偽りの触手死神、生徒になる   作:HIIRAGISHIYU

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004 運命の時間

 俺がアビドス高等学校に来てから、気がつけばずいぶんと月日が流れていた。11月────砂漠の朝晩は驚くほど冷え込む季節で、砂を運ぶ風が肌を刺すような感覚を残していく。あの灼熱の夏とは違い、街の影にも仄かに冬の気配が宿っていた。

 

 思えば、あの時、彼女たちに救われたのは今からおよそ六か月前のことだった。あれから俺は梔子ユメや小鳥遊ホシノと共にどこか普通とは言い難いが、確かに“学園生活”を送ってきた。

 

 このキヴォトスという世界に来たばかりの俺に、「お前はそのうち砂漠のど真ん中で女子二人と青春してるぞ」なんて言っても、腹を抱えて笑っていたことだろう。

 

 ────そう、俺は確かに幸せだったのだ。

 

 前世の日本で味わうことのなかった青春の日々。放課後のラーメン屋でのバイトや、くだらない口喧嘩、そして訓練。

 

 そんな当たり前のようでいて、どれだけ手を伸ばしても届かなかった景色に、ようやく指先が触れていたのだ。どれもこれもが、かけがえのない時間として胸に刻まれていた。

 

 だからこそ、俺はもっと早く気づくべきだった。否、もっと早く思い出すべきだったのかもしれない。

 

 こうした日常は、長くは続かないものだと。

 

 

 

 

 

 肌寒い風がアビドスの廃校舎を吹き抜けていた。砂が乾いた音を立てて踊り、瓦礫の間を転がる。

 

 今日は休校日。俺は朝からバイトに出ていた。お馴染み柴関ラーメンだ。例によって大将は──善人で、犬で、とっても頼りいなる店主だった。

 

 その日、店は珍しく混んでいた。目まぐるしく過ぎる注文と湯気に追われ、ようやく落ち着いたのは夕刻近く。暖簾をくぐって外に出た時、ポケットのスマホが震えているのに気づいた。

 

 これは小鳥遊ホシノの予備機。俺に通信手段がなかった頃、彼女が緊急時の連絡手段は必要と言い、渡してくれたものだった。

 

 今では、三人で過ごした思い出の写真が詰まっている。

 

 液晶には未読の着信が一つ。差出人は────小鳥遊ホシノ。

 

 胸が、どくんと強く打つ。直感的に嫌な予感がした。

 

 通話ボタンを押すと、すぐに小鳥遊ホシノの声が耳に飛び込んできた。

 

「ゲンヤ、ゲンヤ、ユメ先輩が………!」

 

 喉が渇き、背筋が冷える。

 

「ユメ先輩が帰ってこないの………!」

 

 その瞬間、思考が一気に研ぎ澄まされた。

 

 ────アビドス砂漠だ。

 

 俺はその知らせを受けた瞬間にアビドス砂漠の方へ走った。キヴォトス最強の一人である小鳥遊ホシノと鍛えたこの足はもはや何者にも捉えることが出来ないほど速く、夙く、疾く、捷く………そして、目的の場所に辿り着いた時には遅かった。

 

 風が巻き上げた砂煙の中、目に飛び込んできたのは血に濡れた薄い水色の髪。崩れたコンクリの影、瓦礫の隙間に埋もれるように、梔子ユメが倒れていた。

 

「ゴホッ………」

 

 微かに、息がある。俺はすぐに傍へ駆け寄った。

 

「ゲンヤくん、来たの……?」

 

 梔子ユメの瞳が微かに揺れ、俺を認識する。血に染まったその手を、俺は強く握りしめた。

 

「逃げて……蛇、みたいなの……いる……」

 

 声が途切れる。

 

「蛇? っ!」

 

 咄嗟に後ろを向く。砂が波のように盛り上がり、何かがこちらへと迫っていた。俺は梔子ユメを抱き上げ、その場から飛び退く。

 

 次の瞬間、地面が爆ぜるように割れ、巨大な白い影が姿を現した。

 

 それは遠い昔、キヴォトスの旧都心廃墟で行われていた「神の存在を証明、分析し、新たな神を創り出す方法」を研究していた組織と、それを支援するゲマトリアによって作り出されたとされている対・絶対者自律型分析システムとは名ばかりのただ自動機のAI「デカグラマトン」によって生み出された、キヴォトス民なら誰もが知っている総力戦ボス。

 

 3番目の預言者・ビナー。

 

 白銀の鱗を持ち、蛇のようにしなやかに、鯨のように重厚に。廃墟の地平を割って現れた巨体は、まるで大地そのものが怒りに震えて形を変えたかのようだった。

 

 ゴオォォン、と空気が震える。地響きに合わせ、瓦礫が跳ね上がり、朽ちた建造物が軋む。その瞳がこちらに向いた瞬間、空間が押し潰されるような圧迫感に、思わず息を呑む。

 

「ゲンヤくん、逃げて……!」

 

 梔子ユメの掠れた声が、砂の中で消えそうになった直後だった。

 

 ビナーの口が開かれる。螺旋のように収縮する内部に、光が集まっていく。空間がわずかに歪むように見えたのは気のせいではない。灼熱の前兆。

 

 ────まずい。

 

 理屈ではない。生物としての本能が、今ここにいれば死ぬと叫んでいた。

 

 俺は即座に梔子ユメを抱き上げ、跳躍。砂を蹴り、瓦礫を滑り、死線から逸れる。

 

 一瞬の静寂。

 

 次の瞬間、空気が灼けるような音と共に、それは解き放たれた。

 

「アツィルトの光……!」

 

 廃ビルが蒸発した。鉄骨が音もなく崩れ、溶け落ちる。後方で爆発音さえ発生しないのは、光そのものがすべてを消し去っているからだ。時間すらも、灼熱の奔流の前には無力だった。

 

「冗談じゃないぞ、クソが………!」

 

 身を伏せた瓦礫の陰で、俺は息を吐いた。その声が震えているのを、俺自身が一番理解していた。

 

 今の一撃、避けなければ梔子ユメごと蒸発していた。それを想像するだけで、背中を冷たい汗が流れた。

 

「口が悪いよ……ゲンヤくん……」

 

「うっ……すみません……」

 

 相変わらずの梔子に少し笑みを浮かべた俺はあらためてビナーの方へ目を向ける。

 

「逃げれますか?」

 

「う〜ん、無理かな。足に力が入らないの」

 

 彼女の言葉に、胸が重くなる。

 

「正直に言って、俺も梔子さんを抱えてあいつから逃げ切れる自信はありません」

 

「むっ、何? 重いってこと?」

 

「いえいえ、そんなことはあり…ません……よ?」

 

「何か間があったような?」

 

「気のせいです。それより、楽しく会話する時間はないようです」

 

 その直後、ビナーの外殻が開き、内部構造から無数のミサイルが射出された。雷鳴のような轟音があたりを包む。

 

「くっ……!」

 

 俺は再びユメを抱え、瓦礫を蹴り、壁を蹴って跳ぶ。ミサイルが背後に炸裂し、爆風で周囲の壁面が崩れ落ちる。飛散した破片が全身に突き刺さるが、それでも梔子ユメだけは守るように背中を丸める。

 

 砂埃と煙が一帯を包み、視界が奪われる。光の残滓の中、ビナーの口元が光を溜めているのが見えた。

 

「っ!」

 

 避けきれない。距離が近すぎる。俺は決断した。

 

 梔子ユメを、俺のすべてをかけて守る────と。

 

「ゲンヤくんっ!」

 

 彼女の悲鳴を背中に、俺は彼女を力一杯後方へと投げ飛ばす。回転しながら宙を舞う梔子ユメの体が、射線から外れていくのを確認して────

 

 俺は真っ直ぐ、死線へと踏み込んだ。

 

 横に移動して射程範囲外まで逃げれる時間もない。ならば前に行くしかない。足裏に力を込め、爆発的な推進を生み出しながらビナーの顎へと跳び蹴りを叩き込む。

 

 硬質な衝撃。骨に響く手応え。重りがなくなった今、俺は誰よりも速い。

 

 そのまま俺はビナーの巨体を駆け上がり、鋼の皮膚を拳で殴り続けた。腰にある拳銃なんて役に立たないと俺はそれすらも外して、捨て、さらに重りをなくす。

 

 特に目を集中的に狙い、何度も何度も拳を叩き込む。拳が裂けようとも、指の骨が砕けようとも、俺は殴り続けた。

 

 梔子の足では逃げることはできない。俺も梔子を抱えてこいつを相手に逃げれない。

 

 ならばするべきことはただ一つ。

 

 こいつをぶっ壊す。ただそれだけの想いを、拳に乗せて。

 

「壊れろっ! 壊れろっ! 壊れろっ!」

 

 とっくに身体は壊れているはずなのに、なぜか動く身体。傷がつくたびに治り、俺の感情に呼応するかの如く身体はより戦闘に、より実践的に、形が変わり、力も速さも増す。

 

 叫びと共に、最後の一撃をビナーの眼に向けて叩き込む。眼窩が陥没し、光が明滅する。

 

 だが、ビナーも死に物狂いだった。体表から装甲を展開し、自爆覚悟の無差別攻撃を放つ。

 

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」

 

 ビナーの咆哮が耳に入る。ミサイルがビナーの体すら巻き込む勢いで降り注ぎ、俺は咄嗟に走る。重力に抗い、残された脚力でビナーの巨体を駆け回る。

 

 巨体が揺れ、各部からスパークが飛び散り、ビナーの巨体が地響きを立てて沈んでいく。まるで巨大な神殿が崩壊するように、あの不気味な白い装甲が、徐々に砂の中へと飲まれていく。空は赤黒い煙に覆われ、光の加減もわからなくなっていた。

 

 焦げた鉄の匂い。爆発で焼け焦げた砂とコンクリートの混じった土の匂いが鼻を突いた。

 

 俺はその光景を背に、座り込んでいた梔子の元へと急ぐ。

 

「やったのか?」

 

 よくある“フラグ”を口にしてしまった自分に気づき、咄嗟に口を押さえる。その手に、妙な違和感があった。

 

「ん………?」

 

 視線を落とすと、破れた制服の隙間から、白い触手のようなものが腕や脇腹から伸びているのが見えた。袖の裂け目から覗く手首には、白く蠢く紐状の器官が血管のように絡みついている。

 

 腕からも、足からも、異形の白い線が浮かび上がっている。触手は血管のように巻き付き、皮膚を内側から押し上げている。しかも動く。意志を持っているかのように、わずかに蠢いた。

 

 身体の奥からこみ上げてくる“異物感”。でも、どこか懐かしさすらあった。何かが確かに目覚めている。恐怖ではない。むしろ、静かな受容。

 

「マジか……」

 

 頭に手をやると、髪までもが白く変質していた。繊維のように細かく分かれ、風に揺れるたびに意志を持つように波打つ。

 

「俺、完全に……バケモンじゃん……」

 

 戸惑いを隠せず言葉をこぼした俺の前で、梔子ユメが息を呑んだ。

 

「ゲンヤくん、それって………?」

 

「……梔子さん、これなんでしょう?」

 

「えっ! ゲンヤくんも知らないの?! 自分の身体のことでしょ?!」

 

「いやいや、知らないよ! なんなんだ、これ?!」

 

「私に聞かれても知らないって!」

 

 会話を交わしながらも、俺は視線を自分の手へ戻した。どこかで見たことがある。そう思った。これは────ブルアカの世界の何かではない。もっと前……もっと深層に刻まれた、別の記憶の中にある何か。

 

 感情が追いつかない。記憶の奥底にある“何か”が、この姿を肯定しているのに、思い出せないことがもどかしい。

 

 思考を巡らせていたその時だった。

 

「っ! 危ないっ!」

 

 梔子の声が鋭く空気を裂き、俺は彼女に身体を押されて倒れる。

 

 とっさに彼女の方へ目を向けた次の瞬間、世界がスローモーションになる。

 

 視線の先、光の細線が一直線に梔子の胸元へと伸びる。その軌跡は完璧だった。迷いなく、正確に、心臓を────貫く。

 

「ユメッ!!!!」

 

 叫びが喉を裂く。時間が止まったような錯覚のなか、俺は飛び込むように彼女を抱き止めた。

 

 崩れ落ちるように、梔子の身体が俺の腕の中で沈む。

 

 温もりは、まだあった。けれど────それは急速に、確実に、失われていく。

 

 血が、流れる。空気が、濃くなる。時間が、薄くなる。

 

 視線の先、崩れかけたビナーの口元には光の残滓が揺れていた。ヤツはまだ死んでいなかったのだ。

 

 憎悪が燃え上がる。俺のこの手で、確実に仕留める。それだけの力が、今の俺にはあると、なぜか確信できた。

 

 けれど、俺が動くより早く、ビナーは再びその巨体を揺らし、砂煙を巻き上げながら地中へと逃れていった。

 

「ゴホッ………」

 

 唇からこぼれた血が、砂に染み込む。あまりにも鮮やかに、残酷に。

 

「ユメッ!」

 

 俺は梔子ユメをしっかりと抱きとめた。腕の中の彼女は細く、脆く、今にも崩れてしまいそうだった。血が手のひらを温め、やがて熱が奪われていく。

 

 どう見ても手遅れだった。心臓は穿たれ、血は止まらない。治療の意味はない。

 

「まだ……まだ……何か……何か」

 

 俺は必死に言葉を探し、手のひらを彼女の傷口にあてがう。しかし血は止まらない。思考が焦りに溶け、視界が揺れる。

 

「やっと……名前……呼んでくれた……ゲンヤくん、怪我は……な…い?」

 

 その言葉に、胸が締めつけられた。

 

 なぜ、こんな時にそんなことを。

 

「ユメッ! まずは自分の心配をしろっ!」

 

 声が震える。彼女の温度が、腕の中でどんどん遠ざかっていくのが、怖くて堪らなかった。

 

 後、0.1秒早く気付いていれば守れていた。俺がビナーの生存を確認していれば、警戒を緩めなければ。

 

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。

 

 どうして、もう一歩、思考を、警戒を、確認を。

 

「……俺が殺したも同然だ」

 

 吐き捨てるように言ったその言葉に、彼女は首を横に振ろうとした。弱々しく、それでも確かに。

 

「そんな……わけない……私がそうしたかっただけ……ゴホッ……それぐらい……ゲンヤくんは……私たちにとって……とても大切な人……」

 

 ユメの手が、俺の手を包み込む。その手は冷たいのに、確かに“生”を感じさせる温もりが残っていた。

 

「この手……何かはわからないけど……すごく、あったかくて……優しい……」

 

 ユメの指先が、ゆっくりと指の腹に触れる。

 

「この手なら……きっと……」

 

 声が、途切れがちになる。息をするたびに、血の匂いが強くなる。

 

「もう……時間……ないみたい……だから……約束して」

 

「……なんだ」

 

「……この手で……困ってる人を……アビドスを……ホシノちゃんを……支えてあげて」

 

 そして、ふっと笑って────胸元から、取り出した水色のネクタイを俺に差し出す。

 

「約束していた……ネクタイ……ゲンヤくんは………水色……絶対に……似合うよ」

 

 ヘイローが砕ける音と共に、ユメの手が俺の中から滑り落ちた。

 

 ……全てが、終わった。

 

 ────いや、違う。

 

 今、彼女と交わした“約束”が、俺の中に確かに灯っていた。

 

 遠くで、崩れた瓦礫の音がする。その声は聞き覚えがある。凛とした強さを秘めた、いつも俺とユメを叱ってきた────その声。

 

「ユメ先輩っ! ゲンヤっ!」

 

 ────ホシノ。

 

 俺は静かに立ち上がる。手には、ユメが託してくれたネクタイを握ったまま。

 

 背後から駆け寄ってくる足音。それが止まったと思った次の瞬間、怒りと悲しみに震える声が響く。

 

「……ユメ…先輩……なんだよね……ねぇ、誰だお前はっ! ユメ先輩から離れろっ!」

 

 俺は静かに振り返る。そこには、ショットガンを構え、涙をこぼしながらも怒りに燃えるホシノの姿があった。

 

「ゲンヤっ! う…そ……ねぇ、嘘って言って! ゲンヤ、ユメ先輩は……死んだの?!」

 

「あぁ……俺が殺したも同然だ」

 

 俺の言葉に、ホシノの瞳が怒りで燃える。ショットガンの銃口が俺に向けられる。

 

「ッ!」

 

 その殺意。以前のホシノからは想像できないほど、研ぎ澄まされた殺意だった。

 

 だけどもう、怖くはない。自分が何者か、ようやく悟った。

 

 ただ────俺は、それら全てを受け入れる。

 

 俺を恨め、ホシノ。それで君の心が保てるなら。生きる理由ができるなら。

 

 喜んで恨まれてみせよう。ユメの望んだ形での支え方ではないかもしれないが、これが俺の考える小鳥遊ホシノの支え方。

 

「お前の大事なユメ先輩を殺した俺を殺したくば死ぬ気で足掻け」

 

「ッ! 信じて……いたのに……ッ!」

 

 ホシノが引き金に指をかけた、その瞬間。俺は跳躍した。風を裂き、瓦礫の中を抜け、夜の影へと溶けるように逃げた。

 

 背後で彼女の声が響いていた。

 

 

 触手が聞いてきた。

 

 ────どうなりたいかと。

 

 強くなりたい、もう何者も失うことはなく、守れる、そんな生物に、そんな生徒に、そんな大人に。

 

 時に失敗するかもしれない、でも精一杯やろう。彼女の目指したものを、自分なりに、自分の得意なやり方で。

 

 




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