――ボクは、ライスのお兄様なんだ

※pixivにも投稿していたやつをこちらで再投稿
※投稿日2022年6月26日

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第1話

 

 

 初めてあの子を見た時、悲しいほどに弱く脆い存在に見えた。

 

 立ち振る舞いが言葉よりも雄弁に物語っていたのだ。年齢に対して低い背丈、なだらかな体つきと内面を表したように背中を丸めて周囲をチラチラとみている少女が自分は弱きものだとアピールしていた。

 

 それが、街中で彼女を見かけたとき、ファーストコンタクトの少し前に思ったこと。新人トレーナーとして三年間を自分に預けてくれる愛バを選ぶ時期のことだった。

 

 学園内で見てきた生徒たち……ウマ娘たちは誰も彼も速く走ると言う闘争心に溢れた少女たちは殺気づいた物に近い熱意を持っていたのだ。そんな彼女たちを目にしてきただけに、イジらしくもはかなげなふるまいをする少女は強く印象に残った。

 

 熱意に溢れた環境の中でオドオドと立つその姿。

 

 陽気に溢れたスポーツ精神に満ちた顔に似つかわしい陰気に満ちた様相。

 

 誰もが鬼気迫るレースの時代。命と体力を削り、自分の人生そのものを捧げる世界の中、彼女の儚い存在はきっとバ群の中で磨り潰される残酷な光景を想起させてしまった。

 

――だめじゃないライスになりたい。そんなひたむきさを見せられるまでは。

 

「あ、あなたが……ライスのトレーナーに……?」

 

 選抜レースをボイコットしたその日の夜、悲しみに暮れる彼女を背負いたい。そう思った。

 

 確かに彼女はあまりにも弱弱しく見えた。はかなげで、せつない瞳を静かにたたえ、ジッと暗闇のなかに身を潜めて消えてしまいそうなか弱さを纏っていた。

 

 だけど、その内に秘めた奮起する力は確かにあったのだ。

 

 彼女の中に眠る、鮮烈なまでに青い光と薔薇のごとき気高い情熱をレースの世界へと刻み付けたい。

 

 新人トレーナーの分際で、ほとんど経験のない自分が、もっと素質のありそうな子たちがいるかもしれないと言うときに、直感で決めてしまう安直さ。

 

 それでも、自分は勇気を振り絞って彼女に手を伸ばした。

 

「い、いいの……? こんな、ダメな子なのに……レースにも出れないのに……いいの? ほんとうに……?」

「……うん、本当にキミじゃなきゃダメなんだ! ボクの愛バになってほしいんだ!」

 

 暗い顔を見せつける彼女に、彼女を引っ張り上げるために自分も強く明るい笑顔を向けた。

 

「……まるで、『お兄様』みたい……」

 

――お兄様。

 

 この言葉は、何よりも自分の……ボクの心の中に刻み込まれた。

 

 ずっと一人っ子で暮らしてきた自分には、身内と言えば父親と母親くらいだった。兄弟がいない自分にとって、いつも賑やかで一緒に遊んでいる兄弟や姉妹がいる家庭がとてもうらやましかったのだ。

 

 ふいにつぶやいたその言葉は、もしかしたら何らかのアニメや漫画の引用かもしれない。

 

 ただ、そこは単純な男心。お兄様と呼び親しんでくる彼女の姿は、ボクにとって初めての妹が出来たみたいだった。

 

「あ、あははは……む、むずがゆいなぁ」

「ご、ごごご、ごめんなさっ……!」

「うわわっ、ち、違うから! うれしい! とってもうれしいよ!」

 

 わたわたとお互いにかばい合ったこのときの会話は、ちょっとした笑い話になったのは言うまでもないことだった。

 

 

 のちに、ボクは彼女の言う青い薔薇について教えてもらった。

 

 元となった話は彼女が子供のころから好きな絵本らしい。内容は色とりどりの薔薇の中、真っ青な薔薇が誰からも気味悪がられている中、『お兄様』と呼ばれる人物だけが青い薔薇を買い取る……といった内容のようだ。

 

 まるで醜いアヒルの子のようだと思った。誰もが醜い、無能だと見下しながらも誰かたった一人だけがその価値を知る者が一人だけ存在する。

 

 嫌ってくるもの、排他的なものは確かにいるけれども、世界のどこかにいる味方がきっといる。

 

 暗い場所に閉じこもって、周囲にある悪意にさらされて怯える中で、自分を引っ張って連れて行ってくれる素敵な王子様。

 

「ぼ、ボクには……あ、あははは……」

「……やっぱり、イヤだった……?」

「ううん。ただ……すごくかっこいいなって」

「かっこいい?」

 

 トレーナー室の中、お昼休憩に足を運んでくれたライスはご飯を食べながらボクの話を聞いてくれた。

 

 この物語はとっても素敵だ。不幸にさらされている中で理解者であるカースト上位の存在。こういった素敵な人に連れて行ってくれるシンデレラさながらのストーリーは男女問わず人気のジャンルだ。

 

 この絵本も女の子からすれば自分だけを特別に想ってくれる『お兄様』は、男性観がまだ未熟な少女たちにとっては強烈な印象として残るだろう。

 

 だけど、それは同時に自分もそうだった。

 

 はっきり言って自虐だけど、ボクはトレーナーという職業を得てる以外に取り得と言うモノはない。東大に入るより難しい、なんて言われてるが、入ってしまえば東大に入るよりも難しいと言う入り口を乗り越えた強豪トレーナーが肩を並べている。入れば終わりではなく、終わりが来るまで走り切らなければすべてが台無しになるのだ。

 

 上に立ち、下を見て満足するのではなく、上を見て彼らと肩を並べる気概がなければ続かない。

 

 トレーナーの腕が、ウマ娘の人生を左右する。彼女たちの今後の人生、これまでに積み重ねてきた夢と思い出。それらすべてを背負い、立ち向かい、たった一つのゴールを目指していかなければならないのだ。それが、トレーナーに課せられた責任なのだ。

 

 ゆえに、トレーナーによってはウマ娘をえり好みしてしまう。なんら自信のない子を一位に導いて見せるなんてヘタなギャンブルよりも分の悪い賭けはない。安全パイとして名家や選抜などで結果を残した子を選ぶ。

 

 人生を揺るがす選択において、安定させるための無難な選択肢はあったほうがいい。

 

 この職業について、つねづねそう思うのだ。

 

 ……だからこそ、この『お兄様』はとってもすごいと思うのだ。

 

 咲き誇る薔薇を選べる立場にありながら、周囲が気味悪がる青い薔薇を選んでいる。選ぶことによる周囲からのからかい、悪意を一身に受けながらも誰かを笑顔に変える素敵な薔薇として大切にしている。

 

 きっと、この『お兄様』は他の薔薇も目にしているはずだろう。育ちやすい薔薇、もっと色鮮やかな薔薇、生命力に満ち溢れた薔薇……多様に並ぶ薔薇たちを見ながら、そんな彼が選んだのは不気味で気持ち悪がられている青い薔薇。

 

 彼は周囲から指をさされていたに違いない。薔薇を見分ける目を持ち合わせていない教養のない奴だと。なのに、そんな周囲の言葉に惑わされず、彼は誰よりも青い薔薇を信じ、素敵な一輪へと育て上げたのだ。

 

 リスクを背負いながら帰ってくるかもわからないリターンのために身銭を切る。お兄様の、彼の選択は現実においては勇気に満ちたものの行動だ。

 

「……ボクに、できるかなぁ」

 

 ライスにも届かないほどに小さな一言だった。

 

 お兄様とボクは似ているようで違う。

 

 ライスを選んだあの日から、同僚や学園内でのトレーナーからはあからさまではなくとも、見る目のない子を選んでしまったと思われている。

 

 選抜の一件や普段での学園生活における彼女のキャラクターは周囲にも知られているらしく、何よりも不幸を呼ぶその体質が、トレーナーとウマ娘問わず彼女を距離を取るものが多いのだ。中には、そんな彼女のことを知ったうえで仲良くしてくれる子はいるみたいだが……

 

 自分はどうだろうか。パッと見て気に入って選んだ『ボク』と他者を支えられる強い力を持つ『お兄様』。ボクはなれているのだろうか、お兄様に……

 

「……お兄様、今度の休日……いっしょにおでかけしよう?」

 

 机の上の資料にペンを走らせているさなか、ボクの手にライスの手が重なった。

 

「……ライス」

「お兄様がどう思ってるのか、ライスにはわからないよ。でも、お兄様はライスにとってのお兄様だよ。誰にも、代えられない大事な人なんだよ」

 

 ジッと見つめてくる瞳が水のように濡れて潤む。

 

 どこまでも優しくて純真なライスの心を表しているかのようだ。曲がることのない視線が目をそらすことを許してくれない。

 

 だけど、いやな気持も後ろめたい気持ちもない。

 

 あるのは、ライスの心からの慈しむ気持ち。

 

 細く小さなウマ娘の手が、自分よりも小さな手が温かい。

 

「お兄様は、ライスの大好きなライスだから……ずっと、ずっと……ライスを支えてくれるお兄様でいてほしいの」

 

――空虚に思えた胸の内が、青く温かいもので満たされた。

 

 人生の選択肢において、楽な道なんてものはありはしないが負担を減らすことはできる。その中で、ライスと共に歩く道のりを選んだことは充足感はあっても相応の精神的な負担はついて回っていた。

 

 なれないトレーナー業としての苦労、彼女の人生を無駄にしてしまわないかという苦労、結果を求められる不安とプレッシャー。

 

 人生において道を選ぶことは出来ても先があるのかわからない。それに比べて創作物は始まりから終わりまで決められている。不幸な薔薇もお兄様も、言い換えれば薔薇は選ばれるべき存在だし、お兄様は先の不幸があろうと明るい未来が約束されているから嫌われている青い薔薇を選べるのだ。

 

 ボクは、不安だった。彼女にとって、相応しいお兄様になれていたかを。

 

「……っ、あ、その、ごめんね……っ、ちょっと、目にごみが……っ」

「ううん。いいの、お兄様。いっしょにがんばろ? ライス……絶対に泣かないから」

 

 きゅっと掴んでくれる彼女の手を掴み返す。

 

 暗い気持が胸の内を支配されていたのに、ライスがさっと晴らしてくれた。やっぱり彼女はヒーローなのだ。少なくとも、ボクにとっては。

 

 どんなつらい未来もボクは背負える気がした。彼女と一緒に、歩いていきたいと願った。

 

 気づけば、ボクは彼女に『恋情』を抱いていた。

 

 

 ボクと彼女の三年間はとても充実したものだった。

 

 春の陽気な季節――

 

「お兄様! さくらが舞ってるよ……きれいだね!」

 

 花びらの並木道を歩く彼女の顔はとてもかわいらしかった。

 

 合宿の時期、夏の青い入道雲がどこまでも広がる季節――

 

「お兄様ー! みてみて! この海、すっごいきれいだよ! 夜になったら花火をやろうね!」

 

 スクール水着を纏いながら、海でトレーニングする快活な彼女の姿。

 

 秋の紅葉が色づく山並みの季節――

 

「……あ、あははは……お、おかわりしすぎちゃった……」

 

 ウマ娘らしいボリュームの食事量を見ていて、いっしょに笑っちゃったり……

 

 寒い季節を共に歩く年末――

 

「メリークリスマスお兄様!」

 

「ハッピーニューイヤーだよお兄様! 来年も……いっしょに……」

 

 変わりゆく季節、変わりゆく環境、そして学園の中で切磋琢磨するライバルたち……

 

 春の天皇賞、有馬記念を制し、ついにはURAでも優勝して……

 

「ありがとう……ありがとうお兄様……っ!」

 

 涙をぽろぽろとこぼす彼女の姿が、自分以上に頑張ってくれたのに、ボクのためにも泣いてくれて……

 

 ボクとライスは、確固たる絆を築き上げていた。生活の中で触れ合った想い、その気持ちを何度も確かめ合いながら、絶対にレースで勝ちたいと……結果を持って証明してみせたあの瞬間は、鮮烈な思い出として胸の内に残った。

 

 ボクはこれからも、ライスと一緒に過ごせるとそう信じて――

 

「――お兄様、紹介するね♡ この人、ライスの彼氏なの♡」

 

 

 某大手ショッピングモール。最近オープンしたばかりのこの複合施設には、多くの店が立ち並んでいる。家族連れの多い空間が必然的に形成されているのだから、その中を厚着してマスクとサングラス姿のボクは不審者丸出しだっただろう。

 

 時間は夜になりはじめたころ。この時間帯なら、レストランのあるエリアは結構な列を形成している。

 

 念のため、何度か周囲に気を配る……特になんとも思われていないようだ。想っていた以上に人というのは他人に対して意識することはあまりないのかもしれない。

 

 ……奇異な行動と思われるだろうが、そうでもしなきゃいけないほどに調べたいことがあった。

 

 例のライスシャワーの彼氏。ボクは、彼の正体を調べなければと思っていた。

 

 数日前のことだ。街中を歩いていたら、ライスが知らない男性と腕を組んで歩いていた。

 

 ちっちゃな子供が大人に甘えるようなそんな仕草。一瞬、ライスに血縁上の兄がいたのかと思っていた。

 

 そこで気にかかって話しかけたのが……よりにもよって、彼氏だと言う発言だった。

 

(ほ、本当に……本当にライスの彼氏なのか……?)

 

 ボクはライスと一緒に行動することが多かった。学園内でも街の中でも、共に行動し、一緒の時間を築いてきた。

 

 確かに、一緒に過ごさない日だってある。ライスにもプライベートがあるし、友達との付き合いもある。だけど、まさか男の子だなんて……

 

 怪しいと思った。世の中には、ウマ娘の貯金した賞金目当てにすり寄ってくる男による詐欺事件が少なからずあると聞く。ほとんど話に出てこなかったのに、いきなり出てくるなんて……

 

「……! き、きた……!」

 

 近くの柱に身を隠しながら、店内を歩く二人を見つめていた。 

 

 二人が腰かけたのはモール内に点在する共用の椅子だ。いろんなところを見て回り、遊んできたのだろう。疲れが滲みながらも二人は笑顔だ。

 

「えへへ……今日は楽しかったな。ありがとうね」

「遠慮すんなよ。お前と一緒に楽しみたいから奮発したんだぜ?」

「……いいの? ライス、いっぱい食べちゃうよ?」

「……だ、大丈夫。バイト代おろしてきたし……」

 

 少年と少女のやり取りは軽快だった。

 

 二人は気を許し合っているように言葉を交わす。少年は少女の性質を理解しているのか、不安になりながらも胸を張っている。男らしさを感じずにはいられなかった。悪人は思えない。

 

 だが、それ以上に驚きなのは少女……ボクの、自慢の愛バだ。彼女の態度にはボクに見せてくれたはかなげな印象が薄らいでいた。気弱な声色は変わらないが、その言葉には気を許したかのような軽口すらも飛んでいる。

 

 あんな態度、今まで見せてくれたことなんて……

 

 急速に、胸の内がしぼむものを感じた。

 

 今まで見てきたライス、ずっと一緒に過ごしてきたライス、共に夢と勝利を掴んだライスとの瞬間――

 

 あまりにも、あまりにも当たり前すぎる答えが脳裏をよぎる。彼女の抱えていた愛は、自分に向けられていなかったのではないか?

 

 彼女の……『お兄様』は……

 

「……っ、あ、○○くんっ……♡」

 

 隣り合うライスの手を、少年は握った。

 

 ライスよりも大きな手だった。男らしく、大きく、その年ごろではまず見られないような大きな手が……絶対に逃がさないとばかりに握っている。

 

「ライス、俺はお前を大事にして見せる。俺と、これからも……ずっと……」

「……っ! うんっ♡ うんっ……! ライスも、○○君のことが大好きだよ!」

 

 すき、だいすき。

 

 ほんとうは、ボクに向けて欲しかった言葉。

 

 透き通るように耳触りの良い言葉をお互いに反響させながら、口々から発した愛の言葉を馴染ませていく。身もとろけるような愛のささやきの心地よさにうっとりさせながら――

 

 二人は唇を重ね、ついには周囲に聞こえないように閉ざしてしまった。

 

「んっ……♡ え、えへへ……はずかしいな……♡ こんな人前でなんて……」

「……じゃあ、人前じゃなければいいのか?」

「もう……○○くん、いやらしい目をしてるよ……♡ いじわるな質問しないで……んっ……♡」

 

 突き合わせるように、短い口づけを何度か繰り返す。

 

 キスの音はこちらまで届かないけれど、何度も二人の顔が重なって見えなくなるたびに胸の内が軋んでいく。

 

 なんで、どうして、どうして……

 

 ずっと一緒に居たと思っていた、ずっとあの子は守ってあげなければと思っていた。記憶の中にいるライスはどこまでも自信がなくて臆病で、でも自分の夢をかなえるためにひたむきな子だった。

 

 その姿を見て、ボクは彼女を応援したいと思っていたのだ。

 

 なのに、個人のプライベートを持つ中で、彼女は自分にとって心を許せる異性を作っていた。

 

 夢のような幻想から来たように思っていた存在が、急速に生々しい現実を帯びてしまっているように胸を締め付ける。

 

「……俺、本当はずっと心配だったんだ。お前と付き合ってから、ウマ娘だから……トレーナーと深い関係にあるんじゃないかって」

「なんでそう思っていたの?」

「ウマ娘ってトレーナーと婚約するケースが多いんだよ。後からであった俺なんて、きっとお前と……付き合えないんじゃないかって」

「……もう♡ そんなこと心配しなくていいよっ♡」

 

――お兄様はとっても素敵な人なんだよ。ライスのこと、ダメダメだったときからずっと見守ってくれてたの

 

――だから、お兄様は……あの人はとても尊敬できるお兄さんなの。ずっとずっと、尊敬できる人

 

――お兄様がいなかったら、きっと○○くんと付き合える勇気を持てなかったから

 

――……だから、ね。安心して♡

 

 

――だって、『お兄様』は『お兄様』であって、『特別な異性』ってわけじゃないから……♡

 

 

――ライスがね、本当に大好きになれた異性は○○くんだけだよ♡

 

――……それに、今は二人きりなのに……ほかの男の人の名前を出しちゃうなんてひどいなぁ

 

――んっ……すき……だいすき……♡ ふふっ、許してあげるから……ね、もっとちゅーして……♡

 

――んっ……♡ ○○くんっ……○○くん……っ♡

 

――……

 

 その後、どういった足取りで自分の寮に帰ったか覚えていない。

 

 帰路につきながらも地面を踏む感覚もなく、瞳は曇ったまま。自分の部屋のベッドの上で倒れてから泥のように眠った。

 

 ライスは、幸せそうだった。

 

 臆病で引っ込み思案だった彼女は、今ではボクが関係しないところでも自分で幸せをつかんでいる。もう、ボクが何をしなくても彼女は自分から前へと歩き出せるのだ。

 

 青い薔薇の話を思い出す。あれは、不幸な身の上のモノがお兄様と呼ばれる素敵な人によって助けられる話だ。

 

 だけど、現実は違うことを思い知らされた。青い薔薇もただ不幸であり続けることはない。誰かの手によって導かれて、幸せにさせてもらうだけの存在ではないのだ。

 

 青い薔薇は、自分の足で幸せを選びに行ける。お兄様か、はたまたその人以外の手に選んでほしいという権利があったのだ。

 

 ボクは彼女のお兄様になれた。でも、お兄様以上にはなれなかった。彼女のことを、青い薔薇としてもお兄様としても接することなく、一人の異性として見てくれる少年を、自分の手で選んで見せたのだ。

 

 心の内で悲しみに暮れながら、ライスのシアワセを願って……ボクは、ベッドの上で泣いた。

 

 

 数年後、ボクはいまや学園内で経験を積んだエリートトレーナーの一人として名をはせていた。

 

 ライスとの経験を糧にし、いくつものウマ娘たちを成長させ、いくつものG1を制覇させてきた。今では新入生がボクに担当してほしいと願ってくる者が多いくらいだ。

 

 今となっては未来は安泰だが、二十代も半ばになってからも浮いた話が一つもないため、両親からは心配されている。

 

 結婚しない、なんてことは考えていない。ただ、当分はするつもりもなければ、気を許したい相手がいるわけでもないのだ。今は仕事に専念したい。それだけ、なんだ。

 

 疲れた体を動かしながら、明日の予定を立てるために机に座る。

 

 その時、不意に視界に入ったはがきを見て、ボクは笑った。

 

 はがきの内容は、ボクが一番最初に担当した彼女の近況報告だった。

 

 幸せな家庭を表した一枚の写真。素敵な旦那様とその横で笑う彼女と――大きくなったお腹。

 

 苦々しい疼きが胸の中でちくりと起きながらも、ボクは彼女の幸せを願った。

 

 

 


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