穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
「下町に魔物だと!? 種類は? 数は? 被害状況はどの程度だ!」
カイウスは伝令兵に矢継ぎ早に問いかけた。
その声には、隠しきれない焦りと騎士としての鋭さが滲んでいた。
「はっ! 詳細はまだ不明ですが、複数種が同時に出現したとの報告が! ゴブリンや大型の蜘蛛のようなものもいるとか……既に数名の負傷者が出ており、家屋への被害も……騎士団は総出で対応にあたっておりますが、いかんせん数が足りません!」
伝令兵の報告に、カイウスは顔を顰めた。
状況はカイウスの想像以上に悪いようだ。
王都の城壁内で、これほどの規模の魔物騒ぎが起こること自体が異常だった。
(行かねばならん……!)
騎士としての本能が叫んでいた。
人々が危険に晒されている。一刻も早く現場へ駆けつけ、剣を振るわねばならない。
だが――。
(俺の任務は……聖女様の護衛だ)
ちらりと隣のエリアーナに視線を送る。
彼女は青ざめた顔で、唇をきつく結んでいた。
このか弱く、そして教会から危険視されてもいる聖女を、一人この場に残していくわけにはいかない。
それが、与えられた任務であり、責任のはずだ。
(だが、民を見捨てるのか? 騎士として、それは……)
葛藤がカイウスの胸を締め付ける。
任務か、使命か。
どちらを選ぶべきか、即座に判断ができなかった。
その、カイウスの迷いを見て取ったのだろう。
不意に、エリアーナが静かな、しかし凛とした声で言った。
「カイウス様」
カイウスは驚いてエリアーナを見た。
彼女は真っ直ぐにカイウスの瞳を見つめ返していた。
その空色の瞳には、いつものような怯えや不安の色はなく、強い意志の光が宿っていた。
「行ってください」
「……聖女様?」
カイウスだけでなく、伝令兵も驚きの声を上げた。
この状況で、護衛騎士に出て行けと言うのか、と。
しかし、エリアーナは怯まなかった。
「わたくしは、ここにいます。この部屋から一歩も出ません。ですから、大丈夫です」
彼女は小さな拳をきゅっと握りしめた。
「今は、一人でも多くの人を助けることが優先です。……お願いします、カイウス様」
その言葉と、瞳の力強さに、カイウスは心を揺さぶられた。
『偽りの聖女』と呼ばれ、蔑まれてきた少女が、自分のことよりも、見知らぬ下町の人々の身を案じている。
そして、護衛である自分を、人々のために送り出そうとしている。
(この方は……)
カイウスの中の迷いが、霧が晴れるように消えていった。
任務も重要だ。だが、今、目の前にある危機から目を背けることはできない。
そして、この聖女の意志に応えたい、と強く思った。
「……分かった」
カイウスは力強く頷くと、伝令兵に向き直った。
「すぐに向かう! 状況は? 一番近い応援要請地点はどこだ! 先導しろ!」
「は、はいっ! こちらへ!」
伝令兵は安堵の表情を浮かべ、カイウスを促した。
カイウスは最後にもう一度、エリアーナに向き直った。
「聖女様。必ず、戻ります。それまで、何があっても決してここを動かないでください。いいね?」
その声には、有無を言わせぬ強い響きがあった。
エリアーナはこくりと頷いた。
カイウスはエリアーナの返事を確認すると、踵を返し、伝令兵と共に足早に廊下を駆け去っていった。
その姿が見えなくなるまで見送った後、エリアーナは一人、その場に残された。
(……行って、くださった)
安堵の息が漏れる。
これで、少しは助かる人が増えるかもしれない。
けれど、同時に、どうしようもない無力感がエリアーナの胸を締め付けた。
(わたくしは、結局、ここで祈ることしかできない……)
下町の人々の無事を、カイウス様の無事を、ただ祈ることしか。
もし、わたくしの祈りが、本当に人々の役に立つ力を持っていたなら。
『穢れた祈り』ではなく、真の奇跡を起こせたなら。
エリアーナは、ぎゅっと目を閉じた。
窓の外から聞こえてくる喧騒が、まるで自分の無力さを責めているように感じられた。