目金「ハァ…ハァ…!みなさ〜ん!待ってくださいよ〜!」
染岡「ただ歩いただけなのになんでそんなに疲れてんだよ…。」
半田「まぁ一日中歩き回ってたし目金の体力じゃそんなもんか。」
現在の時刻は17時。まだ明るいものの徐々に日は暮れる兆候を見せている時間帯だ。
雷牙達の尾行を開始したのが午前10時なので目金達は7時間稲妻町や東京を歩き回っていた計算となる。
壁山「しかし稲魂さんはともかく彼女さんも凄いっスね、一日中歩き続けているのに全然疲れた様子見せないっスよ。」
栗松「まぁ2時間くらいは映画観てたでやんすからね。」
音無「それでもかなり趣味の範囲が広い彼女さんですね…。」
今日雷牙達が回った場所は最初にマニア御用達の本屋「スイカブックス」そこで大量の薄い本(健全)を買い漁った思うと次に向かったのは漫画、ゲーム、アニメのフィギュアや玩具を多数取り扱う玩具店「ほんだらけ」でまたしても特撮ヒーロー・スターダスト仮面の玩具を大量に買い漁っていた。
それでひと段落ついたと思ったら今度は映画館へ直行し2時間程映画を観た後、現在はショッピングモールのスポーツ用具店でサッカー用品を見回っている途中だ。
目金程ではないが7時間も歩き回った事で疲労を感じている他のメンバーも近くのカフェテリアで休憩を取っている。
目金「清々しいまでの田舎から都会に来たオタクの巡回ルートでしたよ…。もう足がボロボロです…。」
染岡「お前が言い出しっぺだろうが、ここまで来たら根性見せやがれ!」
音無「そもそもなんで私たち稲魂先輩を尾行してたんでしたっけ…?」
半田「あー駄目だ、疲れすぎて本来の目的も忘れてる。てかそろそろ帰らないか?そろそろ尾行するのも飽きてきたし。」
壁山「そうっスね〜、俺もそろそろ晩ご飯の時間だから帰らないといけないっス。」
栗松「俺も早く帰らないと母ちゃんがうるさいでやんす。」
???「あっ、ちょい待ち。まだ俺ちゃんのデラックスパフェが来てねェ。」
風丸「いつの間にそんなもの頼んでいたんだ…。…え?」
お気づきだろうか?尾行チームとして目金に同行したのは染岡、半田、風丸、音無、壁山、栗松の6名…つまり団員は合計で7名の筈である。
だが一連の会話の声の総数は合計で8つ…これは明らかにムジュンしているというやつだ。
皆は恐る恐る謎の声の方向へ視線を移す。そこ太々しく座っていたのは…
雷門一同『い…稲魂〜〜!!!?』
雷牙「おい〜す」
かつてドイツに存在していた著名な哲学者フリードリヒ・ニーチェはこんな言葉を残している。
『深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ』と…
だが今この状況においてはこう言い換えるべきだろう。
『怪物を監視する時、怪物もまたこちらを監視しているのだ』と…
♢♢♢
???「ひっぐ…!えぐ…!」
ここは誰かの夢の世界。だがその舞台は稲妻町に実在する鉄塔広場だ。
その世界で少女は涙を流していた。
彼女の周囲には同学年であろう年頃の少年達が悪意に満ちた笑顔で少女を見下している。
「アハハハ!泣いてやんのー!いつも偉そーにしやがって生意気なんだよ!」
少女は少年達のクラスで学級委員長を務めていた。
親の影響で幼少期から真面目で曲がった事が嫌いだった少女はクラスの問題児から目の敵にされていた。
如何に問題児とはいえ最低限の良心は持っている。少女に取って幸いだったのは彼らは暴力で訴えなかった事だろう。同時に
???「返してよ…!わたしのボール…!」
悪ガキ達の足元にあるのは少女が父親から譲り受けたボロボロのサッカーボールだった。
亡き母の形見でもあるそのサッカーボールは少女にとって命と同じくらい大切な存在であったが、無知という名の罪を背負っている悪ガキ達には有象無象に存在するサッカーボールの1つとしか認識していなかった。
「悔しかったら取り返してみろよ!まっ、口先だけの泣き虫お嬢様には無理だと思うがな!」
少女を泣き虫だと罵る悪ガキだが別に少女は泣き虫ではない。彼女は分かっているのだ。0:100の割合で相手に非があっても暴力を振るってしまえば加害者として扱われるのは自分になる事を。
暴力無しでは絶対に勝てない相手、事実上人質を取られているこの状況…これらの事実が少女の心を苦しめ悔し涙という形で現れたのだ。
寧ろ卑劣な手を使う事しか出来ない悪ガキこそが罵られる存在だ。
ただ悔し涙しか流せない少女と日頃の恨みを晴らせて愉悦に浸る悪ガキ達。
悪ガキは足を大きく振り上げボールをパンクさそようと試みる。もしそれが実行されれば少女にとっては生涯、心に深く刻まれる
少女は母の形見を守る為に加害者になる覚悟を決めその場から飛び出す。
その瞬間…
「ぐぎゃあ!?」
情けない声と共に地面に倒れ伏す悪ガキA。突然の出来事に驚愕した一同の動きが止まってしまい、即座に声の方向に視線を移す。
気を失った悪ガキAを見下していたのは見知らぬ少年だった。
「て、てめぇ…!よくも…!」
逆上した悪ガキBは顔に青筋を立てながら謎の少年に殴り掛かるも少年はその拳を容易く受け止め逆に背負い投げで投げ飛ばした。
「ぐへぇ!!!」
「いやー軽い軽い!流石は不良肥満児君!筋肉が全然付いてねェから投げやすかったぜ!」
「てんめぇ…!」
人を食ったような態度で全国の不良肥満児を敵に回す発言をした少年に堪忍袋の緒が切れた悪ガキ達は一斉に襲い掛かる。
「多勢に無勢だ!いっけぇ!」
情けない事に2度の攻防で体術では絶対に少年には勝てない事を分からされてしまった悪ガキ達は実力差を数の暴力で埋めようとする。
それを見た少年は不敵な笑みを浮かべると怯む事なく悪ガキ達に向かって走り出し天高く飛び上がる。
???「そらよ!」
「げばぁ!?」
ハイジャンプからハイキックが悪ガキCの後頭部に炸裂し脳震盪を起こしたCは一瞬にして昏睡状態に陥った。
あまりに容赦のない目の前の少年に悪ガキ達は徐々に恐怖を感じ始めるがもう後には引けない。
無理矢理、怒りを引き出して恐怖を掻き消し目の前の少年に向かって再び前進を始める。
だが…
???「しゃあ!」
「はすっ!!!?」
???「せいやぁ!!!」
「だごず!!!」
本気を出した少年の前には誰1人彼の動きを目で追う事も出来ずに1人、また1人倒れていく。
そして遂にあれだけ居た悪ガキの集団は総大将でありこの騒動の発端となった悪ガキGだけになってしまう。
???「最後の1人はオメーか?そこそこ強そうじゃねェか、かかってこいよ!」
少年はファイティングポーズを取り悪ガキGを挑発するがGは動く事が出来ない。
まだ6〜7才の少年であるGには碌な学力は無い。学力があるのならばこんな
だがそんな低脳にも分かる事が1つだけあった。…いや分からされた事と言った方が正しいか。
(な…なんで震えてんだよ俺の身体…!?)
目の前に居るのは自身より遥かに体格の劣る少年。しかし少年に睨まれた悪ガキGは蛇に睨まれた蛙のように身体が震え動けない。
悪ガキは嫌でも察してしまう。目の前と少年と自分とでは生物としての格があまりにも違いすぎると。弱者に対してイキる事しか出来ない自分では目の前の少年にはどんなに努力を重ねても勝つ事は出来ないと。
???「来ねェのか?んじゃ俺から行かせてもらうぜッ!!!」
痺れを切らした少年が一歩踏み出した途端。遂に悪ガキGの身体に脳の電気信号が届く。
すると悪ガキは回れ右で背中を見せ一目散に走り出す。
「ひい〜〜〜!!!」
情けない声を出しながら悪ガキが選んだのは“逃亡”一択だった。結局悪ガキは仲間達を見捨て自己ベストの走りで鉄塔広場から姿を消した。
???「アッハッハッハ!なっさけねェヤツ〜!俺さまの強さに恐らをなして尻尾をまいて逃げやがった!」
絵に描いたような逃亡劇を見た少年は腹を抱えて笑い転げる。その姿には他人に暴力を振るった罪悪感などは一切存在せず年頃の無邪気さがそのまま現れていた。
???「あ…あの…。」
見ず知らずの少年に助けられた少女は恐る恐る恩人に近寄る。その表情は到底恩人に向けるものとは思えないが相手が相手である以上、そうなるのも当然だろう。
???「あ〜ん?」
少女に呼び止められた事が気に障ったのだろう。少年は低い声と鋭い眼差しで少女を睨みつける。
少女は彼の目に圧倒されてしまうが、なんとか自分を取り戻しなんとか喉の奥から言葉を捻り出す。
???「…ありがとう、助けてくれて。」
???「……。」
感謝の念を伝えられた少年は突如黙り込む。本来このような感謝を投げかけられた際に送り返す言葉は1つしかない筈にも関わらず何故か少年は手を顎にやり何かを考え込んでいる。
数秒の沈黙の後、少年がやっと捻り出した言葉は…
???「オマエ…誰?」
???「…は?」
感謝に対して送り返されるのは謙遜。そう教えられてきた少女にとって疑問で返されるという経験は初めての事だった。
故に少女の年齢以上に発達した脳は理解とキャパをオーバーしてしまいオーバーヒートを起こしてしまった。
???「いやいや!あなた私を助けてくれたんじゃないの!?」
???「いんや?なんかたまたまココに遊びに来たらボールを潰そうとしてるヤツが居たからボコボコにしただけだけど?」
少女は絶句してしまった。自分があそこまで追い詰められてようやく暴力を振るう覚悟を決めたにも関わらず目の前の少年は『偶然』訪れた場所で『偶然』トラブルに遭遇し、それが『偶然』サッカーボールが破壊されかけている現場だったからという理由だけで悪ガキ達をボコボコにしたのだ。
裕福な家庭で育った少女には到底理解出来ない思考回路である。
???「理解できないわ…。なんであなたは見ず知らずの他人…それもボロボロのサッカーボールのためにあそこまで本気なれるの…?」
気づけば少女は心の中に封じ込める筈だった言葉が口から漏れ出ていた。
それを聞いた少年は何言ってんだコイツ?みたいな顔をすると再び不敵な笑みを浮かべ答える。
???「当然だろーが。サッカーってのは人を楽しませる為にスポーツなんだぜ?それを傷つけようとするヤツをボコボコにすんのは当たり前だろ?」
またしても少女は絶句してしまう。サッカーを傷つけるヤツを許さないと語る少年の目には伊達や酔狂といった自己心酔の感情は一切籠っておらず本気でそう信じている事が嫌でも分かる。
???「…そんなにサッカーを愛しているのね…。」
???「当然。だって俺は将来“サッカーモンスター”になる人間だからな!」
ゲハハハと品のない笑い声をあげながら胸を張る少年を見た少女は彼を羨ましく思ってしまった。
少女もサッカーを愛しているものの母を亡くし自分を過保護に育てる父は簡単にサッカーをさせてくれない。故に今日も父と使用人の目を盗み鉄塔まで来た結果が悪ガキの報復だったのだ。
そんな複雑な家庭環境の少女にとって空を飛ぶ鳥のように自由な少年はとても羨ましく見えてしまう。
???「急に黙り込むなんて変なヤツ。んじゃ俺ちゃんはもう帰るわ、じゃあの〜。」
???「…待って!」
???「あん?なんだよ?まだ何か質問があんのか?」
???「…あなたの名前を教えてもらえるかしら?後日お礼をしたいの。」
???「おいおい?残念だがお嬢さん、俺は名乗るほどの…男だぜ!俺の名前は稲魂雷牙、“怪物”の名前を継ぐ者だ!覚えておけよ!」
???「稲魂…雷牙…。」
自己紹介を済ませた雷牙は少女の名を聞かずに立ち去る。
まるで雷鳴のように突然地面に降り注ぎ、近くに居た人間に対して甚大な被害を与えて消え去っていった稲魂雷牙。
通っている学校も、住んでいる地区も、サッカーに対する価値観も、何1つ異なる人間にも関わらず少女は雷牙の後ろ姿から目を逸らす事が出来なかった。
♢♢♢♢♢
♢♢♢♢
♢♢♢
♢♢
♢
夏美「…懐かしい夢を見たわね。」
事実のベットの上で目を覚ました夏美は眠たい目を擦りながら起き上がり時計に目をやる。
現在の時刻は18時、既に日は落ち始めており窓の外の景色は夕映えの灯に染まっている。
夏美「稲魂君か…。」
あの日、鉄塔広場で別れて以降夏美は雷牙と再開する事はなかった。結局父にいらぬ心配を掛けない為に鉄塔広場でのトラブルを言い出す事は出来ず、件の悪ガキ達も打ちどころが悪かったのか今までの問題児っぷりが嘘のように大人しくなり夏美の日常に平穏が戻って来たからだ。
会いたいと言えば会いたいが何故か無意識のうちに会いに行く事を拒み気づけば夏美は小学校を卒業し父が経営する雷門中へ進学する年となった。
そこで遂に再会してしまったのだ。自身の記憶とは大きく異なる稲魂雷牙その人に。
再会した雷牙は茶髪だった髪色は人工的な色合いの金髪へと変貌し、ただでさえ鋭かった眼差しは更に鋭さを増し、比較的大人しかったヘアースタイルも稲妻を思わせる程逆立ち2本のイナビカリ型の触角が生えていた。
派手なイメチェンに比例し、問題児っぷりとサッカーバカ度合いは更にパワーアップしており、今では夏美の頭を悩ませる頭痛の種と化していた。
最初期こそただの問題児と化した雷牙に失望さえしたが、部員が足りず試合が出来なくとも日々自主練を欠かさない雷牙のサッカーに対する真摯な姿勢を見た夏美は根っこの部分まではあの日と変わっていないと思い始め、密かにサッカー部の動向を見守るようになった。
その疑念が確信に変わったのは帝国との練習試合の事だ。
雷牙『テメェらがサッカーを語ってんじゃねェェェェェ!!!』
あまりに非道な帝国のサッカーに怒りの炎を燃やした雷牙はフィールドに雷鳴の王を顕現させた。
その雄々しさと美しさを兼ね備えた彼のサッカーへの想いの象徴たる王は圧倒的な力で絶対王者たる帝国を粉砕してみせた。
その光景は奇しくもあの日の悪ガキ達から自分を助けてくれた雷牙と瓜二つだった。
だからこそ夏美はマネージャーとしてサッカー部に入部したのだ。雷牙にあの日の恩返しをする為に、雷牙の“怪物”へと至る道をその目で見届ける為に。
そして雷牙は夏美に期待以上の伝説を見せてくれた。無名だった雷門サッカー部を円堂と共に全国一へと導き、突如現れた強化兵士達の野望を打ち砕いた。
夏美「…いつの間にか私は彼に惹かれていたのね…。」
この恋心を自覚したのはいつからなのかは分からない。もしかしたら初めて出会った時からかもしれないし、入学式の時からかもしれない。
だが恋心を自覚した時期は関係無い。だって夏美は勝負する前から既に負けていたのだから。
駅前で雷牙と謎の美少女との再会を見た時、夏美の中にある糸のような何かが切れた音がした。
その正体がどんな物なのかは本人にも分からない。ただ事実なのは大切な何かが壊れてしまった…それだけで十分だ。
以降、帰宅した夏美は自室のベットの上でひたすら天井を眺めるだけの存在と化し、いつの間にか眠りについていた。
夏美「…本当にダメダメね私は…。…そうだ。」
このままでは駄目だと自覚した夏美は何かを思いつくと寝癖塗れの髪をセットし場寅を呼びつける。
数分後には夏美は場寅が運転する車の上で沈み行く夕陽を眺めていた。
♢♢♢
夏美「ここに来るのも久しぶりね。てっきり円堂君が特訓していると思ってたけど今日はイナビカリ修練場の方かしら。」
夏美は古びた木のベンチの上で夕陽を眺めながら呟く。ここは稲妻町で最も天に近い場所であり、この街のシンボルであるイナズママークのネオンが輝く場所。
…そして夏美と雷牙が初めて出会った場所でもある鉄塔広場だ。
この街のシンボルと謳ってはいるがここに至るまでに100段を超える階段を登らなければならない事が災いして基本的に人は居ない。
いるとしたら余程のもの好きか宇宙一のサッカーバカだけであろう。
だが今の夏美にとってはこの静寂がこの上なく心地良かった。沈み行く夕陽とまるで異世界に自分1人だけ取り残されたかのような静寂が夏美の心にぽっかり空いた穴を埋めてくれるのだ。
ドタドタ!ドタドタ!
夏美「…あら?」
傷を癒している最中、どこからか靴と地面が擦れ合う音が聞こえてくる。
その音は満身創痍の状態で階段を登っている音というよりかはまるで幼い子供が体力の配分など一切気にせずにただ無邪気に走り回っているような音階だ。
本来夏美には関係ない事だが謎の物音の持ち主が気になり、静かに後ろを振り向く。そこに居たのは…
???「ハァ…!ハァ…!まってよ…!速いって…!」
???「別に速く走ってるつもりはない。お兄が遅すぎるだけ。」
夏美の目に映ったのは白金髪の少女を必死に追いかける黒髪の少年だった。
年は互いに小学一年生くらいのようだが、少女が少年の事を兄と呼んでいるあたり2人は双子なのだろう。
夏美「珍しいわね…、こんな時間に子供がここに居るなんて。」
年齢的にはまだ夏美も子供に該当する年齢だが精神的には既に成熟している彼女の認識では自分はセーフなのだろう。
少年は彼女を捕まえる事こそが自分の使命だと言わんばかりに必死に少女を追いかけるが少女のスピードは常人を卓越しており一向に捕まる気配がない。
夏美「あの子凄い…!あんなに幼いのに中学生にも匹敵するスピードだわ…!」
気づけば夏美は少女の動きに魅了されていた。明らかに少女のスピード・フィジカル・柔軟性は常人を遥かに超えている。
小学生の時点でこの強さならば成長すれば全国レベル…いや雷牙にも匹敵するサッカープレイヤーになれる…そう夏美に確信させたのだ。
夏美「ねぇ、あなた達!」
マネージャーとしての血が騒いだ夏美は思わず少年少女達に声を掛けてしまった。
別に彼女はスカウトウーマンではないし、サッカープレイヤーでもない為サッカーを教えられる訳でもない。
それでも反射的に目の前の少年少女達に声を掛けてしまったのだ。
すると…
???「あっ!聞いてくださいよ!
???「お兄があたしを捕まえられないのが悪い。そうだよね?
夏美「え…?」
あまりに突然の出来事に夏美は言葉を失ってしまう。それもそうだろう。急に謎の双子が自身の事を母だと呼んだのだ。
少なくとも自分はこんな子供の母親になった事はないし、産んだ覚えもない。
それでも双子は夏美が自分達の母親だと確信した目で彼女を見つめている。
???「アレ夏美じゃん?どったの?こんな所で?」
あり得ない状況の中、投入されたのはあまりに聞き馴染みのある人間の声。
人はあまりにあり得ない状況に陥った時、脳がオーバーヒートを起こし知能が著しく下がってしまう。
現在、IQが100まで下がってしまった夏美の脳は一切の躊躇もなく目の前の少年少女から目を背け見知った声の方向へ視線を移す指令を身体に出した。
夏美「稲魂…君…?」
そこに居たのは今彼女が最も会いたくない人間である稲魂雷牙その人だった。
雷牙「どったの?こんな所で鳩が豆鉄砲喰らったような顔してよ〜?もしかして幽霊でも見えたか?」
夏美「いや…今ここに子供が居て…」
夏美は少年少女の方へ視線を戻すと先ほどまで居た筈の少年少女は既に姿を消していた。
雷牙「子供ォ?俺ちゃんが来た時はオメー以外誰も居なかったぞ?」
雷牙の一言に夏美の背筋は凍る。雷牙はここまでくだらないジョークを言う人間ではないし、そもそもこの場面でジョークを言う道理もない。
つまりあの双子は自分だけにしか見えていない存在だったのだ。
雷牙「…マジで大丈夫か?顔色も悪いみてーだし少し休んだらどうだ?」
夏美「…ええ、そうさせてもらうわ。」
夏美はフラフラとした足取りで元居たベンチへ戻り夜空と夕陽の境目に居る太陽を見守る。
すると彼女の隣に雷牙が太々しく座り込む。
夏美「……。」
雷牙「……?」
抱く感情は異なりつつも、静寂に続き沈黙が広場を包み込む。現在、夏美は迷っていた。あの時見た謎の少女と雷牙の関係を聞き出すかを。
しかし夏美は躊躇してしまう。もし雷牙の答えがYESなら更に深い絶望が彼女を襲うかもしれない。
まだ情報が不確定の段階でここまで傷ついているのに確定へと至ってしまえば冗談抜きで精神が崩壊してしまう可能性がある。
まさに“シュレディンガーの猫”ならぬ“シュレディンガーの恋人”。
“分からない”という領域がここまで人を苦しめる事を夏美は嫌という程実感していた。
だが夏美はマネージャーとはいえ立派な雷門サッカー部の一員なのだ。彼女にもどんな強敵を相手にも何度も立ち上がり続ける“イナズマ魂”を宿しているのだ。
覚悟を決めた夏美は静かに一呼吸置くと意を決して雷牙に問う。
夏美「ねぇ稲魂君。」
雷牙「ん〜?何よ?」
夏美「…今日、あなたが駅前で会った女の子はあなたの…その…彼女なのかしら…?」
夏美は遂に“シュレディンガーの恋人”に踏み込む事に成功した。だがその刹那、彼女の目に映る世界の全てがスローとなる。
それだけ彼女は緊張しているのだ。ただの質問だけで擬似的なゾーンに入ってしまう程にまで。
現実時間にして僅か数秒。だが夏美にとって宇宙が誕生してから終焉を迎えるまでに等しい時間。
遂に雷牙が口を開き、“不確定”は“確定”の領域へ達する
雷牙「……は?」
事はなかった。
なんと雷牙の口から発せられたのはまさかの疑問の声。彼は一応日本の学校は出ている。故に質問文を疑問文で返せば0点になる事くらいは知っている筈だ。
それにも関わらず彼は質問を疑問で返す事を選択したのだ。まるであの日と同じように。
雷牙「えっ待って?彼女って何?マジで何の事?全っ然に身に覚えが無ェんだけど。」
夏美「いやいや!とぼけないでよ!あなた今日、駅前で綺麗な女の子と会ってたじゃない!それも相手から抱きつかれて!」
雷牙「駅前… 綺麗な女の子… 抱きつかれる… …!」
ようやく何かを思い出した雷牙は突如右手で口を塞ぎ、左手で腹を押さえる。
まるで今にも吹き出しそうな笑いの感情を押さえつけているように。
雷牙「プププ…!」
夏美「な、何が可笑しいの…?」
雷牙「ちょっと待って…!ププ…! あ〜もうダメ…!アーハッハッハッハッ!!!」
遂に笑い袋の緒が切れた雷牙は大爆笑し、ベンチから崩れ落ちる。
???「お〜い雷牙〜!」
すると階段の方から雷牙の名を呼ぶ声が聞こえる。そこに居たのはこの騒動の発端となったあの美少女だった。
彼女はやや古ぼけた天体観測の用具一式を全て抱えて100段以上ある階段を息一つ乱さずに登ってきたようだ。
彼女は夏美の視線に気づくと軽く頭を下げて挨拶を行う。
???「あっ!夏美さんこんにちは!いつも雷牙がお世話になってます!」
まるで保護者のようにそこで笑い転げている雷牙の代わりに日頃の感謝を伝える謎の美少女。
話し方から察するに夏美は少女とどこかで会った事がある様子だが夏美の記憶領域には彼女の顔は記憶されていない。
夏美「あの…どこかでお会いした事が…?」
???「アレ?おかしいな〜?
雷牙「いやいや…!アーハッハッハ! 気づく…ククク…! わけ…ねェだろ…!ハハハ…!そんな恰好で…!ひ〜!お腹痛い〜!」
???「それもそっか。それじゃあ改めて自己紹介させてもらいます!
稲魂雷斗です!」
夏美「…は?」
稲魂雷斗ーー不幸な航空事故によって生き別れていた雷牙の義理の兄…夏美は彼の事をそう記憶していた。
だが今の彼はどうだ?女性ものの衣服を身に包み、女性用のメイクを顔に施し、身体には甘く良い香りのする香水を塗した結果、目の前に居るのはただの美少女ーーいやただの美人姉となっている。
夏美「な、なんで女の子の恰好を…?」
ライト「あっ、趣味です。」
夏美「趣味…!?」
別に悪い事ではないのだが、ややお堅い家元で生を受けた夏美にとって男性が女装をするという行為は彼女の理解を超えていた。
あまつさえそれを“趣味”の二文字で片付けるその強靭な精神力も彼女にとって初めての体験だった。
雷牙「コイツ小ちゃい頃からお袋の着せ替え人形になってたからな〜!そのせいで癖になってんだよ、コスプレが。」
ライト「いいもんだよコスプレは。雷牙もやってみたら?衣装貸すよ。」
雷牙「いや遠慮しとく。プププ…! ヤバいまた笑いがぶり返してきた…!ダーハッハッハッ!!!」
笑いがぶり返した事で再び雷牙の高笑いが夜空に木霊する。あんまり笑うのも悪いと本人も分かってはいるもののどうしても笑いが抑えられないのだ。
だが雷牙は知らなかった。純情な少女の気持ちを弄んだ
夏美「紛らわしい事をしてんじゃないわよーーっ!!!」
雷牙「てんじょういんっ!!?」
数年ぶりに怒りが頂点に達した夏美が繰り出した右アッパーカットは雷牙ですらも反応が出来ずに彼の顎に炸裂し、数mの高さまで彼を殴り飛ばす。
ぶっちゃけた話、勝手に尾行した挙句、勝手に落ち込んで、勝手に怒っているのは夏美の方なので雷牙には非はないのだが…。
まぁ普段のやりたい放題しているツケがここに来て回ってきたという事にしておこう。だって雷牙だし。
雷牙「き…効いたぜ…、オメーの右アッパー…!ガク」
夏美の右アッパーによってようやく笑い袋の緒が閉められた雷牙は気を失ってしまった。
夏美「…ライト君。」
ライト「は、はい!」
夏美「稲魂君が目を覚ましたら伝えておいて。『また明日ね』って。」
ライト「りょ、了解です…。」
聞きたい事を終えた夏美は一切振り返らずに階段を降りて鉄塔広場を後にする。
そして地上で待機させていた車に乗り込む帰路へ着くのだ。
場寅「随分ご機嫌な様子ですなお嬢様。」
夏美「それ皮肉かしら?場寅。」
場寅「これは失礼。バックミラーに微笑むお嬢様のお顔が映っていたもので。」
夏美「あなたも歳なんだから無駄な事しないで運転に集中しなさい。」
場寅「かしこまりましたお嬢様。」
場寅を運転に集中させ夏美は窓の外の景色を見る。既に日が暮れ月明かりに照らされる街並みは月明かりにも負けない電気の光が夜景を彩っている。
そこには今日も今日とて多くの家族が一家団欒に勤しんでいるのだろう。
夏美はいつか自分にも訪れるであろうその時を空想しそっと呟く。
「…本当に良かった。」
こうしてあまりにも長かった雷門夏美の1日は終わりを告げたのだ。
♢♢♢
雷牙「くっそ〜!夏美のヤツ全力でアッパーしやがって…。」
時計の針が深夜を回った頃。帰宅した雷牙は氷嚢で顎を冷やしながら夏美への恨む事を呟いていた。
雷牙「…しっかしどうすっかな〜?
雷牙の視線の先にあるのは二通の手紙。
その手紙にはそれぞれこう書かれてある。
“日本代表候補選出”と“イタリア代表候補選出”と…
平和なサッカーを取り戻し名実共に日本一となった雷門イレブン。
「なぁ親父、お袋…。教えてくれ、俺は一体どっちを選べばいいんだ?」
「約束だ雷牙!俺とお前は離れ離れになっても親友だ!」
次の彼らの挑戦は海を超えた先にある世界の国々。
「見せてあげよう!君達と私達の壁を!」
「勝負だ!円堂!」
「もうすぐ始まる!俺達の世界への挑戦が!」
「点はやらない僕がここにいる限り…。なーんてね!」
円堂と雷牙の挑戦は彼らの伝説の1ページに1つのピリオドを打つ。
「面白ェ!!!決めようぜ!どちらが真の“怪物”に相応しいかをなァ!!!」
「あんたの“怪物”と私の“怪物”…。果たしてどちらが強いかな?」
イナズマイレブンHEROS 世界編近日公開