まだ寝ている同部屋のみんなを起こさないよう静かに体を起こす。いつもよりかなり早く目が覚めてしまった体を外へと運ぶと、少しづつ冬へ近づいているのか、まだ明るさを見せる様子は無い。
ひんやりとした風が僕の頬を掠める中、固まっていた足を1歩前へと踏み出す。訓練兵団に所属し、気付けばもう半年が経とうとしている。特にこれといって進展も無く、普通に皆と過ごして普通に仲良くなった半年だったが…一つだけミスを犯してしまった。
訓練生活に慣れてきて気が抜けたのか、脳内ではヒストリアと呼んでいるからなのか、クリスタを呼ぶ時に「ヒス…クリスタ」と言ってしまった。前世からヒストリアと呼んでいたのもありそちらの方が呼び慣れていたのだが、やはり改善しないとまた同じミスを犯しそうだ。正直彼女のジト目はあまりに攻撃力が高すぎる。
一旦時間を稼ぐためにアニやエレン達と過ごす時間を増やしてみたが、効果があるかどうかは怪しいところだ。それに、アニはまだ完全に心を開ききってる訳では無いので四六時中近くをうろちょろしてたら少しだけ鬱陶しそうな顔をする。
まぁ、マーレ組の3人の中で1番諜報活動を精力的に行っていたのは彼女のようだし、そもそも3人での会合もしずらくなるのだから当然と言えば当然なのかもしれないな。……さて。ようやく日が出てくる頃だし食事の準備を始めなくては。
今日は…確か、久々に半休の日だったはずだ。午前に兵法講義を受け、午後は各々の自由時間になっている日。いつもならエレンと一緒にトレーニングに勤しむのだが、今日はあいにくミカサとアルミンの同郷3人組で何か用事があるらしい。
基本的にあの3人の決定権を持っているのは基本的にエレンなので、エレンが懐いてくれている僕も一緒に行動することが多くなっていたし久々にゆっくり時間が取れるのだからたまには3人でリフレッシュして来てもらいたいものだ。
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いつも通り中身のない会話をアニに一方的に投げつける食事時間を終え、いつも通り講義の準備をし、いつも通り講義を受ける。この講義だが、初めは対巨人についてや立体機動の長距離索敵陣形といった、戦術的なものを多く扱っていたのだが、各兵団の情勢や壁内における経済状況など、幅広い分野の講義を行なっているようだ。
技巧術で手一杯になっている僕はあまり情報量を増やされても困るのだが、困った時は基本アルミン先生に聞けばだいたい理解できる。講義内容は基本的に記憶系の科目しか無いので覚えたもん勝ちなのだが、僕は自分が完全に理解した事しか覚えれないタイプなので理解が出来ていない部分はアルミンに噛み砕いて説明してもらっている。
そうして僕が四苦八苦していると決まってクリスタが『リアムも苦手な事ってあるんだ』と微笑みの暴力で殴りかかってくる。この微笑みに少しでも鼻の下を伸ばそうものならその日の夕食はほんの少しだけアニの機嫌が悪くなってしまうので要注意だ。
おそらくアニの中のか弱い乙女像とクリスタが完全一致しすぎているせいで、対抗心とも呼べる感情を見せているのだろう。せっかくこれまで積み重ねてきたものを0にはしたくないので、クリスタと何か話す時はアニに見られていない場所でする必要がある。気分はさながら浮気相手との密会だ。
どうしようも無く見えてしまうこの状況だが、実は一つだけ解決策がある。それはアルミンの近くに居ることだ。アルミンは基本的に社交的な性格をしているので僕が話しかければ大抵にこやかに返してくれる。それにいくら顔が可愛いとはいえ、男であるアルミンと一緒にいればアニの機嫌が悪くなることはない。
クリスタはアルミンが楽しそうに話しているのに、横から入ってきて話の腰を折るようなことはしない。というより出来ない。みんなに優しい女神様がそんな空気を読めないことをするはずがないからだ。
よって僕の一人勝ちである。しかもアルミンは普通の人間なら軽くドン引きするレベルの量で話しかけてくる。一息で。それを僕が暖かい目を向けながら弟をあやす様に聞いてあげると、何故か僕の評価が鰻登りなのだ。恐らくアルミンの暴走に付き合ってやる優しい男にでも見えているのだろう。アルミンは一度で四度美味しかった。
…おっと。余計な事を考えている間にいつの間にか今日の座学はもう終わってしまったらしい。あまり頭に入ってこなかったが、そういう時に頼れるアルミンさんだ。軽く取っていたメモに目を通し、まだ解釈がすんでいない部分をまとめる。
彼は要点を絞って難しい部分を噛み砕いて話す能力に長けている。ぶっちゃけ理解度の深さが今以上になれば、教官より上手く教えることができるだろう。アルミンは一度で五度美味しかった。
「アルミン。少しいいかい?座学で少しわからないところがあったんだが…」
「やぁリアム。大丈夫だよ。どこがわからないんだい?」
「こことここなんだが…」
やはりアルミンと仲良くしておいてよかった。この分なら座学でつまずく心配はないさそうだ。
講義を受けていた教室を出て、これから何をしようか考えていたところ、ライナーとベルトルトが話しかけてきた。なんでも、僕が執拗にアニに構っているのが理解出来ないらしい。
本来なら人の好みをどうこういうタイプの2人では無いので、純粋に僕を警戒しているのだろう。だが…クリスタ派のライナーはともかく、ベルトルト。君、アニのこと好きじゃなかったっけ?僕がアニに『ベルトルトがアニに構うの信じられないとか言ってたよ』とか告げ口されるとは思わないのか?まぁ僕がそんな不躾な事をするキャラじゃないって分かっての事ではあるのだろうが…
さて…僕がアニに構う理由か。そんなもの大した理由は無い。単純に僕がアニに惚れてしまったからだ。初めは僕の目の前で動き、喋る推しの姿を見れて嬉しい!程度だった。
だが、格闘術の技術交換や日々の食事で関わっていくうちにもっと色々なアニを見てみたくなっていた。その凍りついていた表情が少しづつ軟化していき、同郷である2人でも気付けない程ほんの僅かに瞳の奥で見え隠れする感情を僕だけが読み取れたことが嬉しかった。そう。気付けば僕は完全にアニの虜になっていたのだ。
「僕がアニに構う理由か…3年間競い合い、共に過ごす仲間と仲良くしたいってのが初めだったんだけど…」
「だけど…なんだ?」
「僕、アニに惚れちゃったんだ。この全世界を敵に回すことになっても幸せにしてあげたいと…そう思う程にはね。これ以上なにか理由が必要かい?」
1拍開けた僕に重ねて問うてきたライナーが少し目を見開いている。ベルトルトは言わずもがなだ。思いがけないライバルへの敵対心と驚きで混ざった表情をしている。
2人に伝えた僕のこの心は嘘偽りの無いものだ。たとえ全世界が彼女を敵と言っても僕だけが彼女の味方であり続ける。その覚悟が僕にはある。
「じゃあ僕は午後にもしたい事があるし、せっかくの半休なんだ。君達も何かリフレッシュしてくると良いよ」
「あ、あぁ…そうだな。ありがとうリアム」
「うん。また夜にね」
これと言ってしたい事がある訳でもないが、これ以上何か聞かれても困るためそそくさとその場を離れていく。僕が彼らに伝えた情報は2つ。ひとつは『僕がアニを好意的に思っている事』これによって僕が今後どれだけアニと絡もうが、あの2人が口出ししてくる事は無くなっただろう。多分アニの方へ注意が行くだけだ。
もうひとつは『僕が全世界という言葉を使った事』こっちの情報はかなり重要になってくる。この世界という言葉を使わずにあえて全世界という言葉を使ったのは、パラディ島の外…マーレやその他の諸外国について何か知っていそうな雰囲気を出すためだ。
これは彼らにマルセルを食い顎の巨人を継承した謎の無垢の巨人が僕であるというミスリードとして垂らした餌だ。ユミルの巨人と僕の巨人では髪色が違いすぎるためそこに気付かれてもおかしくは無いが、『全世界』と云う言葉には少なからず引っ掛かるはずだ。
少しでも悩んで行動が遅れるならばそれでいい。クリスタにはユミルが必要なのだから、彼女に向かうはずだったヘイトを僕に向け、ウドガルド城でナナバさんやゲルガーさんが戦闘不能になる前に調査兵団を引き連れて行けば彼女の巨人化イベントはなくなる。
という事はその後のマーレへ連れて帰られるイベントもまるっと無くなるだろう。彼女にはせいぜい女王となったクリスタの横にいて貰うとしよう。
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「どうする?ライナー」
「…リアムの事か?……正直、俺もまだ決めかねている。アニに幸せになって欲しいといったあいつから、どうにも力強い何かを感じた。だが…あの時の…マルセルを食った巨人がもしリアムならば…その時はリアムをマーレへ連れて帰らにゃならん」
「…何の話してんの?」
「!…あぁ、アニ。丁度いい所に来てくれたな。実は…」
物陰から現れたアニに少し驚いた様子のライナーだが、直ぐに落ち着きを取り戻し昼間に僕がした話をそのまま伝えていく。寝付けないから散歩していたのだが、宿舎からそう遠く離れていないところで密会するライナーとベルトルトを見つけてしまったので、そのまま聴き耳を立てている。
「あいつ…そんな事を」
「あぁ。…だけど、僕たち2人はリアムの言った『全世界を敵に回す』って言葉に少し引っかかってるんだ」
「……確かに、この壁に囲まれた世界が全ての人間からしたら、外に巨人の驚異がない国があるなんて…想像もつかないだろうね。なのにわざわざ『全世界』という言葉を使った…」
「そうだ。そこは俺もベルトルトも測りかねてはいるが…マルセルを食った巨人がリアムの可能性も考えて行動していこうと思う。何か異論はあるか?」
「特にないね。じゃああいつの事は私が探りをいれてみるよ。この中じゃ1番適任でしょ」
「あぁ。頼んだ」
「それじゃ私はもう寝るから…あぁそうだ、諜報活動、少し増やしたいし3人で集まる回数少し減らさないかい?」
「そうだな…半年経ってこの生活にも少しは慣れたし、少し減らしてみてもいいかもな。じゃあまた3ヶ月後にここで落ち合おう」
「わかった。じゃあ私は帰るよ」
「俺らも帰えるか。ベルトルト」
「そうだね…」
…行ってしまったか…密会での様子を見るに、3人の僕に対する評価はアニが良好…だが、少しだけ謎に思っている。ライナーは決めかねているが、疑問に思う所が多く扱いに困っていそうだ。
ベルトルトは…なんだろうな?僕がアニに惚れてる事を知った時の表情を見て、嫉妬半分疑惑半分だが、情報が引き出せるまで堪えようとしてる…てとこか。初めの半年でアニとライナーにここまで種を植え付けれたのならばまぁ上々だろう。
だが…うーん…ベルトルトがなぁ…彼は基本的に頼りない印象を持たれてはいるが、やけくそになった時一番厄介なのは彼であるため出来れば好印象を抱いていて欲しいところではある。
まぁアニ関係でごたつくのは想定の範囲内だ。これからは『アニを取られてしまったけど憎めないヤツ』的なポジションに落ち着けるように調整してみよう。ライナー?放置に決まってんだろ。
今後どうなるかはまだ分からないが、マーレ勢攻略はこのまま進めていって良いだろう。あとは…クリスタとユミルの救済と、エレンが地ならしを起こさずに済む下地作りか。
本来ならばマーレ勢3人をこちらに引き抜き、クリスタをヒストリアとして生きさせ、その中でエレンと有効な関係を築いていく予定だった。だが、僕がしょうもないミスをしてしまったせいですこし調整をしなければならない。
今クリスタをヒストリアとして生きさせるのは、果たして大丈夫なのだろうか。 …僕が彼女のことをクリスタとして見てない事は、多分気づいているはずだ。クリスタも馬鹿じゃない。むしろ育ってきた環境もあり普通よりも聡い子だ。
ということは多分、僕が本当の彼女を必要とし、自分のために生きる様仕向けれるだけで彼女は救われる。しかしそうすると予定よりかなり早くに中央憲兵に目をつけられてしまう可能性があり、リヴァイ兵長の庇護下にない状態でケニー率いる中央憲兵とドンパチは命がいくつあっても足りない。
ということは必然的にクリスタのことは放っておかねばならず、しかしクリスタをいくら放置したところで状況が好転するはずもない。いずれ痺れを切らして彼女の方から仕掛けてくるはずであり、要はただの八方塞がりなのだ。…まだ訓練兵団に所属してから半年だ。まだ6分の1しか経っていない。世界人口の8割の生死は僕の一挙一投足にかかっている。焦らず確実に、まずは外堀から埋めていこうじゃないか。