ちなみに前話の最後の視点でもそうですが、基本双子のセリフはどちらかお好きな方で想像していただければと思います。
「あ~、あんまり引いてないかな?」
4月某日。新しいクラスにも慣れてきたころ。
吉野は神奈川県内のとある磯に来ていた。右手には大小2つの手網、左手にはバケツと箱メガネ、下半身には胴長靴を履いている。
出発前に見てきた潮見表によると、今日は午後4時に最も潮が引くらしい。
現在午前11時。思っていたより引いていなかったようだ。
「まぁ胴長履いてるしなんとかなるか」
岩場を歩いていく。潮がそこまで引いていないため、潮だまりと呼べるものは少ない。
「よっと」
入水。膝下程の水深である。小魚達が四方八方に逃げていく。
「メジナ、メバル系、キヌバリのちっちゃいの、ドロメ……おっ、チョウチョウウオだ。まあ無印はいるか」
この時期らしいメンツである。もう少し季節が進むと、黒潮に乗って南方から様々なチョウチョウウオやベラ、スズメダイの仲間など、所謂熱帯魚と呼ばれるカラフルな魚種がやってくるようになるだろう。
箱メガネを覗きながら、石を足で退けて網を差し込んでみる。
「イソスジエビと……ケアシホンヤドカリ、かな?」
小さいエビやヤドカリが網に入った。ここらでよく見る種だ。
海藻の束を掬ってみる。
「お、ナベカだ。可愛い」
イソギンポ科の小型種だ。鮮やかなレモンイエローの体が目を引く。
歩いていると、ふと足元に黒い塊があるのに気が付く。
石……じゃないようだ。
「おーアメフラシだ。いや、でっか!」
見たことがある人も多いだろう。丁度この時期産卵のために磯に現れる大型のウミウシの仲間だ。
「えー、これ40センチ位ない?」
かなり大型の個体である。
手で突いてみる。
「おお……もっちもちだ」
ぐにぐにと揉んでいく。
ところで、アメフラシと言えば……
「おおー!出たー!」
そう、攻撃を受けると体の後方にある紫汁腺という器官から紫色の液体を噴出するのだ。
名前の由来にもなったこの液体は、紫色のインク、白色のオパリンと呼ばれる2種類の液体から構成されるもので、捕食者に対する防御物質としての役割があるという。
「えっと確か……あぷ、アプリジオビオリンか。それとフィコエリスロビリンだったかな?」
加えてアプリシアパリチンなどが代表的なものだ。
「いけないいけない。本命を探さないと」
探し始めて2時間程が経過。潮もかなり引いてきたが、未だに今回の標的には出会えない。
「う~~ん。記録があるとはいえ、やっぱり時期が早かったかな?」
出来上がった潮だまり達に目を凝らす。
「あの石…」
深い潮だまりの中に一抱え程もある石が鎮座している。流石に持ち上げるのは無理そうだ。
「えい」
底との隙間を網の柄で突いていく。
こつ、こつ、
……
ぴゅーー
「っ!今の!」
何か素早いものが飛び出してきた。慌てて目で追う。
「あれ、この辺じゃ……。うわー今のそれっぽかったのに!」
見失ったようだ。逃げ込んだであろう付近を探る。
すると
ぶわっ
視界の端に突然青いリング状の模様が映りこんだ。
「っ!!いた!!やった!!」
「ヒョウモンダコ!!!」
~~~~~~
ヒョウモンダコ、というタコがいる。
南西諸島周辺以南の熱帯、亜熱帯域に生息する10cmほどの小型のタコだ。
普段は周囲の環境に擬態して目立たない茶褐色の体色をしているが、興奮すると明るい黄色い地の上に青いリングや線状の模様を散りばめた警告色となる。名前の「豹紋」の由来だ。
近年の海水温の上昇により分布が北上しており、本州日本海側で見つかることも増えてきているという。
その見た目や後述する危険性から、子供向けの海洋生物図鑑でも、「危険な生き物」のページには必ずと言っていいほど掲載されている種である。
そのため知名度はかなり高いと言えるだろう。
特筆すべきは、その毒性である。
保有する毒はかの有名なテトロドトキシンC11H17N3O8(TTX)。
ビブリオ属やシュードモナス属などの細菌が生産する神経毒素で、一般的にフグ毒として知られる。毒性は青酸カリの500から1000倍、ヒトの致死量は1〜2mgと、分かり切ったことだがとんでもない毒である。
TTXは餌生物を通した生物濃縮により蓄積されるものであるため、毒素の保有量は地域や個体によって度々異なる。
そのため、TTXを少量しか保有していない個体もいれば、ヒトの致死量に達する量を保有する個体もいる。
ヒョウモンダコはTTXを唾液腺と筋肉、表皮に保有している。特に唾液腺のものは他の部位と比べて濃度が高く、餌生物や捕食者に咬みつくことで注入し、麻痺させると推測されている。
ヒトが咬まれると、数分後に手足の痙攣や眩暈、続いて嘔吐や言語障害、麻痺などの症状が現れる。重症の場合は1時間以内に呼吸困難により死亡することも。
日本での死亡例は無いが、オーストラリアやシンガポールでは同属種による死亡例が確認されている。
加えて、身の危険を察知すると筋肉や表皮中のTTXを体表の粘液と共に放出し、捕食者からの攻撃を回避しようとするということも近年判明した。
といっても、この粘液のみで人に害を及ぼす可能性は低いとされる。筋肉や表皮に含まれる毒も、食べなければどうということはない。
……食べなければ。
~~~~~~
幸い今度は逃げ出さなかった。両手に網を持って挟み込む。
慎重に近づき…
「よーーーし!!捕まえた!!」
捕獲成功だ。すぐに水を入れたバケツに放す。
「時期早かったかと思ったけどいるんだね。良かった良かった!」
「にしてもすごい色。実物はやっぱ違うね」
環境の変化に驚いて目まぐるしく体色を変えていく。
カメラを向け、一際鮮やかになったタイミングでシャッターを切る。
「お、良いの撮れた」
しばし眺める。この水中にもTTXが溶け出しているのだろうか。
「いや~すごく可愛い」
思わず見とれてしまう。しかしもう帰りのバスの時間が迫っていた。
すると、吉野はリュックから携帯式のエアーポンプを取り出した。バケツに入れて電源を入れ、蓋を閉める。
「よし。帰ろう」
~~~~~~
帰宅。どうやら母親と双子姉妹は出かけている模様。
「丁度良いや。キッチン使おっと」
バケツを持ってキッチンへ向かい、まだ生きているヒョウモンダコをバケツからボウルに移し替える。ボウルの壁面を這い上がってくるヒョウモンダコ。
吉野はすぐさま、どこからか小型のハサミを取り出した。
「じゃあ、いただきます」
ぶすり
じょき
動き回るヒョウモンダコの目と目の間に刃を刺し込み、神経の束を切断する。タコやイカに用いる締め方だ。
すぐに色が白っぽくなり、動きが止まる。
「よし。次は…」
続いて内臓を取り除く作業に入る。漏斗が飛び出ている、外套開口と呼ばれる穴に指を入れ、外套膜を裏返す。
「ちっちゃいからどれがどれか分かりにくいな。…これ精巣かな?となるとこれが…鰓心臓か」
外套膜に張り付いた内臓塊をちぎっていく。腕の吸盤の並びを見ても分かったが、オスのようだ。
「おっとそうだ」
吉野はハサミでタコの腕を一本切る。
その腕をつまみ、
「はい澱月」
いつの間にか現れた澱月に渡す。
「あぶな。また死にかけるところだった」
ボウルに塩を適量入れ、揉みこんでぬめりを取っていく。
下処理完了。いざ、調理開始である。といっても量が少ない。何を作ろうか。
「とりあえず縦に真っ二つにしたけど、ほんとに一口サイズだな。一口……おやつ……タコ……。そうだ。酢だこにしよう」
小鍋で湯を沸かし、タコを入れて茹でる。3分ぐらいでいいだろう。ちなみに加熱してもTTXの毒性は失われない。
水気を取って冷まし、三杯酢をかけて和える。キュウリは無かったのでタコオンリーだ。
酢ヒョウモンダコ、完成。よく見るとあの斑紋が見える。
「いただきます」
半身をつまようじで刺し、口に入れる。
もぐもぐ
……
「……うん、酢だこだね」
普通だ。それはもう普通だ。不味くはないが、特別美味しくもない。そりゃそうか、と思う。生態は他のタコと変わらないし、TTXに味があるわけでもない。マダコよりちょっと柔らかい気もするが、単に小さいからだろう。
残りの半分も一口で食べる。
もぐもぐ
がりっ
「ん?……あ……」
カラストンビ、取って無かった。
それすなわち、唾液腺がそのままということ。
「……澱月がいてよかった~」
文字通り致命的なミスをやらかした気がするが、無事(?)完食。
「ごちそうさまでした。……まぁ、二度と食べることはないだろうね?」
何はともあれ、ありがとうヒョウモンダコ!
~~~~~~
「「「ただいま~」」」
「ん、おかえり」
「あ、順平帰ってきてる」
「なんか食べてる!絶対毒だよ!!」
「どうだろう。あ、母さん?お酢ちょっと使ったから」
「りょ~」
「Hey澱月。順平が何食べたか教えて?」
「そんな人の式神をSiriみたいに…ってこら澱月。模様再現しなくていいから」
「菜々子」
「撮った!ヒョウモンダコ…テトロドトキシン…ふむふむ」
「Googleレンズはずるいって」
まぁ菜々子の術式なら呪霊とか式神はスマホで撮れるんじゃないかと勝手に思ってます…。
ちなみにTTXってヒョウモンダコの主食の甲殻類には効きにくいんです。だからハパロトキシンって言う別の毒を持ってます。かわいいですね。