月が出ていた。上弦の半月が少し膨らみ始めたところだ。
果たして私には、その半月の弧が我が首に振り下ろされんとする斧の刃に見えて仕方がなかった。
なにせ私は───処刑台に送られる死罪人の気分だったのだから。
2088年12月31日
私を導く長兄派のこの執事は、継承争いに於いて微妙な立ち位置に居る私のことを快く思っておらず、もともと兄たちと反目している母上に命令されて動いているのも相まって不機嫌さを隠そうともしない。
この不機嫌は平時であればご馳走だが、我が身の明日が危うい状況では愉悦を感じる舌も鈍麻するというもの。むしろこんな状況で一抹表情を綻ばせる要素があって良かったなんて考えてしまうあたり、哀しきかな我が身の性癖よ。
「イライザお嬢様をお連れ致しました」
ノックの音とともに現実へ引き戻される。己が不幸に浸って現実逃避していたら、ついに母上の寝所に到着してしまったようである。
部屋の奥からは何も聴こえない。しかして執事に応えるように扉は独りでに───
──否、気配を感じさせない小柄な老婆が静かに反対側から扉を開けたのだ。
「よくぞお越しくださいました、イライザお嬢様。ここからはお一人で中にお入りくださいませ」
その声に得も言われぬ懐かしさを覚えた。私はこの老婆とどこかで出逢っている。一切の記憶的証拠はないのに、なぜか確信めいたものが脳裏に奔った。
「どういう了見でただの食客にすぎぬ貴様が扉番に立たされているのかは知らないが」
執事の不機嫌を通り越し憎悪を滲ませる声で言う。
「少なくとも序列一位の執事である私に行動の優先権が存在する。お嬢様お一人では何かあっても対応ができないのだ。道理が解らぬとは言わせぬぞ」
「『お嬢様お一人で』というのは奥様のご指示です。如何に序列一位であろうとも、主人の命に逆らうのは罷りなりません」
静かに、子供に言い聞かせるように老婆は啖呵を切った。執事は言い返そうとして、唇を噛んだ。
────ああ、なんて気分が良い。人生最後の日にふさわしい愉悦だ。
「ああ、よく来たねリザ。こうして顔を合わせるのはちょうど一年ぶりかな」
部屋に入ると、母上はベッドに横たわり、枯木のようになってしまった喉笛から
「御覧の通り、あまり余裕がなくてね。手短にいこう、君の今後の話だ」
私は母──ライネス・エルメロイ・アーチゾルテの『今後』という物言いに疑念を抱いた。
母は冷徹で利に聡い人間だ。敵対する派閥の財産を
それがどうして──私の『今後』などを考えるのか。私は処分されるのでは無いのか?
「君は今日を以て廃嫡、以後はノーリッジ卿へ養子に出す…ついで、日本に飛んでもらう」
意外を通り越して呆然とした。極東流に言うならば島流しだが、そんなのこの発達した交通網が存在する現代に於いては無罪放免ではないか。罪は犯してないけれども。
「想定していなかった、というような顔だね。まぁ無理もないか」
私の動揺を顔色から読み取ったらしい母上は続ける。
「君には才能が無い。それは君自身が厭というほど知っているだろう。だから何処かの家に嫁がせるのが一番利があると思ってたんだが、生憎と今の
言外に『利用価値があるから自由にさせているに過ぎない』と告げる母上の圧は、八十年の永きに渡り
「だから君があの二人が手が出し難い位置に置いて英国からも離すことにした。ああ、もしなにかあったら呼び戻すさ」
2094年12月31日
ふっと、7年前のあの日のことを思い出していた。今にして思えば、アレは母なりの親心だったのだろう。もはや関係断絶と言っていいほどに時計塔の様子は見えないが、漏れ聴こえる話では名のある家々が続けざまに道を閉ざし、上へ下への大騒ぎとなっているらしい。それもここ数年ずっと。
流石に君主の家系は脱落者は出ていないようだが、時間の問題だろうと目されている。そんな中にいまだに魔術が
だから適当な理由をつけて、私をよその家からも、兄上たちからも遠く遠く離した。それが、家に雁字搦めにされた彼女に出来た唯一の策だったのだろう。
ならば、生きねばならない。母を縛る
いま、私の手元には「魔法大学附属第一高等学校 入学の手引き」という書類があった。人の世が進んでも紙の書物がなくならないのは、案外魔術師が相当数いるからなのではと思わなくもないが、本題はつまり、私が復讐に用いるに決めた道筋のことだった。
現代において、「魔法」という語句の意味は一般に、超能力を介して現実の物理現象ないし生物の情動を制御する
当然彼らとは不倶戴天の敵であるのだが、だからこそ私はこの道に進む意味を見出している。そこに在学するだけで実家への嫌がらせになるし。
当然ノーリッジ卿には良い顔はされないだろうから事情を説明して義理の縁を切らせていただきたい旨を伝えると、意外にも自身の養子の中には魔法科学生が相当数いるので構わないという返答をいただいた。自分でもびっくりするほどあっさりと、魔法科高校進学の障害が消滅し、あとは出願だけとなったわけである。
ことここに至って、弱気になっているのか?私は自問した。さっきからずっと、あの日の母がフラッシュバックして仕方ないのだ。この未来が、この進む道が苦難に満ちていると警告するように。だがもはや悩む選択肢はない。私の過去は、この程度で揺らがない。
そう覚悟を決めた私は、出願書類をまとめて緘をした茶封筒を手に、家を出た。
これが、いずれ来る災禍の渦中に引き込まれることになる遠因であったことを、この日の私は知る由もなかった。
色々とあり、前話(前作)から2年空きました。本当に申し訳ありません。ちまちま更新していくつもりです。ご期待を裏切っておきながら恐縮ですが、温かく見守っていただけると幸いです。
2095年→2094年に修正