穢れた祈りの聖女 ~偽りの救世主と蔑まれた私が、滅びゆく王国で唯一真実の奇跡を紡ぐ~ 作:うどん小町
扉の向こうで聞こえた小さな物音に、カイウスは意識を集中させた。
間違いない。エリアーナが目を覚ました気配だ。
カイウスは壁から背を離し、扉に近づくと、落ち着いた声で呼びかけた。
「聖女様、お目覚めですか? ご気分はいかがですかな?」
数瞬の間の後、扉の内側から少しくぐもった声が返ってきた。
「……はい。もう、大丈夫です、カイウス様」
大丈夫、という言葉とは裏腹に、その声にはまだ疲労の色が滲んでいるのをカイウスは聞き逃さなかった。
やはり、先ほどの祈りの消耗は相当なものだったのだろう。
(消耗しているのは間違いない。だが、本人はそれを認めようとはしないか……)
カイウスは内心で分析しながら、次の言葉を用意した。
情報を得るためには、状況を変える必要がある。
「さようでございますか。それはようございました」
カイウスはまず、当たり障りのない返答をした。
そして、少し間を置いてから、本題を切り出した。
「もしよろしければ、聖女様、少し気分転換に神殿の庭園を散策されてはいかがでしょう。今日は気候もよろしいようですし」
提案は、できるだけ自然に聞こえるように、穏やかな口調を心がけた。
「この部屋に籠もりきりでは、気も滅入るでしょうから」
もちろん、付け加えるべき言葉は忘れない。
「もちろん、私がご一緒させていただきますが」
扉の向こうが、しん、と静まり返った。
明らかに、エリアーナが戸惑っている気配が伝わってくる。
(……驚いたか? それとも、何か裏があると警戒しているか……)
カイウスはエリアーナの反応を待った。
彼女がこの提案をどう受け止めるか。それ自体が、重要な観察対象だった。
*
(庭園の……散策……?)
扉の向こうからの予期せぬ提案に、エリアーナは言葉を失っていた。
カイウス様が、なぜ急にそんなことを言い出したのだろう?
(わたくしの様子を探るため? それとも、何か他に目的が……?)
疑念が次々と湧き上がってくる。
この騎士様は、ただの監視役ではない。
それはもう分かり始めていた。
彼の行動には、きっと何か裏があるはずだ。
(でも……)
同時に、エリアーナの心には、別の感情も芽生えていた。
(外の、空気……)
この部屋と、あの古い礼拝堂。
それが、ここ最近のエリアーナの世界の全てだった。
最後に神殿の庭を歩いたのは、いつだっただろうか。
季節の花が咲いているだろうか。
風の匂いは、どんなだっただろうか。
(少しだけ……ほんの少しだけなら……)
閉塞感に満ちた日常の中で、その提案は、まるで小さな窓が開かれたかのように感じられた。
けれど、その窓の向こうに何があるのか分からない。
手を伸ばすべきか、それとも、固く閉ざされたままにしておくべきか。
(この人の提案に乗っても、大丈夫かしら……?)
カイウスの真意が見えない以上、軽率な行動は慎むべきだ。
でも、心のどこかで、外の世界に焦がれる気持ちも否定できなかった。
「……聖女様?」
扉の向こうから、カイウスの静かな声が再びかかった。
返事を、しなければならない。
エリアーナは迷いながら、ゆっくりと口を開こうとした。
その答えは、まだ彼女自身の中にも定まっていなかった。