Sin and Punishment:Accelerando   作:アイダカズキ

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5 竜と王

『初めまして……と言うべきかな、相良龍一? それにしては、初めて話す気がしないが』

 ──受話器から聞こえてくる声は、龍一が数え切れない悪夢の狭間に思い描いた、どの声ともかけ離れていた。

 想像していた悪意も敵意も、欠片もなく──ただ静かで、穏やかで、そして冷え切っていた。

 まるで悪意も敵意も、龍一の身勝手な想像に過ぎない、と言わんばかりに。

 疑おうと思えば、いくらでも疑えただろう。だが龍一は、電話の相手が〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスであると信じて疑わなかった。

 ただ確信だけがあった。この声の主が龍一の追い求めてきた、そして龍一を世界の果てまで追い続けてきた、ヨハネス本人だと。

 黙っている龍一に、ヨハネスは訝しげな声を出した。『どうした。私に質問があるのではなかったのかね?』

「何だって?」

質問(クエスチョン)だよ。まさか「質問」という言葉の意味もわからなくなったわけでもあるまい? 君はそのためにここまで来たのではないのか?』

 龍一は実のところ、混乱の極みにあった。〈犯罪者たちの王〉本人が電話で話しかけてくるのも予想外なら、こうも長年の知り合いのように気安く語りかけてくるのも予想外だった。

 そもそも龍一は、そう弁が立つ類の人間ではない。むしろ逆であり、ぺらぺら喋ってくる奴は苦手だ(そしてヨハネスその人が、こうもぺらぺら喋る奴だなどとは思わなかった)。

『そのゲストルームにはミニバーもあっただろう。質問の合間に、一杯やったらどうかね? ああ、君は未成年だったか……だとしても飲酒程度、悪徳のうちに入らないだろう。君が世界を股にかけて繰り広げてきた破壊と殺戮に比べればな』

 龍一は床に転がる、死体と車椅子の残骸を見た。豪奢な絨毯が黒い血に染まっていた。自分はどこの誰でもない、と言って死んだ、ヨハネスの替え玉を演じた老役者。

 受話器を握る龍一の手に力が籠った。「水でいい。いや、むしろ水がいい」

『ほう?』

「呆れた無神経だな。俺の目の前には、あなたを演じたどこかの誰かの死体があるんだぞ。一杯奢ってやると言われて、這いつくばって感謝するとでも思ったのか? それとも〈犯罪者たちの王〉とやらは、無神経でないと務まらないのか? あと、ついでに言っておくと、俺は酒なんて好きじゃない」

『なるほど、そういう理屈か』

 受話器の向こうからくすくす笑う声が聞こえた。気を悪くした様子もなく、むしろ好意的な笑いなのが余計に気に入らなかった。『では私も、君に付き合って水にしておこう。はるばる尋ねてきた君が素面でいるのに、私が先んじて酔っ払っているわけにもいくまい──それに実を言うと、私もあまり酒が好きではない』

 龍一は棚から一生縁がないと思っていた繊細な装飾の施されたグラスを取り出し、ただのミネラルウォーター(それでもそう気軽には飲めない高級ブランドである)を乱暴に注いだ。実際、ひどく喉が渇いていた。

 回線の向こうでも美味そうに喉を鳴らす音が聞こえてきた。本当に付き合ってくれているらしい。そういやアレクセイやブリギッテと初めて会った時も一緒に何か飲んでたな、と思い出す。何なんだこれは。

 水を飲んだらだいぶ頭が冴えた。もし電話の相手がヨハネスなら──ヨハネス本人ならなおのこと、聞かなければならないことがいくつもある。

「質問に答えると言ったな。俺の質問にほいほい気軽に答えてくれるくらいなら、なぜこの気の毒な人を身代わりに据える必要があった? あなたは妙な魔法だか手品だかで()()を無限に増やせるんだろう? 暗殺なんか屁でもないんじゃないのか?」

『適材適所だよ』朗らかな、朗らかすぎる返答が返ってきた。『私と彼を並べておいたら、誰もが私よりも彼の方を本物だと思ったことだろう。君でさえ、本物の私を目の当たりにすればがっかりしていただろうね──何せ、男としての魅力など欠片もない、惨めったらしい老いぼれだ』

 冷静には違いないが嫌な奴だな、と龍一は思ったが黙っていた。

『それに……褒めてやるのも癪だが、私が〈王国〉の総力を上げて殺そうとして、抹殺できなかったのは唯一、君だけだ。ご褒美に金一封とまでは行かなくとも、質問に答えるくらいは何でもないさ』

 余裕かましてやがるとは思うが、ヨハネスの余裕が理由なきものではないのも確かではある。実際、龍一たちが一杯食わされたのは事実ではあり、こうして電話越しに会話しているのもヨハネスの気まぐれの産物なのだ。

「あなたの答えが本当である保証は?」

『ない。仮にあったところで無意味だろう。いくつ積み重ねても信じられない保証など、ないも同然だ。それに君も犯罪者の端くれならとうに知っているだろう──人を騙すのに嘘を吐く必要はない、と。望月崇から習わなかったかね? それとも高塔百合子から?』

 罠があるとしても踏み込むしかない。龍一は腹を据えた。それにヨハネス本人に聞きたいことなど、ここに来るまでに決まっている。

「じゃあ質問だ。……瀬川夏姫は、どこにいる?」

 そう、ここに来るまでに文字通り世界を駆け回り、いくつもの犯罪企業や犯罪組織を叩き潰したが、瀬川夏姫に関する手がかりは何一つ見つからなかったのだ。〈白狼〉の情報網を持ってしても、である。となれば、ヨハネス本人に聞くしかない。

 わずかな──ほんのわずかな沈黙があった。『生憎だが、私も知らない』

「嘘だ」

 そう反射的に龍一が口走ってしまったのは、ヨハネスの言葉が信じられなかったからではない。

 ただヨハネスが嘘を言っていないと、自分が確信してしまったのを認められないだけだった。

『嘘であればよかった、と思うよ。彼女の居場所に心当たりがあるということなのだからな。君を舌先で丸め込んで、さっさと人をやって探しに行かせればいいだけの話だ』

 ヨハネスの言葉に淀みはなかった──龍一の願望に反して。

「女の子を誘拐監禁しておいて、不本意そうな言い方をするなよ」

『私の行為が倫理に悖ることは承知だ。だが他に方法があったとも思わないな。君は空に()()()()を開けるのに夢中、地上は魔女の大釜をひっくり返したような有様で大混乱、当の彼女は自分の身を守るどころか意識不明とあってはね』

 龍一は黙って顔をしかめた。下らない当て擦りと一蹴できないところが辛い。

『隠してもどうということのない話だから言うが、君が()()()()()()()と世界を駆け回っている間、私は瀬川夏姫にいくつかの頼み事をしていた。ああ、先に言っておくが「どこそこの誰それの喉首を掻き切ってこい」という類のものではない。他に適任がごまんといるからな。彼女は内心の葛藤はあったにせよ、引き受けた──飽きることにも飽きていた様子だったからな』

 夏姫の性格を考えればさもありなんではある、と龍一は思った。

『先に言った通り、私は彼女に「どこそこの誰それの喉首を掻き切ってこい」などという頼み事は持ちかけなかった。ましてやそれが罪のない女子供であったら、彼女は命を賭けてでも抵抗しただろう。事の次第では私と差し違えてでも抵抗したかも知れないな。それは私も困る。別に好き好んで差し違えたくはない。

 だから私が彼女に持ちかけたのは〈王国〉内部の不穏分子を探らせることだった』

 この男の言葉を信じすぎるのは危険だ、そう思いながらも話に惹きつけられるのは避けられなかった。

「もしかして……それと引き換えに俺の賞金を取り消したのか?」

『察しがいい、と褒めてやることもないか。私は〈王国〉内部の不心得者どもを一掃でき、彼女は私の下にいながら君の命を救え、君はアレクセイたちと合流するまでの時間を稼げた。図らずも全員の利害が一致したわけだな』

 苦い感触が腹の底に広がった。取るものも取らず海外へ逃げ出した龍一が体勢を立て直すまでの貴重な時間、それを稼ぐために夏姫はどれほどの辛酸を舐めたのだろう。そして俺は、それに対して何を返せたのだろう。

『初めは上手く行っていた──少なくとも私はそう思っている。だがドバイに派遣された際、彼女は現地で親しくなった二人の少年を喪った。彼女は嘆き悲しみ、自分を責め、自分を彼の地に派遣した私を責め──そして、最後には何も言わなくなった。その日のうちに、彼女は私の下を去った』

 これまたさもありなん、ではあった。夏姫は勝ち気だが、それ以上に優しい娘だ。自分が理由で誰かの命が失われたと知った時、彼女はどれほど自分を強く苛んだのだろう。ディロンの死は自分の過ちだと責めていた──今でも責め続けているブリギッテを思い出した。

「黙って出て行かせたのか?」

『他にやりようがあったかね? 瀬川夏姫がそれまでどこにも行かなかったのは、行く当てがなかったからだ。彼女が出ていくと決意した時、止めるすべなどなかった。以来、彼女は私の観測範囲から消えた。手を尽くしはしたが、はかばかしい成果は上がっていない』

 その言葉にも嘘がないことを、龍一は認めざるを得なかった。ヨハネスに嘘を吐く理由などない。

『それと同じように、高塔百合子も私の観測範囲から消えた。瀬川夏姫と同様、天に昇ったか地に潜ったか、それすら判然としない消え方だった』

 複雑な気分ではあった。百合子が死んでいないという安堵と、ヨハネスですら百合子の発見には至っていないという落胆と。

『それに彼女たちの人となりについては、私なぞよりよほど君の方が詳しいのではないかね? まさか彼女たちがこのまま世を儚んで、どこぞの修道院で一生を過ごすなど……ああ、君たちの言い回しを借りれば、そんな()()だと信じているわけでもなかろう? むしろ君にも私にも見つからない場所に潜んで、牙を研いで反撃の機会をじっと待つ──その方があの()()()()()()()に相応しいのではないかね?』

 反論できなかった。まるで反論できなかった。

「よかったよ。あなたの言葉に嘘はなさそうで。嘘を吐いてる素振りがあったら、あなたを拷問にかける必要があったから。嘘は吐いていなくても、拷問にかける必要はあるけど」

『私は勇気とは程遠い人間だが、空威張りがその代わりにならないことは知っている』

 わかりやすい皮肉に、意地の悪い憫笑が返ってきた。

「〈王国〉最大規模の兵器商船を押さえられたにしては緊張感が足りなくないか? 次は自分の首に手がかかる頃合いだとは思わないか?」

『マルスも、〈王国〉も、そしてこの〈へファイストス〉も、確かにないと困る。だがむきになって拘るほどのものではない。君たちは私の計画を一つか二つばかり潰すことばかりに躍起だが、私にとってそれらはかけがえのないものなどではない。鋏や金槌と同様、必要に応じていくらでも取り替えが効く物だ。ましてや私が鋏や金槌と心中するつもりだと信じ込んでいるのなら、これほど愚かな思い込みも他にない』

〈白狼〉の懸念が証明されたな、と思った。マルスどころか、世界中に根を張り暴力と腐敗を糧に肥え太る〈王国〉ですら、ヨハネスにとっては道具以上のものではなかったのだ。

『私は人類史上類のない〈罪の王国〉を築き上げた。世界各国の軍と情報機関と犯罪組織を犯罪のインフラで結びつけた。いくらでも量産・交換・アップグレードが可能な人造の兵士たち、Hybrid Warriorを各国軍の主戦力として据えた。今や〈王国〉、そしてHWと犯罪予測システムは、現代社会になくてはならない三位一体(トリニティ)だ。

 君はどうだ? マルスを潰した、カリブ海軍艦隊を潰した、〈ロンドン・エリジウム〉を潰し、〈竜〉を殺すために作られた〈ペルセウス〉〈オーディン〉を潰した。自分を憐れみながら破壊を振り撒く以外に何をしたと?』

「……耳が痛い話だが、聞いてはおくよ」

 自分たちの破壊行為が正義に悖るものだなどと主張するほど、龍一も恥知らずではない。邪悪な〈王国〉に対抗するためと言うつもりもない。むしろ龍一たちが振るったのは、こちらさえ慈悲深ければいくらでも流血を避けられたはずの暴力そのものだ。

『さて、ではここで君に問いかけてみよう──〈王国〉とHWと犯罪予測システム。この先にあるものは何だと思うね?』

「どうして急に()()()()が始まったんだ?」

『それは、君』ヨハネスはいかにも不本意そうな声を上げた。『私とて〈犯罪者たちの王〉だ。慈悲以外に、ただで誰かに物をくれてやることなどない。だが問うべき問いを、正しい方法で問われれば答えはするさ──たとえ、君が敵でもな』

 いちいち業腹ではある。が、これがヨハネスの気まぐれな慈悲だろうと罠だろうと、飛びつく以外に何ができるだろう。毒を喰らわずに飢えて死ぬか、毒と皿の両方喰ってこいつから情報を引き出すか、選ぶしかないんじゃないか?

 龍一は少し唇を舐め、そして問うた。

「どうしてここまでして、俺を殺したいんだ?」

『……正解だ』

 声だけでも、ヨハネスが満面の笑みを浮かべているのがわかった。

 数秒の間、言葉を失っていた。あまりにも求めていた答えが得られたことに──そしてそれまでに失ってきたおびただしい犠牲に。

「どうしてだ?」声が震えているのはわかっていたが、止められなかった。

使命(ミッション)だ』

 簡潔な答えだけがあった。

『他の誰かに任せられるものではない。君を殺すことこそ私がこの世に生を受けた理由であり、私が神から受けた使命だ』

「その神とやらは、全身白ずくめでいつも()()()()()態度の兄ちゃんだろう? あいつは神どころか正反対の何かだと思うが」

 モーリッツ。〈竜〉を覚醒させたブリギッテやミルカの前に現れた謎の青年。

『神だよ』ヨハネスの声は揺らがない。教壇で方程式を説明する数学教師のように。『彼のみが、私を人間と認めてくれたのだ。誰からも人間と認められていなかった私を。そして彼は言ったのだ──君はこのまま何もせずに地獄へ落ちるつもりかい、と』

 ──龍一は、自分が未真名市を訪れた時を思い出していた。

 なぜ自分は父の元を離れ、故郷の街を遠く離れ、あるかなしかの手がかりを求めてあの犯罪多発都市に足を踏み入れたのか。

 復讐を成し遂げる自信などなかった。ただどこかで、志半ばで果てるだろうと思っていた。ただ何も為さずに、波多野仁の仇を討たずに生きながら朽ちていきたくないだけだった。

『そうだ、その時、私は確信したのだ。自分がいずれ地獄に落ちること、そしてその前にやるべきことがあることを。〈犯罪者たちの王〉は、その瞬間に生まれたのだ。わかるかね? ()()()()()()()()()()()自らの尾を飲み込む蛇(ウロボロス)のように』

 心臓が一つ、大きく波打った。

 全身を血が激しく巡る感触があるのに、頭の芯だけがひどく冴えている。

 ここに来るまでのことを思った──殺した者、殺された者、助けてくれた者、助けられなかった者、ただすれ違うしかできなかった者たちのことを思い出した。

 彼ら彼女らの一人一人に「あなたたちに不幸をもたらしたのは、全てただ一人のとち狂った老人が俺を殺そうとしたせいです。俺が自分一人の心を殺してさえいれば、最初から何も起きずに済んだんです」と言ったら、何と答えが返ってくるのだろう?

 怒るだろうか? 赦すだろうか? それとも何も答えられないほど、呆れ返るだけだろうか?

 一笑に伏せればさぞ気が楽だっただろう。だが龍一の勘が──悪いことに限って的中する勘が告げていた。こいつは嘘を言っていない──嘘を吐く必要がない。

『相良龍一。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「地獄に落ちることが、あなたの一番やりたいことだと? 人生を賭けてまで?」

『まだ賭けてはいない。君を殺し、そして私もまた命果てた時、初めて「人生を賭けた」ことになるだろう』

 おぞましいほど淀みのない答えだった。

『君を殺して地獄に落ちることこそが、私の為すべきことであり、為さねばならないことであり、そして為したいことなのだ。その三つを合致させられた者など、悲しいかな、この世には数えるほどしかいない。ほとんどの人間はやりたくもないことを「これが私の為すべきことだ」と自分に言い聞かせ、そうして人も自分も騙し続けながら一生を終えるのだ』

〈犯罪者たちの王〉は傲然と言い放つ。

『私こそが、あらゆる犯罪者たちの上に君臨するただ一人の〈王〉であり──そして人類の罪の象徴たる〈悪竜〉を殺す、()()()()()()()()だ』

 ヨハネスはまた笑った。実年齢にそぐわない、無邪気ですらある笑い。

『ただ一人の少年を殺すためだけに、この世の生きとし生けるもの全てを火に焚べる。これが罪でなくて何だろう?』

 無邪気すぎる笑い。

『これが悪でなくて何だろう?』

 

 喉がひどく乾いていて、龍一は受話器を放り出してグラスに水を注ぎたくなる衝動と戦わなければならなかった。

「……質問を変える。そもそもその〈悪竜〉って何だ? 他の〈竜〉とどう違うんだ? いや、そもそも〈竜〉って何なんだ?」

『……もう、何年も前の話になる』

 ヨハネスの声が急に老け込んだ。過去を覗き込む声だ。

『私はいずれ未真名市と呼ばれる地にいた。かの地は今からでは想像もつかないほどの、葦の生い茂る沼地でね。あそこを人の住める地にするのは、惑星改良と大差ない苦労が必要だった。当時の人々が叩いていた陰口を覚えているよ──高塔の現当主は()()()を掴んだ、とね』

「高塔の当主……百合子さんの祖父のことか」

『ああ、そうだ……彼はあの葦と沼しかない地に、異様なまでに固執していた。誰が何を言おうと耳を貸さなかった。今にして思えば、彼もあの地が秘める可能性に気づいていたのかも知れないな。でなければ立地調査中に、沼の底深くに埋まってきた()()()()()()()を発見するなどという「偶然」が起こるはずもない』

 耳を傾けずにはいられなかった。「それが、まさか……?」

『のちに〈悪竜〉と呼ばれることになる戦闘機械だよ。宗玄はただちに箝口令を敷き、人をかき集めてそれの調査をさせたが、件の戦闘機械が現代の技術では再現不可能であること以外何一つわからなかった。

 ああ、そいつが〈竜〉であること以外はね……実際それは、神話や民話に出てくるドラゴン以外の何にも見えなかった』

 未真名市自体が〈竜〉の産物であったわけか。

『また〈悪竜〉の研究と並行して、その膨大なエネルギーを人間に扱えるまでダウンサイジングできないか、との試みがなされていた。機械との合一。あるいは薬物強化。膨大な試行錯誤が繰り返され、大勢が死んだ』

 素っ気なさすぎる物言いが恐ろしかった。

「……〈竜〉の研究と犯罪は、当時から不可分だったんだな」

『人体実験に使う()()は、森の()()()のように生えてくるわけではないからね』胸の悪くなる笑い方だった。『そうして生み出されたのがダウンサイジングされた〈悪竜〉──君の知る〈竜〉たちだ。もっとも、〈悪竜〉はダウンサイジングできるような代物ではないと彼ら彼女らはすぐに思い知ったがね』

 また笑い声が聞こえたが、それは途中で喉に引っかかるように途切れた。

「何があったんだ?」

『私も()()()()()一人さ。宗玄は老衰で死んだことになっているが……あの死に様を老衰と呼ぶのなら、大西洋は()()()()だな』

 笑おうとして失敗したように、その声は語尾で小さくなり消えた。

『そして〈悪竜〉は忽然と消えた。出現した時と同じようにね。そしてその直前に職を辞していた一人の女性研究者が、男児を出産した……』

「その女性研究者は……」

 含み笑い。『君にとっては縁深き話、どころの騒ぎではないな。白木(しらき)透子(とうこ)、旧姓相良透子。君の母上だよ』

 ()()()()()()()()

『君は〈悪竜〉が生み出した生体ユニット、動き回る〈悪竜〉の目であり耳であり分身だ。そして、いずれ〈悪竜〉が我々の次元に現出するための()()()()()()()()()でもある。君は〈悪竜〉に変身しているのではなく、徐々に〈悪竜〉に戻りつつあるのだ』

 龍一の沈黙に、含み笑いが返ってきた。『驚かないのだね。まあ、ただの事実ではあるのだが』

「俺がこの一年足らずで聞かされた一番驚く話でもないな」

 驚かない自分に龍一自身が驚いていた──ただの人間は壁を垂直に駆け上がりもしなければ、単身でカリブ連邦海軍の一艦隊を海の底に沈められない。

『しかし君の母上も、これまた()()()()()だな。私ばかりか宗玄も、かつての職場までも欺いて、君という〈悪竜〉の落とし子を産むとは』

「それに関しちゃ……否定はしない」

 何しろ龍一自身もまともな「人間」ですらないのだ。子が子なら母も母か。

『宗玄亡き後、研究グループは二つに割れた。一つは〈機関(エンジン)〉。名前ぐらいなら聞いたことはあるだろう』

 フレデリカ──あの〈島々〉のエージェントが、その名を口にしていた気がする。

『彼らは〈竜〉の威力に恐れをなし、徹底した封じ込めに走った。〈竜〉も、それから派生した技術も。〈竜〉を世間に知らしめるには時期尚早すぎる、と判断したのだ』

「聞く分には真っ当な考えだと思うが?」

『度し難い』ヨハネスの声に明確な侮蔑が混じった。『彼らは〈竜〉を封じ込められると思っている。鳥籠に閉じ込め、管理できると思っている。珍しい声で囀る南国の鳥のように。大間違いだ。〈竜〉はコントロールなどできない、制御不能の存在だからこそ〈竜〉なのだ。私がHWの量産に成功したのは、〈竜〉を徹底して兵器として運用・管理が可能な存在にまで貶めたからだ。制御できる〈竜〉など〈竜〉ではない。ただの兵器だ』

「腐っても〈竜〉は〈竜〉だろう。〈竜〉と人間の()()()()()()を再現なく増やしていったら、何がどうなるんだ?」

()()()

 知ってはいるが、教えはしないという響き。『その行き着く果てにあるものを察しているのは、世界でも数えるほどだろう』

 百合子もその一人であったわけだ。あるいは〈白狼〉も。

『もっとも、私の目論見も何もかもが上手く行ったわけではない。宗玄は良き協力者だったが、その孫娘である高塔百合子が〈月の裏側〉を立ち上げてまで私を阻もうとするとは思わなかった』

 わざとらしい溜め息が聞こえた。『あれも哀れな娘だ。祖父の所業を恥じ、祖父の遺産を否応なく継がされた自分を恥じ、高塔家の叙事詩(クロニクル)から〈王国〉の文字を消し去ろうとしている。それが自分の生まれた理由、存在意義(レゾンデートル)と言わんばかりに』

「俺を殺すのが神の使命、なんて戯けた台詞を真顔で吐くあなたが、百合子さんを笑うのか?」

『君を笑うより彼女を笑う方が、よほど効果的に君を怒らせるようだ』

 むしろ憐れみを込めた物言いに、龍一は憮然となった。崇や夏姫、アレクセイやブリギッテならまだしも、ヨハネスにまで見透かされるとは思わなかった。

『ジンさん……波多野仁を殺したのも、あなたの計画の一環か?」

『そうだ。彼の殺害は私が指示した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()

「……なぜその時に俺を殺さなかった? なぜ俺じゃなかった?」

『私がそれを考えつかないとでも思ったか』ヨハネスの声がより重く、冷たくなった。『状況がそれを許さなかった。君の命を奪うだけなら可能だったかも知れないが、君の中の〈悪竜〉が覚醒に至れば全てがご破算だ。次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それで君が確実に死ぬのであれば悪くはない──が、高い確率で君だけは生き延びてしまうだろう。無意味だ。

 それに波多野仁は覚醒に至らなかった〈竜〉だ。彼の体組織から得られたデータで、HWの研究開発は大幅な進歩を遂げた。膨大な時間と労力を要したが、それだけの甲斐はあった』

 ヨハネスの言葉は、龍一が漠然と思い描いていた真相とほぼ同じだったが、それでも呆然とするしかなかった。自分が生まれた理由、波多野仁が殺された理由、そして自分もまた殺されかけた理由を一度に明らかにされたのだ。

 これは飛び切りタチの悪い悪夢か? それとも血塗れのドタバタ喜劇(スラップスティック)なのか?

 わかっているのは──いずれであろうと、既に膨大な人命が失われていること。そしてこれからも失われるであろうことだけだ。

『犯罪者たちは例外なく、何かを強烈に欲している。本来なら自分が得られるはずだった名声と称賛を。失うはずでなかった人の温もりを。あり得たかも知れない輝かしい人生を!』

 声色が変わった──まるで彼自身が狂熱に取り憑かれたように。

『私はそれに目をつけた。犯罪者たちのその強烈なバイタリティに。強固な現実を歪め得るその()()()()()に。〈王国〉を作り上げたのは、それを一点に集め掬い上げるためだ。いずれ彼ら彼女らは〈悪竜〉を焼く炎の薪となるだろう。そしてその犯罪者たちの〈王〉は、彼らの中でも最も卑小で非力な者でなければならない──即ち、私のような』

 回線の向こうで、何か黒々としたものが立ち上がりつつある気配があった。

『もし私がもっと強ければ、その強さを過信して君へ戦いを挑んでいただろう。

 もし私がもっと賢ければ、その賢さを過信して君へ戦いを挑んでいただろう。

 そして、完膚なきまでに君に負け、屍を晒していただろう。自らの強さを過信した、他の幾百幾千の強者のように。

 神は最も弱く、愚かで、卑小なこの私にこそ〈悪竜〉を滅ぼすという使命を与えられたのだ』

 今や龍一は完全に言葉を失っていた。何かを言わなければならないような気がしたが、何を言えばいいのかまるで思いつかなかった。

『相良龍一。君を殺さない限り、私は心の底からくつろぐことも、何もかもを忘れて泥のように眠ることも、そして……誰かとともに笑うこともできず、誰かを愛することもできず』

 言葉が不意に途切れた。続く一言は、まるで塵屑がこぼれ落ちる音のように響いた。

『その資格もないのだ』

 

『少し、喋りすぎたようだな』ややあってヨハネスが口を開いた時、先ほどの得体の知れない狂熱は嘘のように消え去っていた。

「言うだけ言って、気が晴れたか?」

『そんなところだ』座り直す気配。『さて、私ばかりが一方的に話し続けてしまったな。ここは一つ、君の感想も聞いてみたいね』

 つくづく余裕かましてやがる。

 龍一は手汗に濡れた受話器を握り直した。なぜだろう──ヨハネスが何を言うかわかっていたように、自分が何を言うべきかも、ここへ来る前からわかっていたような気がする。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。言っただろう、わざわざせっつかなくたって、おれは直接あなたに会いにいくと。それとも、歳を取るとせっかちになるのか?」

 怒りだけではこの男に届かない──だが怒りを忘れてはこの男と戦い続けられない。

 そしてもし龍一が敗北した時、失われるのは龍一の命だけではないのだ。

「一介のごろつき風情が、〈犯罪者たちの王〉に落とし前をつけに行くだけの話だろう。びびる必要もない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『不遜な少年』

 低い笑い声が聞こえてきた。明確な敵意──そして戦意が込められた笑いだった。

『さよならは言わない。私たちは存外に早く出会えるだろう……お互いに高を括っているより遥かに早く。また会おう、相良龍一。私の、()()()()()()

 電話は切れた。ほぼ同時に、〈へファイストス〉全体が揺れた。

 スタビライザーでも吸収し切れない、巨船そのものの存在を揺るがすような鳴動だった。

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