穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
神殿の裏手に広がる雑木林は、昼間だというのに薄暗く、静まり返っていた。
エリアーナは一人、そこに立ち尽くしていた。
すぐ後ろには、固く閉ざされた神殿の通用門。安全な、しかし息の詰まる場所。
そして目の前には、未知の、おそらくは危険な外の世界が広がっている。
(本当に、よかったのかしら……)
一瞬、強い後悔がエリアーナを襲った。
カイウス様の言いつけを破って、一人でこんなところまで来てしまった。
今からでも戻るべきかもしれない。
しかし、下町の方角から漂ってくる、あの焦げ臭い匂いが、エリアーナの足を縫い止めた。
そして、風に乗って聞こえてくる、微かな悲鳴のような音。
(戻れない……戻ってはいけない)
エリアーナは小さく首を横に振ると、意を決して雑木林の中へと足を踏み入れた。
幸い、雑木林はそれほど深くなく、すぐに踏み分けられたような細い小道を見つけることができた。
おそらく、神殿の者が時折使うのだろう。下町の方角へと続いているように見えた。
エリアーナは周囲を警戒しながら、その小道を急ぎ足で進んだ。
木の根や石に躓かないように、足元に注意を払いながら。
進むにつれて、異変の気配はどんどん濃くなっていった。
焦げ臭い匂いはより強くなり、煙の匂いも混じっているように感じられる。
遠くの喧騒は、もはや無視できないほどの大きさになっていた。
人々の怒鳴り声、恐怖の叫び、そして……何か硬いものが壊れるような音。
(酷いことになっている……)
エリアーナはごくりと唾を飲み込んだ。
恐怖で膝が震えそうになる。
今すぐにでも踵を返して、安全な神殿へ逃げ戻りたかった。
けれど、それと同時に、胸の奥で奇妙な感覚がざわめいていた。
先ほど祈りの最中に感じた、あの不穏な気配。
それが、この下町の方向から来ているような気がするのだ。
まるで、何かがエリアーナを呼んでいるかのように。
(この感覚は……? わたくしの力が、何かを感じているの……?)
分からない。
でも、確かめなければならない。
そんな強い衝動が、エリアーナの足を前へと動かしていた。
やがて、小道は緩やかな上り坂になり、視界が開け始めた。
木々の隙間から、下町の家々の屋根が見えてくる。
エリアーナは足を速め、坂を駆け上がった。
そして、息を切らせながらたどり着いた場所で、エリアーナは目にした光景に息を呑んだ。
そこは、下町の様子がよく見える、小高い丘の上だったのかもしれない。
眼下に広がるのは、信じられないような光景だった。
黒い煙が、街のあちこちから立ち上っている。
いくつかの家屋は半壊し、瓦礫が散乱していた。
通りには、右往左往に逃げ惑う人々の姿が見える。
そして……その人々を追いかけ、建物を破壊している、異形の影。
(魔物……!)
ゴブリンのような小さな影もいれば、蜘蛛のような多足の影、さらには、見たこともないような、ぬらりとした粘液質の塊のような影も見える。
それらが、まるで悪夢のように、平和だったはずの下町を蹂躙していた。
「あ……あぁ……」
エリアーナの口から、か細い呻き声が漏れた。
想像を、はるかに超えた惨状。
これが、災厄の現実。
エリアーナは、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
恐怖と、絶望と、そして込み上げてくる激しい怒り。
目の前で繰り広げられる破壊と暴力に、ただ打ちのめされていた。