Sin and Punishment:Accelerando   作:アイダカズキ

6 / 9
6 竜と剣鬼たち

【〈へファイストス〉沈没の数十分前── 第13デッキ、メインリゾートプール】

〈竜〉と人間が戦った場合、極小数の例外を除いてまともな「勝負」にさえならない。

 単なる装甲や筋力の有無、数の多寡は問題ではない。亜空間から無限に近い武器を取り出し、戦車砲弾の直撃を無効化し、致命傷に近い損傷から瞬時に回復し、果ては物理法則すら捻じ曲げる──そのような存在に、生身の人間がどうして勝てるだろうか?

 その「極小数の例外」の一人が〈黒刀〉だ。

 

 障害物を避け、走り、壁から壁へ飛びながら矢を放ち続けるブリギッテを、〈黒刀〉もまた空を飛ぶようにして矢を避け、あるいは払いのけながら追い続ける。両者ともまるで水の中の魚が追いかけっこをしているように、一瞬もその場に止まらない。

(当たらない……!)

 極限の集中に、彼女の額に汗が浮かぶ。他のどのような敵と対峙した時も感じたことのない圧迫感だ。

「どうした、当てるつもりがないのか? それとも矢が尽きると同時に、その弓で殴りかかってくるつもりか?」

 対する〈黒刀〉は、息すら切らしていない。他の乗客たちはとうに逃げ出しており、倒れた椅子やパラソルが散乱しているのだが、それを気にする素振りもない。

 ブリギッテは走りながら、連射と呼んでよい早業で矢を放ち続けている。だが〈黒刀〉の方がどう見ても追いすがる速さは上だ。

 しかし。

「私のことを忘れていませんか?」

 イナンナの木箆が宙を()()()

 瞬く間にプールの水がいくつも盛り上がり、形を成した。現れたのは鹿とも虎ともつかない、優美で凶暴なシルエットを持つ半透明の獣たちだ。

 獣たちは威嚇の唸りすら上げず、ただ鮫のような牙が並ぶ大口を開けて〈黒刀〉に殺到する。

 だが、自分を遥かに越える大きさの獣の群れに〈黒刀〉は揺らぎもしない。

「忘れたのではない。相手にする必要がないだけだ」

 スーツケースの内側から取り出されたのは、掌サイズの小型炸裂弾。

 腕の一振りで投擲されたそれは放物線を描いて獣たちに飛び、鈍い爆裂音を立てて上半身を消滅させた。

 獣たちが元通りの水となって崩壊した時には、〈黒刀〉の手がスーツケースから次なる武器を抜き放っている。半自動式散弾銃──ベネリM3。

()()()()()は自分の分身を自在に操っているつもりで、実は分離している。つまり素人が使役しても、素人以上の動きはできないってことだ」

 水で構成された獣たちはすぐさま元通りになり、再び〈黒刀〉に牙を剥いて襲いかかる。だがその時はベネリM3から放たれた12番ゲージ弾が、獣たちの頭部を吹き飛ばしている。

「今一つだな。手品としても、曲芸としても」

〈黒刀〉は躊躇なくイナンナにベネリM3を向ける。散弾銃が火を噴くより早く、彼女の木箆が翻り、プールサイドのタイルが飴細工のように伸び上がった。タイルで構成された獣が12番ゲージ弾を全身で受け止める。

 二発目、三発目、さすがにタイル程度の強度では散弾に耐えきれず、大量の破片が獣の身体からぼろぼろと剥離していく。

「そして盾としても中途半端だ。詰みだな」

 しかし木箆を手にした少女の顔に、緊張はあっても怯えはない。「では、()()としてはどうでしょうか?」

「何?」

 初めて〈黒刀〉の表情が動いた。弾かれたように振り向き──

 そして彼は見た。月光を背に、高々と跳躍しながら弓を力の限り引き絞るブリギッテの姿を。

 矢が放たれた。

 甲高い金属音。必殺の矢は、かざされたベネリM3の機関部に弾かれていた。あの一瞬で反応できたのなら恐るべき勘だ。

 しかし、完全に無傷ではなかった──彼の頬から、浅くではあるが鮮血が滴り落ちている。

「初めから俺ではなく、得物の方を狙って当てたか」

「……やっと一撃、入ったわね」

 着地したブリギッテの表情に、しかし言葉ほどの余裕はない。彼女も、そして立て続けに権能を使い続けたイナンナも、肩で息をしている。対する〈黒刀〉は、毛一筋程度の傷を負っただけだというのに。

 命乞いが通用する相手ではない。しかし、この男のなけなしの慈悲以外にこの場を逃がれる方法などあるのか?

 

 やりづらいな──実のところ、〈黒刀〉は内心で舌打ちしていた。お互いがお互いの攻撃の隙間をきっちりと埋めてきやがる。

 差し違えれば、どちらかの首は取れるかも知れない。

 しかし考えてみれば「差し違え」などという覚悟こそ今の自分に最も欠けているものではないか。

 この手数で殺し切れなかったのは自分の失態だ。〈黒刀〉は撤退を決意する。

「ブリギッテ・キャラダイン。お前は確かに強い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「何を言っているの……!?」

「もうすぐ()()の御意志は世界を覆い尽くす。その時にお前が今と同じ顔をしていられるかどうか……皮肉じゃなく、本当に楽しみになってきたよ」

 それだけ言うと〈黒刀〉は無造作に背を向けた。用は済んだ、とばかりに。「じゃあな。それまで下らん奴に殺されるなよ」

 

「わ、私……生きているの?」

「ブリギッテさん!?」

〈黒刀〉が消えると同時に、張り詰めた緊張の糸が切れてブリギッテはへたへたとその場に座り込んでしまった。あわててイナンナが助け起こす。

「ごめんなさい。私の方が助けられたわ」

「何を言っているんですか。やっぱりブリギッテさんはすごい人です。あの恐ろしい人を相手に一歩も退かず戦い抜いたんですから」

「あいつの気まぐれで命拾いしたようなものよ……」

 口元を拭ったブリギッテはイナンナの手を借りて立ち上がる。正直何もかも忘れて眠りたい気分だったが、そうも言っていられない。

「現状は控えめに表現しても()()()()()()()()()()ね。私たちの計画なんて、明後日の方向に吹き飛んだみたい」

「ええ。でもそれは〈王国〉の側も同じのようです。もう見たでしょう、船内の騒ぎは?」

「敵も混乱しているのは幸いね。皆と合流しましょう。私たちに残された時間はあまり多くなさそう」

 そう──態勢を立て直すのか、それとも一目散に逃げ出すのか、少しでも早く決めなければならない。

 

【同時刻──第6デッキ、ウェルカムパーティ会場】

 ()()()()()()()()()()()()()()()()──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。かつて相良龍一は、ミルカに基本的な戦い方を教えながらそう言った。

 そしてオデットもまた、彼女にこうアドバイスした──敵があなたの何を恐れているか考えてみてください。

(少し……わかってきました、龍一さん!)

 紙一重で〈ピシャーチャ〉の繰り出す〈糸〉を回避しながら、ミルカは拳を握り締め、彼女の中の〈竜〉──〈クルースニク〉を励起する。

 瞬時に、ミルカの全身が純白の甲冑を思わせる外骨格に包まれ──そして彼女自身の決意を示すように、血と同じ色のマフラー状の布が一筋、首元から伸びる。もっともこの甲冑もマフラーも、ミルカの変形した皮膚であるらしいのだが。

 見える。単なる微かな煌めきにしか見えなかった〈糸〉が、今は〈クルースニク〉の強化された感覚で、はっきりとその軌道と残像が見える。熟練の兵士や格闘家でさえ、飛んでくる〈糸〉には太刀打ちできず手足を寸断されるだろう。ミルカの知る限り、生身で〈糸〉に対処できたのは龍一、ブリギッテ、そして当の使い手であるアレクセイぐらいだ。

〈ピシャーチャ〉にあって自分にないものは何か? ほぼ完全に近い光学迷彩と、静音性。〈糸〉による致命的で回避不能な斬撃。〈クルースニク〉の権能、体液の暴走を封じる内部機能。

 だったら私にあるのは何? 〈クルースニク〉に強化された五感。敵の防御を無視して血・汗を含む、あらゆる体液を暴走させる権能。そして、

 寸分の狂いもなく〈糸〉が飛んでくる。右からはミルカの首、そして左からはやや低めに足元を狙って。

 彼女はもう退かない。思い切って、前方に身を投げ出す。

(首を狙うのはフェイント……本命は、足を絡め取って動きを封じるもう一本……!)

 掴んだ。掌の表面が裂ける鋭い痛み──しかし切断には至らない。

 アレクセイが教えてくれたのだ──〈糸〉には明確な弱点がある。即ち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 聞けば笑ってしまうほど単純な理屈だが、まさにそれが勝機となった。切断機能を再度オンにするには、ややタイムラグが生ずる。ミルカは、それに賭けたのだ。

(〈ピシャーチャ〉になくて私にあるもの、それは……()()()()()!)

 膝立ちの姿勢のまま足を踏ん張り、渾身の力で引いた。〈糸〉の端にある〈ピシャーチャ〉の本体、それが自重を支えきれずこちらにすっ飛んでくる。

 思った通りだ。透明性と静音性に重点を置いた設計の〈ピシャーチャ〉は、ドローンとしては相当に軽量なのだ。まして〈クルースニク〉で強化されたミルカの膂力に対抗できるはずもない。

 もう躊躇う必要はない。真っ直ぐ、迷いなく、力一杯に拳を突き出す。

(そして、()()()()()!)

 確かな手応え。甲高い音が響き、今まで〈ピシャーチャ〉を不可視にしていた透過スクリーンが砕け散る。ミルカよりさらに一回り小柄な〈ピシャーチャ〉が絨毯の上を数度転がり、痙攣のように手足をばたつかせた。全身の毛を剥いだ猿にゴキブリの手足を付けたような、妙に有機的で生々しいボディが露わになる。いや、実際にHWの派生技術から生まれた機体なら、大半は生体部品によって組まれているのかも知れない。

 おそらく〈ピシャーチャ〉の開発陣は、ミルカの身体能力を上回る機体を設計できなかったのだろう。だから徹底的に彼女の弱点を突く機体を構築した──苦肉の策ではあるが、確かにそれは効果があった。手品のタネが割れるまでは、だが。

 跳ね起きた〈ピシャーチャ〉が軋りとも悲鳴とも付かない甲高い起動音を上げ、腕を持ち上げる──手首が折れ、黒々としたコンバットショットガンの銃口が覗く。そこから放たれるのは、音もなく肉を引き裂く無数の矢弾(フレシェット)だ。

 しかし今まで徹底的に近接戦闘を挑んできた相手が飛び道具を使い出すのは、それだけ追い詰められた証拠でもある。

(勝負!)

 龍一やブリギッテならここぞと挙げただろう、声にならない吶喊を上げてミルカは突進する。フレシェット弾は回避せず、甲冑で弾くに任せる。

 再びの打撃が〈ピシャーチャ〉に炸裂する。今度こそ前面装甲が完全に破砕、複雑な内部機構を露出させた。

「やっぱり……!」

 露わになる〈ピシャーチャ〉の内部を見て、ミルカは息を呑む。ミルカの権能を封じるためだろう、内部を構成しているのは複雑に噛み合った歯車や発条(ゼンマイ)であり、電子回路や冷却液を通すパイプなどは見当たらない。ゼンマイ仕掛けのドローンなど聞けば即座に失笑する現代人がほとんどだろうが、少なくともミルカには有効だったわけだ。

 そしてその機構の中心に「本体」が見える。人間の胎児にも似た、赤子ほどのサイズの「生体部品」。手足を切断され〈ピシャーチャ〉の一部にされた、HWの素体だ。

 嫌悪と憐れみを込めた眼差しで、ミルカはそれを真正面から見据える。殺すために、破壊するために生まれた命。それを止める方法はわかっていても、他に方法はないのか、と思ってしまう。

「ごめんなさい……」

 あえて拳を握り締める──正しいことって、楽しいことだけじゃないんだ。

 赤熱した拳が、穢れた命を今度こそ跡形もなく四散させた。

 荒々しく息を吐く。勝てた──少なくともこの場は。

「見事です。ミルカさん」

「オデットさん!?」耳元で囁くような声に驚いて周囲を見回す。が、目に映るのは戦闘で破壊し尽くされた会場のみで、あの女優の姿は見当たらない。

「あの……私、あなたのおかげで勝てたんです! ちゃんとお礼を言いたいのに……どこへ行ってしまったんですか!?」

「私は何もしていません。勝ったのは、あなた自身の力です。やはり、私の目に狂いはなかった」楽しそうな笑い。「名残惜しいですが、私は急用でもう行かなければなりません。ああ、あのシガレットケースにちょっとした()()()()()を用意しておきました──ぜひ後で確かめてみてください。あなたならいつでも歓迎しますよ、私の可愛いファン」

「待って……!」

 だがその言葉を最後に、女優の気配は完全にかき消えた。

「ミルカ! 無事だったの!?」

「ブリギッテさん! それに、イナンナさんも!」

 無事だろう、とは思っていたが、駆け寄ってきたブリギッテを一目見た途端にミルカは安堵のあまり涙ぐんでしまった。

「〈黒き白鳥〉ですよ。オデットさんが助けてくれたんです」

「……は? あの女が? 何でまた?」

 ブリギッテのこめかみに一瞬にして生じた青筋の凄まじさに、ミルカの方が一歩引いてしまった。ミルカに対しては優しい──どころか甘いくらいのブリギッテは、なぜかあの女優に関しては当たりが厳しいのだ。

 微笑して二人を見守っていたイナンナの表情が一瞬で引き締まる。ブリギッテさん、と呼びかけた声はいつになく緊張していた。「たった今、アレクセイさんとの通信が回復しました。それ自体は喜ばしいことなのですが……予想外の事態も発生した、と」

「あのアレクセイがそう言うなら、確かに只事ではなさそうね」

 

【同時刻──第7デッキ、レーシングサーキット】

「……そなたたちは、何のために生きている?」

 巨大戦車〈ドゥルガー〉と、人型二足歩行兵器〈マハーカーラ〉。人間など身じろぎ程度で文字通り肉塊に変える巨大兵器を前に、〈夢の国の王子〉アイネイアは小揺るぎもしていない。

「郷里を遠く離れ、本来の身体から引き剥がされ、その意思ですら自由にできず機械仕掛けの一部となり、その偽りの身体が尽きるまでひたすら死を撒き散らし続ける……それがそなたたちの人生か? あるいは、余に討たれるための人生であるか?」

 無論、答えなどない。だがアイネイアは、力強く長剣を握り締める。刃の潰された飾り同然の長剣を。「それもよかろう」

 無慈悲に〈ドゥルガー〉の車載機銃と、〈マハーカーラ〉の腕にマウントされた機関砲が火を噴く。アイネイアは瞬時に転移、十数メートル先のピット屋上に現れる。が、その姿は今までと違っていた。

 彼の右腕は、手首から先が消えてなくなっていた。そしてその傷口にはブロックノイズのような黒い輝きがちらついており、血も骨も肉の断面も露出していない。

「目にするたび奇妙なものよ。このような形で、自らの肉体の儚さを思い知るとは」

〈夢の国の王子〉は感慨深げに呟く。「だがこうも思うのだ……儚いのは余か? それともそなたたちの……意識、とやらの有り様か?」

 残った左腕が長剣を握り、その刃先が優雅な弧を描いて、王子自身の首に当てられる。「確かめてみるとしよう」

 ──潰れた刃が、褐色の皮膚に食い込む。

 標的のあまりにも意味不明な行動に戸惑ったか、〈ドゥルガー〉〈マハーカーラ〉の双方とも戸惑うように、搭載兵装を向けはしても発砲はしていない。

 いかに金属とはいえ、潰されて丸くなった長剣で、しかも自分の首を切るのは容易ではない。しかし、彼はやってのけた。

 肉に一度食い込めば、後は刃自体の重さで切断は簡単だった。逞しい青年の胴体から、ごとりと音を立てて首が落ちる。

 目を伏せていたアイネイアの生首が目を開け──譫言のように言葉を吐き出す。

()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()

 光を反射しない、タールのような黒い粘体が一瞬にして地を覆い尽くした。どぼどぼと、どぼどぼと。アイネイアの首の断面からも、首を失った胴体からも、黒い粘体がとめどもなく溢れ出していく。見る間にサーキットは、黒い沼と化した。

〈ドゥルガー〉の履帯がすぐさまタールに飲まれた。空転するばかりで、退くも進むもできない。歩行機能を展開して逃げようとするが、それもまたタールに絡みつかれた──生きたように蠢く黒い沼に。

 いや、それは実際に生きていた。赤子のような甲高い鳴き声を上げながら、指とも触手ともつかないものを蠢かせ、生きた黒い沼が〈ドゥルガー〉の車体を這い上がっていく。

 黒い粘体は〈ドゥルガー〉の動きだけでなく、兵装まで封じていた。機関砲も、レールガンも、車体そのものを覆い尽くす黒い沼相手には何の効果もない。銃火を虚しく吐き出していた車載機銃が、銃身と機関部を締め上げられ、火花を散らして沈黙する。

『脅威拡大。敵沈黙まで、全兵装の安全装置を解除』

〈マハーカーラ〉の判断は素早かった。機関砲の掃射に、火炎放射までもが加わる。だが黒い沼は動きを止めず、逆に人型兵器の両足、そして両腕までに絡みついた。

 凄まじい締めつけに、〈マハーカーラ〉の機体が軋み始めた。やがて加えられる力が機体の耐久力を上回り、耳障りな響きとともに、人形のように〈マハーカーラ〉の両腕両足が捻じ曲がった。

 だがそれこそが〈マハーカーラ〉の狙ったものだった。

『重力子砲、準備完了』

 機体前面、人間で言えば胸部全体が大きく展開し、黒々とした砲口が露出する。

 ──アイネイアは当然知らないことだったが〈マハーカーラ〉とは、ロンドンで龍一と対峙した〈ペガサス〉の戦闘データを受け継いで設計された機体でもあった。〈ペガサス〉から飛行機能を除去、大量の火器およびメイン火力である重力子砲でより積極的に地上部隊の火力支援を行う歩行トーチカがそのコンセプトである。

 つまり〈マハーカーラ〉とは重力子砲を搭載した移動プラットフォームであり、その他のきのうは索敵あるいは移動のための付け足しでしかない。

『発射』

〈竜〉応用兵器のほぼ全てがそうであるように、〈マハーカーラ〉搭載の重力子砲もまた、()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 物理法則を無理やり歪め、0.0000000001秒間のみ出現した擬似ブラックホールは、物理世界の修復力によって瞬時に消滅する。

 だがそれは消滅する前に、〈ドゥルガー〉〈マハーカーラ〉に絡みついた黒い沼を、跡形もなく消し飛ばしていた。

 重々しい音を立てて〈ドゥルガー〉が地に落ち、〈マハーカーラ〉が膝を突く。双方とも装甲は歪んで割れ、内部機構が露出してはいるが、かろうじて機能停止には至っていない。

 しかし。

『……鏡で確かめるわけにもいかぬが、今の余は二目と見られぬおぞましき姿なのだろうな』

 アイネイアの声が虚空から響き──空中の一点から滲み出した黒い沼が頭上から降りかかり、今度こそ2体の巨大兵器を包み込んだ。

『それでよい。今の余は心清き者、正しき者にとってだけでなく、そなたたち()()()()()()()()()()()()全てにとっての〈悪鬼(デーモン)〉である』

 もう回避も反撃もできない。残っていた装甲が無数の小さな手に剥ぎ取られ、その隙間を、触手とも、爪とも、嘴とも、昆虫の節足ともつかない異様な形の突起がこじ開けていく。

『……やはりな。いや、他の可能性などないとはわかっていたが』

 やがて露わになったのは、人間の胎児のような、HWの素体だった。

『これほど息の合った戦いを見せるのは、やはりそなたたち、互いに無関係ではあるまい……兄弟同士、親友同士、あるいは……恋人同士か』

 アイネイアの声が、ごく束の間、憐憫を帯びる。

『許しは乞わぬ。そなたたちの行くところへ、いずれ誰もが続くであろう』

 爪のような嘴のような突起が、静かに素体を貫く──介錯のように。

 

【同時刻──第8デッキ、植物園】

 シュウの真の姿──〈蚩尤〉と〈ラクシャサ〉〈バイラヴァ〉混成部隊の戦闘は、戦闘から一方的な殺戮に変じつつあった。無論、殺戮されるのは〈ラクシャサ〉たちの方だ。

 胴体に大穴を穿たれた〈ラクシャサ〉が落下し、温室を押し潰した。炎よりなお鮮やかな黄や青やオレンジ色の花弁が宙に舞い、火の粉を浴びて一瞬で燃え上がる。花壇に降り注ぐのは縦横に切断され、叩き潰され、貫かれ、機関砲弾とグレネード弾の猛打で砕け散った〈バイラヴァ〉たちの首と胴体と手足だ。

「どうした! 位相転換シールドを無効化されたら、手も足も出ねえってか! 戦争と兵器の神に、そんなザマでよく喧嘩を売れたもんだな! 弱みを突け! 罠を仕掛けろ! 数を恃みに押し寄せろ! もっと知恵を絞って反撃しろ! それができなきゃ死ね! 戦いに生きて戦いに死ぬ……それこそてめえらが望む死に方だろうが!」

 今や狂乱の中にあるシュウの言動と裏腹に〈蚩尤〉本体の攻撃は精密でしかも容赦がない。6本の腕と6本の脚、そして振りかざされる刀・剣・槍。徹甲焼夷榴弾とレーザー、鋼鉄の雨のように降り注ぐ大型ミサイルが、〈ラクシャサ〉たちを次々と炎に包んでいく。

 対する〈ラクシャサ〉〈バイラヴァ〉たちは、反撃で手一杯だ。

『『『『『畜生ラヘジのバイタルが消えたこちらのジャミングが無効化されている敵誘導兵器を凌ぎ切れません火力支援を要請願います手持ち火器では奴の装甲を貫けません後退しろせめて奴の射線を切れ駄目だロックオンされている助けてくれ!この地獄から出してくれ!』』』』』

 ダイレクトに脳へ流し込まれてくる部下たちの断末魔に、〈ラクシャサ〉〈バイラヴァ〉混成部隊長は歯噛みする。自分のその憔悴もまた部下たちに伝わってしまうと理解していても、止められない。

 戦術情報をダイレクトに遣り取りできる思考共有のデメリットが露呈していた。勝ち戦ならまだしも、戦況が不利になればなるほど全員の怯懦や判断ミス、そして苦痛と断末魔までも共有せざるを得ないのだ。

 そのデメリットは承知していても、シュウ単体なら攻撃の大半を無効化できる位相転換シールドと擬似〈刃〉で押し切れると踏んでいたのだが──

『『『『『〈ピナーカ〉の使用を許可する! 全安全装置解除!』』』』』

 とうとう部隊長は切り札の仕様に踏み切った。本来なら地上施設の破壊に使用する大型ミサイルだ。〈へファイストス〉がいかに頑丈だろうと、船内で使うなど狂気の沙汰でしかないのだが……構うものか。あの怪物を生かしてこの植物園からは出せない。死んでいった者たちのためにも。

 後方で待機していた〈ラクシャサ〉部隊、その背のランチャーから盛大な爆炎が噴出する。専用のランチャーでさえ巨大すぎるため搭載機体がまともに動けず、固定砲台として運用するしかない代物だ。

 だが爆炎に包まれたのは、なおも吶喊を続けようとする〈バイラヴァ〉たちだった。

『『『『『何をやっている!?』』』』』

「ああ、言ってなかったっけ? ()()()()()()()()()()()()()

『『『『『部隊長! 機体の制御が効きません! 誰でもいい、誰か俺を撃ってくれ! 殺して止めてくれ!』』』』』

 数を減らした部隊は、さらに残りの火力を味方にまで向けなければならなくなった。混乱の極みにある〈ラクシャサ〉〈バイラヴァ〉たちに、さらに〈蚩尤〉からの砲火が降り注ぐ。

「溶解性ナナイトクラスターグレネード! 磁気消去徹甲弾! 自由電子歪曲レーザー! まだまだあるぞ、俺様の兵器庫は無尽蔵だ! いくらでも繰り出してやるよ、てめえらの()()()がへし折れるまでな!」

『『『『『うああああ! 熱い! 溶ける! 助けて!』』』』』

 もう部隊長の機体を含め、味方は数体しか残っていない。彼は決意した。

『もう後がない……皆、命をくれ!』

『『『『『了解!』』』』』

『部隊長権限により、()()()()()()()()()()。〈ジャガンナート・プロトコル〉起動』

 起動コード入力と同時に、部隊長を除くほぼ全員の目から光が消えた。

「……ほう?」

 シュウ──〈蚩尤〉の頭部センサーが旋回、恐れをかなぐり捨てたかのように突進してくる最後の〈ラクシャサ〉部隊を捉える。

「最後っ屁ってわけだな? いいぜ、乗ってやるよ……!」

 一体が両断された。一体が叩き潰された。一体が砕け散った。

 だが残る数体が、振り上げられた〈蚩尤〉の腕に絡みつく。

 高圧電流──大気がイオン化する異臭。巻きついた機体の搭乗員がびくりと痙攣して絶命する。だが物言わぬ骸となっても〈ラクシャサ〉たちは離れない。

 そして──部隊長機がバーニアを噴射し、高々と跳躍する。行手にあるのは〈蚩尤〉の頭部、手に握るのは──〈バイラヴァ〉の寸断された胴体、そしてそれが背負うバッグパックだ。

〈竜〉応用技術による大容量蓄電器は、暴走させれば小型核爆弾並みの威力がある。

〈蚩尤〉の機体に据え付けられた機銃が吠え、指向性地雷が炸裂する──部隊長機の頭部ヘルメットが吹き飛び、部隊長の血まみれの顔が露出する。だが跳躍の勢いまでは殺せない。

『部下をおめおめと死なせてまで生き永らえるつもりはない……もろともに死ね、怪物!』

 ──部隊長の頭部が爆ぜたように四散した、その一拍後に重々しい銃声が轟いた。

 戦闘を終了させたのは、ただ一発の20ミリ弾だった。

「俺様は戦争と兵器の神なんだぜ。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

〈蚩尤〉の機体から突き出した一本のマニピュレーターが保持する対物狙撃銃──そのマズルブレーキから、まだ微かに硝煙と熱が立ち昇っている。

「追い詰められて自爆しようなんて奴は難しいこと考えらんねえからな、真っ直ぐに来ると踏んでたんだよ。てめえみてえな奴は最初でもねえし、最後でもねえさ」

 人間大の棺桶と化した〈ラクシャサ〉が地に落ち、そして今度こそ、動くものはなくなった。

 

「後味が良くねえ、なんて言わねえからな。どんな方法だろうと勝ちは勝ちだ」

 焼け野原と化した植物園の惨状を見回し、元の人間サイズに戻ったシュウは溜め息を吐く。「ま、あの小娘がいなかったのは不幸中の幸いかもな。こんな野蛮な戦さ、()が付き合えるもんじゃねえよ」

 そこまで言って、シュウは眉根を寄せた。阻害されていた通信が回復したのだ。

「ああ、小娘かよ。ちょうど今てめえのこと考えて……いやそういう意味じゃねえよ。『きゃー』って何だよ。何で喜んでんだ。……はあ? 予想外の事態だって? 何一つ予定通りに行ってねえじゃねえか?」

 

【数分前── 第5デッキ、水上・水中兵器評価試験場】

「まさか、もう一度ここに戻ってくるとはね……しかも同じ侵入ルートで」

『評価試験場への注水は終了している。正規の出入り口からの侵入は、事実上不可能だろう』

 それはわかっているよ、〈白狼〉の言葉に苦笑しながら排気口から顔を出したアレクセイは、予想通りの──そしてあまり嬉しくはない光景を目の当たりにすることになった。

 今や天井近くまで注水された試験場で、脱出用の潜水艦と、金属のタカアシガニのような巨大メックが死闘を繰り広げていた。

 まさに獲物を捕食するように、巨大メックの節足が耳障りな音を立てて潜水艦の外殻に突き刺さっていく。対する潜水艦も、艦体へのダメージを配慮もせず魚雷を発射。近接信管をわざとオフにして射出したのだろう、信じられないほどの近距離で爆発する。巨大メックの少なくない部位が弾け飛んだ。

 だが潜水艦も外殻に大きな亀裂を生じさせていた。あれでは潜航も浮上も不可能だろう。

『私のミスだ。ゲストルームのヨハネスを狙ってくるほど抜け目のない連中が、脱出手段を見逃すはずもない』

「君のせいじゃないさ。だが、あれを使った脱出は諦めるしかないな」絡み合いながら沈降していく潜水艦と巨大メックを見ながらアレクセイは呟く。「別の手段を考えるにしても、どうやって……」

 彼の耳に、遥か下のデッキから内臓を震えさせるような轟音が聞こえ出した。しかもそれは鎮まるどころか、ますます大きくなっていく。

「……考える暇もなさそうだな」

 

【第13デッキ、〈へファイストス〉オーナー私室】

『〈黒刀〉および李明花──通信途絶』

『〈ラクシャサ〉〈バイラヴァ〉混成部隊──通信途絶』

『〈ピシャーチャ〉および〈夢遊病者たち〉──通信途絶』

『〈ドゥルガー〉〈マハーカーラ〉──反応消失』

『〈犯罪者たちの王〉専属ホットラインからの応答なし』

『〈へファイストス〉各部に浸水を確認。速やかな脱出を推奨いたします』

 ディスプレイに上がってくる報告に、ラーヘシュは頭を抱えて突っ伏した。今まで積み重ねてきたもの、その結果として手に入れたもの、全てが灰燼に帰しつつある事実を揺るがないものにする報告だった。

「……お呼びでしょうか、オーナー?」

 静かな声とともに精力的な気配が目前に立つ。龍一にも劣らない堂々とした体格と、澄んだ眼差しの青年は、〈ヤマンタカ〉の専属テストパイロットである。

「来たか」どろりと濁っていたラーヘシュの眼差しに、やや光が戻った。「君に頼がある──私の敵を皆殺しにしてくれ。〈月の裏側〉の残党どもも、〈連盟〉と称するテロリストどもも」

「それがオーナーのお望みであれば、お任せください」

 まるで今まで息をするのを忘れていたかのように、ラーヘシュは大きく息をした。「ありがとう」

「お礼など。オーナーに拾われた恩、今こそ返すべき時です」

 静かだが自信に満ちた言葉に、目頭が熱くなる。全て失ったと思っていたが、全てではなかった……。

「三文芝居はそこまでにしておけ、外道」

 先端に鉛の入った杖が一閃し、前途有望な青年の頭部が西瓜のように爆ぜ割れた。

 パイロットの血と頭蓋の一部を頭から浴び、絶叫の形に口を開けたまま声も出ないラーヘシュの前に、幽鬼のごとき影がゆらりと立った。

「ようやく会えたな。外道どもの親玉」

 鮮血を浴びてより凄惨な姿になった〈病葉〉が、その髑髏じみた顔に笑みを浮かべる。幽鬼どころか、まさに地獄から這い出てきた鬼だ。ラーヘシュは危うく心臓が止まりかけた。

「ひ、ひいぃい!」

 椅子から無様に転がり落ちて、ようやくラーヘシュは悲鳴を上げることができた。みっともないと思う余裕すらない。「ど、どうしてここに!? セキュリティはどうした!?」

「やはり座り心地の良すぎる椅子でふんぞり返っていると、血の巡りが悪くなるのかな? どいつも()()になっているよ。そこの小僧と同じようにな」

 悪鬼のごとき〈病葉〉から少しでも遠ざかろうとするが、実際には尻で床を数ミリほど移動しただけだった。

「寄るな! この……狂人めが!」

「よく言う。私が狂人なら貴様は何だ? 永遠の眠りに着いた我が師の墓を暴き、大量殺戮の道具にまで貶めた貴様は? 毎夜毎夜、先生は私の枕元に立って血の涙を流されるのだ。こんなことのために生涯に渡り剣の技を研鑽してきたわけではない、と」

 顔面に血と、肉片と、頭髪までがこびりついた杖を突きつけられ、ラーヘシュが極端な寄り目になる。

「テクノロジーとやらには疎い私でも、わかっていることがある。あの忌まわしい鎧の乗り手を殺し、オーナーの貴様を殺し、最後にこの船を沈めれば、もう誰も先生のご遺体を汚す者はなくなる」

「こ、この船が沈めば、お前も死ぬんだぞ……!」

「望むところ。皆で死んで、補陀落渡海と行こうではないか……ああ、私と貴様は、先生と違って地獄行きだろうがな」

 今度こそ杖がラーヘシュの頭に振り下ろされようとした時、

「やめろ!」

 いかにも高そうな絵の入った額縁が回転しながら飛んできた。振り向きざまに杖の一閃で無造作にはたき落とした〈病葉〉の顔面が、一瞬で怒気に塗り潰される。

「また君か。懲りないな、若造」

「まあ……落ち着くには、あと50年くらいは必要かな?」

 肩で息をしながら、龍一は引きつり気味に笑ってみせた──ラーヘシュを助けるのにさほどの義理はない。ただ丸腰でまともに抵抗すらできない者を、獣のように叩き殺されるのを看過するのは後味が悪かっただけだ。

 立ち直ったラーヘシュの動きは素早かった。跳ねるように起き上がり、壁際のダストシュートへ身を踊らせる。脱出口を兼ねていたらしい。

「自分が何をやったかわかっているのか、若造? あの男の命令で何人が切り刻まれたと思う? 世界中を駆けずり回って大活躍しているようだが、それすらわからないのか?」

「俺にもあなたにも、あいつを裁く資格はないだろう。共通点があるとすればそれだけだな」

「よくも言う。君が何のために〈犯罪者たちの王〉を追い始めたのか知っているぞ。恩師の仇を地の果てまで追い詰めて殺すためだろう? 復讐に狂って犯罪者に堕ちた君が、今さらロビン・フッド気取りか?」

「……そうだな。俺も初めは、復讐しか考えられなかった」

 龍一の眼差しが少しだけ遠いものになった。「でもその復讐がヨハネス自身に仕組まれたもので、この俺を支えたいって言う人が少しずつ増えて……今じゃ少しだけ考えが変わってきてる。俺はずっと、復讐よりもましなことを探していたのかも知れない」

「そうか。では、私が君に望むのは一つだ」

 緩やかな弧を描き、杖が龍一の眉間に突きつけられる。「立ち塞がるなら殺す。我が師の墓を暴いた外道を助け、私の邪魔をするならな」

 ──犯罪者として駆け出しの頃。この男に、手も足も出ないほど叩きのめされたのを思い出した。望月崇と二人がかりでなお、歯の立たない相手だった。自分一人なら、間違いなく頭を叩き割られて転がっていただろう。

 雪辱戦のつもりか? と自分に問う。それもある。だがそれ以上に、ここでつまずくようならヨハネスには届かない、との思いの方が大きい。

()()()()()()のが俺の方、だけとは限らないぜ」

「若いとは自信過剰なことだ。それとも、〈竜〉とやらを使えば勝てるとでも思うか?」

「じゃ、こうしよう。俺に〈竜〉の権能を一度でも使わせたら、あなたの勝ちだ」

 みしり、と杖の握りの部分から軋みが聞こえた。「その自信が命取りになるぞ、若造」

 

【第10デッキ、ショッピングロード】

「ああ、もう……こんなことしている場合じゃないのに!」

 既に無数の銃弾で穴だらけになっているレジカウンターの影から矢を放ちながら、ブリギッテは悪態を吐いていた。ミルカの教育には悪いという自覚はあるが、どうにもやめられない。

 おそらくは偶然の生み出した不幸だった──彼女たちにとっても、ちょうど今通りの向こうから射撃を続けている兵士たちにとっても。

『鳥よその翼で我が敵の目を覆って』

 イナンナが木箆でタイルを撫ぜると、たちまち何百羽もの鳩となって舞い上がり、上階のファサードで伏せ撃ち(プローン)の態勢を取っていた狙撃手の目を眩ませた。すかさずブリギッテが矢を放つ。肩に矢を受けた狙撃手が絶叫しながら墜落してきて、天幕の上に落ちた。

『ブリギッテ、人間の兵士よりHWの比率が増え始めている。どうやらHWと無人兵器を盾にして撤退を始めているようだな』

「だったら余計に付き合う義理はないわね……味方になってくれとは言わないから、せめてお目こぼしくらいはしてくれないかしら?」

「皆さーん、私たちは皆殺しなんて興味はありません。ここは一つ、お互いに見なかったことにして……ひゃあ!?」

 手を振り始めたミルカを、ブリギッテとイナンナが二人がかりで引きずり込んだ。一瞬遅れて機銃掃射が頭上を通過する。

「私たちに気を許したら、頭からばりばり食べられるとでも思っているみたいね」

「そんなぁ……」

 こちらへ向け射撃を続けていたHWの一隊が武器を換装した。肩担ぎ方式の黒光りする円筒──対戦車ロケットランチャーだ。

「あ、それはまず……」

 一陣の風が、HWたちを薙ぎ払った。

 見慣れない刀から血糊を振るい落とし、アレクセイが静かに納刀する。「すまない。遅くなった」

「アレクセイさん!」

「何を言っているの。助かったわ」そこまで言ってブリギッテは眉をひそめる。「その刀はどうしたの? 気分の変化?」

「ああ、これは……説明すると長くなる」珍しく、彼の歯切れが微妙に悪い。

「ふぅんぬ!」

 気合一閃、遥か上階からHWを一体小脇に抱え込み、もう一体HWの頭部を鷲掴みにしたアイネイアが落下してきた。勢いを全く殺さず着地し、ミニチュアのクレーターを出現させる。

「皆、無事であったか! よきかな! やはりそなたたちは、余の見込んだ真の勇士たちよ!」

「……ええっと、もう少しで無事が月の裏側あたりへ吹っ飛ぶところだったんだけど。あなたのおかげで」

「王子が無事なのは、まあ不思議でもないですねー」

「そなたたち……アレクセイに比べると、余の扱いにだいぶ差がないか?」

 重々しい足音を立てて瓦礫を踏み締める二足歩行ウォーカーを、目に残像が焼きつくほどの強烈な光が貫いた。ウォーカーには大穴が開き、その周囲は高熱のあまりオレンジ色となって溶解している。

 腕を展開して大型ビーム砲を露出させたシュウが鼻から息を吐く。「てめえら詰めが甘すぎだろ。こんなドラム缶に手こずってんなよ」

「シュウくん!」

「わ、おい、抱きつくなって! まだ砲口の熱が引いてねえんだから危ねえだろ!」

「これで全員揃ったわ。……龍一以外は」

「僕たちが無事なら、彼も無事だ。そう……信じよう」

「そりゃ結構だが、実際どうやって脱出するんだ?」

 壁を粉砕して突進してきた水陸両用車が、HWの群れを引き潰し、柱にぶつかって停止した。

 ハッチが開き、見覚えのある顔──趙安国がぼやきながら周囲を見回した。「くそっ、やっぱ自動運転に慣れると上手く行かねえな。船内じゃカーナビも通じやしねえし……うん?」

 そこで、全員と目が合った。

 誰もが呆気に取られていた。兵器展示場に飾られているデモ用の水陸両用車がハンドル操作を誤り、ショッピングロードに突っ込んでくる確率などどれほどのものだろうか?

 趙はとっさにハッチを閉めようとした──だが一瞬早く、車体に飛び乗ったミルカによってまるで畑の作物でも抜くように引きずり出されていた。

「ちょっとおじさん、冷たいじゃないですか? 何も他人のふりして逃げることなくないですか? 新香港じゃ仲良く一緒に逃げたでしょ?」

「他人のふりじゃなくて他人なんだよ俺とお前らは! 何だって俺の行く先々で俺のビジネスチャンスを台無しにするんだ!? 頼むから俺のことは放っておいてくれ! いや、放っておいてください……」

 ブリギッテがすかさず彼の顔面に矢の切っ先を突きつける。「ロンドンでも新香港でも、あなたにはお世話になったわ。だからそのお礼に、好きな方を選ばせてあげる。全員で逃げるか、全員で死ぬかよ。どちらがいい?」

 趙は全身をがくがくと震わせて同意を示した。

「できれば、私も乗せていただけませんかね」手を広げ、全員の得物を向けられながら出てきたのは林永成だ。仕立てのいいスーツはさすがに薄汚れているが、あまり堪えた様子もない。「皆さんとは全くの無縁、というわけでもありませんし」

「龍一が言っていた、例の間諜か」

「一昔前までは僕にご執心だったけどね。今では龍一に()()で、僕には見向きもしないよ」アレクセイの口調がやや冷たくなったのは無理もないだろう。

「まあ、ケチくせえことは言わねえよ。今さら客が一人くらい増えたってどうってこたねえやな」

「運転してるのは俺なんだがな……」

 大容量ハイブリッドエンジンが唸りを上げ、水陸両用車は銃火を浴びながら甲板に向けて突進する。

 

【第13デッキ、〈へファイストス〉オーナー私室】

〈病葉〉相手に〈竜〉の権能は使わない──我ながら啖呵を切っちまったもんだな、と思う。

 龍一を〈竜〉と知りながら挑んでくる、〈病葉〉に正々堂々向き合いたくなった。その気持ちに偽りはないが、それは全てではない。

 単に脅威を感じただけで権能を使っていたら、いずれ歯止めが効かなくなるのではないか、その恐怖が消えないのだ。今の龍一には向かってくる敵よりも、自分の中の〈竜〉の方が恐ろしくなっている。

 しかし、実際〈病葉〉は〈竜〉の権能なしで太刀打ちできる相手なのか?

「その慢心が」

 そう呟いた時には、もうその幽鬼じみた姿が目の前にあった。「君の命取りだ」

「……く!」

 のけぞって杖の一閃を躱わすのが精一杯だった──態勢を崩さなかったのは、単に〈病葉〉が追撃しなかったからでしかない。

 杖術は厄介だ。棒術の棒よりも短い分、至近距離から回避困難な連続攻撃を立て続けに繰り出せる。もっともその恐ろしさの大半を教えてくれたのは、目の前のこの幽鬼じみた男なのだが。

 上下左右、跳ね上がった先端が翻って戻ってくる。

 会社の社長クラスでしか使えなさそうな、重厚極まりないデスクの向こうに龍一は転がり落ちる。転がりながらデスク上のインターホンを掴み、ヌンチャク代わりに振り回す。苦し紛れの即席武器は、杖の一閃で砕かれた。

「世界を股にかけて学んだのは、小細工と姑息な騙し討ちかね?」

「その小細工と、姑息な騙し討ちも含めて……」

 両足に渾身の力を込める。「俺だ!」

 重厚なデスクがカタパルトで射出されたように絨毯を毛羽立てて滑った。打ちかかろうとしていた〈病葉〉は身を翻して回避。その顔面に向けて、

(こいつもおまけだ!)

 一挙動で上着から腕を引き抜き、投げた。広がった上着が〈病葉〉の視界を覆い、

()()()()()()()()()()()()()。古流武術では定石だ」

 まるでガトリング砲のような杖の連撃が、上着を強引に貫いて飛んできた。

「く……!?」

 向こうは杖持ちの分、リーチではこちらが不利だ。打ち合うしかない!

 踏み出し、拳と蹴りを繰り出し、身をよじり、躱し、身を沈めて連続で打つ。

 一瞬で引き裂かれた上着が地に落ちた時、双方ともに飛び退いていた。

(俺、まだ生きてるよな……?)

 息を整えながら、どうにかそれだけは確かめる。額と頬、それに脇腹から血の滲む感触。完全には躱し切れなかったらしい。いや、本当に躱せたのか?

 対する〈病葉〉は静かに佇んでいる。これ見よがしの殺気は、嘘のように消えている。

(やっぱり強いな……)

 改めてそれを噛み締める。対して俺は、強くなったんだろうか? なまじ〈竜〉の権能があるだけに、その火力を自分の実力と勘違いしてやしなかったか?

 自分に問いはしたが、それに耽溺はできなかったし、その必要もない。生きてりゃわかるだろ、と強引に結論を出しておく。

今枝(いまえだ)流杖術」

 低く静かだが、決して陰気ではない声が響く。この男にこんな声が出せたのか、と思うような。「鷺宮貴文(さぎみやたかふみ)、参る」

 彼のような職業暗殺者が自分の名を告げる理由は、ただ一つしかない。

「……相良龍一。18歳」

 龍一はそれに応じ、何か付け加えることはないかと考え……そして、その必要がないことに気づいた。「以上だ」

〈病葉〉の口元が少しだけ歪んだ。異様な笑みではあったが、笑みには違いない。

 双方、一歩踏み出し──息をする間もなく疾走に転ずる。

 杖が振り下ろされ、拳が突き出される。

 鈍い、異様な音。

「ぐ……!」

 龍一の眉間に皺が寄った。肩を杖で強かに打たれたのだ。砕けていてもおかしくはない。

 しかし。

「ご……」

〈病葉〉の口からも異様な音が漏れていた。よろよろと数歩後退る。龍一の突きも入っていたのだ。

()()()()()()()()()()()()? 深呼吸しろよ、すぐ治る」

 酸欠の魚のようにしばらく口を開け閉めしていた〈病葉〉は、ようやく言葉を絞り出した。「あの間合いで……私への殺気を消す……だと」

「俺の知り合いは、()()()()()()()するのが得意でな。できるようになったのはごく最近だが」

「それならなぜ……私を殺さなかった?」

「言っただろう、俺にそんな資格はないって。やりかたは間違っているにしても、殺して止めようとは思わないよ。その理由が仇討ちならなおさらだ」

〈病葉〉はいつになく悄然として見えた。自分が何をしたかったのか、何をするべきだったのかわからなくなってしまったように。

 その目が不意に見開かれる。「……()()()!」

「え?」

 龍一がその意味を理解したのは、オーナールームそのものが、足元から両断されたその一瞬後だった。

 天地が逆転し、何もわからなくなる。

 

【第13デッキ、メインリゾートプール】

「ミスター趙!? 本当にこの方向で合っているの!? それに……さっきからいくら何でもスピードを出しすぎじゃない!?」

「乗せてもらっといて文句言うんじゃねえ! それとも何か、このまま火星にでも連れて行かれるのが心配ってか?」

「……この人に運転手を任せたのは、私の人生の中でもかなり大失敗の部類に入るような気がしてきましたよ」

 林のぼやきなど誰も聞いてはいない。水陸両用車は文字通り銃火の中を猛スピードで突っ切っていた。遠隔操縦式のリモコン機銃を唸らせ、HWたちの群れに発煙弾を見舞い、それでも飛びかかる者を蹴散らして猛牛のように突進する。

 ドアを数枚まとめて突き破り、とうとう車は甲板に躍り出た。椅子とビーチパラソルを残骸に変えながら、その勢いは全く衰えない。

「あのー、おっさん? 趙先生? まさかこのまま海へ突っ込む気かよ?」

「そのまさかに決まってんだろ! シートベルト締めとけよ、これから大海原へ夢のダイビングだ!」

「死のダイビングにならないことを祈るよ」アレクセイは早くもベルトの調整を始めており、他の者も慌ててそれに倣った。

 手摺をないもののように突き破り、水陸両用車が飛んだ。着水の瞬間、ミルカはぽつりと呟く。

「私、当分の間、遊園地でライド系には乗りたくないな……」

 

【数分前──第4デッキ、〈ヤマンタカ〉専用格納庫(ハンガー)

 ダストシュートに模した脱出口から転がり出てからも、ラーヘシュはしばらくの間動かなかった。身体のあちこちを打って全身がずきずきと疼いていたからだが──それ以上に、自分の中の怒りと屈辱を改めて噛み締めていたせいでもある。

「……殺してやる」

 一度口にすると、もう止まらなかった。

「殺してやる。何の権利があって、私の積み上げてきた努力を踏み躙るんだ。何の資格があって、私の城を土足で踏み荒らすんだ……!」

 ずきずき痛む膝を引きずって歩く。目の前には、ハンガーラックに固定された〈ヤマンタカ〉が、内臓を露わにするように前面ハッチを開け放っている。まるで彼を待っていたかのように。

「殺してやる……〈月の裏側〉残党も、〈連盟〉と称するテロリストどもも!」

 見よう見真似で、〈ヤマンタカ〉のコクピットに乗り込み、ハッチを締める。パイロットスーツは着ずに、血まみれになってしまったスーツのまま手足を入れる。どのみち腹の突き出た彼では専用スーツは着られないだろう。

『網膜識別……完了。オーナー権限により安全装置解除。視線感知システム調整完了。全火器管制システム、オールグリーン』

「よし、いいぞ……何とかなりそうだ」

 網膜へ直接投影される各種表示に、思わず呟く。戦闘訓練など受けたことはないが、しかし、やるしかない……今の彼を突き動かしているのは、自分の「城」を蹂躙された不当への怒りだけだ。

『〈心臓〉とのリンク、良好。パイロット名:ラーヘシュ・カーン。()()()()()()()()()()()()()

「何……?」

 あまりの順調さに、かえってラーヘシュは違和感を覚え始めた。何かがおかしい。考えてみればオーナーだからといって、ずぶの素人を専属パイロットに登録しておく意味などない。つまりラーヘシュの名は、開発段階から〈ヤマンタカ〉に登録されていたとしか……。

『……やあ。上手く行ったようだね』

「陛下!?」

 突如聞こえてきたヨハネスの音声に、ラーヘシュはぎょっとした。実のところ、ヨハネスはほぼ確実に死んだ、と決めつけていた疚しさもある。「よ、よくぞご無事で……」

『ああ、これは君が〈ヤマンタカ〉を起動させた際に流れる録音メッセージだよ。どういうことです? と聞き返しても返事はないからそのつもりで』

「どういうことです?」返事はない、と言われていたのにラーヘシュはつい聞き返してしまった。こんなギミックは聞いたこともない。いやそんなことより、私がこの機体を起動させると予想していたとはどういうことだ……?

『君の問いに対する答えはただ一つ、単純にして明快だ。()()()()()()()()()()()()()()()()。以上だ』

「……は?」

 思わず聞き返す。理解できないからではなく、理解してしまったのを理解したくないからこそ。

『もちろん〈竜〉の〈心臓〉とリンクできるのは第一条件だが、〈ヤマンタカ〉の()()はもう一つ──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。かつて〈鼠の王〉に組み込まれていた、膨大な戦闘データの生体フィードバック機能だ』

「では、あなたは……」

 額を汗が滑り落ちる。息ができない。「あなたは最初から、私を……モルモットとして私を……」

『巨大兵器商船〈へファイストス〉に、君のようなそこそこ有能で無視無欲な人物』ヨハネスの声は静かで、穏やかで、そして冷え切っていた。『必要ではある。いなければ困る。だがむきになってこだわる必要はない──まあ、私にとっては〈王国〉自体がそうなんだがね』

 打ち明け話をする子供じみた、くすくす笑い。心臓の鼓動がやけに耳障りだ。ああ、こんなにうるさいなら心臓などなければいいのに。

『〈ヤマンタカ〉の真価を発揮するのに必要な素質は準備した。あと必要なのは怒りだけ──世界を燃やし尽くしかねない、本物の怒りだけだ』

「ヨハネス、貴様……!」

『私からの最後の頼みだ、ラーヘシュ。──()()()()()()()()()()()()()()()()

 絶望と怒りが、絶叫となってラーヘシュの喉から迸った。

 同時に〈ヤマンタカ〉顔面の発光素子が金色の光を帯び、機体が動き出した。ハンガーラックを飴細工のように捻じ曲げてハンガーの床に降り立つ。

 青黒色の〈竜〉応用兵器──機械仕掛けの剣の鬼。

 

【洋上──〈へファイストス〉沈没まであと十数分】

「趙さん! この船……じゃなかったこの車、もっと速く進めないんですか!? このままじゃ船が沈む時の大渦に巻き込まれちゃう!」

「そうだよ。さっきから公園のアヒルボートくらいの速度しか出てねえじゃん」

「人に運転させといて勝手言うなよ! こいつは沿岸部での上陸作戦用なんだ。嵐の海で使うようには作ってねえ。ひっくり返らないだけでもありがたいと思えよ」

「……やっぱり、救命艇の方を目指した方がよかったかしら?」

 目に見えるほど大きな傾きを見せている〈へファイストス〉では、乗客を満載した救命艇がクレーンに吊り下げられて海面に降ろされようとしている。

「理屈はわからんでもないけどよ、あっちはあっちで満員だぜ?」

「うむ。犯罪者ではあっても、正規の乗客を押しのけてまで乗る気にはなれんな」

 シュウとアイネイアの双方から常識を説かれた気になったのか「それもそうね」とブリギッテが同意した時。

 

 沈みゆく〈へファイストス〉の船首に、()()が立っていた。

 

「あれが……〈ヤマンタカ〉?」

 静かに佇む青黒色の機体は、その鋭角的なシルエットもあって、異形の船首像(フィギュアヘッド)に見えなくもなかった。

 しかし人より多少大きいサイズの〈ヤマンタカ〉は、巨鯨じみた〈へファイストス〉に比べればちっぽけにしか見えない。

〈ヤマンタカ〉に変化が生じた。やや腰をかがめ、右手を反対側の腰に据えるような動きで静止する。

「何かするつもりなのか? でも、あんな位置から何を」

「……()()()()()!」

 弾かれたように反応したのはアレクセイだった。「趙先生、全力で回避行動を取って! どんな手を使ってもいい、早く!」

「え? お、お、おう!?」

 エンジンが吠え、蹴飛ばされたように水陸両用車が加速する。

 ()()()()()。膨大な量の海水が空白に向けて吸い込まれ、次の瞬間、信じられないサイズの高波となって全てを飲み込む。水陸両用車が木の葉のように揺れた。

「わぁああ!?」

「何かに掴まれ! 放り出されるぞ!」

 趙は必死でハンドルを駆り、その甲斐あってか水陸両用車はどうにか転覆を免れる。だが次々に襲いかかってくる高波のせいで、沈みゆく船から遠ざかるどころではない。

 だが彼ら彼女らはまだ幸運だったのかも知れない。斬撃は、もう少しで海面に達するはずだった救命艇を両断していた。

 まるで玩具箱をひっくり返したような光景だった。ただし、この場合落ちていくのは人の首と胴体と手足だ。

 不可視の斬撃はなおも閃き続けた。たちまち海面が朱に染まる。かろうじて切断を免れ得た者も、すぐさま波間に呑まれた。

 今や洋上には穏やかさなど欠片も見当たらなかった。高波は不気味に白く泡立ち、黒雲は海面近くまで立ち込め、不吉な雷光まで時折閃かせている。大時化である。海難事故が起こるには最悪の日と言ってよい。

「何てことなの……!?」

 ブリギッテは惨状に震え上がったが、それでも掌でミルカの目を覆うのは忘れなかった。「これでは、救助隊が来たって被害が増えるだけだわ……!」

「救助隊どころか、ギリシャあたりから海軍が出動する必要がありそうだね。それも相手が〈竜〉応用兵器なら、どこまで()()()()()かは怪しいものだ」

『龍一から送られてきた〈ヤマンタカ〉のスペックを分析してみたが、兵装は次元切断刀ただ一つ。多彩な兵装を駆使していた〈ペルセウス〉とは対照的だな……ただし、威力は桁違いだ。あの調子なら巡航核ミサイルでさえ両断しかねないな』

「一芸に秀でたタイプ、ってか」

 一同が黙り込む中、アイネイアが静かに口を開いた。

「余が行く。商人よ、この車をあの巨船に寄せよ。かかる惨事、たとえ殺されるのが悪人であろうと看過はできぬ」

「頼むから寝言は言わねえでくれよ! あいつが人間の手足をシュレッダーにかけるだけが取り柄の一発芸人だと思ってやがんのか? 俺はあいつが、オークション会場で歩行戦車を豆腐みたいに真っ二つにするのを見ちまったんだ。死にに行くようなもんだぜ!」

「おうよ。相手にとって不足はない」豪胆だがそれだけではない笑みを、青年は浮かべる。「余とて、左右に分かたれるだけの羽虫ではないことを、彼奴に教えてやるとしよう」

「駄目よ。行かせられないわ!」その場の全員が驚くような激昂を見せたのは、ブリギッテだった。「わかっているわ。アイネイア、あなたあの〈悪鬼〉を使うつもりなんでしょう!?」

「聡いな。さすがである、勇猛にして聡明な娘よ」アイネイアの笑みは消えない。「いや、勇猛にして聡明にして裏表なき優しき心の娘、と言わねば、そなたを言い表すには不足であったな?」

「私のことは話していないでしょう!? あれは……」

 ブリギッテは言葉を詰まらせる。アイネイアの〈悪鬼〉は今までに数度見たことがあるが、できれば好き好んで見たくはない代物である。

 そしてあの〈悪鬼〉は、ただ単に姿形がおぞましいだけではない。あれは使えば使うほど、不吉を呼ぶ──何より、それを使うアイネイア自身によくないものだと思えてならないのだ。龍一の〈悪竜〉に負けず劣らないほどに。

「余は、死なぬ。いや、()()()、と言った方が正確なのやも知れぬな。だが近頃は、だからこそ余にのみできうることがあるのではないかと思うようになってきた」

 アイネイアの静かな声は、自分に向けたものでもあるようだった。車内に沈黙が満ちる。

「だからこそ余は行かねばならぬ。余は夢の国の王子──そなたたち皆の心の中にある、どこにでもあってどこにもない国を統べる、今となってはただ一人の王子である」

 ブリギッテが意を決したように口を開く。「わかったわ。もう止めない。ただし、私も一緒よ」

「龍一も()()()だからね。置いてはいけないよ」猛る様子など微塵も見せなかったが、アレクセイの声は揺るがなかった。「それに……〈竜〉はともかく、剣士相手の戦いなら経験がなくもないからね。あながち無謀とも言えないと思う」

「お、お二人が行くんなら、私も行きます!」ミルカは早くもつんのめらんばかりである。

「実は皆さん、そう言い出すのではないかと思っていました」イナンナは微笑んでいる。「皆さんの行くところが、私の行くところです」

 シュウが大仰に溜め息を吐く。「王子よお、実はわかってたんじゃねえのか? こいつらがこんな場面でこういうこと言い出すってよ」

「そなたたち……」

 改めて、アイネイアは破顔した。「よかろう。そなたたちは愚かかも知れぬが……余にしてみれば、それは黄金の山より得難い愚かさである」

「麗しき人の世の美徳が発揮されている最中に申し訳ないのですが、皆さん、あれは何でしょうね?」林がリアウィンドウの外の一点を指差す。「私の見る限り、()()()()()()()()()()()()()()に見えてならないのですがね」

「まさか……」

〈ヤマンタカ〉に対面する位置で、変化が生じていた。流体とも金属ともつかない、粘性を帯びた黒い輝き。渦を巻いて流れていくそれは一点に集中し、何かを形作っていく。

 そして、その中心で何かが立ち上がろうとしていた。

「……龍一!?」

 

(次回、ラストバトル)

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。