Sin and Punishment:Accelerando 作:アイダカズキ
「もっと早く進めないの、趙おじさん? これじゃ近づく前に〈へファイストス〉が沈んじゃうよ!」
「だから無茶言うなって! さっきまで必死に離れようとしてたのに、今は逆に近づこうとしてんだぞ? 第一、俺ぁこいつが転覆しないようにするだけでも精一杯なんだよ!」
実際、水陸両用車のハンドルを握る趙の目は血走り、額には大粒の汗が浮いている。
「じ、じゃあ……波と波の間を、くねくねっ、と何かこう……いい感じに……」
「無茶に無茶を重ねて要求すんなっての!?」
真剣なのはわかるけど切迫感がないわね、と呟いていたブリギッテの目が、何かを捉えた。
「あれは何?」
オレンジ色の救命胴衣は、荒れた海でも実によく目立った。任せよ、と立ったアイネイアが、刃の潰れた剣で引っかけるようにしてそれを引き寄せる。
引き寄せられたのは、骨に皮が張りついたような痩身の男だった。ほぼ白髪に近い頭髪からして老人に近い年齢のようだ。着ている上物の背広も、濡れそぼった上にあちこちが裂けていて全裸よりはましという程度だった。それでも手に握る白木の杖は、柄が砕けんばかりに強く握り締められている。
「龍一がこの人に着せたのかしら?」
「だろうね。あの状況では、他にできそうな者もいない」
ミルカが目を丸くした。「あれ? 私、この人どこかで……」
アレクセイが顔色を変える──誰もが見たことのない勢いで。「……〈病葉〉」
(まあ、さすがに腹へ
それに〈病葉〉が警告しなければ、たぶん俺は今頃真っ二つだ。借りを返した、ということにしておこう。
龍一が──〈竜〉形態となった龍一が彼と相対している異形の人型は、言うまでもなくあの〈ヤマンタカ〉だ。
二人──あるいは二体が対峙しているのは、かつて第14デッキであった場所。オーナー及びVIP専用の贅を尽くしたエリアは、今や
〈ヤマンタカ〉に動きが生じた。左足を引き、身ををやや沈め、右手を腰に当てがうような姿勢──武術武道を学んだものなら一目で見て取れる。居合抜刀術だ。
(……
いや、待て──龍一は眉をひそめる。何かがおかしい。
〈病葉〉は言った──あの〈ヤマンタカ〉は彼の死した師匠を素材に使った、と。一度死んだ者の技能を〈竜〉を応用した強化外骨格に取り込むシステムはまだ不透明だが、その言葉自体は信じていいだろう。というより、〈病葉〉があそこで龍一に嘘を吐く理由がない。
しかし〈病葉〉の師匠の流派は
まだ何か
それに、あの次元刀だけでも充分な脅威だ。軍艦に限らず、そもそも船とは相当に沈みにくく造られている。まして〈王国〉の兵器商船を紙のように両断する斬撃。〈竜〉には再生能力があるからって、わざわざ喰らいたくはない。そう思って、警戒は怠らなかったはずなのに。
──ふ、と腰に添えられた右手が霞んだ。
目は離していなかったのに、その一瞬が捉えられなかった。〈竜〉の超感覚ですら追いつけない刹那。
身を翻したのは龍一の、これまでの死闘の積み重ねでしかない。
ごっ、と一瞬遅れて颶風が押し寄せる。次元の裂け目によって生じた真空に、大気が殺到することで発生する衝撃波だ。
まるで巨大な爪に引き裂かれたように、フロア全体が
(マジかよ。剣の軌道にまで
回避を選んでいなければ、文字通り上半身と下半身が泣き別れだった──ぞっとしながら、かろうじて着地。
膨大な破壊をもたらしたはずの〈ヤマンタカ〉は、何事もなかったように同じ場所で佇んでいる。当然、あの右手は同じように腰へ据えられたままだ。居合抜刀の態勢。
(あんな斬撃を連発されたらたまったもんじゃないな……)
〈ヤマンタカ〉の注意が今のところ龍一に向けられているのだけは、不幸中の幸いだった。水陸両用車で脱出しようとしているブリギッテたちや、救命艇に乗り込もうとしている生き残りの乗客たちにあの次元刀が振るわれたら、戦闘どころではない。一方的な虐殺にしかならないだろう。
そのなけなしの幸運が尽きないうちに、龍一は腹を決めた。こいつを
先に龍一から動いた。相手から見て右側──次元刀の旋回範囲の内へと滑り込むための疾走。が、当然〈ヤマンタカ〉の構えもそれに応じる。〈竜〉の超感覚を借りた精確極まりない素早さ。
だがそれこそが龍一の狙ったものだった。宙へ飛んだ彼の手から〈礫〉が放たれる。
(斬撃が厄介なら、その
出現と同時に目標の内部へ転移される投擲攻撃〈礫〉は、しかし甲高い音を立てて次元刀で両断された。主力戦車すら一撃で無力化する〈礫〉も、同じ〈竜〉相手では大きく効果が減じるようだ。
しかし龍一の攻撃は止まらない。
次の瞬間、全長一キロにも及ぶかのような鈍く光る金属柱が〈ヤマンタカ〉の頭上に出現した。ノーモーションで敵を押し潰す質量攻撃〈柱〉。
(〈礫〉から〈柱〉に繋ぐ、
あんなバカげた斬撃を連続で繰り出せる相手と真面目に打ち合ってなどいられるか、いささか身も蓋もない龍一の早期決着法ではある。
だが次の瞬間〈ヤマンタカ〉の外見に生じた変化に、龍一は自分の目どころか正気を疑いたくなった。
初め、龍一は〈ヤマンタカ〉の機体が強大な力で左右に引き裂かれているのかと錯覚した──だがそうではなく、今まで機体の隆起にしか見えなかった部分が、別の生き物のように蠢きながら分離しているのだとわかってきた。
(いや、違う、これは……2体の強化外骨格を、強引に
一体の強化外骨格に、もう一体の、極めて細身の強化外骨格が絡みついていただけなのだ──巨木に絡みつく寄生木のように。
やがて
まるで異形の神像──二つの頭に四本の腕を持ち、腰のあたりで合一した異様極まりない強化外骨格。
針金のように細い腕が虚空にかざされる。次の瞬間──その手には一本の、〈ヤマンタカ〉と同色の青黒い棒が握られていた。亜空間を通じての物質転送。〈竜〉ならできて当然の権能だ。
しかし龍一が瞠目したのはそれではなかった。あの長さは四尺二寸一分──杖術に使う
(だったら、こちらは〈病葉〉の師匠か……!?)
あの居合抜刀術は、同じように〈ヤマンタカ〉の素材として作り替えられた別の使い手なのだろう。異なる武術家を材料に作り上げた、2体で一体の強化外骨格……!
〈ヤマンタカ〉の杖が、すっと天に向けられた。今にも自らを押し潰そうとする巨大な〈柱〉の下端に、音もなくそれが触れる。
それだけで天を突くばかりにそびえていた〈柱〉が消失した。両断したのでも砕けたのでもない、
同じ〈竜〉による
(嘘だろ!?)
生身だったら、全身から汗が噴き出ていたに違いない。本能が告げた──軌道に当たらなければどうにかなる次元刀よりも、警戒するべきはあの杖だ。
またもや〈ヤマンタカ〉に変化が生じた。今度は下半身がめきめきと音を立て、新たな一対の足が伸びる。昆虫が持つ節足のように頼りない細さではあるが、おぞましいことにそれは確かに人の足の特徴を備えてはいた。
まるでケンタウロス──半人半獣のごとき異形。
(こいつが〈ヤマンタカ〉の本当の姿か!)
しかし、これが強化外骨格なら、内部の装着者はどのような姿勢になっているのだろう? いや、そもそも人の形を保てているのだろうか? 〈竜〉の力を応用した〈竜〉と戦うための兵器とは、これほどおぞましいものなのか。
〈ヤマンタカ〉が床を蹴る。グロテスクな半人半獣が、騎兵のごとく突撃してくる。
少しでも突撃の威力を殺すべく多数の〈鱗〉を同時に展開させる──そのことごとくが、次元刀と杖の一振りで埃のように儚く霧散する。
(こいつら互いの攻撃の間隔を、互いにきっちり埋めてきやがる!)
〈ヤマンタカ〉の武器として杖が選ばれた理由を、龍一は痛いほど思い知った。刀剣と比べてもリーチが遥かに短い杖は、次元刀の隙をカバーする格闘武器としては最適だったのだ。
さしもの龍一も初めて戦う相手だった。分離していながら、同時に攻撃をかけてくる二体で一体の〈竜〉。
あるいは、あくまで人の形を崩せない〈竜〉をその制約から解き放つ手段として、〈竜〉応用兵器はその答えの一つなのかも知れない。
(興味深いテーマだが、考えている余裕はないな……)
建物一つを両断する斬撃が振るわれる。横っ飛びに回避しながら〈礫〉を放つ。まるで効き目がなかった。杖は〈礫〉を打ち落とし、それどころかさらにリーチを延ばしてきた。
杖先が龍一の右足を掠める──それだけで龍一の足が関節とは逆方向に、小枝のようにへし折れた。
(ぐぅ……!?)
悲鳴が声にならない。この足では斬撃が回避できない。
倒れ込みながら、転がりながら、咄嗟に手足の関節から〈刃〉を伸ばし、手近な柱に巻きつける。紙テープのように薄くどこまでも伸ばせる〈刃〉は〈竜〉相手の戦闘では不向きだが、絡め手や移動手段としては申し分ない。ウィンチのように〈刃〉を巻き取り、強引に身体を引きずって移動。
それを〈ヤマンタカ〉が見逃がすはずもない。ギャロップで瞬く間に追いつき、杖による突きの連打が降り注いでくる
今や龍一はごろごろと床を転がってそれを回避するのに精一杯だ。反撃しようにも立ち上がれない。
(〈病葉〉……あんたのさらにお師匠さんなんだから相当お年のはずだが、それにしたってあの御仁、
あるいはこのお師匠さん、生身でも俺と相当なところまでやり合えたんじゃないのか?
杖さえ避ければよいと思い込んだのが失策だった。〈ヤマンタカ〉自身の蹴りまで繰り出されてきた。軍用強化外骨格とさほど変わらない重量の〈竜〉を小石のように蹴飛ばす〈ヤマンタカ〉の蹴撃だ。
(しまっ……!)
悲鳴を上げる間もなく、龍一は空中へと弾き飛ばされる。回避もままならない態勢へ、
今度こそ杖が真上から振り下ろされた。
龍一の左肩が卵のように砕け散った。床に叩きつけられ、叩きつけられた床までが原子レベルまで崩壊する。龍一は幾重もの防壁と構造体を突き破り、高層ビル数十階分もの高さを一息に落下する。
──確実に数秒間は気絶していたに違いない。
目を開けると、ちょうど自分の形にくり抜かれた天井の大穴と、遥か頭上に見える空の光が見えた。砕けた左肩と右足は既に再生が始まっており、龍一は自分の身体が人のものでないことを今さらながら実感する。
いくら再生能力と痛覚制御があるからって、生身なら死んでたな──そう思いながら身を起こし、周囲を見回す。
(……そうか。ここが〈へファイストス〉の中心部か)
〈王国〉の兵器商船にして新兵器と新技術の実験場──言わば〈王国〉の腐った
ヨハネスの下で進められていた新技術の研究とは、人と〈竜〉の融合実験──即ち、
自分がいつの間にか死んでいて、地獄の光景を見ているのならどれほどよかったか。だが龍一の忌々しい正気は告げていた。お前の見るこれは紛れもない現実だ、と。
見覚えのある〈竜〉の〈鱗〉を剣山のようにびっしりと生やした生の脳髄。虹色に輝く幾何学模様が表面で蠢く眼球。金色に輝く目を至るところに移植された剥き出しの脊髄。そしてラベルを貼られ、血を抜かれ、黄金色に輝く液体を注入され、淡々と数値の変化を記録され続けている、切断された手足……。
〈ヤマンタカ〉はこれらの、地獄の海のごとき光景から産み出された、ほんの一例に過ぎないのだろう。
一体どれだけの命が、その悲鳴も断末魔も届かないまま、ここで果てていったのか。
「……ヨハネス。いつまでこんなことを続けるつもりなんだ?」
わかっているだろう、と頭の中で含み笑う声がした。時が来るまで。君の存在が、全宇宙から消滅するまでさ。
龍一を殺すために。龍一ただ一人をこの世から消し去るために。
これがこれまで続いてきた、これからも続く光景なのか?
ふと……何かに呼ばれた気がして、龍一は頭を巡らせる。
ヨハネスは何と言っていた?
『それに波多野仁は覚醒に至らなかった〈竜〉だ。彼の体組織から得られたデータで、HWの研究開発は大幅な進歩を遂げた。膨大な時間と労力を要したが、それだけの甲斐はあった』
「……そうか。
〈へファイストス〉が〈王国〉の兵器商船であり、動く新技術・兵器の開発実験場なら──その研究の根幹となるHWの『素体』が保存されていてもおかしくない。
「遅くなってごめんよ。ジンさん」
あの日、龍一を逃がすために火の中に消えたはずの男の裸体が、保存液の中で揺らいでいる。
右腕と左足は根元から消失し、胸には大穴が開き、そして顔は大半が消失してはいたが──龍一にはどこか、あの皮肉な笑みが浮かんでいるように見えた。
「なんだか……ずいぶん遠くへ来ちゃったな。覚えてるか? 俺、あの時は地球の裏側まで自分が行けるなんて思ってもいなかったんだ。あの時はどこにも行きたくなかった……あそこ以外の、どこも」
わかっている。ここにあるのは波多野仁という、かつていた、今はもういない人間の、残滓だ。何年も前に息絶えた死骸だ。
それでも、それでも龍一は、語りかけずにはいられなかった。
「今は……戦ってるよ。俺と似たような……境遇の……その……仲間と一緒に」
当然、答えはない。
それでも。
「最初は……ジンさんの仇を討つことしか考えてなかった。ヨハネスを……地球の裏側まで追いかけていって、殺すために。でも、今は……」
今は。
炎が視界の隅で踊り、それは瞬く間に業火となった。〈へファイストス〉内の消火機能を含む一切の安全機構が停止した今では、それを止める術はない。
炎が全てを包んでいく。かつて波多野仁と呼ばれた男の死骸も。
龍一は手を伸ばそうとして──その必要がないことに気づく。
ここで言うべきことは、ただ一つだった。
「……さよなら」
一跳躍で、龍一の身体は軽々と大穴を潜り抜け、その足場のほとんどが崩壊した第14デッキに降り立つ。
〈ヤマンタカ〉は静かに立っていた──まるで龍一を待っていたかのように。
「
一歩踏み出しただけだったが──龍一にこれまでとは違う何かを感じたのか、〈ヤマンタカ〉の右左両半身が警戒の構えを強める。
「だから、通らせてもらう」
『龍一。君を見ていてふと思いついたことがあるのだが』
いつだったか、〈白狼〉にそう言われたことがある。
『うん?』
『正確には君と、アレクセイと、ブリギッテを見ての思いつきだ。君たち三人に共通しているのは何だと思う?』
『なんで急に
『君に知恵熱を出させたいから聞いたわけではないので結論から言う。
『メリットよりデメリットの方が多すぎるからじゃないか? 銃は入手手段が限られているし、警備の厳しい施設への持ち込みも難しい。第一、銃なんて弾切れになれば文鎮ほどの役にも立たないんだぜ……ああ、そんな勿体ぶった理由なんか捻り回さなくても、俺はともかくあの二人は銃以外を使った方がずっと強いだろ』
『その通りだ。アレクセイの〈糸〉もブリギッテの弓矢も、状況と使いようにより銃と比べ物にならない威力を発揮する。おおよそ君の言ったような理由で、私も思いついた──君たちが銃を忌避するのは、飛び道具で遠くから一方的に敵を蹂躙することへの忌避感などという道徳的なものではなく、銃という複雑な武器に付きまとう不確実性への不信感ではないのか?』
『そう言われるとそんな気もしてきたが……つまりどういうことだ?』
『逆に言えば、扱いが簡単で強力で、しかも手足の延長のごとく確実に作動するものであれば、飛び道具であろうとなかろうと使うことに躊躇いはない、ということだ』
「〈白狼〉、君が何を言いたかったのかだいぶわかってきたよ」
次元刀が振るわれ、わずかに遅れて杖の打ち込みが来る──逃がれようのない連続攻撃。
がぃん、としか形容のしようがない異音が響き、斬撃と打ち込みの双方が跳ね返される。
飛び退き、体勢を立て直すのは〈ヤマンタカ〉のみ──対する龍一は、両腕を静かに交差させているのみだ。
「俺は……難しく考えすぎたのかも知れないな。別に飛び道具が卑怯だから使わなかったわけじゃない……突きと蹴りの方がよっぽど手っ取り早くて確実だったからだ」
炎のように揺らめきながら、龍一の両腕が形を変えていく──敵に応じて身体構造すら瞬時に組み換える〈竜〉の権能。
「でもまあ、これなら使ってもいいかな。何せこいつは、
マニュアルを参照する必要もない。それは龍一が望み、それに応じて〈竜〉が生み出した機能なのだから。
「〈
〈砲拳〉──
足をへし折られなかったら、肩を粉々にされなかったら、床を何層もぶち抜いて船の中心部まで叩き落とされなかったら、思いつかなかった技なのかも知れない。そう考えると皮肉なものではある。
無拍子で〈ヤマンタカ〉が打ち込んでくる。真っ向唐竹割りとばかりに次元刀が振り下ろされる。
「もうネタ切れか? 工夫がないな!」
ストレートには及ばない、ジャブのような短い突き。
耳障りな音を立て、不可視の力が斬撃を弾き飛ばす。
これだ──生身だったら大声で笑っていたかも知れない。俺はこういうのが欲しかったんだ。
その一方で、これもまた発展途上のものであり、完成形ではない、との自覚もある。
だがそれでいい。
杖の打ち込みを躱す──フェイントだと直感する。案の定、またもや強烈な蹴りが繰り出される。
一歩退き、しかし拳は止めない。不可視の力が〈ヤマンタカ〉の蹴りを打ち落としただけでなく、その足を真っ二つにへし折る。
「
悪いね。俺は
〈ヤマンタカ〉の動きもまた止まらない。残り三本の足でバランスを保持し、杖による突きを放とうと、
「もう付き合わねえぞ!」
眉間、胸部、腹部。機関砲のごとき〈砲拳〉の三連打。
〈ヤマンタカ〉の正中線に、型抜きでもしたように綺麗な拳大の大穴が立て続けに穿たれた。その穴を中心に、あれだけ堅固だった〈ヤマンタカ〉の機体がぼろぼろと崩壊していく。
が──
ただの生命維持機能ではない。
あるいは執念なのか──装着者ラーヘシュの、あるいは〈病葉〉の師匠の。
振り下ろされる杖と〈砲拳〉が激突する。不可視の力同士がぶつかり合い、悲鳴とも金属の裂ける音ともつかない轟音が響く。
真一文字の斬撃が、龍一の首に伸び、そして龍一はそれを避けられない。
(勝負……!)
龍一の手足の関節から〈刃〉が滑り出、それは即座に龍一の手足へ絡みついてサポーターとなり、同時に床へ突き刺さりアンカーと化す。
〈砲拳〉を突き上げる──いつしか声にならない叫び声を上げていた。
龍一の拳が杖を打ち砕き、その延長線上にある〈ヤマンタカ〉の残った頭部を、跡形もなく粉砕する。
そして──世界そのものが崩れ落ちるような轟音が響き、何もかもが二つに割れた。
〈へファイストス〉が真っ二つにへし折れた瞬間だった。巡航ミサイルを両断する次元刀の斬撃に加えて、大型兵器と潜水艦が重砲弾とミサイルで、何より〈竜〉がその権能を振りかざして破壊の限りを尽くしたのだ。むしろ今までよく保った方だろう。
何もかもが海に雪崩れ落ちていく。接合部からちぎれた〈ヤマンタカ〉の機体も、搭乗者の肉体も──ラーヘシュの、〈病葉〉の師匠も、名もなき居合の達人も。
そして、龍一も。
──暗い海に飲み込まれ、意識が途切れる寸前。
龍一は誰かが微笑んで「見事」と呟いたような気がした。
強烈な陽光と、頬を撫でる潮風。
龍一は目を開け、自分が水陸両用車の上部装甲に寝かされているのに気づいた。
見回すと、皆がいた──アレクセイとブリギッテ、ミルカとイナンナ、シュウと〈夢の国の王子〉アイネイア。趙と林の顔まである。ただ〈病葉〉だけが見当たらない。
「目を覚ましたな、我が盟友龍一よ! 文字通り天を裂き海を割り嵐を呼ぶ戦いであったな! だが我らも、海へ落ちる寸前のそなたを拾い上げることができたのだから、これでそなたの英雄譚に登場する端役程度の働きはできたのではないか? いろいろあったが、ともあれ大団円ではあるな! ははははは!」
ようやく安心して泣けるようになった風情のブリギッテが、泣き笑いの顔になる。「嘘よ。あなたを見つけた瞬間に、私たちが止める間もなく海に飛び込んだのよ」
身体を起こす。大量の血を失ったように頭がふらついたが、さんざん叩きのめされ切り刻まれたあげくに海へ叩き落とされ、海水をしこたま飲んだ後にしては気分がいい方だろう。
「〈病葉〉は?」
その名を口にした途端、なぜか全員が気まずそうな顔になった。
「……あなたが目を覚ます少し前に、泳いで行ってしまったわ。もうここでできることは何もない、と言って」
「
龍一は顔を上げたが、その目に入るのはどこまでも広がる茫漠とした海原だけだ。「冗談だろ? 一番近い陸地まで何キロあると思ってるんだ?」
まるで自分の責任のようにミルカがしょんぼりと言う。「私たちもいくら何でも無茶だ、せめて陸地まで送る、って言ったんですけど……」
「なーんか一度言い出したら聞かねえ感じの爺さんだったな」とシュウ。
「一度提案して、それを拒まれたのなら、我らから何も言うことはできまい」重々しくアイネイアが頷く。「それに、あの様子では本当に海岸まで泳ぎ着いてしまうやも知れぬぞ」
「……
「そうだ、彼から伝言を預かっているよ」訝しげにアイネイアが言う。「『礼を言う』だってさ。君にそう言えばわかるらしいよ」
あの〈病葉〉に感謝されるとは妙な気分だ。
爆音とともに上空を救難ヘリの編隊が通り過ぎていく。識別マークを見るとギリシャ海軍のものだ。
「今頃やっとお出ましだなんて……まあ、あの戦いの最中に来られても犠牲者が増えるだけだったでしょうね」
「海の藻屑になるよりは、逮捕されて法廷で裁かれた方がまだましだろうしな。本人たちがそう思うかはともかく」
やっとこれで全てが終わったか、と龍一は息を吐く。
「……終わりはしたけど、全員総出で挑んだにしては微妙な結果だな」
「全員が全員、死にかけたにしてはね……」
皆が神妙な顔になる。全員生還こそできたものの、肝心のヨハネスは替え玉、〈へファイストス〉の機密データも海の底では、確かに当初の目的は達成できたとは言い難い。
「全く成果がなかったわけでもないぞ。
「は?」
今度こそ全員が、正気を疑うような目で龍一を見た──趙や林ですら。
「あの……龍一さん……それギャグじゃないですよね? 龍一さん特有のいまいちわかりづらい」
「君が普段から俺をどういう目で見ているのかはともかく、ギャグじゃないぞ。話しかけてきたのは向こうだしな」
かろうじて、本当にかろうじてという風情で気を取り直したアレクセイが尋ねる。「それで、
「ずいぶん長々と話をしていたけど、要するに俺を殺さないと安心して地獄に落ちられないって言いたかったらしいな」
「さもありなん、ね」ブリギッテは彼女なりに思うところがあったらしい。「ロンドンを月まで吹き飛ばしかけ、新香港を燃やした人が、次は何を企むのか考えたくはないわ。いずれ嫌でも考えることになるだろうけど」
「それも、この世界の生きとし生けるもの全てがな。ヨハネス何某とやら、
「もう一つ一つ、ヨハネスの計画を潰していくようなやり方では間に合わないな」
「……あれ?」
何かをいじくり回していたミルカが素っ頓狂な声を上げる。「あの……オデットさんから貰ったシガレットケースの中から、こんなものが出てきました」
「何?」
全員の視線がミルカの掌に注がれる。そこに乗っていたのは──小指の先ほどのデータチップだった。
「見せてくれ。〈白狼〉、このスマートフォンから読めるかい? ああ、クラッキングへの対策は済ませた上で」
『任せてくれ。そもそも、この端末だって私の謹製だぞ』
ややあってスマートフォンから、世にも珍しい、〈白狼〉の呻き声が聞こえてきた。『信じられない。あの潜水艦もろとも海へ沈んだはずのデータがここにある。全てではないが……これならサルベージに費やす労力も予定よりずっと少なく済むだろう』
「彼女に関しては、謎がまた増えたね」
「よくわからないわね。彼女は〈王国〉の一員ではなかったの? どうして私たちにわざわざ味方してくれたのかしら?」ブリギッテの口調からは、まだ信頼してはいないわよ、という感情が隠し切れないでいる。
「それに関しては、今度会った時本人に聞くしかないね」
「何にせよ、このデータで当面の間は戦い続けられるんじゃないか?」
龍一の顔をじっと見ていたシュウが、低い声で言う。「やけに吹っ切れた顔をしてるな、大将。暴れるだけ暴れて、気が晴れたか?」
「……まあ、そんなところだ」
波多野仁と最後の別れを済ませたことは、しばらく黙っておこう、と龍一は決意した。個人的に過ぎるし、何よりも思い出として語るにはまだ生々しすぎる。
「もうヨハネスの計画を一つ一つ潰していくような地道なやり方じゃ間に合わないな。俺がこれからやろうとしていることを考えると、金も人手も山ほどかかるし」
林が苦笑しながら口を挟む。「資金提供でしたらいつでも相談に乗りますよ。相良先生と皆様方でしたら、それこそ
「ずいぶんと高くつきそうなお友達価格だね……」
「中国きってのスパイマスターにただで恩を売られるなんて後が怖すぎるけど、あまり選り好みもしていられないかもね」渋々、という顔でブリギッテが頷く。
〈月の裏側〉のやり方をなぞるわけではない──だが単に〈王国〉にとって代わるだけであってはならない。
もしかしたら、と龍一は思う。やりようによっては、俺たちは
もしかしたら俺がやろうとしていることと、かつて夏姫が目指していたものとは、そう隔たっていないんじゃないのか。彼女がいなくなった今になってそれに思い当たるのは皮肉としか言いようがない。
「ところで、趙さん。なんでこんなところにいるんだ? 逃げたんじゃなかったのか?」
「逃げようとしたらお前の一味に捕まって足代わりにされたんだよ!」
「そうだ、趙おじさん。話は変わるけど娘さん元気?」
「話変わりすぎだよ!? お前らに心配される謂れだけはねえよ! ちゃんと誕生日にはプレゼントも、スカした西洋人みてえに『愛してる』のメッセージも送ってるよ!」
「それで本当に娘さんは喜んでいるって思うんですか? そういう真心の籠ってない、とってつけたような態度を娘さんに見透かされているんじゃないんですか?」
「ミルカは家族を蔑ろにする発言にだけはつくづく点が厳しいわね……」
「やめろよミルカ。おっさんが泣いちまうだろ」
「泣きゃしねえよ! ちょっとだけ泣きたくなったけどな! 大体お前ら、何だって俺の娘についてだけはそんな親身になるんだよ!? 正直気持ち悪いよ!」
「ええ……人として知り合いの娘さんのことを心配してるだけなんだけどなあ……」
「いっそ武器商人なんかやめて、私たち専属の運転手になるのはどう? あなたの腕ならロンドンでも見てきているもの、お給料もそれなりに考慮するわ」
「やなこった! 本当にやってみろよ、豆板醤をつけて生のまま食ってやるからな!」
ますます騒がしくなる周囲に苦笑しながら。
問題は解決するどころか、ますます増えているように思えてならないが──だからこそかも知れないが、龍一は海と同じくらい青い空を見上げながら、ふと呟いてしまった。
「いい天気だな……」
(次回、エピローグ)
本編はこれで終了となります。半年に渡るお付き合い、ありがとうございました!
エピローグ(事実上の悪役パートでもあります)は後日公開予定です。お楽しみに!