Sin and Punishment:Accelerando   作:アイダカズキ

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3 竜と機械仕掛けの悪意

【オークション開催から数十分経過──〈へファイストス〉操舵室】

 ──お前たち〈竜〉は()()()()に乏しすぎる。

 かつてブリギッテと新香港で対峙した〈黒刀〉はそう言った。大火力で邪魔者を全て薙ぎ倒すような戦いに慣れているから、手痛い反撃を食らったり、食らった反省や成長ができない。初撃でケリがつかなかった時の対応策がないから、初撃を防がれようものなら慌てふためくくらいしかできないのだ、と。

 ただの大言壮語とも思わない。〈黒刀〉の言葉を信じるなら、既に数体の〈竜〉が彼によって屠られているのだ。

 そしてその〈黒刀〉が今、彼女の目の前にいる。

「相も変わらず〈竜〉の権能に酔っているみたいだな。別に不思議でもないか? 毛も生え揃ってねえガキどもが、叱る大人もいないところで権能を得たら、そりゃ大喜びで使いまくるだろうな」

「わ、私たちは……酔いしれてなんかいないわ……!」

 自分でも声が震えていない、という自信がなかった。

 案の定、返ってきたのは嘲笑だった。「まるで麻薬中毒患者(ヤクチュウ)の戯言だな。『自分だけは大丈夫』か。本当にそうか? 一度もその力に酔いしれなかったと言い切れるか? お前たちの信奉するあの相良龍一からして、権能を抑え切れなくなってきているんじゃないのか? 近い将来、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……!」

 怒りよりは、その言葉を止めたい一心で。

 咄嗟に一矢を射つ──が、それは予想していたように、〈黒刀〉がかざしたスーツケースに弾き返される。

 彼のスーツ同様、あらゆる光を吸い込むような鈍く黒いスーツケースが割れて広がる──ブリギッテが持つのと同じ、スイッチ一つで展開する仕掛け(ギミック)入りスーツケース。

 そして〈黒刀〉の右手に、魔法のように大口径の銃が出現している。水平二連式の切り詰めた散弾銃(ソートオフショットガン)

 轟音。

 首を振って回避するのが精一杯だった。散弾が雀蜂の羽音のような唸りを上げて耳元を掠め、その衝撃波だけでアップにまとめていた髪が解けて垂れる。

 なおも牽制の数矢を射ちながら──弾き返されるのは承知の上だ──操作盤《コンソール》の陰に転がり込む。それなりの広さはあっても、立ち並ぶ操作盤のおかげで操舵室は狭い。逃げ回っても追い詰められるだけだ、

(こちらから打って出る……!)

 龍一やアレクセイでさえ殺し切れなかったあの〈黒刀〉に、自分だけで挑むなど無謀ではないか……との思いはある。だが、やらなければならない。

 目の前の空間を()()()()()。ブリギッテの〈編まれた世界(ウィーヴワールド)〉は、万物──気体・固体・液体を問わず繊維に見立てることであらゆるものを操作可能にする権能だ。

 出現位置は、〈黒刀〉の背後。

「不意を突いたつもりか?」

 電子制御のごとき正確さで、一瞬のうちに黒い銃口が持ち上がった。〈黒刀〉は振り向きもせずに散弾銃を肩越しに向けたのだ。

 散弾銃が吠え、無数の散弾が天井に、壁に、床にめり込む。だがブリギッテはそこにいない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。ほとんど寝そべるような姿勢でブリギッテは矢を番え、

(勝負!)

 夢中で放った。狙いは喉、気づいたところで回避も、ギミックケースのシールドによる防御も間に合わない

 だが。

()()()()()?」

 必殺の一矢は弾き返された。──〈黒刀〉の左手に持ち替えられていた、散弾銃の銃身によって。

(読まれた……!?)

 しかも、この距離とタイミングで反応するとは。

 猛烈な蹴りが襲いかかってくる。まともに受けたら頭が弾け飛びそうな一撃だ。

 後方に飛びすさり、どうにか距離を取った。〈黒刀〉の立ち位置は変わらない──こちらは死力を尽くしているというのに。

「……100点満点中、40点てところだな」

 冷え冷えとした声の調子は変わらない。

「さすがに俺に対する()()はしてきたらしいな。新香港で血反吐を吐くまで叩きのめされたのがだいぶ堪えたか?」

〈黒刀〉が足音もなく一歩踏み出す──それだけで、喉を締められるような圧迫感がある。

〈黒刀〉の右手がスーツケースの中の何かを掴む。抜き放たれたのは彼そのもののように、刀身まで艶のない黒に染められた山刀(マチェット)──スーツケースが床に落ちる前に、彼はもう全力疾走に移っている。

(間に合え!)

 甲高い音──強化弓で刃を受けられたのは奇跡としか言いようがない。〈白狼〉に設計してもらう際、接近戦にも対応できるよう丈夫にして、と頼んだのがここで活きるとは思わなかった。

 しかしまずい。相手は大人の成人男性だ。力比べになれば勝ち目がない。

「受けたか。()()()()()()()……だが、お前は相良龍一やアレクセイのような接近戦の申し子でもないはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 容赦ない膝蹴りが飛んできた。

「ごっ……がっ!?」

 自分のものとは思えない苦鳴が口から勝手に漏れた。背中からいやというほど窓ガラスに叩きつけられる。息ができない。

「あいにくと褒めてやるまでもない。事前に有効な手を考えておくのはまあ悪くないが、考えただけで、しくじった時の対応策(リカバリー)はなしか? ハイスクールの期末テストとは訳が違うんだよ」

 まるでピンで刺された昆虫標本のように、〈黒刀〉の膝だけで窓ガラスに釘付けにされている。倒れようにも倒れず、気絶したくてもそれさえ許されない。

「終わりだ。()()()()()()()。ギャラリーの受けを狙うほど悪趣味でもないんでな」

 右手の山刀が閃くか、左手の散弾銃が火を噴くか……この態勢では防御も回避もできない。

 それでもブリギッテの頭の中にあるのは死の恐怖ではない──この怪物をミルカやイナンナには向かわせられない、という思いだけだ。

〈編まれた世界〉を発動。〈黒刀〉ではなく背面の窓ガラスに。

 力を振り絞って〈黒刀〉の腕を掴んだ。目の前の男の動揺を初めて感じ取る。

「お前……!?」

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 悲鳴さえ上げる間もなかった。ドレスの裾を流星のようになびかせ、ブリギッテは〈黒刀〉もろとも数十メートルを真っ逆さまに落ちた。

 

【同時刻──オークション会場】

(何もかもが俺たちの思惑通りに行く、なんて最初っから思っちゃいなかったが……)

 邪魔な上着を脱ぎ捨てて疾走しながら、龍一はしみじみと思う。(ここまで跡形もなく台無しになることはないだろ!?)

 事実、先ほどまでは熱気に満ちていながら一応の秩序が保たれていたオークション会場は、ブリギッテなら〈しっちゃかめっちゃか(スラップスティック)〉と評したであろう混沌に陥りつつあった。マクシミリアン海賊団とやらの投じた発煙弾が混乱に拍車を掛けている。

(とにかく、あのケースが持ち去られるのを阻止だけでもしないと……!)

 ヨハネスの動向も気になるどころではないが、目の前でむざむざ〈ヤマンタカ〉を持ち逃げでもされようものなら何のために手間をかけて侵入したのかわからなくなる。

 あの海賊兄妹が四苦八苦して〈ヤマンタカ〉のケースに大型のフックを引っ掛けようとしている。一気に駆け寄ろうとして──咄嗟に身を捻った。

 空気を裂く音は、打撃を躱した後にやってきた。〈病葉〉の持つ、先端に鉛を詰めた仕込み杖が耳元を掠めたのだ。

「これは……思いがけない顔に出会ったものだ」

 かつん、と杖を床についた〈病葉〉は、痩せて髑髏じみた顔に笑みらしきものを浮かべてみせた。「長生きしているといろいろなことが起こるものだ。あの時の私相手に手も足も出なかった()()()()が、今や私よりよほど有名人とは」

(仕方ない……!)

 時間が惜しい──龍一は〈病葉〉に向けて〈礫〉を放った。直撃はしなくても、常人なら耳元を掠めただけで衝撃波によって動けなくなる。悪人だからといって〈竜〉の権能を容赦なく振るっていては文字通り行く先々で死人の山ができてしまう。第一、寝覚めが悪い──龍一が頭を絞って考え出した、苦肉の策だ。

 驚いたことに、〈病葉〉はほぼ回避らしい回避をすることなく、それを躱した。まるで〈礫〉に押されてそのまま横に()()()ような、奇怪な回避行動だ。

「なっ……!?」

「なるほど。それが噂に聞く〈竜〉の権能とやらか」

 再び〈病葉〉の顔に浮かぶ、髑髏じみた笑み。「悪くない。()()()()()()

(勘弁してくれよ!)

 悲鳴を上げたくなった。確かに新香港で出くわした〈黒刀〉や李明花──この時の龍一はまだ、彼ら彼女らがブリギッテやアレクセイと相対しているのを知らない──のように、生身の人間が〈竜〉を圧倒する事例がないでもない。しかしそれはいずれも、一時代に一人二人いるかどうかの達人、あるいは怪人だ。

 この〈病葉〉もそうなら、この世には生身でもって〈竜〉を圧倒できる人間がごろごろいることになる。百鬼夜行どころではない。万鬼昼行だ。

 再び奔る、稲妻のような杖の一打ち。

「む……」

 だが異様な感触を覚えたのか、〈病葉〉の口元から訝しげな声が漏れる。龍一は腕全体を〈鱗〉で覆い、杖の打撃をわざと()()()()のだ。

(今だ!)

 跳躍し、宙に浮かぶ〈鱗〉を足場にして蹴りを繰り出す。常人では回避不能な角度から放つ渾身の蹴り。

 しかし今度は龍一が異様な感触を覚える番だった──回避不能のはずの蹴りは〈病葉〉の杖で受け止められていた。

「この間合いとタイミングで受けるか……どういう反応速度だ?」

「君に言われたくはないな」

 それに関してはぐうの音も出ない。

「あれ?」

 状況にそぐわない間の抜けた声に龍一は振り返り、そこで信じられない光景を見てしまった。

 あのマクシミリアン海賊団兄妹とやらが、大型のフックを持ったまま立ち尽くし──そして〈ヤマンタカ〉を収納した大型ケースが、ゆっくりと床に沈んでいくのを。

 髭面仮面──兄妹の兄の方が、龍一の視線に気づいて咳払いをする。

「……まあ、こういう日もある」

「あんだけ大騒ぎを起こしておいてあっさり没収されるなよ!?」

 思わず大声を上げてしまった龍一に、髭面仮面は目を剥く。「妹よ! あやつ、何やら不当な言いがかりをつけてきたぞ!? そもそも騒ぎを起こしたのは、あやつらも一緒だというのに!」

「不当でも言いがかりでもない気がするんだけど。それに兄貴、もっと大切なことを忘れてない?」

「うむ? 大切なこと、とは何だ妹よ?」

「肝心の〈ヤマンタカ〉は没収された上、オークションは()()()()()()。オークションの参加者たちも、特別ゲストの〈犯罪者たちの王〉も、とっくの昔に()()()()。オークションの主催者が、今ここにいる全員に遠慮する必要があると思う? 私だったら逃げ出すね。全身の生皮を剥がれる前に」

 今ここにいる全員が──あの〈病葉〉までもが沈黙する。

 沈黙を断ち切ったのは、シャンパンの栓を抜くのにも似た奇妙な音だった。龍一が今までの犯罪者人生で嫌になるほど聞いた、

「…… 空中発射榴弾(エアバーストグレネード)!」

 コンピュータ制御により炸裂の高度やタイミングまでもプリセット可能なスマート榴弾。

「逃げろ!」

 龍一が叫ぶまでもなく、全員がその場から遁走していた。あの海賊兄妹はもう姿すら見えないし、〈礫〉さえ無効化した〈病葉〉には榴弾の回避など造作もないだろう。

 開け放たれた入り口から、完全武装の警備部隊が突入してくる。

「逃がすな! 発砲を許可する!」

 それにしても、と龍一はまたも思う。ここまで跡形もなく台無しになることはないだろ!?

 

【同時刻──植物園】

〈へファイストス〉の植物園は、巧みな植物の配置と計算された地形により、実際以上の広さを乗客に感じさせる。

 今や、その全てが赤々と燃え盛っていた。南国の珍しい植物も、芳香を立ち昇らせる色とりどりの花々も、適度に照明を遮ってくれる蔦も、腰を落ち着けるのにちょうどいい休憩所のベンチも。

 火の粉を羽根にまとわり付かせた極彩色の蝶が、身悶えしながら燃え落ちていく。

 この業火の中、何事もなく戦える者たちは──言うまでもなく生身の人間ではない。

(くそっ、ロックオンが外れねぇ……!)

 内心で舌打ちするシュウの視界は、ミサイル警報で埋め尽くされている──〈ラクシャサ〉によって貼り付けられた誘導マーカーを狙い、四方八方から擲弾とミサイルが殺到してくるのだ。シュウの着ていたウェイターの制服は、とっくに炎と爆風でずたずたに裂けて見る影もない。彼の全身を包む人工皮膚までがべろりと垂れ下がり、鈍く輝く「地肌」を晒している有り様だった。

 屋内での使用を考慮してか、使われている火器はいずれも対人用。シュウを一撃で破壊できるほどの威力はない。だが実のところ、火器の威力は深刻な脅威ではない。

 彼の()()は現存しているあらゆるセンサーやレーダーを無効化できるはずなのに、そのステルス性が最も簡単に剥がされている。この〈ラクシャサ〉部隊は、シュウを攻撃するための第一関門を突破してはいるのだ。

(油断は禁物、か……)

 深刻に捉えてはいない。通常は亜空間にしまい込んでいるシュウの()()()()()を展開すれば、この程度の武装集団など文字通りの鎧袖一触である。

 が、計画は失敗する。少なくとも他の者との通信が回復するまでは、迂闊にフルパワーで暴れられない。

(あいつらの企みが失敗しようと成功しようと、俺様自身には痛くも痒くもないが……俺様が原因で失敗したってのだけは、業腹だからな)

 それにあのミルカとかいう小娘には確実に怒られる。いや、怒られるならまだいい。泣かれるかも知れない。それは地味に嫌だ。

『敵欺瞞措置の無効化には成功。ただし本体へのダメージはほぼ皆無です』

『通常火器程度で破壊は困難か──よろしい。第2段階(セカンドフェイズ)へ移行する』

 このやり取りを音声で無遠慮に交わしている奴らの態度も頭に来る。この戦いを観ているオーディエンスを意識してでもあるだろうが。

 何より解せないのは──先述の通り、彼らの火器が対人用に限定されていることだ。

 つまり、奥の手がある。

(狙撃……はなさそうだな。俺様のボディをぶち抜くには、それこそ戦車でも持ってくるしかねえ。兵器商船なら用意は難しくないだろうが)

 しかし、そのような大型兵器はシュウのセンサー群には確実に引っかかる。カムフラージュネットを被った人間の狙撃手でさえ、シュウを欺くのは容易ではないのだ。

 面白え、と思ってしまう。そんな場合ではないとわかっていても、知恵比べを挑まれると応じてしまうのが彼のどうしようもない悪癖、宿業(カルマ)だ──戦争と兵器の神であるシュウの。

 考えている間にも、樹木や丘陵に身を隠しながら〈ラクシャサ〉たちがじりじりと近づきつつある。擲弾やミサイルどころか、対人用の機銃まで攻撃に加わり出した。もちろんシュウには痛くも痒くもないが、煩わしいことこの上ない。

「火力で勝負してえってんなら、お望み通りにしてやるぜ……!」

 シュウの右腕が跳ね上がり、人造皮膚の下から複雑な機構が展開。内蔵された荷電粒子ビームが一直線に伸びた。炎を切り裂き、立ち塞がる樹木を炭化させ、一体の〈ラクシャサ〉の肩部装甲を直撃して溶接光のような火花を撒き散らした。即座に機能停止こそしなかったが、装甲の一部が破砕。攻撃を受けた機体が牽制の煙幕弾を放ちながら後退する。

(こいつらを買いかぶりすぎたか? ちょっと面倒くさくなってきたな……)

 さっさと全滅させて小娘たちと合流するか、シュウが半分本気で考え始めた時。

 ジジッ、と微かな空電音をシュウは聞く。

 何かが空気を切り裂き、シュウに振り下ろされる。

 回避──間に合わない。とっさに荷電粒子砲に変形したままの右腕で受け止める。結果的にだがそれは正しかった。

 やけに重々しい音を立てて、シュウの右腕が落ちた。

『目標、右腕切断!』

『効果あったか……!』

〈ラクシャサ〉たちから、初の戦果らしい戦果にどよめきが上がる。

「何だ、てめえら……!?」

 炎と撹乱用の煙幕に紛れ、いつしか〈ラクシャサ〉とは違う影たちがシュウを取り囲んでいた。

 いや、頭部の形状などが酷似しているから〈ラクシャサ〉には違いない。だがシルエットはまるで異なっている。カリカチュアした金剛力士のような体型の〈ラクシャサ〉に比べ、こちらは全体的に細身ですらりとして人間に近い。つまり相良龍一の〈竜〉に酷似している。

『〈ラクシャサ〉は最初から複数のコンセプトを持つ機体として開発されていた。こちらは近接戦闘に特化した〈バイラヴァ〉。イージス艦に匹敵するセンサー群と主力戦車なみの火力と装甲、そして完璧なステルス性能を持つ貴様に対する最も有効な手段が、結局は近接戦闘とはな……笑えない皮肉だ』

 その通り、〈バイラヴァ〉たちが手に持つのは火器ではなく巨大な刀剣。

 だが、それを本当に刀剣と呼んでいいのか──『コ』の字に無理やり曲げた金属のフレームに握りを付けただけのような、恐ろしく大雑把な代物。フレームの間には虹色の被膜のようなものが張られ、微かな空電音を立てながら振動している。握りの端からはコードが伸び、それは〈バイラヴァ〉たちが背負うバックパックへと繋がっている。

 しかしその不格好な「刃」は、間違いなくシュウの右腕を切断したのだ。内部機構を露出していたせいで装甲強度が落ちていたせいでもあるが、腕を犠牲にしていなかったら頭部にあれを食らっていただろう。

 あの虹色の被膜に似たものを、シュウは出発前に見た。

『あの〈竜〉……相良龍一が使う〈鱗〉を擬似的に再現した、()()()()()だ。もっとも、ただ刃形態を維持しているだけでも原子力空母一日分に匹敵する大電力が必要になる。その大電力を供給する大容量蓄電器(ダイナモ)も、〈竜〉研究の過程で生まれた副産物だ。まったく、〈竜〉に()()()()()()()()だな』

「……面白え」

 今度は、声に出してそう言った。

 右腕を失っているのに、驚嘆が抑え切れなかった。つい半年前まで世界は〈鱗〉どころか〈竜〉を兵器に応用するという発想さえなかったのだ。

 だが、今はある。

 シュウの顔には笑みが浮かんでいた──ミルカたちの前では見せることのない、獰猛な笑みだ。

「そういうことされると、付き合いたくなっちまうじゃねえかよ……戦争と兵器の神としてはよ!」

 

【同時刻──レーシングサーキット】

〈夢の国の王子〉アイネイアは誇り高い男である。何しろ王子だからだ。少なくとも彼自身はそう思っている。

 誇り高い男ではあるが、しかし同時にアイネイアは、その誇りが誰かの危機を見過ごすものであってはならないとも思っている。

 だからイナンナが不可思議な力で天井近くまで放り投げられた時、即座に動いた。

 あの刃を潰した長剣を高々と掲げ、こう宣言する。

『それは夢である』

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 空中で目を丸くしているイナンナの姿がかき消え、次の瞬間、無数の銃砲弾が彼女の残像を切り裂いた。

 その時には既に、アイネイアの腕の中にイナンナが抱えられている。

「お、お手数をおかけしました……」

「よい。そなたが無事であればな」アイネイアは自分の半分ほどの背丈しかない彼女を慎重に下ろした。「それに、礼を言うのはまだ早いやも知れぬぞ」

〈ドゥルガー〉が先に動いた。巨大な衝角のような電磁加速砲が眩い光を放つ寸前、

『それは夢である』

 主力戦車を一撃で破壊する徹甲弾は、しかし空を切った。十数メートル離れた小高い丘の上にアイネイアとイナンナは瞬間移動。目標を見失った砲弾が見当違いの方向で炸裂する。

「アイネイアさん、次は私にお任せください」

「任せる。存分にやるがよいぞ」

 イナンナは手近な芝生に、手にした木の箆を突き立てる。

 それだけで、芝生全体──それどころか土もアスファルトも問わず、サーキット全体が生き物のように大きく波打った。

 直立していた〈マハーカーラ〉が大きく態勢を崩す。鋼の両足が、流砂のように蠢く地面に沈み始めていた。間断なく銃砲弾を吐き続けていた〈ドゥルガー〉も今や車体の半ばまでも地に埋もれ、攻撃するどころではない。

「む……これは」

 だが、アイネイアは逆に表情を引き締めた。

 人でいう脛あたりまでも地に沈んでいた〈マハーカーラ〉が大きく身をたわめ、次の瞬間、土砂とアスファルトの破片を撒き散らして跳躍した。背面のバーニアからジェット噴射し、その勢いを借りてさらに高く跳ぶ。

 落下プラスジェット噴射の勢いを全く殺すことなく、振りかぶった鋼の拳を振り下ろす。その先には、凍りついて動けないイナンナがいる。

『それは夢である』

 間一髪、アイネイアによる〈書き換え〉が間に合った。巨大な鋼の拳が地にめり込む頃には、イナンナもろともその姿が遙か後方に出現している。

 しかし、そこにもまた銃砲弾の掃射が加えられる。

「く……!」

「アイネイアさん!」

 全く予想外からの機銃掃射を、今度は躱し損ねた。手にした長剣の刃で何発かは弾き返したが、数弾はアイネイアの身体を掠めた。無傷であったはずの青年の身体を鮮血が伝う。

「こやつら……余が実体を取る位置を先読みしたか。小賢しい」

「ブリギッテさんたちが言っていた未来予測です。機械仕掛けなら造作もないかと」

「加えて視覚……いや、あらゆる戦闘情報を互いに共有している。アレクセイの属していた〈ヒュプノス〉の能力に近いな」

〈ドゥルガー〉がその姿を完全に変えていた。無骨な戦車が、内蔵していた四脚を展開、おそらくは磁力で天井に張り付いている。まるで鋼鉄の蜘蛛だ。それはつまり、アイネイアとイナンナの遥か頭上から一切の障害なく銃砲弾の雨を見舞えることを意味する。

「なんと()()()()の多い機械よ。兵器にしては遊び心が多すぎるではないか?」

「……通常の兵器や兵員に対する装備としては過剰に過ぎます。〈竜〉に対抗するための兵器としては当然かと」

 うむ、とアイネイアは唸りはしたものの、その逡巡はごく短かった。

「イナンナよ。ここは余に任せよ。他の者を救うのだ」

「え? しかし、それでは……」

 アイネイアは壁面の大型モニターにちらりと目をやる。「これはヨハネスの罠、それも十重二十重に張り巡らされた罠である。そうとわかれば、このような馬鹿げた見世物に付き合う必要もあるまい」

 数度の死戦を共に戦ってなお、彼女はこの〈夢の国の王子〉とやらのことを全て知り得たわけではない。だが彼がこれほどはっきりと言い切って、それを裏切ったことは一度もない、とだけはわかっていた。

「……わかりました。ご幸運を」

「うむ、話が早いのはそなたの良いところである」アイネイアはさっぱりと笑った。「任せよ。余は夢の国の王子である」

 瞬く間に、彼女の姿が床下の通気口へと消える。

「……さて、これで心置きなく貴様らと向き合えるな」

 異形の巨人と、異形の戦車にアイネイアは向き直る。刃の潰れた長剣を片手に。

「心清き者、正しき者に余の〈悪鬼(デーモン)〉としての姿、わざわざ見せる必要もなかろう」

 

【同時刻──ウェルカムパーティ会場】

 銃弾の雨がシャンパングラスを撃ち砕き、炸裂した擲弾で横倒しのケータリングワゴンが引き裂かれる。

 わずか十数秒で、会場は見るも無惨な戦場になっていた。その十数秒を生き延びられた代償に、彼女の着ているウェイトレスの制服はボロ布同然と化していた。

(もう私を、生け捕りにしようとも思ってないんだ……!)

 必殺の一撃が耳元を掠めた──そう気づいたのは、躱した後からだ。透明で湾曲した鉤爪──「見えない」完全自律型暗殺ドローン、〈ピシャーチャ〉の近接戦用クローだ。

(〈糸〉に、あの〈硝子〉そっくりの鉤爪。本当にアレクセイさんみたい……!)

 周囲からは銃弾と擲弾の雨、正面からは音も光も熱もない「見えない」攻撃。いつまでも避け切れるものではない。腕に負ったミルカの傷は浅かったが、それはかろうじて致命傷でない、というだけの話だ。二の腕までもが鮮血で真っ赤に染まっている。

 奇妙なことに、彼女を取り囲む〈夢遊病者たち〉は一定の距離を保ったまま突入してこない。

 いや、それが目的なのだとミルカは悟らざるを得なかった。ここは〈夢遊病者たち〉の円陣が形成した処刑場であり、そして処刑執行人が〈ピシャーチャ〉なのだ。

 耳障りな笑い声がますます大きくなる。

「この……笑うな!」

 怒りで恐怖をねじ伏せ、彼女は〈竜〉──〈クルースニク〉の権能を発動させる。

 生身の人間がHWに立ち向かうのは、不可能とまでは言わないが困難だ──立ち向かうにしても、充分な火力と人数、そして練られた連携が必要となる。幾度もHWと戦ってきた龍一やブリギッテの経験から来る言葉を、ミルカは疑ったことがない。

 だから敵がHWと見るや〈竜〉の権能を行使することに、彼女は躊躇わなかった。

 伸ばした右手の指を拳銃の形にし、〈夢遊病者たち〉に突きつける──が、何も起こらない。

「どうして!?」

 ミルカの権能〈山査子(グロッグ)〉は、敵の体内のあらゆる液体──人体の水分や血液はもちろん、機械の冷却液や潤滑剤までも含む──を暴走状態に陥らせる権能だ。それが通じないのは、〈ピシャーチャ〉も〈夢遊病者たち〉も、一切の液体を内部に含んでいないことを意味する。

 いや、それ以前に、()()()()()()()()()()()()()()()()()ではないか。

 戦慄が背筋を伝った──こいつら私の権能に対策しているんだ。

 それでも、ミルカは必死で立ち上がり戦おうとした。負けられない──こんな奴らに屈していては、何のために大口を叩いて同行を許してもらったのかわからないじゃない!

「あぅ……!?」

 背を〈夢遊病者たち〉の銃床で力一杯殴られた。姿勢を立て直す間もなく、足に何かが絡まり引きずり倒された。視界が一回転し、豪華な絨毯の上を無理やり引きずられる。切断機能をオフにした〈糸〉が足に絡みついたのだ。

 死ぬ……殺される? 私が、ここで?

 受け入れられる余裕などあるはずがない。透明で、湾曲した〈ピシャーチャ〉の鉤爪がミルカの眼球に迫り、

 ──甲高い音を立てて弾き返された。

 何が起こったのかわからなかった──一瞬のうちに臨戦態勢の〈夢遊病者たち〉が数体、切断面も鮮やかな()()()と化していた。

 

「申し訳ありません。お邪魔してしまいましたか?」

 

「あ……」

 荒れ放題のパーティ会場に〈黒き白鳥(オデット)〉が優雅に佇んでいた。

 美しい黒髪が、それこそパーティ会場から抜け出してきたような純白の瀟洒なドレスによく映えていた。文字通り満身創痍のミルカに比べ、輝くような美しさだ。

「ありがとう……でも、どうして助けてくれたんですか?」

「あら、前に言いませんでしたか?」世界一の大物女優は、悪戯っぽく片目をつぶってみせた。「私は思いがけないところで出会った自分のファンには、点が甘くなるのです」

 一体の〈夢遊病者たち〉が突撃銃の銃口を跳ね上げる。人間には反応できない速度──だがそれでも、オデットの方が遥かに速かった。

 ミルカは、女優の右手が翻るのを見る。魔法のように出現したのは、細い手に似つかわしくない大型の自動拳銃──AMT.45ハードボーラー。

 轟音が数度、立て続けに響く。至近距離からの三発射撃(トリプルタップ)、しかもほぼ同一部分に寸分の狂いもなく着弾。45ACP弾の衝撃は、完全防弾装備であっても防ぎ切れない。人間より遥かに頑丈なはずのHWが大きくバランスを崩す。銃の素人であるミルカから見ても、神業としか言いようのない見事な射撃だった。

「特別仕様でも、所詮HWはHW……」

 一瞬で距離を詰めた女優の日傘が一閃。重いヘルメットに包まれた頭部が、豪勢な絨毯の上で数度バウンドして転がった。

「オリジナルとは比較にならない、粗悪な複製品(デッドコピー)。頭を落とされれば死ぬのに変わりはありません」

 女優は日傘を振り、〈夢遊病者たち〉の血液を振り落とす。まるで揮発剤でも塗られていたように、白い日傘には血の一滴も着いていない。

「お、オデット……さんも〈竜〉だったんですか?」

 ミルカは口を半開きにして見惚れるしかなかった。自動火器と防弾スーツのHWを、しかも日傘一本と拳銃のみで制圧するなど、どう考えてもそうとしか思えない。が、

「ああ、あなたも私を買いかぶるのですね?」

 ミルカの問いに、女優はやや眉根を寄せて優雅に首を振ってみせる。これほどの整いようだと、嫌味など微塵も感じられない。

「私はドラゴンに恋をした、ただの黒い白鳥に過ぎません」

〈夢遊病者たち〉の纏う空気が明らかに変わる。通常のHWには持ちようのない、戦慄と──明らかな憎悪。

 それに気づかず、気づくつもりもなく、オデットは軽やかに言う。「〈夢遊病者たち〉は私が抑えます。あなたは〈ピシャーチャ〉に専念してください」

 それは助かるが──ミルカは口ごもる。「で、でも……あいつ、見えないんですよ」

「ミルカさん。あなたはもっと自信を持っていいのですよ」

「え?」

「戦車なり戦闘機なり、その気になればどれほどの大火力でも用意できる者たちが、わざわざあなたに『見えない暗殺ドローン』をぶつけてきたのはなぜだと思いますか? それこそ彼らが、あなたを恐れている証左ではありませんか」

「あ……はい! 私、わかった気がします!」

 一転して顔を輝かせる少女に、女優は微笑する。「それでこそです。やはりあなたは、私には勿体ないファンですね」

 

【オークション会場入口、警備員詰所】

 奇妙なことに──やっとの思いで会場から逃げてきた龍一が辿り着いた時、あれだけ厳重だったはずの警備員詰所はもぬけの空だった。

「やっぱり、何かおかしいな……」

 会場であんな騒ぎが起こっているから出払っているのかとも思ったが、交代要員さえいないのも妙だ。

 入る際に没収されたスマートフォンや無線機も容易く見つけられた。ダメ元で仲間たちに呼びかけてみたが、応答はない。ブリギッテやアレクセイ、ミルカやシュウたちとの通信も不通のままだ。ただ一つだけ、応答があった。

『龍一。無事だったか』

「〈白狼〉か! こっちはもうしっちゃかめっちゃかだ。一体どうなってるんだ?」

『監視システムへの侵入が不充分なため、はっきりとはわからない。わかっているのは〈へファイストス〉自体が、他勢力の攻撃を受けていることだけだ』

「他勢力って?」

『そうとしか呼べない。突入ポッドによる複数箇所からの侵入に加え、それなりの火力を保有している。〈金剛杵〉もそちらに人手を割かれていて、君たちの相手をするどころではないようだ』

 龍一たちにとっても予想外の賓客だ。気にならないわけではないが、

「どうする? 撤退するにしても、このままじゃ全員分断されたままだ」

『私に考えがある。龍一、()()()()()()()()()()()()

「何だって?」

 一瞬、棒立ちになってしまった。確かに龍一にとっては願ってもない話だが、しかし……。

「人間の復讐には興味がないんじゃなかったのか?」

『もちろん理由はある。〈へファイストス〉のゲストルームには、メインセキュリティより上位のシステム端末があるのだ。この船の「賓客」などヨハネス以外に存在しないから、実質的にヨハネス専用だな』

「なるほど……」

『それを掌握できれば、ジャミングを解除して皆と通信を回復し、〈へファイストス〉を制御下に置くことも可能だろう。退くにせよ進むにせよ、次の手が打てる。問題は、この方法だと君一人への負担が大きすぎることだが……』

 やや燻んでいる気もするが、筋は通っている。何より他の手を試す余裕もない。「任せろ。負担なら常時かかっているからな」

 

【数分前── 水上・水中兵器評価試験場】

 ──たとえば、私と相良龍一が戦ったとして。

 かつて新香港で、アレクセイと対峙した李明花はそう言った。勝負になると思う?

 ならないと思う、と返すと、彼女は怒る様子もなく頷いた。そう、ならないだろうね。でも私は、別段それを恥とは思わない。生身の人間がタンカーに勝ったってしょうがないでしょ?

 龍一相手では勝ち目がないから、僕を狙うのかい?

 そうだよ。相良龍一や、ああ、今は『シュウ』だっけか……あんな火力の化け物どもと戦ったって勝ち目はないし、あのミルカやイナンナって女の子たちを斬るのは気が引けるからね。

 理屈はわかったけど、迷惑な理屈だな……。

 まあ諦めなよ、と明花は笑った。私は剣客だし、君は〈最後のヒュプノス〉。出会ったら殺し合う間柄じゃない。ほら、『カエルとサソリ』の童話は知っているでしょう?

 

 ──そして現在。〈へファイストス〉の兵器評価試験場で対峙する二人に、もはや応酬する言葉はない。

 壁、天井、床すれすれ──〈糸〉を一瞬にして縦横無尽に張り巡らせ、点のごとき隙間から指弾を投じるアレクセイに躊躇はない。背を見せた瞬間に殺されるからだ。

 そして〈糸〉を躱し、のけぞり、飛び越え、スライディングでくぐり抜けながら手にした双剣でいとも簡単に指弾を跳ね返す明花の動きも止まらない。彼女は剣客であり、退く、という選択肢だけは取れないからだ。

 視認さえ困難な〈糸〉と指弾の連携攻撃を前に、しかし明花は寸分の狂いもなく動き続ける。一瞬でも停止すれば指弾に眉間を穿たれるか、あるいは〈糸〉で首を落とされるというのに。

 一方的に猛攻を繰り出しているはずのアレクセイが、極度の集中と緊張で額に汗を滲ませている。

(〈糸〉による空間制圧が効かない……!)

 元暗殺者としてのアレクセイの、その特性から来る弱みを突かれていた。彼の強みは不意打ちであり、龍一ほど正面戦闘には向いていない。

 それでも彼は相良龍一を殺すための「特別仕立ての〈ヒュプノス〉」であり、だからこそここまで正面戦闘で明花と打ち合えてはいるのだが……。

(やりにくい……まるで龍一と戦っているみたいだ!)

 いや、龍一の強みはあくまで素手だ。刀剣の技量に関しては、彼女の方が遥かに上ではないのか。

 考えろ。考えるんだ、彼女にあって僕にないもの、僕にあって彼女にないものを。

 床を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り──〈糸〉を物ともせずに明花が奔る。

(そうか、足だ!)

〈糸〉を振るう。明花ではなく、彼女の背後へと。

 水上・水中兵器のテスト用に設置された巨大な水槽──分厚い耐圧〈硝子〉に生じた髪の毛よりも細い亀裂は、内からの水圧で瞬時に水槽自体を決壊させた。

 たちまち奔流が室内を席巻した。大量の水が固定されていない調度を押し流し、見る間に室内を満たしていく。

 跳躍したアレクセイは、宙に張り巡らせた〈糸〉の上に立つ。

「……惜しい! いい線行ってたと思うよ、もう一捻り欲しかったけどね!」

 信じられなかった。明花は軽やかに水の上を走っている。まるで宗教画の聖人のように。

(軽気功か!)

 体内に巡らせた「気」を練り、体重を軽く保つ──武術武道に付き物のオカルト話としか思っていなかった。実戦で使えるほどのものを見るのは、おそらく李明花が初めてだ。

 勝負は一瞬──アレクセイは覚悟を固めた。知覚外からの攻撃も、正面戦闘でも敵わなければ、なおのこと一撃に賭けるしかない。

 しなやかな肢体が一瞬で距離を詰めてくる。双剣を振りかざし、水上をまるで雲の上でも駆けているかのように。

(……勝負!)

 右手に握る〈硝子〉の刃で、振り下ろされる剣を受け止める。それこそ硝子が砕け散るような、甲高い響き。だが反対側からもう一本の剣が、横薙ぎに伸びてくる。

(そこだ!)

 アレクセイの左拳から、指弾が飛ぶ。この近さなら躱しも弾きもできまい。銃弾にほぼ等しい指弾は眉間を直撃するか、最悪でもこめかみを抉るはずだった。自分より遥かに技量に優れた敵の、唯一の隙──必殺の一撃を繰り出す瞬間にアレクセイは賭けたのだ。

 だが──防御も回避もできないはずの指弾は、甲高い音と共に弾き返された。

 信じられなかった。いつの間にか、明花の剣の握りが逆になっている。彼女は一瞬で剣を持ち替え、柄で指弾を跳ね返したのだ。

「惜しいね……!」

 可愛らしくさえある顔が、獰猛に笑う。しまったと思った時は遅い。

 眉間に衝撃。力任せに剣の柄を叩き込まれた。凄まじい打撃に文字通り目の前で火花が散った。

 よろめく間すらなく膝蹴りが飛んでくる。

 背から水に落ち──そこでアレクセイは水の深さがさほどのものでないことに気づく。どこかで重々しいモーター音が響いている。排水が行われているのだ。

 手を尽くして彼女の機動を封じたはずが、これでまた元通りだ。

 苦悶にのたうつ暇もない。振り下ろされる刃に向けて〈硝子〉を振るったが、そこまでだった。再び甲高い音が響き、彼の手から透明な〈硝子〉の刃を弾き飛ばした。

「……よくやった、と言うべきだろうね」

 言いながら明花は爪先で床に落ちた〈硝子〉を蹴って遠ざけた。自分の勝利を確信した今でも、彼女からは油断の微塵も窺えなかった。対してアレクセイは、どうにか状態を起こして空えづきを繰り返すばかりだ。

 鳩尾の鈍痛がなければ笑い出していたに違いない。ここまで叩きのめされたのは、本当に相良龍一以来ではないのか。

「私は君よりずっと強いはずなのに、気がつけば君を二度も殺し損ねていた。私もまだまだだね」

 怒りも、殺意も、嗜虐心すらなく、むしろ優しさと慈悲をもって人を殺せる。ああ、だから彼女に会った時、既視感を覚えたのだ── 彼女はまるでかつての僕のようだ、と。

「でも君のことは忘れないし、忘れるべきでもないだろう。さよなら、〈最後のヒュプノス〉」

 静かに、だが神速に等しい早さと鋭さで剣が振り下ろされる。彼はもう動けなかった。動けたとしても、動かなかっただろう。

 なんと美しい軌道。

 自分を絶命させる一撃に相対しながら──星を見上げる子供のように、彼の目は釘付けになった。

 そうだ、自分はこれと同じものをどこかで

 

 ……何かが見えてきた。あれは……自分だ。今よりずっと幼い頃の自分だ。

 あの時の僕も、誰かの絶技を目の当たりにして

 

『……すごい! 今のどうやったの!?』

『長年の鍛錬の成果に過ぎない。お前もきっとできる、諦めなければ』

『うん、僕もいつかあなたみたいになるよ、()()()()()!』

 

 彼は目を見開いた。今のは……。

「君は……一体何をした……!?」

 まず視界に入ったのは、蒼白になった明花の顔だった。その時初めてアレクセイは自分がまだ死んでいないことに気づき──そして、自分の手が握り締めているものに気づいた。

 初めて握るはずなのに、手によく馴染むような感触。見覚えがあるのも道理だった。明花の持つ双剣の片割れだ。

 振り下ろされる明花の剣をその手から奪い、逆に彼女に向けて振り下ろした──明花が青ざめているのも無理はなかった。何しろ、それをしたアレクセイでさえ信じられないでいるのだ。

 そして明花が持つもう一本の剣は、根元から鮮やかな断面を見せて切り飛ばされていた。

 それでも反射的に、アレクセイの剣撃を防いだのは大したものだが……彼女からは、全身にみなぎっていた自信が完全に失せていた。今なら刃を振り下ろされたとしても、むしろ逍遥と受け入れるのではないか。

 ──だが、アレクセイは手の剣を投げ捨てた。

「行ってくれ。僕は君を是が非でも殺したいわけじゃない。君はどうだか知らないが」

 明花は一転、複雑な表情になった。「私はまた殺しに来るよ?」

「それでもだ。前に行ったはずだ、僕はもう暗殺を請け負っていない」

「相良龍一の一味と仲良くしているうちに、ずいぶん変わっちゃったみたいだね。でも〈ヒュプノス〉、その甘さは君の命取りになるよ」

「だろうね」

 承知の上だ。

「そこまで言われると、躍起になっている私が馬鹿みたいじゃない? あーあ、またも君を殺し損ねたか」はあ、と彼女は盛大に溜め息を吐いた。「その剣はあげるよ。ケチがついちゃったからね」

 静かに彼女は背を向けた。アレクセイが背から切り掛かることなどないと確信している所作だった。実際そうなのだが。「次に会う時まで、私以外に殺されないでね。再見(ツァイツェン)

 李明花が去ってから、アレクセイは明花のものだった剣を拾い上げた。やはり長年のもののように、掌にしっくりと馴染んだ──落ち着かなくなるほどに。

 同じく転がっていた〈硝子〉も拾い上げて、何となくその刃をかざしてみた。透明すぎる刃は、彼自身の顔すら映さない。

 やはり──改めて思う。〈ヒュプノス〉について、僕が一番何も知らないのかも知れない……。

 足元から突き上げるような轟音と振動が伝わってきた。スタビライザーでも吸収しきれない、巨船そのものを揺るがすような響きだ。

「何が起こっている……?」

 

 ──それは平時の〈へファイストス〉の警備態勢であれば、まず受けることのない襲撃だった。

 海中深く沈められ、海底とほぼ一体化してあらゆる探査手段から逃れていた特殊作戦用の突入ポッド、その数3。バラストを放出して浮上し、分厚い船底をトーチで焼き切ったポッドは、たちまち中の兵員を船内に吐き出した。

〈へファイストス〉にとって不幸なことに、対処可能な〈金剛杵〉はオークション会場で起こっていた「鎮圧」に回されており、完全に想定外であった襲撃者たちに対応しきれなかった。そしてその間隙、わずか数分が〈へファイストス〉の指揮系統にとって深刻なダメージとなりつつあった。

 船内に突入した3つのポッドから突入した3つのグループは、軽装備の警備員たちを手際よく排除しつつ、予め設定されていた目標に急速で向かった。

 1班はセキュリティルームの制圧。

 2班は大型兵器の格納庫へ。

 そして最後の3班は……。

 

【そして現在──〈へファイストス〉関係者以外立入禁止エリア、ゲストルーム近辺】

 ゲストルームの位置自体は、〈白狼〉が見当をつけてくれた。例によって情報が公開されていないエリアを重点的に調べればいいわけだ。

(……見えた!)

 射撃で龍一を牽制する警備員たちの向こう、SPたちが重厚な扉の中に車椅子の人物を押し込もうとしている。

 信じられなかった。あと十数メートル進むだけで、ヨハネスに肉薄できることが。あの〈犯罪者たちの王〉の肩に、手をかけられることが。

 ──と決心しても、そう上手くは行かないのが世の常である。

「くそっ……邪魔するなよ!」

 問題はヨハネス直属の警備チームだけだ。曲り角ごとに伏兵を置いているのではないか、と思うほど大量の銃弾に、龍一も迂闊に進めないでいる。

「どけよ!」

〈礫〉を飛ばす。一瞬にして極限まで加速できる投射体は、耳元を掠めただけでも頭を殴られたに等しい衝撃波を発生させる。防盾もアサルトライフルも吹き飛ばし、たちまち警備員たちが昏倒する。

「駄目だ、もう突破される!」

「慌てるな。まずは陛下を中に……!」

 追い詰められながらも、SPたちは完全に冷静さを失ってはいなかった。扉のロックを解除し、

「開いたぞ、早く中へ!」

「……待て!」

 なぜそう叫んでしまったのか、龍一自身にもわからなかった。ただ悪いことに関しては外れたためしのない彼の勘が、反射的にそう口にさせただけだ。

 結果的には、間違っていなかったが遅すぎた──そうとわかったのは、()()()()()()()()()()無数の銃弾が吐き出され、SPたちもろとも車椅子を穴だらけにした、その後だったが。

 大量の血と肉片、そして金属の破片が、まぜこぜになって壁に叩きつけられた。

 横倒しになった車椅子の車輪が、まるで冗談のようにゆっくりと空転している。

 銃弾に全身を穿たれたSPたちも、そして車椅子の人物も。

 もはやぴくりとも動かない。

 プレスビュテル・ヨハネスが、死んだ……?

 ありえない──いくつもの死闘と試練を経て追い続けてきた、そして追われてきた男の唐突な死を目の当たりにして、龍一は呆然と立ちすくんだ。

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