仙は炎に焼かれる   作:アルルの男

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春の花が散り、葉が萌ゆる頃――

彼、飛将軍は、名の通り飛ぶように俺の前へ現れた

庭石を踏み鳴らす音は、風よりも荒く、獣のようだった

その足音を聞いた瞬間――俺は、もう誰かを知っていた

 

飛将軍と謳われし、剣の化身

荒れた歩みのまま、俺を見下ろす位置から、まっすぐに睨みつけてきた

 

「貴殿が……仙人とやらか」

 

声には礼の欠片もない

怒気が滲んだ低音が、狼の咆哮のように喉の奥でくぐもっている

 

「大将軍殿に、随分と気に入られているらしいな」

「らしい、じゃなくて――貴方がそう感じたのなら、それが事実じゃないか?」

「……っ」

 

飛将軍の目がわずかに揺れた

怒気と困惑と、何かもっと深いものが、その双眸に絡んでいる

 

「貴様に、何がわかる」

 

その声には、怒りだけでなく、孤独と焦りが混じってるように感じる

本人は気づいていない。だがそれは、誰にも奪われたくないものを奪われた子供のような響きを孕んでいた

 

「わからないよ。俺は風だ。誰にも属さないし、誰の所有物にもなったつもりはない」

「……だが、大将軍殿は、お前に心を許した」

「それが、君の傷になるのかい?」

 

彼の喉が、かすかに鳴った

噛みしめるように歯を食いしばり、一歩、俺に近づく。だが、そのまま、何も言わずに肩を怒らせて背を向けた

 

「……余計なことを言うな」

 

背中で、そう吐き捨てると、彼は風を荒く巻いて立ち去っていった

まるで、孤独を嚙み殺す狼のように

 

俺にしては――だいぶ、らしくないことをしたつもりだった。不思議と、気持ちを抑えきれなかった

彼を見てると、どこか胸がざわつく。そのことに気づいたのは、彼が立ち去ったあとだった

 

―――――

 

その日の夕暮れ

風は優しく庭木を揺らし、花の香り淡く漂っていた

 

「本日は、荒れていたご様子ですね」

 

離れの屋敷に、ひとつの影が静かに差し込む

歩みも衣擦れも音を立てぬように――暴君に仕える、美貌の侍女。彼女はそっと現れ、俺に小さく頭を下げた

 

「……今日は、来訪者が多いな」

「飛将軍様も、貴方様とお話しになられたあとから――ふふっ、とてもご機嫌がよろしくなかったです。何か、特別な話でも?」

 

何が可笑しいのか、彼女の声音はやわらかい。

いや――あの男のことを、きっとどこか好いているのだろう。"珍しい顔を見た"とでも言いたげな、その笑みに、心の内が透ける

 

「特別か……さあね」

 

俺は庭の花を眺めながら、誤魔化すように笑った

 

「ただ、少し風が吹いただけさ」

「貴方様は、風のようでいて……炎に触れるのが、怖くないのですね」

「風は、熱にも冷にも与せず、ただその道をゆくのみ。――是れ、天の理なり」

 

俺の中には、確かに熱があった

あの暴君という、炎のような男に――どこか、惹かれている

そう、俺は……あの人のことが、嫌いじゃない

けれど、それは――言葉にするような感情では、なかった。風に吹かれて、ふと目を閉じるような、ただそれだけのこと

だから――それを"心地よさ"だと勘違いするな。そう言い聞かせるたびに、胸が、ほんの少しだけ軋んだ

 

「……それで、用件はそれだけか?」

 

くすくすと笑う彼女と、自分自身の苛つきも相まって、つい口調が強くなる

 

「失礼いたしました。今宵、大将軍様がお待ちです――おひとりで」

 

俺はただ、無言で頷き、静かに歩き出した

 

―――――

 

春が過ぎ去り、夏の気配が近づこうとしていた

 

夜も更け、庭の灯篭がゆらゆら揺らめく頃

呼び出した仙人がやってきた、足音は砂の上をなぞるようにかすれ、館の奥、俺の私室へと導かれてゆく

 

部屋には香が焚かれ、俺は重い鎧を脱ぎ捨て、ただひとり文を読んでいた

 

「少し、遅かったな。……風も、寝る時刻か」

「風は、呼ばれればどこへでも吹くさ。たとえ、火の中でもね」

 

俺が言うと、仙人はにやりと笑った

 

「火の中で吹く風は、ただ燃え尽きるだけかもしれんぞ」

「それでも――その炎なら、少しは、あたたかい」

 

笑みが、止まった

その一言に、過去の幻影が胸に射しこむ

男から滲んだ蓮の香が、霞のように覆われた記憶を少しずつ晴らしていく

――瞼の裏に浮かぶ、遠い日の景色。傍らには、気まぐれに愛した、あの女仙がいた

 

『お前ほどの女が、なぜ俺のもとに留まる?この俺に、何を見ている』

『それは。……多分、貴方を見ているのよ』

 

思い出せぬと思っていた過去の声が、鮮やかに脳裏を過ぎる

 

「貴様、やはり……ただの風ではないな」

「そう思うなら、もう縛っておく必要もないんじゃないか?」

 

仙人は、静かに言う

 

「でも、俺は――まだここにいる。風でありながら、この場を離れようとしない」

「なぜだ?」

 

俺は立ち上がった。衝動のまま、目の前の男に一歩近づく

 

「お前ほどの者が、なぜ俺のもとに留まる?この炎に、何を見ている」

 

熱が、肌に触れる距離だった

 

「……多分、お前を見ているんだ」

「俺を?」

「そう。将軍としての顔でも、暴としての名でもなく――ただの、お前を」

 

沈黙が落ちる

その言葉に、俺は初めて、言葉を失った

しばしの間、ただ夜の香が漂っていた。やがて、ゆっくりと目を伏せ、呟くように言う

 

「この俺に、そんな目を向けるものが、まだいたとはな」

「風は、見てるよ。どんな炎よりも――静かにな」

 

都の空気は柔らかく、それでも夜の風はまだ冷たかった

なのに、心はそれとは裏腹に――熱を孕み始めていた

 

「……貴様の目は、本当に風のようだな」

 

それは、かつて隣にいた女仙と、まったく同じ目だった

 

「触れようとすればすり抜け、離れようとすれば追ってくる――」

 

仙は冗談めかして笑う

 

「風もまた、ときに炎を包みて、静かに過ぐることありけり。――でも、包んだ風は、同時に、燃えているんだ」

「……それでも、消えるよりは、いいかもしれんな」

 

その声は低く、まるで独り言のように響いた

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