穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
机に向かい、羊皮紙の上で思考を巡らせていたエリアーナの集中は、不意のノック音によって破られた。
顔を上げると、扉の外から明るい声が聞こえる。
「エリアーナ様、いらっしゃいますか? リズです! お茶をお持ちしました!」
(リズさん……もう来たの?)
エリアーナは内心で眉をひそめた。
朝の挨拶を終えたばかりだというのに、早すぎる再訪だ。
お茶なんて、頼んでもいないのに。
警戒心を抱きつつも、無下に追い返すわけにもいかない。
エリアーナは羊皮紙を素早く裏返すと(見られて困るようなことはまだ書いていないが、念のためだ)、「どうぞ」と声をかけた。
扉が開き、満面の笑みを浮かべたリズが、お茶のセットを乗せた盆を持って入ってきた。
その後ろには、当然のようにカイウスも付き従っている。彼は部屋に入ると、壁際に静かに立ち、エリアーナとリズの様子を観察する姿勢をとった。
「わぁ、やっぱりこのお部屋、少し日当たりが良くないですねー。でも、静かで落ち着くかも!」
リズは部屋の中を見回しながら、屈託なく言った。
そして、手際よくテーブルの上にお茶の準備を始める。
「よろしければ、エリアーナ様も少し休憩しませんか? ずっと何か考え事をしてらっしゃるようでしたし」
その言葉に、エリアーナはドキリとした。
見られていたのだろうか。
「……ありがとうございます、リズさん」
平静を装い、エリアーナは礼を述べた。
差し出されたカップを受け取り、温かいハーブティーの香りを嗅ぐ。
緊張で強張っていた心が、ほんの少しだけ和らぐような気がした。
リズは自分の分もお茶を淹れると、エリアーナの向かいの椅子に、許可を得る前に当然のように腰を下ろした。
その馴れ馴れしさに、エリアーナは再び内心で警戒レベルを引き上げる。
「それにしても、エリアーナ様はずっとこのお部屋に? 神殿は広いですし、たまには気分転換にお散歩とかされないんですか?」
「……あまり、外には出ませんので」
「えー、もったいないですよ! 中庭も綺麗でしたし! あ、でも、聖女様のお部屋はこの旧礼拝堂の隣ですもんね。少し離れてますし……前はどちらにいらっしゃったんですか?」
矢継ぎ早の質問。
世間話のようにも聞こえるが、明らかにエリアーナの過去や行動を探ろうとしているのが見え見えだった。
(この子は……本当に分かりやすいわね)
エリアーナは内心でため息をつきながら、当たり障りのない答えを返す。
「……以前のことは、あまり覚えておりませんの」
「あら、そうなんですか? 残念。……じゃあ、いつもは何を読んでらっしゃるんですか? さっきも何か書いてらっしゃいましたけど。難しそうな本ばかりだと、肩が凝っちゃいますよ?」
リズはエリアーナが隠した羊皮紙の方をちらりと見ながら言った。
「古い……歴史書や、聖典などを、少し……」
「へぇー! 勉強熱心なんですね! わたくしなんて、難しい本はすぐに眠くなっちゃいます」
リズはけらけらと笑う。
その無邪気な笑顔の裏に隠された意図を探ろうと、エリアーナは彼女の瞳をじっと見つめた。
けれど、リズの瞳は、ただ明るく輝いているだけで、底が見えない。
(演技が上手なのか、それとも……本当に何も考えていないのか……? いいえ、そんなはずは……)
リズはカップを置くと、ふと思い出したように言った。
「そういえば、昨日は下町が大変だったみたいですね! 魔物が出たとかで、騎士団の方々も大勢出動されたって聞きました。エリアーナ様はずっとこちらにいらっしゃったんですよね? あ、カイウス様も昨日は大変でしたでしょう? ご無事で何よりです!」
核心に触れてきた。
エリアーナは心臓が跳ねるのを感じた。
昨日のこと。下町のこと。そして、カイウス様のこと。
この侍女は、どこまで知っているのだろうか?
エリアーナが答えに窮していると、それまで黙って壁際に立っていたカイウスが、静かに口を開いた。
「侍女リズ」
その声は低く、抑揚がなかったが、部屋の空気をぴりっと引き締める響きがあった。
リズはびくりと肩を揺らし、笑顔を引きつらせながらカイウスを見た。
「は、はいっ! なんでしょうか、カイウス様!」
「お茶の準備は終わったのだろう。ならば、聖女様のお休みを妨げるべきではない。下がれ」
カイウスの言葉は、簡潔で、有無を言わせぬものだった。
それは明確な牽制だった。
「あ……は、はい! も、申し訳ありません、エリアーナ様! つい、お話が楽しくて……」
リズは慌てて立ち上がると、エリアーナに深々と頭を下げた。
その顔には、まだ笑顔が貼り付いていたが、瞳の奥には焦りの色が浮かんでいるのを、エリアーナは見逃さなかった。
「で、では、わたくしはこれで失礼します! また後でお呼びください!」
リズはそそくさと盆を手に取ると、逃げるように部屋を出て行った。
バタン、と扉が閉まり、部屋には再び静寂が戻った。
けれど、その静寂は、先ほどまでのものとは質が違っていた。
エリアーナとカイウスの間には、言葉にはしないまでも、リズという存在に対する共通の疑念と警戒心が、重く漂っていた。
エリアーナはカイウスを見た。
彼は何も言わず、ただ窓の外に視線を向けていた。
彼もまた、リズが何者なのか、そして何を目的としているのかを考えているのだろうか。
(あの侍女は、敵……? それとも……)
エリアーナは、自分の計画に新たな障害、あるいは利用できるかもしれない駒が現れたことを感じていた。
どちらにせよ、警戒を怠るわけにはいかない。
カイウスもまた、リズの言動を反芻していた。
(間違いなく、探りを入れていたな。それも、かなり直接的に。誰の指示だ? ゼノンか? それとも……)
カイウスはエリアーナに視線を戻した。
彼女は、警戒しながらも、リズの探りを上手くかわしていたように見えた。
(思ったよりも、肝は据わっているのかもしれんな。あるいは、追い詰められているからか……)
どちらにせよ、リズという存在は、エリアーナにとっても、そしてカイウスにとっても、新たな変数となった。
彼女の動きには、細心の注意を払う必要がある。
静かな部屋の中で、聖女と騎士は、それぞれの胸に新たな疑念と決意を抱きながら、見えない敵の存在を意識していた。