2095年 2月中旬
「お嬢さん、今日は受験ですかい?」
タクシーの運転手が尋ねた。
「…ああ」
「向かう先からして、魔法科ですか」
「そうだ。初めてタクシーというのに乗ったが、意外と乗り心地が良いな。」
「そりゃァまあ、こっちも高級路線でやってるもんで。ちっとでも問題がありゃすぐクレームになって返ってくるんですよ」
運転手は今度の客もそのゲン担ぎの例に漏れないだろうと考えていた。だが、その行き先を聴いてから、彼の態度は硬化した。それでも仕事に手を抜かないのは彼のプロ意識のなせる技であろう。
「何か、敵意を感じるな。魔法は嫌いかい?」
あからさま過ぎただろうか。彼のやや不機嫌な態度を見逃さず、客の少女は言った。
「……ええ、まあ。前の戦争でお袋が死んでるもんで」
第三次世界大戦、あるいは二十年世界群発戦争。寒冷化に伴う全世界的な食糧難を端緒とし、魔法が戦力として使われた人類初の戦争である。この戦争と、前後の余波を合わせ、人類は総人口の2/3を喪失。皮肉にも結果として寒冷化に伴う食糧難は解決し、今日に至るまで不安定ながら絶滅戦争は発生していない。
主に戦場となったのはいわゆる発展途上国だったが、日本もまた例外ではなく、ここ十年ほどだけで見ても沖縄、佐渡、対馬などの日本海側が旧中国領から侵攻を受けている。現在まで国体を保てているのは、その裏に積み上げられた犠牲──魔法師を多く含む──によるものが大きいと、運転手本人も理性では理解していた。
「そうか。私もだ」
だから、続く彼女の発言に、運転手はやや面食らったようだった。
「魔法科へ入りに行くんじゃないんですかい。それが魔法が嫌いって、どうなんです」
「君は銃が好きかね?ミリタリーナイフなんかは?人の手でつくられた、人を殺す武器を好む人間は、あまり多くないと思うんだがね」
「…それは…あくまで魔法の一側面だけを露悪的に切り取っただけじゃないんですか」
「おや、私の想定より理性的だ。いや失礼。もっとこう、反魔法師思想的な反論が返ってくるのかと思っていたからついつい馬鹿にしたような物言いになってしまった。非礼を詫びよう。」
どうやら馬鹿にされていたらしい。あまりにも慣れたような、ともすれば諭すような口調で言われたものだから、それを皮肉と気づくことも無かった。
「そのうえでだが、私はあれらをどこまで言っても道具にしかなれないものだと思っている。他の連中は知らんが、私にとってはとても使い勝手の悪い道具だ。君もこの車の乗り心地が悪ければ、この車に乗っていないだろう?」
「いや…仕事道具なもんで」
「じゃあ君のシャツだっていいさ。着心地が悪ければ買わないだろう?そういう意味で、私は、あれが嫌いなのさ。それに──」
それを言い終えるすんでのところで、カーナビが目的地周辺に到着することを報せた。この時代のカーナビは衛星通信とAIの複合技術によって、かなり高精度で到着予定時刻を予測してくれるので、通常は事前に降車準備をしてスムーズに降りることが出来るのだが、生憎とこのとき、受験生という不確定要素が多かったために、到着直前まで計算が終わらなかったのだ。
加えて、運転手も彼女の話に聴き入っていたから、もうすぐ目的地であることを伝えるのを怠った。ほぼ無意識で運転ができるほどに磨き上げた技術が、却って少女の声に埋没するのに拍車をかけたのは、皮肉というべきか。
「ああ、すみません、その…」
「いや、構わないでおくれ。君が聴き上手で助かったよ。私もべらべらと要らない話をしたがる性質だが、なにぶん話し相手が少ないからね」
少女は、今どき珍しい現金支払いで車を降りた。釣りも要らない、話を聴いてもらった駄賃だと言いながら悠々と車を降りていく。
「あの、最後、何を言おうとしてたんですかい?」
これだけは聞かなければと思った。聞けなければ尻切れトンボだし、何より不思議と彼女との僅かな縁を大切にせねばと、意識せずそう感じたのだ。
「……なあに、大したことじゃない。本当に『魔法』が在るのなら、世界はとっくに救われているはずだろう、って言おうとしただけさ。」
さて、受験である。魔法科高校の受験は5教科7科目の筆記に加え、魔法理論、実技の二つが加わり計九種のテストを受け、合格点を競うこととなる。
が、ここに落とし穴が存在し、まずもって前者、5教科7科目については基本満点でなければならない。そもそも魔法という概念自体高等学問なので、一般基礎科目は出来て当たり前な連中が進学してくる。その当然の帰結として、いわゆる足切りラインがあり得ないほど高い。98点フラットとか。
しかし真に問題なのは魔法理論と実技の方である。
魔法理論に関しては、魔法という技術体系自体が新興のものであるため、わかっていない部分が多い。その中で高難易度問題を作ろうと考えると、自然と“大学院レベルだけど高校受験する君はどのくらい食い下がれるかな?”という、初めから完答させる気のない論述問題が割と出る。と言うか毎年一、二題はこれである。
ではこれを捨て問としてよいのか。否である。先にも言ったが魔法科高校に進学するような連中は純粋培養のエリートであるため、幼少期から大学卒業レベルまでの理系科目は脳味噌に叩き込まれている。文字通り脳に直接書き込んでいる家系がいるらしい、などという眉唾が一定の信頼性を持ってしまっているのも、こうしたスパルタ詰め込み教育の賜物であった。
そして実技。これが凶悪で、特に第一高は成績配分が大きい分、ここで合否が決まってしまうことも少なくない。
私ことイライザの魔法(現代仮名遣いとして『魔法』と表記する)は、魔術回路を操作して
いや、ここまで来たら切り替えよう。逆に言えばそれ以外の不安要素はないのだ。
イライザは下に向き始めた思考を強制的に打ち切った。彼女は魔法実技以外はほぼ満点で通過する事ができると、過去問を見て確信していた。
もともと合格することが自身の目的であって、一科二科はこの際どうでも良い。時計塔でも落ちこぼれであったから、ここで落ちこぼれてもさしたる落胆もあるまい。
「受験番号9545961、イライザ・ノーリッジ。前へ出て、CAD操作準備を」
私は私以外この場の誰も考えていないだろう胸中で試験用CADの前に立った。