穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~   作:うどん小町

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第12話「交差する影」

 一歩、また一歩。

 エリアーナは、闇に溶け込むように神殿の廊下を進んでいた。

 月明かりは頼りなく、懐から取り出した小さな蝋燭の灯りが、足元とすぐ前の壁をぼんやりと照らすだけだ。

 心臓の音が、やけに大きく耳に響く。

 自分の息遣いさえ、誰かに聞かれてしまうのではないかと恐ろしかった。

 

(大丈夫……まだ誰にも気づかれていないはず……)

 

 昼間とは全く違う、夜の神殿。

 静寂が支配しているようでいて、注意深く耳を澄ませば、様々な音が聞こえてくる。

 遠くで響く、規則正しい警備の兵士の靴音。

 建物のどこかが、風を受けて軋む音。

 そして、自分のすぐ後ろをついてくるような、気のせいかもしれない衣擦れの音。

 

(落ち着かないと……)

 

 エリアーナは壁に背をつけ、一度立ち止まって呼吸を整えた。

 恐怖で感覚が過敏になっているのかもしれない。

 けれど、同時に、昼間には感じなかった何かも感じ取っている気がした。

 空気の淀み、微かな魔力の残滓、そして……あの不穏な気配がした方角へと、自分を導く何か。

 

(エルダー司祭様の言っていた、「光の当たらぬ場所」……)

 

 昼間に確認した案内図の記憶と、この奇妙な感覚を頼りに、エリアーナは神殿のより深く、古く、そして普段は人の立ち入らない区画へと進んでいった。

 空気は次第に埃っぽくなり、壁に掛けられたタペストリーの色も褪せている。

 ここは、長い間、忘れられていた場所なのだ。

 

 

 そのエリアーナの姿を、カイウスは少し離れた場所から、音もなく追っていた。

 騎士としての訓練で培われた隠密行動は、彼の存在を完全に闇に溶け込ませていた。

 

(やはり、この区画か……)

 

 カイウスはエリアーナが進む方角を見て、眉をひそめた。

 ここは神殿の最奥部。古文書保管室よりもさらに奥。

 言い伝えによれば、禁書庫はこの区画のどこかにあるとされている。

 

(本当に一人で行くつもりか、あの方は……!)

 

 その無謀さに、カイウスは苛立ちに近い感情を覚えた。

 だが、同時に、彼女を突き動かすものの強さも感じていた。

 あの力の謎、自身の運命……それを知りたいという渇望が、恐怖を上回っているのだろう。

 

(どこまで行かせるか……。禁書庫の前には、何らかの防御機構があるはずだ。それに触れる前に介入すべきか……?)

 

 カイウスは慎重に距離を詰めながら、介入のタイミングを計っていた。

 エリアーナの安全確保が最優先だ。しかし、彼女が何をしようとしているのか、可能な限り見極めたいという思いもある。

 

 ふと、カイウスは背後に微かな気配を感じて、動きを止めた。

 気のせいか?

 いや、違う。

 明らかに、自分たちの他に、もう一つ……あるいは複数か?……何者かの気配がする。

 

(……リズか? それとも、ゼノンの手の者か?)

 

 カイウスは内心で舌打ちした。

 やはり、見られていたか。

 状況は、カイウスが考えていたよりもさらに複雑で、危険かもしれない。

 今はエリアーナから目を離せないが、背後の気配にも最大限の警戒を払わなければならない。

 

 

 一方、エリアーナは、自分が目的地に近づいていることを、肌で感じていた。

 空気が変わったのだ。

 古びた書物の匂いに混じって、濃密な、古い魔力の気配が漂い始めている。

 それは、少しだけ、自分の内にある力と共鳴するような、不思議な感覚だった。

 

(この先……!)

 

 長い廊下の突き当たりに、エリアーナは一つの扉を見つけた。

 周囲の壁とは明らかに違う、黒曜石のような、あるいは未知の金属でできたような、重厚で巨大な扉。

 月明かりも蝋燭の灯りも、その表面に吸い込まれるようで、装飾らしい装飾もないのに、圧倒的な存在感を放っている。

 扉には、鍵穴らしきものも見当たらない。

 

(ここが……禁書庫……?)

 

 エルダー司祭の言った「閉ざされた扉」は、きっとこれだ。

 エリアーナは、ごくりと唾を飲み込んだ。

 どうすれば、この扉を開けられるのだろうか。「鍵」とは一体……?

 

 夢中で扉に近づこうとした、その瞬間だった。

 

 ぞくり、と。

 エリアーナの背筋を、悪寒が駆け上った。

 すぐ後ろに、あるいはすぐ近くの物陰に、誰かがいる。

 それは、カイウス様の気配ではない。もっと冷たく、粘りつくような……。

 

(誰……!?)

 

 エリアーナは息を呑み、その場で凍りついた。

 振り返ることも、声を上げることもできない。

 心臓が、張り裂けそうなほど激しく脈打つ。

 

 闇の中で、エリアーナは一人ではなかった。

 真実への扉を前にして、彼女は未知の脅威と対峙しようとしていた。

 張り詰めた静寂の中、何かが起ころうとしている。

 その予感が、夜の神殿の空気を震わせていた。

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