穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
あれから数日が過ぎた。
エリアーナは、カイウスが用意してくれた書物や、元々部屋にあった数少ない文献を、文字通り穴が開くほど読み返していた。
エルダー司祭の言葉――「光と影」「閉ざされた扉」「鍵」。そして、自身が発見した古文書の断片的な記述。
それらを繋ぎ合わせ、禁書庫へと至る道筋や、力の秘密に繋がるヒントを探し求めていた。
しかし、手がかりはあまりにも少なかった。
カイウスが持ってきた書物は、どれも公に認められた歴史や聖女伝であり、核心に触れるような記述は巧妙に避けられているように感じられた。
エリアーナは焦りを感じ始めていた。時間は無限にあるわけではない。災厄は今も進行しているのだ。
(どうすれば……もっと具体的な情報が欲しい……禁書庫の場所、そして『鍵』……)
机に向かい、再び羊皮紙に思考の断片を書きつけていた、そんな時だった。
控えめなノックの後、ひょっこりと顔を出したのは、侍女のリズだった。
手には、ハーブティーのポットとカップが乗った盆を持っている。
「エリアーナ様、失礼します! ちょっと休憩しませんか? ずっと根を詰めてらっしゃるみたいなので、心配になっちゃって」
その笑顔は、今日も太陽のように明るい。
しかし、エリアーナはその笑顔の裏にあるものを、既に見抜こうとしていた。
特に、このタイミングの良さ。まるで、エリアーナが行き詰っているのを見計らったかのようだ。
そして、今日はカイウス様の姿が見えない。彼は午前中、下町の復興状況の視察と騎士団への報告のため、部屋を離れていた。
(……わざと、この時を狙ってきたのね)
エリアーナは内心で呟き、警戒を強めた。
しかし、表面上は穏やかに微笑み返す。
「ありがとう、リズさん。ちょうど少し、疲れていたところですわ」
「よかった! では、淹れたてのハーブティーをどうぞ!」
リズは嬉しそうに言い、手際よくお茶を淹れると、エリアーナの隣の椅子に当たり前のように腰を下ろした。
その距離の近さに、エリアーナは少し身を引きたくなるのを堪えた。
「それにしてもエリアーナ様、本当に熱心ですね。毎日、難しい本を読んでらっしゃって」
「……少し、気になることがありまして」
「へぇー! 気になること、ですか? もし、わたくしでお役に立てることがあれば、何でも言ってくださいね!」
リズはキラキラした瞳でエリアーナを見つめる。
その瞳の奥に、鋭い好奇の色が隠されていることに、エリアーナは気づいていた。
「そんな……リズさんにご迷惑はかけられませんわ」
「迷惑だなんて、とんでもない! エリアーナ様のお役に立てるなら、侍女として本望ですよ!」
リズはわざとらしく胸を張ってみせる。
そして、ふと声を潜め、秘密を打ち明けるような仕草でエリアーナに顔を近づけた。
「……実はですね、エリアーナ様。ここだけの話なんですけど……」
「……?」
「私、ちょっと前に、神殿の古い倉庫……普段は誰も入らないような場所の整理を手伝わされたことがあるんですよ」
エリアーナは息を呑んだ。
来る、と思った。
「その時、棚の一番奥~の、埃まみれの箱の中から……なんだか、すごく古ーい神殿の地図みたいなのを見たような気がするんですよねー」
リズは、まるで今思い出したかのように、小首を傾げてみせる。
「普通の地図じゃなくて、なんていうか、もっとこう……秘密の通路とか、昔の建物とかが描いてあるような……? ちょっと見ただけだから、よく覚えてないんですけど」
(地図……! 古い神殿の地図……!)
エリアーナの心臓が、大きく音を立てて跳ねた。
禁書庫の場所を示すかもしれない、まさに探し求めていたもの。
喉から手が出るほど欲しい情報だった。
しかし――。
(罠よ……きっと……)
冷静になろうと、エリアーナは自分に言い聞かせた。
あまりにも都合が良すぎる話だ。
このタイミングで、この侍女が、そんな重要な情報を「偶然」思い出すなんて。
これは十中八九、大神官ゼノンが仕掛けた罠だ。
自分を禁書庫へとおびき寄せ、何かを企んでいるに違いない。
(でも……もし、万が一、本当だったら……?)
疑念と共に、抗いがたい誘惑がエリアーナの心を揺さぶる。
この情報がなければ、禁書庫への道は閉ざされたままだ。
危険を冒してでも、この蜘蛛の糸に……いや、蛇の誘いに乗るべきなのか?
「……へえ、古い地図、ですか」
エリアーナは、声が震えないように、細心の注意を払って言った。
内心の激しい葛藤を、リズに悟られてはいけない。
「それは……興味深いですね。神殿の歴史を知る上で、貴重な資料かもしれませんわ」
あくまで、学術的な興味として受け流す。
「ですよねー! 私もそう思ったんですけど、どこにしまったか忘れちゃって……」
リズは残念そうに肩をすくめた。
その仕草も、計算された演技にしか見えなかった。
「もし、その地図がどこにあるか、また思い出したら……教えていただけますか? 少し、見てみたい気もしますので」
エリアーナは、できるだけ自然な口調で言った。
直接的に「探してほしい」とは頼まない。
あくまで、情報提供を待つ姿勢を示すことで、相手に主導権を渡さないように。
リズは、エリアーナのその反応に、一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに満面の笑顔に戻った。
(ふーん、思ったより慎重なのね。でも、食いついてきたことには変わりないわ)
リズは内心でほくそ笑んだ。
「もちろんです! 思い出したら、真っ先にエリアーナ様にお知らせしますね! 絶対ですよ!」
リズは力強く頷くと、「では、お茶のお代わりはいかがですか?」などと、再び他愛のない話に戻ろうとした。
エリアーナは、「もう結構ですわ」と静かに断り、意識的に距離を取った。
リズは少し残念そうな顔をしたが、それ以上は深追いせず、「では、また後で参りますね!」と言い残し、笑顔で部屋を辞去していった。
パタン、と扉が閉まり、部屋には再びエリアーナ一人だけが残された。
彼女は、リズが置いていったハーブティーのカップを、複雑な思いで見つめていた。
(あの地図……どうすればいいの……?)
リズの言葉は、明らかに罠の匂いがした。
大神官ゼノンが、自分を禁書庫へとおびき寄せようとしているのだろう。
そこには、どんな危険が待っているか分からない。
だが、同時に、禁書庫への道が、すぐそこまで来ているような気もしていた。
手を伸ばせば、真実に触れられるかもしれない。
このまま何もせずにいれば、何も変わらない。
(危険を冒してでも、進むべき……? それとも……)
エリアーナは、重い決断を迫られていた。
リズが囁いた甘い誘惑と、その裏に潜むであろう深い闇。
どちらを選ぶべきか、彼女は一人、深く悩み始めた。
カイウス様がいない今、相談できる相手もいない。
全ては、自分自身の判断に委ねられていた。