天秤大陸の断頭台(一旦完結)   作:弐目

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※6月25日、30日に前話の終盤に5000字前後の加筆修正を行って展開を進めました。
 未確認の方はよろしければ御一読ください。




屍食鬼 Ⅺ

 

  

 

 辺境の森にて発生した、生態系暴走(スタンピード)の兆候。

 原因を発見、排除を終えたカージスは、本来の捜索依頼の結果――その報告に、再び村を訪れていた。

 

 辺境端の村にあっては比較的大きく、しっかりとした石造りである村長宅。

 その客間に、家主の沈痛な呟きが響く。

 

「そう、ですか……やはり……」

「あぁ、手遅れだった」

 

 村長の座る椅子がギシリ、と音を立て、彼は数秒ほど天を仰ぐ。

 やがて大きく……本当に大きく息を吐き出すと、ゆっくりと背を丸めて両の手で顔を覆った。

 元より高齢ではあったが更に老け込んだ様子で力無く項垂れる老人を前に、対面の傭兵が淡々と事のあらまし……請けた仕事の顛末について語る。

 

「発見した生態系暴走(スタンピード)の兆候についてだが、元凶が死んだのもあって小火に萎むだろう。一応、後で組合(ギルド)から調査員が派遣される筈だ……で、肝心の依頼の方だが」

 

 魔法か、何某かの魔具による染色を行なったのか、森で本来の色を晒したその髪と瞳は再び燃え尽きた灰を思わせる色へと染められている。

 彼は腰に下げた小さな革袋を取り外すと、静かに卓の上に乗せた。

 

「遺体は()()()()()()()()()()()からな。埋葬して、形見ってことでコイツだけ持って来た」

 

 老人は掌で目の前まで押し出された革袋を見つめると、ひどく緩慢な動きで口紐を解き、ゆっくりと中身を確認する。

 袋の口から覗いて見えたのは、一房の束ねられた(ヘイゼル)の髪だった。

 

「おぉ、エルシェル……なんということだ……」

 

 堪え切れぬとばかりに小さく呻き声を上げ、再び俯く村長を前にして、事務的ではあるが一応は依頼主への配慮が窺える報告が続く。

 

「根本的な死因である巨人はきっちり殺してある……討伐報酬は組合(ギルド)から出るから、そっちは心配しなくていい」

「……いや、儂の方からも支払わせていただきたい。あの娘の仇を討ってくれた御仁に、なにもせぬでは心の置き所がありません」

 

 せめてそれ位は、と言い募る老人に対し、カージスは緩々と首を横に振る。

 

「気持ちだけ受け取っておこう。まともな依頼人から金を毟るのは、個人的に好かない」

「しかし……」

 

 今更だとしても、何かをしたい。

 手遅れになってしまった身内(エルシェル)に対して、例え間接的であっても何らかの形で報いたい。

 そんな思いがありありと浮かんだ表情(カオ)の村長に対し、ゆっくりと諭すつもりもない傭兵は手っ取り早く代替案をあげた。

 

「……その金で、形見を弔ってやるといい。村の馬鹿な連中に蹴倒されたりしない程度には、しっかりした(やつ)でな」

 

 自身に向けてのものではない皮肉が込められたその言葉に、老人も感じる処があったようだ。

 複雑そうではあったが、傭兵の提案にゆっくりと首肯する。

 

「……分かりました。それで、あの娘が僅かでも安らかに眠る事が出来るならば」

「そうしてくれ――それじゃ、これで失礼する」

 

 依頼を終えた傭兵が、これ以上依頼人と長々お喋りに興じる意味も無い。

 話は終わりだ、とばかりに立ち上がるカージス。

 同じく立ち上がって深々と一礼する村長に頷きを一つ返すと、彼は踵を返して玄関へと続く客間の扉へと向かう。

 ドアに手をかけ、押し開けようとしたその背に、独白のような呟きが届いた。

 

「……エルシェルが村を出ていく前も、帰ってきてからも、儂は本当の意味であの娘の味方にはなってやれなんだ」

 

 悲嘆と後悔に塗れたしわがれた声色は、傭兵にとって仕事柄よく聞くものである。

 

「半端に庇い建てをして、どっちつかずの結果がコレです――この老い耄れは、あの娘にとって村の者達より、よほど愚かで性質が悪い人間だったのでしょうな」

「…………」

 

 語尾が掠れ、震えている声を背に受けたカージスは、無言のまま扉を開け、玄関口へと向かう。

 皮肉も、慰めもない。

 村の住民か、自身に残る血縁か。

 決断出来ずに取り零し、取返しの付かない結果に打ち据えられた者の、罪の意識と告白。

 そんな懺悔(モノ)に、ただの傭兵が掛けるべき言葉などなかった。

 

 

 

 

 

 

「仕事は終わった。二日分の水と干し肉、あと葡萄酒(ワイン)を一本くれ」

「……そのようだね。私からも礼を言っとくよ」

 

 村長宅を出てそのまま酒場に向かったカージスは、カウンター越しに帰りの食糧と水を注文する。

 不機嫌な顔が常であるらしい店主――ポリーは、台帳に向かって動かしていた羽ペンをインク壺に挿し、椅子から立ち上がった。

 時刻は昼前。時間帯のせいか、酒場には客の姿はない。

 あるいは恐ろしい余所者(傭兵)が村に戻って来たことで、昼間から酒場に屯している類は万が一にも遭遇しないように家へ逃げ帰っただけなのかもしれないが。

 記入を中断した台帳を横目に、ポリーが小さく呟く。

 

「あの娘は"根付き"だけど、組合(ギルド)に籍は置いたままだったからね。請けた仕事の詳細はこの店で記録、管理してたんだが……」

 

 もう、それも必要なくなってしまった。

 言葉にせずとも、吐き出された小さな嘆息はエルシェルという女冒険者の結末を確信しているようであった。

 元はカージスの同業だったであろうポリーは既に理解し、覚悟していたのだろう。

 原因が何であれ、エルシェルの魂は既に女神の御許へと還ったのだ、と。

 それでも思う処はあるのか、彼女は剣呑さを滲ませた声で問うてくる。

 

「……これだけは聞かせな。あの娘がくたばった原因は、きっちりと()ったんだろうね?」

「あぁ、水棲巨人(スヨトロール)だった。討伐証明もここにある」

 

 背負う荷を親指で指す傭兵を見て、店主は「そうかい」と、短く言葉を洩らして、溜飲――胸中の憤懣や哀しみによるものを、幾らかでも下げたようだ。

 

「こんな田舎に、とんだ大物がいたもんだ……逃げちまえば良かったんだよ、あの娘も。三級単独で巨人を相手に退却……それを臆病者なんて言う奴は、いやしないってのに」

「彼女にもそうは出来ない理由があった、って事だ」

 

 首筋に手を当てて苦々しく吐かれた声に、カージスは淡々と否定を返す。

 死後、魔獣化してしまったことで生態系暴走(スタンピード)を狙って起こす側に回ったエルシェルだが……人間であったときの彼女は、遥か格上の水棲巨人(スヨトロール)を相手に生態系暴走(スタンピード)を阻止せんと決死の戦いに臨んだ。

 内心では故郷への複雑な感情や、弟子である少女への未練があったのだとしても、その行いは賞賛されるべきものだろう。

 都市部のようなきちんとした戸籍記録があれば、冒険者組合(ギルド)から遺族へとの支給金が贈られてもおかしくはない、彼女の選択はそれだけのものであったのだ。

 

 事の詳細は村長にでも聞け、と続ける傭兵に、鼻を鳴らして応じた店主は注文された品を手早く揃え、まとめてカウンターの上に置く。

 

「あの娘の仇を殺ってくた礼ってほどでもないが……葡萄酒(ワイン)分はまけといてやるよ、精々味わって飲みな」

「そうか、助かる」

 

 軽く礼を述べながら支払いを済ませ、荷袋の口を開けて注文した品をしまい込んでゆくカージス。

 それを腕を組んで眺めながら、店主(ポリー)は面白くもなさそうな表情で口元を歪め……ややあって独り言のように呟きを洩らす。

 

「……あの娘が、街で酷い目をみてこの村に戻って来たってのは、なんとなく分かってた」

 

 そういう女冒険者は、何度も見て来たからね、と苦々しい言葉が付け加えられる。

 仏頂面の下に隠した感情は憐憫か、後悔か。

 どちらにせよポリーの眉間の皺は一層深くなり、自然と口調も吐き捨てるようなものに変化していった。

 

「元から村の連中殆どに辛辣だったが、男相手には特に酷かったよ。あの娘の腕と頭があってそこらの馬鹿に騙されたとは思えないから……仲間か、信用してた(ヤツ)か、どっちかにロクでもない目に合わされたんだろうさ」

「…………」

 

 村長宅でそうしたように、カージスはやはり無言で独白に耳を傾ける。

 店主が溢す言葉は、彼にとって特に驚くようなものでもなかった。

 森での探索中に予測し、導き出したエルシェルの人物像と、その後に交戦した魔獣化した彼女の骸から聞いた言葉――これらを総合すれば、自然と浮かびあがる話だからだ。

 

 自分に対する偏見と拒絶が蔓延る故郷に嫌気がさして飛び出し、街へ向かい。

 田舎から一人出て来た小娘が、小さくない努力と苦労を重ねて、ようやっと掴み取った一人前の冒険者という肩書。

 年齢的にも、当時のエルシェルの冒険者としての人生は正にこれから、という時期だっただろう。

 

 だが、下らない連中の悪意によって、その成功した筈の道は絶たれた。

 

 残ったのは男性恐怖症(アンドロフォビア)という冒険者として致命的な症状を抱えた、傷付いた心と身体。

 無関係の男性であっても、恐怖の対象か"敵"と見做してしまう状態で、街で冒険者を続けられる筈もない。症状の度合いによっては、人の多い土地だと日常生活にも支障が出るだろう。

 だから、元から"敵"ばかりであった故郷に戻る道を選んだ。今の心身を抱えながら生活してゆくには、それしかなかった。

 そんな暮らしの中でも、"根付き"の冒険者として仕事自体は真っ当にこなしていたのだから、彼女本来の気質は紛れもなく善良だったのだろう。

 魔獣化する前から自分の幼少と近い境遇である少女には、並々ならぬ庇護欲と執着を抱いていたようだが……それも彼女の辿って来た人生を思えば、当然であったのかもしれない。

 

 なんにせよ、過ぎた話だ。

 エルシェルは死んだ。辺境に蟠る小さな悪意の連なりに集られ、挟み潰されて。

 胸糞が悪いが、こういった話は幾らでも転がっているものだ。

 勿論、辺境にあるのは決して悲劇ばかりではない――だが、顧みられることすら無く消えていく者達が在るのも、また事実であった。

 

 ポリーも嫌と言う程分かってはいるはずだ。

 だが、それでも話しておきたかった、知っていて欲しかったという事なのだろう。

 エルシェルと言う女冒険者のことを。この村の者ではない、彼女の仇を討った男に。

 

 一方で、話を聞かされた本人であるが。

 

「神父にでも言え」

 

 顔をしかめて溜息を吐き出した。にべもない物言いである。

 

 村長にしろ、ポリーにしろ、結局の処は生前のエルシェルに対して具体的な何かをしてやれなかった、という悔いがあるのだろう。

 酷な事を言うようだが……今更に過ぎる。

 後悔を噛みしめたまま日々の生活に戻ることが苦痛だというのなら、それこそ村の教会で懺悔でも告解でもすべき――遺品を回収しただけの傭兵を懺悔室代わりにされても困る、というのがカージスの素直な意見であった。

 歯に衣着せぬ傭兵の言葉に、店主は仏頂面に微かな苦笑を浮かべる。

 

「……耳が痛いね。だが、確かにその通りだよ。悪かった」

「全くだ――過去を悔いるのも結構だが、この村の今後を心配した方が良いと思うぞ」

 

 分かってるだろう? と皮肉を込めて小首を傾げてやると、ポリーは苦笑いを引っ込めて鼻を鳴らし、当然だとばかりに頷いて再び腕を組む。

 

「ふん、分かってるさ。今回の一件で、あれだけ優秀な"根付き"を冷遇していたツケの支払期限は、一気に近づいた」

 

 生態系暴走(スタンピード)は限りなく収縮したとはいえ、爪痕は残っている。

 森の環境は荒れに荒れた。生き残った動物達のそれぞれの縄張りが安定するまで、これからは森の外――村周辺で遭遇する肉食獣や魔獣の数も増えていくはずだ。

 エルシェルが死んだ以上、外部に駆除依頼を出すか、新たな"根付き"を呼び込むしかないが……組合(ギルド)は馬鹿でもなければ無私無償の慈善団体でもない。

 今回の件の追加調査で村の実態は把握するだろうし、組合とその構成員に対して極めて非協力的なド田舎の寒村に、まともな人員は送らないだろう。送られてくる依頼は全て意図的な塩漬け(ブラックリスト)にして放置する可能性すらある。

 

 直接的な壊滅・全滅の危機は去ったとはいえ、この村の将来は明るくない。

 近い将来、増えてゆく害獣被害を解決できずに破綻するだろうという傭兵の指摘に、女店主はそうなるのは当然……むしろ妥当な結末である、と首肯した。

 

「いっそ、それも良いさ……来るべきときが来たら、店も畳んで村から出て行ってやるよ――せめて、イオのやつくらいは連れてね」

 

 

 

 

 

 

 酒場を出ると、カージスは空を見上げる。

 初めて村を訪れた時と同じく、陰気な空模様だ。

 自身の気分まで湿気たものになりそうな気がして、直ぐに首の角度は元に戻った。

 もうここに用は無い、あとは帰るだけである。

 気分の良い結末だったとは言い難いが、仕事自体は成功した。街に戻って組合への報告を終えたら、当初の予定通りに休暇を楽しむとしよう。

 そんな風に考えて一歩を踏み出した途端、声がかけられる。

 

「やぁ、傭兵さん。仕事は終わったのかい?」

「……あぁ。そっちも怪我の具合はどうだ?」

 

 声の主は、最初に村の外で出会った青年であった。

 この村では珍しい、余所者であるカージスに対して隔意の無い人間だ。最後の挨拶くらいはしておこうと身体ごと向きを変え、片手を挙げる。

 若者は包帯を巻いて三角布で吊るした腕を逆の手で軽くつつき、険の無い表情で笑った。

 

「あんたが応急処置ってやつをしてくれた御蔭で、神父様の治療も手早く済んだよ。最初の夜は腫れるわ熱が出るわで酷かったけど、今は落ち着いた」

「そうか、まぁ治るまで無茶な動かし方はしない方が良い、無駄に長引くぞ」

「そうするよ。薪割りを片手でやるのは、ちょっと大変だけどな」

 

 おどけた調子で肩を竦めた青年は、一拍置いて神妙な顔となる。

 唐突な表情の変化にカージスが訝し気に見つめると、何かを言いづらそうに口元を歪め……やがて決心がついたのか、声を潜めて口を開く。

 

「その……村長の依頼ってのは、あの(ひと)のことだったんだろう? ……やっぱり、駄目だったのかい?」

 

 村の人間ならば、エルシェルの件は知っていて当然だろう。

 この期に及んで隠す必要もない。傭兵はあっさりと頷いてみせた。

 

「そうだ。彼女の遺品を回収して、渡して来た」

「そうか……もう半月近く前の話だしなぁ……当然かぁ」

 

 がっくりと肩を落とした青年の様子をみて、意外なものを見た気分となる。

 口には出さずとも傭兵が向けた視線の意味を察したのか、青年は後頭部をぽりぽりと掻いて決まりが悪そうに眼を逸らした。

 

「……確かに死んだ爺婆なんかは、あの(ひと)やイオニーナのことを鬼子だ忌み子だなんて言ってたし、親父や母さんもそれに倣ってたけどさ……村の為におっかない魔獣を倒してくれてたのは確かだろ? その恩を棚上げして悪く言うのは、どうにもな……」

 

 下手に口にすれば、今度は自分も村八分になるので表立っては言えなかった、と。

 悔恨を滲ませた声で青年は呟く。

 

「こっそり礼くらいは言いたかったけど……男嫌いみたいでどうにも近づきにくくてさ。結局、話すことも出来なかったなぁ……」

 

 青年によると、彼と近い年の若い連中の中には、彼と同じようにエルシェルとイオを鬼子扱いすることに違和感を覚えていた者が何人かいるのだという。

 それを聞いて、カージスは無言で天を仰いだ。

 相変わらずの曇天であったが……今の気分にはむしろ丁度良いと思ったくらいだ。

 

 遅く、そして食い違っていた。何もかも。

 あの師弟にとってここはクソッタレな故郷ではあるが、本来ならば決してそれだけではなかったのだ。

 誰か一人――村長でもポリーでも、偏見に染まり切って無い村の若い衆でも、誰でも良い。

 大きく声を上げて、本心を晒していれば。

 あるいは、エルシェルがイオだけに執着せず、自身を肯定してくれるであろう者達に気付き、一歩踏み出していれば。

 何かが変わっていたのかもしれない。

 

 だが、そうはならなかった。何もかも今更だ。

 感傷や哀しみに浸るほどこの一件に入れ込んでいる訳でも無いが、それにしたってあんまりにもロクでもないオチであった。

 己の気分が下降の一途を辿っているのを感じてカージスが盛大に嘆息を漏らすと、青年は申し訳なさそうに小さく頭を下げる。

 

「悪い、あんたに愚痴ることでもなかったな……今、一番しんどいのはイオニーナだろうし、今度こそ何か出来ると良いんだけど……」

「……家に閉じこもってるなら、まだマシだろうよ。自棄になって村の外を一人でうろつくよりはよっぽど安全だ」

 

 森からの帰り道、半ば虚脱状態で言われるままに歩くだけだった赤毛の少女を思い浮かべ、更に追加の溜息が洩れそうになる。

 そんな傭兵に対し、青年は首を軽く横に振って言葉の一部を否定した。

 

「いや、ついさっき家から出て来たのを見たよ。着の身着のままって感じで、村の中を歩き回ってた」

「……おい、まさかそのまんま外に出たんじゃないだろうな?」

「それはないと思うぜ? 顔色も悪かったし、フラフラしてたし、あれで外に出ようとしても出入り口の見張りに止められるよ」

 

 あの娘にも挨拶していくのかい? という青年の言葉に肩を竦め、そのまま軽く手を振ってカージスは歩き出す。

 

 ……帰り道は勿論のこと、屍食鬼(グーラ)を仕留めてからずっと、あの赤毛の少女とは一言も喋らなかった。

 亡骸を埋めている間、一度だけ「どうして」と呟いたが……アレは彼に話しかけた訳ではない。

 頭の中で溢れ返って、どうしようもなくなってこぼれたであろう一言だった。

 怪物へとなり果てた姿だったとはいえ、家族同然であった師匠の首を刎ねた男と仲良く会話出来るはずも無い。村に帰るまでの間、大人しく指示に従っていただけでも上出来である。

 あくまで自分は部外者、今回の一件限りの雇われだ。立ち直るまでフォローするのは、村長や店主(ポリー)の役目だろう。

 

 そのように思考を纏めると、気分を切り替える為に傭兵は軽く伸びをする。

 街に戻ったら奮発して良い酒でも買おう、などと考えながら、数日前に歩き切った延々と続く湿地帯に向かって歩を進めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 変わり映えのしない泥濘の大地を、黙々と歩く。

 聞こえて来る微かな声に気付いたのは、村が見えなくなって直ぐの辺りであった。

 

「…………」

 

 不快な予感か確信。それらに近いものを覚え、傭兵は黙して道を変える。

 特にぬかるみの酷い足場を避け、伸びた藪を押し退けて道なき道を進む。

 声は段々と近付き、ハッキリと聞こえて来る。複数の人間のものだ。

 進んだ先に見えたのは、湿地帯には珍しい一本だけ伸びた大きな樹であった。

 とうの昔に枯れて色を失ったその樹木の根元で、声の主である男達が何かを囲むようにして喧しく騒いでいる。

 

「ヘヘ……おい、そっちの足抑えといてくれよ」

「大丈夫だろ。こいつ、もう大して抵抗もしてないぜ」

「あぁ、ここ引き摺ってくるのも思ったより楽だったしな」

「ざまぁねぇな、あの化け物女がいなきゃこんなもんだ」

「ガキの頃からイイ身体してやがったからなぁ。あの女の舐めた態度の分も、これからたっぷり返してもらおうぜ」

 

 どうやら、大人数で一人を囲んでいるらしい。

 殆ど無抵抗な相手にのしかかり、嬉々として自分の腰帯を解いているのは……確かゴードガーと名乗った、酒場でクダを巻いていた酔漢の一人だ。

 嗤い合う男達の耳障りな粘つく声に、反射的に腰の斧へと手を伸ばすカージス。

 だが、使う必要もないと判断したのか、結局は柄から手を放して背を向けた男達へと静かに歩み寄る。

 

「おい」

 

 問いかけは傭兵自身が意図していたものより数段低く、冷えた声色で吐き捨てられた。

 よほど夢中になっていたのか、背後からかけられた声に男達は驚愕の表情を浮かべて一斉に振り返る。

 

「なっ……てめぇ、余所者!」

「まだ俺達の村の周りをウロチョロしてやがったのか……!」

「何の用だ、見世物じゃねぇぞ!」

「ヒイィッ!?」

 

 彼らの驚きは一瞬。すぐさま敵愾心に塗り替え、口々に恫喝混じりの怒声が浴びせてきた。

 男達の殆どは、村にやってきたばかりのカージスに絡んで来た酒場の酔っ払いだ。

 実力差は身に染みたはずなのだが……あのときより人数が多く、酒も入っていないので今度はどうにかなると思ったらしい。ゴードガーだけは傭兵を見て悲鳴を上げ、横に転げたが。

 

 転げた小男の下にいたのは、赤毛の少女――イオだ。

 

 四肢はぐったりと力無く地に投げ出され、顔には痛々しい殴打の痕が残って腫れあがっている。

 部屋着と思われる服は乱雑に引き裂かれ、裂けた布地の隙間から年の割には豊かな乳房が零れ落ちていた。

 少女に刻まれた暴行の痕跡に、凌辱の名残や刃物による深い刺し傷などがないことだけ確認した傭兵は、喚く男達に塵を見るような視線を向け、端的に命じる。

 

「五秒やる、失せろ」

「あぁ!? 寝惚けてるのか余所者が!」

 

 気色ばんで更なる怒声を張り上げる連中の一人――もっとも近い位置にいた男が、短刀を取り出して突きつけてきた。

 五秒を待たず、カージスは動き出す。

 短刀を握った腕の肘が、跳ね上がった拳に小突かれて逆方向にへし折れる。折れ曲がった腕から骨が皮膚を突き破って飛び出し、小さな血飛沫を上げた。

 

「へっ……あ? いぎぃぁぁぁぁっ!?」

「て、てめぇ、いきなり何しやがる!?」

「ふ、ふざけやがって! おい! 全員で――」

 

 たちまちにあがる悲鳴と怒号。

 それが収まる前に奪われた短刀の柄で一人が側頭部を抉られ、怒声をあげていた一人が膝を蹴り砕かれて横転する。

 踏み込んでくる傭兵に反射的に腰の棍棒を振り上げた別の一人は、腕を振り下ろす前に横腹へと貫き手が捻じ込まれ、根本まで埋まった指が肋骨を捻り砕きながら引き抜かれた。

 血反吐を吐いて蹲る男の手からすっぽぬけた棍棒が空中で掴み取られ、振り向きもせずに背後へと叩きつけられる。短剣を握った他の男が、握った短剣ごと肩を砕かれ、潰れた肩に飛び散った刃の破片が喰い込んで絶叫をあげ、地を転げ回った。

 逃げ出す者の背に向け、投げつけられた棍棒が唸りを上げて飛ぶ。後頭部へと直撃して呻き声すらあげずに顔面から泥濘へと倒れ込む。

 咄嗟に掴みかかったはずの男は足を払われ、派手に泥を跳ね上げて転び。払われた右足が掴まれて捻られると同時に、枯れ木がへし折れるような音を立てて右の足首と膝の関節が増える。

 

 打たれ、潰され、へし折られて砕かれ。

 一人あたりに秒すらかけず、男達は湿地帯の大地へと沈んだ。

 

「ヒ、ヘ、あぁぁっ! くるっ、くるなぁぁぁっ!?」

 

 腰を抜かしていた最後の一人、ゴードガーが裏返った声で喚き散らし、横たわるイオの首筋にナイフを添えようとして――傭兵の手から飛んだ短刀によって肩を貫かれて身を仰け反らせる。

 

「ぐげっ!?」

 

 次の瞬間には顔面に靴底を叩きつけられ、蹴り足と背後の枯れ木で挟み潰された。

 顔中の穴から血を垂れ流して崩れ落ちるその姿には目を向けず、カージスはまだ意識のある者に歩みより、躊躇なくつま先で腹腔を蹴りつけ、内臓を抉って悶絶させる。

 全員、都市部の大きな教会による治癒か、高位の霊薬でも無い限りは完治は難しいだろう。少なからず後遺症が残るはずだ。

 それ以前に、放置しておけば意識が戻る前に近辺をうろつく肉食獣や魔獣に喰われて死ぬかもしれないが……自業自得である、知った事ではなかった。

 最後まできっちり丁寧に男達を潰し終えると、倒れ込んだままのイオへと首を向け、声をかける。

 

「生きてるか?」

「……なんで、たすけたのよ……」

 

 力無い、捨て鉢な返答。

 痛々しい姿のイオは、のろのろと身を起こして枯れ木へと背を預け、再び脱力した。

 周囲に倒れる男達へと、怒りも嫌悪もない、ただひたすらに気怠そうな視線を向け……それすら億劫になったのか、息を一つ吐き出して俯く。

 

「……分かってた」

 

 やがて、誰にともなく呟きが洩れた。

 

「本当は、分かってた……先生(ねえさん)が、アタシが街に行きたいっていう度に、怖い目をすることも。男が嫌いで、怖くて……だから、村の奴らに凄くキツイ態度を取ってたことも」

 

 言葉が続くうち、放り出されていた少女の腕に力が込められ、指先が地面に喰い込んで水気を含んだ土を抉る。

 

「……分かってたのよ。あの人はアタシが思ってるより弱くて、傷付いていて……ただ、そう見せないように必死だっただけだって」

 

 俯いたままだった顔が上げられ、少女を黙って見下ろす傭兵と視線がぶつかり合う。

 猫を思わせる大きな瞳には、溢れんばかりの涙が湛えられていた。

 身体の痛みなど比較にもならない、もっと奥底から突き上がる哀しみ(いたみ)に、とうとう双眸を決壊させたイオは癇癪を起したように喚く。

 

「分かってた……! けど、アタシにどうしろっていうの!? アタシには先生(ねえさん)しかいなかった! 爺ちゃんもポリーも"敵"じゃないだけ、アタシの本当の味方はあの人だけだった!!」

 

 悲鳴のように響く甲高い声は、ただただやり場のない感情を激情に変えて吐き出す者のソレだ。

 昂る感情のまま立ち上がり、だが痛めつけられた身体はついてゆかず、よろめいて。

 両膝を地につけた少女は、それでも伸ばした震える手で、傭兵の外套(コート)の端を掴み、叫び続ける。

 

「怪物に変わっても構わなかった! 一緒にいたかった! けど、あの先生(ねえさん)はもう先生(ねえさん)じゃなくて! なのに、さ、さいごは、あ、アタシをかばって……!!」

 

 外套(コート)の裾が千切れんばかりに握りしめられ、心も、喉も、張り裂けんばかりに慟哭が絞り出された。

 

「なんで、こうなったの……アタシはどうすればよかったのよぉっ……!!」

 

 親からはぐれた幼子のように泣き喚く少女を、カージスはやはり無言のままで見下ろし。

 腰の後ろに備えた小袋(ポーチ)から小瓶と取り出すと、やにわに中身を少女へとぶちまける。

 

「へぷっ!?」

 

 傭兵の行動があまりに唐突だったせいか、文字通り水をかけられた顔で間抜けな声を上げるイオ。

 同時に痛々しく黒ずみ、殴打の痕残る彼女の頬や瞼が、みるみるうちに腫れが引いて皮下の出血も治まってゆく。

 今回の仕事では終ぞ使う事の無かった虎の子の霊薬――癒しの効果があるソレが入っていた小瓶を放り捨てるカージス。

 彼は自身の着ている外套(コート)を脱ぎ、怪我がほぼ消え去った事に目を白黒させている少女へと押し付ける。

 次いで彼女の前に膝を着いて目線を合わせ、手を伸ばしてその赤毛の頭部をぐわしっ、っとばかりに鷲掴みにした。

 

「甘ったれるな、クソガキ」

 

 配慮? そこに見当たらなければないですね。

 心に深い傷を負った少女へと、間近でガン飛ばして告げられたのは、正論とは名ばかりのド畜生の如き台詞であった。

 

「村長も、酒場の店主も、お前も。何もかもが今更だ。エルシェルは死んだ、もう戻ってこない」

「…………ッ……!!」

 

 容赦なく叩きつけられる言葉に、イオの表情が痛みを堪えるように歪む。

 それでも反射的に反発しなかったのは、傭兵の口調がこれまでのように淡々としたものではなく、押し殺した怒りが滲むものであったからだ。

 

「くたばった奴の考えなんて、遺言でもなけりゃ分からないままだ。ましてやお前が最期に聞いた師匠の言葉は、死後に魔獣化したことで歪められた残滓みたいなもんだ、参考にもならん」

 

 死者は蘇らない。時がさかしまに戻らないように、不可逆の理である。

 知りたかった故人の想い、聞きたかった本音や真実。

 親しい者ならば多少は推しはかることが出来ても、真の意味でそれを知る機会は二度とやってこないのだ。

 

「死人に何を聞いても答えは返ってこない。エルシェルがお前に何を求め、どんな冒険者になって欲しかったのかは、これからもずっと分からない――だが」

 

 ともすれば吐息が届きそうなほどの距離、威嚇するが如き眼力で以て、傭兵は少女へと語り続ける。

 

「先に逝った奴に、自分の見つけた結論(モノ)を問い続けることは出来る。答えが返って来なくとも、問い掛けて、これが今の自分だと示し続けることは出来るんだよ」

 

 傭兵の言葉を聞き続ける間に、少女の表情が変わってゆく。

 困惑から、驚きへ。そして驚きから、幾らかの理解へ。

 そんな彼女の様子を見て取ったカージスは、一旦言葉を切ってひとつ、頷いた。

 

「会いにいけ」

「…………えっ?」

「いつか、会いにいけ。お前の師匠が眠る、あの森の奥に。一人でも行けるようになって、墓前に花でも添えて、ついでに『今の自分は、貴女が誇れる弟子ですか?』とでも聞いてやれ」

 

 言いたい事は言い終えた、と。傭兵は立ち上がった。

 彼の言葉を受けて眼を見開いた少女は、その瞳に微かな光を浮かべ――だが直ぐに消沈するように曇らせる。

 

「…………でも、先生(ねえさん)の遺体は……」

生態系暴走(スタンピード)の原因は水棲巨人(スヨトロール)だけだ。()()()()()()()()()。その阻止に尽力して、力及ばず死んだ冒険者の墓を、組合(ギルド)の調査員は保全こそすれど掘り返して調べるような真似はしない」

 

 その言葉に、少女は今度こそ弾かれたように顔をあげた。

 三級冒険者を依り代にして生まれた屍食鬼(グーラ)

 最低でも一級か、それ以上の脅威度の特殊な魔獣の討伐報酬を、この男は丸ごと諦めると、そう言ったのだ。

 生態系暴走(スタンピード)の掌握と規模拡大を企んでいた件も併せれば、その報奨金はとんでもない額になるはずだ。

 その巨額の報酬を、名誉を、自ら隠し、無かったことにすると。

 

「なん、で……どうして、そこまで……」

「別にお前のためじゃない――俺にも事情がある、それだけだ」

 

 呆けた声での問いに、カージスは面倒くさそうに鼻を鳴らして目を逸らす。

 一級が徒党を組んで当たるような魔獣を二級が単独で叩き潰したとなれば、組合(ギルド)や現地の貴族は情報の正誤や報告に虚偽がないか、確認を取るだろう。

 少なからずカージス自身にも調査の手が伸びる――そうなれば、彼が秘匿している得物や出自に辿り着く者が現れるかもしれない。

 二級傭兵として不自然の無い戦果は、あの水棲巨人(スヨトロール)でギリギリだ。元より、屍食鬼(グーラ)に関しては公にするつもりはなかったのである。

 

 カージスとしては自身の身を守るための当然の選択なのだが、"渡り人"という言葉の意味すら知らぬイオに、そのような事情が汲めるはずもなく。

 ぶっちゃけ傭兵の態度は、不器用な優しさを誤魔化す照れ隠しの類にしか見えていない。

 事実、彼女は受け取った外套(コート)をぎゅっと抱きしめ、なにやら感じ入った面持ちであった。

 奇妙な……だが第三者からすれば、生暖かい視線を向けたくなるすれ違いが発生していることに気付かず、傭兵は少女に背を向ける。

 

「……色々と言ったが、あの村は近いうちに破綻する。全部諦めてただの村娘に戻ったとしても……あの店主が村の外に連れ出してくれるはずだ」

 

 最後に肩越しに振り返り、口の端を吊り上げ、皮肉気に笑ってみせた。

 

「好きに選んで、好きに生きろ。お前次第だ、イオニーナ」

 

 そうして。

 辺境の端へとやってきた傭兵は、来た時と同じ迷いの無い足取りで歩き出し、曇天の湿地帯へと消えていった。

 

 

 

 遠ざかり、見えなくなってゆくその背を、ずっと眺めていたのか。

 長らく動かなかった少女が、深く、長く、息を吐きだす。

 ひどく重たく感じる身体を叱咤し、ふらつきながら――けれど、今度は確りと立ち上がって。

 抱えていた外套(コート)を羽織り、霊薬で治り切らなかった二の腕の痣をさすると、顔をしかめながら呟いた。

 

「……あきらめるワケ、ないでしょ」

 

 今も地に転がる自分を襲った男達になど、一瞥すらくれず。

 ただ真っ直ぐに前を見て、歩き出す。

 

「……あきらめて、たまるか――いつか、会いに行くんだ」

 

 胸にこみ上げるのは、今でも残る哀しみか、それでも進もうとする意思か。

 ともすれば嗚咽に変わりそうな声色の独白と共に、イオニーナは進み続ける。

 

「……負け、てっ……たまるかっ……!」

 

 家族のように傍で優しく守り続けてくれた、師のように。

 どこまでも強かった、あの傭兵のように。

 今は遠い――だが確かな標となったその背中を追うように、歩き出したのであった。

 

 

 




 
元が長編だったので伏線とか色々投げっぱですが、一旦はこれで完結です。
止まってる別作品を完結させて、需要がありそうならこちらも長編に変更して続きを書く予定。

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