2095年3月某日
「十文字くん、ちょっといいかな?」
廊下を歩いていた十文字克人の耳に、聴き馴染みのある声で呼びかけが届いた。声の主は七草真由美だ。もう高校での付き合いは丸二年が経とうとしているので、間違えることはなかった。
「七草か。何の要件だ?」
彼の返答は、彼を知らぬ者にはぶっきらぼうに聴こえ、それが体格も相まって彼を「巌」だの「こわそう」だのと形容される大きな要因となっていることを、彼自身はあまり認識していなかった。
「大したことじゃない、とも言えないから生徒会室で話したいの。余裕ないなら出直すけど」
彼は、真由美の短い返答になにか緊急性のある話題であることを察して、近く迫っている入学式の準備──彼は部活連会頭として、主に警備を担当する学生側の責任者だった──を早めに切り上げることを選択した。
生徒会室は、克人も目をかけている後輩の服部
忍者のような名前の通り、上司である真由美の帰りを忠実に待っていたようだが、他ならぬ真由美が今から人目を憚る話をするので出ていってほしいと伝えられると、これまた迅速かつ丁寧に鞄を持って退出していった。克人の挨拶も忘れずに。
その後、真由美が消音フィールドの魔法を発動し、この生徒会室内で話された内容が漏れ聴こえる可能性は、ほぼゼロとなった。
「ごめんね十文字くん。忙しいのに」
「予定自体は巻いているから問題はない。あとは警備チームの自主練だけだからな。して、話というのは?」
真由美は微妙な、何かバツが悪いような、親に怒られるのを怖がる子供のような表情で二つの書類を取り出した。
一つは、本年度の入試成績順位表。左端に首席から200位までの序列と名前、右にその者の各科目得点が記載されている。本来はご禁制であるはずだが。
もう一つは、おそらくパーソナルデータを纏めたものだと思われた。調査対象者の名前は『イライザ・ノーリッジ』となっている。
「……あまり言いたくはないんだが、特別な状況でない限り超法的な情報収集は控えたほうがいいぞ」
「うん…。でも誓って私がやったんじゃないわ。あの狸親父よ」
「弘一さんか。まぁ…やりそうではあるが。彼女が何か問題があるのか?
そこまで言って、彼女の入試成績が異常であることに気づいた。魔法実技が足切りラインギリギリなのに対しに対し、魔法理論科目は二位タイである。通常、魔法師の実技成績と筆記成績は比例する。“実践”出来る方が理屈を理解するのに有利であるためだと言われているが、それ故にこのギャップは、明らかに異常と言えた。
しかし、そのすぐ上にもっと異常な成績得点をしている者が居たためにそちらに感心を奪われ、瞬間話題がそれた。
「魔法理論満点…?」
「あ〜、そっちの子はまた別枠なんだけど。入学してきたら私が直接声かけてみるわ」
あまりのことに取り乱したが、この手のイレギュラーは往々にして発生するものだと言えよう。克人はそう考えることにした。しかしそうすると、七草は何を問題視しているのかが分からなくなってきた。
「それで、このイライザという新入生の何が問題なんだ」
「彼女の苗字のほう。聞いたことはない?ノーリッジ基金って、日本でも何人か支援を受けてる人がいるでしょう?」
ノーリッジ基金とは、二十世紀頃にイギリスの篤志家であるノーリッジ一族によって創設された、いわゆる足長おじさん的な組織であった。彼らは昔から才能のある若者を支援し、それによって優れた成果を示したものも少なくない。
ただ、この基金受給者は
口さがない者などは「ノーリッジ氏は孤児を買い取り実験体にしている」などという根も葉もない──実際、氏に関連する施設に、その手のものが存在しないことは確認済み──噂を流していた。
渦中のノーリッジ氏は完全に沈黙を保ち弁明もしなかったが、それがかえってやっかみに屈せぬ篤志家として、世論を味方につけていた。
「彼女は姓が『ノーリッジ』…本家ということか?」
「本家なんだろうけど、冷遇されていたのか2089年頭に日本に渡ってきたみたい。PDにある通り、現在は世話役と二人暮らしみたいね」
「無責任だな。2089年となれば、彼女はまだ十歳にも届かんだろう」
近年は世界的な緊張状態のために学生に早熟を強いる傾向が強く、ある程度の魔法師の家系ならば中学校に入るあたりから実戦訓練を始めるものも少なくない。
そんな世の中にあってさえ、十歳未満の女児を異国の地に放り出すノーリッジ氏の行動は保護者としての責務を放棄しているように見受けられた。
克人は義憤を覚えつつ、伝え聴く篤志家としてのノーリッジ氏との乖離になにか不自然なものを感じていた。
「うん。でも問題はそっちじゃないの。遠坂家って知ってる?」
真由美が続くように言った。
もともと自他ともに厳しく律することを是とする十文字家は、非合法的な情報網を持たないのもあって、他家に先んじられる事がよくある。それ故に多方面に
「…いや、知らんな。第十研出身の家系にもその名前はなかったはずだが」
遠回しに、把握している
「う~んと…歴史ある古式の家?で良いのかな?戦前は老師の師匠として魔法を教えてたらしいけど今では完全に関係が途絶してるって」
老師とは、現在の十師族制を立ち上げた張本人であり、世界最巧の称号で知られている九島烈のことであった。克人の記憶によれば、彼は古式と関わりが深いものの、それに反して現代魔法を開拓した第一人者であり、師が居たこと自体この瞬間まで克人は知らなかった。
「初耳だ。だが、いやそうか。弘一さんは老師に師事したことがあったか」
「そうね。そのときに聴いたらしいの。それで興味を持って遠坂について調べてたみたいなんだけど…」
そこで真由美は言葉を切り、第三のファイルを取り出した。それを見た克人は思わず上擦った声を上げた。
「七草、流石にコレは不味いだろう」
「返す言葉もございません…」
それは、金融機関の取引記録だった。遠坂とイライザ間のおよそ八年に亘る、未成年女子に対する仕送りにしては過剰極まる額の金銭授受の追跡結果である。小癪にも施された節税対策の数々まで
「………………よくもこんなに…。いや、取引内容が不自然なのはわかるがにしたって少しは慎みを…」
「お叱りは尤もです。私も父にこんなもん取り出して言い逃れできないわよって言ったんだけど。どこ吹く風っていうか…」
「このことは俺の胸先三寸で収めておいてやるにしても、ここまでする理由はなんだ?」
「そう、問題っていうのはそこなの。これ、あたかも遠坂から出資されてるように見えるけど、二頁目見てもらえる?直前に遠坂に多額の入金記録があって…」
確かに見てみると、どうやら大亜連旧シンガポール領からの入金記録が存在した。差出人名義は日本語読みすると『アレックス・ナーンル』であろうか。
「ふむ…。つまり七草は、遠坂を通してこのノーリッジが海外から洗浄された金を受け取っているのではないかと見ているのか?」
コクリ、と真由美は首を縦に振った。しかし克人は、真由美のその表情を見てまだ何か続きがあることを察し、先を促すように目配せした。
「ブランシュのことは知ってるわよね。最近勢いを増してる反魔法師団体。どうやら父は彼女をそこから送り込まれた指示役と見ているようなの」
「何!?」
それが真実ならば、九島家よりも古くから魔法とかかわってきた力ある家が国外の反魔法師勢力と繋がりがあることになる。確かに緊急性は極めて高い。克人は瞬間的になぜそれを先に言わないのかと問おうとし───
「…いや、ここまでの情報はあくまでも疑わしき材料どまりだ。それも違法捜査の賜物ときている。確証がなければ十文字としては動けんぞ」
十文字家当主代理という立場として、その話を鵜吞みにするわけにはいかぬと冷静さを取り戻した。
「十分に承知しています。だから、父からは要警戒対象者として伝えておくようにと言われました」
よく言うものだ。克人が浅慮で七草の話に乗せられていたら、それを十文字家の言質ととってより違法性のある捜査を行おうとしていただろうに。
克人は眉間の皺をより深くして、ため息を押し殺して応えた。
「了解した。だが現状彼女は、正当な試験に合格して入学した本校の生徒だ。過剰な探りは厳に慎め」
「もちろんよ。私だってやりたくないし…。なにより──」
憂いを含んだ顔で、窓から校庭を見遣る真由美。彼女が一科二科間の差別解消に注力したいと考えているのは、克人も知るところであった。その最中に場外乱闘で本来身内であるはずの生徒にまで疑いの目を向けなければならない。それを心苦しく思わないはずがない。
「たった一度の高校生活なんですもの。全員が満足できる三年間にしたいじゃない?」
「……そう、だな」
そう、呟いてその日の話は終わった。
2095年4月
結果としてイライザは、魔法科一高に二科生として合格することが出来た。それ自体に感慨は無い。至極当然。在るべき自然の結果である。
ノーリッジ卿は喜んでくれたが、魔法師としてのキャリアに進もうとしながら魔術師としての自分も棄てきれない自身の未熟を、イライザは恥じた。
今日も今日とて自己嫌悪に浸りながら、その恥辱に身を震わせる性癖に我がことながら鼻白んだ。さながら澱んだ川の流れのように、性癖すら自己完結した生物はもはや死んでいるのと同意義ではないか。目の前で餌を喰らいながらぽっぽと鳴いているこの鳩のほうがよほど生きていると言えるのではないか。
「お嬢様。朝食のお支度が整いました」
「…ああ、今行く」
後ろからの嗄れた呼びかけに、気のない返事を返して、伝書鳩への餌やりをやめて立ち上がる。イライザは恐ろしく朝に弱く、普段は世話係──
何故彼女が今朝早起きなのか。何故ここまで自己嫌悪が酷いのか。それは、彼女を十年来責め苛む悪夢が、彼女を安寧から叩き出したためであった。決して入学式前日で興奮して眠れなかったというわけではない。
イライザ自身、悪夢がどんな内容なのか憶えていない。そもそもいつからその悪夢を見るようになったのか、何を意味するのかわからない。灰色、大鎌、右手の甲の痛み、大切な誰かが斬り裂かれる幻視…などといった起床後も残存する断片情報だけが、かの悪夢が同じ場面をフラッシュバックさせているのだと強く訴えかけても、彼女には一切身に覚えが無かった。
一度、婆やに頼んで退行催眠をかけてもらおうとしたが、彼女は
「お嬢様も、今日から高校生ですね。拙は我がことのように嬉しい思いでいっぱいで…」
食卓につくと、婆やは無事入学式まで漕ぎ着けた私のことを祝した。もしかしたら、朝方魘されていたイライザを励ますためだったのかもしれなかったが、今の彼女の精神状態はあまり余裕がなく、故にぶっきらぼうな返答しか返せなかった。
「大げさだよ。そもそも魔法科への進学自体、あまり褒められたものじゃない。ノーリッジ卿がお許しくださったのはありがたいけれど、やはり私自身この選択が間違っているような気がしてならないよ」
「何を仰います。どんな魔術師も、表の仕事を熟さずに研究資金を確保することなど出来ませんよ。有力な
そう、新しいもの好きで有望な若者好きなノーリッジ卿は、現代の魔法(日本語だと魔法師と呼称しするが、英語ではマギクスとするあたり、西欧圏で相当な批判があったのは明白であろう)の術理に明るく、それ故に魔術師としては珍しい現代魔法肯定派であった。
だからこそ私が魔法科高校に入学できたわけだが、その良心を実家への嫌がらせとして利用している罪悪感が、悪夢によってナーバスになっているイライザにのしかかっていた。
「そりゃあそうだけど…」
二の句を継ごうとするイライザを制して、婆やは彼女の手を握った。
「お嬢様が如何様な選択をなさっても、このヤルグめは、お嬢様の味方で在り続けます。ですからせめて今ばかりは、ご自身の進む道に誇りを持ってくださいまし」
婆やにそう言われて少しばかり持ち直したイライザは、入学式の会場、つまり魔法科一高に辿り着いていた。受験当日は自由に動き回れなかったため、魔術的観点から校舎見学をしておこうと思ったのだ。
確かに霊峰富士からの
こういった儀式的建築様式に於いて『形だけ』というのは大変よろしく無い。霊脈というのは、通常その上で起こる吉事凶事関係なくその巨大な
ところでこの魔法科高校はと言うと、その周囲の開発が出来ていなかった。日本の国立施設の辛いところで、たとえ私立公立を統廃合して予算を集中させたとしても、懐事情はカツカツなのだ。この様な中途半端は仕方のないことだったのかもしれない。
そのように考察して、イライザは現実に引き戻された。自分を見て嗤っている上級生の声を聴いたためである。彼女は幼年期の経験から、悪意ある嘲笑に対して敏感であった。
身構えたイライザだったが、しかして彼らは、何か実効的なアクションに出るわけでなく、遠くからイライザをひとしきり見物して去っていった。意外と優しいんだな、というのがイライザの感想だった。慇懃無礼の中に物理的無礼打ちが存在する時計塔出身としては、小鳥に耳元で囀られた程度の感覚しかなかった。
何の気無しにかの上級生達の歩いてきた方に向かってみると、どうやら自分と同じ二科生男子が、黒髪ウェーブの一科生女子に絡まれていた。
と、遠巻きに見ていただけにも関わらず二科生の方がイライザに気づいたようで、何事か一科生の方に吹き込んでいる。私はあの男の方が面倒な状況から抜け出すために適当な理由をつけて私を売ったことを瞬時に理解し逃走を図り──
「待って!そこの女子生徒ー!」
──失敗した。小賢しくも聴こえていなかったと言う言い逃れを出来ないように、魔法を使って私の耳元まで距離減衰なく呼び掛けを届けてきた。こうなればあの男女の中に巻き込まれざるを得ないだろう。仕方なく、イライザは二人の座るベンチの方に向かった。
「ごめんなさいね、急に声かけちゃって。改めて、初めまして。七草真由美と言います。この学校の生徒会長を務めています」
「こちらこそ初めまして。イライザ・ノーリッジと申します。学校のパンフレットでお姿は拝見していたのですが、実際にお会いするとなお可愛らしいですね」
とりあえず挨拶を済まして、ちらと彼女の隣を見ると、既に重心を身体の外に逸らして離脱を図り始めている男子生徒がいた。
「…彼は…?」
「……ああ…。司波達也と言います。よろしく」
とりあえず挨拶に巻き込んで絶対にこの場に釘付けにする。なんせ今対面しているのは日本魔法師界の重鎮、十師族の直系なのだ。だから彼も出来る限り早急に逃げたかったのだろうが、私を使った以上一対一にさせられるのだけは御免である。手伝ってもらおうか司波達也。
「可愛らしいだなんてそんな、大袈裟よ。にしても出来すぎね。魔法理論成績トップ2が入学初日に一堂に会するなんて。運命感じちゃう」
「……入試成績って開示されていたかい?」
「いや…されてないはずだが」
一年生組が互いに示し合わせて初めて、真由美は失言を悟ったようだった。とは言え達也の方も真由美の発言に驚いていなかったあたり、この二人はコネで入試成績を手に入れられる立場にあるのかもしれない。
「まぁ、自分は気にしませんが、ノーリッジさんは気になるかもしれませんので、往来で話すのは控えたほうがよろしいかと」
「う…わかったわ。お姉さん気をつけます」
「あと魔法の不適切使用も。さっき呼びかけるときに大声出すのを嫌って、私に届くまで減衰を打ち消してたでしょう。私は気にしませんが面倒なのに見られたら追及されますよ」
真由美の発言が止まった隙に、二人がかりで正論をねじ込んでいく。真由美は意外と自覚があったようで、呻くことしかできないようだ。
「うう…。で、でも一応大義名分はあるのよ?生徒会と風紀委員会には校内でのCAD携帯が許されてるし、有望な若者に声かけるのは生徒会として職分上問題ないし!」
「だいぶ拡大解釈では?」
「自分もそう思います。…失礼、そろそろ時間なので、自分はこれで」
「ああ、じゃあ私も。御一緒してよろしいかなミスター?」
「勿論。友達は多い方が良いしな」
こうして、生徒会長を残して二人は去った。
「さっきはありがとう。おざなりになってしまったから改めて自己紹介をさせてくれ。司波達也だ」
「ありがとうもなにも、君が巻き込んだんじゃないか。ああ、まあ良いけどさ。このくらいのトラブルなら掃いて捨てるほど経験してきたから。イライザ・ノーリッジだ。よろしく」
「巻き込んだつもりは無かったよ。遠巻きにこちらを見てるから、先輩に用があるのかと思って」
「一科の上級生、しかも生徒会長と二科の男子生徒が二人並んで談笑中だぜ?そりゃあ見るだろ、何がなくとも」
真由美と別れてのち、彼らは講堂までの道すがら、先の会話の責任の押し付け合い、もとい達也の糾弾をイライザが勝手に行っていた。とりあえず、彼女にとって重要ごとはイライザを身代わりにしてその場から去ろうとしたことを達也に認めさせることであったが、当の本人がのらりくらりと明言を避けるあまり次第に発言が萎え、結局講堂に到着してしまったので上の会話のように着地せざるを得なかった。
講堂の中は、前列が一科生、後列を二科生と言うふうに暗黙の了解として着席していた。それを見て達也が眉をひそめたのを見て、イライザもなんとなくこれが才能の差の表現なのかと思い知った。時計塔ではこれがごく当然のものであったので、不自然を感じることができなかったのである。
「ああ、あそこ空いてるな」
「…みたいだな、行こうか」
だからといって彼に共感してやる気にもなれなかった。彼女は才能がなく、政治力も未熟で、母の権力に護られていなければすぐにテムズ川に浮かぶ水死体の一つになっただろう。であるならば、生きていることを喜び、その中に自身の遊び場を見つける事に注力したほうが良い。
これが、イライザの短い人生の処世術であった。
式典開始前に、隣に赤髪の女子率いる新入二科生軍団が座った。曰く彼女らは、ついさっき知り合ったばかりだと言う。特筆すべきことは、その中の一人が眼鏡をかけていたことだろう。現代の医療技術を以てすれば近視を克服することは容易いわけで、それでは叶わぬ理由があって眼鏡をかけているのは想像に難くない。
魔術世界で、眼球はとても重要な器官だ。人体に占める割合は0.001%未満であるが、唯一受光によって像を結ぶ情報器官。それは医学の発達していない時代から魔術の受け皿として解釈された。もっとも、順序としては『魔眼』という神秘を持つイレギュラーの存在が、それを助長した向きが無いではないが。
で、この柴田美月はと言うと。今のところ同定出来るほどの情報は無いが、魔眼ではないだろう、というのが私の見立てだった。
何なら現代科学で
なのでイライザはどっしりと構え、彼女のことを歓迎した。対して横に座る達也が僅かに、人が気づかぬほど僅かに動揺したのを見て、心の裡で美月と仲良くなるべきであると目算した。
この男は初対面のイライザに迷惑をかける様な不埒者なのだ。こちらも顎で使ってやらねばならぬと決めている。その弱みを後でにぎにぎさせていただくぞ。
と、間もなく式が開会された。内容は至ってシンプル。開会の言葉があって、来賓紹介があって、新入生総代の言葉があって、生徒会長歓迎の言葉があって、閉会の言葉で締め。
なのだが、この新入生総代が
「なあミスター。あの壇上のレディは君の親戚かね?」
「ああ、年子の兄妹だよ」
「やっぱりそうなんですね。なんというか面差しというか、オーラが似てるというか…」
「オーラなんて見えるのかい?ずいぶん目が良いんだね」
そこで美月は言葉を詰まらせた。彼女にとってその眼の出力は過剰でしか無く、それを恥じて表に出したくなかったのだろう。せっかくだし助け舟を出して達也の弱みを教えてもらおうと思ったところで。
「ちょっと達也くん、あんま美月虐めないでよ」
横合いからその役回りを赤髪女子に奪われた。確か千葉エリカとか言ったか。私調べによると百家という数字を持つ家系に千葉家は存在するらしく、警察や軍でそこそこの規模の派閥を形成しているらしいが、嫡流には二人の兄弟がいるばかりでエリカという名は聞いたことがなかった。
もしかすると私のように他所から養子に出された類いかもわからぬ。
「そんなことは言ってない。ただ単純に感心したからだよ」
「どちらの言い分もわかるが、ここは罪を被っておいたほうが良いぞミスター達也。こういう場面で女子に勝つのは容易ではないからね」
さりげなくフォローを入れ、場をとりなして美月と達也からの好感度を調整する。
さてそんな話をしながらIDカードを受け取っていると、司波の妹ことミス深雪があまり会いたくない生徒会長を引き連れてやってきた。あっという間に美月、エリカと打ち解けている。乗り遅れまいと私も名乗る。
「遅ばせながら初めまして。講堂前で君の兄と知り合ったイライザ・ノーリッジという。よろしくお願いするよ」
「ええ…。二人とは、違うんですのね、お兄様?」
どうやら私の方がエリカ軍団より前に顔を合わせたことに猜疑心を抱いたようだ。彼女の超能力が暴走しているのか、やや温度が下がっている。寒い。
「いや、色々あってな。さっきそちらの生徒会長とお話させてもらえる機会があって、たまたまその時通りがかって…」
「通りがかってとは言いようだな。君が七草先輩に耳打ちして呼び寄せたんだろうに」
「本当ですか?お兄様」
「深雪。彼女の言い方には語弊があってだな、まず俺が七草先輩の方を見ている彼女の存在に気づいて──」
イライザは、今この瞬間、胸がすくような気持ちだった。今朝から引きずっていた不調を帳消しにするかのような、人を弄ぶ快楽に酔いしれていた。とりわけ、この『俺、自分のことわかりきってますから』みたいないけ好かない顔をしたヤツが妹相手にたじたじになっているのが好い。さらに、真由美の後ろに控える男子生徒会役員の顔が険しくなってくのも愉しかった。どうも二科生の会話に時間を割かれるのがお気に召さないらしい。
「あんた、凄い顔してるわよ」
「ん?ああ、愉しいからね。さっき七草先輩を言葉責めしていた男が妹相手におろおろしているんだぜ?愉快でなくてなんだよ」
「お兄様?七草先輩を言葉責め?」
「断じて違う。七草先輩が、その、あまり公で言うべきで無いことを仰ったから指摘しただけで…。というかイライザさんも乗っかってただろう」
「酷いわ達也くん。お姉さんにボディブローのような言葉を投げつけておいてそんなふうに言っちゃうんだ。ふ〜ん」
件の真由美本人もノリ出していよいよ事態は混迷を極め始めた。私も人前でなければ抱腹絶倒したいところだったが、その流れは唐突に断ち切られた。
「君たち、いい加減にしたまえ。会長も乗らないでください。司波さん、これから生徒会室に来てください。お話があります」
男子生徒会役員が、ついに我慢の限界を超えたらしく、強制介入によって秩序を取り戻そうとしたのだ。
正直なところ、これにはイライザも助かったと思った。なすがままでは一向に教室にたどり着けないので、どこかで話の腰を折る必要があったのだ。だがこんな文字通り姦しい談笑中に無粋な真似はしたくなかったから、件の生徒会役員は良い仕事をした、と感じたのだが。
どうやら深雪的には、このまま愛するお兄様と昼食を共にする気満々だったようで、明日にして欲しい旨を強く訴えた。これに対し生徒会役員は食い下がろうとしたが、他ならぬ真由美の執り成しによって翌日の話し合いとなった。意外と我が強い。
ホームルームへ向かう道すがら、首筋にちくりとなにかが突き刺さるような気配を察知した。立ち止まると、エリカがどうしたの?と聴いてくる。その間、エリカ以外が振り向くまでほんの数瞬。
最後に達也が振り返った瞬間、痛みは極点に達した。
間違いない。視られている。この男には、私の情報を
その警戒心が伝わったのか、不意に気配が止んだ。
「ねえ、リザ?ホントに大丈夫?」
「……ああ、今は大丈夫だ。疼痛みたいなのが時々あるんだよね」
「年寄りじゃないんだから」
誤魔化したが、見誤った。美月などよりよっぽど脅威的な存在が居たのに気付かなかった。そのことに憂鬱になりつつ、イライザは初日のホームルームを迎えるのだった。