穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~   作:うどん小町

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第3話「動き出す影、探る騎士」

 エリアーナが眠りに落ちたのを確認した後も、カイウスはしばらく扉の前から動かなかった。

 彼女の無防備な寝顔と、昨日の力の暴発。その二つが脳裏で交錯し、重い問いとなってカイウスにのしかかる。

 だが、ただここで待っているだけでは何も解決しない。

 

(動かねば……)

 

 カイウスは決意を固め、静かにその場を離れた。

 エリアーナの部屋には最低限の結界術(気休め程度だが)を施し、万が一に備える。

 向かう先は、神殿の奥深くにある古文書保管室――通称、書庫だ。

 エルダー司祭がいるとすれば、おそらくあそこだろう。

 

 神殿の廊下は、昨日とは打って変わって落ち着きを取り戻しているように見えた。

 下町の魔物騒ぎは、騎士団の奮闘により、ひとまず鎮圧されたと聞いている。

 だが、カイウスの心は晴れなかった。根本的な解決には至っていない。災厄の根は、もっと深いところにあるはずだ。

 

 人目を避け、カイウスは普段あまり使われない回廊を選んで進んだ。

 壁に掛けられたタペストリーの模様、床の石畳の継ぎ目、窓から差し込む光の角度。あらゆるものに注意を払い、誰かに後をつけられていないか警戒する。

 

(あの侍女、リズ……やはり気になる)

 

 先ほどのエリアーナとの会話。あの馴れ馴れしさと、探るような質問。

 偶然現れたとは考えにくい。

 彼女もまた、この神殿に渦巻く何らかの思惑の一部なのだとしたら……。

 

 ふと、前方の角を曲がったところで、見慣れた侍女服の後ろ姿が一瞬見えた気がした。

 リズか?

 カイウスは咄嗟に柱の影に身を隠した。

 侍女はカイウスには気づかず、別の通路へと消えていく。

 

(……気のせいか? いや……)

 

 偶然かもしれない。だが、疑念は深まる。

 この神殿では、壁にも耳があると思った方がいい。

 カイウスはさらに警戒レベルを引き上げ、書庫へと足を速めた。

 

 古文書保管室の重厚な扉の前にたどり着く。

 扉を開けると、むわりとした古紙と埃の匂いが鼻をついた。

 高い天井まで届く書架が迷路のように立ち並び、その隙間から差し込む光の筋が、空気中の塵をキラキラと照らしている。

 迷宮のような書庫の奥深く、カイウスは目的の人物を見つけた。

 

(……おられたか)

 

 白く長い髭を蓄え、背を丸めて巨大な書物に見入っている老人がいた。

 エルダー司祭だ。

 その周囲には、解読中なのか、羊皮紙の巻物がいくつも広げられている。

 

 カイウスは音を立てないように近づき、声をかけた。

 

「エルダー司祭様、ご多忙の折とは存じますが、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか」

 

 エルダー司祭はゆっくりと顔を上げた。

 その穏やかな瞳が、カイウスを捉える。

 

「おお……これは、カイウス騎士殿。儂に何か用かな?」

 

 その口調は穏やかだったが、瞳の奥には鋭い探求の色が宿っていた。

 カイウスの突然の訪問の意図を、既に見抜いているかのようだ。

 

(やはり、ただの老司祭ではないな)

 

 カイウスは内心で気を引き締めながら、用意していた口実を述べた。

 

「は。実は、先日の下町での魔物騒ぎについて、少し気になることがありまして。過去の記録に、今回のような特徴を持つ魔物や、それによる災厄の記述がないか、お知恵を拝借したく参上いたしました」

 

「ほう……下町の件か。騎士団も大変じゃったのう」

 

 エルダー司祭は顎鬚を撫でながら、相槌を打つ。

 

「して、どのような特徴が気になったのかな?」

「……出現した魔物の種類もさることながら、その……被害の状況や、鎮圧後の魔物の亡骸の状態に、いくつか不可解な点が見られたと聞き及んでおります」

 

 カイウスは慎重に言葉を選んだ。エリアーナの力に直接言及することは避ける。

 

「ふむ……不可解な点、か。災厄というものは、常に我々の理解を超える形で現れるものじゃよ、騎士殿。過去の記録が、必ずしも現在の事象を説明できるとは限らん」

 

 エルダー司祭は、諭すような口調で言った。

 だが、カイウスはその言葉の裏に、何か別の意味が隠されているような気がした。

 

「しかし、エルダー司祭様。古代の文献には、我々の知らない知識が記されているとも聞きます。例えば……その、通常とは異なる力を持つ聖女様の記録や、あるいは、我々が『奇跡』と呼ぶものとは別の……力の側面に関する記述などは?」

 

 カイウスは、さらに踏み込んでみた。

 エルダー司祭の目が、わずかに細められた。

 

「……力、とな? ほう、騎士殿はなかなかに探求心が旺盛じゃな」

 

 エルダー司祭は、くつくつと喉の奥で笑った。

 

「力とは、光もあれば影もある。太陽があれば月もあるようにな。その両面を見なければ、本質は見えてこんよ。我々が普段目にしているのは、都合の良い片面だけかもしれんのじゃ」

 

 光と、影。

 その言葉に、カイウスは心の中で反芻した。

 エリアーナの力は、まさに「影」の側面そのものではないか?

 

「では、その『影』の力については……?」

 

「さあて、どうじゃろうな」

 

 エルダー司祭は肩をすくめた。

 

「真実というものは、時に埃をかぶった書物の片隅に、あるいは……最も厳重に閉ざされた扉の向こうに眠っているものじゃよ」

 

 閉ざされた扉――それは、禁書庫のことを示唆しているのだろうか?

 

「急いては事を仕損じるぞ、若き騎士よ。真実への道は、時に暗く、険しい。足元をよく見て進むことじゃな」

 

 エルダー司祭はそれだけ言うと、再び手元の書物に視線を落とした。

 これ以上話すつもりはない、という意思表示のようだ。

 

(……やはり、何かをご存知だ。そして、俺を試しておられる)

 

 カイウスはエルダー司祭に深く一礼した。

 

「……貴重なお言葉、感謝いたします。失礼いたしました」

 

 多くは語られなかった。だが、カイウスは確かな手応えを感じていた。

 『光と影』『閉ざされた扉』。そして、エルダー司祭自身の、エリアーナに対する暗黙の関心。

 これらは、今後の調査の重要な指針となるだろう。

 

 カイウスは書庫を出ようと、背を向けた。

 その時、高い書架の陰に、一瞬だけ、ひらりと動く影が見えたような気がした。

 

(……!)

 

 カイウスは鋭く振り返ったが、そこには誰もいなかった。

 ただ、埃っぽい空気と、無数の書物が静かに並んでいるだけだ。

 

(気のせいか……? いや……)

 

 先ほど見かけたリズの姿が脳裏をよぎる。

 もし、今の会話を聞かれていたとしたら……。

 

 カイウスは表情には出さなかったが、内心で強く警戒心を抱いた。

 この神殿では、秘密裏に行動することの難しさと危険性を、改めて認識させられた。

 それでも、彼はもう止まるつもりはなかった。

 真実へと続く、暗く険しい道を、進むしかないのだ。

 エリアーナのためにも、そして、自分自身のためにも。

 カイウスは静かに書庫の扉を閉め、次なる一手を考えながら、廊下を歩き出した。

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