Sin and Punishment:Accelerando 作:アイダカズキ
【深夜0時半──〈へファイストス〉最下層デッキ、貨物室近辺廊下】
船内では既に激しい銃撃戦が開始されていた。船底を突き破った突入ポッドから、完全武装の兵士たちが次々と吐き出されている。
アレクセイはいち早く物陰に隠れたおかげで直接戦闘に巻き込まれずには済んだが、龍一も含め、自分たちが後手に回ってしまったことは認めるしかなかった。
(〈白狼〉との通信も回復しないままだ。直接、皆と合流するしかない……)
いや待て、とアレクセイは自分を戒める。確かに当初の予定など見る影もないが、こちらも手持ちの全戦力を投入している以上、手ぶらでは帰れない。逃げるにしても何かしらの成果を上げてからにするべきだ──例えば、この襲撃部隊の正体などを。
曲がり角の向こうで軍用ブーツの靴音が入り乱れる。彼は壁際に張り付き、静かに呼吸を整えた。
黒のバラクラバ帽を頭から被った兵士たちが、アサルトライフルを構えて走ってきて──そして、アレクセイの前を一瞥すらせず通り過ぎた。
〈同調〉を持ってすれば、警戒状態の敵すらアレクセイには気づかない。
やり過ごしておいて、アレクセイは即座に動いた。切断機能をオフにした〈糸〉を放ち、まとめて兵士たちの銃と足に絡みつかせる。よろけた隙に頭と頭をかち合わせ、瞬時に意識を奪った。
「く……!?」
最後に残った兵士はどうにか態勢を立て直したが──その時には喉元にアレクセイの握る〈硝子〉が突きつけられている。
「質問に答えれば殺しはしない。抵抗するようなら、君を殺してお仲間に聞くまでだ」
眼球だけが動き、とっくに気絶した仲間たちを捉える。抵抗の無意味さを悟ったらしい。黙ったまま、銃口を下ろした。
「そう、それでいい。その理性を保ったままでいてくれ。……手短に聞く。君たちは何者だ?」
「……〈
「聞かない組織名だ。命惜しさにでまかせを言ってはいないだろうね?」
アレクセイは少しだけ嘘を吐いた──そのものではないが、似た組織名なら聞いたことがある。〈白狼〉がかつて所属していた〈犯罪者たちの王〉に対抗するための犯罪者同盟。
あれは確か〈連合〉と呼ばれていたのではなかったか?
「う……嘘じゃない」怯えようからすると本当らしい。「〈犯罪者たちの王〉……プレスビュテル・ヨハネスの〈王国〉は大きくなりすぎ、強大になりすぎた。今の犯罪業界はヨハネス一人がしくじれば全てが共倒れになる、砂上の楼閣だ。〈連盟〉の目的は〈王国〉の解体、あるいは弱体化だ」
「なるほど。その解体ないし弱体化のために、君たちは何を? まさかヨハネスの殺害、などと言わないだろうね」
「ヨハネスの殺害だ」
──アレクセイはある種の感慨を抱かずにいられなかった。確かにヨハネスに死んでもらいたい人間は全世界でごまんといるだろう。だが過去に企てられたヨハネス暗殺計画は、いずれも無惨な失敗を遂げていたはずだ。〈連合〉による最大規模の叛乱が完膚なきまでに叩き潰されて以降、その種の企てを聞かなくなって久しい。
それが、こうもはっきりと反〈王国〉、反ヨハネスを標榜する組織が、自分たちの知らぬ間に勃興していたとは。
「わかった、では……」
最後まで言い切る前に、アレクセイは身を翻していた。
間髪入れず曲がり廊下の向こう側から沸き起こった一斉射撃が〈連盟〉の兵士を瞬時に切り裂き、壁面へ叩きつけた。
「戦闘情報リンクとの照合完了。例の〈ヒュプノス〉です」
「手加減のできる相手と思うな。無制限発砲を許可する!」
殺到してきたのは警備員とは比べ物にならない重武装の戦闘員たち──〈金剛杵〉だ。西洋甲冑に似たボディアーマーを着ていながら、その動きは極めて速い。人工筋肉応用の強化外骨格か。
(相手をしている暇はないが……)
容易に振り切れる相手でもない。アレクセイは走りながら、腰の刀──李明花から託された双剣の片割れを抜き放つ。
【同時刻──第13デッキ、メインリゾートプール】
「……ぶはあっ!」
ブリギッテは水面から顔を出し、盛大に水を吐き出した。水面に叩きつけられた瞬間は手足がもげるかと思ったが、幸いもげてはいない。
プールサイドではさっさとオークションを切り上げて水着姿になった武器商人たちやその愛人たちが、ドレス姿でプールの只中に落下してきたブリギッテを、度肝を抜かれた顔で見つめている。
「あの高さから落ちたのね……私、よく死ななかったな」
水の冷たさとは違う理由で全身が震えてきた。少しでも位置を間違えていたら、想像を絶する凄惨な死に様をさらしていたに違いない。
だんだん悪い意味で龍一に染まってきた気がするわ、と呟きながらブリギッテが手近のプールサイドまで泳ぎ着いたその時。
静かに、音もなく、黒スーツの長身がプールサイドに降り立った。何十メートルの高低差を何の身体強化もせず、ただ膝をわずかに撓めただけで着地する。
見て確かめるまでもなかった。〈黒刀〉だ。
これはまずい、と思う。こちらは水中、あちらは陸地。得意の弓を放とうにも、単にプールから這いあがろうにも、その前に首を落とされる。
今度こそ絶体絶命だ。
周囲の乗客たちは、明らかに世界の違う〈黒刀〉に完全に気圧されている。颯爽と飛びかかるなどまず期待できそうにない──たとえいたとしても、返り討ちに遭うだけだろう。
だが奇妙なことに〈黒刀〉は、その場に佇んだまま動こうとはしなかった。手の山刀を振るいもしなければ、散弾銃の銃口を持ち上げもしない。
ブリギッテは眉をひそめる。さっさと殺しなさいよ、などと挑発する気には──龍一でもあるまいし──ならなかったが、それにしてもおかしいわねと思った。問答無用で首を落としに来た〈黒刀〉にしては悠長ではないか。
先に口を開いたのは〈黒刀〉の方だった。
「……さっきから何をやっている?」
「はあ?」
思わず間の抜けた声を上げてしまった。問答無用で首を落としに来た奴の言うことか?
「お前に聞いているんだ。新香港で永らえた命をわざわざ投げ捨てに来たのか? 〈王国〉の兵器商船に乗り込んでくるくらいなら、もっと手っ取り早く首でも括ればいいだろう」
「私たちは……自殺しに来たわけではないわ」言葉を返しながら、言葉を返している自分がわからなくなってきた。どうも調子が狂う。会話など成立するほど、私と〈黒刀〉は親しかったかしら?
「死にたくないから。むしろ生きるためにここへ来たのよ」
「生きるため、か」
〈黒刀〉は一笑したが、今までの冷ややかな笑みとは異なる笑い方だった。「生きるためだけの戦いの、その末にあるのが何か知っているか? 生きるためだけに戦ってきた結果としての、敗北と死だ」
──何だか猛然と腹が立ってきた。首を落としにかかっておいて、困難と見たら語りかけてくるなんて、順番がが逆じゃない?
「言いたいことがあったらはっきり言えば? その可愛いお口を開いてね」
「お前の方がよほど喧嘩腰だな」
〈黒刀〉はまた笑う。それもまた初めて見る反応だった。
「お前らの首を刈れ、とは
妙な気分だ。あの〈黒刀〉に、一般常識を諭されるとは。〈竜〉さえ引き合いに出されなければ、あっさり頷いていたかも知れない。
「なぜ? どうしてあなたはそこまで〈竜〉を憎むの? 〈竜〉があなたに何をもたらしたの?」
ブリギッテの言葉は、本人にも予想外の結果をもたらしたようだった。
「〈竜〉は殺す必要がある。この世から一匹残らず」
ほんの少し──ほんの少しだけ、〈黒刀〉の死仮面じみた顔がひび割れた印象があった。
〈黒刀〉の右手に握られた山刀が、微かに震えている。内面の荒れ狂う何かを示すように。
「……たとえそいつが
──忽然として。
まるで夢から覚めたように、ブリギッテは
〈黒刀〉の側に、ほぼ等身大の水の球が出現していた。無論、自然現象などではあり得ない。
音もなく水球が弾け、パラソルもデッキチェアも、そして逃げ遅れた人体も含めて周囲のもの全てを薙ぎ倒した。
だがその瞬間に〈黒刀〉は十数メートルを一気に飛び退いていた。相良龍一やアレクセイを思わせる、人間離れどころか化け物離れした身体能力だ。
「今度はお前か。お前も拾った命を粗末にしたい一人か?」
「……イナンナ!」
水球と同じく忽然と出現していたエプロン姿の娘は、得物らしい得物を何一つ構えていなかった。手にしているものは、画材店でいくらでも買える、ありふれたパレットナイフだけだ。
「あなたこそ、私の
彼女の言葉に込められた静かな怒気に、ブリギッテの方が驚いた。穏やかで無害そうな外見とは裏腹に彼女もまた〈竜〉、それも〈限りなく原型に近い竜〉と呼ばれる畏るべき権能の使い手だ。
イナンナと〈黒刀〉が対峙している隙に、ブリギッテはさっさとプールから上がった。勿体なくはあるが、ドレスの裾を割いて作った細布で髪を手早くまとめる。
「イナンナ。逃げるつもりはないのね?」
儚げだが、それだけではない笑みが返ってきた。「逃げるにしても、それはブリギッテさんと一緒にです。私も、ただ叩き潰される羽虫ではありません」
「そうだ……だから〈竜〉は殺す必要があるんだ。この世から一匹残らず」
もう〈黒刀〉は全身から噴き出す、黒く冷たい殺気を隠そうともしていなかった。
「たとえそいつが、ウサギちゃんを抱きしめて優しく微笑んでいるのが似合う、野に咲く花のような娘っ子だろうとな」
【同時刻──第14デッキ、〈へファイストス〉ゲストルーム前】
ボディガードたちもろとも血煙を上げて車椅子が横倒しになるのを見た瞬間──龍一は疾走を開始していた。
プロであれば、確実にとどめを刺そうとするからだ。
(間に合え!)
果たして間に合いはした──そう実感できたのは室内から第二射が放たれ、龍一の全身を無数の鉄杭が貫いてからだったが。
「が……!?」
痛みよりも熱さと、体内に金属がめり込んでくる感触の方がよほど不愉快だった。
〈鱗〉が無効化されている。近接・遠距離を問わず、あらゆる種類の攻撃に自動反応するはずの〈鱗〉が。
つまりこの襲撃者たちは、少なくとも龍一を直接攻撃するための第一関門を突破してはいるわけだ。
龍一は眉をひそめた。たった今、自分の体を穿ったのは銃弾ではなく、
(……釘?)
血に濡れて鈍く輝いているのは、工具屋にでも行けばいくらでも手に入るありふれた釘だ。しかし、それにしても妙な武器を使う奴だ。
「こいつ……!?」
気を取り直して釘打銃を構え直した時には、龍一の掌がもう顔面まで迫っている。
勢いを殺さず、そのまま顔面を鷲掴みにして壁がへこむほどの勢いで叩きつけた。天井近くのシャンデリアが揺れ、精緻なガラス細工の棚がちりちりと鳴った。
襲撃者は必死にもがくが、龍一の腕力はそう簡単に振り解けない。そもそも、相手はずいぶんと華奢だった。体格からして女性らしい。
覆面を剥ぎ取ろうとして──即座に振り向く。
高速振動する刃が、龍一の眉間に振り下ろされる刹那。
(頭に直撃を喰らうよりはマシだ!)
腕で受けた。刃が血を飛び散らせ、肉を切り裂き、骨にまで達した瞬間に〈鱗〉を実体化。刃を強引に弾いて後方に飛び退く。
襲撃者は他にもいたのだ。長大な鋸に大型のモーターを無理やり取り付けたような、異様な形状の刀剣を構えたもう一人のバラクラバ帽。最初の襲撃者に比べ、遥かに貫禄がある。この体格で完璧に気配を殺していたなら、相当な手練れだ。
「……待て。お前とここで
だが襲撃者は、落ち着いた声でそう言った。ただし、刃は下ろしてはいない。
「それは……ありがたいね。そのおっかない得物を引っ込めてくれたら、もっとありがたいんだが」
龍一もまた警戒を緩めてはいなかった。何しろもう一人の襲撃者が、怒りに燃える目で釘打銃を構え直しているのだ。
数の優位だけではない。2人とも〈鱗〉を無効化する武器持ちなら、油断は禁物だ。
「目的は達した。そろそろお前も勘づいているんじゃないのか?
龍一の動揺を見て取り、襲撃者は少しだけ笑った。意地の悪い憫笑だった。「この程度の手勢と工夫で〈犯罪者たちの王〉の寝首を掻けると思うほど、俺たちの
それだけ言い、仲間の方を目で促した。襲撃者──女の方は龍一を睨みつけながら後に続く。
「あなたたちは何者だ?」
「聞いてどうする?」
「素性を知らないと、今後、殴り合いも話し合いもできないだろう」
男はもう一度、目元で笑った。今度は憫笑ではなかった。「〈連盟〉」
聞かない名前だ──だが、どこか聞き覚えのある名前でもある。
「あなたたちの組織は、かつてあった〈連合〉と何か関係があるのか?」
「それは、無用な腹の探り合いをする必要もなくなるほどに親しくなってから教えてやる。今日は無理だ。じゃあな」
いちおう交渉の余地はあるということか。
重装備を物ともしない見事な隠形で襲撃者たちは姿を消した。龍一はほっと息を吐き、そして、床面で弱々しくもがく気配に気づいた。
あの車椅子の老人が、自らの血溜まりの中で血混じりの咳を吐き出していた。生きていたのだ。
「……喋らないで。今、血を止める!」
ヨハネス本人ではないとわかっていても……いやだからこそ、何もせずにはいられなかった。
しかし老人は意外にも、きっぱりとかぶりを振った。
「君が……
「彼って」
聞き返して、龍一は聞き返す必要もないことに気づいた。「あなたは……会ったんですか? 〈犯罪者たちの王〉本人に?」
笑おうとして老人はどす黒い血の塊を吐き出した。肺を貫通しているのだろう。
「私は誰でもありません。ただの老い先短い、死にかけの元役者に過ぎませんよ。ただ〈犯罪者たちの王〉にあっただけの……ね」
【同時刻──第8デッキ、植物園】
複数体の〈バイラヴァ〉が突進してくる──相良龍一の〈鱗〉を再現した半透明の刃を振りかざし。2体が左右から同時に、もう1体がやや遅れて。わざとタイミングをずらした回避困難な斬撃。
跳躍。背と脚部から圧縮空気を噴射し、身をくねらせて斬撃を回避する。まるで空気中を泳ぐような、人間には絶対不可能な回避だ。
だが、遥か後方から射出された数本のワイヤーまでもは防げなかった。
「ぐ……!?」
シュウの口から勝手に苦鳴が漏れる。機体に突き刺さったワイヤーを通して高圧電流が流されたのだ。しかもワイヤー先端のフックには返しが付いており、勝手には抜けない。
シュウの内部機構を破壊できるほどではないが、無視できるものでもない。回避行動が格段に鈍ってしまう。
『手を止めるな! 第2突入班、行け!』
『
今やシュウは防戦一方だった。〈刃〉とは比較にならないほど等級《グレード》の低い電撃ワイヤーのような攻撃すら防げていないのだ。しかもこちらの攻撃は、位相転換シールドに阻まれ全く届いていない。
(やっぱこの機体の
今のシュウでも、並みの武装小隊程度なら蹴散らせる程度の火力は保有している。問題は
(しかもこいつら、何一つ突飛な戦い方はしてねえ)
後方から擲弾とミサイルでの遠距離を受けつつ、近接戦闘でとどめを刺しに来る。シンプルで隙のない戦術。
(加えて、俺様は龍一やアレクセイみてえな接近戦の申し子ってわけでもねえ。戦争と兵器の神が、完全に対策取られてるじゃねえかよ……!)
〈刃〉が振り下ろされる。切断された右腕、なけなしの残りの部分で強引に受け、受けた部分を捻った。ジジジ……と微かな空電音を響かせ続ける半透明の刃を止めることには成功。
だが数本のワイヤーが、さらにシュウの機体へ突き立つ。
「……!」
当然、流される電流も数倍増しになった。絶縁されているはずの機体が勝手に痙攣する。そして動きを止めてしまったシュウに、後方に控えた〈ラクシャサ〉遠距離砲撃班の誘導マーカーが張り付いた。
ごつ、ごつ、と鈍い音を立てて、シュウの機体の一部──人で言えば左脇腹と右太腿──が抉れた。
ぐらりとバランスを崩す──わざと姿勢制御は使わずに身を沈め、どうにか転倒は避ける。
(狙撃!?
しかし周囲をサーチしても、狙撃手の気配はなかったはずだ──ミサイルか、ドローンか。
『〈
転ばないでいるのが精一杯のシュウに対し〈ラクシャサ〉部隊長の声は余裕に満ちて淀みがない。
「へっ……徹底的に俺様だけを嵌める罠を構築したわけかよ」
『楽観と錯誤は勝利の敵だ。確実に勝てる方法を模索するのは、軍事作戦の基本だろう』
釈迦に説法とはこのことだな、吐き捨てた後でシュウは、
「……さっきから気になってたんだけどな。てめえら、
『『『『『『よく気づいたな』』』』』』』
ぞっとするほど均一で抑揚のない声は、周囲の〈ラクシャサ〉〈バイラヴァ〉全てから同時に発されていた。
『『『『『『そもそも〈竜〉と戦うための兵装であり部隊だ。部隊員全員の思考同調など驚くまでもないだろう? 音声での号令はオーディエンスを意識したものに過ぎない』』』』』』』
「相良龍一のパクリの次は、アレクセイ……〈ヒュプノス〉のパクリかよ」
『『『『『『何とでも言え。〈竜〉はそのほぼ全てが今だ未解明の、規格外の怪物だ。それと戦う者たちも、比例して
「けなしたかったわけじゃねえよ。〈竜〉を殺すには〈竜〉を使えばいい……シンプルで無駄のない、俺様好みの戦い方だ」
問題はそのおかげで、彼が追い詰められていることなのだが。
『『『『『『そろそろ首を落とすか。それで死ぬ程度の〈竜〉とは思えないが、少なくとも動きは封じられる』』』』』』』
半透明の〈刃〉を構えた〈バイラヴァ〉たちが近づいてくる。
こりゃまずいな、と思う。首など落とされたら確実に動けなくはなる。役目を果たすどころか、この船からの脱出も怪しくなってきた。手がないわけではないが、周囲への被害が大きすぎる。できれば使わずに済ませたい手だ。
腹を括るしかないか、気は進まないまでもシュウが腹を決めかけた時。
「……うん?」
彼は顔を上げた。船内の別の場所で活動していた、
【同時刻──第4デッキ、〈へファイストス〉データセンター】
〈へファイストス〉ほどの巨船ともなると、船内には独自のデータセンターとサーバールームまで完備されている。当然、警備は厳重を極めていた。何しろ乗客の大半が半合法ないし非合法の住人なのだから、なおさらである。
サーバールーム自体の堅牢さも特筆すべきものだった。物理・電子両面の幾重にも及ぶセキュリティに加え、区画全体が一定のユニット構造となっており、万が一〈へファイストス〉が航行不能な損傷を受けても、サーバールーム自体を巨大コンテナに収容して運び出せるようになっていた。船上の施設としてはこれ以上の安全性を求めるのは不可能なほどだ。
だが、それこそシュウの──というより、龍一と〈白狼〉たちが目をつけた部分だった。
シュウの体内に備わる〈八卦炉〉とは、小火器・重火器、戦車や戦闘機、果ては超巨大宇宙戦艦から惑星破壊ビーム砲に至るまで──本人曰く「過去・現在・未来に存在するありとあらゆる兵器」を鍛造できる、超々精密・無限容量を持つ生きた3Dプリンターである。
同質量の原料(極端な話、水でも砂でもいい)、事前に用意した設計図、そしてある程度の時間さえあれば、あらゆるものが作れる……そう、たとえば
セキュリティシステムを掻い潜るため、生活排水パイプや光ファイバーケーブル網などを時間をかけて這い進んで来たナナイトは、サーバールームを固定するロックボルトに取りつくと、蜘蛛の糸よりさらに細いレーザーを照射し始めた。
同時にナナイトの一部は、サーバールームを行き交いする電子情報に滞りがないよう事前にセットされたプログラムに基づき、欺瞞信号を発し続けている。
やがてサーバールーム全体がデータセンターから切り離され、鈍い音を立てて床ごと沈むと、真下で待ち構えていた大型の無人コンテナ運搬車に受け止められた。
データセンターに駐在するオペレーターたちが、サーバールームからのあらゆる情報・通信が単にループしているだけに過ぎないことに気づき、大騒ぎを始めるのはさらに十数分後。
そしてコンテナを収めた無人運搬車が向かう、その先は……。
【数分前── 第3デッキ、水上・水中兵器評価試験場】
先刻までアレクセイと明花の死闘が繰り広げられていた試験場では、明滅する非常灯とサイレンの中、慌ただしく一連の作業が進められていた。
「……サーバールーム収容コンテナ、到着しました!」
「よし、ただちに積み込みを開始しろ。完了次第注水を行う!」
作業員たちが準備を進めているのは──試験用の大型水槽に浮かぶ、涙滴型の潜水艦だった。多少寸詰まり気味だが、サイズだけなら通常の潜水艦より一回り小さい程度だ。二連装の魚雷発射口まで備えた、いわばミニチュアの潜水艦である。
「……しかし、本当に大丈夫なんですか?」
「何がだ?」
「最悪の状況云々ってのはわかりますよ。〈へファイストス〉が『最悪』になった時のために、試験中の小型潜水艦をスタンバイしておけってのはね。で、俺たちが乗り込む余裕はあるんですか? お前らは機密保持のために〈へファイストス〉と運命を共にしろ、ってのはナシですぜ」
「……あくまで
本人も納得しているわけではないのだろう、現場監督はやや苦々しげな表情を浮かべている。
その時、入り口で戦闘用ブーツの靴音が入り乱れた。〈金剛杵〉たちだ。
「中止だ! 作業を中止しろ! 現場監督はどこだ!」
「はあ、私ですが……これは最悪の事態に備えよ、とあのお方直々のご命令で……」
「まだ聞いていなかったのか!? 〈犯罪者たちの王〉は身罷られた!」
「なっ……!?」
絶句する作業員たちとは対照的に、〈金剛杵〉はやや冷静になったらしい。
「現在も、船内で破壊分子による妨害工作が進行中だ。この潜水艦を準備せよというのも、欺瞞情報の一環だろう」
「監督、あれは……!?」
重々しい音に、全員が蒼白になった。潜水艇の艦首、その魚雷発射口が開き始めたのだ。
先刻、アレクセイがワークステーションに挿入したデータキューブには2つの機能があった。
一つはウィルス。これは評価試験場のイントラネットを介して船内のネットワーク環境に侵入し、欺瞞・撹乱を行うためのもの。
〈金剛杵〉の対サイバー部隊がウィルスの駆除に躍起になっている隙に、データキューブのもう一つの機能が発動していた。
もう一つの機能、それはシュウ謹製の、例のナナイトである。
ウィルスに対しては有効なファイヤーウォールも、物理的にネット環境へ取り憑いてしまうナナイトには無力だった。防衛システムをあっさりと突破したナナイトが目標としたのは……。
「ハッキングだ! 潜水艦の火器管制システムがハッキングを受けている……!」
魚雷とは水中兵器だ。まず発射管に注水を行い、その後圧縮空気で魚雷を射出する。空中で魚雷を発射しても、それは十数トンの金属塊をただ何十メートルか飛ばすだけに過ぎない。が──ハッキングの主は、そんなことは百も承知だった。
音立てて撃ち出された魚雷が、警備員詰所を直撃、内部の一切を粉砕した。
「退避、退避しろ……!」
逃げ惑う作業員たちや〈金剛杵〉をよそに、クレーンで吊り下げられたコンテナを潜水艇は悠々と飲み込んでいく。
やがて注水が始まった。試験用の大型水槽から溢れ出した水は、やがてフロア全体を満たしていった──いつでも潜水艦が〈へファイストス〉から脱出できるように。
【再び現在──第8デッキ、植物園】
「……やれやれ。一方的にぶちのめされていた甲斐はあったってことかよ」
シュウは顔を上げた。〈バイラヴァ〉〈ラクシャサ〉全部隊員が目の当たりにした。小柄な少年のその目が、黄金色の輝きを放つのを。
そして──その瞬間に「準備」は終わっていた。
──嵐の中心に、巨大な何かが現出していた。
それは一見、異教の神像にも見えた。全身が鈍く輝く鋼でできていながら、奇妙に艶かしく蠢く、異形の生きた神像。
人に似た、しかし人ではあり得ない数の関節を持つ可変式アームの先端には、いずれも大型重砲やミサイルポッド、火炎放射器、4連装機銃とグレネードランチャーを組み合わせた兵装ステーション、あるいは機体のサイズに合わせてしつらえたような巨大な刀剣や槍やハンマー、鎖鞭までもが装着されている。
頭部には首がなく、ただ呼吸するように明滅する複眼状のセンサー群と、牛にも似た一対の角だけが露出していた。
直立した獣と、捻じ曲がり膨れ上がった人体と、巨大な蜘蛛の混合物としか表現しようのない、鋼の巨獣。
『何だ、こいつは……明らかに質量まで増大しているぞ!?』
「おいおい、そんなに驚くなよ。
数体の〈バイラヴァ〉が動いた。体格差を物ともしない、正面・側面、そして背後からの同時攻撃──しかしシュウが変じた巨大な怪物の動きは、それよりも遥かに早かった。
アームの一振りで〈バイラヴァ〉たちは羽虫のように地べたへ叩きつけられ、瞬時に潰れた。
同時に幾つもの苦鳴が響き渡った。圧死した〈バイラヴァ〉部隊員たちの断末魔と、それをまともに共有してしまった部隊員全員の悲鳴だ。
「おやおや。位相転換でも肝心の
『『『『『『貴様……!』』』』』』』
体勢を立て直そうと〈ラクシャサ〉たちがバーニアを噴射して後方へ飛び退く──が、それに向けてなおも、怪物の可変式アームに握られた得物が振るわれる。
「遅え!」
人を遥かに越えた刃渡りの刀剣が〈ラクシャサ〉を両断し、返す刀が飛びかかる〈バイラヴァ〉の胴を真一文字に薙ぎ払う。
死角から這うようにして切りかかろうとした〈バイラヴァ〉たちは、別種の生物のごとく翻った
「どうした。
『『『『『『こいつ、我々の動きに対応して……!』』』』』』』
「てめえらの戦闘行動は全て解析済みだ。それまで一方的にボコられはしたが、時間をかけすぎたな。もう近接戦闘でてめえらに
『『『『『『お前は……一体何なんだ!? 中国がここまで高度な自律型〈竜〉応用兵器を完成させていたなど聞いていないぞ!』』』』』』』
「自律型兵器? 〈竜〉の応用? はっ! そんな捉え方してる限り、俺様のことは千年経っても理解できねえよ!」
今や鋼の巨獣と化したシュウは、腹の底から笑う。
「俺様の名は〈
【第14デッキ、〈へファイストス〉ゲストルーム内】
「誰でもないって……そんなことはないでしょう? あなたにだって名前も、これまでの人生だってあったはずだ」
龍一の言葉に、老人は薄く笑ってみせた。「謙遜でも何でもありません。私は若い頃から演技の魔に魅入られ、なのに芸術の女神からは見放された、ただの元役者です。家族はとうに私を見捨てました……愛想を尽かしてね。もっとも、だから彼の目に留まったのでしょうが」
龍一は黙った。老人が負ったのは明らかに致命傷であり、喋りたいことを喋らせてやるのがせめてもの情けだとわかったからだ。
「先に言っておきますが……彼は甘言も脅迫も、一切用いませんでした。莫大な金額を提示されはしましたが、そんなものがなくても私は引き受けたでしょう。〈犯罪者たちの王〉を演じてくれ、と〈犯罪者たちの王〉本人から頼まれた役者など、有史以来どこにいるというのですか?」
老人は笑おうとして、また横を向いて血を吐いた。龍一は背をさすってやった──それしかできなかった。
「お若い方。私の演技は、いかがでしたか?」
「……てっきり本人だと思ったよ」
「優しい人ですね。ああ……あなたは彼にも似ている。血も涙もあるくせに、やることなすことが容赦ない……」
もう老人の声は、囁くようにしか聞こえなかった。
「しかし、少しだけ残念ですね……あなたと彼のどちらが勝つのか、見届けられないのは」
そう言い残して。
車椅子の老人は息を止めた。永遠に。
目を閉じさせてやろうとして、龍一は手を止めた。もう何も見ていない目を虚空に向け、老人は笑っていた。おそらく生前は得られなかった、万来の拍手を受けているように。
彼には理想の死に方だったのかも知れない。
しかし。
「これで満足か?」
今度こそ動くもののなくなった室内で、龍一は静かに言った。答えはない。
だが、確実に聞いているはずだ、という思いがあった。
〈犯罪者たちの王〉その人が。
「俺があなたのところへ辿り着くまでに、こんなことを何度でも繰り返すつもりか?」
答えはない。しかし続けた──続けずにはいられなかった。
名も知らないこの老人のために怒りを燃やすのは、これが最初で最後になるだろうから。
「俺もずいぶんとろくでなしの人生を送ってきたが、あなただって下らない因縁を重ねすぎじゃないか。人を殺して、人を操って、そこら中死体の山じゃないか。焦らなくったって、俺はそちらに行くってのに」
答えはない。それでも続けた。
「約束するよ。俺は必ず、あなたの前に立つって。その時、そちらの都合は一切考慮しないからそのつもりでいるんだな!」
「回線を繋いでくれ」
「陛下、まさか……」
「回線を繋げ。今すぐに」
【第14デッキ、〈へファイストス〉ゲストルーム内】
突如、アンティークな意匠の卓上電話が鳴り出した。まるで龍一の言葉が聞こえでもしたかのように──いや、実際そうなのだろう。
少しだけ、龍一は躊躇した。罠か……?
〈白狼〉からの依頼を忘れていたわけではない。無視して、仲間たちとの通信を復活させるべきだ……わかっていながらも、龍一は吸い寄せられるように受話器へ手を伸ばしていた。
「……もしもし?」
『こちらからかけておいて何だが……本当に電話に出てくれるとはな。驚いたよ』
演技ではない、微かな驚きの混じる声。
流暢ではあるが、どこか微かな訛りのある英語だった。英語ネイティブではないのかも知れないが、国籍まではさすがにわからない。
それよりも奇妙なのは──龍一には、初めて聞くその声が誰なのか、受話器を取る前からよくわかっていたように思えてならなかった。
「あなたは誰だ?」
『礼儀正しいな。てっきり繋がった途端に、電話ごと噛み砕かれるものと覚悟していたが。いやいや、それは私の偏見というものだろうな』
予想は即座に確信へと変わった。信じられないのは、回線の向こうから聞こえてくる声が──龍一の探し求めていた『本人』のものである、という一点のみだ。
「……〈犯罪者たちの王〉?」
『そうだ。私がプレスビュテル・ヨハネスだ』
受話器からの声は、龍一が数え切れない悪夢の狭間に思い描いた、どの声ともかけ離れていた。
ただ静かで、穏やかで、そして乾いていた。
『初めまして……と言うべきかな、相良龍一? それにしては、初めて話す気がしないが』