穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~   作:うどん小町

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第3章:動き出す意志
第1話「暁の決意、新たな侍女」


 重い瞼を押し上げると、見慣れた自室の天井が目に映った。

 身体が鉛のように重く、昨日の出来事が悪夢のように蘇ってくる。

 下町の惨状。巨大な蜘蛛の魔物。そして……自分の手から放たれた、あの黒い力。

 

(……穢れた、力)

 

 エリアーナはぎゅっと目を閉じた。

 思い出そうとしなくても、魔物が苦しみ、崩れていく光景が鮮明に浮かび上がる。

 人を傷つけ、破壊する力。それが自分の中に眠っているという事実が、冷たい恐怖となってエリアーナの心を締め付けた。

 あの後、カイウス様に抱えられて戻ってきた記憶は断片的だが、彼が自分の力を見てしまったかもしれないという恐怖は、はっきりと残っている。

 

(わたくしは、どうなってしまうのだろう……)

 

 教会に知られれば、今度こそ本当に「異端」として断罪されるかもしれない。

 考えただけで身が竦む。

 

 しかし――。

 恐怖と同じくらい、いや、それ以上に強く、エリアーナの心には別の感情が湧き上がっていた。

 

(知らなければ……)

 

 この力の正体は何なのか。

 なぜ、自分だけがこんな力を持っているのか。

 そして、あの祈りの最中に感じた、不穏な異変は何だったのか。

 自分の力が、下町の魔物騒ぎと何か関係があるのだろうか?

 

(分からないことだらけだわ……でも、このまま何も知らずに怯えているだけなんて、もう嫌……!)

 

 昨日の出来事は恐ろしかった。けれど、同時に、ほんの少しだけ、何かが変わったような気もしていた。

 無力感に苛まれるだけでなく、自分の意志で行動を起こすきっかけになったのかもしれない。

 カイウス様の言いつけを破って外に出たこと。そして、図らずも力を発動させてしまったこと。

 それは、エリアーナにとって初めての「逸脱」であり、未知への扉を叩く行為だった。

 

(怖い……でも、進まないと)

 

 エリアーナはゆっくりと身体を起こした。

 まだ倦怠感は残っているが、昨日よりは随分とましだった。

 恐怖も罪悪感も消えない。けれど、それを抱えたまま、自分は進まなければならない。

 真実を知るために。そして、いつかこの力を……。

 

(制御、できる日が来るかは分からないけれど……)

 

 少なくとも、理解はしなければならない。

 そのために、行動を起こすのだ。

 エリアーナは固く決意を固め、ベッドから降りた。

 

 身支度を整え、いつものように扉を開ける。

 そこにはやはり、カイウスが壁に背を預けて立っていた。

 彼はエリアーナの姿を認めると、背を離し、軽く一礼した。

 

「おはようございます、聖女様。お加減はいかがですかな?」

 

 その声は、いつも通りの落ち着いたものだった。

 昨日の出来事について、何か特別な感情が込められているようには聞こえない。

 けれど、彼の鳶色の瞳は、静かにエリアーナの顔色や様子を窺っていた。

 

(……何も、言わないのね)

 

 エリアーナは内心で少しだけ驚きながらも、平静を装って答えた。

 

「おはようございます、カイウス様。……もう、大丈夫です。ご心配をおかけしました」

「それはようございました。ですが、まだご無理はなさらないように」

 

 当たり障りのない会話。

 けれど、その裏で互いが相手の真意を探り合っているような、奇妙な緊張感が漂っていた。

 カイウス様は、昨日のことをどう報告したのだろうか。そして、これからわたくしをどうするつもりなのだろうか。

 エリアーナの心は警戒心でいっぱいだった。

 

 その時、廊下の向こうから、別の足音が近づいてきた。

 神官に連れられた、エリアーナとさほど年の変わらないくらいの、明るい茶色の髪をした少女だった。

 彼女はエリアーナの前に進み出ると、快活な笑顔で溌剌と挨拶した。

 

「はじめまして、エリアーナ様! わたくし、今日からエリアーナ様付きの侍女になりました、リズと申します! どうぞ、よろしくお願いいたしますっ!」

 

 太陽のような、屈託のない笑顔。

 そのあまりの明るさに、エリアーナは一瞬、戸惑いを覚えた。

 神殿の中で、自分にこんな風に接してくる人間は、今までいなかったからだ。

 

「……え? あ、はい……わたくしは、エリアーナです。よろしく、お願いします……リズさん」

 

 戸惑いながらも、エリアーナは挨拶を返した。

 隣に立つカイウスを見ると、彼もまた、無表情ながらリズを一瞥し、その様子を観察しているようだった。

 

(新しい侍女……? なぜ、このタイミングで……?)

 

 エリアーナの胸に、新たな警戒心が芽生える。

 この少女は、本当にただの侍女なのだろうか?

 それとも……。

 

 リズはそんなエリアーナやカイウスの内心には気づかない(あるいは気づかないふりをしている)様子で、にこやかに言葉を続けた。

 

「エリアーナ様のお世話ができるなんて、光栄です! 何かご入用の際は、いつでもお申し付けくださいね!」

「は、はい……ありがとうございます……」

 

(まずは、信用してもらわないとね!)

 

 リズは内心で舌を出した。

 大神官様から直々に言い渡された任務だ。絶対に失敗はできない。

 この大人しそうな聖女様と、隣にいる目つきの鋭い騎士様。一筋縄ではいかなそうだけど、うまく取り入って、情報を引き出して見せる。リズは内心で意気込んだ。

 

 紹介を終えた神官とリズが下がっていくと、再びエリアーナとカイウスの間に静寂が戻った。

 カイウスは何も言わなかったが、彼の纏う空気が先ほどよりも少しだけ鋭くなったような気がした。

 

(あの侍女……おそらく、誰かの差し金だろうな)

 

 カイウスは内心で分析していた。

 このタイミングでの新しい専属侍女。偶然とは考えにくい。

 ゼノンか、あるいは別の誰かか。いずれにせよ、エリアーナへの監視の目が、また一つ増えたということだ。

 

(ますます、慎重に動かねばならんな……)

 

 カイウスがそう考えているとは露知らず、エリアーナもまた、一人になった後、自室で思考を巡らせていた。

 

(リズさん……気をつけないといけないわね。でも、それよりも今は……)

 

 エリアーナは窓の外を見た。

 空は青く、平和な朝に見える。

 けれど、昨日の出来事が、そして自分の内に眠る力が、それを許してはくれない。

 

(動かないと)

 

 エリアーナは決意を固めた。

 まずは情報収集だ。

 目標は二つ。

 

 一つは、神殿の禁書庫。

 そこには、古代の魔法や奇跡に関する、教会が秘匿してきた文献が眠っているという。

 自分の力の秘密に繋がる何かが、見つかるかもしれない。

 問題は、禁書庫は厳重に管理されており、入るためには特別な許可が必要なことだ。そして、カイウス様の監視をどう掻い潜るか。

 

 もう一つは、エルダー司祭様への接触。

 あの方は、古代文献の研究者であり、教会の「正統性」に疑問を持っていると噂で聞いたことがある。

 もしかしたら、わたくしの力のことを何かご存知かもしれない。

 あるいは、少なくとも、話を聞いてくれるかもしれない。

 だが、彼もまた、教会内では異端視されている可能性がある。接触すること自体にリスクが伴うだろう。

 

(どうすれば……?)

 

 エリアーナは机に向かい、羽根ペンを手に取った。

 白紙の羊皮紙に、思考を整理していく。

 禁書庫への経路、見取り図は手に入るか?

 エルダー司祭様は、普段どこにおられるのか?

 カイウス様の監視のパターンは?

 新しく来たリズさんは、信用できるのか、それとも利用できるのか……?

 

 恐怖も不安もある。

 けれど、それ以上に、真実を知りたいという渇望が、エリアーナを突き動かしていた。

偽りの聖女は、自らの意志で、動き出すための準備を始めた。

 その小さな一歩が、やがて大きな運命の歯車を回し始めることを、まだ誰も知らない。

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