穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
カイウス様の足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなると、エリアーナの部屋にはしんとした静寂だけが残された。
窓の外からは、遠く下町の方角から微かな喧騒が聞こえてくるような気もするが、定かではない。
(……わたくしに、できることは)
エリアーナは窓際に歩み寄り、下町があるであろう方角をじっと見つめた。
胸が不安で締め付けられる。
人々は無事だろうか。カイウス様は危険な目に遭っていないだろうか。
いてもたってもいられず、エリアーナは部屋の中央に戻ると、静かに床に膝をついた。
祈るしかない。
今のわたくしにできることは、それだけなのだから。
(どうか……下町の人々をお守りください……そして、カイウス様も……)
目を閉じ、両手を胸の前で固く組む。
けれど、祈りの言葉を紡ごうとすると、黒い疑念が心を蝕む。
(本当に、この祈りは届いているの……?)
『偽りの聖女』の『穢れた祈り』。
癒やしではなく苦痛を伴い、光ではなく影を思わせる奇跡。
こんな祈りが、本当に人々の助けになるのだろうか。
むしろ、気づかないうちに、災厄を悪化させているのではないだろうか。
(怖い……)
自分の力が、怖い。
けれど、祈らないでいることも、もっと怖い。
何もできない自分が、許せない。
エリアーナは迷いを振り払うように、さらに強く祈りに意識を集中させた。
身体の奥から、あの重く、冷たい感覚が湧き上がってくる。
いつもの、祈りの代償。
しかし――今日は、何かが違った。
(……!?)
いつもの身体的な負担とは別に、ぞわりと肌を粟立たせるような、嫌な感覚が空気に混じり始めた。
部屋の空気が、重く、粘りつくように淀んでいく。
まるで、沼の底に引きずり込まれるような、不快な圧迫感。
(なに……? これ……?)
心臓がどきりと跳ねる。
これは、いつもの力の反動ではない。
もっと……外部から来るような、悪意に満ちた気配。
遠くから、何かが、この部屋にいるわたくしに向かって手を伸ばしてくるような……。
「……っ!」
エリアーナは思わず祈りを中断し、目を見開いた。
全身から冷や汗が噴き出す。
胸騒ぎが止まらない。
慌てて窓際に駆け寄り、外の様子を窺う。
空は依然として青く、雲がゆっくりと流れている。
神殿の庭園も、先ほどと変わらない静かな風景が広がっているだけだ。
(気のせい……? いいえ、そんなはずは……)
けれど、耳を澄ますと、風に乗って、遠くから微かな音が聞こえてくる気がした。
人々の悲鳴のような、怒号のような……あるいは、もっと別の、おぞましい何かの声のような……。
(下町の方角……!)
やはり、何か良くないことが起きているのだ。
それも、ただ魔物が出たというだけではない、もっと深刻な何かが。
(どうしよう……)
エリアーナは窓枠を強く握りしめた。
カイウス様がいない。
頼れる人は、誰もいない。
わたくし一人では、何もできない。
圧倒的な無力感と、正体不明の脅威への恐怖。
エリアーナは、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
部屋の中に満ちる不穏な気配は、まだ消えてはいなかった。