穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
書物を読みふけっていたエリアーナの表情が、明らかに変わった瞬間を、カイウスは見逃さなかった。
驚き、興奮、そして強い決意。
それは、ただ古い記述に感心している者のそれではない。
何か、彼女自身の核心に触れるものを見つけた者の輝きだった。
カイウスは静かに、しかし鋭く問いかけた。
「何か、見つけられましたか、聖女様?」
その声に、エリアーナの肩がびくりと震えた。
彼女は慌てて書物から顔を上げ、カイウスを見た。
瞳にはまだ興奮の熱が残っているように見える。
「い、いえ……別に……」
エリアーナは動揺を悟られまいと、必死に平静を装った。
「ただ、その……古い時代の記述の中に、少し興味深い表現があっただけですわ。昔の人の考え方は、今とは違うのだな、と思いまして……」
言葉を選びながら、エリアーナは視線を泳がせた。
その仕草だけで、彼女が何かを隠そうとしていることは明らかだった。
「ほう、興味深い表現、ですか」
カイウスは追撃の手を緩めなかった。
彼女が何を掴んだのか、それが今後の鍵になるかもしれないのだ。
「差し支えなければ、どのような内容かお聞かせ願えませんか? 私も騎士として、過去の災厄や奇跡については一通り学んでおります。あるいは、聖女様のお考えの整理に、何かお役に立てるかもしれません」
言葉はあくまで丁寧だった。
だが、その鳶色の瞳は、獲物を見据える鷹のように、エリアーナの心の奥底を探ろうとしていた。
その強い視線に、エリアーナはたじろいだ。
この騎士には、嘘も誤魔化しも通用しないのではないか。そんな恐怖さえ感じる。
(このままでは、見透かされてしまう……)
追い詰められたエリアーナの脳裏に、ふと、ある考えが閃いた。
守ってばかりではいけない。時には、こちらも探りを入れるべきではないか?
この騎士様だって、何かを探っているはずなのだから。
エリアーナは意を決し、カイウスを真っ直ぐに見つめ返した。
先ほどまでの動揺は、不思議と消えていた。
「お詳しいのですね、カイウス様は。古い文献にも、災厄や奇跡にも」
その言葉に、今度はカイウスの方がわずかに眉を動かした。
「そういえば」と、エリアーナは続けた。
「先日も、書庫でエルダー司祭様と、随分と熱心にお話をされていましたね。何か、昔の災厄について、新しい情報でも見つかったのでしょうか?」
鎌をかけるような質問。
自分が彼の行動に気づいていたことを、あえて示唆する。
カイウスの表情は、一見すると変わらなかった。
だが、その瞳の奥に、一瞬だけ、驚きとも警戒ともつかない色がよぎったのを、エリアーナは見逃さなかった。
(……やはり、何かを探っているんだわ)
エリアーナは内心で確信を深め、さらに畳みかけた。
「それに、カイウス様こそ、禁書庫のような場所に、何かご興味がおありなのでは? 先ほども、そのようなお話をされていましたけれど」
今度は、明確な揺さぶりだ。
自分が彼の関心事に気づいていると示すことで、彼を牽制する。
カイウスは、内心で舌を巻いていた。
(見られていたのか……いつの間に? あの書庫で感じた気配は、やはり……いや、それともただの偶然か?)
この聖女、エリアーナは、カイウスが当初想定していたよりも、ずっと鋭い観察眼と、そして強い意志を持っている。
ただか弱く、怯えているだけの少女ではない。
しかし、カイウスも歴戦の騎士だ。内心の動揺を表に出すことはない。
「……騎士として、神殿内の様々な情報や知識に通じておくのは当然の務めです」
カイウスは落ち着き払った声で答えた。
「エルダー司祭とは、貴女もご存知の通り、古代文献の大家でいらっしゃる。先日の下町の件もありましたので、過去の記録について、たまたまお会いした際に、少し意見交換をさせていただいただけですよ」
あくまで、職務上の行動であり、偶然であると強調する。
「禁書庫については……その存在と、立ち入りが厳しく制限されているという噂を聞いたことがある程度です。聖女様こそ、何かご存知なのですか?」
逆に問い返すことで、カイウスは主導権を取り戻そうとした。
エリアーナはカイウスの答えを聞き、彼が簡単には尻尾を出さないことを悟った。
同時に、彼もまた、自分と同じように何かを探り、そして何かを隠していることを確信した。
(この人は……敵? それとも……?)
今はまだ、分からない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
自分たちの間には、もはや単なる監視者と被監視者という関係以上の、複雑な何かが生まれ始めている。
互いの腹を探り合い、警戒し合い、それでいて、どこか共通の目的に向かっているような、奇妙な感覚。
これ以上の探り合いは、互いにとって得策ではないだろう。
エリアーナはそう判断した。
「……いいえ、わたくしも噂を聞いただけですわ」
エリアーナがそう答えると、カイウスもそれ以上追及しようとはしなかった。
彼はふっと息をつくと、少しだけ柔らかい(ように見せかけた)口調で言った。
「……そうですか。聖女様、あまり根を詰められますと、またお身体に障ります。今日はもう、お休みになられてはいかがですかな」
それは、気遣いの言葉のようでもあり、これ以上探られるのはごめんだという意思表示のようでもあった。
「……ええ、そういたしますわ」
エリアーナも静かに頷き、読んでいた書物をそっと閉じた。
部屋には再び沈黙が訪れた。
けれど、それは以前の気まずいだけの沈黙ではない。
互いの存在を強く意識し、見えない糸で牽制し合うような、張り詰めた静寂だった。
エリアーナも、カイウスも、それぞれの胸の中で、禁書庫への道を、そして互いへの次の一手を、静かに模索し始めていた。
動き出した意志は、もう誰にも止められない。