天秤大陸の断頭台(一旦完結)   作:弐目

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屍食鬼 Ⅸ

 

 静かな対峙は数秒。

 動き出したのは両者同時であった。

 時刻は既に深夜。月光が降り注ぐ森中の湖前で、傭兵と怪物は戦闘を開始する。

 

 棍が大気の壁を貫いて突き込まれ、異形の指先より伸びた爪がそれを打ち払う。

 先程へし折った筈の指は、既に痕すら残さず修復されていた。あの水棲巨人(スヨトロール)より低位ではあるが、自己再生も有しているらしい。

 払われた棍がくるりと回転し、上段斜めからの振り落ろしに変化。唸りを上げて鋼が(ヘイゼル)の髪色の側頭部へと吸い込まれた。

 

「あら速い」

 

 感嘆を呟く屍食鬼(グーラ)は、初手の突きを弾いた体勢のままだ。回避は困難かと思われたが、右足の爪先を支点に異様な程に身体を傾かせ、強引に身を反らして凌いでみせる。

 反撃とばかりに傾いだ体勢から飛ぶ左の蹴り。履いていた革長靴(ブーツ)は既に引き千切れ、魔獣と呼ぶに相応しい発達した足指と爪が剥き出しになっていた。

 再び鋼棍を半回転させ、逆の石突付近で蹴りを受けるカージス。僅かに力負けし、靴底が地を抉って短い轍を刻む。

 間合いが離れ、再び互いを観察するようにそれぞれ爪と武器を構え直す。

 

「ふふっ、怖い顔」

「……チッ」

 

 湖を背にして余裕を見せる屍食鬼(グーラ)を見て、傭兵の口端から小さな舌打ちが洩れた。

 分類的には人間サイズ――小型の魔獣でありながら、蹴りの衝撃は相当なもの。下手な中型を上回る一撃であった。

 更に厄介なのは、打ち込んだ突きが単純な膂力だけではなく確かな技も併せて弾かれた事だ。

 

(過去に発見された屍食鬼(グーラ)は、三級冒険者のパーティーに討伐されたらしいが……)

 

 過去に読んだ資料によれば、原種返りを起こすのは屍喰(グール)と魔力的性質が近い亜精霊が、人類種の雌性体へと憑依した場合のみ。

 相当に昔の資料だったせいなのか、討伐された屍食鬼(グーラ)の基となった女性が、どんな人間であったのかまでは記載がなかった。

 ただ、発見された際の一例が『行方不明となった村娘の捜索』の依頼を請けていた冒険者が捜索を行っていた最中であったので……順当に考えれば、憑依されたのはその村娘なのだろう。

 

 憑いた個体の質によって危険度が変動するのは、山精(バーゲスト)などにも見られる特性だ。発生経緯が似通っている屍食鬼(グーラ)にも、同じ特性があるのは当然――どころか、資料が確かであれば、憑依された者の身体能力、技能、知識が優れていればいるほど、その脅威度は跳ね上がる。

 ただの村娘を基にした個体が三級相当。

 ならば、腕の良い冒険者の亡骸を以て誕生した屍食鬼(グーラ)は?

 

「やり辛そうね。斧と比べて棍の方は使う機会が少ないのかしら?」

 

 思考と観察を兼ねてじりじりと摺り足で距離を詰める傭兵に、魔獣が楽し気に問いかけた。

 

「それとも、こっちが気になる?」

 

 続く言葉と共に軽く掲げられたのは、カージスのもう一つの得物――大ぶりな刃を持つ手斧である。

 

 野営地から吹き飛ばした際、掠め盗られたのは彼も気付いていた。

 最初の色仕掛けには武器を奪っておく、という目的も含まれていたのだろう。あの状況において確実に指が届く鋼棍を優先したが、斧の方は目論見通りに奪われてしまった形だ。

 

「手癖が悪いな。憑いた人間の知識を利用するのは得意らしい」

「私も巨人(アレ)の硬さと頑丈さには手を焼くと思っていたもの。それを易々と斬り落とすような武器、封じるのは当然でしょう?」

 

 傭兵の皮肉にも余裕を崩さず、彼のお株を奪うように屍食鬼(グーラ)は肩を竦めてみせる。

 単純な戦闘力も高いが、なにより人間の機微を理解する立ち回り。魔獣としては特異な、その知能の高さ。

 やはり、基とされた犠牲者(エルシェル)の知識や技能を余さず継承しているらしい。先の水棲巨人(スヨトロール)より余程厄介な相手であった。

 

 異形の腕に握られた手斧が、後ろ手で無造作に放られる。

 斧はくるくると回転して宙を舞い、放物線を描いて魔獣の背後――水棲巨人(スヨトロール)の棲み処であった湖の中心へと落ちて小さな水柱をあげた。

 

「これであのこわーい魔装(ハルバード)は使えない。まさか卑怯とは言うまいな、ってね?」

「言ってろ。頭カチ割られても泣くなよ」

 

 再び鋼と爪が打ち合わされ、金属同士が激突したような音を立てて火花を散らす。

 互いに弾かれ、踏み止まったカージスが軸足を回転させながら身を捻り、回転の威力を乗せて鋼棍を水平に薙ぎ払う。

 弾き合って身体を逸らした状態であった屍食鬼(グーラ)は、そのまま背後へと倒れ込んで横薙ぎを回避。

 棍が鼻先を通過した瞬間、地に喰い込ませた足の爪を支点にしてバネ仕掛けの如く身を跳ね戻した。

 

「ふふっ、お返し」

 

 鉤爪が手刀の形で束ねられ、鋭い穂先を思わせる一閃となる。

 直撃すれば顔面に大きな空洞が出来るそれを、カージスは眉一筋動かさずに首を傾げて躱す。

 一撃で終わりではない。本来の姿を取り戻した異形の腕が交互に振るわれ、風を裂く連続突きとなった。

 傭兵の眉間を、首を、腹を、脚を、抉り潰さんと爪の槍が殺到する。

 常人では視認すら困難な五月雨の刺突を、棍で逸らし、捌く。

 擬態は止めたのか、屍食鬼(グーラ)の四肢は既に魔獣のそれとなり、体色も屍喰(グール)に近いものに変化している。

 だがその面貌は、やはり依り代たるエルシェルの面影を強く残したままだ。

 楽し気な声を上げ、亀裂のような笑みを浮かべる魔獣は、しかし生前の彼女が決して見せないであろう恍惚とした表情を浮かべた。

 

「あぁ、本当に強い雄(いいオトコ)ね。巨人(アレ)の魔核を食べれなかったのは残念だけど、貴方を食べればお釣りがくる」

「餌として評価されて喜ぶ趣味はない」

 

 棍と爪という異色の剣戟が続く中、情欲のソレにも近い声色を発する屍食鬼(グーラ)に対し、傭兵がハッキリと顔を顰めて吐き捨てる。

 

 その間にも、両者の攻防が止まる事はない。

 鋼棍の先端で払われた上段からの爪撃が弧を描いて下から突き上げられ、瞬時に握りを変えた棍の素早い切り返しが再び打ち落とす。

 回転を加えた棍の突きが魔獣の胴を穿とうとして、軸足をズラして上体を捻る動作で躱された。

 払い、弾き、打ち下ろし、薙ぎ、突き、無数の攻めと守りを交換しながらも、未だ互いに直撃は無し。

 一進一退、ほぼ互角に思える戦い。

 その最中、一度は途切れたかに思えた会話が続く。

 

「不服? それなら暫くは飼ってあげても良いわ。貴方の種なら強い屍喰(こどもたち)が生まれそうだし、食べるのは私達が十分に増えてからでも良いもの」

 

 軽い口調ではあったが、魔獣は心底本気で言っているのだろう。

 事実、戦いの最中にカージスへと注ぐ視線は、上等な食糧と子を為すのに適した雄を見る目が半々に混じり合ったものであった。

 あるいは、最初の誘惑が成功すればそのまま嬉々として事に及んでいたのかもしれない。

 当然、欲求を向けられる本人には、魔獣に犯されつつ頭から齧られて喜ぶような特殊性癖は無い。益々もって嫌そうな表情となる。

 

螳螂(マンティス)かよ。猶の事ゴメンだな」

「あらそう? 残念」

 

 会話の終わりが切欠であったのか。

 何十合目かの打ち合いを経て、屍食鬼(グーラ)の身体が唐突に沈み込んだ。

 同時に、低い姿勢から身が捻られる。臍が真後ろに廻るほどに胴が回転し、ギシリと捩じり上げた弓の弦の如き音をたてる。

 およそ人間では不可能な動き。更に長い四肢と異様に広い関節可動域を活かし、鞭のような蹴りが足元から跳ね上がった。

 長い傭兵稼業で幾度も感じた悪寒が首筋を撫で上げ、カージスが目を見開く。

 魔獣の爪先、その先端から音の壁を裂く空烈音が発生するのを耳にしながら、咄嗟に棍を横手に構えて蹴りを受ける態勢に入る。

 受けるのは不味い。そう判断しながらも、その一撃は彼をして回避が困難である程に速い。防御を選択せざるを得なかった。

 全身を巡らせ、肉体を強化している魔力を瞬間的に自身の()()へと多く集中させる。

 

 ――衝撃。

 

 鋼棍へと叩きつけられた蹴りは、先の水棲巨人(スヨトロール)の剛打に迫る威力を秘めていた。

 鍛え上げられた鋼が僅かに軋み、それを握る腕にまで痺れが走る。

 衝撃を殺し切れず、片方の革長靴(ブーツ)の踵が地を離れて浮いた瞬間。

 蹴りから半瞬遅れて叩きつけられた背中への衝撃に、カージスの体勢が大きく崩れた。

 

「――ッ、チィ……!」

 

 予想通りの結果に彼の口から再度の舌打ちが洩れ、魔獣の口元に描かれた弧は、より深くなる。

 

 屍食鬼(グーラ)の蹴りは棍で受けられた場所を基点にして大きくしなり、弧を描いて傭兵の背中を強かに打ち据えていた。

 おそらく防御された瞬間、意図的に関節を外して更に可動域を広げたのだろう。

 当然、蹴り足には負担の掛かる行為だ。

 魔獣の強靭な肉体であれば腱や靭帯の断裂は免れるとはいえ、自らの負傷と相手へ痛打、その度合いを天秤にかけ、自傷を伴う攻撃を実行に移す思考は、やはり魔獣というより人間のソレに近い。

 

「隙あり、ね!」

 

 異形の腕が振り上げられ、よろめいた傭兵の身体を引き裂かんと爪が叩きつけられた。

 先にも増して避ける余裕は無い。攻撃の軌道にかろうじて差し込んだ棍が火花を散らし、だが受け止めきれずにその身体は叩き飛ばされる。

 鈍い音を立てて一度地に打ち付けられ、それでも止まらず。

 小石のように跳ねたカージスの身体は、そのまま宙を舞って湖へと着水した。

 最初に沈んだ己の武器に倣うよう、大きな水音と水柱があがる。

 

「あらあら、仕留めたと思ったのに……あのタイミングで受けられるとは思わなかった、流石ね」

 

 軽く地を蹴り、当然の如く関節をはめ直した脚の調子を確かめ。

 問題無いことを確認し、ぶくぶくと気泡を上げる湖面に向かって楽し気な声で賞賛を向ける屍食鬼(グーラ)

 僅かに赤が付着した爪の先を丹念に舐め上げ、血の味と肉を抉った感触を堪能すると、その顔に陶然とした表情を浮かべた。

 

「あぁ……良い、とっても濃い。ただ魔力量が多いだけの魔核よりずっと良い。鍛えた人間のものはこんなに濃厚なのねぇ……まるで上物の蒸留酒(ラム)みたい」

 

 爪先に微かに薫る血の名残りを惜しむよう何度も舌を這わせる姿は、紛れもなく怪物の様でありながら、どこか淫靡でもある。

 自身の爪が唾液でぬらぬらと光るまで存分に人間の血を味わった魔獣は、やがてそれだけでは足りぬとばかりに、食欲と情欲が入り混じって粘性を湛えた眼光を湖に向けた。

 

「さぁ、早く出て来なさいな。まさか溺れた訳でもないでしょう? それとも……夜の湖で深い底まで沈んだ斧を探すつもりなの?」

 

 水中の人間に聞こえる筈もない皮肉と嘲笑。

 その言葉が終わる前に水面が大きく盛り上がり、ずぶ濡れになった傭兵が頭に長く伸びた藻を引っかけながら立ち上がる。

 

「やってくれたな、オイ」

 

 静かに、苦々しく吐き捨てる男の声には、不覚をとったこと以上に別の苛立ちが滲んでいた。

 

 ――そして、その理由は直ぐに明らかとなる。

 

 荒っぽく掴んだ水藻の塊が、湖へと投げ捨てられ。

 たっぷりと水に濡れた全身を変わらず降り注ぐ月光が優しく照らし、露わにする。

 水に濡れたことが原因か、はたまた別の要因があるのか。

 燃え尽きた灰を思わせる傭兵の髪色は一変していた。

 

 月の光を吸い込むソレの色は、黒。

 他の色が一切混じらぬそれは、大陸では滅多に見ない――あまりにも希少である異邦人の証。

 

 不景気にも程があるしかめっ面でその黒髪をかき上げる傭兵を、屍食鬼(グーラ)は呆気に取られた表情で凝視する。

 

「…………は?」

 

 まるで人間のように呆然とし、目を瞬かせ……やがて理解が及んだのか。

 

「…………あ、あぁ! ヒヒッ、あは、ハハハハハハッ!! あぁ、そう、そういうことね!」

 

 人類種(ヒト)の知を得るに至った魔獣は、堪え切れぬ喜悦で表情を歪ませ、夜の森に響き渡る哄笑を喉より迸らせる。

 

「ワケありだとは思ったけど、とんだ希少(レア)ものだわ! 貴方、"渡り人"ね? しかも子孫や血族ではなく、異界から落とされた本人!」

「…………」

 

 基となったエルシェルが未知や希少を好む冒険者であった為か、それとも単に貴重極まりない食糧を前にした魔獣としての歓びか。

 無言、半眼で気怠そうに首を揉み解している当人を尻目に、大陸を探してもその末裔が何人か、と言われる筈の稀人を前にした興奮のままに、屍食鬼(グーラ)は捲し立てる。

 

迷い人(ストレイ)? それとも月の女神の方かしら? まさか伝承みたいな創世の神の加護持ちな筈も――っと、あぁ……なんでもいいわね、別に」

 

 唐突に言葉の羅列の勢いが萎み、含み笑いを浮かべた顔が数秒、伏せられ。

 

「――どうであれ、絶対に逃がさない」

 

 すぐに頤は上げられ、三日月の形に裂けた口元から垂れた長い舌が、溢れ出る唾液を啜り取った。

 

「貴方の種で産んだ私の屍喰(こども)達は、きっと大陸でも過去にない強靭な群れとなる」

 

 縦に割れた瞳孔を持つ双眸は、凄まじい熱量を伴った欲望でギラギラと輝き、夜の森にあって鬼火の如く揺らめいている。

 

「枯れ果てるまで交わり、子供達を増やせるだけ増やしましょう。その後に、欠片も無駄にせずに食べてあげる――そうすれば、私自身も更なる進化に至れるわ……!」

 

 望外に訪れた奇跡を前に、屍食鬼(グーラ)は息を荒らげて頬を染める。

 希望ある未来を夢見る乙女のような、あるいは甘く爛れ落ちそうな欲望の限りを尽くす獣のような、実に混沌恍惚とした表情で笑み崩れた。

 

「あんな鄙びた村も、くだらない街も、直ぐに呑み込める……あぁ、今なら神なんて存在(モノ)も、信じても良いのかもね。正に天よりの贈り物だもの」

 

 収まらない。

 せり上がる喜びも、それが齎す興奮も。

 この傭兵の手足を潰したら、直ぐにでも捻じ伏せてその血肉を、雄を、貪りたい。

 胎内から渦を巻くような熱に焦がされ、自らの身体を抱きしめるかまさぐるか、魔獣が煩悶した次の瞬間であった。

 

 

 

「――最高に盛り上がってるところ、悪いが」

 

 

 

 悦の激情による身悶えを伴う独白。

 そこに言葉を割り入れた傭兵の声は、魔獣の浮ついた思考を冷却する。

 

「…………ッ」

 

 反射的に、屍食鬼(グーラ)は口を噤んだ。

 

 男のソレは、何ということもない反応だ。

 秘密を暴かれ、激しようとする感情を圧し殺した――ただそれだけの言葉の筈だ。

 だというのに、興奮のあまり火照りすらしていた身体に、いきなり冷水を浴びせられたような寒気が走る。

 

 何かは分からない。

 分からないが、眼前の男の纏う雰囲気が、何かが、()()()()

 

()()()()()ってのは、こっちも同じでな」

 

 バチッ、と。聞き慣れない、空気が弾ける音。

 

「言語を理解する有害な魔獣。もし国絡みの組織に捕縛されてみろ。拷問、実験、解体。持ってるあらゆる知識と情報を吐き出させるために、なんでもござれのフルコースだ」

 

 半身を湖に浸した傭兵を中心に、さざ波のように波紋が走り、拡がる。

 

「小賢しいお喋りな魔獣に、我が身惜しさにベラベラと喋られたりすると困るんだよ、色々とな」

 

 濡れそぼった筈の男の黒髪が、不可視の力に炙られたように僅かに逆立つ。

 再び、空気が弾ける音。

 

 屍食鬼(グーラ)は、そこで漸く気付く。

 

 音の正体、男から感じる寒気にも似た予感。

 それは長い期間、男の体内で圧縮し、押し殺し、隠し続け――だが今この瞬間、解放されようとしている魔力であった。

 

 握られたまま水に浸っていた鋼棍が、ゆるりと持ち上げられる。

 片割れである斧は湖に沈んだままだ。

 だが、注がれる練り上げられた魔力によって、単体では魔装の武器として不完全である筈の鋼棍はその性能(ちから)を解放しようとしていた。

 鋼の表面に彫りこまれた紋様――魔力を通す導線に、持ち主たる男の魔力が奔り、迸る。

 

「まぁ、元より逃がす気も無い――死ね」

 

 言葉が終わると同時。

 湖面が、爆発するように捲れ上がった。

 津波じみた量の水が屍食鬼(グーラ)へと押し寄せ、その水の壁をぶち抜いて棍を振りかぶった傭兵の姿が現れる。

 反射的に振るった魔獣の爪は、正面から叩きつけられた鋼の棒によって拉げ、粉砕された。

 

「!? グ、あァッ!!」

 

 先程までは打ち合えていた筈の一撃。

 それが容易く自身の爪を潰したことに、屍食鬼(グーラ)の喉から驚愕と痛みの入り混じった苦鳴が洩れる。

 一瞬の間も置かず、鋼棍による薙ぎ払い。身体を傾けて躱すも、掠めただけで人間より遥かに強靭な筈の皮膚が、肉が削れ、こそげ落ちて鮮血を吹き上げた。

 

「こ、のっ……!」

 

 腕を振り回し、地を蹴って、傭兵から距離をとろうとするも――引き離せない。

 逆袈裟の軌道で跳ね上がる鋼の先端が、回避した瞬間に打ち下ろしに変じる。

 片腕で振られた筈の横薙ぎが凄まじい速度で鼻先を掠め、次の瞬間にはそれ以上の速度で跳ね返るように戻って来る。

 長さと太さ、材質からして重量武器に近い鋼の棍が、屍食鬼(グーラ)の眼すら振り切る速度で変幻自在に払い、突き、打ち付けられる。

 反撃など、出来よう筈も無い。

 躱す。次の行動を意識した動きなど放棄してひたすらに後退し、己を撲殺しようとする棍の間合いからの脱出を試みる。

 

 それでも、逃げ切れない。

 

 後ろへ、或いは左右へ跳躍しても。爪や四肢を用いた牽制を繰り出しても。

 見えない紐で繋がっているかのように、常に自身の武器が有効な間合いのまま、男はピタリと張り付いて来た。

 当然、その間にも凄まじい破壊力を秘めた鋼棍による殴打は止まない。

 直撃こそないが、数発が掠めただけで既に屍食鬼(グーラ)の身体はあちこちが裂け、出血している。

 右側の手足は棍とまともに打ち合ってしまったせいで爪が根本からへし折れ、潰れてしまった。

 

 勝てない、何をどうやっても。

 

 事ここに至って、漸く魔獣は男との実力差を正確に理解する。

 隠していた出自――それに伴う本来の魔力(ちから)を完全に解禁したこの傭兵は、たとえ水棲巨人(アレ)屍食鬼(自分)を同時に相手にしようが、正面から叩き潰してみせるだろう。

 あまりにもデタラメ、規格外。

 それは魔獣(グーラ)人間(エルシェル)であった頃、憧れや畏敬を込めて見上げた特級冒険者(えいゆう)達を想起させる"力"であった。

 

 だが、その憧憬は既に過去のもの。

 今の彼女にとって、英雄やそれに類する人類種の強者が振るうその"力"は、眼前で振り上げられる処刑用の断頭刃も同然である。

 

 極上の御馳走であった筈の男が、自身にとっての死神であると確信した屍食鬼(グーラ)が、恐怖と口惜しさに口元を歪ませた。

 

「……化け、ものっ……!!」

「鏡を見て言え」

 

 悲鳴にも近い罵倒に対して、カージスの返答はにべもない。

 最優先で殺すべきだと判断した相手を、ただその通りに殺す。そんな機械的ですらある意識で以て、彼は眼前の魔獣を仕留めにかかった。

 

 棍による打ち下ろし――魔獣の右腕を捉え、既に爪の捥げた指を潰し、手首をへし折る。

 軸となる持ち手を切り替え、踏み込みながら胴への突きに繋げる――急所は避けられたが脇腹を抉り、あばら骨を砕いてその周囲の肉を裂いた。

 

「ヒッ……グ、ゲ――ッ、アぁぁぁぁぁっ!?」

 

 半当たりした突きの衝撃で屍食鬼(グーラ)の身体が浮きあがり、獣と女の叫びを混ぜ合わせたような、奇妙な絶叫があがる。

 迫る死の予感から逃れる為か、喉からせり上がる悲鳴と血を瞬時に呑み込み、決死の反撃が行われた。

 残る左腕を振るって爪を横殴りに叩きつけて来る一撃を、カージスは敢えて至近距離(クロスレンジ)まで飛び込んで無力化。左手首に手刀を打ち付けることで屍食鬼(グーラ)の腕は弾かれ、バンザイするように跳ね上がる。

 

「…………あッ」

 

 完全に無防備な体勢を作り出され、一瞬、呆けた表情を晒す魔獣。

 くるりと回った棍を、持ち主の掌が受け止めてパシッと軽快な音が鳴る。

 

「――――嫌だ、わたしは、まだ」

「じゃあな」

 

 末期となる言葉も無視し、ただ速やかに標的の頭部を砕こうと、カージスが棍を振り上げ――。

 

 

 

 ――革長靴(ブーツ)の先を掠め、地に突き立った矢を前に、動きを止めた。

 

 

 

 殺し合い、今まさに決着が付かんとしていた両者は、ソレが放たれた方向を、矢を射った人物へと、同時に視線を向ける。

 

「う……ぁ、あっ、な、なんでよぉ……どぉして、こんな……!!」

 

 恐怖か、混乱か。

 ガクガクと熱病に冒されたように全身を震わせ、両の瞳に溢れんばかりの涙を浮かべて弓を構えていたのは、赤毛の少女だった。

 震え、狙いも定まらぬであろう矢じりは、(グーラ)とカージスの間をフラフラと彷徨っている。

 今にも泣き出しそうな、震えて裏返ったその声に、傭兵も魔獣も、咄嗟に返す言葉を持たず。

 

「なん、で……なんで! なんでこんなことになってるのよぉ! 何が起こったのよぉっ!!」

 

 戦闘痕激しい夜の森に、イオの慟哭にも似た悲鳴が響いたのであった。

 

 

 

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