絶飯巡礼 ― JKが『日本一飯のマズイ店』を追い求める   作:

16 / 17
旅行編:旅館の無料おにぎり パート2

 

夜の帳が落ちた宿の廊下には、かすかにきしむ音と、湯の香りの残り香が漂っていた。

一日の観光を終え、浴衣のまま畳の上でゴロゴロする時間――それはまさに“旅”の特権だった。

 

葵は布団の上であぐらをかき、スマホをいじりながら首をぐるぐると回す。

「ふぁー……お腹すいたかも……晩ごはんしっかり食べたのに、不思議と今、めっちゃ何か食べたい……」

横になっていたくれはが、ゆっくりと身を起こした。

 

「……じゃあ、ちょっと良いもの、見つけたかも」

 

その言葉に、葵の目がきらりと光る。

 

「えっ? まさか、持ち込みスイーツ!? それともレトルト!? カップ麺だったら神!」

 

くれはは小さく笑った。

 

「……無料だよ」

 

「えっ、無料!? やった、くれはありがと~!」

 

葵は素早く立ち上がり、すでに鼻歌まじりでサンダルに足を突っ込んでいた。

くれはは、そっと部屋の鍵を取り上げ、静かに言った。

 

「じゃあ、ついてきて。共用ラウンジ、夜だけおにぎり置いてあるんだって」

 

「おにぎり!? うわ、最高すぎん? 旅館のお夜食ってやつじゃん!」

 

そう。無料。お夜食。おにぎり。

――ただし、“あれが、食べ物だと信じていた頃”の話。

 

くれはの脳裏には、**昨夜、ひとりで味わったあの“白い絶望の固まり”**が蘇っていた。

米粒の芯、ぬめりを帯びた海苔、腐りかけの甘味、そして“???”としか記されなかった得体の知れぬ具材。

だが彼女は、顔に出さなかった。

むしろ――笑っていた。ほんの少し、罪深く。

 

***

 

ラウンジは薄暗かった。

壁際の棚には色褪せた観光パンフレット、テレビは音を消されたまま古いバラエティの録画を流している。

その奥、冷蔵庫の脇に置かれた白いトレイ。

ラップに包まれたおにぎりたちが、夜の静けさに沈んでいた。

 

「おお……ちゃんとある……! くれは、ほんとにあったよ!」

 

「うん。1人1個って書いてあるけど……2個くらい、いけるかもね」

 

「やった! 私、鮭とツナいこっかな~!」

 

(それが、鮭であると、いつから思っていた――?)

 

葵はうれしそうにラップを剥がし、パクリとひと口かじった。

 

「…………ん?」

 

時が、止まった。

 

「……くれは……これ、ツナ……?」

 

「うん。ツナ、だよ」

 

葵は笑いながらも、眉間にかすかな影を落とした。

「ツナって、こんなに……乾いてたっけ……?」

「水分を吸って進化するタイプのツナなんだよ。パサパサ系ってやつ」

 

「……はは、進化系ツナか……クセが強いなぁ……」

 

次の一口で、ツナの中心部――**“白味噌らしき異物”**が、葵の舌を直撃した。

 

「…………あ、あれ……味噌……? 甘っ……え? えっ、なんか違う……」

 

「旅館の“隠し味”じゃない? 地域特有の……」

 

「……ううん……これ、“隠しすぎた味”だと思う……くれは、もしかしてこれ……」

 

くれはは、にっこりと笑った。

天使のように、悪魔のように。

 

「“無料”って、そういうことなんだよ」

 

「えっ」

 

「“誰にも責任を問えない”って意味なの」

 

葵は、箸を――いや、手を止めた。

ラップの切れ端が小刻みに震えていた。

米が崩れ、トレイに散らばる。

 

「くれは、あんた……」

 

「うん、食べたことある。昨日、こっそり一個。胃が再起動するかと思った」

 

「なんで言わないの!!!」

 

「だって、無料だし」

 

「無料で魂持ってかれたら、だめじゃん!!」

 

それでも、笑ってた。

くれはは、笑ってた。

 

「でも葵がひと口食べた瞬間、**この旅が“忘れられないものになった”って確信したよ」

「おにぎりで記憶作らないで!!!」

 

葵は水を飲みながら、味の記憶を水没させようとしていた。

けれどその横顔に、微かに笑いが浮かんでいたのを、くれはは見逃さなかった。

 

***

 

部屋に戻る道すがら、葵がつぶやいた。

 

「……くれは、あんた人のこと巻き込むのうまいよね」

 

「えへへ。“一緒にまずいもの食べた人”って、強くなるんだよ。友情的に」

 

「逆に言えば、二度と信用しないからねこの宿の“ご自由に”系!!」

 

「……でもまた見つけたら、取っちゃうでしょ?」

 

「うぐっ……」

 

くれはの声は、夜の風の中にふわっと溶けていった。

 

たぶん葵は明日も忘れない。

この夜のおにぎりと、くれはの笑顔を。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。