穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~   作:うどん小町

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第7話「黒い光の奇跡」

 エリアーナが右手を突き出した、まさにその瞬間だった。

 

 彼女の手のひらから迸ったのは、人々が聖女に期待するような暖かく清らかな光ではなかった。

 それは、まるで闇そのものが凝縮されたかのような、黒い靄――いや、影のような不定形のエネルギーだった。

 脈打つように揺らめきながら、それは明確な意志を持った生き物のように、蜘蛛の魔物に向かって一直線に伸びた。

 

「キシャアアアア!?」

 

 黒いエネルギーは、子供に振り下ろされようとしていた魔物の巨大な前脚に、音もなく絡みついた。

 次の瞬間、魔物は甲高い、耳を찢くような悲鳴を上げた。

 

 黒いエネルギーに触れた部分が、急速に色を失い、まるで炭のように黒く変じていく。

 そして、ボロボロと音を立てて崩れ始めた。

 それは浄化とは程遠い、明らかに破壊と、蝕むような苦痛を与える現象だった。

 

 魔物は残りの脚をばたつかせ、苦悶にのたうち回る。

 子供のことなど、もう目に入っていないようだった。

 

「うっ……ぁ……!」

 

 だが、その異様な光景を引き起こしたエリアーナ自身も、無事では済まなかった。

 黒いエネルギーを放った右腕から、全身へと、経験したことのないような激しい虚脱感が襲いかかったのだ。

 目の前がぐにゃりと歪み、激しい目眩と吐き気がこみ上げてくる。

 立っていることすらできず、エリアーナはその場に膝から崩れ落ちた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ……!」

 

 荒い息をつきながら、霞む視界で目の前の光景を見つめる。

 苦しみ続ける巨大な魔物。

 そして、その手前で尻餅をついたまま、こちらと魔物を交互に見比べ、恐怖に引きつった顔で呆然としている小さな女の子。

 

(……助かった……の? あの子は……)

 

 わずかな安堵が胸をよぎる。

 けれど、すぐに別の感情がそれを塗り潰した。

 

 自分の手を見る。

 あの黒いエネルギーは、確かにこの手から放たれたのだ。

 魔物をあんなにも苦しめる、おぞましい力が。

 

(ああ……やっぱり……!)

 

 エリアーナの全身を、冷たい絶望が貫いた。

 

(わたくしの力は……穢れている……!)

 

 人を癒やすどころか、醜い魔物と同じように、苦痛を与え、破壊する力。

 聖女にあるまじき、呪われた力。

 それが、自分の本質なのだと、改めて思い知らされた気がした。

 

「う……ぅ……」

 

 込み上げてくる自己嫌悪と恐怖に、エリアーナはただ蹲るしかなかった。

 助かったはずの子供の存在すら、今の彼女にとっては、自身の「穢れ」を証明する証のように思えてならなかった。

 

 エリアーナが自分の力の禍々しさに打ちひしがれていた、その時だった。

 苦しみ悶えていた巨大な蜘蛛の魔物は、黒い靄に蝕まれた部分から急速に崩壊を進め、やがてピクリとも動かなくなった。

 まるで、生命力そのものを吸い取られてしまったかのように。

 

「――聖女様っ!」

 

 切羽詰まったような、鋭い声が響いた。

 エリアーナがはっと顔を上げると、そこには息を切らせたカイウスが立っていた。

 その手には剣が握られ、鎧のあちこちには戦闘の痕跡が見える。

 どうやら、近くの魔物を片付けて駆けつけたらしい。

 

 カイウスは、目の前の光景に一瞬、言葉を失ったようだった。

 異様な姿で動かなくなった巨大な魔物。

 その傍らで呆然と座り込む小さな女の子。

 そして、地面に倒れ伏し、か細い息をしているエリアーナ。

 

「……これは、一体……」

 

 だが、カイウスの思考はすぐにエリアーナへと集中した。

 彼は魔物の残骸には目もくれず、エリアーナの元へと駆け寄った。

 

「聖女様! しっかりなさってください! ご無事ですか!?」

 

 カイウスはエリアーナの肩に手を置き、軽く揺さぶった。

 その声には、隠しようのない心配の色が滲んでいた。

 

「あ……カイウス、さま……」

 

 エリアーナはカイウスの顔を見て、恐怖と罪悪感で心がぐちゃぐちゃになった。

 見られた。

 きっと、見られてしまったのだ。

 わたくしの、この穢れた、恐ろしい力を。

 

「ごめんなさ……わたくし……言いつけを、破って……でも、あの子が……」

 

 混乱し、まともな言葉にならない。

 涙がぼろぼろと溢れ出す。

 

 カイウスはエリアーナの尋常でない消耗ぶりと、その混乱した様子、そしてすぐ傍らにある魔物の異様な亡骸を見て、瞬時に何が起こったのかを悟った。

 

(まさか……本当に、彼女が……? この魔物を、倒したというのか? あの、黒い力で……)

 

 信じられない思いと同時に、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 報告でしか知らなかった「穢れた祈り」。

 その一端を、今、目の当たりにしたのだ。

 それは、聖女の奇跡と呼ぶにはあまりにも禍々しく、危険な力だった。

 

 その時、近くで呆然としていた女の子が、カイウスの姿に気づいたのか、わっと声を上げて泣き出した。

 カイウスは鋭くそちらに視線を向けたが、すぐにエリアーナへと意識を戻した。

 

(子供の保護も必要だ。だが、今は……!)

 

 エリアーナの状態は、明らかに普通ではない。

 このままここに置いておくのは危険すぎる。

 それに、この力のことが他の者に知られれば、どうなるか……。

 

「聖女様。今は何も話さなくていい」

 

 カイウスは決断すると、エリアーナの身体を慎重に、しかし力強く抱え上げた。

 エリアーナは抵抗する力もなく、カイウスの腕の中に収まった。

 

「とにかく、ここを離れます。神殿へ戻りましょう」

 

 カイウスはエリアーナを抱えたまま立ち上がると、泣き続ける子供に一瞥をくれた。

 

(必ず後で迎えに来る、それまで無事でいてくれ)

 

 心の中でそう念じると、彼は足早に、多くの疑問と、エリアーナに対する新たな感情――それは心配か、畏怖か、あるいは、まだ名付けられない何かか――を抱えながら、神殿へと続く道を急いだ。

 残された魔物の亡骸と、泣きじゃくる子供の声を背にして。

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