梔子ユメと小鳥遊ホシノに助けてもらってから月日が経った。
助けてもらった俺は恩を返したいという理由でこのアビドス高等学校に留まり、色々と手伝った。砂で汚れた校舎の掃除や書類の整理など。
俺程度ができることはなんでもやった。
小鳥遊ホシノはここに留まりたいという俺を警戒して、いつも俺のことを監視し、厳しい目線を向けてきていたが、時間が経つにつれて警戒を緩めてくれた。まぁ、まだ完全に信頼されたわけではないだろうが。
ただ、ある程度の信頼関係を築けたと判断した俺はあることを小鳥遊ホシノにお願いして、それを了承してもらい二週間目。
「はっ!」
小鳥遊ホシノの肘が風を切る────だが、俺の脚は銃声より速く動いた。目にも止まらぬステップで彼女の背後に回り込み、一瞬の残像だけを残す。
銃声も届かないほどの静寂。小鳥遊ホシノは振り向きざまに驚きの表情を浮かべ、握り直したショットガンの銃身が小刻みに震えている。
俺はそのまま低くしゃがみ込み、砂埃を蹴り上げながら再び距離を詰める。小鳥遊ホシノが引き金を引く前に、もう一度ステップ。
────銃声。砂の壁に弾痕が散らばる。
「くっ!」
砂埃をまとった肩越しに、ホシノの低い唸りが響いた。銃身に残る熱気すら感じるほど間近で感じられる。
俺は踵を返し、砂の上を滑るように横移動。小鳥遊ホシノの狙いを外させる。
次の一歩でまた背後へ。小鳥遊ホシノの視界には、俺の“残像”だけがちらつくだけだ。
小鳥遊ホシノの唇がわずかに吊り上がる。構え直したショットガンを、まるで狩人が獲物を逃がさないかのように俺へ向ける。
俺は再びステップを踏み、背後を取ろうとしたが、その瞬間、足が砂に深く沈んだ。
(まずッ!)
一瞬のバランスの狂い。たったそれだけでの隙。
その隙を小鳥遊ホシノは見逃さず、引き金を引いた。
銃声が耳を引き裂き、衝撃波が俺の体を貫く。膝をつき、砂を払おうとするが、手が震えて思うように動かない。視界の端でホシノがゆっくりとこちらへ歩み寄るのが見えた。
最後の力を振り絞って立ち上がろうとしたが、脚がいうことを聞かない。砂の熱さも、呼吸の重さも、すべてが遠のいていく。
ホシノが銃身を下げた。
俺は膝をついたまま、地面に手をつく。指先に伝わる砂の感触が、唯一、現実を確かめさせてくれる。
────これが今の俺の限界か。
砂埃の中、二人の距離はわずか一歩。
そして俺は手を上げた。ホシノは黙ってそれを見据え、やがて構えを解いて銃を見つめる。
二人の沈黙が、戦いの終わりを告げていた。
「分かりやすすぎ、もっとフェイントを混ぜて」
「混ぜただろ、背後に回った」
「あの程度、簡単に読める。もっと動きを複雑にさせて。あんなのフェイントに入らないよ」
「はい……」
そう、俺が小鳥遊ホシノに頼んだのは戦闘訓練だ。これからキヴォトスで暮らしていくのなら、戦闘能力はいくらあっても困らない。
前に述べた美食研究部、温泉開発部という名のテロリストどもや、それこそカタカタヘルメット団など、この世界はいたる所に危険が潜んでいる。
幸い、俺の肉体はまぁまぁ頑丈で、結構力もあり、傷の治りも早い。だが、特筆すべきはそのスピード。足がとにかく速い。
それこそ、今目の前にいる黒服曰くキヴォトス最高の神秘と謳われる小鳥遊ホシノの目ですら捉えきれない程度には俺は速かった。
まぁ、今見た通り、それを完全に使いこなしているとは言えないが。
「おーい、お弁当持ってきたよ」
倒れ伏す俺と小鳥遊ホシノに遠くからでも聞こえるような大声をあげながら近づいてくる梔子ユメ。
「あっ、またホシノちゃんはゲンヤくんをいじめてたの?」
「こいつが望んだことなのですが」
「それでも、もっとやり方があるでしょ? ホシノちゃんは強いんだから」
こちらに近づいてきた梔子ユメは倒れている俺の頭を持ち、なぜか膝枕をして頭を撫でる。
梔子ユメのひんやりとした手の温もりが、緊張でこわばった眉間をほどいていく。恥ずかしさと安堵が入り混じり、胸の奥がと震えた。
二週間前から小鳥遊ホシノとの戦闘訓練後に俺が動けないほど疲れていて倒れていると毎回、梔子ユメが膝枕をしてくれる。
その度に思うが、この梔子ユメの距離感の無さはどういうことだろうか。学生時代にこれをやられたら即効に惚れる自信しかないが、肉体はともかく精神は大人。この程度で勘違いするほど子供じゃない。
「……あの、やめてほしいのですが」
「えっ、何を?」
「いや、この膝枕のことですけど」
「ん〜、何か問題があるの?」
正直に言えば悪い気はしないが、普通に恥ずかしいのでやめてほしいというのもまた事実。それに隣から漂ってくる殺気で気が気じゃない。マジで殺されるのではってぐらいの殺気が俺に向けれられている。
鈍感な梔子ユメは気づいていないようだが。
「いや、問題というかその、とにかくやめてくれると助かるんですが」
「えっ、いやだった……?」
そんな捨てられた子犬みたいな表情をされたらダメだなんて言えなくなるからやめてくれ。毎回これでやめてなんて言えなくなるのだが、今日は言うと決めたのだ。
じゃないと俺が小鳥遊ホシノに殺されてしまう。だから、ここは心を鬼にして────
「嫌ではありませんが、その恥ずかしいのでやめてください」
「でも、幸せそうな表情をしてるよ? 特に口元なんかだらけているし」
俺はその梔子ユメの指摘を受けて、咄嗟に口元を手で覆い隠す。
そのように注意されるたびに思う。
まただ、と。
どう言うわけか、この肉体になってから感情が、ポーカーフェイスがどうにも保てない。これも少年の肉体に転生、憑依した影響なのか。
前世では表情筋が死んでいたのか一切、顔に表情を現れなかったのと全くの逆の状況。
無愛想だと言われ、不便だと思ったことは一度や二度だけじゃないが、これはこれで。
はぁ、少々不便だ。
「弟がいたらこんな感じなのかなって、ついこんな扱いをしちゃうの、ごめんね。でも、ゲンヤくんが嫌ならやめるね」
そう言って、とても悲しそうな表情をする梔子ユメ。そんな表情をさせるつもりで言ったのではない、俺のそんな思いが溢れてしまったのか、口が勝手に動いた。
「嫌ではありません。続けてください」
「ほんとうっ!」
「えぇ、どうぞご自由に」
「…………」
梔子ユメの顔には満面な笑顔が咲いたが、隣からの殺気の重圧は増したような気がした。
◇◆◇◆◇◆
ゲヘナ自治区────ゲヘナ学園。
ゲヘナ学園は昔から対立関係にあるトリニティ総合学園と並んで、学園都市キヴォトスでも一二を争うマンモス校の1つである。
自由と混沌を校風としている他、破天荒、型破り、粗暴な生徒が多く、それに銃撃戦が茶飯事というキヴォトスの価値観も加わっている為、領内の治安は非常に悪い。もはやこの学園内だけ世紀末のような有様で、学級崩壊は当たり前。教育機関としての機能はほぼ損失していると言った酷い有様だ。
また、結果各エリアの事故・事件数が年間100件を下回れば少ない方という有様で、該当する「アラバ海岸」と言うリゾートビーチはゲヘナ基準で比較的閑静と言われるほど。
アビドス高等学校が休校の日。俺は小鳥遊ホシノからもある程度の強さを認められたので、そのゲヘナ自治区に訪れている。
そんな危険なところに俺が赴く理由はつまるところ温泉と情報収集が目的だ。
ゲヘナ自治区にはヒノム火山と呼ばれる火山がある影響か温泉が多いらしく、温泉開発部が勝手に開発・改修した温泉施設もそれなりに存在している。
そんな土地柄ゆえなのか、中には70℃にも及ぶという熱湯風呂がメジャーであり、これは体が頑丈なキヴォトスの住人全体から見ても高温らしい。
前世の肉体では高温過ぎて入れないだろうが、今はヘイローを持つ肉体。何の問題もなく入れると言うことだ。
ただ、実際に訪れてみて思うことだが────
「意外と荒れていないんだな」
俺が思っている以上に今のゲヘナ自治区は世紀末の如く荒れていなかったと言えば語弊を招くが、どこか統率が取れているような印象を受けた。
まぁ、それでも荒れている。もし、俺が逃げ足に自信がなかったら訪れようとすら思えない場所である。
ゲヘナに訪れた俺は目的の一つである情報収集を始める。情報収集の目的は現在のキヴォトスの情勢などを探るためである。
最新の章まで見ているのならある程度のキヴォトスの過去の情報が判明しているのだろうが、俺は中途半端のところで止まっているので、こうして自分で足を運んで情報を集めるしかない。
そして肝心の情報収集の仕方は色々であり、喫茶店で座っているとそこかしこから聞こえてくる噂話、または新聞、ネットといったものだ。
ただ喫茶店は長くて一時間、短くて十分でお暇する。理由はもちろん、ここがゲヘナだからである。
「ヒャッハー、爆破だ爆破だ!」
「金を出せやー!」
現在でもう十三軒目。
窓から街並みを見渡せば、前回訪れていた十二軒目の喫茶店、俺がお世話になっていたその店はゲヘナの制服を纏った不良に占領されていた。
前言撤回だな。全然、統率取れないわ。
さて、話を戻すが最初に調べようと思ったのは現在のゲヘナ学園の生徒会────万魔殿。
当然ながら現在の万魔殿の生徒は俺が知っている生徒ではない。将来はここに生徒会長の羽沼マコトを頂点に俺が知っている生徒も加入してくるのだろうが、今は違うので万魔殿を探っている。
ただ────
「マジで何も出てこないな」
俺が知れた情報は現在の生徒会長が雷帝、または暴君とも呼ばれている生徒が頂点に君臨していると言うことぐらいである。
ゲヘナの一般生徒の評価はその二つ名以外にも天才策略家であり、発明家であると同時に政治家と謳われてはいるが、その肝心の活動内容についての情報が一切入ってこない。
本当に何もしていないのか、それともわざと情報が出回らないように情報統制を引いているのか。
まぁ、その生徒会長が世に出回っている評価通りならば後者であるのは確かだ。
「……なかなか、油断ならない生徒のようだな」
正直、ここいらが潮時と言ったところだろう。これ以上、有益な情報が得られるとは思えないし、そろそろ次の目的である温泉に行きたい。
俺は喫茶店から出ようと立ち、同タイミングで立ち上がった万魔殿の制服を着た生徒、数人をチラッと見て喫茶店を後にし、自信のある足で振り切った後ははついでに集めていた評判の良い温泉に向かったのだった。