有馬「終活したのに転職する事になった」
彼に似合う言葉を選ぶなら、
それは、きっと────“社畜”だ。
有馬は彼女を一人残し、霞みがかる空と幻想的な白い花畑の中で光を目指して歩く。自分がいた世界ではないと確信しながらも、その先に何があるのかもどうなるのかも分からないまま進む姿は明かりに誘われる蛾を思わせた。
光の中を進む次第に、体の感覚が薄まっていく。そして体の感覚が完全になくなるとそれは有馬の意識にも伸びてきた。まるで夢遊病の様な心地だと彼は感じた。
「……私のミスでした」
────意識までぼやける光の中で、誰かの声が聞こえた。
「私の選択、そしてそれによって招かれたこの全ての状況」
────どうやら自分に語り掛けているらしい、意味があるか分からないが有馬は意識を向ける。
「結局、この結果にたどり着いて初めて、あなたの方が正しかったことを悟るだなんて……」
まるで耳朶を介さず伝わってくる不思議な声には、僅かに悔恨の色があった。脳内にノイズが走り、誰かが自身に銃を突き付けている────ような映像が見えた気がした。
「……今更図々しいですが、お願いします」
“いまさら”とは、何の事だろうか。聞き覚えのない声から、心当たりのない事を言われて、混ざらない水と油の様に思考は纏まらない。それでも声は止まることなく語り掛けてくる。
「きっと私の話は忘れてしまうでしょうが……それでも構いません」
何故か既視感を覚えるのは、きっと自分と同じく託す事しか出来ない悲壮なものが含まれているからか。はたまた、自分が彼女の事を忘れているだけなのか。
「何も思い出せなくても、恐らくあなたは同じ状況で、同じ選択をされるでしょうから……」
────そう、有馬貴将は迷わなかった。隻眼の梟との協力でも、隻眼の王の育成でも、自身の命を失う選択であっても。彼は全てを覚悟して選んだ。
「ですから…………大事なのは経験ではなく、
「なにを…………えらぶか…………」
寝起きの様な不明瞭な意識は、目の前にいるだろう女性の顔すら認識させない。ただ有馬は彼女から差す逆光に目を細めた。それでも、その女性が血を流し、そのままでは長くないだろう事は辛うじて分かった。
「貴方なら、きっと…………迷わない
助けようと手を伸ばしたつもりだったが、意志に反して体は動いてはくれなかった。それとも────これは既に終わった記憶に過ぎないのか。
「この捻じれて、歪んだ世界とは、別の
「君は…………────」
「……あなたの体の事は、既に承知しています。
大変勝手ながら、こちら仕様に
彼女の背後から見える世界は、透き通るような青い空が広がっていた。光は強くなってゆき意識まで白く、透明に、染め上げてゆく。
段々と透き通って、見えなくなって────
「────…………先生? 有馬先生?」
「…………誰だ?」
「先生…………さては寝てましたね?」
「…………かも知れない」
パチリと、空気に触れた水泡が弾ける様に突然意識が覚醒した。ピントがずれていた視界は直ぐに元に戻り、やや近未来的なフロアオフィスが
(前にハイセに勧められて読んだ、ハリー○ッターのド○ーみたいな耳だ…………特殊メイクじゃないのなら、まさか妖精なのかな?)
確かに一度死んだにも関わらず、こうして五体満足で生き返れているからか。普段なら有り得ない思考に偏る。有馬は何気なく斬った筈の首をさすってみるが、そこには傷跡すらない。少なくとも自身の遺体に勝手に“
「はぁ……では自己紹介からやり直しますね。
私は
「こんにちは、有馬貴将です。名刺は…………? すまない、今は無かった」
何かと天然扱いされたり常識知らずとされる有馬だったが、これでも十年以上組織に属していた社会人。ほぼ使う機会がなかった名刺を出そうとコートの内側を探るが、そこには見覚えのないクレジットカードしか無かった。不可解に思いながらも、生き返った現状に比べれば大した事では無いと一旦置いておく。
「一応、存じ上げています…………一応と言うのは私達生徒会も、先生がいらっしゃった詳しい経緯は知らないからです」
「…………続けてくれ」
有馬自身この建物に入った覚えはなく。体感的には死後の花畑から急にここに居たという感じなのだが、正直に話した所で少女を混乱させるだけだと結論付け、一旦様々な疑問に蓋をして話を聞くことに徹する。
「このような状況になってしまった事は誠に遺憾でありますが、学園都市の命運をかけた大事なことですので」
そして有馬は七神リンという少女離れした生徒に連れられて、エレベーターで昇りながら説明される。キヴォトスは数千以上の学園が集まり出来た巨大都市であり、自身は連邦生徒会長の推薦によってここに赴任した“先生”であること。それを聞いて彼は、教職に就いた事も無ければCCGのアカデミーに呼ばれた事も無いのにと、内心人違いを疑う。
「そして何より、ここキヴォトスは銃社会です。“外”から来た先生からすると色々と慣れない事もあるでしょうが…………きっと問題ないと思います、あの連邦生徒会長が選んだ方なのですから」
(銃社会?
「…………先生いかがなさいました? 先程から眼鏡を外したり着けたり」
「目の調子が…………
「…………良い事なのでは?」
「あぁ、そうだな」
(…………大丈夫なのかしら)
会った時から感情の起伏が殆どない有馬の横顔を見ながら、彼女は先行きを不安に思う。当の有馬はと言うと七神リンの説明に内心驚きながらも、それ以上に自身の体に驚いていた。
(
────有馬貴将は、人間と
それ故に有馬などの和修分家の血筋は代々20~30代で
「…………すまない、何か食べ物はあるか?」
「え? カ○リーメ○トでよろしければ、どうぞ…………」
「ありがとう…………美味いな、チョコ味」
(────本当に大丈夫なのかしら?)
差し出されたカ○リーメ○トをハムスターの様にモソモソと頬張る有馬をみて、七神リンは“さっきからこの人はどうしたんだろう…………”と口には出さないが不安に駆られる。しかし、普通のチョコ味に安心した有馬は気付かなかった。そうこうしている内にエレベーターは指定された階に到着し、有馬はレセプションルームに連れられた。
「待ってたわよ! 代行! 早く生徒会長を呼んできて!」
「お待ちしておりました、主席行政官」
「今の状況に納得がいく説明をして頂けるんですよね?」
すると、入ってすぐにオフィスレディの様な姿の少女や、制服同様黒い翼を腰辺りから生やした少女や、桃色髪のまたもや妖精の様に耳の尖った少女達から三々五々に不満げな声が飛び交う。その講義に笑みを浮かべたまま、リンは仄暗い影を落とし棘を一切隠さず説明する。
「はぁ…………これはこれは各校代表の皆様方、随分と暇を持て余しているようで。
納得のいく説明ですか? それでしたら問題ありません、何故なら────」
(特等会議をサボった時の
「────ここにいらっしゃる有馬貴将先生が、私達の“フィクサー”と
なって下さいますので」
「────え!? この人が!? 見た感じキヴォトスの人じゃないわよね…………?」
「…………俺が?」
流石の有馬もキョトンとした。何故なら“フィクサー”が言葉通りの意味なら正規の手続きを通さず、ある種の強権を振るえるという事なのだから。彼の感覚からすると、入局したての捜査官がいきなり特等捜査官を任される事に等しい、或いはそれ以上かも知れない。そしてオフィスレディの少女も同様に驚いている姿を見るに、彼の考察は強ち的外れでもないようだ。
「これは連邦生徒会長の指名であり、連邦捜査部“
生徒会長が不在の現状、“サンクトゥムタワー”は制御権を失いました。
────動かせるのは現状、有馬先生だけです」
それは部活という超法規的機関で、各学園の自治区において何の制約もなく戦闘活動など行えるという。銃社会で各学園が一つの国の様に組織運営されているキヴォトスにおいては破格と言っていい権限であった。
そして、言うまでもなく有馬の脳内には“戦闘活動? 部活とは一体…………?”という疑問で埋め尽くされている、周囲の生徒達は心なしか彼の背後に宇宙が展開されているのが見えた。
「そういう訳で、有馬先生には今から彼女達とここから約30キロ離れた場所にある建物に向かってもらいます。
そこが有馬先生の部室であり仕事場であり、住居でもあります。何より、あなたに
────話は聞いてたわね、モモカ? そういう事だからガンシップの用意を…………」
(既に住む場所が決められていて仕事場に近い…………もしかしてブラック?)
未だに背景に宇宙を展開し、状況について行けていない有馬を他所にリンはいつの間にか繋げていた無線から戦闘ヘリを要請しようとするが────
『シャーレの建物? 今? ムリムリ! なんか今あそこ、矯正局から脱出した不良が銃撃戦で起こしてるよ?
どっから出したのか巡航戦車まで引き出しているし…………なんか建物占拠しようとしてるみたいだねー…………あ! デリバリー来たからまた後でねー』
「………………ふーーーーーー………………」
────無情かつ無邪気に一方的に切られた。リンの眼鏡が光の反射で瞳が見なくなるが、それでも彼女の胸中がどんな感情で埋まっているのか。それを察しない者は居なかった、そして今にも噴火しそうな火山に燃料をブチ込もうとする愚か者も。
「…………大変だな、管理職は」
「お気遣い、ありがとうございます…………」
取り敢えず、有馬は労う事だけはしておいた。
♢
────何故か、私はその人の事を奇麗だと思った。棺に供えられる花の様に。
「ハスミ、十一時の方向三人。八秒後会敵」
「は────ハイ!」
「スズミ、二時の方向トラック裏へ閃光弾」
「分かりました!」
「チナツ、先行するユウカのカバー」
「了解」
そして驚いた。達筆な草書体の如く、全く淀みなく迷いのない指揮に。まるで打ち合わせでもしていたのかと思う程に、正確無比な指揮陣形と攻防伴った命令は、違法な兵器を引っ張り出してきた不良共を淡々と蹴散らしていった。的確な指示のおかげか、私達に今の所目立った被害は無い。
(そりゃあ確かに、特別訓練されたゲヘナ風紀委員や正義実現委員会とかと比べたら烏合の衆かも知れないけど…………有馬先生、明らかに
『それにしても驚いたな…………』
「────え!? な、何がですか?」
有馬先生の雰囲気が浮世離れしているからか。インカムから聞こえた呟きに、どもってしまい私は聞き返す。正直なところ、この人が生徒会長の代役として“先生”になるのは未だに色々と不安なのだが…………少なくとも、戦闘指揮に関しては異論を挟む気はない。外ではどうか知らないが、キヴォトス基準でも極めて卓越している方だろう。
『キヴォトスではこれくらいの銃撃戦が日常茶飯事なんだろう?
それにさっきから気絶した不良生徒を見た感じ
「あぁ、それに関しては大丈夫です。私達キヴォトスの住人は────自分で言うのもお恥ずかしいですが、かなり頑丈なので。ちょっとの銃弾や火炎や爆発くらいじゃ気絶がせいぜいですよ。
外から来た有馬先生からして見ると変に思えるかも知れませんが、決して
『────そうか』
────私の言葉の何処に、何を感じたのかまでは分からないが、その短い返事には確かに安堵の感情が含まれていた…………悪い大人でもないのだろう、生徒会長が節穴でも無い限り。
「だから戦闘が終わったら先生も護身用の銃を買いに行った方がいいです!
銃に詳しくないのでしたらご一緒しますよ!」
『一応、射撃訓練はしてたが…………この前まで“ナルカミ”に頼りきりで、もう何年も前になるな。その時は頼んでいいか? ユウカ』
「はい! ついでにミレニアムサイエンススクールもご案内いたします!」
“なるかみ”という物が何なのかは不明だが、射撃訓練やここまで戦い慣れしている事からも前職は軍人だったりしたのだろうか? そんな雑談をしながら素早く遮蔽物裏の不良生徒に至近距離から乱射する。ハスミ先輩の援護射撃、スズミの閃光弾で注意を逸らされていたので簡単に制圧できた、が────
『デカいのが来たな…………』
『こちらハスミ、巡航戦車を確認しました。指示をお願いします』
インカムから聞こえてくる声よりも先に、品のないエンジン音にキャタピラ走行、粗悪品の戦車が目の前の広場に陣取っていた。市街地のため小回りは利かないだろうだろうが、分厚い装甲はただそれだけで脅威だ。
『ユウカ、一応聞くが戦車の砲弾を生身で食らったらどうなる?』
「流石にかなり痛いです…………でも私は前衛なので戦車の気を引き付けます!」
『凄まじいな、キヴォトスの生徒は…………耐久力は“喰種”以上かもしれない』
ぼそりと呟かれた後半の言葉は聞き取れなかった、しかしこちらが聞き返すよりも早く明瞭とした指示が飛んでくる。有馬先生はまだキヴォトスの常識に慣れていないのか、その指示は少し保守的なものだった。まぁ、外の世界では一発の銃弾で致死に至るらしいので無理からぬ事かも知れない。
『ハスミ、巡航戦車を中心に三時の方向へ移動。スズミ、俺の指示まで閃光弾は温存。チナツ、ユウカのリロードをフォロー。ユウカ、時計回りに背面へ、ハスミに砲身を向けさせるな』
指示を飛ばしながら先生もこちらに向かっている。出来る事ならインカムの範囲ギリギリまで距離を置くべきなのだが、何分即席のチームで装備も持ち合わせの物しかない。戦況を上空から観測するドローンなど気の利いた物は無い以上仕方が無い。
「先生! あまり前に出ないで下さい! 流れ弾までは対処しかねます!」
『分かった。やはり“
その時、巡航戦車の砲身から逃れようと走っていた私に業を煮やしたのか、操縦者は闇雲に機関銃を放つ。その内の数発が、気絶した不良が落としたであろう手榴弾に殺到した────反射的に過ったのは、コッキングオフ。
「せん────!」
当然、言い切るよりも先に爆発が起こった。これがキヴォトスの住人ならばやや煤けて耳鳴りでクラクラする程度だが、果たして外から来た先生ならばどうなるのか? 騒がしかった筈の戦場は静まり返って、戦車すら自身の招いた惨状を想像したのか止まってしまった。
「先、生…………────」
「────驚いた」
「────へぁ?」
全く焦燥感を感じさせないその声を聞いた時、自分でもどうかと思うくらい間抜けな声が出た。黒い煙が緩やかに散っていき、中から現れたのは────黒く光沢のある羽…………の様な物。
「便利な“
有馬先生はその黒い羽根の後ろから出てくる、察するにアレが盾になったのだろうが…………一体どこからあんな武器を取り出したのか。さっきまで確実に手ぶらだったのに。しかし、私達のそんな戸惑いにも先生は答えず、黒い羽は円錐形に姿を変えた────私にはそれが、騎士が持つ馬上槍に見えた。
「────遠隔起動」
感情の起伏のない短い呟きが一言、そして重いギアが噛み合い激しく廻る音がした。すると微かな地響きを感じると同時に捻れた黒い根の様な物が巡航戦車の下から飛び出した。巡航戦車は耐久性に難があり、加えて碌な手入れもされてない粗悪品。
────それを踏まえても、地中から飛び出したソレは紙の様に容易く鋼鉄の装甲を貫き、瞬く間に大破させた。
「…………こ、こちら早瀬ユウカ、対象の戦車は大破。戦闘行動を終了します」
先生が何をしたのかも分からず、ただ呆気にとられていたが、それでも即席のチームに戦いが終わった事を告げる。当の有馬先生はと言うと、戦車の搭乗口を槍で切り裂きこじ開け、中の不良生徒を引っ張り出していた…………いや、当然の様に鉄板を斬っているが槍でどうやって?
「こ、殺さないで…………」
「殺しはしない…………だが反省はしろ」
有馬先生の雰囲気か、それとも目の前で異常を巻き起こした張本人だからか…………多分両方だろうが見るからに震えている。当然先生は殺害を否定して、ゴツンと槍でヘルメットを叩くだけで済ました。使い慣れているのか、斬撃も打撃も思いのままのらしい
「リン、シャーレに到着した。
首謀者らしき生徒は見当たらないが、他の生徒は全員無力化した」
『承知しました。ワカモの目的は少し気になりますが…………。
私もすぐにそちらに向かいます、先に中で待っていて構いません』
「分かった…………ユウカ達は周囲の確保、怪しい奴は近づけるな」
「はい! 有馬先生は?」
「建物の中を見てくる。一応、俺の職場になるみたいだから」
「…………危なくないですか? 中にワカモがいるかも知れません」
「距離にもよるけど室内なら銃よりナイフの方が強い…………
言いながら先生はいつの間にか豪華そうな金の装飾がされたアタッシュケースを片手に、もう片方の手には変形する黒い槍を手に特に警戒する様子もなくスタスタ建物の中に入っていった。サンクトゥムタワーは生徒会長がいなくなってから、ほぼ全てのライフラインが作動していない筈だが…………本当に有馬先生に動かせるのか? いや、それより────
「何者なんですかね…………生徒会長が推薦した以上、凄い人だとは思いますけど…………」
「七神リン主席行政官の話からすると有馬先生は“シャーレの捜査部”と活動するようですし、いずれ話す事もあるでしょう…………寡黙ですが、恐らく大丈夫ですよ」
生徒の捕縛と矯正局への通報を終えてハスミ先輩がやってくる…………いつ見ても色々とデカい、年齢2,3歳サバを読んでいても全然頷ける、何ならもっと読んでいても頷ける。あと制服のスリットは標準ではない筈だが…………趣味なのだろうか?
「────何か?」
「いいえ、別に?」
♢
「────…………これのお陰なのか?」
最低限の光源しかないシャーレの廊下を歩きながら、有馬は不思議そうに懐から謎のクレジットカードを取り出す。0番隊としてのコート等の衣服を除くと、全く身に覚えのない所持品。早瀬ユウカ達の戦闘を後ろから見ている時、生前使っていた
(IXAは頑丈だ。戦車の砲弾でもなければ砕けないだろうが…………喰種との戦いでは、近代兵器を使われる事は殆ど無かった。目も体も調子が良いとは言え、コレだけでやっていけるか分からないな。その辺りも含めてリンと話した方がいいかも知れない)
キヴォトスに合わせた装備と今後の課題を考えながら、足音を完全に消して歩く。すると少し先の部屋から漏れる光に、人と思われる人間の影を見つけた。有馬はコンマ1秒で臨戦態勢に入れるように気配を殺して近づいていく。
「うーん…………これは一体…………? 壊そうにも何も分からない事には…………」
(…………狐の面? まるで喰種みたいだ)
恐らくユウカ達と同年代くらいと思われる狐面の少女が、何かを物色していた。生前の有馬ならば敵とあらば見敵必殺していたが、今の彼は“捜査官”ではなく“先生”。それに不良といえども、生徒なのでそんな事をするわけにはいかない。任された以上は教師としての振る舞いを、彼なりに心掛けようとしていた。
「────こんにちは」
「────…………あら?」
なので有馬は、取り合えず挨拶をすることにした。以前も同じ様な事を準特等捜査官の時にしたら、至近距離からショットガンめいた羽赫をぶっ放された事もあったのだが…………彼は特に懲りてもいなかった。それに驚いたのか、狐面の少女はそのまま少し固まり────
「…………し」
「…………“し”?」
「失礼しましたー!!!」
────その場に像を残す程、足早に逃げてしまった。
(………………あ、捕まえた方がよかったか)
攻撃されたならば即座に反撃出来ただろう、しかし、慣れないながらも先生として生徒(推定)と話し合おうとしていた有馬は、珍しく対応し損ねてしまった。彼女から殺意が全く感じられなかった事もあるかも知れない、何にせよ彼は一人ポツンと薄暗い部屋に残されてしまった。
「…………言わなければリンにはバレないか」
生前の職場ならば部下に叱られる発言だった、何なら今の職場でも叱られる発言だった。しかし当の有馬はやってしまった事は仕方ないと開き直り、リンに予め言われていた物を見つけ起動させる。
「これが“
リン曰く市販されているタブレットにしか見えないが、製造元もOSも何もかもが不明な代物。行方不明の生徒会長が残した物であり、これはいずれ来る先生“有馬貴将”の物であり、サンクトゥムタワーを動かせる権限がある…………らしい、と有馬は聞いた。
(…………全く身に覚えがない)
何故、死んでいた筈の自分が蘇ったのか。何故、自分が選ばれたのか。自分と生徒会長にどんな因縁があったのか。教員免許も無い自分が何故“先生”なのか。意識を取り戻してから溢れ返りそうな疑問を、この“シッテムの箱”は解消するのか。有馬は疑いながらもタブレットを起動した。
起動した画面は無機質なメッセージを映し、パスワードを求めてくる。有馬の指は一瞬止まったが、脳裏に浮かんだ聞いた事も無い単語を打ち込んだ────打ち込んだのは彼自身だというのに、導かれているように、或いは操られているように思えた。
「“……我々は望む、七つの嘆きを”“……我々は覚えている、ジェリコの古則を”。
“ジェリコ”……都市エリコ? そういえば目覚めてから女生徒しか見ていないな…………意味深だな」
そんな独り言を呟いていると徐々にシステムは立ち上がり、水色で染まった特徴的な教室に変わり、一人の少女が机で寝ていた。何故か既視感、同時に疑問を覚えつつ彼は少女をつついてみた。
「むにゃむにゃ…………いちご、ミルク…………」
「…………起きてくれ」
「あー…………へ?」
「こんにちは」
礼儀正しいのか、馬鹿の一つ覚えなのか、有馬は何故か頑なに挨拶から入った。
「あ! ま、まさか……! 有馬先生ですか!?」
「その“有馬先生”が有馬貴将の事なら、俺の事だな」
「間違いありません! このシッテムの箱を動かせるのは有馬先生だけですから!」
システムには必要とは思えない程、人間的な反応やイントネーションで喋るメインOSは“アロナ”と名乗った。その後、指紋認証などの設定とサンクトゥムタワーの起動から同時に制御権を連邦生徒会に移管する。
「でも、良いんですか? サンクトゥムタワーの制御権を有する事は、
────このキヴォトスの全てを支配下における…………という事ですよ?」
アロナが“その事実を理解しているのか”という含みを隠さずに再確認してくるが、彼は寸分も迷わず答えた。
「構わない、移管してくれ。もしも連邦生徒会が権力に腐敗するようなら、
────その時は、俺が
「…………はい、わかりました」
果たして、OSの彼女に何処まで人間らしい情動があるのかは不明だが。
────アロナには、その瞬間だけ有馬の眼が深海の如く、闇深く見えた。
「それとアロナ、連邦生徒会長について何か知らないか?」
「すみません、私はキヴォトスの様々な情報にアクセス出来ますが…………。
連邦生徒会長に関する情報は見つけられませんでした」
「────そうか」
アロナから帰ってきた答えに有馬は特に落胆を見せることなく、次の質問を投げかける。彼にすれば、どちらかと言えばこちらの質問が本命だった。
「アロナはキヴォトスの“外”の情報にもアクセス出来るのか?」
「はい! 特別セキュリティが固い場所でもなければアクセス可能ですよ!」
「なら、“CCG”“喰種”“高槻泉”“隻眼の王”“金木研”“王のビレイグ”…………。
これらの単語を一つずつ検索にかけてみてくれ」
「お、多いですね。ちょっと待ってください!」
────そして、七神リンがやってくるまでの五分間。アロナが検索した情報を確認し、同時に有馬は確信した。
現実離れした結果だったが異常な事態が多く起こっているからか、それとも感覚が麻痺しているだけか、彼はすんなり受け入れられた。もはや、あまりにも予想通り過ぎて再確認と言ってもいいかも知れない。
(この世界には────そもそも“喰種”が存在しない…………やはり、俺がいた世界とは違う)
「…………どうかしましたか? 有馬先生?」
「何でもない…………」
────ふと、有馬は思い出した。昔、ある
“ねぇ?
幼い少女のような、しかし底無しの絶望を纏った厭世的な声音だった。
“私ねぇー、思うの。もしも神様が実在するなら、それはきっと────”
「────
~もはや体の一部~
有馬「学生の時から眼鏡かけていたのに三十路で卒業するとは………まぁいっか」
有馬「………(読書中)」ソワソワ……
有馬「………(料理中)」ソワソワソワ……
有馬「………(情報収集中)」ソワソワソワソワ……
──次の日
ユウカ「え?いい眼鏡が買える場所?」
有馬「落ち着かなくて………」
このあとエンジニア部に凄い眼鏡を作ってもらった。