穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
リズが残していった「古い地図」の言葉は、甘い毒のようにエリアーナの心に染み込んでいた。
罠だ。きっと、大神官ゼノンが仕掛けた巧妙な罠に違いない。
そう頭では理解していても、禁書庫への道が開けるかもしれないという期待を、完全に捨て去ることができなかった。
(もし、あの地図が本物だったら……? わたくしの力の秘密が、本当にそこに……?)
他に手がかりは何もない。エルダー司祭様の言葉も、禁書庫の存在を示唆してはいたけれど、具体的な場所や入る方法は教えてくれなかった。
このまま待っていても、状況は何も変わらないのではないか。
(危険なのは分かっているわ……でも……)
エリアーナは机に向かい、何度も考えを巡らせた。
リズの言葉に乗るリスク。しかし、何もしないでいることのリスク。
どちらが大きいというのだろうか。
答えは、出なかった。
けれど、エリアーナの中で、一つの確かな思いが形になっていった。
(どちらにしても、わたくし自身が動かなければ、何も始まらない)
地図が罠であろうとなかろうと、禁書庫へは行かなければならない。
自分の力の正体を知るために。そして、この理不尽な運命に抗うために。
決意は、固まった。恐怖よりも、真実への渇望が勝ったのだ。
問題は、どうやってカイウス様とリズさんの目を盗むかだ。
昼間は常に監視の目が光っている。行動を起こすなら、夜しかない。
神殿が寝静まり、警備の目も多少は緩むであろう、深夜。
エリアーナは、その後の時間を平静を装って過ごした。
カイウス様が持ってきてくれた書物を読み返し、リズさんが持ってくるお茶を飲み、当たり障りのない会話をする。
けれど、その間もずっと、頭の中では禁書庫への経路と、脱出のタイミングを計算していた。
神殿の構造は完全には分からない。だが、昼間のうちにカイウス様に頼んで見せてもらった(もちろん、別の理由をつけて)神殿の公式な案内図や、これまでの記憶の断片を繋ぎ合わせ、おおよその見当はつけていた。
一方、カイウスもまた、エリアーナの様子を注意深く観察していた。
今日の彼女は、どこか落ち着かない様子を見せながらも、その瞳の奥には昨日とは違う、硬質な決意の光が宿っているように見えた。
昼間の会話での禁書庫への反応、そしてリズの不審な動き。
それらがカイウスの中で繋がり、一つの予測を生んでいた。
(……動く気だな。それも、おそらくは今夜)
カイウスは、自身の休憩時間を返上し、今夜は一睡もしない覚悟を決めた。
エリアーナの部屋の前の監視を強化することはもちろん、リズの動向にも注意を払う必要がある。
そして、自分自身も動く準備を整えなければならない。エルダー司祭への再接触、禁書庫に関する独自調査……。
時間は限られている。
やがて、神殿に夜の帳が下り、深い静寂が訪れた。
エリアーナはベッドの中で、毛布を頭まで被り、息を殺していた。
扉一枚隔てた向こうにいるカイウス様の気配。時折、廊下を巡回する警備の兵士の足音。
それらが遠のき、神殿全体が深い眠りについたと思われる時間。
エリアーナはそっと身体を起こした。
心臓が早鐘のように鳴っている。
でも、もう迷いはなかった。
音を立てないように慎重にベッドから降り、夜陰に紛れやすい濃い色のショールを羽織る。
懐には、護身用というにはあまりに頼りない、小さな果物ナイフを忍ばせた。気休めにしかならないだろうけれど、それでも何もないよりはましだ。
そして、昼間に隠しておいた小さな灯り(蝋燭と火打ち石)を手に取る。
準備はできた。
エリアーナは深呼吸を一つすると、祈るような気持ちで私室の扉へと近づいた。
そっと耳を当て、外の気配を探る。
……静かだ。カイウス様は、眠っているのだろうか? それとも、気づかれずに待機しているのだろうか?
分からない。けれど、もう進むしかない。
エリアーナは、ほんのわずかに、音も立てずに扉を開けた。
月明かりが差し込む、薄暗い廊下。
左右を確認し、誰もいないことを確かめる。
そして、エリアーナは猫のようにしなやかな足取りで、部屋の外へと滑り出した。
冷たい石の床を踏みしめる。
孤独で、危険な探求が、今、再び始まった。
目指すは、神殿の最深部。真実が眠るという、禁書庫。
その重い扉を開ける「鍵」が何なのかも分からぬまま、彼女はただ、自らの意志を頼りに、闇の中へと歩みを進めていった。