穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
真夜中の神殿は、昼間とは全く違う顔を見せていた。
月明かりがステンドグラスを通して床に幻想的な模様を描き出す一方で、光の届かない場所には深い闇が口を開けている。
しんとした静寂の中、自分の足音だけがやけに大きく響き、エリアーナの心臓は早鐘のように鳴っていた。
(カイウス様も、リズさんも、今はきっと休んでいるはず……)
そう自分に言い聞かせながらも、エリアーナは息を殺し、壁伝いに慎重に進んだ。
昼間のうちに、記憶と限られた知識を頼りに、神殿の古い記録庫がありそうな場所の見当はつけていた。
禁書庫そのものの場所は分からないまでも、まずは神殿の構造を知るための地図や古い設計図を探し出す必要があった。
(見つかったら、終わり……。でも、行かなければ……)
恐怖と決意がないまぜになった感情が、エリアーナを前へと押し進める。
薄暗い廊下、巨大な柱の影、時折吹き抜ける冷たい風。
その全てが、エリアーナの神経を尖らせた。
目的の古い記録庫があるはずの、神殿の西棟の奥まった区画へと近づいた時だった。
曲がり角の向こうから、ゆらり、と頼りなげな灯りが近づいてくるのが見えた。
(誰かいる!?)
エリアーナは咄嗟に近くの柱の影へと身を隠した。
心臓が口から飛び出しそうだった。
神殿騎士の見回りだろうか? それとも……。
息を殺して様子を窺う。
現れた人影は、騎士ではなかった。
蝋燭の灯りを手に、ゆっくりとこちらへ歩いてくるのは、白い顎髭を蓄えた、小柄な老人。
(エルダー司祭様……!?)
なぜ、こんな時間に、こんな場所に?
驚きと疑問で混乱するエリアーナの前で、老司祭はぴたりと足を止めた。
そして、エリアーナが隠れている柱の影に向かって、静かに、しかしはっきりと声をかけた。
「おやおや……これはこれは、聖女様。このような夜更けに、どちらへお急ぎかな?」
その声は穏やかだった。けれど、エリアーナには全てを見透かされているような気がして、背筋が凍った。
隠れていても無駄だと悟り、エリアーナはおそるおそる柱の影から姿を現した。
「エルダー司祭様……。あの、わたくしは、その……」
言葉がうまく出てこない。
言い訳を探そうにも、頭が真っ白になっていた。
エルダー司祭は、そんなエリアーナを咎めるでもなく、ただ静かに見つめている。
蝋燭の灯りに照らされたその瞳は、深い知性と、そしてどこか憂いを帯びているように見えた。
「……探求心は結構なことじゃ」
老司祭はゆっくりと言った。
「若者が真実を求めるのは、自然なことじゃろう。じゃがな、聖女様。求めるものが、必ずしも心地よい真実とは限らん。時には、知らぬ方が幸せなこともあるやもしれんぞ」
その言葉は、エリアーナの心の奥底を見抜いているかのようだった。
「お主には……その先に進む覚悟は、おありかな?」
試すような、問いかけるような視線。
エリアーナは、ごくりと唾を飲み込んだ。
怖い。けれど、ここで引き返すわけにはいかない。
「……覚悟は」
震えそうになる声を、必死で抑える。
「覚悟は、できております。たとえどんな真実であろうと、わたくしは知らなければなりません。この力のことも……この世界で起きていることの、本当の理由も」
エリアーナは、エルダー司祭の目を真っ直ぐに見返して言い切った。
その瞳には、恐怖に打ち勝つだけの、強い意志の光が宿っていた。
エルダー司祭は、エリアーナの瞳をしばらく見つめた後、ふっと息をつくと、満足したように小さく頷いた。
「……よろしい」
彼は蝋燭の灯りを少し持ち上げ、エリアーナの足元を照らした。
「ならば、一つだけ、道を指し示そう。じゃが、儂にできるのはそこまでじゃ。この先は、お主自身の力で進まねばならん」
「はい……!」
エリアーナは期待に胸を高鳴らせた。
「お主が求めるものはな、聖女様……おそらく、光の当たる場所にはないやもしれん」
「光の、当たらぬ場所……?」
「うむ。最も深く、最も暗く、そして……最も永く、忘れられた場所にこそ、真実の欠片は眠っているものじゃ」
それは、明らかに特定の場所を示唆していた。
おそらくは、禁書庫のことだろう。
「じゃが、気をつけなされ」
エルダー司祭は、警告するように付け加えた。
「そこは、招かれざる者を拒む場所でもある。正当な『鍵』がなければ、その重い扉は決して開かんじゃろう」
「鍵……」
エリアーナはその言葉を繰り返した。
禁書庫へ入るには、特別な鍵が必要だというのか。
「儂に言えるのは、ここまでじゃ」
エルダー司祭は、それ以上は語ろうとしなかった。
「夜道は危険じゃ。ましてや、聖女様がお一人で出歩かれるなど、感心せん。早うお戻りなされ」
「……はい。ありがとうございます、エルダー司祭様」
エリアーナは深く頭を下げた。
直接的な助けではなかったけれど、得られたヒントは大きい。
そして何より、この神殿の中で、自分の目指すものを理解し、警告を与えてくれる存在がいるということが、エリアーナにとって大きな心の支えになった。
エルダー司祭はエリアーナに頷き返すと、蝋燭の揺らめく灯りと共に、再び闇の中へと静かに消えていった。
一人残されたエリアーナは、彼の言葉を胸の中で反芻した。
『光の当たらぬ場所』『閉ざされた扉』『鍵』。
目指すべき場所は、やはり禁書庫で間違いないだろう。
問題は、どうやってその「鍵」を手に入れ、カイウス様やリズさんの目を盗んでそこへたどり着くかだ。
道は険しい。けれど、進むべき方向は見えた。
エリアーナの心には、恐怖と共に、確かな希望の灯がともっていた。
今は一旦、部屋へ戻ろう。そして、改めて計画を練り直すのだ。
エリアーナは決意を新たに、慎重な足取りで、来た道を引き返し始めた。
闇の中、その小さな背中には、以前にはなかった確かな力が宿り始めているように見えた。