夜のアビドス高校、静まり返った校舎の一室。最低限の明かりの中──悠仁は、正座していた。いや、させられていたと云ったほうが正しいだろう。顔は俯いて、心做しか肩が揺れている。冷や汗も垂らしている。
そんな姿とは反対に、疲労と怪我で寝込んだセリカを除いた対策委員会の面子の表情は怒りを通り越して怖い笑みを浮かべて悠仁を見据えた。ホシノは腕を組んで、仁王立ち。シロコは悠仁の隣に経って見下ろす。
ノノミとアヤネは、表情こそ柔らかい。けれど、その目は明らかに怒っていた。廊下に通ずる扉は閉じられ、窓も閉まっている。
悠仁の逃げ道は既に絶たれている。居たたまれなくなった悠仁は静寂を切り裂いた。
「……えっとぉ、ホシノさん。態々移動してまでまた正座は……」
「黙ろうね、先生。 なんで独断で救出したのかな?」
切り裂いて、被せられた。もはや異論は認められないらしい。
「ちょっと、周りが見えてなくて…」
「先生。セリカちゃんが大事なのは分かるけど〜、それはみんな同じだよ。どうして、言ってくれなかったの?」
「…ごもっともです、ごめんなさい!」
ホシノの鋭い眼光が悠仁を射抜く。余りの威圧に悠仁はかつての仲間を幻視して、咄嗟に謝罪を決め込んだ。いつまでも縮こまる悠仁を見て、ホシノは気持ちを沈めた。セリカを救出するために動いてくれた──その事実は、変わらないからだ。
反省の色もあったため、ホシノは深い溜息を吐いて表情が和らいだ。
「次は無いからね、先生」
「…はい」
これで一件落着…だが、お帰りもお礼も言えてないことに気がついて、頬を掻きながらホシノは頭を下げた。
「先生。対策委員会を代表して、お礼を言わせてよ。ありがとう、セリカちゃんを助けてくれて」
「大事な生徒だから、当然だって。みんなも、ごめんな」
「もう大丈夫ですよ、ちゃんと反省してくれたんですから☆」
「ん、先輩たちが良いなら私も許す。だけど、ちょっと怒ってるから、後でツーリングの刑」
「お、おう…そんなんでいいなら」
頬を引き攣らせた悠仁は、何kmコースやるんだろうと慄いた。趣味で30kmも走る彼女のことだ、きっと想像も出来ない距離を走らされるのだろう。……考えるのはやめておこう。
「アヤネちゃんも、それでいいかな?」
「…え、あ、はい。大丈夫です」
何かを考えていたアヤネは取り繕って、慌てて笑みを零す。一瞬だけ作ったあらゆる感情が入り乱れた複雑な感情を纏っていたのを、ホシノと悠仁は見逃さなかった。
しかし、其れを指摘することは無い。
「じゃあ、一先ずはセリカちゃんが起きるまで、今日はアビドスでお泊まり会だね〜」
ホシノが場の空気を変える。いつもの眠たげな彼女がそこに居て、「私はもう眠いよぉ〜」と宣った。緊張の糸が解けたのか、或いはセリカが無事に帰ってきてくれゆえの安堵か。
悠仁に怪我も無く、ようやく安心して寝られる。そんな雰囲気を出すホシノに、悠仁は肩を落としつつも、少しだけ笑みを浮かべた。怒られた。それでも──信頼されている。
それが、何よりも嬉しくて。セリカが目覚めるまで、悠仁は彼女達とは別室で過ごした。同じ部屋を誘われたが、流石に女子高生と一緒は不味いだろうと考えてやんわり断った。
ちなみにシロコは不満げに悠仁を見ていたとか居なかったとか。
⬛︎
ふと、セリカは目を覚ました。
最初に目に映ったのは白い天井。そして、ベッドの感触。シャンプーの匂いが香る部屋……視線を横に流せば、ホシノ達がパジャマ姿で寝入っている姿を捉えた。
記憶の整合性を確かめるように、探っていくと記憶の前後が繋がる。ようやくここがアビドスの保健室だと察した瞬間、セリカはそっと起き上がった。
「……よかった」
それは、安堵の声。小さく呟いただけの其れは、今のセリカが抱える万感の思いだった。無事に帰って来れていた…いや、悠仁が来てくれた時点で助かったも同然だろう。
死んだように仰向けで眠るシロコ、横になって眠るノノミとアヤネ、俯せで枕を抱えているホシノ。六つ並んだベッドの上で寝息を立てる彼女たちを、嬉しそうに眺めて、シーツをなるべく乱さないよう、ゆっくりとベッドの上から降りて、保健室を後にした。
セリカは保健室に居なかった悠仁を探すために教室を探索したが、姿が見えない。端末に表示される時刻は真夜中、虫の鳴き声が優しく包み込む廊下を早足で進むも、一向に悠仁の気配がなかった。
「どこに行ったのよ…」
思わず、口をすぼめた。銃の手入れを後回しにしてまで、探してるのに見つからない悠仁への怒りが何故か積もっていく。もしかしてまた何かをしているのかと、思考していたら。
ふと、アビドスのシャワー室を思い出す。しかし、もしそこにいた場合悠仁は裸かもしれない。理性と何かがセリカの中でせめぎ合って一人乱雑に頭を掻き毟るセリカは───こんな時間に使っているはずないけど、どうせだから見に行こう、と都合よく解釈すると、意を決して脱衣所に突撃することを選んだ。
流石に、シャワー室を使うには真夜中すぎる。自分が帰ってから既に何時間も経過してるようだし?まぁ、さすがに使ってるわけないし?と、誰に向けてか分からない言い訳を並べてシャワー室に向かった。
そして、見えるシャワー室の文字。扉を開けて、男湯と女湯とで分かれているカーテンの男湯へと侵入したセリカは、丁度パンツを履き終えた悠仁と目線が重なる。説教中の静寂とは、また違った静謐が流れて────悠仁は叫んだ。
「イヤァァ!!!」
「アンタが叫んでどうーすんのよ! じゃなくて、静かにしなさいよ! みんなが起きちゃうじゃない!!」
「や、やぁぁぁ!セリカの変態!」
「え、ちょっと!? ご、ごめんってばッ!! さわがないで!」
───生徒達がシャワーを浴びて、食事を摂った後に安心感からかすぐに眠りについた彼女たちを起こさないよう、悠仁もシャワーを浴びに行ったのが事の顛末。よもや、こんな遅い時間にお風呂なんて入ってるわけないと思ったセリカの負けであり───勝利でもある。
なんやかんやあって、脱衣所の外に追い出されたセリカは着替え終えた悠仁と隣で廊下を歩く。
「で、どした。俺の事探してたみたいだけど」
「べ、別に探してたわけじゃ…まぁ、その、居なかったからまたどこかに行ったのかと思っただけよ…!」
「お、おう。別になんも予定ないからどこも行かねぇよ。それよか、体は大丈夫?」
「うん、もう痛みは無いわ」
「そっか」
それで、会話は途切れた。それ以降の会話は無いのに、なぜか心地が良くて無意識にセリカは悠仁の方に距離が縮まっていた。何となく近くなった気がした悠仁だったが、気の所為かと思い直したところで、セリカが突然声を上げた。
「あ、そうだ。手入れしに行かないと…」
「手入れ? なんの?」
「ライフルの手入れよ、砂塵がある場所ではジャムによる暴発とかもあるから、綺麗にしないといけないの」
「へぇ、そーいや昔見た映画で言ってたなぁ」
「ふふ、なにそれ」
部室の扉を開けて、中へ入っていくセリカは一目散に立て掛けてあった、自分の銃「シンシアリティ」を手に取ると長机の上に布を敷き、パーツごとに分解していく、。手際の良い姿に悠仁も夢中になって見入って、時々「すっげぇのな、銃の中身ってそーなってんだ」と、感心の声を上げていた。
過去同じような場面で瞳を輝かせていた幼き頃の自分を馳せて、セリカは微笑む。よもや、先程の怒りなんて最初から無かったかのように穏やかな顔付きをしていた。
「セリカって、組み立てとか出来るんだな」
「当然でしょ、此処では分解も組み立ても必修科目みたいなものだから」
呟き、悠仁から目線を逸らすと慣れた手付きで清掃を続ける。壁に立てかけられたパイプ椅子を広げ、セリカの傍に座ると、彼女はガンオイルを手にしながら云った。
「週に一回は最低でも整備しないと、落ち着かない時もあるのよね」
「ガチ勢じゃん」
「あったりまえじゃん」
カチャカチャと響く、金属音。布の擦れる音。職人の仕事場のような多彩な音が聴こえる部屋に、会話のない沈黙が訪れる。そんな空気感も嫌いではなかった悠仁は、ずっとセリカを眺めていたのだが…。セリカはどこか気まずそうにしていた。何かを云いたげな、そんな表情をしている。
「……あ、あの」
「ん?」
ふと、銃を整備していた手が止まった。セリカの視線が悠仁と手元の銃を行き来している。何度か指先をまごつかせ、それから小さな声で囁いた。
「え、えっ…と、そんなに見られるとやりずらい…」
「わりぃわりぃ、ちょっと初めて見たから」
後頭部を搔きながら、悠仁は云う。セリカは「…もう」と口ではボヤいているものの、実際のところ別に見られること自体は良かったが、やはりなぜか緊張をしてしまう部分に若干の戸惑いがあったのだ。
あの時、悠仁に抱いた感情はセリカにとってかつてないほど心の情緒を炎にも氷にも変化させる。まさに羽交い締めである。
「…ねぇ、先生」
そう云って悠仁を見つめたセリカ。悠仁はどうしたのか訝しんで、一瞬だけ、面食らう。彼女は顔を真っ赤にしながら、躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「…やっぱり、みんなに怒られた?」
「んー、みんな優しかったよ」
即答で、何も無かったと答えた。
悠仁は、何処まで行っても"虎杖悠仁"だ。『呪術師』としての残酷さ、冷酷さを持ち合わせ『先生』としての優しさ、強さを貫き通す。
生徒を助けるのは当然だ、そうでなければ先生としての存在意義が無い。口を滑らして、セリカに背負わせることを何があっても選ぶことは無い。
すると、セリカは耐えきれないと言わんばかりに分解していたパーツを素早く組み立て、元の形に戻した途端立ち上がった。
「……か、感謝してるけど! でもっ、この程度で私に認められたとか思わないでよね!」
「っ、おう。わ、分かってる…ぷふっ」
「な、何よ! 何へらへら笑ってんの!?」
先生の態度に怒りを見せ、セリカは軽く机を叩く。それが照れ隠しである事は誰の目から見ても明らかだった。彼女は手早く銃を組み立てると、それをガンラックに立て掛け部室を後にする。扉を力任せに開け、赤く染まった耳をそのままに彼女は云う。
「それじゃあ、私は戻るから! じゃあね! せ……っ、先生!」
去って行くその背中に、悠仁は緩く手を振る。悠仁の表情は──これ以上ない程に、優しく、穏やかな笑みだった。
「……アロナ、手初通り──進んでる?」
タブレットからアロナのホログラムが投影される。彼女はセリカと入れ替わる形で悠仁の前に立つと、その表情を不安げに歪めた。
「──もちろんです。ですが……よろしいんですか? 幾ら虎杖先生がお強くても、その……私は、心配です…」
「大丈夫、遅れをとることはしない。自分の実力は自分が一番わかってる──負けないぜ」
「で、でも……」
「俺は、お兄ちゃんだぜ」
脹相──お前の言葉、少し借りるよ。
「兄貴として、先生としての責任を全うしに行くだけだから」
脹相は兄であり、呪いでもあった。
呪いが消えて、術式も形を亡くした。けれど、呪いとしての側面だけが失せて、彼は人として生き長らえた。それは彼にとってどんな名誉なことだったことか。悠仁に抱きついて、泣き喚いていた。
消えると思った恐怖は、共に悠仁と歩んで行ける未来への希望に変わったのだから。それはもう叶わないかもしれないけれど、それでも。
──なし崩し的。絆される形で兄と呼ぶようになった関係だけれど、彼から教わった兄貴としての心構えは悠仁の心に深く入り込んでいた。
強く、優しく……弟の為なら厭わない犠牲。それは美しくて、儚い灰色へ塗られたキャンパス。それ以外の色はない、入り込む余地のない信念。
「だからさ──泣くなよ、アロナ」
電子体に触れることは叶わない。けれど、悠仁はアロナを抱き寄せて落ち着かせるように優しく囁いた。
「……ほんとうに、大丈夫ですか?」
アロナは怖かった。また、あの時の悠仁が現れるんじゃないか、と。悠仁とて人だ、それこそ先生だ。大事な生徒を攫われて怒らないはずがないし、むしろあの時は仕方ないと言える。ちゃんと理性も働かせて、彼女達を逃がしたのだ。寧ろ、褒められるべきだ。
でも、違う。それ以上に、アロナは───辛そうにする悠仁が、見たくなかった。あの時の表情は、全ての負の感情を集めても───ただの人間が作れる面をしていなかった。
「あぁ、無問題」
息のかかるほどの距離で、悠仁はアロナを見つめる。額同士をくっ付けて、彼は告げた。
「だけど、俺は一人だとビビリだからさ。アロナの力が必要なんだ。俺達二人なら、絶対に大丈夫───そうだろ、相棒」
依然として、アロナの不安はある。だけど、悠仁がここまで云ってくれたのに答えぬ訳にはいかなかった。なぜなら、彼女はそのために──命を賭して神秘を変質させたのだから。
地面に伝って、消えゆく雫は既にない。目元を拭ったアロナは笑顔を浮かべ、決意に満ちた面を纏った。
「──はい! 共に行きましょう!
例え、呪力が無くても。彼女となら───運命の果てに何が待ち受けようとも。
きっと──。
⬛︎
高層ビルの一室――光の消えた部屋の中で、モニターの光だけが周囲を照らしている。その光に照らされるのは、スーツを着た巨躯、黒いスーツ姿のロボットと云うべき存在。朱色に光る四つのラインアイが輝き、光るモニターを見据える。
纏う空気は重く、今にも花火が散りそうなほど苛烈だった。小さく息を吐くと、椅子に体を預ける。その重みに重厚な皮椅子が軋んだ。
「……格下のチンピラ如きでは、あの程度が限界か。主力戦車まで貸し出してやったというのに、このザマとは」
キーボードを叩き、ウィンドウを閉じる。彼の体に纏う雰囲気は──一転して倦怠感へと変わる。
計画の推移は順調とは言い難い、特にここ最近は失敗続きと云っても良い。その事実が彼を苛立たせ、多少強引な手段に事を運ばせている。
「しかし、よまや『先生』が動くとは……厄介だな。ふむ、ならば──此方も対策が必要……か」
呟き、デスクの上に放置された端末を手に取る。開いた画面には、呼び出し画面が映った。
「──生徒には生徒。専門家に依頼するとしよう」
手早くナンバーを入力する。番号は最近入手した代物。三度のコール音後、女性の声が響く。
『はい、どんな事でも解決します──便利屋68です』
「仕事を頼みたい、便利屋」
返答は、静かで迅速であった。
⬛︎
深夜──三時を回った。
百余名はいるであろう、大規模なカタカタヘルメット団の基地。それを遠目で確認した悠仁は、静かに息を吐いて瞳を閉じる。独断専行、孤立無援───呪力すら無い今の悠仁ではこの大規模の戦闘は難しい。
あらゆる戦術を駆使できる彼女達の物資量、純粋な兵力による物量……おかしい、不可能だと詰る行為であることは間違いない。
「……やるっきゃねぇよな」
今、野放しにしたらまた攫われる可能性がある。だったら壊滅的な被害を与えて復興に時間をかけさせて、そのまま二度と敵意を向けられないよう、対策を練る必要があった。
それに、今回ばかりは悠仁と言えど我慢ならない───それが本心だったのだ。彼女達も不良と云う位置づけだが、同じく大事な生徒……それは変わらない。
しかし、それでセリカ達にまた危害が及んだ場合…ある程度の区別はしなくちゃならない。真面目に頑張っている生徒の邪魔だけは、もうさせない。
「骨が折れそうだなぁ」
ボヤき、悠仁は姿勢を落とす。時間にして約三秒、その時間さえあれば五人を一気に落とせる。銃器の対応はいつも通りやれば問題ない。後は、手榴弾やロケランなどの爆発系──問題だらけだが、傷を残すことは無いはずだ。
みんなには、バレなきゃいい。
だったら……悩む必要はないだろう。
そして。両手を地面に添えた悠仁は──クラウチングスタートで飛び出した。ドゴンっと地面が碎けると同時に砂塵が宙に舞って、突風が吹き溢れる。一瞬にして基地内に侵入した悠仁を捉えることなく、一人の意識が一瞬にして刈り取られた。
──まだ、気付かれていない。訪れたチャンスを最大限活かすべく、悠仁はかつてのような動きで音もなく不良達の意識を奪っていく。この間、約20秒。悠仁が過ぎ去った場所に転がるのは、十二の不良達。後、98人────アロナ曰く、仮説住宅に密集しているらしく、外の見張りはたかが20人程度。
正直、見張りさえどうにかなれば後は楽。補給品の破壊と施設の破壊さえ出来れば不良たちを殴らなくても済むため、なるべくは無音を心掛けて悠仁は拳を振るう。空気の弾けた音が鳴れば、倒れ込む衝撃が地面を伝う。
「おま、何もの───ぐっ…」
「あっぶね」
咄嗟に首元を狙ったお陰で、叫ばれることなく不良は膝から崩れ落ちる。既に19人を気絶させた、あと2人は周辺を監視できる塔に居るようで、まだ悠仁の侵入に気付く素振りもないらしい。精々地上から13m程度の高さ──跳躍だけで届きそうだ。
脚に力を込めて、踏み締める。空気を蹴飛ばすように、筋肉を伸縮させて解き放った。視界が一瞬にして塔の頂点に到達し、偶然にも目が合った。
しかし、銃を構えるよりも早く悠仁はヘルメットを弾いた。ドサッと倒れる音に気が付いたもう一人が此方に来るが、既に遅い。悠仁を視界に捉えることなく、呆気なく意識を手放した。
「……アロナ、もう大丈夫そう?」
「はい、見張りの生徒は全滅です。システムをハッキング済みですので、此処からは問題なく暴れられるはずですよ!」
「さっすが〜!」
「えへへぇ…それほどでもありますよぉ〜」
そんなやり取りも終えつつ、悠仁は地上に降り立つ。後は此処の徹底的な破壊……音で気付かれるだろうし、結局はこの行動もそれほど意味は無い事だが、少しの間──2分間だけ時間が稼げればそれでいい。
その時間があれば、電力、補給、施設の三つを破壊できる。
此処からは、全力で───。
その時、内部から幾つもの爆発が発生した。
「な、なに!? 爆発!?」
悠仁は爆発した方角を見遣る。もしかしてこのアジト事悠仁を嵌めるつもりか?と嫌な想像が脳裏を過ぎる中、土煙が舞い──黒い人影が一名。
コツコツと鳴り響く音が、悠仁を警戒させる。汗が滴って、地面に落ちた。土煙が晴れた───その先に佇んでいたのは。
「──仕事が早い…流石ね。もう、何人も倒れてる」
制服の上に羽織られた赤く、重厚な衣装に身を包んだ女性。
凛々しくも、信念を抱いた瞳。
彼女の生き様を表すような、赤き絹の如く髪。
睥睨するように、左右に生えた悪魔の角が悠仁を見つめた。
その姿は、正しくマフィアの女帝。圧倒的なカリスマを孕んだ様相は、悠仁を以ってしても一歩たりとも動けなかった。
不意に、彼女と目が合う。悠仁は、警戒心を最大まで引きあげて、構えをとった。
「……あら? 貴方は───何者?」
彼女の声は少しだけ、震えていた。
便利屋来ちゃったね、悠仁と会っちゃったね。この後の展開を思うだけでご飯が進むよ……やばいね。黒服もニッコリ笑って俺の曇らせを後押ししている気がする。
じゃあ、始めよっか。いつもの。
アビドス終わっちゃったからぁ〜順番的には便利屋になっちゃうんだよね。なのに7話で真っ先にシュポガキ出してんだけどさ。全く後に出てくるハイランダーの子だけど、あれは仕方ないよ。狂わせたあの子たちが悪いんだ。
だから、トップバッターはムツキでしょ。シュポガキ繋がりで行くっきゃないでしょ!
彼女はね、とても可愛い生徒だと思うんです。人の情緒を乱し、神経を煽る『俗に言うメスガキ』属性が相対的に高めなんですね。トラブルや騒動を楽しんでいる極度のイタズラっ子。
罪悪感に悩まされがちで、悪人になりきれないアルちゃんとは違い、躊躇いなく悪事を働いてトラブルを楽しむところがあるので、まぁ厄介。
一応、イタズラ程度で済んではいるけど───これが済まなかった時、どんなに美味しい顔をするんだろうなって思うと箸をつい折っちゃいそうになるよ。
いつものように。彼女は悠仁と出会ったらニヤニヤと近付いてくるんだ。
「くふふ、先生♪ 来ちゃった、また仕事ばっかりしてるのー?たまには休みなよ〜」
彼女とて気に入っている相手を傷つける者には本気で怒り、容赦なく叩き潰す一面もある、優しい生徒。コミュニケーションも距離感が近く小悪魔的な面が見られるせいで、誤解されてるけれど、優しくて思いやりはあるんだ。
でもさ、だからと言って『イタズラっ子』が許されるのって───子供までなんだよ。16歳、もう立派な自己責任能力がある大人の四歩手前なんだよ。お仕置が必要だよね。
「先生ってなんであんなに強いの〜?」
「まぁ、鍛えてたしな」
「確かにガッチリしてるもんねー」
「ちょ、ツンツンしないで」
「ねね、ずっと気になってたんだけどぉ〜口元の傷ってどうしたの?」
「あー、これ? これはぁ……うーん、昔ヤンチャしてた時にできた傷かな」
「なにそれ〜全然想像できない! 先生って結構、ヤンキーだったり?」
「うんまぁ、そんな感じ」
最初は、他愛もない会話だったんだ。ムツキもちゃんと境界線を弁えた会話をしているから、悠仁も特に何も言うことなく彼女のわがままにも付き合って、まだ仕事が残っているのにこうして今、彼女と談笑していた。
けれど、次の一言で悠仁の空気が少し、沈むんだ。
「──じゃあ、先生ってぇ〜もしかして、人殺したことあったりして───」
それは、ただの冗談。ムツキとて、本気でそう言った訳じゃない。いつものように、軽口。あるわけねーじゃん!なんて、悠仁の返答が返ってくるのを分かった上で、云ったつもりだった。
なのに、目の前の悠仁は違った。現実は幻想のように、上手く動かない。
「──」
これがもし、高専時代の悠仁だったら或いは笑っていたのかもしれない。セリカのように、ただの照れ隠しで宣っただけの『みんな、死んじゃえー!!』発言のような状況だったらなんだよそれ〜で済ませていたのかもしれない。
あの時は、悠仁達が全面的に悪かったからこそ、悠仁は気にしなかった。本心じゃないと知っていたし、ずっと迷惑かけていたから。
でも、今回は違う。
人殺しを、した事あるのか?その言葉だけは、悠仁の中で一線を超えてしまった。トラウマが、蘇るんだ。
「ごめん、ムツキ……今日は、ちょっと一人にしてくれ」
「え、ど、どうしたの?なんで…? 何かあった…?」
「いや……ごめんけど、ほんとにちょっと一人にして」
有無を言わせない、悠仁の豹変ぶりにムツキは戸惑うんだ。そして、なんで?何か悪いこと言っちゃった?悠仁を、怒らせた…?
嫌われる…? 先生から、嫌われる…?
自己嫌悪、恐怖、後悔──様々な感情がせみ合ってしまうんだ。遂には過呼吸気味になって、悠仁の声が届かない。気が付いたらシャーレの外にいて、ベンチにしがみついているんだ。
うそ、私……やっちゃった…?なんで、なんでなんでなんでなんでなんでっ、なんで───?
あんなこと、言っちゃったんだろ……。
そうして、悠仁から以前のような親しい空気が少しずつ消えていくのを自覚しながら、悠仁との仲を取り戻そうと近づく。
「せ、先生! ぐ、偶然〜もしかして、買い物?私も──」
「ごめん、ちょっと忙しくて──また、相手は今度でお願い」
だけど、悠仁の態度は素っ気ない。いつもは、なんだかんだ言って付き合ってくれた悠仁の優しい背中は、遠くなっていく。その時から、ムツキは目元にクマを作って壊れたように悠仁との楽しかったメールのやり取りを眺める時間が増えていくんだ。
私があの時、あんな事さえ言わなければ続いていた。
私があの時、悠仁と一緒に居なければ悠仁が傷付くことも無く、今も笑って過ごしていた。
私が───。
一生抜け出さない、思考。一生背負っていく、罪。
彼女は、気付かない。普段から忙しくて、似たような事も過去にもあった記憶すら、今では思い起こすことも出来ない。悠仁は確かに怒っていたけれど──ムツキの、思い違い。すれ違いだってことも気づかず、彼女は深い闇に沈んで行くんだ。
「ムツキ…?どうしたの? 最近、変よ?」
アルの心配すらも、ムツキは力のない笑みで強がる。
「うん、大丈夫だよ、アルちゃん」
「えと……あ、あのね! 実はね、さっき先生と出会って───」
ムツキの目が見開いた。
どうして、アルちゃんは親しげに喋れるんだろう。そっか、アルちゃんは良い子だから、私のように傷つけることもなく、先生と上手く行くんだね。
……馬鹿なわたしは、選択を間違えたのに。
でも、ようやく分かった。
───私は、先生に嫌われたんだ。
深く、刺しこまれたナイフはムツキの心臓に穴を開けた。
「──先生が、一緒にみんなでご飯食べに行こうって。
ほら、端末鳴ったわよ!最近忙しくてムツキと遊べなかったって、先生が嘆いてか──え、む、ムツキ……?」
徐に、彼女は立ち上がった。力無く向かったのは、彼女の銃が置かれた机──ライフルを掴んで、引き金に指を添えた。
──この一線を越えたら、先生に、許してもらえるかな。…ううん、きっと、先生はそんな風に思ってない。
いや、それすらも……私の勝手な願望かもしれない。
突然の行動に、アルはムツキの名前を呼ぶ。けれど何も聞こえてないのか涙を流して、彼女は許しを呟いた。
「──ごめん、なさい」
銃口を加えて、目の前で彼女は──。
乾いた音が鳴る。後悔に濡れた、罪の池が出来上がるのを茫然としたまま眺める事しかできなかった。ずっと、隣で笑っていた彼女の最後の顔は、安堵と『罪悪』で壊れた笑みだなんて。
「む、ムツキ!! なんでっ、どうして…!」
顔面を蒼白させて近づくアルちゃんは、きっと冷たくなっていくムツキの体温をヒシヒシと感じながら絶望を露わにして、悠仁に連絡するんだ。誰よりも信頼する、大人に。
でも、原因が悠仁って分かったら──彼女は何を選ぶんだろうね。出来ればさ!尊敬、憎悪、感謝、って有り得ない感情の雁字搦めに溺れたまま悠仁を撃ってほしいよね!
あー二度美味し!
ムツキはさ、思い込みが激しいと思うんだ。冷静で人の弱点を突くのに長けた一面の裏で、概念に囚われ、自己の存在意義に縋る未完成の女の子。そんな子が、気に入っている人───好意を抱いている人に否定され、嫌われたら、きっと……罪を抱えて、後悔に濡らした涙を流しながら徐々に壊れて、最後は命の灯火を代価に悠仁の赦しを求めるに違いない。
あーあ、ハッピーエンドにするつもりで走っていた悠仁は、自分のミスで彼女を殺めてしまったんだね。報われないね。
悠仁ならきっと、乗り越えられるはずだよ。だから、愕然とトーク履歴を眺めてないでキヴォトスのために頑張れ♡
救急車よりも、早くね。