穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~   作:うどん小町

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第2話「旅立ちの朝」

 まだ深い闇が支配する、夜明け前の時間。

 エリアーナは、ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。

 興奮と、それ以上に大きな不安が、彼女の心を支配していたからだ。

 今日、わたくしは神殿の外へ出る。カイウス様と共に、あの「沈黙の碑」へ。

 

(大丈夫……きっと大丈夫……)

 

 そう何度も自分に言い聞かせながら、エリアーナはカイウスの指示通り、出発の準備を始めた。

 聖女の装束ではなく、侍女が普段着るような、地味な灰色の麻のローブと、顔を深く隠せるフード。

 これならば、街中で人目につくことも少ないだろう。

 小さな革袋には、わずかな水と干し肉、灯り、そして護身用の小さなナイフを詰めた。

 準備を終え、鏡に映る自分の姿を見る。そこにいるのは、聖女エリアーナではなく、どこにでもいるような、ただの地味な娘だった。それが少しだけ、エリアーナの心を軽くした。

 

(よし……行こう)

 

 意を決し、部屋の扉に手をかけた、まさにその時だった。

 

「あら、エリアーナ様。おはようございます! こんなに早くからどうされたんですか?」

 

 扉の外から、能天気なほど明るい声が聞こえた。リズさんだ。

 エリアーナは心臓が跳ねるのを感じ、咄嗟に扉から手を離した。

 

(なぜ、この時間に……!?)

 

 まさか、もう気づかれたのだろうか?

 エリアーナが動揺していると、リズは遠慮なく扉を開けて部屋に入ってきた。

 そして、旅支度のようなエリアーナの姿を見て、ぱちくりと目を瞬かせた。

 

「まあ! そのお召し物は? どちらかへお出かけですか?」

 

 その問いかけは無邪気なようでいて、明らかに探るような響きを帯びていた。

 エリアーナは必死に平静を装い、カイウス様と打ち合わせておいた(というより、エリアーナが咄嗟に考えた)言い訳を口にした。

 

「……おはようございます、リズさん。実は、少し体調が優れなくて……。カイウス様にお願いして、朝の清浄な空気の中で、少し祈りを捧げようかと思いまして……。人目につかないように、この格好をしているだけですわ」

 

 我ながら、苦しい言い訳だと思った。

 だが、リズは「へぇー、そうなんですかぁ」と、妙に納得したような、していないような、曖昧な相槌を打った。

 

「カイウス様も大変ですねぇ、聖女様のお世話は。でも、お祈りで気分が良くなられるといいですね!」

「……ええ、ありがとうございます」

 

 リズの笑顔は完璧だった。けれど、その瞳の奥は笑っていない。

 エリアーナにはそれが分かった。彼女は疑っている。絶対に。

 

「では、わたくしはお邪魔にならないように、これで失礼しますね。お大事になさってください!」

 

 リズはそう言うと、意味ありげな視線をちらりとエリアーナに残し、部屋を出て行った。

 その足音が遠ざかるのを聞きながら、エリアーナは大きく息を吐いた。

 

(……行かれたわ。でも、きっと大神官様に報告に行くに違いない……急がないと!)

 

 エリアーナは急いで扉を開け、廊下へ出た。

 そこには、既にカイウスが待っていた。

 彼もまた、目立たない濃い色の外套を羽織り、フードを目深にかぶっていた。腰の剣だけが、彼の身分を物語っている。

 扉越しに、先ほどのリズとのやり取りを聞いていたのだろう。彼の表情は硬く、引き締まっていた。

 

「……行くぞ」

 

 カイウスは短くそれだけ言うと、エリアーナを促し、歩き出した。

 二人は言葉を交わさず、息を潜めて夜明け前の神殿を進む。

 目指すは、昨夜エリアーナが一人でたどり着いた、裏手の通用門だ。

 

 カイウスは先導しながらも、常に周囲の気配を探っていた。

 角を曲がる前、長い廊下に出る前には必ず立ち止まり、安全を確認する。

 その慎重で無駄のない動きは、熟練した騎士そのものだった。

 エリアーナは、彼の背中を必死で追いながら、その頼もしさに少しだけ不安を忘れかけていた。

 

 時折、遠くで警備の騎士の足音が聞こえたり、早起きの神官の咳払いが聞こえたりするたびに、二人は物陰に身を潜め、息を殺した。

 心臓が早鐘のように打ち、冷や汗が背中を伝う。

 まるで、罪人のように神殿から逃げ出そうとしている自分たちが、エリアーナにはおかしくも、そして悲しくも思えた。

 

 長い時間が経ったように感じられたが、ようやく二人は目的の通用門にたどり着いた。

 カイウスは周囲に人の気配がないことを再度確認すると、音を立てずに門の閂を外し、扉をわずかに開けた。

 

 外には、ひんやりとした朝靄が立ち込めていた。

 木々の梢が白み始め、鳥たちのさえずりが聞こえ始める。

 神殿の中とは全く違う、生命の息吹に満ちた空気が、エリアーナの頬を撫でた。

 

「……行きます」

 

 カイウスはエリアーナに短く告げると、先に門の外へ出た。

 エリアーナも、ごくりと唾を飲み込み、意を決して彼の後に続いた。

 

 神殿の敷地から、一歩外へ。

 足元には、柔らかな土の感触。

 鼻腔をくすぐる、湿った草と土の匂い。

 遠くで聞こえる、王都の目覚めの音。

 

 エリアーナにとって、それは生まれて初めて触れる、本当の意味での「外の世界」だった。

 不安はある。恐怖もある。

 けれど、それ以上に、未知への期待と、閉ざされた鳥籠から飛び出したような、微かな解放感が、彼女の胸を満たしていた。

 

「こちらです」

 

 カイウスは振り返ることなく、西の森へと続く道を示した。

 彼の背中は大きく、頼もしく見えた。

 しかし、カイウス自身は、森の入り口に視線を向けながら、内心で警戒を怠っていなかった。

 

(追手は……まだ来ていないか。だが、時間の問題だろう)

 

 リズの報告を受けたゼノンが、黙って二人を行かせるとは思えない。

 この森の中で、何かが待ち受けている可能性は高い。

 

 カイウスはエリアーナを庇うように半歩前に立ち、腰の剣の柄を握りしめた。

 聖女と騎士の、危険な旅が、今、始まった。

 朝靄の立ち込める静かな森は、これから起こるであろう波乱を予感させるように、深く、そして不気味に広がっていた。

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