何をしているのかって? 何って、見ればわかるだろう? それとも君には、ボクの姿が見えないのかい?
\ブブー/
ははっ、手厳しいね。まあ、それもそうだ、なんせこれはラジオなんだから。
──さあ、”次の世界”(シンセカイ)の鍵を開こうか。今日のMCはアスカ、二宮飛鳥だ。
さて、ボクは何をしていたんだろうか、人によって想像した景色は違うだろうが、答えを与えてやろう。事務所の屋上で風を感じていたんだ。これほどの高さで風の邪魔をするビルも少ない、セカイの潮流を感じるには良い場所なんだ。
ところでキミは、風に季節を感じたことはあるかな? ボクは存外鈍感らしい、風の冷たさでしか察せられなくてね。
季節の香りを感じることはあるだろう。春風と呼ぶこともある桜の香りは、あくまで風が運転手なだけで、主役は花弁の甘酸っぱい芳香だ。それには納得できなくてね、風の一つ一つに神経を集中させてみても、やはり温度でしかセカイの声は分からない。
これは、ボクに声が届かないのか、セカイが声を伝える手段を持たないのか。一体、どっちなんだろうね?
さて、そんな与太話も程々にして、ここでリクエストが届いているよ。はは、ここでボクの曲をリクエストされるとむずむずするね。それでは、二宮飛鳥で、「共鳴世界の存在論(オントロジー)」。
それでは、届いたメールを読んでいこうか。ボクも何度かメールを送った経験があるけど、まさか読む側になるなんてね。一つ、感動のような感覚を覚えているよ。
じゃあ、まず、一つ目のメール。ラジオネーム、二宮地を這う亀さん。ってこれ、ボクの「飛ぶ鳥」って名前の逆を言っているのかい? むずがゆいね。
「飛鳥くん、この度はラジオのレギュラー番組決定、おめでとうございます!」
ああ、ありがとう。そう、このラジオはこれより毎週土曜日夕方七時より配信されるレギュラー番組なんだ。これからも聴いてくれると嬉しいな。さ、続きを読もうか。
「飛鳥くんは公式プロフィール以外にプライベートな話をされておらず、謎多きアイドルと呼ばれることもありますが、飛鳥くんはどうしてアイドルになろうと思ったのでしょうか? また、プライベートをあまり表に出していないことには何か理由があるのでしょうか?」
……だってよ、答えようか?
と、ボクが話しかければスタッフが効果音で反応してくれるはずなんだけれど、どうやらボクの相方には決められない事項らしい。
ならば、ボクの方からの回答は控えさせていただこう。そのうち映画になるかもしれない、ネタバレはしないに越したことはないだろう?
まあ、今となっては過去の話、もう懐かしいことなんだ。何があったか、どうして話さないのか、なんてことも、そのうち話すよ。
さて、すまないね、リスナー諸君。答えたくないわけじゃない、ただ今がその時じゃないってことなんだ。では、次のメール──
「──お疲れ様、プロデューサー」
「ええ、お疲れ様」
屋上からスタートして屋内の録音室まで移動するという異質な収録を終えてブースの扉を開いた飛鳥を待っていたのは、飛鳥の相方、プロデューサーの佳本だった。パンツスーツがやけに似合う彼女は、収録時に使っていた機材を借りて、ピンポーン、と音を鳴らした。
「とても良かったわ、初めての放送でも緊張しないのね」
「別に、緊張より嬉しさや楽しさが勝っただけだよ」
「飛鳥にしては素直ね」
「そう言う時もあるさ」
「でも、あそこはちょっと引っかかるわね。アイドルになった経緯ってとこ」
「キミだって、ボクに訊ねられて決めあぐねていたじゃないか」
「ええ、もう少しマシな回答があったはずと引っかかりはするけど、まあ及第点かしら」
「なら十分だろう? さあ、キミの家族が温かいご飯と共に待っているはずだ、早く行こう」
「そう言うところは生意気」
「ビジネスパートナーのプライベートくらい慮るものさ」
彼女の黒のプレミオ、その助手席に乗り込んで発進を待った。
*
人の誰しもがたった一つの翼を以て、もう片翼となる誰かを探す比翼の鳥だとするならば、二宮飛鳥は間違いなく、誰の翼だっていらない、すでに飛び立った一羽の寂しい飛鳥であった。
それを自覚させられた大きな出来事があったわけではない、ただ幼心にひしひしと感じさせられるのである。あまりに放任的な肉親、子供の妄言だと相手にしない学校の大人、難しいことを言うんだねと敬遠しがちな少年少女。狭い社会の中でひそかに弾かれてしまった飛鳥は、しかしところどころで気丈に振る舞って、一人であることを誰も否まず、もはや誰も自ら飛鳥に触れようとはしなくなっていた。
飛鳥がヘアアレンジや中二病的な奇抜なファッションに興味を持ち出したのは、きっと漫画の影響だろう。創作物の中には非現実的な見た目をしたキャラクターが多く、姉妹の中で唯一、クウォーターらしさのある北欧由来の赤毛を持って生まれてしまった飛鳥は、次元さえ間違えていなければ自分だって普通になれることに憧れて、しかし間違えてこの世に生きるならばとことん間違えてやろうと、家には無いから市の図書館のパソコンで色々と調べてみたものだ。
しかし、どうやらと言うかやはりと言うか、それには資金がいるらしい。親は小遣いを与えるような教育をしていないし、家族を頼ろうとも思っていなかったから、中学生でもできるものを探してアルバイトを始めることにした。夕刊の新聞配達くらいならできるらしい、両親は賛成も反対もしないだろうから勝手に書類を作って申し込み、この足一つで稼ぐことにした。
飛鳥はどうして、そこらの同年代の中ではタブー的扱いと言うか、そんな言い方はあまりに大袈裟であるけど、誰も飛鳥の相手をしたがらないし、飛鳥の話題を出したがらない。それが単純に面倒だからと言うのはなんとなく察していたけれど、まさか、目立つ時間帯に走り回って配達していても声をかけられないし、それどころかアルバイトを始めたらしいという話の一つもつままなかったのは若干に意外だった。その上で、やはり自分は誰かと一緒になれない、一人で空を揺蕩う鳥なのだと、そんな長い確信を強めていた。
さて、そろそろ今月も数万稼いだか、その日の分の夕刊を配り終えたあたりで、初めて見る顔がこちらの方をしたたかに見つめていた。黒いパンツスーツの女性だった。
「ねえ、貴女。お名前聞いてもいいかしら」
嫌な予感はしなかった。けれど、念の為と自分の中で体裁を繕って、本心では遊んでやるつもりで返答を考えてみた。
「どうして?」
「貴女に興味があるの」
「で、ストーカーってわけ? 随分と趣味の悪い人だね」
「私にとっても今日が初めましてよ、安心しなさい」
「言うだけタダなんて言うものだし、キミはまだ不審者という立場に留まっているけれど」
「あなたが名前を教えてくれたら私も教えてあげる、要はさっさと名乗ってくれればいいのよ」
「へえ、随分と強情な人だ。お願いする立場っていうのは、三回回ってワンってやるほどの心持ちじゃないといけないんじゃないか?」
「貴女だってその口、随分と生意気なのね、今すぐ縫いつけてやったって良いのよ。お裁縫は得意なの、痛くしないわ」
「ほら、鳴いてみたらどうだ、お願いしますワン、お名前教えてくださいワン、ってさ」
「本当に生意気ね、私だって貴女がそんなに遊びたがりじゃなかったらさっさと名前聞いて終わりのはずなのに」
どうして、飛鳥は彼女の鋭くなった目つきに、少しでも怯えてしまった。
「……ははは、どうやら犬はボクだったってわけか。これでも中学生にしては稼いでる、コーヒーでも飲むかい?」
「私も子持ちなりに稼いでるの、それもかなりの額」
「じゃあボクには微糖を頼むよ」
「ワンちゃんはおねだりが下手くそなのね」
「……アスカ。二宮飛鳥だ。そう呼んでくれ、流石にくるものがある」
「私は佳本遙佳。はい、エメマンで良かったかしら」
「ああ、ありがとう」
彼女は普通に甘えれば普通に甘やかしてくれる人らしい。それにしても、こんなに楽しく話をしたのは久しぶりだ。それと彼女は口論に強そうだ。
まだ苦味の強い気がするコーヒーを一口含んで飲み下したら、夕景を眺めながら彼女に問うてみた。
「で、ボクに興味があるって言うのは?」
「それだけ」
「……それだけ?」
「ええ。貴女に興味が湧いた、だから声をかけた。それ以上必要?」
「もう少し自分を客観視してみたらどうだい」
「確かに不審者かもね。でも私たち、友達になれると思うの。どうかしら」
顔色ひとつ変えずにそんなことを言ってしまうのだから、彼女は相当な人物だと分かった。だが、飛鳥にとってはむしろ、こんな人でこそいいと思える。飛鳥はすでに、この佳本という女性を気に入っていた。