落とさないのがやっとだ。

 対する明花は元の位置から一歩も動かず、悠然と佇んでいる。

「新香港で君を殺し損ねたのは、私の侮りであり過ち」

 彼女が引き抜いたもう一本の剣が、静かに持ち上がる──アレクセイに向けて寸分の狂いもなく。

(やはり、二刀で来るか……!)

 今やアレクセイは仲間の元へ駆けつける前に、自らの命をもぎ取らねばならない。

「その過ち、全力で雪がせてもらうよ。李家の一員としてではなく、一人の剣客として。もう逃がしはしない……ここで果てたまえ、最後の〈ヒュプノス〉」

 

【同時刻──植物園】

 足を踏み入れた瞬間に察した──()()()()()()()

 シュウの感覚器官はセンサーの集合体だ。レーダー、赤外線探知機、動作探知機、音響探知機。いずれにも反応はない。が、感じてはいる。探知できないだけで、遠巻きにして包囲されているのだ。

(ったく、さっきから熱い視線をギラギラと注ぎやがって……)

 気がかりはそれだけではない。ブリギッテからの「完全破壊!」の合図が届いた瞬間に、全員からの連絡が途絶えたのだ。龍一からも、アレクセイからも、ブリギッテからも。もちろん〈白狼〉やアイネイア、ミルカやイナンナからの通信もない。

(あいつらがしくじったのか? ……いや、ヨハネスの方が一枚上手だった、ってことだろうな)

 まずは自分の心配をするべきだろう。別に無関係の人間を巻き込んだところで良心は痛まないが──そもそも彼に人間で言うところの「心」はない──ミルカに怒られるのは困る。怒られるだけならまだしも、泣かれるかも知れない。

 植物園に向かったのはそのためだ。人がいなくはないだろうが、昼間に比べれば少ないだろう。

「そろそろいいんじゃねえか? とっくにバレバレなんだよ、てめえらのストーキング。俺様のうなじに一目惚れでもしたのか? 触るくらいだったら構わないぜ」

『……やはり気づいていたか』

 大木の影から、休憩所から、小高い丘の上から。

 まるで空間から湧き出たように、黒い影が滲み出た。展開していた光学迷彩をオフにしたのだろう。現れたのは、通常サイズよりもう一回りは大きい軍用強化外骨格の群れだ。

 末端に達するほど太くなる手足。太すぎる胴体に埋もれているような、センサーの集合体でしかない頭部。人間が撃てば反動だけで手足がもげそうなほど巨大な重火器。かろうじて人型の範疇ではあるが、そのシルエットは〈竜〉のような優美さとは程遠い。だがシュウはそれに、油断ならない何かを感じた。

(ただの強化外骨格とも思えねえ……ロンドンと新香港の後で、考えもせずに通常兵器をぶつけてくるほど奴らも間抜けじゃねえだろ)

『実のところ、この〈ラクシャサ〉はまだ未完成だ。何しろ〈竜〉相手の実戦テストを済ませていないのでな。そちらから来てくれたのは好都合だった』

「そうかよ」

 言い捨て、シュウは右腕を軽く振った。

 彼の体内で作られた無数の群小機械は、一体一体がシュウの分身であり、同時にシュウ()()()()である。それは空間を奔って対象に殺到、内部へ潜り込み数千度にも達する高熱を発生させる。装甲表面ならまだしも、内部で極高熱を発生させられて耐え得る戦闘機械は──主力戦車も含めて──存在しない。

「地獄で好きなだけほざいてろ。てめらみたいな()()()()()ども相手にフェアプレイ精神で付き合ってられるか」

 だが──予想に反して〈ラクシャサ〉たちは平然としている。高熱どころか、小揺るぎもしていない。

 無効化されたのだ。現用兵器で耐え得るものは存在しない、シュウの内部からの攻撃が。

『位相転換シールド、正常に作動中です』

『結構。次は火器の使用テストに移行する』

 各〈ラクシャサ〉の発する声は一様に、不自然なほど低音で抑揚がない。どれが指揮官機かわからせないための工夫か。

「はっ……さすがに、考えなしに殴りかかるほど馬鹿でもねえかよ」

 シュウの上唇がまくれ上がる。「面白え。俺様に喧嘩(ステゴロ)挑む、その度胸だけは認めてやるよ。この、()()()()()()()にな……!」

 

【同時刻──ウェルカムパーティ会場】

「もしもし、シュウくん? 聞こえてる? おーい?」

 呼びかけを続けながら、ミルカは首を傾げていた。龍一やブリギッテから連絡がないのはまだわかるが、バックアップ班のシュウやアイネイア、イナンナからまで通信が途絶えているのだ。

(イアホンの故障かな? でもこれメイド・イン・〈白狼〉さんの一品だよね? そんなことってある?)

 その〈白狼〉からの通信までない。正直、困った。心細いし、何より何時間もドリンク配りっぱなしで疲れてきた。

 もう誰かに代わってもらって、自分でシュウくんを探しに行こうかな──半ば本気でそう思い始めた時、彼女は自分を取り巻くおかしな雰囲気に気づいた。

 周囲の老いも若いも、男も女も、手元のスマートフォンと目の前のミルカを見比べているのだ。彼ら彼女らの顔は一様に畏れと怯えを見せている──まるで一般市民が、凶悪な指名手配犯を前にしているように。

 それはさっきまで一緒に働いていたスタッフたちまで同じだった。全身に異様な緊張を漂わせながら、まるで避難訓練のように客たちを「こちらへ」と小声で促しながら誘導していく。

「何? 何なに? 皆さん、どうしたんですか?」

 ミルカの質問にも答えない。強張った顔をしながら目を合わせることすら恐れるように、客たちを誘導しながら会場を去っていく。

 数分もしないうちに、ミルカはただっ広い会場に取り残された。

「どうしたっていうの……?」

 呆然と呟いてしまう。何だかすごく嫌な雰囲気だ。教室でいきなり先生が「今やったのは誰だ!」と怒り出し、クラスメートが「ミルカさんです」といきなり名指ししたような。

『レディース・アンド・ジェントルメン!』

 いきなり大音響で天井のスピーカーシステムが作動し、ミルカは文字通り飛び上がった。壁がびりびり震えるほどの轟音だ。

『こちらの「パーティ」会場も準備が整ったようです。では紹介いたしましょう! 今回のテスト対象は──こちらの娘さん! 無害そうな外見に騙されてはいけません。先日の新香港大火災! 事情通なら、あの大火災の不自然さには薄々お気づきでしょう。まさしく、あれこそ〈竜〉の仕業! あの娘さん、彼女こそが新香港を灰燼に帰しかけた人的災害──その名も〈クルースニク〉!」

(やっぱりバレてる!?)

 ふざけているのかと思うほど朗らかなスピーカーからの声に、一瞬でミルカは青ざめた。まさかダイレクトにこっちが狙われるとは思わなかった。しかも彼女の中の〈竜〉の正体まで!

 くす。くす。──くすくすくすくす。

 周囲で笑い声が響いた。妙に籠った……しかも悪意に満ちた笑いが。

 まるで空間から湧き出たように、そいつらは何の前触れもなくそこに立っていた。

 全身一体型のバトルスーツに、ガスマスク。人間大の昆虫じみた完全武装の兵士たちが、なぜか奇妙に傾いだような立ち方でそれぞれの火器を構えている。

 嫌になるほど見覚えのある姿──〈夢遊病者たち(スリープウォーカーズ)〉だ。

 通常のHWとは異なる、特殊作戦仕様のHW……らしいが、ミルカの勘はそんなものじゃないと告げていた。そうだ、龍一さんも言っていたっけ──あいつらは他のHWとはまるで違う。何か明確な意志を感じる──邪悪な意志を、と。

「ああ、そうですよね……私の素性がバレてるくらいなんだから」

 別人のように憤怒に満ちた声が、自分の喉から搾り出された。「嬉しいですよ、あんたたちも私を追ってきたわけだ。また私にあの光景を見せるつもりなんでしょう? 何度でも、何度でも……!」

『おーっと、言い忘れてました。彼女の()()()は彼らじゃありません』

「えっ……?」

 スピーカーの声にミルカが目を瞬かせた時。

 腹部に強烈な衝撃が弾けた。

「ぶ……!?」

 身構える暇すらなかった。彼女はサッカーボールのように数メートルは吹っ飛び、配膳用のワゴンに背中から嫌というほど叩きつけられた。ワゴンが横倒しになり、収納されていたグラスやワインボトルが転がり出る。

「なっ、何……!?」

 くす。くす。──くすくすくすくす。

 どうにか起き上がるが、目の前には何もない。彼女を包囲するように、あの〈夢遊病者たち〉が立ち尽くしているだけだ。あの嫌な感じの笑い声を上げながら。

 いや──違う。正確には、何かいる。

 半透明で輪郭すら定かではない、何かが。

『では改めて紹介いたしましょう。彼女に対して投入されるのは〈ピシャーチャ〉──悪霊の名を冠する、世界で初の……』

 呆然とするミルカの眼前で、きらりきらりと何かが煌めく。この煌めきにも、見覚えがある。

(アレクセイさんが使う〈糸〉だ……!)

『……完全自律行動が可能な、()()()()暗殺用ドローン!』

 無数の煌めきが、音もなくミルカに殺到する。

 

【同時刻──レーシングサーキット】

 かたり、と床の点検口が動いた。蓋を開けて這い出てきたのは、長剣を手にしたアイネイアと、パレットナイフを手にしたイナンナだ。

「ふう、やっと広い場所に出られたな。全く余としたことが、鼠にでもなった気分だったわ」

「それにしても、何という広さでしょう。龍一さんの言葉ではありませんが、とても船の中とは思えません」

「然り。しかもそれがここだけではないというのだから、驚くべき話よ」

「……ところでアイネイアさん、なぜこの場所に? 船長室やゲストルーム、それにこの船の中枢ともかなり離れていますが……?」

「イナンナよ、気づかぬか? 先ほどから我らを見据える悪意ある視線に? いかなる方法かまではわからぬが、見られているのは確かよ」

「では、ここを目指したのはそれを知って、あえて……ということですか?」

「全くもってその通りよ。敵はこの巨船の重要区域に我らを近づけたくない。我らもまた、悪人とは言え無関係な者を巻き込みたくない。奇しくも敵と我らの思惑が一致した、ということだな」

「合点しました。ですがアイネイアさん、私たちの行動が今だ敵の予想の範疇である点に変わりはありません」

「いかにも。敵もそれなりの精鋭をぶつけてくる、と予想して然るべきだな」

 薄闇に包まれていた場内を強烈な光が切り裂いた。広大な空間が二人の前でその全貌を露わにしていく。

「ここは……レーシングサーキットでは? ミルカさんが教えてくれました。この船の中には、とても早く走る車を競走させて楽しむ競技場がある、と」

「ほう。確かにこの広さであれば、多少の蛮行などどうということはなさそうだな。思うに敵は、ここを我らとの戦場と定めたのであろう。油断するでないぞ、イナンナよ」

「心得ております、アイネイアさん」

 わずかな雑音の後、スピーカーから若い男の声が響いてきた。

『さて、こちらの戦場に目を向けてみましょう! あれなる娘も他の〈竜〉同様、ただの人畜無害な少女ではありません。あのエンリル製薬が膨大な犠牲の果てに産み落とした、一億分の一の奇跡の産物! 限りなく原初に近い〈竜〉、その名も──イナンナ!』

「……奇妙なものですね。自分のことをそのように説明されると」

「イナンナよ……」

「お気遣いなく、王子。龍一さんたちの「一味」と見なされるのは、私にとってとても光栄なことです。それに、あの人たちを悪しざまに言う人たちと、良いお友達になれるとはとても思えませんしね」

『そしてこちらの美丈夫は……あー、えー、〈夢の国の王子〉アイネイアと名乗る不審者です』

「余の時だけ急に説明が胡乱になったのは何故だ!?」

「向こうも困っているようですね……」

『エンリル製薬の実験施設を消滅させ、新香港を火の海にしたこの二人に対するは……対〈竜〉特化・人型戦闘兵器〈マハーカーラ〉と』

 二人の眼前で床が割れ、昇降台に乗った鉄の巨人が競り上がってくる。人を大雑把に模した、という程度の無骨な機体は、しかしだからこその力感に満ちている。

『未分類特殊無人戦車〈ドゥルガー〉です……!』

 芝生を鋤き返しながら、黒光りする車体を誇るようにして一台の大型戦車が現れた。針鼠を連想させる無数の機銃とグレネードランチャー、そして甲虫の角のごとく張り出した電磁加速砲。無人車輌のためか現行の主力戦車より一回り小さいサイズだが、兵装は遜色ない。

「ふむ。機械仕掛けの巨人に、人が乗らずとも動く戦車か。見た目だけではさほど珍奇な兵器にも見えぬが……?」

「油断なさらないでください。あれらからは、ひどく嫌なものを感じます。単なる機械には持ち得ない、明確な敵意と悪意が」

「そなたが言うことなら、そうなのであろう。しかし〈王国〉が〈竜〉に対抗するために作り上げた兵器……どれほどのものか、興味はあるな」

『もちろんこちらに用意いたしましたのはただの人型兵器、ただの戦車ではありません。例えば〈ドゥルガー〉の兵装は……』

 忙しなく左右に旋回していた〈ドゥルガー〉の複合センサーユニットが──二人の眼前で奇妙な光を放った。

〈竜〉を宿す者なら見覚えのある輝き。金色の光だ。

「えっ……」

 次の瞬間、イナンナは絶句した。〈ドゥルガー〉のセンサーが光った、と思った時には、自らの体が宙高く、天井近くまで放り投げられていたのだ。こちらを見上げて驚いているアイネイアの顔が遥か下に小さく見える。

『おわかりになりましたでしょうか? 〈ドゥルガー〉は()()()()()()()()()()()。自らを敵の背後に回り込ませることも、このように敵を空高く放り投げて無防備状態に陥らせることも、自由自在です」

「イナンナ!?」

 反射的に頭上を振り仰ぐアイネイアの眼前で、

『そして〈マハーカーラ〉の兵装は──()()()()です』

 人型兵器の胸部が大きく展開し、黒々とした砲口が露出する。

 

【そして──オークション会場】

「……茶番はそこまでだ」

 陰々滅々とした声が響いた。終わったばかりのオークションの熱気すら、一瞬で冷ましてしまうほどの暗い声が。

 自然と会場の視線は、その声の主に注がれる。

 痩身痩躯の影が、ゆらりゆらりと階段を降りていく。全員の視線を引きずりながら。

「茶番もやり様によっては一興……だが演ずるのが下司な犯罪者と下劣な商人どもでは単なる目の穢れ。付き合うだけ時間の無駄というものよ」

 こつりこつりと手にした杖が床を叩く音がそれに続く。まるで幽霊、それも血肉を持った幽霊のような歩き方だ。確かにそこにいるのに、存在感がまるでない。息づかいも、空気を押し除ける気配も。

(あいつ、どこかで……?)

 その佇まいに、確かに見覚えがあった。だがあり得ない。

「ご婦人。競り落としたばかりで申し訳ないが、その鎧は私が貰い受ける」

 場内全員の視線が、今度は殺気を帯びてその人物に突き刺さる。

「おーっと、これは大胆不敵! 〈王国〉の兵器商船内で、こともあろうにオークション破りとは!?」

「私が落札した値段とあなたが同額をお支払いいただければ、その提案もやぶさかではないのですが」

 わざとらしくおどける司会とは対照的に、あの麗人は悠然とした口調を崩さない。

「実を言うと、私の用事さえ終わればただで差し上げてもいいくらいですの。私が欲しいのは、この鎧の()()ですから」

 目を剥いたのは龍一だけではないはずだ。あれだけ激しい競り合いの後で「ただでくれてやってもいい」と言われては、オークションに負けた武器商人たちの立つ瀬がない。

「それとも相手が犯罪者なら、暴力で奪い取るくらいで良心も痛まないという理屈かしら? 鷺宮鷹文(さぎみやたかふみ)さん──失礼、今は〈病葉(わくらば)〉と名乗っているあなた?」

 その名を耳にし、また新たなざわめきが起こる。

「〈病葉〉だと……? あの有名な殺し屋か?」

「しかし、奴は請け負った依頼に失敗して死んだと聞いていたが……」

 観客たちが半信半疑といった顔を見交わす。信じられないのは龍一も同然だった。何しろ〈月の裏側〉が健在だった頃、望月崇とともに血みどろの戦いを挑んだのが〈病葉〉だったからだ。

「……わかっているではないか」

 顔を見なくとも、唇がまくれ上がるのが見えるようだった。

「所詮は()()()()()()()()()()()()()薄汚い鎧。値段だと? この場の全員の命でも足りんわ」

「……動くな! その場に伏せろ!」

 たちまち警備員たちが雪崩れ込んできた。構えた拳銃の安全装置は既に解除されている。オークションの開催側としては無理もない対応である。

 だが。

「雑兵が。数で来ようと無駄だ」

 かん、と〈病葉〉の杖が床を一つ突く。「見切れるものなら、見切ってみよ」

 杖が一閃した──まるで鎌に薙ぎ切られる雑草のように、警備員たちが声も上げず倒れ伏す。

 ──あいつ、本当にカチコミに来たのか!? 〈王国〉の兵器商船に!?

 ふと、龍一の目はまた別の動きを捉えた。周囲の騒ぎとは無縁の静けさを漂わせる〈ヤマンタカ〉のケース──その足元で見覚えのある者たちがごそごそと蠢いている。どうやらケース自体に大きなフックを引っかけようとしているらしいが、

「妹よ、急ぐのだ! この騒ぎに乗じてケースごと〈ヤマンタカ〉を頂戴する……ふふふ、我ながら完璧な計画よ!」

「言うほど完璧じゃなくない? 実際、さっきからあたしたちをガン見してる奴がいるじゃない!」

「……何してんの君たち!?」

 つい大声で突っ込みを入れてしまった。二人だけの海賊は顔を見合わせた後で、

「しまった、妹よ。バレたぞ」

「当たり前でしょ!? 逆に何でバレないと思ったの!?」

「くっ、かくなる上は……!」

 髭面仮面は素早く〈ヤマンタカ〉のケースの上によじ登り、すっくと立ち上がった。

「ふはははははは! 皆の者、聞けい! たった今よりこの〈ヤマンタカ〉は、我らマクシミリアン海賊団のものよ! 欲しいものは力づくで奪い取るのが海賊団の習わし! ……まあ正確には『団』と言っても、我ら兄妹二人だけだがな! ふはははは!」

「ちょっと馬鹿兄貴! 馬鹿っぽい大笑いしてる暇あったら手伝ってよ!」

「いや本当に何してんの!?」

「お、お前らも動くな……がっ!」

 二人を鎮圧しようとした警備員が〈病葉〉に杖の一振りで叩き伏せられる。

「……ったく、馬鹿兄貴の尻拭いはいつもあたしがするんだから!」

 小柄な影はいくつかの塊を投擲した。たちまち場内がオレンジ、ブルー、ピンクのカラフルな煙に包まれる。

「が、ガスだ……!」

「慌てるな、ただの煙幕だ! それより警備隊長に増援を要請しろ!」

 今度こそ本当の大混乱が発生した。カラフルな煙の中、逃げ出そうとして他の観客と正面衝突する者もいれば、なぜかお互いに殴り合う者、警備員を張り倒す者までいる。

 ちょっと待て!? 俺、まだ何もしてないぞ!?

 いや、もっと深刻な問題がある。既に〈鱗〉を砕いてしまっているため、ブリギッテたちに連絡を取る手段が何もないことだ。GOサインを出した後なのにそれを打ち消せない、となると……。

(まずい……これで皆が突入を開始したら収拾が付かなくなる! タイミングが悪すぎる!)

 

「始まりました。……何人か予想外の賓客が混じっていますが」

「確かに予想外ではあるが、一興には違いない。それにこれは祭典だ。飛び入りはむしろ歓迎すべきではないかね?」

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