穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~   作:うどん小町

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第14話「リズの誘惑」

「持ち場へ戻れ。これは命令だ」

 

 カイウスの低く、威圧感を込めた声に、しかしリズは臆するどころか、楽しそうに肩をすくめてみせた。

 まるで、怖いもの知らずの子供のように。

 いや、その瞳の奥に宿る冷たい光は、決して子供のものではなかった。

 

「あら怖い。でも、騎士様に命令される覚えはありませんけど?」

 

 リズはくすくすと笑い、カイウスの言葉を真っ向から拒絶した。

 その不遜な態度に、カイウスの纏う空気がさらに冷たく、鋭利なものへと変わっていく。

 剣の柄に置かれた彼の手に、力が込められるのがエリアーナにも分かった。

 一触即発。

 二人の間に、見えない火花が散っているかのようだ。

 

 エリアーナは、ただ息を詰めて二人を見守ることしかできなかった。

 カイウス様が怒っている。自分のために? それとも、任務を妨害されたから?

 そして、リズさんは一体何を考えているの?

 

 カイウスは、ゆっくりと口を開いた。その声は、先ほどよりもさらに低く、静かだったが、込められた怒りと警告は明らかだった。

 

「……ならば、聞き方を改めよう。聖女エリアーナ様に、これ以上近づくな。害意ありと見なせば、実力をもって排除する。それが聖女付き騎士としての、私の権限であり、任務だ」

 

 それは、最後通告だった。

 騎士としての覚悟を乗せた、重い言葉。

 普通の侍女ならば、震え上がってその場に崩れ落ちてもおかしくないほどの気迫が、カイウスから放たれていた。

 

 しかし、リズは――笑った。

 楽しそうに、声を立てて。

 

「まぁ怖い! 騎士様ったら、本気なんですねぇ」

 

 彼女は芝居がかった仕草で胸に手を当てると、くるりとエリアーナに向き直った。

 

「でも、騎士様、勘違いなさらないで? 私はエリアーナ様の『味方』ですよぉ?」

 

 その言葉に、エリアーナはびくりとした。味方? この人が?

 

「ねぇ、エリアーナ様」

 

 リズは甘えるような声で続けた。

 

「こんな怖い騎士様より、私の方がずっとお役に立てると思いません? だってエリアーナ様……この扉を開けたいんでしょう?」

 

 核心を突く言葉。

 エリアーナは息を呑んだ。なぜ、わたくしの目的を……!?

 

 リズは、エリアーナの動揺を見て、満足そうに笑みを深めた。

 

「実はね」

 

 彼女は声を潜め、悪魔が囁くように続けた。

 

「この、いかめしい扉を開ける『鍵』のこと……私、少しだけ、知ってるんですよぉ」

 

「……鍵……!?」

 

 エリアーナの心臓が、大きく跳ねた。

 エルダー司祭様も言っていた「鍵」。

 それを、このリズさんが知っているというのか?

 

(罠よ……罠に決まっているわ……!)

 

 頭の中では、警鐘が鳴り響いている。

 これは、大神官ゼノンが仕掛けた罠だ。

 この甘い言葉に乗ってはいけない。

 

(でも……もし……もし本当なら……?)

 

 他に手がかりは何もないのだ。

 禁書庫へ入るための、唯一の道が、今、目の前に示されているのかもしれない。

 エリアーナの心は、恐怖と期待の間で激しく揺れ動いた。

 

 リズは、そんなエリアーナの葛藤を見透かすように、さらに畳みかけた。

 

「どうです? この扉を開ける秘密、知りたくないですか? もし知りたかったら、私と『協力』しませんこと?」

 

 リズはエリアーナに手を差し伸べるような仕草をする。

 

「もちろん、大神官様には内緒の、私たちだけの秘密ですよ?」

 

 協力――その言葉の響きは、あまりにも甘美で、そして危険だった。

 エリアーナが答えに窮し、リズの誘惑に心が傾きかけた、その時だった。

 

「戯言はそこまでにしろ、毒蜘蛛め」

 

 カイウスが、エリアーナの前に立ちはだかるように進み出て、リズの言葉を鋭く遮った。

 その瞳には、燃えるような怒りと、エリアーナを守ろうとする強い意志が宿っていた。

 

「聖女様が、貴様のような者と協力することなど、万が一にもありえん」

 

 きっぱりとした、拒絶の言葉。

 カイウスはリズを睨みつけながら、動揺しているエリアーナの手を掴んだ。

 その手は、驚くほど温かかった。

 

「聖女様、行きますぞ」

 

 カイウスはエリアーナの手を引き、あるいは腕を支え、この危険な場所から彼女を連れ出そうとした。

 彼の行動は、迷いがなく、エリアーナを守るという明確な意志に貫かれていた。

 

 リズは、カイウスのその行動に一瞬だけ目を細めた。

 計画通りではなかったのかもしれない。

 だが、すぐにいつもの、しかし今はどこか不気味に見える笑顔を浮かべた。

 

「あらあら、残念」

 

 彼女はあっさりと道を開け、二人を見送る体勢をとった。

 

「せっかく『手助け』して差し上げようと思ったのに。……まあ、いいですわ」

 

 リズは肩をすくめ、まるで舞台女優のように芝居がかった口調で言った。

 

「気が変わったら、いつでもどうぞ? 鍵のことで、何か思い出したら、またお教えしますから」

 

 その言葉を残し、リズは不気味な笑顔を浮かべたまま、闇の中へと溶けるように姿を消した。

 

 カイウスはリズが完全にいなくなったことを確認すると、改めてエリアーナに向き直った。

 彼女はまだ動揺から立ち直れず、カイウスの腕に僅かに体重を預けていた。

 

「……大丈夫ですか、聖女様」

「は、はい……ありがとう、ございます……カイウス様……」

 

 エリアーナはか細い声で礼を言った。

 カイウスに守られたことへの安堵と、リズの言葉がもたらした混乱と、そして禁書庫への道が再び閉ざされた(あるいは、より危険になった)ことへの複雑な思いが、彼女の中で渦巻いていた。

 

 カイウスはエリアーナを支えながら、禁書庫の重々しい扉を振り返った。

 あの扉の向こうに、真実がある。

 そして、それを手に入れようとする者を阻む、深い闇と陰謀がある。

 リズの囁いた「鍵」という言葉が、重くカイウスの心にも響いていた。

 

「……戻りましょう。ここは危険です」

 

 カイウスはエリアーナを促し、警戒を解かぬまま、静かにその場を後にした。

 禁書庫の扉は、固く閉ざされたまま、二人の背後で沈黙を守っていた。

 動き出した意志は、しかし、ここで止まるわけにはいかない。

 新たな決意と、深まる謎を抱えて、二人は闇の中へと戻っていった。

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