穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
神殿の中庭は、静かだった。
時折、遠くで鐘の音が響く以外は、鳥の声と風が葉を揺らす音だけが聞こえる。
エリアーナはゆっくりと小道を歩きながら、久しぶりに感じる陽光の暖かさと、花の甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
(少しだけ……気分がいいかもしれない……)
ずっと張り詰めていた心が、ほんの少しだけ解けるような感覚。
けれど、すぐ後ろを歩くカイウスの存在が、完全に気を緩めることを許してはくれなかった。
彼は何も言わないけれど、その視線は常にエリアーナに向けられている。
「……庭園に来られるのは、お久しぶりですか?」
不意に、カイウスが口を開いた。
当たり障りのない、世間話のような問いかけ。
エリアーナは少し驚いて、カイウスの方を振り返らずに答えた。
「……はい。しばらく、ぶりです」
最後にここに来たのは、いつだったか思い出せないくらいだ。
「偽りの聖女」と呼ばれるようになってからは、人目を避けるように部屋と礼拝堂の往復ばかりだったから。
「そうですか」
カイウスは短く相槌を打つと、また静かになった。
だが、エリアーナは彼の視線が自分から外れていないことを感じていた。
(何かを探っている……わたくしの反応を、見ているのね)
警戒心を再び強くする。
彼の言葉には、きっと裏がある。
しばらく歩くと、白い大輪の花が目に留まった。
清らかな白百合だ。
陽光を浴びて、気高く咲き誇っている。
「……綺麗……」
思わず、声が漏れた。
その凛とした美しさに、エリアーナはしばし心を奪われた。
白い花弁に、そっと触れてみたい衝動に駆られる。
エリアーナは無意識のうちに、白い花へと手を伸ばしかけていた。
しかし、指先が花弁に触れる寸前で、ハッと我に返った。
(だめ……!)
もし、わたくしが触れたせいで、この美しい花が穢れてしまったら?
色褪せ、萎れ、枯れてしまったら?
わたくしの力は、「穢れた祈り」なのだから。
エリアーナは慌てて手を引っ込めた。
その瞬間を、カイウスが見逃すはずはなかった。
(……花に触れようとして、やめた?)
カイウスはエリアーナの不自然な動きを注意深く観察していた。
なぜ、触れるのをためらったのか?
(棘があるわけでもない。……ああ、そうか)
カイウスの中で、一つの仮説が形になった。
(彼女は、自分の力でこの花を傷つける、あるいは穢してしまうと恐れているのだ。それほどまでに、自身の力を負のものと認識している……)
カイウスはエリアーナに気づかれないように、その観察結果を記憶に刻みつけた。
これは重要な情報だ。彼女の自己認識と、力の性質を理解する上で。
エリアーナは、自分の動揺を悟られまいと、再び俯いて歩き出した。
カイウスが自分の仕草を見ていたことには、気づいている。
「……何か、お好きな花などはございますか?」
カイウスが、先ほどのエリアーナの反応には気づかないふりをして、再び尋ねた。
エリアーナは首を横に振った。
「……特に、ありません」
そう答える声は、少しだけ沈んでいた。
好きな花があったとしても、きっと触れることはできないのだから。
それきり、二人の間の会話は途切れた。
庭園には、美しい花々が静かに咲き誇っている。
けれど、エリアーナとカイウスの間には、ぎこちなく、触れられない壁のような沈黙が漂っていた。